*元外交官 原田武夫のコラムより 2008 5/1
「懲りない面々へのレクイエム―――高橋洋一「さらば財務省!」を読んで」
「破壊ビジネス」の立役者が残した動かぬ証拠
最近、やたらと“米国の崩壊”だの、“米帝国の終焉”といった過激なタイトルで本を上梓される方々がいる。いわゆるサブプライムに象徴される証券化された有価証券に基づく損失の膨れ上がりにより米国の金融マーケットが圧迫され、さらには米国経済全体の勢いが減退しつつあることは事実である。
しかし、だからといって覇権国・米国による日本を含めた世界に対する手綱は緩むことはないのである。在日米軍によるネット監視がそのことを物語っている。私たち=日本人としても、あくまでもそのようなものとして米国に対する警戒心を失ってはならないのである。
こうした警戒心を研ぎ澄ませるのに役立つアイテムとして、私が普段活用しているのが、構造改革という名の“破壊ビジネス”の立役者だった日本人たちが得意げに書き残している書籍である。構造改革とは、とどのつまり、「自分たちの身の丈以上に消費をすることで経常収支赤字が恒常化した米国が、マクロ経済上の相殺を資本収支の絶えざる黒字化のために、とりわけ国富を溜め込んだ国に対して強いているビジネス・モデル」にすぎない。そのお先棒を担ぎ、国富の米国への移転を手伝っているのが、日本の政界・財界・学界・官界・メディア界にあまねく生息している“破壊ビジネス”の担い手たちなのである。
米国はこれまで、こうした“破壊ビジネス”の担い手たちを陰に日向に支援してきた。なぜなら、そうしなければ自国のマクロ経済運営が立ち行かなくなるからである。しかし、そのような役割を忠実にこなすことによって米国より事実上のサポートを受けて出世していく“破壊ビジネス”の担い手たちは、この隠微な事実を決してあからさまに口にすることはない。
しかし、そのように慎重な彼らであっても、時として口を滑らせてしまうことがあるのだ。その一つが、彼らが得意げに記す「自叙伝」なのである。そこでは、米国による日本での“破壊ビジネス”の実態が期せずして赤裸々に語られる場合がままある。
この観点から、私が今、最も注目しているのが高橋洋一「さらば財務省! 官僚すべてを敵にして男の告白」(講談社)である。
高橋洋一氏はこの本のカバーによると”内閣参事官“。1980年に大蔵省に入省後、理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員を経て、内閣府参事官(経済財政諮問会議特命室)などを歴任したとある。最近、さまざまな媒体で”竹中平蔵擁護論“を声高に主張されているようなので、この高橋洋一氏の名前を目にした方も多いことだろう。
もっとも、ここで関心があるのは高橋洋一氏お得意の“竹中平蔵擁護論”ではない。彼がこの本の中で、米国による“破壊ビジネス”の傷跡を(意図せずして)赤裸々に語っている、郵政民営化の基本骨格づくりをめぐる次のような下りである。
「私も、基本方針づくりにはもちろん参加した。岸さんらと四人ほどで、あるいは竹中さんの外部オフィスで、また、竹中さんから見てちょっと遠い人間を入れる必要があるときには、ホテルの一室で、集まって。
日を追うにつれ、民営化の具体的な道のりもほのかに見えてきた。たとえば郵政四分社化である。・・・(中略)・・・様々なパターンを考えては打ち消した。案を練っては否定し、否定しては練るという虚しい作業が続いたが、しかし、これを繰り返していくと、問題のあるパターンはふるい落とされていき、最後には、最も適切な案が残る。数ヶ月、苦悶を重ねて行き着いたのが、四分社化だった。
もっとも、竹中さんが四分社化を採用したのは、私のアイデアだけを取り入れたからではない。郵政事業の分割に関しては、マッキンゼー社も案を練っていた。マッキンゼーは一足先に実施されたドイツの郵政民営化にコンサルタントとして参加したという経験があった。
マッキンゼーで、郵政民営化を考えていたのは宇田左近さん(現・日本郵政専務執行役)である。宇田さんの考えがおもしろく、竹中さんの琴線に触れたようだった。
宇田さんのやり方は、私のアプローチとはまるで違う。私は経済学的な見地からだったが、宇田さんは経営学的な観点からのものだった。しかし、到達した結論は同じ四分社化。後に宇田さんと話してみると偶然にも似た考え方だった。」(高橋洋一・前掲書より抜粋)
以上が問題の部分である。ここでこの問題の箇所から“客観的に”読み取ることができる事実関係をまとめておくことにしよう:
●郵政民営化という、総額350兆円もの“国富”にかかわる重大案件について、当然 のことながら秘匿装置もついていない(したがって外国勢力によって盗聴も容易な) 民間施設での協議が繰り返されていたこと。
●日本の郵政民営化に纏わる基礎的な検討作業に際し、米系経営コンサルティング会 社が当初から深く関与していたということ。また、「民営化」が実現した後、その 中心人物がそのまま民営化された日本郵政の経営幹部に滑り込んでいるということ。
これだけでも充分に驚きなのだが、さらに驚愕すべきことが一つある。それは、郵政民営化が米国から日本につきつけられてきた「対日年次改革要望書」の筆頭項目ともいうべき重大な要求であったという事実そのもの、あるいはそれを踏まえた展開に関する言及をこの本で高橋洋一氏は一切行っていないということである。この本の中でそもそも外国について触れた部分は、プリンストン大学に同氏が留学している最中の下りのみなのである。もちろん、外国勢力からなんらかの影響力の行使があったかどうかなど、物事の“核心”についての言及は一切ない。
しかし、郵政民営化をめぐってはそもそもこれが米国からの密やかな、しかし明確な対日圧力に基づくものであったことが当時(2005年頃)、最大の争点だったのである。そのことは余りにも周知の事実であるにもかかわらず、これについて当事者であった高橋洋一氏は一切言及していないわけである。単に失念したというのであれば「知」を武器にする官僚としての資質を疑わせるものであり、他方、意図的に記述していないというのであれば「誰のために働いたのか」という重大な疑念が高橋洋一氏の“業績”には今後常にまとわりつくことになるのだ。
いずれにせよ、はっきりしたことが一つある。
「歴史は沈黙によってもつくられる」
変わり始めた「潮目」を貴方は感じているか?
これもまた以前このコラムで書いたことなのであるが、ドイツ・ポストの民営化の立役者であった米系経営コンサルティング会社幹部は、その後、ドイツで脱税容疑により最近、大いに晩節を汚した。金融資本主義とは無情なものであり、「破壊と創造のプロセス」を維持するためには、時に自らの忠実な僕(しもべ)をも餌食にするのである。日本における“破壊ビジネス”の立役者たちは、今、そのことをしっかりと胸に刻み込むべきだろう。
その意味で今、「潮目」は確実に動いている。この関連で「世界の潮目」の例をもう一つ挙げておくことにしたい。
日本の大手メディアも報じているとおり、22日、米司法省は核兵器や戦闘機などに関する軍事機密をイスラエル側に提供するというスパイ行為に関与したとして、ベンアミ・カディシュ容疑者を逮捕したと発表した。上記の文書は、その起訴状である。
この起訴状によれば、カディシュ容疑者は米軍の兵器研究開発研究所に勤務していた1979年から1985年までの間、同機関の書庫から機密文書を何度も借り受け、イスラエル側の協力者に渡した疑いがもたれているのだという。―――さてこの出来事がどのような意味で「潮目」なのだろうか?
実は似たような事案が1987年に米国で発生したことがある。この時、米海兵隊の情報将校であったジョナサン・ポラール容疑者(米国籍)が、イスラエルの情報機関「モサド」に対し、同じく機密情報を漏洩したとして逮捕されたのである。当然、イスラエル側はそうした事実を否定。米・イスラエル関係は徹底して悪化することとなった。
ここでは紙幅の都合から詳細を書くことができないのが残念だが、この過去の例から考えて、米国(=イスラエルに支援されているネオコン勢を除く、米国の統治集団)がイスラエルとの関係で“腹をくくった”ことがこの事案からは如実にうかがわれるのである。イスラエル・パレスチナ問題、イラン問題、米ロ問題など、ありとあらゆる問題がこのことによって影響を受けることであろう。
もちろん、日本もその例外ではない。こうした「潮目」が生ずる前の潮流に悪乗りし、恫喝と虚栄心で日本のメディアを席捲してきた人物は、大いに沈思し、反省すべきなのだろう。さもなければ逆転し始めた「潮目」の中で、彼らこそ飲み込まれることとなるに違いない。
2008年は、「あるべき正義が貫かれる年」になってほしいものである。
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