<数年来続く官僚ペースの政策>

安倍首相の突然の辞任にはすべての人が吃驚したのではないか。

しかし、これも後からいろいろの話を聞けば当然の結果かもしれない。ここのところ安倍首相に対する強いバッシングが続いていたが、前にも書いたようにこれはすでに国民投票の法案を成立させた時点で安倍氏の役割が終わっていたためである。本当に日本を支配するイスタブリシュメントから見離されたのである。

また、日本の総理大臣になるにはあまりにも準備不足であった。最大の不幸は支えるスタッフが未熟で貧弱なまま、政権をスタートさせなければなかったことであろう。 ただでさえ郵政改革騒動で有力政治家が自民党を追い出されたりしたこともあり、また、小選挙区制度の弊害(二世三世議員ばかりになる等)が徐々に表面化しており、豊富な人材を誇った自民党も人材が枯渇した状態にある。もしかすると、この状況では誰が総理大臣になっていてもまともな政治はできなかったのかもしれない。

ご存じのように今の自民党の政治家は「福田氏」が優位と見るや、たちまち「福田氏」支持に走るような者ばかりである。そこには「政治信条」とか「政治家の理念」と言ったものが全く見られない。現在、そのような政治家だけが自民党に残ったのだと酷評する人もいる。

当然、このような軟弱な政治家ばかりだから、彼等はとても官僚組織に対抗できない。したがって政策は全て官僚のシナリオ通りである。政策では官僚に対抗できないから、人気取りのため公務員改革という名の「公務員たたき」をやって強がって見せるパーフォーマンスをしているだけである。

今日、ずっと官僚ペースの政策決定が続いている。意外に思われるかもしれないが、小泉政権以降、特にこれが酷くなっている。

思い付くままにそれらを挙げてみると「定率減税の廃止」「消費税免税限度額の引下げ」「医療費負担の増加」「年金保険料の値上げと年金給付額の減額」「三位一体の改革と言いながら、結果的には国の財政負担の減額を狙った財政改革」「裁判員制度」など切りがない。これらは国民が望んだものではなく、全て官僚がやりたかった政策ばかりである。ある地方自治体の幹部が「地方分権と言いながら、ますます中央の力、指示が強くなっている。」とこぼしていたが、全くその通りである。だからこそ現在、総理代行を置く必要もないのである。そのこと自体、日本の政治を官僚がすべてを動かしていることを物語っているのである。




安倍首相辞任の引き金はやはり参議院選挙の大敗である。マスコミは大敗の原因を「社会保険庁問題への対処」「閣僚の政治資金問題」「閣僚の問題発言」のせいにしている。たしかにマスコミがこれらを連日取上げるせいもあってか、マスコミが作っている安倍内閣の支持率は下がり続けた。

我田引水のマスコミは内閣支持率の低下を参議院選の最大の敗因としている。しかし、これは政治をなんとか支配下に置きたいマスコミの言い分に過ぎない。マスコミは内閣支持率に影響力を持っていることを誇示し、なんとか政治に力を及ぼそうとしているのではないか。しかし、内閣支持率がほぼゼロだった森政権下でも、自民党は衆議院選挙で善戦したことがある。内閣支持率の国勢選挙に及ぼす影響を過大評価するのは間違いである。

もしマスコミが連日取上げていた問題で参議院選挙に負けたのなら、マスコミの影響が大きい都会でもっと大きく負けても、地方ではこれほど不様な負け方をしていないはずではないか。ところが大惨敗を喫したのはマスコミの影響を比較的受けにくい地方である。やはり小泉政権以来の中央官僚ペースの政策が否定されたことが、参議院選挙の敗因と考えるべきである。

自民党の政治家の一部もこのことにようやく気が付き始めている。しかし重要な参議院選挙は終わったのだから、文字どおり「時は既に遅し」である。しかも福田自民党では官僚組織に対抗できるはずがない。



<「負」の遺産の清算>

安倍首相のことにもう少し考えてみよう。安倍晋三氏はキャリアを積見上げて首相に登り詰めたのではない。本人の努力を無視するわけではないが、父の安倍晋太郎元外相や祖父の岸信介元首相から大きな政治的遺産を相続したことが、若くして宰相の座に就くことができた大きな要因になっている。

そして、もう一つの遺産は小泉前首相からのものである。安倍氏は小泉氏から後継指名を受けた。これが自民党の総裁選で絶対的に有利に働いた。しかも後継指名だけでなく、小泉政権の元で、官房長官や自民党の幹事長に抜擢された。大臣になったことがない安倍氏が、いきなり官房長官や幹事長に指名されたことは異例の大抜擢であった。そして官房長官や幹事長を経験することによって、次期の総理総裁の有力候補になれたのである。

当選回数がわずか5回の安倍氏が首相になれたのも、このような莫大な政治的な遺産を相続したからである。これまで自民党の総裁になるには、党の三役や外務、財務と言った重要閣僚を経験することが必須であった。また当選回数も最低10回くらいは必要であった。しかもこれらの条件を満たしても、ようやく総理総裁の候補になれるに過ぎなかったのである。



しかし安倍晋三氏にとって、遺産を継いで首相になったことが全て良かったとは言えない。遺産には「正」の遺産だけでなく「負」の遺産もある。しかし遺産を相続する者は「正」の遺産だけを継ぐというわけには行かない。同時に「負」の遺産も相続しなければならないのである。

安倍政権の一年の間には、晋三氏が父親である安倍晋太郎氏から引継がなければならなかった「負」の遺産みたいなものの「陰」(週刊現代、週刊文春のスクープ記事)が所々で見られた。政権に勢いがある間は目立たないが、守勢に回るとジワジワと沸き出してくるのである。彼は身体が弱いこともあって「負」の遺産を清算する前に首相に登り詰めるしかなかったのである。 結論を言えば、総理大臣になるのが早すぎたのである。



小泉前首相から引継いだ「負」の遺産にも大きく足を引張られた。まず人材が払拭した自民党を継いで政権を作らなければならなかったことが挙げられる。事実上、小泉氏が安倍内閣の人事を左右していた。マスコミはこれをあまり取上げないが、小泉氏に押しつけられた閣僚がよく問題を引き起したのである。松岡農水相が自殺した時に一番先に現場に駆付けたのは、小泉前首相の秘書の飯島氏であったと言う。

また、小泉氏から後継指名を受ける条件が「小泉改革」を継承することであった。何を勘違いしているのか、中央マスコミはいまだに小泉氏が人気があると喧伝している。しかし地方では人気があるどころか小泉氏は憎まれているのではないか。

地方では「小泉」「竹中」と呼び捨てられているのが普通である。したがって安倍首相が「小泉改革」「改革を続行する」と発言する度に、地方の保守票が逃げて行ったのはしかたがない。

安倍政権は短命に終わり、今後安倍晋三氏が政治家としてどのような活動をして行くのか不明である。たしかに今回の辞任劇は本人にとって大きなダメージとなっている。細川元首相のように政界から引退することがベストの選択だと思われるが、今回の辞任で「負」の遺産を清算することができたと考え、今後はもっと自由に政治活動ができるので、政治家として政治活動をしていくのも一つの考えである。

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