「日本のあまりにも長い戦後はいつ終わるのか」
10年に一度と言われる暑い夏の8月が始まった。終戦記念日の8月15日を含むこの月に戦争や戦後史に思いを馳せることにはそれなりの意味があるのではないだろうか。
ところで、「龍馬伝」というNHKの大河ドラマが人気のようである。
国民作家と呼ばれた司馬遼太郎氏が「竜馬がゆく」という小説を産経新聞に連載したのが、1962年から1966年、日本経済が奇跡の高度成長を始めた東京オリンピックを挟んだ時代であった。司馬氏の作品は、高度成長する、躍動する日本に相応しい読む者を元気づける素晴らしい大衆小説であった。ところで、小説というのは、作家による一つの小さな説に過ぎないのであって、勘違いする人々が多いが歴史ではない。
2010年の日本人としても、ドラマや小説のような龍馬が本当に歴史上の実像だったと信じたい処だが、これから、日本が本当に独立自尊の国なるためには、それはあまりにも拙いことだと言わなければならない。アヘン貿易で大儲けした「ジャーディン・マセソン商会」がグラバーという男を通して、坂本龍馬や長州、薩摩の藩士をサポート、操縦していたのであり、そこには、フリーメンソンという国家を超えた組織を通じて世界経済を牛耳りつつあった人々の意向が見事に反映されていると冷徹に見るべきであろう。
多くの従業員の明日を預かる経営者、子ども達の未来に関与する教師、国、地方の未来を決める立場にある政治家と称する人々ぐらいは、もう少しほんとうの事を知るべき時期にいよいよ日本も入ったと思われる。
ところで、「美味しんぼ」という人気漫画の原作者雁屋 哲氏が、「美味しんぼ日記」というブログに興味深い記事を書いている。過激な表現を故意にする人なので、文書表現等に問題があるかもしれないが、取りあえず、そのまま引用する。(長文のため、編集)
(以下)~中略~
私は、鳩山由紀夫氏は善意の人だったと思う。 ただ、辺野古問題は、上に書いた、竹の子みたいな物だったのではないか。氏は、掘ろうと思えば掘れると思った。ところが、どっこい、地下の根は複雑に入り組んでいて、しかも強力で、魑魅魍魎も跋扈していて、とても掘れない。私たちの場合は、悪戦苦闘の末に、竹の子を掘り出すことは出来たが、氏は出来なかった。長濱義和さんの使ったような、兇悪な竹の根も断ちきることの出来る刃の長いクワを鳩山由紀夫氏は持っていなかった。
氏を妨げた物は、端的に言えば、アメリカが日本の社会に張り巡らした醜悪な竹の根である。アメリカは日本中に根を張っていて、日本人がちょっと形の良い竹の子を掘ろうとすると邪魔をする。ときには、掘ろうとした人間の社会的生命を葬ってしまう。今回も、鳩山由紀夫氏はアメリカの張り巡らした節だらけの根に掴まって負けた。氏は、次の総選挙にも出馬しないという。実質的に政治家生命は絶たれてしまった。アメリカに逆らうとこうなると言うことが分かって、今度首相になった菅直人氏は勿論、これから誰が総理大臣になっても、沖縄に限らず日本の在日米軍基地に対して文句を言うことはないだろう。
話を続ける前に、今までに書いたことの中で、事実関係をきちんと示していない部分があったので、そこを補足する。まず5月4日に書いた昭和天皇と沖縄の問題である。敗戦後、昭和天皇の御用掛を勤めた寺崎英成という人物がいる。
その寺崎英成の残した「昭和天皇独白録」が1990年に発見され、それを文藝春秋社が発表し、当時大きな反響を巻き起こした。「昭和天皇独白録」については、さまざまな研究書が出ている。
結果として、「昭和天皇独白録」は昭和天皇による自己弁護の書である。当時の連合軍司令官マッカーサーは、天皇を日本支配の道具として使いたいと考えていた。
じつはこれは、マッカーサー個人の考えではない。加藤哲郎・一橋大学教授が米国国立公文書館で発見した機密文書「Japan Plan」という物がある。
下記のページに、教授の詳しい記述が記載されているのでお読み頂きたい。
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html
これは、1942年6月3日の日付で作られた物である。
この中で、アメリカは既に戦後日本をどう取り扱うか構想を立てていた。その構想とは、戦後、「天皇を平和の象徴として利用する」という戦略だった。1942年6月と言えば、真珠湾攻撃からまだ半年しか経っていない。その時期に、すでにアメリカは戦後の日本の取り扱いについての構想を立てていたのだ。それも、思いこみによる構想ではない。日本を良く研究した上で、日本国民をどう取り扱えば占領政策が上手く行くか、論じているのである。日本の指導者たちが、悠久の大義に生きるとか、皇道精神などと、現実離れしたことを譫言のようにいっている時に、アメリカは戦後の計画を冷静緻密冷徹に計画を立てていたのである。自分たちが勝つことを当然と考えている。これだけ頭の程度に差があっては、戦争に勝てる訳がない。
当時の日本の指導者たちは、アメリカの指導者たちに比べると、正に精神年齢12歳の子供同然であったことが、この文書を読むと痛感させられて、実に悲しくなる。
アメリカは最初から天皇を傀儡として使うつもりだったから、「東京裁判」に引っ張り出されて有罪にされたら困る。昭和天皇に戦争責任がない形にする必要がある。
そこで、寺崎英成がアメリカ側の意を体して、同時に昭和天皇自身が欲した保身のための術として作り上げたのが「昭和天皇独白録」である。天皇が東京裁判に引き出されるのを防ぐのが目的の弁明書だから、一般の目に触れることはなかった。
その「昭和天皇独白録」は1991年に、文藝春秋社から、半藤一利氏の解説を付けて発売された。同書には「寺崎英成・御用掛日記」も加えられた。これは、寺崎英成の残した1945年8月15日から、1948年2月15日までの日記である。
その1947年9月19日の記録に、次のような一文がある。
「シーボルトに会ふ 沖縄の話 元帥に今日話すべしと云ふ 余の意見を聞けり 平和条約にいれず 日米間の条約にすべし」
これだけでは何のことだか分からないが、1979年にアメリカの公文書館で発見された文書が、一体それがどう言うことだったのか示した。この文書は沖縄公文書館がそのコピーを入手し、以下のホームページで公開しているので、一度見て頂きたい。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html
そのページを開くと、その文書の内容についての簡単な説明があり、最後にPDF画像(2頁)と書かれている。そこをクリックすると、原文のコピーが出て来る。
これは、マッカーサーの政治顧問のSebaldが、1947年9月20日づけで当時の国務長官マーシャルに宛てた手紙で、寺崎英成が、マッカーサーに伝えた天皇の言葉を報告した物である。寺崎が伝えた天皇の言葉は、大略すれば次の通りである。
天皇はアメリが、沖縄と琉球諸島の軍事的占領を続けることを望む。
天皇は、アメリカの沖縄(必要であれば他の島々も)の軍事的占領は、主権は日本 のままで、25年から50年またはそれ以上の長期リースの形で行われるのが良いと 言った。
寺崎氏は、アメリが沖縄とその他の島々を、軍事的基地として獲得する権利は、日本とアメリカ二国間の条約とするべきで、連合国との平和条約の一部とするべきでない、と言った。(主語は寺崎氏となっているが、この文書の性格として天皇の言葉を伝える物だから、この言葉も天皇の物と考えるのが自然だろう)このような一次資料を基にして、私は5月4日の日記の中で、沖縄をアメリカの基地にしたのは昭和天皇である、と書いたのだ。無責任な憶測でも、噂話の又聞きで書いたのでもない。
事実が文書としてこうして残っていて、みんなが良く知っているのに、みんなが、言わないようにしている。正しい事実を公に論じることをしない日本という国は、不思議な国なのだ。天皇が、戦争犯罪に問われなかったのは、戦争は天皇が自分の意志で始めたのではなかったからだという理由による物ではなかったか。それを主張する物が「昭和天皇独白録」である。
戦争犯罪を問われそうになると、自分は立憲君主だから部下の言う事を認可してきただけで、主体的に戦争を指導したのではないと言った昭和天皇が、戦争が負けたら相手の国の元帥に、沖縄をずっと占領していてくれなど主体的に言う。こう言うことが許されるのだから、日本は不思議な国だ。
米軍が沖縄を占領し続けることを天皇が主体的にアメリカに頼んでいるのである。
具合が悪いと、それは部下がしたことで自分は知らないと云い、自分の命に関わってくるところになると相手の元帥に自分の国を民ごと切り渡して与える。
しかも、他の国にはやらない、君だけにやるんだから、後はよろしく頼むよ、と言う。先に挙げた「昭和天皇独白録」「寺崎英成御用掛日記」(文藝春秋社刊)の259ページに、秦郁彦教授が、マッカーサー記念館の「総司令官ファイル」の中から発掘した文書として、寺崎英成と思われる政府高官が伝えた天皇の言葉が記されている。
それによると
「(前略)日本人の国民性には美点も多いが欠陥もあるから、占領は長期間つづくほうが望ましいと、陛下は感じている」
昭和天皇自らが、アメリカの支配を望むと仰言られたのだ。どうして、下々の人間が天皇陛下のお言葉に反することが出来ようか。その陛下の有り難い大御心を奉じたてまつって、アメリカは日本占領をいまだに続け、以来ずっと日本はアメリカの奴隷であり続けているのである。~中略~
ところで、1945年8月15日までの昭和天皇は、元帥帽をかぶり、いかめしい天皇服を着て、白馬にまたがって、皇軍を率いていた大元帥の勇ましい姿だった。
戦争当時、昭和天皇の側近を務めた木戸幸一の記した「木戸幸一日記」という物がある。公共図書館に行けば置いてあるから読んで欲しい。
その中には、昭和天皇の生々しい言動が記録されている。木戸幸一日記に寄れば、昭和天皇は、対米開戦を決める前に、海軍や陸軍の指導者の話を何度も何度も、聞いた後に
「海軍大臣、総長に、先ほどの件を尋ねたるに、何れも相当の確信を以て奉答せる故、予定の通りに進むる様首相に伝へよ」と言っている。
昭和天皇は、アメリカとの戦争を始める前にさんざん検討を重ねているのである。
それは、勝つか、負けるか、の検討であって、戦争の善悪の検討ではない。
戦前の昭和天皇は操り人形ではなかった。(同じ人間が、戦後には、アメリカの傀儡、操り人形になったのだが、戦争を始める時点では、人形ではなく自分の意志で動いていた) 同じ、「木戸幸一日記」の1942年(昭和17年)2月16日に、次の記述がある、(日本がシンガポールを陥落させた直後のことである)
「シンガポール陥落につき祝辞を呈す。
陛下には、シンガポール陥落を聴こし召され(お聞きになって)、天機殊の外麗しく(天皇の機嫌は大変に良かった)、次々赫々たる戦果の挙がるについても、木戸には度々云う様だけれど、全く最初に慎重に充分研究したからだとつくづく思ふと仰せあり。誠に感泣す。(これまでに充分研究して戦争を始めたんだから、勝つのは当たり前だ、と天皇は言ったのだ。それに対して、木戸は感動して泣いた)」とある。
もうひとつ、木戸幸一日記から。
1942年3月9日、前々日に、日本軍がインドネシア、ビルマを陥れたという知らせを聞いて、
「(前略)竜顔(天皇の顔のことをこう言う)殊の外麗しくにこにこと遊ばされ『あまり戦果が早く上がりすぎるよ』との仰せあり。」
もう一つ。
1942年6月8日、ミッドウェーでの敗戦を聴いた後で、
「今回の損害は誠に残念であるが、軍令部総長には之により士気の阻喪を来さざる様に注意せよ。尚、今後の作戦消極退嬰とならざる様にせよと命じ置いたとのお話しあり。英邁なる御資質を今目の当たり景仰し奉り、真に皇国日本の有り難さを痛感せり」
もともと、この「昭和天皇独白録」は、、昭和天皇を戦争犯罪人にせずに、傀儡として戦後の日本を支配したいというアメリカの意志の元に作られた物だ。こう言うアメリカの工作のお陰で、昭和天皇は戦争責任を問われることなく「平和を愛する天皇」として、歴代天皇としてはまれな長寿まで生き続けたのだ。
昭和天皇が、まず、自分自身を立憲君主国天皇と言いながら、その範囲を自分で超えて、「沖縄をアメリカの基地にしろ」「日本も出来るだけ長く占領を続けろ」と言った。こう言う時の天皇の言葉の力は大きいらしく、いまだに、天皇の言葉のままだ。
日本全体のアメリカの隷属化の第一は昭和天皇の言葉による物であることは明らかになった。言葉は力である。
昭和天皇は当時は非常なる権力者であったから、昭和天皇の言葉はそのまま強力な力となった。
では、次に日本をアメリカに隷属し奴隷となることを推進したのは誰か。それは、過去半世紀にわたって日本を支配してきた「自民党」である。
2007年にニューヨーク・タイムズの記者ティム・ワイナーが「Legacy of Ashes. The History of the CIA」という本を出版した。「Legacy」とは遺産のこと。
「Legacy of Ashes」で「灰の遺産」と言うことになる。
これは、もともと、アイゼンハウワー大統領の言葉だそうだが、どのような状況で何をさしていったのか、この本からだけでは分からない。しかし、戦争直後に言った言葉であり、戦後のヨーロッパやアメリカの各地のあの壊滅的状態を思い起こせば、そして、この本のあちこちの表現を見ればその意味は想像がつく。
あの当時のドイツと言えば、遺産としては灰しか残っていなかったのだから。
「The History of the CIA」という副題から推察すると、CIAから次世代のアメリカが(現代のアメリカのことである)受け継ぐのは戦後のヨーロッパのように「灰だけだ」と言うことになる。
ずいぶん、厳しい言葉だが、この本を読んでみると、この題名に納得がいく。
私たちは、CIAというと、大変に優れた諜報機関で、全世界にスパイ網を持ち、世界中の情報を収集し、と同時にアメリカにとって邪魔な国を倒すための陰謀を巧みに企んできた恐ろしくもあり強力な存在だと思ってきた。
ところが、この 「Legacy of Ashes」では、如何にCIAが無能で、情報機関としても陰謀機関としても、大きな失敗ばかり重ねてきたか暴いているのだ。
例えば、自発的にCIAのスパイになってくれたソ連での人々を、CIAがわのソ連のスパイが密告して全員殺された。レーガン大統領の時に、イランに武器を売り付け其の代金を中東で使うというイラン・コントラ事件が起こって、CIAも、中東での関係もめちゃくちゃにしてしまった。恐ろしく情報能力が低下して、ソ連の軍事能力を過信し、アフガニスタンに武器を大量に提供してソ連のアフガン侵攻を阻止しソ連を崩壊させる一助となったのはいいが、其の大量の武器が今アメリカを困らせている。大統領がCIAを信じないし、CIAも大統領を喜ばせることしか伝えない。CIAは大統領に嘘をつくのである。イラク戦争の時も、CIAは大量破壊兵器があると強調して戦争を始めたが、結局、全て偽の情報でイラクに大量破壊兵器はなかった。CIAの組織力はくずれ、世界中にいるCIAの人間は、ニューヨークのFBIの職員の数より少ない。 2004年にブッシュ大統領は、CIAのしていることは「just guessing」だといった。
「guess」とは推量とか、あて推量で言い当てる、と言う意味だ。要するに、CIAは「事実に基づいた判断ではなく、勝手に思いこみで言っているんだろう」、とブッシュは言ったのだ。これは、「Political death sentence(政治的死刑宣告)」だとワイナーは書いている。こんなことを今までに言った大統領はいない。
2005年に中央情報長官の職が廃止されたことでCIAがアメリカの政治の中心で果たしてきて役割は終わった。アメリカは、情報機関を立て直さなければならないが、遺産として目の前にあるは「Ashes」である。というのが、ワイナーのこの本に書いてあることだ。
実に恐ろしいくらい、愚かな失敗をCIAは繰返している。
CIAと言えば泣く子も黙る恐ろしい存在だと思い込んでいた私など、それじゃ、幽霊と思ってススキにおびえていたのか、と愕然となった。今まで、CIAとソ連の諜報機関との戦いを描いていたハリウッド製のスパイ映画は何だったのと言うことにもなる。なお、ワイナーによれば、ここに書いたものは、CIA、ホワイト・ハウス、連邦政府の55000以上の文書、2000以上の、アメリカ情報機関担当員、兵士たち、外交官たち、のオーラル・ヒストリー(自分の歴史的体験を口述したもの)、そして、1987年以来行われた、300以上の、CIAの職員、退役職員、(その中には10人の元長官も含まれている)に対して行われたインタビューを元にしている。
この文書は、全て実名の情報に基いている。出所を明らかにしない引用、匿名の情報、噂話の類は一切用いていない。この本はCIAの真実の全てを書いたものとは言えないかも知れないが、ここに書かれたことは全て真実である、とワイナーは述べている。
幸いなことにこの本が2008年に文藝春秋社によって日本語訳が出版されたので、日本人も容易に読めるようになった。(なお、文藝春秋社版の日本訳と私の持っているアメリカのAnchor Books版とでは、この第12章の内容が甚だしく違うところが多い。
文藝春秋社の編集部の解説によれば、文藝春秋社版の第12章の前半と、第46章は日本語版のために著者が追加執筆した物だという。他にも、Anchor Books版になくて、文藝春秋社版にある部分がある。結果として、本来は50章の本なのに、日本版にはおまけで1章付け加えられた。私は、アメリカのAnchor Books版を元にしていたので、危うくこの付け加えられた一章を見落とすところだったが、後で述べるように、1994年にワイナーによって書かれたNew York Timesの記事には、もっと厳しい内容が書かれているので、この付け加えられた章がなくとも、私には問題がなかった。
(英語版が手に入らない日本の読者には意味があるだろう)逆に、英語版で大事なところが、文藝春秋社版では欠けているところがあるので、私は一応Anchor Books版を基本に、文藝春秋社版を参考にすることにした。)
さて、改めて言うが、この本を読んで、私はCIAがこれ程までに無能な機関であり、ここまで数々失敗を重ねてきたひどい政府機関であることを知って驚いた。
そして、一番驚いたのは、この駄目機関であるCIAがただ一つ成功した例があることである。それは、ああ、なんと、この日本という国の支配なのである。
今回の眼目は、この本の第12章である。その章のタイトルは、「We ran it in a different way.」となっている。「run」とは、動かす、管理する、指揮する、支配する、と言う意味である。ここでの、「it」は日本の政治のこと。すなわち日本のことである。「we」はCIAのこと。「in a different way」とは、当時日本を占領していた連合軍司令官であるマッカーサー元帥とは、違う方法で、と言う意味である。
なぜ、わざわざこの部分を英語の原文のまま示したか、それは、この「We ran it in a different way」という言葉の持つ、冷酷さ、非情さ、おごり高ぶった情感をはっきり読者諸姉諸兄に味わって頂きたいからである。これを、文藝春秋社の日本語訳のように「別のやり方でやった」などとしてしまっては、このアメリカの非情さが分からない。
英語と言う言語の持つ実に直裁的な冷酷な味わい、そして、それが、アメリカ人の心理をそのまま反映した物なのだが、それが消えてしまう。我々日本人は、アメリカ人に、「run」されたのだ。「rape」と変わらない。其の屈辱感を、しっかり身にしみて貰いたいために、あえて英語の原文を示したのだ。
始まりは、1948年の末。 ワイナーは次のように書いている。
「2人の戦争犯罪人が、他の戦争犯罪人たちが絞首台に連れて行かれた前日に、戦後三年間入れられていた巣鴨刑務所から釈放された」その2人とは岸信介と、児玉誉士夫である。
岸信介は、1896年山口県生まれ。東京大学の法学部を卒業して農商務省に入り、東条内閣の対米宣戦時の商工大臣であり、敗戦後A級戦犯に指定されたが、釈放され、その後総理大臣になって対米安全保障条約・新条約の締結を行った。
児玉誉士夫は、1911年福島県生まれ。 戦前右翼の活動家として活躍し、戦中は海軍の庇護の元に中国で「児玉機関」と言う組織を動かし、強奪的にタングステン、モリブデン、などの貴金属、宝石類を大量に集め、それを海軍の力を利用して日本に送り届けた。(それを自分の物としたのが凄い)敗戦後、A級戦犯とされるが釈放された後、中国から持ち帰った巨額の資産を元に、政界に影響を及ぼし、やくざ・暴力団・右翼のまとめ役、フィクサーとして力を振るった。
Anchor Books版に書かれていて、文藝春秋社版に書かれていない文章は、以下の物である。
「Two of the most influential agents the United States ever recruited helped carry out the CIA’s mission to control the government.」
Anchor Books
拙訳「かつてアメリカがリクルートした二人の一番影響力のあるエイジェントがCIAの日本政府を支配する任務を遂行するのを助けた」で、其の二人の男とは、岸信介と児玉誉士夫である。
リクルート、エイジェント、この二つの言葉の持つ意味は重い。会社にリクルートされて其の会社に勤めたら、貴方は其の会社の人間だ。エイジェントとなったら、貴方はその会社の人間だ。これが、会社でもなく、アメリカ政府なのだ。
岸信介と児玉誉士夫は、アメリカ政府に雇われて、アメリカ政府のために働く人間になったのである。もっと正確に言えばアメリカ政府の人間になったのである。
岸信介と児玉誉士夫は日本人のためではなく、アメリカ政府のために働く人間になったのだ。文藝春秋社版では、この岸信介が「アメリカのエイジェント」だったことを明確に書かない。文藝春秋社が翻訳に使った底本が、そうなっていたのかも知れない。しかし、ワイナーの本は、まずアメリカで出版され、非常に高く評価されたのだ。アメリカの恥部を暴いた其の著者が、国ごとによって違う内容の版を出すとは思えない。この一文が無くては、自民党の本当の姿を理解出来ない。この一文を見のがしてはならないのだ。岸信介は、アメリカにリクルートされたエイジェントだった。
エイジェントとは軽い言葉ではない。アメリカのエイジェントとなったら日本のために働くのではなく、アメリカのために働くのだ。正確に言えば、岸信介はアメリカに魂を売ったアメリカの手先、「売国奴」、だったのだ。何度でも繰り返したい。この一文は非常に重い意味を持っているのだ。日本国民が、日本の首相だと思っていた人間が、実は日本人のためではなくアメリカのために働いていたのだ。我々日本人は「売国奴」を首相として崇めていたのだ。こんな事があっていいものだろうか。ワイナーの記述は、まだまだ続く。 分かりやすいようにまとめよう。
(念のために断っておくが、ワイナーが言明しているように、以下に書くことは真実である。すべて、文書や記録が残っている。)
岸信介と児玉誉士夫は、CIAのエイジェントとなった。
CIAの助けによって、岸信介は自民党の党首となり、首相となった。
児玉誉士夫は暴力団のナンバーワンとなり、CIAに協力した。
岸信介と、児玉誉士夫が、戦後の日本の政治の形を作った。
岸信介は、児玉誉士夫の金を使って選挙に勝った。
代議士になると、岸信介はその後50年に渡って日本を支配する自民党を作り上げた。 岸信介の作った「自由民主党」は自由主義的でもなければ民主主義的でもなく、戦 争で亡びたはずの日本帝国の灰の中から起き上がってきた右翼的で封建的な指導者 たちのクラブだった。
CIAと自民党との相互の間で一番重要だったのは、金と情報の交換だった。その金で党を支援し、内部情報提供者をリクルートした。アメリカは、一世代後に、代議士になったり、大臣になったり、党の長老になったりすることが見込める若い人間たちとの間に金銭による関係を作り上げた。岸信介は党の指導者として、CIAが自分の配下の議員たち1人1人をリクルートして支配するのを許した。
この部分、Anchor Books版では、次のように書かれている。
「As the party’s leader, he(岸信介)allowed the CIA to recruit and run his political followers on a seat-by-seat basis in the Japanese parliament.」
文藝春秋社版では、そこのところが、
「岸は保守合同後、幹事長に就任する党の有力者だったが、議会のなかに、岸に協力する議員を増やす工作をCIAが始めるのを黙認することになる」と書かれている。
Anchor Books版に描かれた岸は、自分の配下をCIAに売る悪辣な男である。
岸信介は、トップに上り詰めるための策動をする間に、日本とアメリカの間の安全保障条約を作り直す作業をCIAと一緒にすると約束した。岸信介は、日本の外交政策をアメリカの要求を満たすように変えると約束した。それによると、アメリカは日本に軍事基地を保持し、核兵器を貯蔵しても良いというのである。
それに対して、岸信介はアメリカの秘密の政治的な協力を要請した。
もう充分だろう、と思うが、先ほど書いたように、実は、ワイナーは、1994年10月9日付けのNew York Timesに「CIA Spent Millions to Support Japanese Right in 50’s and 60’s. 」(CIAは日本の右翼を助けるために1950年代から60年代に書けて何百万ドルもの金を使った)と言う記事を書いている。その記事の内容は、今回の本の内容に近いし、文藝春秋社版用に書き下ろしたと言う部分も、実はこの中に含まれている。この本よりももっと具体的なことも書いてある。
そこから幾つか拾ってみよう。
1970年頃に、日本とアメリカの貿易摩擦が起こっていたし、その頃には自民党も経済的に自立出来ていたので、自民党に対する資金援助は終わった。しかし、CIAは長期間にわたって築き上げた関係を利用した。1970年代から1980年代初期に東京に駐在していたCIA職員は「我々は全ての政府機関に入り込んでいた」と語った。
「CIAは首相の側近までリクルートしており、同時に農林省とも同じような関係を結んでいたので、日米農産物貿易交渉で、日本がどのようなことを言うか事前に知っていた」とも語った。元警察庁長官で、1970年代に自民党の代議士になり、1969年には法務大臣になった後藤田正晴は、自分が諜報活動に深く関わってきた1950年代60年代について「私はCIAと深いつながりを持っていた」と言っている。
1958年に、当時の自民党の大蔵大臣だった佐藤栄作が選挙資金の援助をCIAに要求して、その資金で自民党は選挙に勝った。1976年にロッキード事件が起こって日本は騒然としたが、それは、同時にCIAにとって、それまでの工作が暴露される恐れのある危険な事件だった。ハワイで隠退生活をしている元のCIAの職員は電話で、次のようなことを語った。
「この事件は、ロッキードなんかよりもっともっと深いのだ。もし、日本という国のことについて知りたかったら、自民党の結党時のことと、それに対してCIAがどれだけ深く関わったか知らなければ駄目だ。」
もう、本当に充分だろう。日本を半世紀にわたって支配してきた「自民党」はCIAのエイジェントによって作られたCIAのために働く党だったのだ。狡猾な旧日本帝国の官僚である岸信介、中国で強奪して来た資産で力を持ったやくざ・暴力団の親玉である児玉誉士夫。この2人の魂をアメリカに売り渡した売国奴によって作られた党だったのである。作られただけでなく、自民党は長い間、政治的・金銭的援助と引き替えに日本をアメリカの代わりに支配を受け付け続けていたのだ。日本人は長い間、自民党を支持し続けて来たが、実はアメリカの政策に従っていただけだったのだ。我々は、アメリカに支配されてきたのだ。
CIAが、有望な若い者達にも金を与えていたと言うことも忘れてはならない。官僚から自民党の政治家になった者は大勢いる。CIAの金は官僚にまで回っていたのだ。
事実、1970年代後期、80年代初めに東京に駐在したCIA局員はワイナーに「われわれは全ての政府機関に浸透した」と述べている。
CIAは首相側近さえも取り込み、農林水産省とも非常に有力なつてがあったので、日本が通商交渉でどんなことを言うか、事前に知ることが出来たとはなんと情けないことだろう。日本の官僚たちもアメリカに逆らえない弱みを握られているのだ。
これで、日本がアメリカに隷属し続けた原因が分かるだろう。
自民党議員も政府官僚はみんなアメリカから金を貰って弱みを握られているからアメリカに反することは出来ない。自民党の二世・三世議員も同じことだ。祖父と父が従ってきたボスにどうして息子が反抗出来るか。だから民主党政権になって、辺野古問題でアメリカの意志に反することを言い出したら、日本の官僚組織が一団となって、小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏を引きずり下ろすために全力を傾けたのだ。
誰なのか正体の知れない「市民団体」に訴えさせて、一旦不起訴と決まった小沢一郎氏を検察審議会に、「起訴相当」の判決を出させたりもした。
どうして、あんな事をさせるのか。考えてみれば、日本の官僚は上下関係でがんじがらめになっている。自分たちの先輩の決めたことを自分が覆したら、官僚世界から追放される。官僚は官僚の世界から追放されたら生きて行けない。東大法学部を卒業した人間はその肩書きしか人間としての力はない。その肩書きが通用するのは官僚に関係する社会だけであって、実社会に放り出されたら、全く無能力である。だから、日本では改革などと言葉で言っても、絶対に改革が実行されない。
それと同じで、現在の官僚は、米軍の沖縄基地の自由使用と言う過去の先輩たちの決めた慣例をひっくり返したらえらいことになると怯えたのだろう。で、人間としての価値もない無能な官僚全体がよって、たかって民主党攻撃に回っているという訳だ。
さて、もう一つ言わなければならないことがある。それは、日本の新聞、テレビ、など、いわゆるマスコミの問題である。民主党をけなし続けているのは、大新聞、テレビ各局である。では、その報道機関、マスコミが、アメリカの魔手から逃れていたのか。これが、実はそうではない。民主党攻撃に必死になったマスコミも、実は、アメリカの手先なのだ。
(引用終わり)
言葉遣いはともかく、興味深い事実を雁屋氏は、提示している。
ニーチェに「善悪の彼岸」という本ある。政治の世界を見る場合は、善悪の彼岸に立って見るべきであろう。我々の先人は、欧米列強の圧力を受けた結果とは言え、命がけで時代に合わせた国民国家をつくり、近代史における列強の帝国主義に遅れて参戦した。そのため、欧米によって巧みに日清、日露という戦争に誘導されたが、何とかそれらを切り抜け、国際連盟の常任理事国になる等、一定の成果を上げた。そして、「大東亜共栄圏」という欧米列強を排除した経済圏の創設を夢見、元帥である天皇もその先頭に立って奮戦したが、戦略欠如のため、見事に負けてしまったのである。
ところで、戦争とは、国同士の喧嘩である。どちらか一方が全面的に正しい、悪であるなどということが、あるはずがない。その意味で戦勝国が敗戦国を裁く裁判には、政治的な意味はあるにせよ、本当に意味での正当性はないはずである。だからこそ、あのチャーチルでさえ、「現代文明の倫理の原則は、戦争に敗れた国家の指導者は、戦勝国民によって死刑に処せられるべきであると規定しているようである。ローマ人は反対の原則に従った。彼らの征服は、その勇敢なる行為と同じくその寛大さに負うところが多かったのである。」などと言い訳しているのである。
ところで、広島、長崎で人類初の原爆被害を受けている日本人が、普通に米国のその悪を連想できなくなっている現象をどう解釈すべきか。
米国のウオーギルティープログラムGHQのWGP=戦争贖罪プロパガンダ戦略によって巧みに「日本人は、今回の戦争において大変残虐なことをしたので、ジュネーブ条約に違反する一般市民を含む無差別爆撃を核兵器によってされてもしようがない」と洗脳されているのである。
米国は、国家戦略にしたがって、この半世紀にわたって、日本を占領し、自国の国益のために巧みに利用してきた。たまたま、冷戦が存在したことが、日本の経済成長、経済自立を可能にしただけなのである。(もちろん、軍事的、政治的には自立はしていないが、)自民党も、既に解党した社会党もそういうバランスの時代に存在価値があった政党である。雁屋氏は自民党が、CIAからお金を貰っていたことを非難しているが、第二次世界大戦後の発展途上国であった国々では、よくあったことである。
1950、1960年代の日本は、自由主義陣営の発展途上国であったということを意味しているに過ぎない。
今まで、何度も指摘させていただいたが、冷戦が終わった時から、日本は、米国から収穫すべき対象になったのである。これも何度も指摘させていただいているが、1985年のプラザ合意がその分岐点なのである。戦後政治の流れを考えれば、ベルリンの壁が崩壊した時点で、自民党も社会党もその存在意義を失っていたとも言えよう。
おそらく、日本の政治が混乱しているのは、左も右も米国依存症という病気にかかっていることにある。今までの自民党の政治家の「従米」も、そんなことお構いなしに平和憲法を唱えている左の脳天気な人々も、日本という国が米国軍に占領されている、人によっては駐留しているというかもしれないが、そのことによって成り立っている現実を直視しようとしていない。すなわち、これらの人々も日本を自立させようとは、思っていないのであろう。
ところで、政治というのは現実である。米国が覇権国でなくなる「帝国以後」の時代に入ったら、そんなことを言っていることも、ご機嫌伺いしているだけでは生き延びていくことも、できないのである。ビル・トッテンという青い目の日本人が興味深い指摘を「アメリカ帝国の衰退」という題名でしている。
(引用)
第三世界の国は工業製品のほとんどを海外から輸入し、代わりに天然資源を輸出している。また、第三世界の国の経済は国内資本が不足しているため、外国からの資本に依存している。まさにアメリカはこの条件に当てはまる。そして第三世界のもう一つの特徴は医療などに問題があることだ。これも、先進国の中でアメリカの平均寿命が最も短いことは偶然ではない。特にアメリカでは、所得格差の拡大からここ20年間で富裕層と貧困層の平均寿命に大きな差ができつつある。例えば、貧しい黒人男性の平均寿命は66.9歳だが、裕福な白人女性は81.1歳と、14歳以上も離れている。また乳児死亡率も他の先進国より高く、これは高度医療設備がありながらも医療保険がないために、貧しい家庭では乳幼児の病気に対して何もできないという格差の現われであろう。
その一方で、貧しい第三世界の国々と大きく異なる点が少なくとも2つある。一つはエネルギー資源の消費量が世界のどの国よりも格段に多いこと、そして、どこよりも多く軍事にお金をかけ、複雑で高度かつ高額の兵器を大量に保有していることだ。そしてこの2つが、アメリカ帝国が没落に向かう理由と深く関連している。
アメリカが世界に誇る軍隊を持っているのは国民の健康や安寧のためではない。帝国がいつの時代にもそうであったように、それは帝国を支配する者が富を手にするためであり、そのために世界のあらゆるところに軍隊を派遣している。そしてその結果として、アメリカ国民は世界人口の5%に過ぎないにもかかわらず、世界の資源の3分の1を使い続けることができるのだ。
今から100年前、イギリス帝国は世界中から富を集めることで国民の生活水準をあげた。同じように帝国主義のアメリカは今、大量のエネルギーを使って高い生活水準を保っている。しかしこの途方もない贅沢な暮らしをしているアメリカも、イギリスが衰退して帝国の地位をアメリカに引き渡したように、水準を徐々に下げざるを得なくなってきている。帝国を維持するコストは、それがもたらす便益をもはや大きく上回り、また、ますます格差の広がる国内の国民から不満の声が高まってくるからだ。
中国へのアヘン戦争、イギリス東インド会社の拡大からインドを支配下におき、エジプトの実質支配、さらにはカナダ、オーストラリア、南アフリカといった自治領を持つイギリス帝国が衰退することを、誰が1910年に想像したであろうか。
それから100年たった2010年、同じようにアメリカ帝国の衰退は誰にも止められない。もちろん帝国の属国である日本であっても。そしてそれは、われわれも身の振り方を改める時期にあることを意味している。
(引用終わり)
時を合わせるように、野中広務氏がまた、爆弾発言したようである。
*岩下俊三のブログより引用
「機密費がマスコミへ」につづく野中広務・第二の「爆弾発言」
前提として野中広務はボケては、いない。また個人的な思惑もない、というよりいまさら陰謀をめぐらす根拠がない。そこそこの名誉と金と己の限界を知り、しかも年齢的に先は長くはない。あらゆる欲望から離脱した人間の「爆弾発言」に揣摩憶測は不要である。単に墓場まで秘密にすることと、死ぬ前に言っておきたいこがあるということだろう。そのひとつが「官房機密費」がマスコミに流れていたという事実の暴露であった。
そして今回「鳩山前首相が1ヶ月半前に、外務省の元高官を通じて沖縄県知事のところに行って辺野古に移設することを決めるように、そして、小沢氏を道連れに辞任するように、米国から命じられた。自分は、元高官から話をきいた」と発言した。さらに「みんなの党の後ろには、竹中平蔵氏がついているので、木村剛の逮捕があったが、今後、同党に関わる市場原理集団の問題がアレコレ出て来るのではないか」とも言っている。
過去の野中の怪人ぶりからして、なんかの思惑や陰謀、怨念であるとして受け流す人もいるだろうが、それは事実を知れれたくない人間の言い分であって、僕は野中がこの歳になって嘘をいっているとは到底思えない。理由は上に述べた通り、発言によって得することもないし、たとえこの発言によって利することがあったとしても、その成果が生きているうちにある保障もなければ、そもそも権力に対する欲望も嫉妬も枯れているはずだ。これは老人になって見なければたぶん理解できないだろうが、そう思われてならない。
自分の漏れ聞くところでも、鳩山はアメリカに辞めさせられたし、菅も恫喝されているという。つまりこれは明らかにアメリカの内政干渉であるが、基本的に属国である国民は戦後一貫してきたこの体制に表立って無関心を装っている。しかし国民は去年民主党のマニフェストに騙されただけであったのか、そうではない。心の奥底でアメリカのいいなりになるのはもういやだという国民感情に、民主党とくに鳩山が答えてくれそうな「幻想」をもったからではないだろうか。その鳩山をアメリカの手先=官僚にこまされた関係閣僚が説得し、最後はその後ろ盾が直接鳩山に辞任を迫ったのだ。5月の鳩山の虚ろな目を覚えている。そして今の菅の恐怖に怯えた目を再認識する。木村逮捕も何処か不思議な感じがする。もと警察である亀井の怨念という説もあるが、いずれにしても新自由主義=小泉・竹中路線=アメリカナイズに反する野中なりの警告であるとも思われる。つまりトカゲの尻尾(木村)切りだけでは終わらないということであり、大胆に「みんなの党」は竹中一派であると断言しているところに、野中のなみなみならぬ決意が垣間見える。
野中広務は反戦の人でもある。ここはひとつ、長い確執と恩讐を超えて「悪魔」と手を組んででも、日本を売り渡そうとしている勢力に抵抗して欲しいものだ。
(引用 終わり)
現在、地球上で異変が起きているとしか思えない事件が頻発している。「中国でエイズに似た謎のウイルスが拡大か」、「中国では洪水被害により一億人以上が被災」、「異常高温と干ばつに見舞われているロシア」、「南米では凍死者、ペンギンの大量死」、
「大連のパイプライン爆発事故」「ハリケーン「ボニー」がメキシコ湾へ」、「地球を保護していた「熱圏」が崩壊してしまった?」大きな時代の変化を予感させる事件ばかりである。
1945年以降、都合よく、米国による永久占領状態におかれ、惰眠を貪ってきた日本も冷戦が終わり、米国の覇権が衰退するなか、そろそろ目を覚まさなければならない時代を迎えたようである。暑い夏だが、心ある人には、日本の自立について、本気で考えてもらいたいものである。
<参考資料>
*「毎日・夕刊の衝撃記事 「日本の政治の黒幕はアメリカ」」
5大紙と言われる新聞に、【日本の政治の黒幕はアメリカ】と発言したのを、記事として掲載されたのは、おそらく初めてだろう。7月30日毎日夕刊「特集ワイド」記事「日本の政治これから」の中に、毎日新聞夕刊編集長の近藤勝重氏が、同紙小菅洋人政治部長との対談で述べている。以下はその発言の前後である。
小菅洋人政治部長:・・・先の人事では菅さんが小沢さんの影響力を排除して支持率のV字回復を果たしましたが、党内はねじれ国会を前にして、小沢批判だけでは事は済まないという空気です。菅さんと小沢さん、さらには鳩山由紀夫前首相との間で代表戦後の党のあり方について心理戦が始まっているのです。
近藤編集長:小菅さんは前回、「小沢さんは辞めた方がいい」と言いました。集団の中で自己主張の強い人間を嫌うと、歴史的に「黒幕化」します。そういう意味でも、「辞めた方がいい」ということかもしれませんが、本当の意味で【日本の政治の黒幕はアメリカ】だと思います。沖縄の基地問題など、この最大の黒幕に太刀打ちするには、相当な力業が必要です。そこにも小沢待望論が出てくる素地があると思います。
小菅氏:公明党と組むとか、自民党との大連立を仕掛けるとかは、小沢さんにしかできないかもしれない。しかし問題は小沢さんが何をしたいのかが分からない。かって「日本改造計画」では自己責任を強調したが、今はあの輝きは感じられない。小沢さんが代表選に立って「俺はこの国をこうするんだ」という場面を見たい気はします。
Sorry, the comment form is closed at this time.