7月 172014
米国のジャパン・ハンドラー(リチャード・アミテージやジェセフ・ナイ、マイケル・グリーン)の要求通り、集団自衛権の行使を<解釈改憲という法治国家にあるまじき政治行動>で日本政府は決めたようである。おそらく、日本の若者の命を犠牲にしてまでも日本の官僚は、米国利権を手放したくないというのが本音なのだろう。
たしかに戦後日本は、米国に対して「弱いふり」を続け、それによって米国に守ってもらわねばならないという対米従属の状態を続けてきた。天皇制を維持し、天皇の官吏を守るために好都合だと敗戦処理のために、昭和天皇が高度な政治判断したところからすべてが始まったことも下記に参考資料として紹介する豊下楢彦氏が「安保条約の成立」等で発見した事実である。
その後、米国は1970年代に在日米軍を撤退も検討したようだが、日本の政治を実際に動かしている官僚が「自衛隊はまだ弱い」「憲法で戦争できないことになっている」と思いやり予算等を使って米軍を引き留め続けた。考えてみれば、日本の最高権威である昭和天皇の秘めたる意志なのだから、そう主張するのは、あまりに簡単だったはずである。
この対米従属構造は、米国が日本の「お上」であり、日本の官僚機構がその下僕として(お上の意志の解釈権を保持して)国民とお上の間に挟まって行政権力を確固たるものにしてきた。そして、国権の最高機関である国会を無力化し、実質上の官僚独裁を続けるためのシステムして半世紀以上にわたって機能している。もちろん、現在、軍事費の削減が、覇権国アメリカのテーゼになっている状況では、安倍内閣の集団的自衛権容認は、米国、米軍にとっては、願ってもないことだが、昭和天皇が創ったとも言える<安保国体体制>というべきものから考えると、一線を踏み越える重大な政治判断であることも頭に入れておく必要がある。
つまり、今回、日本の官僚は、日本政治における主導権を離したくないために安倍内閣を動かし、<自衛隊という国家の軍隊>をバーゲンセールに出してしまったということなのである。米国産のミサイルや攻撃機やイージス艦を大量に買うという次元を超え、お金だけでなく、命も提供する約束を、米国のジャパン・ハンドラーと日本の官僚によって安倍政権は選択させられたのである。このことを理解しないと今回の政治判断の本筋が見えてこない。
ところで、NATO諸国は、英仏独すべてが、独自の判断で軍事行動を行う原則に変わってきている。英国はシリア介入を拒否したし、ウクライナ介入でも、独仏は米国に積極的協力をするつもりは全くない。いまや、米軍の頼りは、日本とオーストラリだけである。
このことを逆に考えれば、世界最大の債権国である日本が独立自尊の道を選択し、その道を歩み始めれば、現在のアメリカの世界覇権が終了に向かうことを意味していることにそろそろ日本人は、気が付くべきであろう。
ところで、日本の唯一の同盟国で、唯一の集団的自衛権の行使相手である米国はこの半世紀以上、自作自演性や情報歪曲のない明示的な軍事攻撃を受けて戦争をしたことがない。1990年の湾岸戦争はサダムフセインを見事に騙してクウェートに侵攻させたし、日本による真珠湾攻撃も米英による誘導であったことが今日では、いろいろな公開文書で明らかになっている。大体、少子高齢化社会の日本の若者の命を、かつての敵国であるこんな国のために犠牲にするのは、あまりに馬鹿げているのではないだろうか。
また、近現代における戦争とは、18世紀以降、稀に見る温暖な気候に恵まれた時代にあってインフレ拡大を基調とする経済が発展する中、どうしても繰り返し生じる「バブル」とその後に明らかとなる「供給と需要のギャップ」に伴うバブル崩壊を最終的に解消するために行われてきたものである。大量の兵器・装備品を瞬時にして消費してしまう戦争ほど、効率の良い需要創出手段はない。これが、近代、欧米が行ってきた「戦争経済」というものである。
これに対して近代国家は、需給調整に過ぎないはずの戦争を正当化し、国民をそれに駆り立てることを目的としたものとして従来機能してきた。時の権力者はそれを通じて手にする国家権力に魅了され、自ら(とその一族郎党)は決して戦場には出向かないということを大前提としながら、国民を扇動し、造られた「対外的脅威」に対する憎しみを増長させ、武器をその手にとらせてきたのも近現代史の悲しく厳しい現実である。
しかしながら、以前のレポートでも何回か紹介したように現在、言われている地球温暖化は「高貴なる嘘」で、北半球を中心にこれから地球は寒冷化に向かっているのが現実だ。つまり、世界経済は長い目で見れば、気候変動によって、デフレ縮小化の方向に向かっている。その意味ではもう、欧米が主導してきた「戦争経済の時代」が終わろうとしている。現在の日本のエリートは、その時代認識からしてずれているのではないか。
正論を述べれば、覇権国である米国に陰りが見える現在、本来、日本がやるべきことは、まずしっかりと国としての「独立宣言」をすることである。その際、国連憲章から日本の敵国条項の削除を求めることも必要である。そして清算すべき過去があれば、しっかりと清算し、その上で初めて責任を持った独立国家として国連常任理事国入りを目指すべきであろう。そのキーワードは「対米自立」である。もちろん、戦後政治における国民に隠してきた不都合な真実をある程度、公開、説明しなければ、対米自立も憲法改正も有り得ない話だろう。
それでは、今回の閣議決定を豊下楢彦氏がわかりやすく説明しているので、紹介する。読んでいいただければ、わかるが、おそらく、安倍氏は、外務官僚のレクをそのまま喋っているだけで集団自衛権行使容認の意味を半分しか理解していない可能性もあると思われる。恐ろしいことである。
以下。
*ダイヤモンド・オンラインより
「行使容認の閣議決定をどう見る 戦争の「備え」なき戦争へ」
――豊下楢彦・前関西学院大学教授に聞く
集団的自衛権の行使容認が、ついに閣議決定された。「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」など3要件で、自民・公明両党の妥協が成立したからだ。だが、政府がいかに厳しい限定がついていると説明しようとも、次元の違う世界に踏み出したことは間違いない。国際政治・外交史が専門の豊下楢彦・前関西学院大学教授に、問題の背景を論じてもらった。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 原 英次郎)
日本国憲法は戦争することを前提にしていない
――最初に、閣議決定を前提にして、集団的自衛権が行使される場合を具体的に考えてみると、どういう問題が出てくるでしょうか。
とよした・ならひこ
1945年兵庫県生まれ、1969年京都大学法学部卒業。京都大学法学部助教授、立命館大学法学部教授を経て、関西学院大学法学部教授、2013年に退官。『安保条約の成立』(岩波新書)、『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)、『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)、『「尖閣問題」とは何か』(岩波現代文庫)など多数。近刊に『集団的自衛権と安全保障』(共著、岩波新書)。
例えば、中国が南シナ海の島嶼の領有権をめぐる争いからベトナムに侵攻し、ベトナムが日本に軍事支援を要請してきた場合を考えてみましょう。閣議決定では、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」に集団的自衛権を行使すると規定していますから、南シナ海の紛争は必ずしもこの規定にあたらないと判断して、ベトナムの要請を拒否することも考えられます。しかし、日本が拒否すると、中国は「大歓迎」をして、安倍政権は強気な発言を繰り返してきたが結局のところは何もできないのだと、日本の「弱腰」を嘲笑するでしょう。そして、この瞬間に、集団的自衛権の抑止力は失われます。これが、国際政治の力学です。全く逆に、「今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る」という文言に依拠して、ベトナムを助けるために日本が集団的自衛権を行使する場合はどうなるでしょうか。そもそも、安保法制懇の報告書が出された5月15日の記者会見でも安倍首相は、南シナ海の問題は「他人ごとではない」と明言した以上、ベトナムは「密接な関係にある他国」のはずですし、抑止力を高め中国包囲網をつくりあげるために集団的自衛権に踏み込んだのですから、ベトナムの要請を拒否する理由はありません。
こうして集団的自衛権を行使し、ベトナムを支援するために軍事物資を送っただけでも、日本は中国の「敵国」になるわけですから、日中両国は戦争状態に入ることになります。ところが、そうした時に、実は日本には開戦規定も交戦規定もないのです。さらに、戦争する場合に不可欠の軍法会議も持っていないのです。そもそも、国際法的に見れば集団的自衛権の行使は戦争です。ところが、今の日本国憲法は戦争することを前提にしていない。だから憲法七六条で軍法会議のような特別裁判所を禁止しているのです。軍の規律を守るための軍法会議のない軍隊なんて考えられません。
だからこそ、自民党の憲法改正草案でも、自衛隊に代えて正式の国防軍を組織すると定め、さらに「審判所」と書かれていますが、事実上の軍法会議の設置を規定しているのです。つまり、本来であれば憲法を改正し、自衛隊を本格的な軍隊として位置づけ直し、軍法会議を設け、その上で、戦争としての集団的自衛権の行使を行わなければならないのです。安倍政権は「憲法改正は難しく時間がかかる」と言いますが、昨年、憲法九六条の改正論が出されましたね。あの中に一つの答えがあると思います。九六条を改正して憲法改正の発議に必要な国会議員の数を、現在の三分の二以上から二分の一以上にしようというわけです。しかし考えてみれば、そもそも九六条を改正するためには、あくまで九六条の規定に従わないといけないのです。
九六条を改正しろと唱えた勢力は、三分の二を取る自信があるからこそ、あの運動を始めたわけでしょう。つまりは「やる気」の問題であって、九六条改正論が出されたこと自体に示されているように、「説得力」があれば三分の二以上を獲得できるはずなのです。だから正面切って憲法改正を提起すればいいと思います。そうでないと、そもそも「戦争」としての集団的自衛権の行使はできないのです。
土台のないところに急ごしらえの
家を建てようとしているようなもの
――だからでしょうか、安倍政権や安保法制懇の集団的自衛権をめぐる議論には、具体性を欠いているところが、見受けられるのですが。
それは当然です。すでに述べましたように、そもそも土台のないところに急いで家を建てようとしている訳ですから、議論が支離滅裂になるのは当たり前です。例えば、5月15日の記者会見で、安倍首相は、まず最初に朝鮮半島有事を想定し、アメリカの艦船で邦人が救出されるケースをパネルに描いて説明しました。つまりこういう場合、米艦船が攻撃されても、集団的自衛権を行使できないなら自衛隊は何もできず、日本は邦人を救うことができない、という訳です。
しかし、米軍は朝鮮半島有事の際の民間人救出のマニュアルを持っていて、まずは在韓米国市民、次いでグリーンカードの持ち主、次いでアングロサクソン系の人たち、最後に「その他」があって、そこに日本人が含まれるかどうか、ということです。さらに、救出作戦は基本的に航空機で行われます。要するに、安倍首相が挙げたようなケースは絶対に起こり得ないのです。だから、なぜこうしたあり得ないシナリオを持ち出したのか疑問ですし、仮に安倍政権がこうした米軍のマニュアルさえ知らないとすれば、日本の情報収集能力は無きに等しいと言わざるを得ません。
それから、ミサイルの脅威の問題ですが、石破さん(自民党幹事長)がダイヤモンド・オンラインのインタビューで、グアム島に北朝鮮のミサイルが落ちて何万人もの人が亡くなったら日米同盟は破棄されるとおっしゃっています。だから、日本は集団的自衛権を行使して、そのミサイルを迎撃しなければならないと。しかし、こうしたシナリオをつきつめて考えると、何万人ものグアムの人たちが殺されるほどに、アメリカのミサイル防衛システムは“お粗末なもの”なのか、ということになります。そんな機能しないアメリカのミサイル防衛システムを、1兆円もかけて日本に導入した時の責任者は、他ならぬ、当時の防衛庁長官であった石破さんなのです。何とも皮肉な話です。
さらに、北朝鮮のミサイル攻撃で何万人も死ぬ事態を想定するのであれば、日本の原発はどうするのでしょうか。北朝鮮が米国を攻撃するということは、米国の総反撃によってピョンヤンが壊滅し体制が崩壊することを意味します。こういう「理性を欠いた」北朝鮮であれば、まずは日本を狙うでしょう。実は安倍首相は5月15日の記者会見で、東京も大阪も、日本の大部分が北朝鮮のミサイルの射程内にあると、その脅威を訴えました。ということは、当然、50基近い原発もターゲットになっている、ということです。ところが安倍政権は、原発の再稼働を急いでいる。特に日本海側に、再稼働を準備する原発が多くあります。稼働中にミサイル攻撃を受けたら、その被害は想像を越えます。これほどにミサイル攻撃は深刻な脅威なのに、なぜ攻撃される危険性の高い原発を再稼働させるのか、根本的に矛盾しています。
安全保障環境悪化の具体的分析が何もない
――集団的自衛権の問題は、日本を巡る安全保障環境をどう認識するかという問題と深く関わります。安倍政権や安保法制懇の報告書は、中国や北朝鮮の脅威ばかりを強調しますが、国際情勢についてはどうお考えですか?
官邸の関係文書や安保法制懇の報告書にみられるように、「安全保障環境の悪化」というのが、もうキャッチコピーみたいになっています。ところが、その中身はほとんど分析されていません。北朝鮮のミサイルが強化されている、中国の軍事大国化が進んでいる。それだけがあって具体的な分析は何もない。
例えば今の米中関係、それから韓国と中国の関係はどうなのでしょうか?それについては何の具体的な分析もない。そこで、まず米中関係ですが、確かに現在の米中両国には、いろいろな対立軸があり、米国は中国の軍事的脅威に「全次元」で対抗する軍事戦略を構築しようとしていますが、他方でオバマ大統領はずっと、「米中関係は世界で最も重要な二国間関係だ」と言っています。
なぜ重要かと言えば、実は4月の安倍さんとオバマさんの首脳会談を経て出された日米共同声明のなかで、イランの問題、アフガンの問題、北朝鮮の問題、ウクライナの問題など、いろんな問題を挙げて、こういう重要な国際問題について中国は非常に重要な役割を果たしうる、だから中国との間には生産的、建設的な関係を結ばねばならないと明記され、もちろん安倍首相もそれに同意したのです。
つまりアメリカは、国際社会のいろいろと重要な課題について、中国は一緒になってそれを解決していく対象国だと認識している。だから、もちろんアメリカは中国を警戒しているけれど、なんとか国際社会に取り込んでやっていこうというのが、今の米中関係ですね。だから、いま演習中のリムパックに中国海軍が初めて招待され、米軍に次ぐ規模の1000人以上の中国軍人が参加していますし、7月9日からは北京で米中経済戦略対話が開かれ、米中「共同閣僚会議」とも言われるように、あらゆる課題について包括的な協議がなされ、危機管理体制の構築が目指されています。
次に韓国と中国の関係です。なぜ朴大統領があれほど「反日主義」なのかについては、親日大統領だった父親との関係や彼女の“独善体質”なども挙げられていますが、少なくとも事実関係としては、朴さんが大統領に就任した当初は、早く日韓首脳会談をやりたい、そこで、まず外相を派遣してお膳立てするという日程を考えていたのです。ところが、それを潰したのが麻生副大臣の靖国参拝で、それですぐに外相の派遣が取りやめになって、全部ご破算になった。当時は、安倍さんも村山談話や河野談話を見直すなどと、どんどん発言する。だから結局、朴さんをある意味で中国に追いやる形になってしまった。
その後もいろいろな経緯ありますが、今の朴政権の外交は「親米和中」といって、米韓同盟を軸にしながら中国と和するというものです。中国の習近平主席が、恒例となっている北朝鮮首脳との会談に先んじて、初めて韓国を7月3日から訪問し朴大統領と会談したことは、象徴的です。両首脳の会談は、これで5回目の会談であり、今回は中韓FTAの年内妥結を目指すことでも合意がみられたとのことです。
以上のように見てきますと、米国にとっても韓国にとっても、中国は「敵」ではない、ということが明らかになってきます。そもそも、集団的自衛権というのは、「共通敵」の存在を前提にします。安倍さんは事実上、中国を対象に集団的自衛権を考えている訳ですが、今や肝心のこの構図が成り立たない。つまり中国は、日米韓の「共通敵」と単純に位置づけることなど全くできない情勢なのです。安倍さんの構図を前提にするなら、皮肉な言い方をすれば、こうした情勢こそ「安全保障環境の悪化」と言うべきでしょうね。
安倍政権に対する米国の立ち位置は複雑
――安倍政権が集団的自衛権の行使に向けた閣議決定を行ったことについて、米国の軍部も国務省も「歓迎」を表明しています。他方で、これまで最も強く日本に集団的自衛権を求めてきたジャパン・ハンドラーのなかには、ジョセフ・ナイ氏のように、安倍政権のナショナリズムに警告を発したりする動きもありますね。
たしかに、安倍政権に対する米国の立ち位置は複雑です。ジョセフ・ナイやリチャード・アーミテージもそうですが、最も危惧しているのが、安倍首相の靖国参拝に象徴されるナショナリズムの問題です。そもそも、なぜ靖国参拝が国際問題化するかと言えば、ご承知のように1978年に松平永吉宮司は、「東京裁判を否定しなかったら、戦後の日本は生まれ変われない」という信念をもってA級戦犯の合祀に踏み切りました。つまり、A級戦犯の合祀は明らかに、日本の戦争責任を問うた東京裁判を否定する行為として行われたのです。だから当然、首相や政治指導者たちの靖国参拝が国際問題化するわけです。
そもそも、東京裁判を否定するということは、戦後アメリカが作ってきたサンフランシスコ体制を軸とした戦後秩序というものを否定することを意味します。私は、論理的に、あるいは心情的に戦後秩序を否定する政権が、かなりの支持基盤をもって誕生し、それが運営されているということは、戦後初めてのことだと考えています。だからこそ、韓国や中国ばかりではなく、米国も警戒を怠らないのです。
例えば、4月の日米首脳会談でオバマさんは安倍さんの進める集団的自衛権の行使を「歓迎し支持する」と言っていますが、実はここには、「日米同盟の枠内」と「近隣諸国との対話」という二つの条件が付けられています。つまりこれは、仮に日本が集団的自衛権を行使するにしても、米軍の指揮下で行えということ、さらにはその前提として、「近隣諸国」、つまりは韓国や中国ときちっと話し合え、ということなのです。厳重にタガをはめているのです。だから、日本をめぐる「安全保障環境の悪化」という場合、安倍さんが靖国を参拝したことが、どのような影響を及ぼしているかということを、しっかりと分析する必要があります。
未曽有の「全次元」戦争に われわれは直面する
――安倍首相は「積極的平和主義」を掲げていますが、本当に「平和主義」なのか、あちこちから疑問が提出されていますが。
まず、安倍首相の路線が推し進められていった先に、どういう事態が待ち受けているのかを考えてみましょう。安倍さんは「積極的平和主義」を唱えているけれども、具体的に展開されていることは、自衛隊の軍事的役割を増大させることばかりで、本質的には「積極的軍事主義」と言うべきだと思いますね。
その軍事主義を象徴的に示すのが武器輸出です。4月には、これまでの「武器輸出三原則」を撤廃して「防衛装備移転三原則」を打ち出しましたが、紛争国の定義を曖昧にしている。なぜかといえば、F35ステルス戦闘機をイスラエルにも輸出できるようにしたいからです。イスラエルのような紛争のただ中にある国にも輸出できるとしたら、どこの国にでも輸出できる。だから事実上、日本が「死の商人」になっていく、ということです。つまり、「兵器を輸出して平和になろう」という路線なのです。
こうした軍事と軍事の対決路線を前提に、国際政治における「最悪シナリオ」を想定すると、それは米中戦争です。この戦争は、宇宙、空、海、陸、サイバー空間、無人機なども含む、未曽有の「全次元」の戦争となるでしょう。例えば中国からすれば、アメリカの軍事戦略は、宇宙に張り巡らした圧倒的な衛星網があるからこそ展開できる訳で、当然こうした軍事衛星に攻撃を加えるでしょうし、米軍は宇宙空間から迎え撃つでしょう。
さらにサイバー戦争ですが、これの怖いところは、米軍とイスラエルがイランの核施設にサイバー攻撃を仕掛けたように、原発が破壊される可能性が現実のものとなることです。さらに無人機戦争は当然のことですが、ロボット兵士やロボット軍団も登場してくるでしょう。この点で、アメリカをはじめとした国際的な軍事産業にとって、日本のロボット工学を軍事に取り込むことが重要な狙いとなっています。
こうした、かつて人類が経験したことのないような新たな次元の戦争に、日本も軍事的に積極的に加担していくのかどうか、これが今問われていることなのです。
紛争の危機が増大している今こそ
憲法の平和諸原則が重要な意味を持つ
――それでは、集団的自衛権も行使でき戦争もできる「普通の国」ではなく、憲法の「平和主義」を生かした形で、東アジアやグローバルな平和の構築に、貢献する方策はないのでしょうか。
この問題を考えるためにはまず、いわゆる「パワーシフト」と言われる問題の構図を捉え直しておくことが必要でしょう。戦後の世界はある意味で、アメリカの「例外主義」を認めてきました。つまり、アメリカは「国際紛争を武力で解決する」という前提でやってきたわけで、国際法から外れたような「軍事介入」や紛争を引き起こしても、その「例外主義」で世界の秩序が一定に保たれてきたと見なされ、事実上国際社会で認められてきた訳です。しかし、アメリカがアフガン、イラクで泥沼の戦争にはまり込んでいる間に、中国が急速に台頭してきたために、アメリカの力が相対的に衰退したのではないか、「パワーシフト」が進んでいるのではないか、として論じられているのです。
ここでの問題は、中国があまりにも急に大国化したため、国際社会でどう振る舞ったら良いのか分からない、という事態に直面していることです。私はこれを中国の“学習過程”と捉えていますが、例えば防空識別圏も、あたかも自国の領空だと思い込んでいたとか、自衛艦にレーダー照射して、それがいかに危険きわまりない行為であるか分かっていない、あるいは領土、領海をめぐる国際法の認識の欠落などです。
こうした中国に対して、オバマ大統領は「国際社会のルールを守りなさい」という形で、国際社会に取り込もうとして臨んでいる。私は、これは基本的に正しい主張と考えます。ただ厄介なことは、上に述べたように、アメリカはずっと「例外主義」でやってきた。その典型が、国連海洋法条約の問題です。この条約は海の憲法、海のルールと言われているわけで、オバマさんは盛んに中国に対して「この海のルールを守りなさい」と言っている。ところが、先進諸国のなかで、唯一国、アメリカだけがこの条約を批准してないのです。
問題は、上院が批准に反対していることなのですが、なぜ上院が反対するかというと、アメリカ海軍の「行動の自由」が縛られる、アメリカの「単独行動」ができなくなる、という理屈なのです。しかし、この論理を出せば出すほど、喜ぶのは中国です。この論理に固執している限り、中国の勝手な行動を抑えられない。だから、「拡張主義」に走る中国を抑えるためには、アメリカも「例外主義」を捨てて、普遍的なルールに従う必要がある、ということなのです。そして、こうした米国の「例外主義」と中国の「拡張主義」の狭間にある日本こそが、普遍的なルール、国際社会のルール化に向けて、重要な役割を果たすべきなのです。
以上のように考えてくると、実は、憲法九条を背景として作りあげられてきた、武器輸出三原則とか、非核三原則とか、宇宙の平和利用原則とか、原発の平和利用原則とか、専守防衛の原則などの、憲法の平和諸原則が、単に日本のためばかりでなく、安全保障のジレンマに落ち込み、紛争の危機が増大している今日の国際社会においてこそ、非常に重要な意味を持ってきていると考えるのです。
実は、去る5月にロボット兵器の規制に向けての専門家会合がジュネーブで初めて非公式に開かれたのですが、日本は軍事化の方向に走るのではなく、宇宙空間の軍事利用やサイバー問題をはじめ、野放し状態であったこうした軍事分野において国際的なルール化が構築されていくように、そうした方向においてこそ、最大限の力を傾注すべきなのです。(引用終わり)
Sorry, the comment form is closed at this time.