「地方の時代」が叫ばれるようになった1970年代に、グローバリズムに突き動かされる現在の日本では、考えられない今日の課題解決に通じる画期的な構想が1978年の大平正芳内閣の時に打ち出されています。「モノより心を大切にすべきではないか、成長率より成長の質が大切ではないか。」と、いう理念の「田園都市国家構想」です。1945年以降、日本の与党がアメリカの影響を受けない独自の構想を掲げた時でした。もし、この構想が実施されていたなら、戦後を終わらせる大きなエポックメイキングになっていたことでしょう。
現実にはそれから、約40年の歳月を経て、日本社会はどのように変質したでしょうか。平成バブルの崩壊による米国主導による構造改革路線によって、「失われた二十年」がもたらされ、「限界集落、シャッター通り」と、いう言葉に象徴されるように地方は疲弊、その結果、格差が広がり、現在、一部では教育の崩壊まで言われ始めています。今、アベノミクスによって、確かに株価は上がり、2020年の東京オリンピック誘致で、東京は建設ラッシュに沸いています。しかし、地方は豊かになったでしょうか。私たちの住む東三河も昨秋の国勢調査によれば、愛知県全体では、1.0%人口が増えているにもかかわらず、大きく人口を減らしています。中核市:豊橋市でも0.5%人口減という厳しい状況にあります。
上記の「田園都市国家構想」とは、「都市に田園のゆとりを、田園に都市の活力を」というスローガンに集約されるものです。日本の江戸時代の基礎行政単位であった藩の数に匹敵する全国に点在する2~300の「田園都市圏」が経済的、文化的に相互に連携し合い、日本という国を構成し、現代に合った良き共同体の再構築を目指そうと、いうものでした。この構想は、民間の学者を中心に策定された既存の政策過程を突破する画期的なものでしたが、大平正芳首相の急死もあり、また、80年代に登場した新自由主義政策によるグローバリズムの進展により、実際の政策としては、実行されることはありませんでした。
この春、グローバリズムが「1%の人々」の資本や資産がどこへでも自由に移動できるようにしているだけで、グローバルな脱税の横行と雇用の海外流出をもたらしていることを人々に暴露した「パナマ文書」が公開され、大きな話題になりました。現在、グローバル化が急速に進んだ結果、すでに、世界にフロンティアはなくなってきています。私たちは今こそ、自身の足元を見つめるべき時を迎えています。「本当の豊かさ」を私たちの郷土のなかに再創造していく発想の転換によって、地方の時代を実現できた時にはじめて、日本の長い戦後が終わることになります。なぜなら、その時には、根本的な施策体系の変更が完成していることになるからです。
来月は豊橋市市長選です。いよいよ、この地域の在り方を考える時がきます。*東愛知新聞に投稿したものです。
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