1955年の保守合同でできた自由民主党という政党が、一つの役割を終え、今まさに崩壊しようとしている。考えてみれば、1991年にソビエト連邦が崩壊したときにその役割は、本当は終わっていたのかも知れない。

日本と言う国では、中央も、地方も、また、マスコミも「100年に一度の経済危機」などと言いながら、世の中が激変していることを本当は認めたくないようである。


しかし、今回の総選挙がそのことをはっきりさせるだろう。そろそろ1980年代から流行した新自由主義の経済思想から始まったグローバリズム、そこから派生した金融自由主義(証券化、レバレッジ、金融工学、タックスヘブン)、また、その実現のための政策としての規制緩和、民営化、そう言った時代が終わりつつあることを認識すべきであろう。


小生が小泉・竹中郵政選挙の時4年前に予感していたこたが、現実のものになろうとしている。もともと、一頃さかんに言われた「構造改革」というものは、米国に押しつけられた米国のための対日政策であり、日本の国益(国民全体の利益)を無視したものであった。いろいろな言葉で修飾をされ、そのことがすぐには、わからないように細工されていたために、多くの方が勘違いをさせられてしまっただけのことだった。どんな嘘でもいつかは、ばれるものである。


2005年、4年前のある自民党候補の衆議院議員選挙事務所で、深夜、事務所に掲示されているいろいろな企業・団体の推薦状を見ながら、東京から来た政策秘書と話をしたことを昨日のことのように今でも鮮明に覚えている。


それは、これらの推薦状をくれた方々は、「『構造改革』というものが、彼らの属する団体の利益を破壊する政策だと言うことを本当に理解しているのだろうか。」ということであった。小泉氏が言った「自民党をこわす!」という言葉は、レトリックでも何でもなく字面の通りだったことを我々はまず、理解すべきであった。


もともと、大騒ぎした郵政選挙自体が旧来の自民党の支持基盤を破壊する選挙であった。従来の堅い支持基盤を捨てるかわりに米国金融資本による日本のマスコミを使った世論誘導によりその場限りの得票=浮動票を増やすことで生じたバブルのような選挙が2005年の郵政選挙であった。自民党は儚いバブルを手にしたかわりに今までの堅い支持基盤を失ったのである。19世紀の英国においても、同じ政党で刺客選挙をして大勝した政党が次の総選挙で壊滅した歴史もある。おそらく、今回の総選挙で自民党は議席を三分の一以下に減らす歴史的な敗北を味わうことになるのだろう。



以前にも下記に書いたように小泉・竹中改革というものは、ほとんど米国の金融資本のためのものだった。


1.小泉・竹中改革は新たな税金略奪者を日本政府に招き入れる結果になる


・骨太の改革は税金の収奪者を国内の利権団体から欧米の強大資本に移転させる 結果になる


・国内の利権団体も欧米の強大資本も日本人の税金を私物化しようとしている点においてまったく同じだ


・90年代の米国式改革が成功した国は米国だけであり、他の国々には混乱だけが


残された


・民間企業の最大の利益は民間人同士のフェアなビジネスにではなく、上手に税金を引っぱり出すことで得られる


・日本の政治家や官僚は、米国政府+欧米の強大資本がどうやって日本で金儲けをしようとしているか、金儲けの絵図面が理解できていない


・だから格好のカモとして狙われているのではないか


意図するとせざるとにかかわりなく、こういう改革を売国奴的改革というのではないか



<米国政府から日本銀行・日本政府への要求とは?>


・カネを出せ


・量的金融緩和


・金融システム安定化(日本発の恐慌を起こすな)


・内需を支えるために失業対策などを行え


・ルールを変えろ


・成長のための日米経済パートナーシップ(商法改正等)


・規制改革


・市場重視


・成果を出せ


・米国の民間人を公的・民間部門のリストラに活用


2.なぜ小泉首相と自民党の人気が高かったのか 大きな変化は次の3つのステージ を経て達成される


第1ステージ:もしかしたら変化せずに昔に戻れるのではないかと期待して           いる段階


第2ステージ:前も見えず、後ろにも戻れず、暗中模索の段階


第3ステージ:新しいビジョンが見えて前に歩き始める段階


たとえば第二次大戦前後のことを考えたら、


第1ステージは、昭和20年8月15日の敗戦まで。


第2ステージは、昭和20年代。


第3ステージは、55年体制が固まって重化学工業中心の高度経済成長が始            まった昭和30年代


1990年代のバブル経済崩壊とその後のIT革命の進展、そして経済の規制緩和、グローバル化によって、ほとんどの日本人はすでに第2ステージに入って苦労している。ところが自民党小泉首相の唱える改革は、自分たちがまだ第1ステージにいて、もしかしたら昭和時代のような昔の繁栄の時代に戻れるのではないかという幻想を人々に振りまいたのではないか。だからものすごい人気になったのだろう。


「改革なくして成長なし」という言葉からもわかるように、成長が大きな目標になっている。


これは昭和時代の発想そのものである。自民党という名前、2世議員、政府機能の強化という言葉に、昭和時代・昔の繁栄の時代への郷愁を感じる人が多いのではないか。


3.今の日本に必要なリーダーとは


今の日本に必要なリーダーとは、第2ステージの暗中模索で苦悩する日本人に対して、安易に昔に戻れると約束するリーダーではなくて、困難ななかにも人々を第3ステージにまで連れていくリーダーである。


第3ステージとは、20世紀までに人類が持ち越してきた諸問題を解決するような高い理想のもとに、大胆な常識と大胆な手法を使って創られる、21世紀らしい時代のことである。同時に昭和時代は名実共に終わり、第1ステージは完全に幕を閉じたのだと人々に理解してもらうためには、古い時代の「お葬式」が必要である。


これから、始まるのがその葬式である。


この第3ステージに人々を連れていってくれるリーダーが出ない限り、日本に明るい21世紀は来ないのではないか。


*予想通りとは言え、自民党は総選挙を惨敗し、一つの時代が終わりました。


2009 9/1


<以下、参考資料>


「取材メモ/自民党再建・再生の可能性〕危機感なき自民党」 9月5日 森田実


自民党はどうなっているのか?取材をしてみることにした。自民党の中枢部で働いている党員の某氏(とくに名を秘す)に会い、率直な意見を聞くことができた。仮にAさんとしておく。取材メモをそのまま記す(前半部分)。


【森田】自民党はなぜこんなに負けたのか、あなたの見方を話してください。


【A】ずばり言えば、危機感がなかったことです。総選挙の情勢がきびしいことはわかっていたが、みんな、最後には何とかなると思っていた。他力本願だった。森田さんは信じないかもしれませんが、本当に、皆、最後には何とかなると思っていました。


【森田】マスコミの世論調査をどうみていたのか。


【A】大多数の党員がそんなはずはないと思い込んでいた。なかには「マスコミはおかしい」「マスコミの世論調査はおわりだ」という人もいた。麻生総理が遊説に行くと多くの人が集まる。このため、総理周辺は国民は麻生総理を支持していると思い込んでいた。総理ご自身、そうだったのではないでしょうか。


【森田】いまはどうですか?


【A】まだ、あまり深刻には考えていないような気がします。「なんとかなるさ」「なるようにしかならない」「じたばたしても仕方がない」という感じです。とにかく危機感がないのです。政権を失ってしまったのにまだ与党気分です。鳩山内閣が発足して、本当に野党になるまで気づかないのかもしれません。みんな、ボンヤリしています。


【森田】本当に、総選挙で負けて野党に転落するという危機感はなかったのですか?


【A】自民党本部の空気をいえば、そんな危機感はなかったと思います。本当に危機感が強ければ、何とかしようという動きが出たと思いますが、それがなかった。繰り返しますが、みんな、本当に「なんとかなる」と考えていましたね。幹部の本部職員もこんな大変化が起こるとは思っていませんでした。


【森田】1970年代に何回か自民党本部へ取材に行ったことがありますが、国政選挙の時は、皆、燃えていました。当時の社会党も頑張っていましたが、活気は社会党をはるかに上回っていました。自民党本部員は全国各地の選挙区に派遣され、大奮闘していました。いまはそんな状況ではないのですか。


【A】70年代のことは知りませんが、昔の自民党とは違っていると思います。本部職員は、それぞれの部署のことしか知りません。他の部署のことはわからないのです。政党本部が企業の事務所のようになってしまっているのです。官僚化してしまっているのです。ゼネラリストがいないのです。とにかく、みんな「なんとかなるさ」です。


【森田】国会議員の場合はどうですか。外側から見ると、各分野の専門家はいるが、全体を掴んでいる政治家がほとんどいないように見えますが。


【A】総裁候補の一人といわれている石破さんにしても、党内では防衛と農業の専門家という評価です。塩崎さんも金融の専門家という評価です。全体を考える政治家がほとんど見当たらないのです。率直に言って、人材難です。


【森田】選挙戦に入ってから、自民党は民主党に対してネガティブキャンペーンを繰り返していたが、外から見ていると、自民党はここまで劣化したかと思いました。自民党内では、批判はなかったのですか。


【A】自民党候補や党員のなかに、民主党へのネガティブキャンペーンに疑問をもった人は、いたと思いますが、批判を口にできるような状況ではなかったと思います。そんなことを言っても、相手にされません。党内は、相手の悪口だけ言っていれば選挙に勝てるような気分でした。総選挙が終わったあとも、ネガティブキャンペーンが失敗したと思っている人は少ないのではないかと思います。候補者の多くは、日の丸の旗事件(鹿児島4区で、日の丸の旗二つをつなげて民主党のシンボルマークを作成したこと)と日教組攻撃ばかりやっていましたが、自民党が右翼団体のようになってしまったと見られてしまいました。大失敗でした。もっともこれすらも、多くの党員は、失敗したとは思っていないと思います。


【森田】大幹部はどうですか。


【A】自民党政権がなぜ倒れたのか、どうして自民党が負けたのか、わかっていないのではないかと思います。マスコミが悪いとか、国民はマスコミに騙されたとか、まだそんなレベルで考えている人が多いと思います。小泉政権以来、国民に向かっては「自己責任」を説きながら、自分たちは責任を他に転嫁しようとしているのです。「自民党は劣化した」と言われますが、大幹部を含めて本当に劣化してしまっているのです。安倍さん以後、オールKY(空気が読めない)です。


【森田】そんな状況では、野党になった自民党を立て直して2010年夏の参院選に駒を進めて、反撃するということはむずかしいのではないですか。


【A】私は、自民党の内部にいて、この党はもうダメではないかと思っています。本当に劣化してしまっているのです。第一に指導者らしい指導者がいません。いつまでも森さん(元首相)では自民党は立ち直らないと思います。しかし、いまの状況では、森体制がつづくのではないでしょうか。とにかく「人」がいません。いつまでも森さんと青木さん(参議院議員)がこの党の中心にいるようでは見込みはないと思います。悪いことに、自民党の将来を担う中堅幹部、若手政治家がほとんどいなくなってしまった。いつまでも、森さん、青木さん、町村さん、武部さん、中川(秀直)さんでは、国民の信頼を取り戻すことなどできません。私は、自民党が自己崩壊するのは時間の問題だと思っています。10月になれば、私もリストラされるでしょう。失業者です。これから職探しです。小泉構造改革についても、アメリカ共和党への追随についても、この党が反省することはないでしょう。国民から遊離して自滅したというのが、2009年8月30日の総選挙のすべてだったと、私は思っています。


以上、A氏との対話の一部である。A氏の話のとおりだとすると、自民党の劣化は深刻である。自民党の実情を調べれば調べるほど、2009.8.30総選挙は、自民党の劣化、自己崩壊の結果だということが明らかになってくる。21世紀に入って、自民党は、森、小泉、安倍、福田の清和研体制でやってきた。そのあと清和研の支持を受けて麻生首相が登場した。この5年間で自民党をつぶしてしまった。この総括もやれないようでは、自民党の再生は不可能ではないかと思う。他だし、このまま自民党が自壊してしまうと、民主党一党体制になってしまう。民主党は小沢一郎氏の政党になってしまっている。そうなると、日本は一人の独裁者に支配される国になってしまう。これでいいはずはない。何とかしなければならないと思う。(この項・完)


「ダメもと政権交代」実現 自民を懲罰、民主に格別の期待なし


小林良彰・慶応大学教授に聞く総選挙分析   9月2日 ダイヤモンドオンライン


―308議席を獲得した民主党の圧勝を、どう評価するか。


社会民主党、国民新党、さらに新党日本、新党大地まで連立を組み、また無所属当選組の民主党入党があれば、与党として衆議院議員定数480の3分の2である320議席を超える可能性もある。


これだけ大勝すれば、4年後の任期満了までの間に解散、総選挙は行われないだろう。皮肉な言い方をすれば、仮に支持率が低迷したとしても解散しなくてもいいことは、この2年間の自民党が証明して見せた。また、来年の参議院選挙に破れ、過半数を割り、ねじれ国会になったとしても、定数の3分の2議席を握る衆議院で再可決すればいい体制が整う。これも、自民党が行ってきた手法だけに、批判しにくい。そうして4年後に、衆参ダブル選挙だろう。


―1993年に誕生した初の非自民政権は短命で終わったが。


1993年当時は、第一党は自民党だった。その自民党を包囲し、第5党から首相が誕生した。だが、今回は圧倒的議席数の民主党に連立する形になる。構造がまったく違う。ばらばらにはなりにくい。


―惨敗した自民党はどうなるのか。


極めて厳しい。119議席を惨敗と言うが、それも公明党の支援あっての数字だ。今後、野党連立が自公の間で続くとは考えにくい。公明党の選挙協力なしでは、119議席すら確保できない。


そもそも、次の選挙までの4年間を自民党の落選組が耐えられるだろうか。自民党議員は地元に秘書を多数張り付けるなど、コストの高い政治活動に慣れている。彼らが自動車を捨て、自転車で走り回り、4年間で辻立ちを何千回もする日常を続けられるだろうか。


小選挙区で落選、比例でからくも復活した大物議員たちにも、試練が待っている。自らの選挙区には、民主党の現職議員がいる。彼らが日々、支持基盤を拡大していくのを目の当たりにすることになるだろう。


―民主党が圧勝した理由は何か。


総選挙直前に慶応大学が全国で行った電話調査を分析すると、今回の民主圧勝は、有権者の自民党に対する懲罰的投票行動が原因だ。


麻生内閣の特徴は、支持率が極めて低いだけでなく、自民党支持層の支持率も低いことにある。自民党支持層の麻生支持は49%、不支持41%、支持なし層の麻生支持は8%、不支持は80%だ。そして、自民党支持層で麻生不支持な者で、自民に投票する者は33%しかいなかった。また、自民党支持者のなかで単独政権を望むのはわずか5%、自民中心の連立政権を志向する者も36%に留まり、合わせても半数に達しない。


―なぜ、それほど麻生内閣は人気がないのか。


ひと言で言えば、小泉内閣以来の新自由主義的改革への不満だ。それも、格差の拡大や経済の疲弊という結果への不満はもちろんあるが、誠実で正確な説明がなされなかったことへの怒りも大きい。


例えば、三位一体改革の説明は、こうだった。地方分権を促進するには、ひも付きで使い勝手の悪い補助金や地方交付税を減らし、その代わりに税源を移譲し、自律的運営に転換する必要がある――。


ところが、税源の委譲は、税収を担保するものではない。各地方の企業活動が活発化し、増収にならなければ、税源を移譲しても税収は増えない。税源委譲の結果、東京都、神奈川県などは補助金カット分などを埋め合わせてプラスとなったが、北海道や沖縄はマイナスであり、地域間格差の拡大を助長してしまった。しかも、その税源委譲にしても想定ほどは進まず、中央省庁が相変わらず口を出す構造は、いっこうに改まっていない。地方には、だまされたという思いが高じている。


―自民党の社会保障や雇用政策に対する評価は。


極めて低い。後期高齢者医療制度に対しては、地方の医師たちまでが反乱を起こし、自民党支持基盤の低下につながった。雇用政策についても、政府自民党は産業界、企業経営者よりの政策を採用し続けた、という不満が、有権者にはある。そうして、自らの将来に不安を高めている。有権者の『景気の今後に関する見方』は、「かなりよくなる」+「ややよくなる」が48%、「かなり悪くなる」+「やや悪くなる」が46%と半々だ。ところが、『自分の生活』については、「かなりよくなる」が1%、「ややよくなる」が29%に過ぎず、「やや悪くなる」が49%で最も多く、「かなり悪くなる」が11%だ。年金を始めとする社会保障政策も、雇用政策も、子育て政策も、評価は低かった。


加えて調査で明らかになったのは、現在最も生活不安にさいなまれているのは、これまで自民党の大票田であった50、60代の中高年世代であることだ。彼らが自民不支持に回れば、選挙結果は雪崩を打つ。今回は、「マニフェスト選挙」ではなく、完全に「業績評価選挙」だった。


―つまり、自民党が政権与党としての結果責任をとことん問われ、一方の民主党は野党だから業績を評価する材料がない、という点が有利に働いた、ということか。


そうだ。麻生自民党は、新自由主義的改革に不満を持つ者と、その政策を転換したことに不満を持つ者という相反する両者から批判を浴びた。調査では、小泉構造改革を「評価する」が36%、「評価しない」が59%だ。その正反対の意見を持つ両者ともに自民党にお灸を据えようと、民主党に投票した。民主党は野党ゆえに実績を問われず、意見が対立する両者の票を獲得することに成功した。


だが、政権をとった以上、今後はそうはいかない。構造改革派と反構造改革派、小さな政府派と大きな政府派の双方を満足させる予算編成は神業となる。


―民主党がマニュフェストで掲げた「大きな政府」路線は、一定の評価を受けたのではないのか。


有権者は、決してばらまき政策を歓迎していない。自民党のマニュフェストに書き込まれた手取り100万円アップ政策を「評価する」27%、「評価しない」67%。消費税率引き上げを「評価する」44%、「評価しない」51%。また、民主党の子ども手当て政策に対しても、「評価する」44%、「評価しない」52%、高速道路の無料化は「評価する」30%、「評価しない」65%。


子ども手当て政策に関しては、「一過性の手当てよりも、子育てと仕事を両立するための環境整備をしてほしい」という回答が、少なからず寄せられた。


必要不可欠かつ持続可能な予算措置は何か、有権者は真剣に考えている。その思いをキャッチする感度が、自民党も民主党もあまりに鈍い。


―今回の政権交代をひと言で表すと。


消極的政権選択、あるいはダメもと政権交代。なぜなら、「現在の与党の政策が優れているので、現状のままが良い」は7%、「現在の野党の政策が優れているので、政権交代が良い」が12%だ。対して、「与党と野党の政策は大して違いがないので、政権交代しても良い」が55%、「与党と野党の政策は大して違いがないので、現状のままが良い」が24%に上るからだ。


―有権者は冷めているということか。


そうだ。米国民はオバマ大統領というドリームを支持した。だが、日本国民は、民主党が掲げたドリームに投票したのではない。そもそも、民主党はドリームを掲げたとは言えないし、有権者はあくまで自民党に懲罰を与えただけだ。ただし、画期的なのは、民主党に政権担当能力が「ある」48%、「ない」39%という結果だ。「ある」が「ない」を上回ったのは、我々の調査では初めてだ。


―民主党の圧勝には、小沢代表代行の豪腕も寄与した。百数十人もの小沢チルドレンを抱え、党内権力が集中する危険はないか。


危険はあるが、人事を見なければ判断できない。


――鳩山首相が、個人献金問題で辞任することもありえるか。


新しい事実があるかどうか、だろう。可能性はない、とは言えない


小沢と鳩山の「心理戦」


鳩山の境遇は「闇将軍」田中角栄に追従する中曽根にそっくりだが、頼りないというより、意外にしぶとい。


fact200910月号 [いよいよ「小沢一極支配」]


宿願の政権交代を果たしたばかりというのに、早くも民主党政局の幕が上がった。組閣・与党人事の顛末は、新政権が一触即発の不穏な揮発性物質を内に満々とはらんでの船出であることをさらけ出した。


今回、人事権は誰の手にあったのか。形の上では首相で党代表の鳩山由起夫が人選し、発令した。だが、骨格部分については、ほとんどすべて新幹事長・小沢一郎の「裁可」を得なければならなかった。社民党党首の福島瑞穂ですら、猟官運動となって頻々と電話をかけた相手は、鳩山でなく小沢だった。


小沢の在る所に政局あり


およそ政局とは無縁の福島でも、最大実力者は小沢に他ならないと認識していた。人事の経緯は、この政権が「二重権力」とか「党と政府の役割分担」といった中途半端な解釈を突き抜けて、完全な「小沢一極支配」体制に他ならないことを満天下に告知した。


「権力」と「実力」が、重なり合うようでずれた並立構造は、気の早い予言だが、「ポスト鳩山」政権に移った後も、民主党政権が続く間は宿命的にさまざまな問題の震源であり続けるだろう。まさに「小沢の在る所に政局あり」。その原初形が、発足前から露になったのだ。


典型的だったのが、藤井裕久財務相確定までの顛末である。藤井自身は内閣官房ポストでの官邸入りか国家戦略局担当が希望だったが、菅直人や岡田克也の配置を優先した結果、鳩山と周辺は2度目の財務相就任を期待した。藤井自身も満更ではなかったが、これに頑として首を縦に振らなかったのが小沢だ。藤井を「反小沢」と見なしているからだ。


いまだに藤井を「小沢側近」と形容するマスコミ報道は、およそ信頼するに値しない。多少ましな政治記者でも、西松建設の政治献金問題で、藤井がいち早く小沢の代表辞任を明言したために「疎まれだした」と説明するが、やはり表面的である。


藤井を小沢から遠ざけたのは、同じく「小沢側近」が看板の元参院議員・平野貞夫である。伏線があった。藤井は15年前の細川非自民連立政権で蔵相に抜擢されたが、平野ら他の側近たちは「うまいことやったな」とやっかんだ。その後、藤井が自由党幹事長に起用されると、「図に乗っている」と陰口を叩いた。それを耳にした小沢にも猜疑心が芽生えた。よそよそしさを感じた藤井は小沢に忠誠を示そうとしたが、それが逆に疑念を煽り、お定まりの離反への悪循環にはまっていった。


ちなみにマスコミが「小沢論」の権威ともてはやす平野ですら、小沢「最側近」の党幹部職員・阿曽重樹に排除されて、今や「側近」とは言い難いのが実情である。小沢周りのこうした愛憎関係は、誰も公然とは口にしないが、互いの表情と仕草と目線にはっきりと表れている。発話に頼るメモ記者たちには、判然としない政治の深層だ。


歴史的な政権交代を果たし、明治以来の官僚国家からの転換を目指す新政権の財務相ポストといえば、「革命」(鳩山談)の成否を分ける人事の要である。にもかかわらず、選挙から2週間も揺れ続け、裏で繰り広げられた心理戦は政策や理念や国家観とは何の関係もない古い自民党政治そのままの狭隘な感情のもつれでしかなかった。


藤井はA級の政策マンで、平野は稀代の策士、阿曽は透徹した実務屋、いずれ劣らぬ実力の持ち主たちである。その小沢ファミリーが内輪でお追従と足の引っ張り合いに淫する様を、鳩山も菅も岡田もただ遠巻きに見ているしかない。歴史上に珍しくもない「独裁政治」の典型的な病状だが、それが新政権の核心部分なのである。


財務相ポストの顛末は枝葉にすぎない。人事をめぐる民主党内政局で最大の焦点は、幹事長問題であった。外相に回った岡田が幹事長続投を希望しながら、小沢がゴリ押しして奪い取った、というのが巷間流布したストーリーである。学生サークルの役員改選でもあるまいに、政局はそんなに単純ではない。果たして小沢は初めから幹事長になりたかったのか。そこに、この人事が既にして政局に他ならない所以がある。


小沢は「なりたかった」わけではない。さりとて、「なる気はなかった」わけでもない。幹事長になることが一番いいのかどうか、決めかねていた。ポストと権力の関係は常に相対的だ。ポストを得ても力を出せない人もいれば、力を振るうのにポストを必要としないケースもある。ポストを生かすも殺すも、任命権者との間合いや任命に至る段取り、それらを周囲がどう見たか、すべては流れ次第だ。


世上流布している豪胆のイメージと裏腹に、大事な局面に差しかかった時の小沢は、恐らく政界の誰よりも細心、慎重である。百戦錬磨の「戦場」経験から、決して自分からは先に仕掛けない。小沢は「さて、この大勝利を受けて、最高殊勲者の俺に、鳩山はどう出てくるか」と身構えていたのである。


一方、鳩山は日夜「小沢さんは何を考えているんだろう」と思いめぐらせていた。情報はない。誰に相談もできない。最高権力者の孤独の始まりである。小沢・鳩山の心理戦は、選挙中から始まっていた。だから開票日の夜、鳩山は早々と「来年の参院選でも選挙対策の先頭に立ってほしい」と記者団に公言したのだ。


鳩山は小沢が苦手


これが人事政局の号砲だった。鳩山は昔に比べれば長足の進歩を遂げてはいるものの、「実戦」経験では小沢に遥かに劣る。胸のうちで日夜反芻していた名前を、堪えきれず口にしてしまった。初歩的な「悪手」であり、不覚である。だが、小沢は「敵失」を逃さない。自分への「仕掛け」と見なして、間髪容れず「局を起こす」行動に出た。


「また選挙をやれとさ。仕方ないな」「週末は暇だから釣りにでも行くか」。連合会長・高木剛や出入りの中堅・若手議員ら「周辺」を介して、「小沢発言」なる間接情報を盛んにまき散らし出した。「いったん俺の名前と役割を口にした以上は、ポストを確定しろ」と追い込みをかけたのだ。西松事件で党本部に引きこもり、間接話法で検察と世論を牽制しながら粘ったのと同じ手法だ。


実際のところ、小沢の発言かどうかは不明なのである。そんなことより、「小沢幹事長」待望論が党内外に一大勢力として存在している「力」を見せつける「儀式」であり、鳩山包囲網なのだ。参院議員会長・輿石東や党副代表・石井一といった重鎮・強面組も参画した。「人事戦」の勝ち馬に乗ろうという魂胆である。


4日後、とうとう鳩山は屈した。党本部に小沢を呼んで幹事長を提示した時、鳩山は同時に小沢に人事全体の主導権を譲り渡したも同然なのである。こうして政権全体の人事権は、雪崩を打つようにして小沢の手中に落ちた。党も政府も関係ない。小沢が閣内に入れたくなければ「党で使う」と言えばいいし、閣内に押し込めたければ「党にポストはない」と言えばいい。


政局は、権力者たちの胸の内に互いに対する小さな猜疑の黒雲が兆した時から始まる。具体的な言葉や行動に表れた時には、それぞれの胸中では、すでに熱帯性低気圧の渦がとぐろを巻いている。駆け引きの直接交渉が行われる時には最終段階である。今回、鳩山の負けは、序盤に自らの一言で墓穴を掘って決まった。


小沢・鳩山関係をどう見るか。そこが民主党政局の焦点だ。


「ボク、小沢さんのこと苦手なんだよね」。鳩山は、青春をともに過ごした米スタンフォード大大学院修了の日本人留学生仲間たちにつぶやいたことがある。小沢が新進党を解党し、鳩山と菅が創設した旧民主党に岡田ら離散組が合流して1998年、現民主党が誕生した。


1年半後、初代代表の菅を代表選で降(くだ)した鳩山は、2002年に小沢・自由党との統一会派を組むとぶち上げて党内の反発を買い、辞任に追い込まれた。代表の座は再び菅に移り、小沢が「党名も人事も綱領も、民主党の既存の体制を受け入れる」とベタ折れして合流が成った。自分の代に民・自合流が失敗した理由について、鳩山は「ひとえに、この私、鳩山がいたせいでしょう」と言った。


好き嫌いで言うなら、嫌いである。それでも鳩山は、一貫して小沢と組むことを厭わず、何度でも小沢に接近した。「むしゃぶりつく」とか「ぶつかって行く」という激しさはなく冷静だが、他の大勢の政治家たちとは違って粘り強かった。それが西松建設問題処理の成功につながった。幹事長として小沢代表を突き放すとも守るともつかない、ぬらくらした対応を続け、突然、小沢と自分の体をするりと入れ替えた芸当は、誰にでもできる技ではない。結果的にそれが民主党の大勝と自らの首相就任を呼び込んだ。侮れない。


野心を隠さぬ菅と岡田


鳩山の境遇は、小沢自民党幹事長時代の首相・海部俊樹や、非自民連立時代の首相・細川護熙になぞらえられることが多い。しかし本質は、中曽根康弘内閣が「闇将軍」田中角栄の圧倒的な影響下で発足した当時の「田中・中曽根」関係に似ている。中曽根は「田中曽根内閣」「直角内閣」という批判を覚悟のうえで、政権の座に就いた。時機が来るまでは田中に逆らわず、力を利用するしかないと決断していたからだ。


中曽根と鳩山では、権力への執着心に大きな差がある。為政者としての大志も、「戦後政治の総決算」と「友愛」では迫力が違う。ただ一点、政界遊泳術で比べる限り、「風見鶏」と「ソフトクリーム」に、さほどの違いがあるようには見えない。鳩山はこだわらない柔らかさが強みにもなっている。人事でも小沢に逆らわず合わせたところを、頼りないと見るより、意外にしたたかでしぶといと見たほうがいい。


政局の火種は、「小沢vs鳩山」ではない別の所に潜んでいる。「ポスト鳩山」への野心を隠さない菅と岡田である。「脱官僚」と「日米対等」という政権の内政・外交2大テーマを後継候補の2人が担う体制は、バランスと危うさが背中合わせになるからだ。鳩山がライバルを上手に競い合わせられれば、政権は続く。小沢も参院選に専念するしかない。民主党政局は小休止である。だが、バランスが崩れて一方が独走・暴走を始めれば、成り行きを見届けたうえで小沢が乗り出し、民主党政局第2幕の幕が上がる。


誰もが危ぶむのは、菅の暴れ方だ。自社さ政権の厚相として薬害エイズ事件を暴いた腕力で「霞が関退治」に乗り出すと、何が起きるのか。拠点となる国家戦略局をめぐっては、設立前から賛否両論喧(かまびす)しい。組織・権限の位置づけは内閣官房直属か内閣府か、扱うテーマは経済・財政・社会政策に外交・安保も入るのか、財務省から予算編成権を取り上げるなど可能なのか。


格好の先例がある。取り潰しの憂き目を見る経済財政諮問会議だ。橋本行革の省庁再編で設置され、初代・2代担当相は森内閣の額賀福志郎(前任の経済企画庁長官の残務として17日間)と麻生太郎(約3カ月間)。「死に体」内閣だったせいもあったにせよ、当時は誰も注目しなかった。担当相が小泉内閣の竹中平蔵に代わって、いきなり「官邸主導の推進エンジン」に変貌、猛威を振るった。しかし、竹中が外れて担当相が与謝野馨、大田弘子の代になると、これといった実績は上げていない。


竹中諮問会議も小泉政権の発足から半年間は、掛け声倒れで空回りした。霞が関が様子見を決め込んだからだ。一変したのは道路公団をはじめとする特殊法人改革が動き出した秋、財務省が歳出削減の圧力装置として「小泉政権に乗る」と豹変してからだ。主導したのは財務事務次官・武藤敏郎─首相秘書官・丹呉泰健(現事務次官)ライン。政治学者はとかく組織論や権限規定を重視するが、組織・権限があっても動かないものは動かないし、なくても動く時は動く。成否を分けるのは、担う「人」と「政治力」の有無である。


これぞ「小沢支配」の実相


さて、「鳩山・菅」は「小泉・竹中」になれるのか。にわかに想像しにくい。小泉の号令を背にした竹中に対し、菅は鳩山の前で自ら号令を下すタイプだ。菅は6月に英国を視察し、「首相特別顧問」約25人で構成する首相府の「ポリシー・ユニット」(政策室)をえらく気に入った。国家戦略局のモデルである。ただし、政策室は首相直結で、首相との間に菅が挟まる戦略局とは体制が違う。だが、ここでも鳩山は鷹揚に全権を菅に委ねるだろう。鳩山自身に具体的なビジョンがないせいもあるが、リーダーシップより全体の調和を図ることを持ち味としているからだ。


課題は、またしても嫉妬である。鳩山を差し置いて菅が采配を振ることに、鳩山の側近をはじめ党内外からはたくさんの批評が湧き起こるだろう。鳩山にその気はなくても、周りが「鳩山vs菅」の構図を作り出す。小沢側近たちの「ミニ宮廷政治」と同じ展開である。菅は苛立つ。「抵抗勢力は党内にいる」と思い出す。片や岡田は、外相として拍子抜けするほど行儀よく「対米協調」を進める。菅は焦る。鳩山は「任せています」と言うばかり。そこで菅は小沢の元へ駆け込むのである。


民・自合併の来歴を想起しよう。その後も囲碁を打ったり、小沢が派遣した秘書を受け入れたり、付かず離れずの関係を保っているのは「最後の頼みは小沢」という計算があるからだ。小沢は鳩山との人事政局と同様、自分から仕掛けることはしない。ただ、待てばいいのである。


船出した民主党全体の相関図を描くなら、中央に盤踞するのは疑いなく小沢であり、周辺に配された鳩山、岡田、菅、彼らの合い間と外周に配されたその他諸々の絵となろう。忖度と距離感と駆け引きの坩堝である。これが「小沢支配」と呼ばれる世界なのであり、これこそ既にして政局であると言わずに何と言えばよいのか。(敬称略)

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