2021年4月5日から、宮城県、大阪府及び兵庫県においてコロナの「まん延防止等重点措置」が適用され、地方においてもクラスターが続発、国は東京都、京都府、大阪府、兵庫県の緊急事態宣言を発出、その後、愛知県、福岡県にも、緊急事態宣言の発出を決定。現在、5月末日までが取りあえず緊急事態の期間となっているが、コロナウイルスの変異株の広がりも含めて全国的に感染が広がりやすい状況となっており、日本政府のオリンピック開催への堅い決意表明にもかかわらず、7月の東京オリンピック開催自体が危ぶまれる状況となっている。
海外メディアのオリンピック、コロナに関するする日本政府の対応への批判も痛烈になってきている。
オリンピックのスポンサーである日本のマスメディアは、自分自身は意見を述べないが、海外メディアの批判は取り上げているので、その一つを紹介しておく。以下。
東京五輪「茶番を止める時だ」米教授がNYタイムズに寄稿(毎日新聞)
5月12日(水)
サッカーの元米五輪代表で米パシフィック大のジュールズ・ボイコフ教授(政治学)は11日、東京オリンピック・パラリンピックについて米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に「スポーツイベントは(感染を広げる)スーパースプレッダーになるべきではない」と題したコラムを寄稿した。ボイコフ氏は「科学に耳を傾け、危険な茶番劇を止める時だ」として中止するよう訴えた。
ボイコフ氏は、医療体制がすでに厳しくなっている日本で新型コロナウイルスの感染者が増えていると指摘。「五輪の魅力は、世界中からさまざまなスポーツ選手が一堂に会して競い合う非日常性にあるが、世界的な公衆衛生上の危機の際には、致命的な結果をもたらす可能性がある」と警告した。
また「五輪というローラー車はゴロゴロと音をたてて進んでいる。その理由は三つある。金、金、そして金だ」と指摘。国際オリンピック委員会(IOC)など主催者が「公衆衛生のために自分たちの利益を犠牲にするつもりはない」と批判した。その上で「金よりも大切なものがある。IOCは気づくのに遅れたが、正しいことをする時間はまだある」として、IOCは中止を決めるべきだと指摘した。
ボイコフ氏は五輪に関する著書がある。3月には東京五輪の放送権を持つ米NBCのウェブサイトに寄稿し、聖火リレーの中止を求めるなど、開催を前提に議論が進む大会のあり方に疑問を示してきた。【ニューヨーク隅俊之】(引用終わり)
そもそも今回の東京オリンピック誘致は何のために行われたのか
それは、2011年3月11日の東日本大震災による災害からの復興をアピールするイベントとしての役割を期待されたものだった。1964年開催の東京オリンピックも戦争からの復興をアピールするものであったことを思い起こしてもいいかもしれない。たしかに前回のオリンピックは戦後復興を象徴するものだったが、今回のオリンピックは福島の復興を偽るものだ。その意味で今回は、国の内部問題から内外の注目をそらす最適なイベントとしてオリンピックが選ばれたのだと、冷静に私たちは考えるべきなのである。これが、競技スポーツが持つ世界的な魅力によって様々な社会正義を求める声をわからなくする「スポーツウオッシング」というものである。
はっきり言ってしまえば、2011年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」がいまだに解除されていないこと、ICRP(国際放射線防護委員会)が推奨する緊急時のみの短期間の基準値を事故以前の基準に戻す目処が立たないので、緊急事態宣言を解除できない、どうしようもない厳しい現実から日本国民の目をそらすためのオリンピックであると言っても過言ではない。マスメディアは既得権益層に完全に組み込まれているので、このことを指摘することができないのである。
それだけに日本政府の東京オリンピック誘致にかける思いは余程、強かったのだろうということがわかるのが、JOC竹田会長による東京オリンピック誘致に関する贈賄事件である。以下、BBCから。
東京五輪招致汚職容疑、JOC竹田会長を訴追手続き 仏当局
2019年1月11日
2020年の東京五輪・パラリンピック招致を巡り、仏検察当局が日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長(71)について贈賄容疑の捜査を正式に開始したことが明らかになった。仏検察当局が11日、明らかにした。
仏検察当局は2016年春、日本の招致委員会が国際オリンピック委員会(IOC)委員だったラミン・ディアク国際陸上競技連盟(IAAF)前会長の息子に2800万シンガポールドル(約2億2000万円)を支払ったとされる疑惑を捜査していると明らかにしていた。竹田会長は、五輪招致委の理事長だった。
複数の通信社と仏紙ル・モンドは11日、検察当局の話として、パリの予審判事が昨年12月の時点で竹田会長に対する「予審手続き」を開始していたと伝えた。フランスの法律で予審手続き開始とは、正式な刑事捜査の開始を意味する。竹田会長は日本メディアに対して、これは正式起訴ではなく、新事実は何もなく、事態は何も変わっていないと説明。12月の時点で仏当局の捜査に協力し、問題行為は何もなかったと聴取に答えたという。(引用終わり)
このラミン・ディアク国際陸上競技連盟(IAAF)前会長は2015年、ロシアのドーピング疑惑を隠蔽する代わりに賄賂を受け取った汚職で起訴され、IOC委員を停止され、辞任している。そして彼の父、マッサタ・ディアクは、2016年以降、国際刑事機構(インターポール)に汚職、マネーロンダリングで最重要指名手配リストに載っている曰く付きの人物である。このようなことからも日本政府は、何が何でもオリンピックを開催したかったことがよくわかるのである。
美化されすぎたオリンピズム
私たちは、小学生の頃からあまりにも美化されすぎたオリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタン男爵(1863年~1937年)の話を聞かされているので、その人物、歴史的背景を正確に掴むことができないでいる。
あなたは、オリンピック種目のほとんどが19世紀末の植民地時代に西ヨーロッパで作り上げられたものであることに素朴な疑問を持ったことはないだろうか。それは、19世紀が西洋列強による植民地の時代だったからである。
おそらく、彼は1896年、初めての近代オリンピックがアテネで開催された当時、西洋列強の植民地になることが非ヨーロッパの国々とって幸福であると考えていたのではないか。だから、アフリカ人の参加についてクーベルタンは「スポーツはアフリカを征服する」、アジア諸国からの参加についても「オリンピックのアジア到達は大きな勝利だと考えている。オリンピズムに関して言えば、国際的な競争は必ず、実りのあるものになる。オリンピックを開催する名誉を得るのは世界の国にとって好ましいことだ。」と述べているのである。
E・ウェーバー(カルフォニア大学教授)の「ピエール・ド・クーベルタンとフランスにおける組織スポーツの導入」(1970)によれば、クーベルタンの思想は次の6つにまとめられる。
(1) クーベルタンの思想は19世紀的貴族のロマンチックなエリート主義
(2) 保守的伝統に依存しつつ国際主義・平和主義を標榜していること
(3) 近代的民主主義と競争社会の原理に裏打ちされたエリート主義が競争を公正に行うことを建前とする(実はそうではない)スポーツの世界と合致すること
(4) 大衆を中等教育から差別する仕組みとスポーツの反実用性との対応が中等教育とスポーツ活動との接近を可能にすること(労働者階級や貧しい家庭の若者を対象としたスポーツは、「ぶらぶらさせない」ことと「暇な手」をふさぐことを目的としているが、これには欧米諸国では長い伝統がある。)
(5) 中立を建て前とするスポーツの観念と,その政治利用を許す現実との矛盾を生み出す根源は、この19世紀末のエリート主義の矛盾の反映であること
(6) 労働者階級の国際主義と平和主義とブルジョアの国際主義と平和主義の対立の中でクーベルタンのスポーツ教育は世紀末の青年層をとらえた新芸術運動、フォービズム、キュービズム,未来派と同列のものと考えられること
このような背景を持つクーベルタン男爵の近代オリンピック運動は、「西洋列強に追いつき、追い越す」ことを最大の目的とし、富国強兵に邁進していた日本国に熱狂的に迎えられることになる。「より速く、より高く、より強く」という達成モデルと身体活動のグローバルなスポーツ化は、近代日本にとっては、当時、まさに目指すべき目標であったのである。
私たちが忘れてならないことは、人間の運動モデルには、オリンピックが強力に推し進める達成モデルのほかに、一般大衆参加を促進する健康とフィットネスのモデル、舞踊と民俗の伝統を組み込んだ身体体験モデルの二つがあるということである。そして健康とフィットネスのモデル、身体体験モデルに内在する喜び、健康、社交性と自己実現のための普遍的で生涯を通じた身体活動の方が健全な社会を維持するためには遙かに重要であることは考えるまでもないだろう。
また、IOC(国際オリンピック委員会)が掲げるスポーツは特別だという「スポーツ例外主義」によって恐ろしく中立的でない人物がその会長を務めてきたこともこの際、日本人は知っておいたほうがいいのではないだろうか。1952年から1972年まで会長を務めたアベリー・ブランデージは、1936年のベルリンオリンピックボイコットを求めた米国に対抗し、強力にヒトラーを支持したことで有名だし、その後を継いだ閣下と呼ばれることを好んだファン・アントニオ・サマランチは、スペインの独裁者フランコを支持するファシストであった。このような民主的でない人たちがIOCを牛耳ってきたのである。
開催前にトラブル続きの東京五輪
これほど、不祥事が続出しているイベントも珍しいのではないか。
●エンブレム問題勃発
2015年、佐野研二郎氏がデザインしたエンブレムが盗作疑惑で不採用と決定した。ポスター等は廃棄。
●新国立競技場工事の現場監督23才男性が過労自殺
新国立競技場の工事で現場監督を務めていた23才の男性が2017年3月に失踪。その後、長野県で遺体として見つかり、自殺と断定された。デザイン案が変更となり、着工が予定より1年遅れ、急ピッチで進めるため、現場では過剰労働が強いられていた。自殺した男性の残業時間も1か月190時間以上だったという。
●ボクシング、テコンドーなど各団体の不祥事
2018年夏、日本ボクシング連盟が助成金の不正流用や不当判定で告発を受け、山根明氏(80才)が会長を辞任。辞任表明会見は約3分間だった。同年、テコンドーやレスリング、体操などの競技で、コーチによるパワハラ問題が明るみに出て、旧態然とした体育会体質に批判が寄せられた。
●「有明テニスの森公園」の工事業者が経営破綻
テニス会場となる江東区『有明テニスの森公園』の工事を請け負った会社が2018年10月に倒産。工事の一部が中断する事態となった。倒産の理由は、急激な事業拡大だった。当初の完成予定は2019年7月だったが、別の業者が引き継ぎ、同年9月末から開催された『楽天オープン』に間に合わせた。
●開閉会式の演出担当者がパワハラで辞任
開閉会式の演出担当のメンバーで、広告会社電通のクリエイティブ・ディレクターの男性(43才)が同社の関連会社社員にパワハラをしていたとして、2019年末に懲戒処分を受け、辞任。開閉会式の業務に関してのパワハラ事案があったことが明らかになった。
●競技場デザイン問題
故ザハ・ハディッド氏がデザインした競技場は巨額の建築費がネックとなり実現に至らず、選考に携わった建築家・安藤忠雄氏は、「デザインで選んだだけで、その先のことは知らない」と弁明した。
●新国立競技場は完成したものの…
新国立競技場に足を運んだ人たちからは、「座席が狭い」「椅子が硬い」「トイレが少ない」と不満が続出している。冷房設備がないため、真夏の開催が不安視されている。
●「やりがい搾取」と揶揄のボランティア問題
研修などの名目で拘束されたりもする五輪ボランティア。“やりがい”をうたってはいるものの、医療現場などからは「真夏の高温の環境下、無償での奉仕に価するのか」という声も上がっている。
●チケット販売トラブル
2019年5月、チケット販売の開始当初は販売サイトにつながらず、1時間以上待ったケースも。
●大腸菌だらけの会場
トライアスロンなどの会場となるお台場の海からは基準値を超える大腸菌が検出され、選手からも「トイレのようなにおいがする」と声が上がった。
●疑惑の退任
2019年、不正疑惑が浮上し、記者会見を開いた竹田恆和会長(当時)。一方的な弁明が読み上げられ、7分で終わった。
●いきなりの札幌開催に変更
札幌開催の決定後に開催された選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)・マラソン強化戦略プロジェクト」のリーダー・瀬古利彦氏は「急に札幌に行けといわれても…」と戸惑いを見せた。(女性セブン2020年2月27日号より)
枚挙の暇がないほどの不祥事のオンパレードである。今もパソナの人件費中抜き問題等がマスコミで報道されている。やはり、これは、原子力緊急事態宣言下にある厳しい現実を無視してフクシマ復興をアピールするという動機があまりにも不純だったせいではないだろうか。
21世紀は「より速く、より高く、より強く」が人間に求められる時代か?
急速なAI(人工知能)の進歩が社会のあり方を大きく変えようとしている。
オックスフォード大学などの調査結果では今後10〜20年の間で約半数の仕事が消える可能性があると言われている。
AIによってなくなる可能性がある仕事・職業は?
一般事務員、銀行員、警備員、建設作業員、スーパー・コンビニ店員、タクシー運転手。電車運転士。ライター、集金人、ホテル客室係・ホテルのフロントマン。工場勤務者等である。
AIが発達しても「なくならない仕事」は?
営業職、データサイエンティスト、介護職、カウンセラー、コンサルタント等である。このような時代背景を考えると、現在の生身の人間に「より速く、より高く、より強く」が求められる時代は、これから終わっていくと考えた方がいいのではないか。ところで今、日本政府は、ムーンショット計画をというものを大真面目に推進している。
そこには、「2030年までに、1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。」というような吃驚するようなことが書かれているが、これは世界のグロバールエリートが集うダボス会議でも議題になっていることから考えてもこれから紆余曲折を経て進んでいくことである。
そのように変わっていく社会で生身の人間が「より速く、より高く、より強く」を競うことに何の意味があるのだろうか。
そうなれば、一般大衆参加を促進する健康とフィットネスのモデル、舞踊と民俗の伝統を組み込んだ身体体験モデルの方がより健康な人間社会を実現するために重要視されるようになることは、火を見るよりも明らかである。
例えば、腎臓透析の医療費は日本においては1兆3千億円に達そうとしているが、この透析患者のほとんどは、糖尿病由来の腎不全である。節制をすれば、透析患者にはならないのである。健康とフィットネスのモデルや伝統を組み込んだ身体体験モデルがメインストリームになれば、どれだけの人たちが健康になり、医療費が節約できることか、私たちは真剣に考えてみる必要があるだろう。
何れにしても今回の東京オリンピック誘致は、原子力緊急事態宣言下にある日本の現実を直視したくない、誤魔化したい誘惑から始まったものであり、その動機の不純さ故にこのような不祥事ばかりが続いているのではないだろうか。
ところで、人口2357万人の台湾では、コロナの死亡者が累積で12人しかいない(2021年5月15日時点)、一方日本は、1万1640人(2021年5月17日時点)である。
この違いは、どこから生まれているのであろうか。それは、オリンピック開催に拘った日本政府が台湾のような厳しい入国制限をしなかったからである。
私たちは、フクシマ原発事故、オリンピック騒動、コロナウイルスがあぶり出した日本社会の機能不全を見たくはないだろうが、ありのままに直視すべき時を迎えている。その意味で今こそ、一人一人が「思い起こせば、先の大戦の時もそうだったが、なぜ今も、私たちの政府は他国のように国民の命を守ることができないのか(=粗末に扱うのか)」と、虚心にかえって問いかけてみるべきなのである。
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