現在、豊橋市ですら、あまり、内容のない「産業雇用生活支援策」を発表(2008/12/26)する事態になってきました。バブル崩壊後、若者、外国人労働者のような弱者受難の時代が20年近く続いています。

フリードマンの唱えた新自由主義は容赦なく、共同体社会を破壊していきます。しかし、その行き着く先は、利益社会も共同体社会の成員である一人、一人の人間が消費者、生産者として支えていることを考えれば、長い目で見れば、社会そのものの存続が危険にさらされることを意味しています。

(引用))

~若者の非正規雇用が急増=10代後半は7割に-青少年白書~



内閣府は21日、2008年版「青少年の現状と施策」(青少年白書)を発表しました。若者の間で派遣や契約社員、フリーターなど非正規雇用の割合が増えており、10代後半では、ここ15年間で72%に倍増。内閣府は「中卒や高卒の若者が正規雇用職員になれず、非正規雇用に流れるケースが増えたのが要因」としています。総務省の就業構造基本調査によると、雇用者全体に占める非正規雇用者の割合は、1519歳が1992年の36%から07年には72%に、2024歳は17%から43%にそれぞれ増えました。非正規雇用の比率は全年代で増えていますが、2529歳(12%から28%)、3034歳(14%から26%)に比べると、24歳以下の増加幅が大きくなっています。

(産経新聞 2008/11/21



現在、「派遣切り」が流行語のようになっています。派遣労働者は最初から契約が切れればいつでもクビにされる労働者の事であり、それが今、大きな問題になっています。2004年、小泉内閣の時に製造業にも派遣労働が認められるようになり、自動車や電気産業の工場では派遣労働者の割合が急激に増えて3分の1にも達しました。

企業にすればこれほど好都合な法律はなく、労働法などの問題も無く雇用調整ができます。賃金も正社員の半分以下に出来るのだから、企業は簡単にお金を儲けることができます。当然、経営の幹部は利益が多くなれば成果報酬としてボーナスなどに反映されますから、雇用調整型のリストラがこの数年で大きく行なわれてきました。



そう言った意味では、極端ことを言えば、現代の若年労働者は奴隷状態になるために生まれてきたようなものであり、上記のように10代の7割が非正規雇用でフリーター化が進んでいます。非正規労働で身につくのは単純作業でありキャリアにはならず、仕事でステップアップしていく事は不可能です。このような使い捨ての若年労働者の奴隷化は日本の将来を不安定化しています。

もちろん、一番の問題は派遣先企業よりも派遣元の派遣会社にあります。ピン撥ねが酷いのです。派遣会社といえば聞こえがいいのですが、手配師が会社化したような業態であるとも言え、例えば、1日15、000円の派遣料金に対して5、000円がピン撥ねされて本人には10、000円が支払われるのが普通です。利益率33%以上の高収益です。あの儲かっていたトヨタの純利益率が9%ですから、いかにぼろ儲けできる商売かよくわかります。

それでもある意味洗脳された日本の若年労働者は羊のようにおとなしく抗議一つしようとはしません。(報道されていませんが、お隣の中国ではすでに、北京オリンピック前の一年間さえ、5万件の暴動があったと言われております。バブルが崩壊した現在の状況はおそらく、想像以上の状況だと思われます。また、来年はアメリカでの黒人、イスパニックの人たちの暴動が起きるのではないでしょうか。)逆に多くの若者が働くのを止めて家庭に引き篭もりニート化していきます。一番技術が身につく時期を若い時を無駄に過ごして、気が付いて一生懸命働こうとしても、出来る技術も無ければ就職口はなくなってしまうのです。

先日、麻生総理がハローワークで若者に目的意識を持たないとダメだと言っておりましたが、引き篭もりのニートに何がしたいと聞いても意味がありません。彼らには労働意欲もなければ勉強意欲も無く生きていく気力もなくしているのです。もちろん、このような若者が増えたことには、家庭や学校、情報コントロールされているマスコミにも多くの原因があります。



また、正社員として採用しても多くの若者が仕事が勤まらずに3年以内に辞めていきます。ちょっと前に「若者はなぜ3年で辞めるのか?」(城 繁幸著)と言う本はベストセラーになりました。本の題名が一人走りをしてしまっているようですが、日本企業の社会構造の問題点を指摘した内容の本です。

もちろん、このような社会にもたらしたのは、「新自由主義」を標榜した竹中・小泉構造改革のせいであることは言うまでもありません。2004年に人材派遣業法が改正されて一般的な職種にも派遣社員の活用が可能になった事で、企業は一斉に派遣社員に切り替えてしまったのです。

この本では新規採用を絞る反面、その穴を派遣社員が埋めている事を指摘していますが、そのような構造が長く続けば技術を持った社員が定年退職した時にその技術を引き継ぐ人材がいない事にやがて気がつくようになります。日本が誇る自動車メーカーでも大規模な欠陥自動車問題が起きていますが、部品などを未熟な下請工場などが作っていることに原因があります。

このように一見したところ企業の体制は昔と変わらないように見えて、現場作業は若い正社員ではなく派遣労働者が担うようになっています。 格差社会とは中高年の正社員が1000万円以上の高給を取り、派遣社員が200万円で現場作業をしている社会のことを言っているのです。

トヨタの奥田元会長やキヤノンの御手洗会長などは会社の利益のために良かれと思って経営している事は間違いありませんが、地域社会、その集合体である日本社会の利益とは相反するものです。トヨタは円安と非正規社員で史上空前の利益(2兆円)を誇ってきましたが、その利益を社内留保して給与のアップはなかなかしませんでした。(もちろん、それは、米国に押しつけられた株主最優先の金融資本主義のせいですが、)そして現在、円高になって真っ先に派遣の首切りを行なっています。もちろん、他の大企業も同様です。

以前から、何回も指摘してきましたが、現在、トヨタの「グローバルテン」という経営戦略と日本の国益とは一致していないということを理解することが必要です。いわゆる構造改革による労働市場の規制緩和により、フリーターやパートと言った非正規雇用が激増しました。また、先程、述べたように人材派遣会社が最も儲かる利益率の高い業種の一つになっておりました。日系ブラジル人の多くが人材派遣会社から自動車部品の下請け工場に派遣され、トヨタ自動車のコスト削減に大きく貢献しております。

その結果、豊橋市や浜松市のような地方自治体は、住宅費、教育費、福祉により多くの出費を迫られています。

要するにトヨタのコスト削減を公で負担していることになっているのです。こんなことをやっていても地域の集合体としての日本の富は増大していきません。その証拠に日本の一人当たりのGDPは、あの優雅な働き方をしているイタリア並の世界19位に転落しました。また、今後、トヨタの中国生産台数もかなり、増えると考えられていますが、トヨタは世界シェア10%を達成するのには、必ずしも自動車をどこで生産してもかまわないと考えるはずです。

そう言った意味ではトヨタやキヤノンは外資系企業だと思ったほうがいいのかもしれません。新自由主義の思想(短期、中期の企業利益の最大限化を正当化したパラダイム)が企業から公publicの概念を奪ってしまったのです。



*参考資料

~世間に転がる意味不明 「ハケン切り」の品格~

小田嶋 隆

<1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。近著に『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)などがある。>



「派遣切り」という言葉が、いつの間にやらメディア頻出単語のトップに登り詰めている。 奇妙な言葉だ。 朝から何回も聞いていると、なんだかもやもやした気持ちになる。「派遣を切ることのどこがいけないんだ?」 と、当方にそういう気持ちがあるからだろうか。

そうかもしれない。このもやもやは、「使用済みのペーパータオルを捨てたことを女房になじられた時の気分」に似ていなくもない。

「だってお前、ペーパータオルってのは、捨てるための紙だぞ」

「乾かせば使えるでしょ」

「乾かして使うくらいならはじめから布のタオルを使うんじゃないのか?」

「屁理屈言わないの」

いや、私は、派遣労働者が解雇されることを喜んでいるわけではない。彼らをペーパータオル視しているのでもない。ただ、切られることがあらかじめわかっている者が切られつつある現今の状況に、しらじらしくもびっくりしてみせているテレビの中の人たちの口吻に、偽善に似たものを感じているわけです。

そもそも原理的に言って「派遣社員」というのは、「切る」ための社員だ。企業の側からすれば、不況に直面した時にいち早く整理できるからこそ、派遣労働者を雇い入れていたはずなのだ。それゆえ、もし問題があるのだとしたら、それは、「派遣社員を切ること」よりも、「派遣社員という雇用形態を容認しているわれわれの社会」のシステムそのもののうちにある……はずなのだが、こういう時に正論を言ってもしかたがない。

実は、正論はみんなわかっている。

でも、どうしようもない。だから、「貸し剥がし」「雇い止め」「派遣切り」「内定切り」……と、新規に作成される不況関連用語には、常に情緒に流れた詠嘆の調子がつきまとうことになっている。みんな大変だね、手を貸してあげることはできないけど、同情してるよ、と。雨に濡れた野良犬に傘をさしかける感じ。でも、連れて帰るわけにはいかないんだ。ごめんよ……ぐらいな。

メディアの報道ぶりを見ていると、派遣社員を解雇した受け入れ先企業の冷血を責めるテの議論が目立つ。突然過ぎるじゃないか、と。

でも、本当のところ、現行法からすれば、雇用責任の過半は、派遣先企業にではなくて、派遣労働者として彼らを登録している派遣会社にあるはずだ。なのに、派遣会社の責任を追及する論調はほとんど出て来ない。不思議だ。

あるいは、「解雇より先に、なによりもまず役員報酬のカットが第一で、その次が従業員の給与の見直しであるべきだ。解雇という選択肢は最後の手段であるべきなんではないのか」式の、昔ながらの正論も、一向に主張されていない。

ただただ、「かわいそうですね」「身につまされますね」「がんばってほしいですね」という情緒的な画面を流すばかり。彼らはやる気があるんだろうか。

というよりも、そもそも、テレビ局は、派遣労働についてとやかく言える立場の職場ではない。

あの業界(私も「派遣ディレクター」として籍を置いていたことがある)は、正規の派遣ですらない偽装出向や二重派遣やピンハネアルバイト労働の温床であり、タダ同然で働く業界ワナビーのアシスタントディレクター(彼らの中には「マスコミ業界で働けるなら時給なんか無くても良い」と思っている子たちが常に一定数いて、このことがADの最低賃金を引き下げている)や、スタジオの机の下で寝起きしているサービス残業スタッフみたいな人たちに支えられている、どうにもならないタコ部屋だからだ。でなくても、事実上の実働部隊であるところの制作会社の社員は、局社員の半分以下の給料で働いている。

それでも、その制作会社の仕事を差配している局の社員たちが額面通りに優秀な人々であるのなら、それはそれでかろうじて細いスジは通る話ではある。が、どっこい、そうはイカの禁断症状で、局社員は、優秀であるよりは、むしろ良血な人々であるに過ぎない。具体的に言うと、毎年、テレビ局に入社する社員(数十人に過ぎない)の中には、少なからぬ数の政治家の子弟やクライアントであるところの一部上場企業重役の子女が含まれているのだ。で、これに、同業マスコミの関係者(Mのもんたの息子とかT原S一朗の娘さんとか)や、ミスコン優勝者が加わって、そうやってあらかじめ採用枠が埋まっている。よって無コネの試験突破組による就職倍率は実質数千倍になる。

で、先頃、発表された「2008年全上場企業3733社年収ランキング」によれば、

《1位に輝いた朝日放送(大阪)は平均年収1556.7万円! 2位はTBS、3位はフジ・メディアHDと、ベスト3はテレビ局が独占。日本テレビ放送網も6位に入った。》(《》内、ZAKZAKより)てなことになっている。

おそろしいことである。

さて、労働者派遣法が改正されたのは小泉政権下の2004年のことだった。肝要なのは、法改正の事実そのものではない。法改正に先だってどんな議論があったのかということだ……と思うのだが、私の記憶では、たいした議論はなかった気がするのだね。

一部に、低賃金労働の固定化や、派遣労働者の安易な解雇を危惧する議論があったのは事実だ。が、当時それらの意見はさして問題にされなかった。というのも、そのテのお話をする人たちは、あらゆる政策に対して常に危惧の念ばかりを表明している一派の人々で、一般人であるわれわれの多くは、いつも文句ばっかり言っている彼らの悲観的な語り口にうんざりしていたからだ。で、今回、彼らの懸念はモロなカタチで現実になった。突然の解雇という蟹工船以来の伝統的な筋立てで、だ。

さよう。われわれは、彼らの声に耳を傾けておくべきだったのかもしれない。

でも、多くの国民は、悲観論者の声をうるさがり、むしろ、もうひとつの声に耳を傾けていた。もうひとつの声というのは、具体的にはこんな感じのお話だった。

「圧倒的に安い労働力を背景に、シェアを拡大しつつある新興工業国の追い上げに対応するためには、派遣労働の解禁はもはや避けて通れない」

なるほど。

この話も、実は、現在、米国を舞台に、モロなカタチで現実化しつつある。すなわち、強い組合を容認し、労働者の待遇を高い水準に保ち、不況下でも雇用を確保する政策を維持し続けた結果、世界一の大企業であるGMは、ほとんど倒れかけているのである。のみならず、ビッグ3と呼ばれたアメリカの自動車業界がまるごと、ツブれようとしている。これまた、非常に深刻な事態だ。

われわれはどうすれば良かったのだろうか。

労働者の権益を守れば製造業が経営危機に陥るし、かといって業界の要望を反映して派遣労働を解禁すれば失業者が大量発生する。難しい問題だ。って、このセリフはいつものことながら、何の解答にもなっていない。が、私は、解決策を提示する立場の人間ではない。

その代わりに(代わりにも何にもならないのだが)邪推を述べることにする。

お国は、雇用問題の闇を隠蔽しようとしている。

われわれパンピーも、一番やっかいなところからは目をそむけている。

で、路上に放置されている猫の死骸を見なかったことにして通り過ぎる通行人みたいに、われわれは、息を止めて、早足で過ぎ去ろうとしている。

「ハケンの品格」というテレビドラマがあったのを記憶しておられるだろうか。

「2007年1月10日から同年3月14日まで、毎週水曜日22:00~22:54(JST、初回は22:00~23:09、最終回は22:00~23:04)に日本テレビ系列で放映されていた篠原涼子主演の連続テレビドラマ。全10話 平均視聴率20.1%」と、ウィキペディアは、シンプルに言い切っているが、平均で20.1%という視聴率は、昨今の水準では「大ヒット」としか申し上げようのない見事な数字なのであって、「ハケンの品格」は、近来の事件だった。実際、当時ベストセラーになっていた『国家の品格』と、その後追いベストセラー書籍である『女性の品格』に乗っかった、三匹目のドジョウ狙いの、品格を欠いたパクリ企画であったにもかかわらず、番組は、初回から絶好調だった。

が、今になって振り返ってみるに、あれは、どうにも罪作りなドラマだった。

主人公が特Aクラスの「スーパー派遣社員」だという設定の御都合主義もさることながら、出てくるエピソードのいちいちがデタラメ過ぎた。

たとえば、主人公は、26個の超難関資格を持ち、仕事はどの職場に行っても、誰よりもデキることになっており、時給は派遣会社によって3500円に設定されている。

で、ストーリーの中では「派遣であれ、正社員であれ、仕事がデキる者が勝つのだ」というファンタジーが毎回繰り返される。現実はもちろん違う。

代打でホームラン王になるバッターはいないし、臨時雇いの板前が店長を怒鳴りつけて大丈夫な店も現実には存在しない。無論、テレビドラマは、リアルであれば良いというものではない。現実離れした部分があっても、そのファンタジーが視聴者の共感を呼ぶのであれば、それはそれで成功なのであろうし、ストーリーが素っ頓狂でもプロットが奇想天外でも設定が支離滅裂でもキャラクターが常軌を逸していても、最終的に面白ければオッケーではあるのだろう。

でも、「ハケンの品格」が提示していたファンタジーは、業界にとって都合が良いだけの、お伽噺だった。スーパー派遣社員による正社員やりこめストーリー。

下克上?

いや、確かに、弱い立場の者が権力者をやっつけるプロットは、昔から大衆演劇の定番であった。落語にも、町人が武士のハナを明かす話はたくさんある。でも、それにしても「ハケンの品格」は、派遣労働者を応援するというよりは、むしろ、派遣労働者が置かれている差別と搾取の現実から目を逸らすことに力点を置いたドラマであった。非正規労働者慰撫企画。防衛機制の材料。ひがむよりは夢を見ようぜ式の。

結局、バブルがはじけてからこっちの20年ほど、われわれは、雇用と労働についてまともに考えてこなかったのである。

ずっと遡って、「フリーター」というこの世界のどこの国の辞書にも載っていない和製カタカナ語(←和製英語ですらない。「フリー」という英語と、「アルバイター」《←語幹はドイツ語だが、語尾のerは英語という、キメラ合成言語》の安易な合成語の、そのまた略語)を労働白書が正式な用語として採用していた時点で、この国の労働行政は、既にどうかしていたのだと思う。

私は、フリーター自身が、自らの浮き草の身の上を「フリーター」と呼んで慰めている現状については、その心情を汲んで、特に許してやっても良いと思っている。彼を「プー太郎」と呼ばずに済ませている世間の人々の優しさも、それはそれで素晴らしい態度であるのかもしれない。が、厚生労働省が、「フリーター」などといういい加減な言葉を使ってはいけない。こんなデタラメな言葉を使いながら、いったいどうやって真っ当な雇用行政を執行できるというのだ?

「フリーター」というこの曖昧な用語には、「本人の意志で、非正規労働に就いてるわけだから、労働用語で言うところの『失業者』とは別だよね」ぐらいの気分が含まれている。つまり、この言葉を使いはじめた労働省(および後の厚労省)は、若年の失業者について、それを直視する気持ちが無く、また、彼らの面倒を見る責任を感じてもいなかったのである。

さらに遡るなら、「職業安定所」を「ハローワーク」と呼び変えた時(1990年)に、既に欺瞞は始まっていたのだ。善意に解釈すれば、労働省は、「職安通い」を揶揄する風潮があったり、職安通いの身を蔑視する世論が醸成されてしまっている状況を改善しようと思ったのかもしれない。もっと気軽に、もっと明るく、弾むような調子で職安に来てほしい、と。で、世間の人々も、職安に集まる人々に対して、もっとポジティブな見方をしてくれたらいいなあ、と。

でも、呼び方を明るくすれば事態が明るくなるというものではない。

「できちゃった婚」を「おめでた婚」と呼ぶ人がいたり、逆に「中出し婚」と表現する人々がいたりするが、どう呼んだのであれ事態の本質は変わらない。肝要なのは、名称が指し示しているところの状況をどれだけ真剣に直視し、その事態に対して、どれほど真摯に対応するのかということだ。失業も同じだ。どういう呼び名で呼んだところで、深刻なものは深刻なのだし、こういう場合、暗い事態に明るい名称を与えるのは、問題点を隠蔽するという意味で、かえって逆効果になる。

実際「ハローワーク」に行けば、「ハロー」ってな調子で、新しい仕事に出会えるのだろうか?

じゃあ、失業は「チャオワーク」で、解雇は「グッバイワーク」なのか?

職業安定所に暗いイメージがつきまとっているのは、失業という事態が暗いからであり、人が求職せねばならないという状況が重苦しくも深刻な状況だからだ。

とすれば、暗くて当然じゃないか。

労働省が、暗い呼び名を、明るい言葉に変えたいと思ったのは、事態を改善したかったからではなくて、イメージを改めたかったからに過ぎない。そして、イメージを改めるということは、言葉を変えて言えば、「現実から目をそらす」ということであり、隠蔽するということですらある。

ところで、「ハケンの品格」に小泉元首相の長男が出ていた(派遣に同情的な正社員の役)のは、あれは偶然なんだろうか?

違うと思うな。偶然なんかじゃない。

派遣されてたんだと思う。永田町から。たぶん。



*小生が本年の1月にお送りしたレポートを添付します。

「サブサプライム問題が引き起こす最悪のケースを考える」

2008/01/30



現在、世界は金融メルトダウンに恐れに慄き始めており、誰もが予想していなかった金融崩壊=金融資本主義の崩壊が目の前に迫ってきている可能性が考えられます。



いわゆる米国の手先の金融アナリストの楽観論ばかり聞かされ、そして実際に何が起こっているかあえて聞こうとしてこなかった投資家・経営者は今や全ての資産を吹き飛ばす危険に直面しているとまで言ったら、言い過ぎでしょうか。

例えば、1億円で株を買いこれを担保にさらに株を買い増し続け、2億5,000万円近いポジションを組み、その大半を銀行株とネット株と不動産株運用し、その後の株価の急落であっという間に1億円5,000万円以上の損をし、金融資産全てを失った上に5,000万円以上の負債を抱え込んだという話もあるようです。

このような時代には借金で株・不動産は買ってはいけないのですが、個人投資家の中には借金して投資すれば何倍にもなると欺され、今や悲惨な状況になっている方が多くいるようです。信用の追証が前週に比べ20倍にも膨らんだという証券会社もあるという報道もあります。

また、不動産で年金代わりにと借金で不動産を買ったものの想定した賃貸収入が入らず、今やローンが払えなくなり破産する直前にまでいっている個人も多くいるようです。

『不動産は借金で』という営業トークに乗せられた挙句の悲劇ですが、これも誰が悪いというのではなく、全て借金した本人が悪いのですが、それにしましても膨大な借金を何十年にも渡って背負うという危機感がない投資家が多いのには吃驚です。

信用不安が拡がり、今後、さらに株式市場・不動産市場が暴落しました際には、より大きな悲劇が待ち受けているのかもしれません。現在、世界の金融市場に恐ろしい事態が静かに進行しつつあるのを殆どの個人・投資家は知ろうとしません。

それはユーロの暴落です。

ご存じのようにユーロは世界中の通貨に対して急騰しており、ドル・円はもとよりイギリスポンドに対しましても急騰しており、今やユーロは世界最強通貨にも見えますが、実際には内部はガタガタでありいつ崩壊してもおかしくはない状態になっているのです。

もちろん、世界には色々なバブルがあり、不動産バブル(崩壊中)、株式バブル(崩壊中)、中国株バブル(崩壊の入り口に)、原油バブル(崩壊の入り口に)等々の他に最も大きなバブルがユーロだと考えられます。

たしかに、ドルが駄目だ、円が駄目だ、ポンドが駄目だ、等々という理由で、ユーロに資金が集中してきているですが、今や行き着くところまで来ており、いつ何時崩壊してもおかしくないのです。

ユーロに投資をしている投資家からすれば、ユーロほど安全な通貨はないと思っていますが、今、スペインで起こっています不動産バブル崩壊でスペインの金融機関にも破綻観測が出てきており、またフランスの大手金融機関もサブプライム関連で経営危機に陥っているとも噂されており、イタリアでは国内のゴミ問題で国が分裂するのではないか、とさえ言われるほどの暴動等が起きています。

現在、ヨーロッパの中に矛盾が溜まり続けており、何かの切掛けでユーロが暴落することも有り得るのですが、今のユーロ高を陰で仕掛けているのは実はアメリカとも言われており、あのブッシュ政権がユーロ高を演出しているとも考えられるのです。

そして、行き着くところまで行かせて矛盾をはらませ、一気に崩壊に持ち込む動きがあるのではないかとも考えられるのです。現在の株式市場・金融市場の混乱も静かなるブッシュショックの一つだという見方も出てきています。



では、実際にどのような展開になるのでしょうか?



現在、米国の金融機関(シティ・メリルリンチ等)は中国・アラブ・アジアからの資本を取り入れて資本不足を補っていますが、ブッシュ政権は最後の段階でこれら自国の金融機関を破綻させ、出資させた資金を巻き上げるつもりだとも言われているのです。

このような光景は日本がバブル経済の時に、日本企業・個人にべら棒な価格で米国不動産を買わせ、最後には二束三文で売らせ、まんまと10兆円とも20兆円とも言われるジャパンマネーを掠め取った戦略に見事に似ています。

ブッシュ政権は投機による原油高等を演出しアラブに膨大な資金を与えました。

これからそれを収穫する考えだとも言えるのです。

アメリカは中国にもオリンピックを与え、経済成長を与え見事なバブル経済を作り上げましたが、今やそれを収穫する時期と思っている節があり、今後中国・香港株式市場の暴落、上海不動産市場の崩落で中国を追い込み、最後には出資させた米国金融機関・ファンドを破綻させ、全ての投資資金を巻き上げることを想定しているとしたら・・・。



問題のユーロでは世界中でユーロを買っているのは日本・アラブ・中国ですが、ユーロが暴落すれば、当然、円高・元高になりますが、特にユーロは円に対して100円近辺まで暴落する可能性があります。最も元に戻るだけですが、

グロソブ等の投信を経由して日本人は10兆円以上の資金をユーロに投入しており、これが30%、40%以上も暴落すれば個人投資家の中にはパニックになる人も出てくるはと思われます。

世界のファンドの中にはこの日本人が蓄えた10兆円以上の『丸々と太ったユーロ』を食べつくそうという動きが出てきており、世界中のリスクマネーが≪円-ユーロ≫に集まってきた段階では一日に10円以上というとてつもない動きをするかも知れません。

また、現在の金融崩壊では最大1,000兆円以上の損失が出る可能性があり、上記の日本人のユーロポジションから3兆円余り掠め取りましても大した金額ではありませんが、稼げる時には稼げるだけ稼いでおくというのが弱肉強食の金融市場の掟とも言え、ブッシュショック発動前に、彼らは世界中の金融商品を狙い打ちにしてきます。

そして、最後には自分達も金融崩壊で自滅することになりますが、そのようなことは想定せずにせっせと『金融積み木崩し』を行っているのです。

最後に冒頭で取り上げましたブッシュショックについてはどうでしょうか。

現在、米国の巨大銀行を始めハワイ銀行という地方の優良銀行等、全米の金融機関の経営が揺らぎ始めており金融崩壊の際には全ての金融機関の経営は破綻し、国有の再生銀行が出来上がり、そこに全ての金融機関の預金・ローンが集約されることになります。

この場合、預金は100,000ドルまでは保護されますが、数年~10年間は凍結されこの間、引き出しは事実上出来なくなると考えられます。

(その際には邦銀も勿論経営破綻する可能性があります。何故なら邦銀は米国に脅かされて米銀に資金を数十兆円単位で貸し付けておりこれらが取り立て不能となり債務超過に陥るからです)

米国はブッシュショック後、強力な政治力や資産家達の力、更には原油・天然ガスの自給、食糧の自給も出来ており、再生できるだけの力はあるかもしれませんが、では日本はどうでしょうか?

政治の混乱、官僚の体たらく、企業のリスク管理の甘さ、国民のモラルの低下、食糧自給率の有り得ない低さ等もあり、社会そのものが成り立たなくなる可能性も考えられます。

働くことを忘れ、目先の金儲けばかり考えている日本人が増え、お金・親の有り難さを忘れた若者の親殺しや社会への復讐にも似た無差別殺人等も増えてきており、今後日本社会は統制の利かない荒れた社会に成り下がることも十分考えられます。もし、そうなれば、外資は日本から逃げ出すでしょうし、資産家達も海外移住を考えだすでしょう。

すでに、海外移住を考えている資産家の方も多く出てきておりますが、金融資産を銀行預金・投信に集中させている方も多く、金融崩壊の際には全て失うことになりますので、海外移住も絵に描いた餅になりかねません。

今の混乱した社会では資産をどこに保有したら守ることが出来るのか、が最も重要なことであり、この選択肢を誤りますと全てを失うことにもなります。 今、静かに進むブッシュショックそして金融崩壊・メルトダウンに備える最後の段階が来ています。

いよいよ日本も世界も正念場です。くだらない日本のテレビ番組を見ている場合ではありません。マスメディアに頼らず、インターネット、本当の親友等の真の情報をどれだけ得るかが生死を決めると言っても過言ではないと思います。

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