*大変興味深い記事です。是非、ご一読下さい。
正 樹
*「選択」2008年12月号より
「政界には「宰相の器」見当たらず」
~「麻生降板」の時期が焦点に~
田中角栄から加藤紘一まで二十四代(二十二人)の自民党幹事長に仕えた奥島貞雄(七十一歳)が、政権党の人材難に警鐘を鳴らしたのは二〇〇二年の暮れだった。好著『自民党幹事長室の30年』(中央公論新社)の後書きで「政治家が小粒になり、自信がないために右往左往し、(自分の)身の振り方しか考えない情けない存在になった」と嘆いた。
〇八年晩秋、自民党は、軽量首相による連続三回目の政権投げ出しの恐怖におののいている。麻生太郎の人気暴落のきっかけは、漢字の読み間違えだった。
後で分かったことだが、首相就任以来、麻生の漢字の誤読は関係者の間で評判だった。が、事柄の性格上、いちいち囃し立てるのも大人げないという抑制がメディアの側にあり、新聞もテレビも論評を控えていた。
沈黙を破ったのは十一月十一日付朝日新聞朝刊内政面の囲み記事である。麻生は七日の参院本会議で歴史認識問題を聞かれ、一九九五年の「村山首相談話」(侵略と植民地支配に反省を表明)を「ふしゅうする」と答弁。どう見ても「踏襲する」の誤読であり、同じ誤りは十月十五日の参院予算委員会にもあったという。
~正体はただの「オッチョコチョイ」~
話題ではあるが、抜かれたというまでの記事ではない・・という判断で他紙は見送ったが、実はこれこそが政局を左右する大スクープだった。掲載翌日の十二日、母校・学習院大で開かれた日中青少年友好交流年の閉幕式のあいさつで、麻生は「未曾有」を「みぞうゆう」、「頻繁」を「はんざつ」と誤読。今度は各紙一斉に報じ、そこからワイドショー、週刊誌総動員の洪水報道が始まる。
マンガ好きの明朗な指導者、名宰相・吉田茂の孫であり、経済と英語に強く、沈みかけた自民党の救世主と見えた論客は、実は基礎学力に疑問のある、ただのオッチョコチョイ・・というイメージの大逆転が一気に進んだ。
深刻だったのは、単なる漢字の読み違いにとどまらず、麻生の政策理解力が疑われたことだ。身内意識に凝り固まった人事と人脈の狭さ。衆院解散を前提に間に合わせの体制を組み、解散先送りでもそのままでいけるとタカをくくった判断力自体、指導者として失格ではないのか・・。
やがて漢字問題の噴火に至る伏線となったのが「給付金」と「空幕長論文」だった。
「いったい誰が決めているのか、さっぱり分からない。幹事長も知らないうちに重要政策が決まるなんて前代未聞でしょう」
追加経済対策をめぐる政府・与党内の混乱が表面化した十一月上旬、自民党副幹事長の一人が天を仰いだ。政策通を自負する細田博之幹事長も石原伸晃同代理も対策の決定プロセスに関与していない、保利耕輔政調会長や園田博之同代理が官邸と協議しているわけでもない・・というのだ。
十月三十日の記者会見で、麻生は「定額減税は給付金方式で全世帯に実施する」と言い切った。が、翌日の経済財政諮問会議で「高額所得者にまで支給するのはおかしい」と異論が噴出。これを受ける形で十一月一日、与謝野馨・経済財政担当相がテレビ東京の番組に出演し、「高い所得階層にお金を渡すのは常識から言ってヘン」と所得制限を示唆した。
連休明けの四日、麻生親衛隊の中川昭一・財務金融担当相と鳩山邦夫総務相が「全世帯一律支給でいい」と首相を擁護したが、当の麻生は「生活に困っているところに出すんであって、豊かなところに出す必要はない」と与謝野寄りに軌道修正し、かえって混乱に拍車がかかった。
結局、所得制限をどうするかは自治体の判断にゆだねることになったが、住民を線引きするとなれば膨大な事務が発生する。そもそも国が解決し得ないことを押しつける理不尽さが問題だ。議論が進む過程で麻生が「高額所得者は自主申告で辞退を」と思いつきを言い、与謝野が「それは制度じゃない」と反発する一幕もあった。
一般財源化される道路特定財源の地方への配分方法や、民営化された日本郵政の株式売却問題も迷走した。首相発言はブレ続け、メディアに突っ込まれて切り返す虚勢にも疲労がにじむ。
~「気まぐれ人事」の高いツケ~
首相官邸に安定感がない最大の理由は人事だろう。霞が関から送り込まれた首相秘書官の筆頭が総務省七八年組の岡本全勝、官房副長官が元警察庁長官・漆間巌。総務省出身の首相秘書官は前例がない。麻生は総務相時代の腹心・岡本を招いた。財務省色を薄めた型破りの人事が裏目に出たのだ。町村派の中堅議員が言う。
「坂(篤郎・前内閣官房副長官補=財務省出身)の不在が大きい。総理秘書官も丹呉(泰健・財務省主計局長、元小泉首相秘書官)クラスが仕切っていれば、こんなことにはならなかった」
財務省から出ている首相秘書官は八一年入省の浅川雅嗣。世界金融危機の中で組閣した麻生は主計局ではなく国際金融局からの起用に固執した。だから失敗したとも言えまいが、主計局か主税局のシニア官僚を秘書官チームの要に据える慣行は崩れた。
政策の混乱は目に余る。「楽屋裏の議論がガラス張りになったと考えればいいじゃないですか」という財務官僚の苦笑いに皮肉な響きがこもる。霞が関官僚の頂点に立つ事務担当の官房副長官も機能停止状態だ。
「漆間に、古川(貞二郎=旧厚生省出身)や二橋(正弘=旧自治省出身)の代わりは無理。警察庁長官は政策を知らない」
と顔をしかめるのは厚労省出身の内閣参事官OBの一人。警察出身の名副長官に後藤田正晴(後に中曽根内閣で官房長官、宮澤内閣で副総理)がいるが、後藤田には軍歴があり、旧自治庁の官房長と税務局長も務めている。
二人の政務担当副長官(国会議員から起用される)も存在感が薄い。松本純(衆院神奈川一区、当選三回)と鴻池祥肇(参院兵庫選挙区、同三回)。いずれも麻生側近だが、横浜市議出身の松本は経験不足を否めない。鴻池は衆院も経験した侠客ふうの名物議員だが、与党との連絡調整や国会対策に汗をかくタイプではない。
それに、そもそも官房長官の河村建夫(衆院山口三区、当選六回、元文科相)が頼りない。「首相官邸の主人はあくまで首相。官房長官はホワイトハウスの報道官的な位置づけでいい」(麻生周辺)という理屈で人当たりのいい軽量級の河村を充てたのだが、この型破り人事も災いした。
漢字誤読の導火線になったのが航空幕僚長解任劇だった。首相があの時期、国会で「村山談話(踏襲)」について答弁せざるを得なかったのも、元はといえば空幕長問題が突発したからだ。
十月三十一日、ホテル経営やマンション開発を手がけるアパグループが懸賞論文の選考結果を報道各社に通知、「我が国は侵略国家ではない」と主張する空幕長・田母神俊雄の作品が最優秀賞に選ばれたことが露見。浜田靖一防衛相は政府方針に違背するとして、同日付で空幕長を解任、十一月三日付で定年退職とした。
軍事史をめぐる田母神の論述は考証家によって簡単に否定されてしまう俗説の受け売りだが、国防意識の高揚を訴えた論文自体を規律違反と見なして懲戒免職に持ち込むことは難しい。とまれ、事務次官以下が軒並み処分され、防衛相が給与の一部を自主返納して恐縮する中、当の本人は退職金六千万円もらって定年退職ではマンガではないか・・。
当然の疑問から河村官房長官は懲戒処分を探った。が、自衛隊の最高指揮官である首相は防衛省に任せるという姿勢であり、防衛相と事務次官、人事教育局長が定年退職で押し切った。内閣人事に詳しい関係者の一人は「まず諭旨免職、従わなければ懲戒免職というのが筋。定年退職では政府の意思が伝わらない」と話す。
~波乱含み~
「復権」はもはや望むべくもない
実は、田母神は、福田政権下の今春、東大の五月祭で講演していた。この時は石破茂防衛相が事前に原稿をチェックした。田母神は空自イラク派遣を違憲と認定した名古屋高裁判決を聞き「そんなの関係ねえ」と口走った要注意人物。五月祭での講演を察知した二橋官房副長官が反対し、首相官邸がしかるべく制御した。いまの官邸にはその力がない。
奥島貞雄は一九五四年、吉田茂の自由党本部に就職し、翌年の保守合同で自由民主党職員になった。半世紀を顧みてベストの幹事長は田中角栄、ワーストは小沢一郎と断じてはばからない。
奥島によれば「行動、発言に人間性を兼ね備えた、まさに政治家と呼べる政治家」は池田勇人、保利茂、大平正芳らであり、真に首相の器量を備えた首相の最後は宮澤喜一。首相にはなれなかったが、渡辺美智雄までは大器の総裁候補だったといえる。
以後は時代を下るほど人物が小さくなり、先の総裁選でいよいよ底が抜けた。底抜け総裁選で選ばれた麻生も失速し、拠り所を失った政治家たちの動揺が続く。もはや政局の焦点は解散ではなく、麻生体制崩壊のタイミングだ。麻生の復権は望むべくもなく、解散権は事実上封じられた。
与党は国会を延長してインド洋給油延長法案と金融機能強化法案の再議決を目指すが、大量造反が出て政界再編に向かう可能性もある。自民党史はとうとう最後の最後にさしかかった。
Sorry, the comment form is closed at this time.