*天木直人氏のコラムより

「日本の環境問題もまた政府の無策から来ているに違いない」

昨今の日本の諸問題は、つまるところすべて政府の無策、失策から来ている。私はそう思っている。

例をあげるまでもないだろう。解決不能が明らかになったのにいまだ無駄な作業を繰り返している年金問題はその最たるものである。しかしそれだけではない。

例えばひと頃大騒ぎした耐震偽装事件。あの問題の本質は、建設省が天下り機関に耐震構造審査をマル投げし、おまけに自らつくった耐震構造審査のソフトに偽装し易い欠陥があったために偽装を助長したのだ。その責任を糊塗すべく、事件後に慌てて審査基準を厳しくしたため、今度は建築不況を招いてしまった。官製不況だ。建築業界は悲鳴を上げている。

薬害しかり、冤罪しかり、医師不足問題、限界集落問題などなど、枚挙にいとまがない。もっといえばここまで日本の財政赤字が膨らんだのも、日本の安全保障が米国の手に握られて身動きが取れなくなったのも、すべては与党政治家、官僚の馴れ合いによる無策、失策の積み重ねの結果ではないのか。

そう思っていたら、日本の環境問題さえも政府の環境政策の失政がもたらしたものである事を知った。そう教えてくれているのが中部大学教授の武田邦彦氏だ。

旭化成のサラリーマンからリサイクル研究者を経て大学教授(資源材料工学)となった彼は、17日の朝日新聞「耕論」のなかで、こう言っている。

「・・・この世界(製紙業界)は元々リサイクルがうまくいっていた。ちり紙交換で回収し、製紙会社が混ぜて作り、バランスのいいリサイクルができていた。ところが政府が調達するコピー紙は配合率100%、印刷用紙は70%でないと買わないといっておかしくなった。100%は技術的に難しいのに、そうでないと買ってもらえずごまかしが起きた・・・」

極めつきは、その武田教授が文藝春秋3月号で書いている「京都議定書は日本外交の完全な敗北である」という記事である。私は大きくうなずいた。




彼は言う。地球温暖化問題の発端となった1997年の京都議定書は、米、EC,開発途上国の間の熾烈な国際ゲームの産物であった。そしてそのゲームの最大の敗者は、もっとも環境問題に努力してきた日本であると。

その理由はこうだ。そもそも京都議定書づくりは、あまたある環境対策のうち、地球温暖化ガス削減の数値目標に交渉の焦点が絞られた産物である。その時点で各国の壮烈な利害争いが始まった。

経済成長と温暖化ガス排出量は比例関係にある。新興発展途上国陣営から、「先進国が原因で起きた環境問題になぜ発展途上国の発展が制約されるのか」という猛反発が当然のごとく起きた。その結果排出量削減義務は先進国のみに課されることになった。

もともと削減目標など達成する気のない米国はいち早く抜け、EUは削減義務の基準年を自らに都合のいい90年とすることに成功して切り抜けた。90年までの欧州は、旧東欧圏の統合もあり、省エネレベルは悪かった。それが90年代にエネルギー効率が急速に改善された。だから90年度が基準年にされた時点で、削減義務の目標数値はかなり達成できることになったのである。

ところが既に80年代から省エネを進めていた日本は、そうはいかない。それ以上大幅な改善をすることは容易ではない。実際日本は6%の削減目標達成どころか16%も増加させている。このままでは削減目標達成は不可能だ。

そこで登場するのが排出権取引という緩和措置である。つまり削減達成が困難な国は排出量に余裕のある国から未達成分を購入すればいいという事になった。かくして日本は排出量市場における最大のカモとされることになった。

はやくから省エネに取り組み、環境改善技術も進んでいる日本こそ、公正、公平で効果的な国際的枠組みづくりに指導力を発揮できる国であった。それなのに日本外交の失敗は米国、EC,途上国の利害争いの枠外に置かれっぱなしであった。それに加えて外務省、通産省、環境庁が本会議場で内輪もめする醜態を演じたりしていた。その結果日本だけが不当に大きな負担を背負い込まされる事になったのだ。

武田教授は言う。自分たちに有利な条約を結んで削減義務を負おうとしないEUや、京都議定書の批准を拒んだ米国にくらべ、最後の一国になっても排出量削減にまじめに取り組み、削減できない分については世界中から排出権を買い集めている日本のほうがよっぽど誠実である。

それにもかかわらず日本ほど温暖化問題で評判の悪い国はない。「口ではあたかも京都議定書を守ろうとしているが、継続的な経済成長政策をとっている」、「議定書を守ると表明する一方で、世界から排出権を買って済ませようとしている」などと批判される。おまけにポスト京都のあらたな削減目標をめぐって、数値目標の設定自体に反対した日本は各国から強い批判を浴びた。

これが失政でなくて、なんと言うのか。今からでも遅くない。洞爺湖サミットこそ、日本が不名誉な批判を挽回すべきチャンスだと武田教授は言う。

しかし官僚の上に乗っただけの福田首相には世界を説得させる環境外交は到底望めそうもない。サミット成功のためにも福田首相はサミット前に誰かに替わってもらったほうがいいかもしれない、そういう声が、政局がらみではなく、環境外交を重視する人たちから出てくるかもしれない。

<参考資料>  WIKIPEDIAより

武田 邦彦 (たけだ くにひこ、1943年6月3日 – ) は東京都出身の工学者。

中部大学総合工学研究所教授。工学博士。専門は資源材料工学。分離工学の第一人者で、物理化学的手法を用いた原子力、材料、環境などの研究をしている。

また、工学教育に関する研究も行っており、平成11年日本工学教育協会工学教育賞(倫理)、平成15年日本工学教育協会論文・論説賞(創成科目)を受賞。

文章を書くことが好きで、公式ホームページ[1]では専門である科学分野だけでなく、歴史、倫理など多岐に渡る分野のエッセイを執筆している。

(研究内容)

「たかじんのそこまで言って委員会」(ytv)2007年3月25日放送分において著書『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)[2]を元に、リサイクル・ダイオキシン・地球温暖化に対する一般常識を覆す自身の研究成果(基本的に、ダイオキシンや地球温暖化は一般の論文やIPCCのデータに基づいて考察されている)を展開し一躍注目を浴び、出演後、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』と続編は併せて50万部を売り上げるベストセラーとなった。

(学  歴)

1962年 都立西高等学校卒業

1966年 東京大学教養学部基礎科学科卒業

(職  歴)

1966年 旭化成工業(現・旭化成)入社

1986年 旭化成工業ウラン濃縮研究所長

1993年 芝浦工業大学工学部教授

評議員、学長事務代理、大学改革本部長代理、教務委員長を歴任

2002年 名古屋大学大学院教授(工学研究科マテリアル理工学専攻)

2007年 中部大学総合工学研究所教授、副所長(大学院 工学研究科 機械工学専攻)

(私のコメント)

地方政治に携わるものの一人として本当に寂しい話だが、地方分権という掛け声とは、裏腹にほとんど、行政サービスの八割強を地方が行っているにもかかわらず、日本の政治の根本は、残念ながら、国政において決められているのが、実情である。

ということは、国の政策がしっかりしていないと地方も良くなることがなかなかできないということを意味している:地方を良くするためには国の政策とマスコミの歪曲報道をしっかり見ていく必要があることもまた、意味している。

行政の仕組みの大枠はすべて国が決めているのである。介護保険や、年金、後期高齢者医療制度、放課後児童プラン、上下水道、図書館、公園、etc、すべてを国が決めているのである。はっきり、言えば、残されているのは、現場の裁量権とその地方自治体にどれだけの財政余力があるか、ごく稀にユニークな人材が独創的な発想をするか(しかし、このケースはよく考えるとゼロサムゲームにおける勝利に過ぎない場合が多い、取りあえず勝てばいいのかもしれないが、)だ。これが今日の自治体間格差という行政サービスの差を産んでいるのである。

しかし、「限界集落」というような地方切り捨てを市場至上主義に毒された構造改革論者が、仕方がないような、許容するような話を時々、メディアで言っているが、 「公(おおやけ」は社会全体のことを考えるのが務めなのだから、そのような怠惰な考えが許されるはずはない。

地方あっての中央、中央あっての地方、持ちつ、持たれつの関係を正確に認識することが必要である。たとえば、柏崎の原発事故があったときに東京都の電力が不足してしまうかもしれないというような話があった。地方が原発を受け入れたおかげでそこで、つくられている電力で東京都民は暮らしているのである。治山、治水の観点から見ても全く同じである。その意味で今日、大都市に住む住人は少し、傲慢になっていると言えるのではないか。そう言えば、日本には東京にしかマスコミがないと言っても過言ではない状況である。そう言った状況が世間の人々の認識をおかしくしているのだろう。

日本という国の不思議なところは、1985年プラザ合意以降、結果的に米国の方ばかり見て日本政府が政策をすべて行ってきたにもかかわらず、20年経った今も、世界一の債権国で、また、あらゆる手段で、「日本を封じ込めよう」と諸外国にされ続けたにもかかわらず、おそらく、世界一の付加価値を持つ工業製品をいまだに作り続けていることである。また、政治家やマスコミがこれほどいい加減なことを言って国を経営しても、いまだにしっかりとした経済国であり、やがて、ジャパネスクの時代がまた、来ようとしているのも本当に不可思議である。(このことに気がついていない日本人が多いが、)

逆に考えれば、こんなに苛められても自殺者が年、三万五千人しかいないというのも、神戸の震災の時に被災者があまりに物静かだったので外国のメディアが吃驚していたが、いかに国民が我慢強いか(もしかすると鈍感力が有りすぎる?)ということかもしれない。

ここに書かれている環境問題もほんとうに嘘が多い話である。たしか、新年の番組でジャーナリストの筑紫哲也氏が「日本は京都議定書を守ろうとしていないから、けしからん!」などと訳のわからないことをテレビで言っていた。国際政治の舞台裏を全く知らない市会議員が「市は京都議定書の6%削減について市としてどういう対応を考えているのか、また、しようとしているのか?」などという知ったかぶりの質問をしているのはご愛敬かもしれないが、おそらく、すべてを知っている筑紫哲也氏がそのようなことを真顔でテレビというメディアで言っているのは、国益を考える同じ日本人としては許し難いことである。

とにかく、日本が世界一のエネルギー効率の国だということを国民は知り、誇りにすべきである。そして、その技術を支える理科系の黙々と働く人々を尊敬すべきである。

*(Key World Energy Statistics 2006より)

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