今回はレポートでは、ありません。過激な言葉の使い方を嫌悪する方もいるかもしれませんが、日本民族を愛する作家の思いが伝わってきます。日本という国も、住んでいる私たち日本人も知らないうちに大変な状況に現在、置かれております。

昨年亡くなった作家の日本人への遺言のような魂の叫びです。

                                    

(*林 秀彦「日本人はこうして奴隷になった」より)

<林 秀彦(はやし ひでひこ)プロフィール>

(1934年9月26日 – 2010年11月19日生まれ)日本の脚本家、作家

1934年、東京府に生まれる。学習院高等科を卒業後ドイツのザール大学、フランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻する。松山善三に師事し、映画やテレビの脚本を執筆。 

3度結婚しており、最初の妻との間の子は作曲家の林魏堂、1974年には女優の冨士真奈美と結婚し、一児(岩崎リズ)を儲けるも1984年に離婚。1988年から2005年までオーストラリアに移住、帰国後は大分県九重町に暮らしていた]。また、祖母にドラマ「おはなはん」のモデルとなった「林はな」がいる。

2010年11月19日、肺炎の為に福岡県久留米市の病院にて死去

 

「人間としての日本人を探そう」

 

人間としての日本人を探そう。

私たち日本人は、自分たちを人間として意識したことがない。

その意味で実に珍種の民族だ。

人間であることを考えずに今までやってこられた。

そんな人間種は、私たち民族だけだった。

しかし、限界に達している。

もはやそれだけではやっていけない。

なぜなら、地球上のすべての人間が、

絶滅の危機に瀕しているのだから。

今まで人間だと思っていた人間も、

人間でなくなってしまいつつある。

なぜなら~~

人間とは何か?

人間とは~~

より人間らしくなる人間のことだから。

人間とは何か?

進歩の現在進行形こそ人間である。

より高度な人間性を求める過程こそ人間だ。

何が、どう、高度なのだ?

無論そこに物質的レベルを加えてもいい。

人間とは贅沢で、安逸を求める動物なのだから。

民度、という言葉の中に、経済要素を加えるのもいい。

昨日まで大八車を引いた人間が、

今日ベンツのトラックを運転するのも人間だ。

しかし、それだけではない。

無論それだけではない。

そんなことは誰だってわかってる。

じゃ、それ以上の高い要素とは何か?

論理だ、倫理だ、見識だ、

愛する能力だ、哀れみのこころだ、

寛容であり、自己犠牲の精神であり、勇気だ。

神と野獣のジレンマの克服だ。

つまり哲学だ。

知への限りない愛と追求だ。

本当は誰にもできることだ。

本当は誰にもわかることだ。

すべては明々白々なのだ。

ただ考えればいいのだ。ほんのちょっとだけ。

俺たちは人間なんだろうか~って。

君は知ろうとしないだけなのだ。

君は考えていないだけなのだ。

君は今まで一度として、

自分が人間なんだろうか、と

考えたことがない。

少しでも時間をかけ、考えれば、

たいていの人なら、日本人なら、わかることだ。

映画や小説を愛し、

美空ひばりとフランク・シナトラを愛し、

最低三年外国で暮らし、

異国人、異民族をも愛せれば、

誰にもわかることなのだ。

人間としての日本人を探そう。

少なくとも二カ国語の外国語を習得し、

剣道とトランペットを習得し、

古事記と聖書を熟読し、

世界史と日本史に精通し、

プラトンと三浦梅園を読み、

司馬遼太郎とジェフリー・ディーヴァーを読み、

モツアルトと高橋竹山に聞き惚れ、

落語とゴスペルを愛し、

ゴッホと大観を愛し、

シャーロック・ホームズと銭形平次のファンになり、

将棋とチェスに通じ、ポーカーと麻雀に強く、

苔寺に散策し、ベルサイユに遊べば、

誰にもわかることなのだ。

人間としての日本人を探そう。

至極簡単なことだ。

誰でも知っていることだ、

人類が滅びつつあるとき、

われわれしか人類を救う民族がいないことを。

それなのに~、

真っ先に滅亡するのが、

日本民族であることを~~。

ただ君が考えていないだけなのだ。

そう、本当は誰にもわかることだ。

考えさえすれば~~。

誰も相対性原理の話などしているわけではない。

至極当たり前の日常の話だ。

どこにでも正確なデーターが転がっていることだ。

日本の教育と世界の教育を比較してみればいい。

日本の政治家と世界の政治家を比較してみればいい。

日本の外務省と世界の外務省を比較してみればいい。

ブッシュを観察し、プーチンを観察し、

アラブの民に思いを馳せ、ユダヤの民に思いを馳せ、

七秒間に一人の割で餓死している世界の子供たちと、

登校拒否してゲームに現を抜かす子供たちを比較し、

明治の教育勅語を精読し、

アメリカの独立宣言を読み、

フランス革命史を読み、

朝日新聞の記事とフランクフルト・アルゲマイネの記事を比較し、

外食をやめ、我が子と一時間の会話をし、

朝は味噌汁を飲み、ローソンを無視し、

蕪村の死を読み、イヴ・モンタンのシャンソンを歌い、

痩せることを恐れず、太ることを恐れず、

同胞のしまりのないアホ面を観察すればすむことだ。

人間としての日本人を探そう。

なぜ隣国にごめんなさいを言い続けるのか、

なぜ日本の財産が失われていくのか、

なぜ日本の全株式の半分以上をガイジンがもっているのか、

なぜ醜いオバンがルィ・ヴィトンを持つのか、

なぜスポーツ選手や将棋指しまでが髪を染めるのか、

なぜ子どもたちが日本の童謡を歌わなくなったのか、

なぜ「なぜ」という新鮮な驚きをなくしてしまったのか、

その解答と対策は誰にでもわかることだ。

直感力を働かせ、人間を心から愛し、

すこしでも時間をかけて考えれば、

誰にでもわかることだ。

人類が滅びつつあるとき、

日本民族がいかにすばらしかったか、

われわれしか人類を救えなかったのだという慚愧の思いが、

誰にでもわかることだ。

しかし、わかっただけでは仕方がない。

キミはどんな行動をとればいいのか。

人間としての日本人を探そう。

神棚を祭り、祝祭日には日の丸を掲げ、

緑なす黒髪を取り戻し、

等身大の自分を見つめ、

拝金主義の我利我利亡者を軽蔑し、

日教組を撲滅し、一生が勉強であることを知り、

謙虚に自然を見つめ、直感力を養い、

自己顕示を卑しみ、老人をいたわり、先輩を立て、

親に感謝し、先祖を尊び、

美しく正しい日本語を取り戻し、世界に目を向け、

付和雷同を避け、己自身の見識を獲得し、

9.11のアメリカ政府の発表はすべて嘘だと知れば、

誰にでもわかることなのだ。

人間としての日本人を探そう。

もっとも危険なこと、もっとも忌むべきことを教えよう。

それはあらゆる種類のステレオタイプ思考だ。

情報の鵜呑み~、

鵜呑みこそ断じてしてはならないことだ。

たとえば、アメリカ人はこうだ、中国人はこうだ、と、

同じ人間を特定の枠に入れてはならない。

人間の違いは知性の高さと低さ、

それしかないことを肝に銘じよう。

国籍ではない、肌の色の違いではない、

脳味噌の中と、心の中だ。

人間を信じる以外に人間の道はない。

当たり前の話だ。

人間の味方は人間しかない。

人間を助けるのは人間しかない。

人間は人間がいてはじめて人間になる。

問題は人間でない人間が増えている。

戦争をする人間だ。

アメリカは今一分間に百万ドル、一億円の軍事費を使っている。

もう一度言おう。

一分ごとに一億円が軍事費で消える。

そのため、アメリカの教育関連予算は

連邦予算の八パーセントに過ぎない。

これは人間のすることではない。

しかし、だからといってアメリカ人全体が

人間でなくなっているわけではない。

ハリウッドはユダヤ・イルミナティの巣窟だ。

だからといって、

ジャージ・クルーニーが人間でないわけではない。

今とっさに頭に浮かぶだけでも、

次の映画を制作したアメリカ人や、

あるいはそれに協力したニグロイド、モゴロイド、コーカサイドはみな人間だ。

アタランダムに~、

「クラッシュ」「ナイロビの蜂」「ワーグ・ザ・ドッグ」「グッドナイト&グッドラック」

「ネットワーク」「JFK」「アミスタッド」「911ボーイングを捜せ」

「ダーウィンの悪夢」「ザ・コーポレーション」

どうせ日本民族などどこの馬の骨ともわからぬ民族で、失って惜しいものなどない~

のだと言う人がいる。

美しい日本語が失われたなどと言うのもチャンチャラおかしい言い草で、そもそも

たいした言語体系を持っていたわけでもないと言う人もいる。

それなりの学者がいっているのだ。

そうであったらどれほどいいことだろう。

このまま行けば、あと百年から二百年の間に、日本は中国の属国になるに違いない。

また、そうなるべきだとも思う。

どうせ世界は壊滅するし、その直前の数世紀は、コーカソイドとモゴロイドが天下分け目の戦いを起こすことは間違いない。この一切合財を失い、性根の腐りきった大和民族が、そんな時代に自主独立を果たせるわけがない。地政学的に言っても、歴史的に言っても、我々は東洋の一国、中国文明圏の一翼だった。

白人の奴隷となり、これ以上の恥辱を味わうよりも同じ黄色人種の驥尾に付し、ハエとなって百里の道でも進んだほうがましである。

私は異国で実験してみたが、白人と交わるよりも、中国人と(そのほとんどは華僑であったにせよ)交わるほうが、気分がいいし、意志の疎通もはかれ、且つスムーズである。

たぶん、トクヴィルの世界制覇の予言は、ロシアがその一翼であることは正しくとも、もうひとつの国がアメリカという点だけは間違っていたと思われる。すでにかの国には往年の力はない。崩壊は時間の問題だ。後に残るのはロシアと中国になるのはあまりに明白だ。

もっと厳密に言えば、スラブを含むロシア・コーカソイドのユダヤ勢力と、華僑を中心とした中国文明との戦いで、人類最後の決着がつくに違いない。

それ以外のどんな可能性があるというのだ?

絶対にない。そのとき、政治的イデオロギーは何の意味も持たないはずだ。

結局は人種の決着になる。アフリカを中心としたネグロイドがその間に一枚噛むとは、

残念ながら考えられない。彼らはあまりに出遅れた。

だが、いずれにせよ勝利は一瞬のものに終わるだろう。

その後に、たとえエイリアンの時代が訪れようと、それはまともに論じる人類の歴史とはならない。

歴史はすでにそのように動いている。

見ることのできる人間だけが見ている。

そこでわれわれにたった一つの選択肢が残されている。

戦うか、戦わずにこの必然の運命を受け入れるか。

私は戦うことを皆さんに勧める。

蟷螂の斧であろうとも、わたしたちの子孫は戦い、

破れ、そしてひれ伏そう。

まだ、時間はある。この残り少ない時間を使って、

どうしてもこれだけは残しておきたいものを探し出そう。

日本の、日本人の。

これだけは死守すべきものとは一体何と何なのか、考えてみよう。

当然それは¥ではない。

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