12月 272011
地元紙「東愛知新聞」に寄稿した原稿です。
~甦れ 首都機能移転~
橋下 徹氏が率いる「大阪維新の会」がダブル選挙(大阪府知事、大阪市長選)を圧勝した。そこで、「大阪都構想」の現在における意味について考えてみた。現在、収束の道筋が見えない福島原発事故により東京の首都機能が危機に晒されたままになっている。そのため、郷土の大先輩である村田敬次郎先生が熱心だった「首都機能移転」=「二十一世紀のグランドデザイン」を再び真剣に考えるべき時を迎えている。その意味で「大阪都構想」、「中京都構想」に今こそ注目すべきである。
「3・11」以降、東京を絶対視するような考え方が揺らぎ始めている今こそ、この地域の発信力が問われている。 まさに新しい時代を切り拓くチャンスである。
それでは、大阪、名古屋などへの首都機能移転を考える必要があるのか。
(1)東京というメガロポリスを支える福島や茨城というインフラが311原発事故でかなりの部分破壊されてしまっている。つまり、福島などの東北地方は、東京が経済活動するためにエネルギー(電力・石油精製)および食糧を供給する重要なインフラとしての役割を果たしていたのだが、そのインフラが放射能で汚染され、機能不全に陥っている。(実際に政府は福島原発を使い済み核燃料の「中間処理場」にしたいという提案をしている。)
それでは、福島や茨城といったインフラの代替を、静岡県が果たせるかというとそんな代替は効かないし、浜岡原発がある。
そうであるなら、西日本全域、大阪、一時期、日本の歴史を動かした中京圏全域、名古屋という新たなメガロポリスを、日本を支えるインフラへと改変・改造する方がはるかに現実的である。
(2)東京は、事故が終息していない福島原発に近いので、これから徐々に、海外から東京は忌避されることになる。
阪神大震災のとき、神戸港から港湾物流機能がアジア(台湾や上海)に「一時的に」移ると思われたが、一時的ではなく、行ったきりで帰ってくることはなかった。アジアの港湾物流は、神戸港を経由しなくなってしまったのである。
これと同様に、成田空港を経由したら被爆すると外国人は考えるので、国際線は成田空港を中抜きの可能性も出てきている。横浜港も同様。そうなる前に日本のプレゼンスを維持すべく、最初から関西・中部をトランジット先にしてもらえばよい。「京都という日本ブランド」を支える都市も近隣にあるので、外国人は再び大阪・京都・名古屋なら訪問してくれるはずである。
(3)東海大地震のことばかり言われているが、地震の周期から考えて、やがて東京直下型地震襲ってくる危険性も高い。
それまでに首都機能を分散移転しておかないと、「大東京」が機能停止することで日本が壊滅的打撃を受ける心配もある。
311以後の新しい時代を創るためには「首都機能」を移す必要がある
日本の歴史は飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、そして江戸時代と、すべて首都機能の所在地で時代名が呼ばれている特色を持つ。
首都機能が移転すれば、時代が新しくなり、首都機能が移転しない限り時代も新しくならなかったのが日本の歴史とも言えよう。
平安時代は約400年続いたが、その末期には社会の実態と諸制度とがかけ離れたものとなり、治安も経済も悪化したために何度も改革が試みられたが、一向に成果を上げることができなかった。
来年、大河ドラマに登場する平清盛のような革新的な独裁者の力を以てしても、京に巣喰う公家や寺社の既得権に阻まれて改革は頓挫している。晩年、清盛もこれに気が付き、福原遷都(兵庫県)を考えるが、実行前に清盛は無念の死を遂げている。
そして、源頼朝が首都機能を鎌倉に移転すると、たちまちにして武家政治と地方分権が定着、時代は一新された。頼朝は、朝廷はじめ文化や経済の機能は京都に残して、国家の政治行政の機能のみを鎌倉に移したという点にも注目すべきである。
しかし、その鎌倉も120年後には行き詰まり、度重なる地震で大被害を出すようになり、足利幕府に政権が移り、首都機能も京都に移動した。そして室町時代も100年後には行き詰まり、内戦と災害が続くようになる。室町末期の十六世紀中頃には、三好長慶や松永久秀など改革を試みる者もいたが、すべて寺社や地侍の既得権益に阻まれた。 これを変えることに成功したのは、首都機能を安土に移した織田信長、大坂に置いた豊臣秀吉、そして江戸に変えた徳川家康と言ったわが郷土の英雄たちであった。
ところで、橋下氏は大阪市長への当選後は大阪市を解体して大阪都に移行すると宣言している。いったい何故このような政策を橋下氏は実行しようとしているのだろうか?
大阪都の意義は、政令指定都市の大阪市・堺市と大阪府の二重行政の弊害を取り除くことにあるとされている。全くその通りだが、同様の二重行政の弊害は京都や神戸などの政令指定都市でも発生している。
おそらく、大阪の弊害が特に問題になっているのは、首都機能の一部を大阪に移転させるに当たって、首都機能の管轄者が知事と市長の二人であるという状況は好ましくないという考え方が根底にあるためだと思われる。
同様に名古屋でも中京都構想があり、名古屋にも首都機能の一部が移転されることが望ましいことは言うまでもない。
ところで、わが愛知であるが、これからの愛知県の将来は、名古屋大都市圏と周辺地域の整合性ある発展をどう図っていくかにかかっている。
評論家の増田悦佐氏は、世界の大都市圏の経済規模という大変興味深い指標を独自に作成しているが、それによれば、世界の六大都市圏の中に、日本の大都市圏が三つも入っている。
ダントツの一位は、東京圏、二位は、ニューヨーク圏、三位は、大阪圏、四位は、ロサンゼルス圏、五位は、ロンドン圏、そして六位が、わが名古屋圏である。また、世界一の日本のエネルギー効率は、大都市圏における人口集中と自動車に過度に依存しない鉄道網を構築してきたことにあるという彼の主張には耳を傾けるべきものがある。
その意味で「中京都」構想も、いわゆる「国土の均衡ある発展」を目指す余裕のあった時代が終わっている現在、少子高齢化社会:人口減少社会を迎えた日本にとって、時代にあった施策である。
たとえば、シンガポールのような人口470万人の都市国家の一人当たりGDPが、日本を遙かに上回っている事実を考えても、日本の真ん中である名古屋大都市圏の今後の政策展開(日本の国富が海外ではなく、国内に向かっていく経済環境づくり)が日本の将来を左右することになる。
いずれにしても郷土の大先輩である村田敬次郎先生が唱えていた「首都機能移転」が思わぬ形で動き出すかもしれない。
そう言った意味でこの地域の発信力が問われている。
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