m.yamamoto

AI(人工知能)が新聞記事を書く時代

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1月 192017

AI(人工知能)が新聞記事を書く時代が来ています。

昨年、AP通信社が、米国マイナーリーグの試合記事を、これからは人工知能に任せると発表しました。メジャーリーグには、トリプルAからシングルAまで膨大なチームがあり、人間では全試合はカバーしきれないため、試合記録データを元に記事を自動生成することにしたという内容です。また、同社は20147月から、四半期ごとに発表される企業業績の記事作成に「ワードスミス」を使用し、「人工知能ジャーナリズムの実験を始めています。AP通信がワードスミスを導入して以来、これまでの四半期で平均300記事にとどまっていた企業業績の記事が4300記事にまで増え、人間より14倍多くの記事を書くことに成功したということです。記事一件の作成に要する時間はわずか12秒、作成可能な記事量に制限もないということですから、驚きです。AP通信副社長ルー・フェラーラ氏は、「ワードスミスのおかげで、ほぼすべての企業の業績を扱うことができるようになり、私たちのニュースの提供を受ける各地域の報道機関の満足度が高まりました。~(中略)~現在はスポーツの記事作成にもワードスミスを導入しています。」と、語っています。日本でも昨年、中部経済新聞社が、創刊70周年記念企画として、111日付の中部経済新聞にAI記者による新聞記事を掲載しました。現在、日本語での記事作成の完全自動化は、日本語の自然言語処理の難易度の高さからまだ、普及していませんが、もしかすると調査報道以外の発表報道は、いわゆるロボット記者が担当する日も近いのかもしれません。また、年末には、日本将棋連盟の谷川浩司会長が辞任する騒ぎまでに発展した将棋ファンを失望させるソフト不正使用疑惑がありました。このように現在、飛躍的なAIの進化は、各界に波紋を拡げています。一方で、将棋界の天才、羽生善治氏は、「データを駆使した体系的なセオリーとか、積み上げられた知識による選択と、人間の感覚的な選択の両輪を使っていくのが良いということです。人間とAIの違いは、創造的なことをどれだけするかです。もちろん、AIも創造的なことができるようになっていますが、人間の創造力にはまだ及ばないと思います。」と、正直に語っています。しかしながら、<スーパー左脳>である人工知能が社会の左脳化を促すと、人間社会のバランスが大きく崩れていくことになりかねません。その意味で、これからの地方メディアには、この地域の課題をより深く掘り起こす感性と、課題解決に向けて地域全体を巻き込んだ取り組み提案を行う等の地域再生の一端を担っていく志によって社会のバランスをはかっていくことが求められています。

 ところで、角田忠信博士が「日本語人の脳」(言叢社)という本のなかで展開した1970年代に一世を風靡した角田理論が復活していることをご存じでしょうか。「日本人と西洋人とでは、脳の使い方に違いがあるという。すなわち、日本人の場合は、虫やある種の楽器(篠 笛などの和楽器)などの非言語音は言語脳たる左半球で処理される。もしそれが事実とするならば、欧米人が虫や楽器の音を 単なる音として捕らえるのに対して、日本人はその一部を言葉的に捕らえる、つまり意味を感じていると考えることができる。」

 もし、そうなら、日本人が日本語脳の特性に目覚めて借り物でない自分の頭で考え抜く時にはじめて、その独創性が発揮され、私たち一人一人が生活する地方の再生を通じて世界に貢献できるモデルを提供できるのではないでしょうか。

*東愛知新聞に投稿したものです。

健康立国と地方再生

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1月 112017

中島みゆきさんの名曲に「命のリレー」という歌があります。その中に印象的な一節があります。「この一生だけでは辿り着けないとしても、命のバトン掴(つか)んで願いを引き継いでゆけ」と、いうものです。命を引き継いでいくのに一番大切なものは、言うまでもなく私たち一人一人の健康です。

ところで昨年、政府が第四次産業革命を目指して発表した「日本再興戦略2016」のなかで、<世界最先端の健康立国>を高々とその目標に掲げていることをご存じでしょうか。官民戦略プロジェクト10として1.4次産業革命(IoT・ビッグデータ・人工知能)、2.世界最先端の健康立国へ3.環境・エネルギー制約の克服と投資拡大、4.スポーツの成長産業化、5.既存住宅流通・リフォーム市場の活性化、6.サービス産業の生産性向上、7.中堅・中小企業・小規模事業者の革新、8.攻めの農林水産業の展開と輸出力の強化、9.観光立国、10.官民連携による消費マインドの喚起策等が取り上げられていますが、日本における第四次産業革命の本命は、日本の健康問題を今までにないイノベーションで根本的に立て直し、大きく進化させることではないでしょうか。現在、租税負担率と社会保障負担率を合計した国民負担率は、昭和45年の24.3%が平成28年には43.9%、財政赤字を加えた国民負担率は50%を超えています。もし、国民一人一人の健康をイノベーションで大幅に増進させることができれば、国民負担率を大幅に減らすことができます。そのためには、私たちのライフスタイルや政府との関係、社会保障、社会インフラ、そして産業や職場まで根本的に変える必要が出てきます。つまり、日本の足元からのイノベーションを、健康を通じて行うことができるわけです。こうした健康イノベーションが日本で起きれば、グローバリズムによる利益追求が行き詰まりを見せている現在の世界に向かって健康で持続可能性のあるライフスタイルの新しいモデルを提供することにも繋がっていきます。もちろん、健康イノベーションは現在、山積する社会問題を解決する方向で進めなければならないことは言うまでもありません。そこで、目指すべきは、ストレスのない職場、病気にならない生活、安心できる社会インフラの三つでしょう。強制捜査まで入った電通の過労死問題に象徴されるように多くの疾病や不調は、職場のストレスが生んでいます。21世紀にふさわしい経営革命、働き方革命を起こせば、職場のストレスを大幅に減らすこともができるでしょう。一番大事なのは、あらゆる分野の情報やイノベーションを通じて確立された病気にならない生活の知恵を国民全体で共有し、実践していくことでしょう。ここで問題になってくることは、「今だけ、自分だけ、お金だけ」の20世紀的な価値観を乗り越えることができるか、どうかです。そのためには、私たち人類の長い歴史には競争原理だけではなく、共生原理も太古から厳然と存在していたことを思い出す必要があるのかもしれません。また、安心・安全な衣食住空間を可能にする社会インフラが健康増進には欠かせないことは言うまでもありません。資源、エネルギー、交通、通信、教育、職場、住宅などあらゆる社会インフラを健康増進の目的に向けて再構築していく必要もあります。

これから、地方にはヘルスケア分野のエコシステム作り、食、農、観光、地域特性に根ざしたスポーツなどの地域資源等を利用した複合型の産業育成が求められてきます。医療ツーリズム、ホスピス活動等はこの地域でも数年前から関心が持たれてきました。その意味でドイツの統合型リゾート構想であるバーデン・バーデンを越えるものが東三河から生まれても不思議ではありません。いずれしろ、人間にとって一番大切なことは、命のリレーです。

*東愛知新聞に投稿したものです。

地方分権と消費税について考える

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1月 112017

ご存じのように、財務省は消費税の社会保障目的税化にまい進しています。

財務省のホームページには、次のような説明が掲載されています。 

「今後、少子高齢化により、現役世代が急なスピードで減っていく一方で、高齢者は増えていきます。社会保険料など、現役世代の負担が既に年々高まりつつある中で、社会保障財源のために所得税や法人税の引上げを行えば、一層現役世代に負担が集中することとなります。特定の者に負担が集中せず、高齢者を含めて国民全体で広く負担する消費税が、高齢化社会における社会保障の財源にふさわしいと考えられます。」 

その裏には、どのような意図が隠されているのでしょうか。それには消費税について基本的なことを考えてみる必要があります。消費税は1954年にフランス大蔵省の官僚モーリス・ローレが考案した間接税の一種です。消費税を定義すると次のようになります。「消費税は、財貨・サービスの取引により生ずる付加価値に着目して課税する仕組みであることから、欧米では、VATValue Added Tax/付加価値税、もしくは、GSTGoods and Services Tax/物品税と呼ばれる。」

サービスの対価として課せられる「応能税」的な性格を持つ消費税は、細かなところまで住民へのサービスが行える地方に納められ、地方の財源にするのが、海外では常識となっています。(日本でも1.7%が地方消費税となっています。)つまり、市民に対して基礎的なサービスを提供しているのは、地方なので、地方税にするのが合理的だという考えが根底にあるわけです。ところで、本当に地方分権を実現するには、1520兆円程の国から地方への財源委譲が必要だと試算されています。これほどの巨額の財源委譲を可能にするものは、消費税以外には考えられません。つまり、真の地方分権を実現するためには、地方自冶体の基幹税として消費税を国から地方へ財源委譲すべきだということになります。しかしながら、民主党政権から自民党政権に変わっても消費税の社会保障目的税化が財務省主導で着々と進んでいます。たしかにそうすることによって、将来税率を上げるときに社会保障の財源が足りないことを理由にできるので税率を引き上げやすいということ、何よりも消費税を国税として固定できるという財務省にとっては大きなメリットがあります。

 現在、日本の税金は、個人所得・法人所得・消費のいずれも、国と地方で分割しています。これは、国が地方の税率まで決める中央集権体制を採っているからこそできていることであり、本当に政府が地方分権を進め、地方に自主課税権を与えるつもりがあるのなら、課税対象を線引きしなければなりません。現在、地方と国の行政サービス比率は64ですが、その財源比率は、46と逆転しています。つまり、現在の国税を地方へ、その分委譲する必要があるということです。その意味で現在、進められている消費税の社会保障目的税化は、地方の時代を実現するための大きな障害になる可能性が高いものです。地方分権を進める意思があるのかが、本当は現在、問われているのです。

*東愛知新聞に投稿したものです。

今、地域力の創造が求められている

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11月 232016

ある日本文化に関心のある西洋人の方と話していた時に彼が語っていた言葉が印象に残っています。それは、「今の日本人はみんな、昔のことや歴史から切断されている。」という言葉です。

ところで、連日、テロ事件や独立運動がニュースで頻繁に報道されているように、現在の国際社会では、進展するグローバリズムに対する反動として民族主義やナショナリズムの嵐が吹き荒れています。こういった「想像の共同体」の嵐に対抗するためには、自分自身が所属する社会の文化や地域、先祖の本当の歴史を知ることが最も有効だと言われています。

ところで、英語の「パトリオティズム」とは、誤解されている方も多いのですが、本来は、<愛郷精神>とか<郷土愛>のことを言います。この言葉は、「日本国民」というような抽象的な概念ではなく、地元の「土」に根ざした「ローカリティ」を意味しています。

現在、近代の歴史のなかで、日本人の歴史、伝統文化に対する理解が底の浅いものになり、日本人全体の知そのもののあり方が問われるようになってきています。1960年代の高度成長時代に導入された偏差値教育によって国民一人一人の考える力もかなり削がれてきました。声高には言われませんが、ごく一部のエリートだけを残し、一般の国民からは、自ら考えたり、議論したりする能力よりも与えられた正解を受容して○×で答えるだけの技術者をつくるだけでいいのだという風潮もありました。これらは、20世紀型の工業社会ではたしかに有効に機能しましたが、これからは全く新しいパラダイムが求められています。斎藤孝明治大学教授が指摘するように日本人の身体意識も大きく変わってきました。ハラを中心にした丹田の感覚が消え、「腹が立つ」が「頭にくる」に変わり、「キレる」という身体のどこだかわからない感覚になってしまっています。

太平洋環火山帯に位置する日本列島は南北に長く、多種、多様な気候、風土の土地柄です。もともと三河と尾張では文化が違っているのが、日本でした。西洋列強に対抗するための明治維新時に国家という概念を創造し、戦争に到る歴史が日本の近代史ですが、近代化やグローバリズムによって希薄になった共同体意識を取り戻すためには、新たな形で郷土愛を復活させる必要があります。本当の意味で異文化や新知識を取り入れて吸収するには、その下地となる文化、歴史等、自分自身の立ち位置がしっかりしている必要があるからです。現在、日本人には自らの文化伝統に根ざした下地を失ったために、<ポケモンGO>等のネットゲームやインターネットの情報の海に溺れる人も出てきています。今こそ、自分たちの足元、地域の文化や歴史等の自らのバックボーンを探すことが求められています。まだまだ、日本の地域には重厚な文化の蓄積があります。現在、日本の若者が海外に留学せず、内向き志向だというグローバリズム信仰に基づく批判もありますが、わが国の地方の文化を継承できていない現状を考えると、むしろその文化の発掘に向かういい兆候ということかもしれません。何れにしろ、私たちの地方にも一朝一夕には掘り起こせない文化遺産があり、その発掘を通じて新たな地域力を創造することが求められています。

*東愛知新聞に投稿したものです。

二十年後の豊橋の姿が見えていますか?

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10月 312016

JAL(日本航空)を見事に再生させた稲盛和夫氏は、次のように語っています。

<「思い」は必ず実現します。物事を成功に導こうとするなら、強い「思い」を持たなければなりません。ただ思うだけでも、「思い」は私たちの人生を作っていきますが、それが潜在意識にまで入っていくような思い方をすれば、その「思い」はもっと実現に近づいていきます。さらにその「思い」をより美しく、純粋なものにしていけば、最も大きなパワーをもって実現していくのです。>

 ところで、太平洋戦争後の1946年、焼け野原の東京で都の都市計画課が、「二十年後の東京」というプロモーション映画を製作していたのをご存じでしょうか。この映画を見て吃驚するのは、焼け野原の東京で私たちの先輩たちは、二十年後の東京の姿をはっきりと思い描いていた事実です。1946年にこのような映画を製作できた背景には、官庁プランナーの枠に収まりきらない都市計画家であった石川栄耀(ひであき)の戦前の一連のプランがあったことが指摘されています。そして、二十年後の東京は、首都高速道路、新幹線が開通し、プロモーション映画で語られた以上の街に変貌しています。

時代の転換点に見事に対応できた事例だと言えましょう。

 さて現在、戦後70年を経て、日本社会も既存のシステムが機能不全に陥る一歩手前の大きな節目を迎えています。たとえば、高齢化と人口減少が世界史上、例のない早さで進む日本においては、現在の年金制度が破綻することは、論理的に考えれば、誰の目にも明らかでしょう。緩やかに高齢化する他の先進国では、年金制度の改定は1520年に一度行えばよいのですが、日本では少なくとも、国勢調査によって人口が確定する5年ごとに大幅な改定を行っています。また、年金の負担側と給付側の関係で考えてみても、米国、英国、フランスなどは将来的に年金を負担する人が7割、もらう人が3割の水準で安定するのに対し、日本は負担する人が5割を切ってしまう計算になります。これは明らかに現役世代の許容範囲を超えるものです。また、ご存じのように2015年の国勢調査では、5年間で日本の人口は約947000人、0.7%、豊橋市でも約2000人、0.5%の人口が減っています。一方、平成23年度の一般会計予算は、国が約924千億円、豊橋市が1178億円、平成28年度が、国が967千億円、豊橋市が1241億円、デフレ下で人口が減少しているにかかわらず、増えています。豊橋市においては平成233月に作成され、平成2712月に改訂された都市計画マスタープランというものがあります。それによれば、2040年の豊橋市の人口は349000人、65歳以上、人口比率は31.6%と予想されています。残念なことですが、このそつが無いマスタープランを読んでも20年後の豊橋市の姿は、全く浮かび上がってきません。なぜでしょうか。それは、東三河、豊橋に対する熱き思いと危機感の無さに起因するように思われます。

いよいよ豊橋市長選です。そこで候補者予定者の方々に問いかけたいと思います。

「二十年後の豊橋の姿が見えていますか?」

*東愛知新聞に投稿したものです。

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