m.yamamoto

9月 092015

今から5年前の20108月のお盆前、書店で手にしてほとんど立ち読みしてしまった本がある。広瀬 隆氏の「原子炉時限爆弾~大地震におびえる日本列島~」という本である。熱心な広瀬氏の読者ではなかったが、ロスチャイルド家を分析した「赤い楯」、「億万長者はハリウッドを殺す」等の本はもちろん、読んでいた。彼の提供する視点は、大変興味深いものであった。しかし、所詮、私にとってはあまりにも遠い話にしか感じることができなかったのも事実だ。だから、その時も日本という地震列島に設置された原発は時限爆弾のように危険なものだという、広瀬氏の警告を時代の空気に染まり、弛緩しきった私の脳髄は、真剣に受け止めることができなかった。そして、2011311日、東日本大震災が起こり、広瀬氏が警告した通りに日本の原発が大事故を起こしたのであった。

 その意味で、今回、彼が集大成として出版した「東京が壊滅する日~フクシマと日本の運命」という本は真剣に受け止めざるを得ないものだ。2011年以降、数十冊の原発、原子力関係の本を読んだが、政府、東京電力の発表には、あまりにも嘘が多いことは間違いないところだ。おそらく、日本のトップ官僚は、2500年前の論語を読むエリート感覚で「民これに由らしめるべし これ知らしめるべからず。」、と考えているのだろう。

もう一つ、私たちが知ってくべき事は、参考資料を英文で添付しておくが、20113月下旬、首相官邸は「首都圏3千万人避難計画」を本気で検討していたという事実である。そして現在もオリンピック騒ぎに隠されているが、フクシマ第一に関して根本的な対策は実際には、何一つされていないことも私たちは決して忘れてはならないだろう。

 その意味で一人一人が真摯に受け止めるべき本である。

*ダイヤモンドオンラインよりhttp://diamond.jp/articles/-/76417

タイムリミットは1年しかない!
戦後70年の「不都合な真実」とは?
――広瀬隆×坪井賢一(ダイヤモンド社論説委員)対談


『原子炉時限爆弾』で、福島第一原発事故を半年前に予言した、ノンフィクション作家の広瀬隆氏。
このたび、壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が第4刷となった。一般書店だけでなく、Amazon.co.jpの総合ランキングでも上位にランクインし、全国的に大きな話題となっている。新著で「タイムリミットはあと1年しかない」と、身の毛もよだつ予言をした著者が、原発問題に詳しいダイヤモンド社論説委員の坪井賢一と対談。
戦後70年の終戦記念日に緊急警告する!

広瀬 隆

広瀬 隆1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。

 

「戦後70年の不都合な真実」と安倍晋三の系図

 

広瀬 今日は2015815日ですので、みなさんは「終戦記念日」だとしか思っていませんよね。もしかしたら、「終戦記念日」ということすら忘れている人がいるかもしれません。1945814日――日本がこの日にポツダム宣言の受諾を連合国に伝えて無条件降伏し、815日が終戦記念日となりました。でも、これは日本人の記念日です。アメリカ・ヨーロッパの軍需財閥にとって、815日は格別深い意味を持つ日ではなかったのです。

坪井 それはどういうことですか。

 

広瀬 アメリカを中心とする軍需ビジネスは第2次世界大戦によって工場が肥大化した分だけ、戦後もそれを維持しなければならなかったので、一日も休みなく作業を続ける必要がありました。戦前から続いていた「核兵器開発」はここで終わったわけではなく、広島・長崎への原爆投下は、単なるプロローグにすぎなかったのです。歴史を1945815日の終戦で区切ると、われわれが目撃している彼らの事業の正体を見失うことになります。2次世界大戦後こそが、彼らの稼ぎ時だったのです。このあたりはほとんどの読者の方がご存じないでしょう。ですからあえて今回、具体的な固有名詞や実名企業をあげ、原爆開発から原子力発電へと“華麗な転身”をとげ、放射能の安全論を広めてきたIAEA(国際原子力機関)やICRP(国際放射線防護委員会)が戦前から戦後、どういうことをやってきたかを書きました。その本が『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』です。

東京が壊滅する日

坪井 オビには「戦後70年の不都合な真実」とありますね。

 

広瀬 正直個人的にはあまり好きなフレーズではないのですが、事前に原稿を読んでもらった編集者からも「これはまさに不都合な真実ですね」という声があがっていました。確かに、本書の内容は、政治家や役人、実業家にとって「不都合な真実」でしょう。この本を読むと、なぜ安倍晋三が、この2年で1ワットの電力も生んでいない原発をあえて再稼働させるのか。そのカラクリがわかります。ぜひ、本書にある「長州藩の歴代犯罪の系譜」の安倍晋三の系図を見ていただきたいですね。

 

「トリチウム」はなぜ怖いか

 

坪井今日、まずお聞きしたいのは、フクシマ原発から出た放射性物質トリチウム(三重水素)についてです。本連載第4回「フクシマ原発からの放射能漏洩はトテツモナイ量に!全く報道されない『トリチウム』の危険性」が82日(日)だけで45万ページビュー(サイトの閲覧数)を記録したそうです。すごい数字です。

 

広瀬読者の感度が相当鋭く、またテレビと新聞がいかに重大なことを伝えていないかということでしょう。トリチウムの問題は、日本のマスメディアでほとんど触れられていない危険性なので書きました。実は、「トリチウム問題」は現在、日本中の原発から使用済み核燃料を集めてきた青森県の六ヶ所村で最大の問題となっています。

六ヶ所再処理工場では、20062008年におこなわれた試験的な再処理(アクティブ試験)で、海洋放出廃液のトリチウムの最高濃度が、実に「17000万ベクレル/リットル」だったのです。これは、フクシマ原発事故現場のトリチウム放出規制値である「1500ベクレル/リットル以下」の11万倍ですよ。だから下流域の岩手県三陸海岸近くの住民は、「総量規制をしろ。規制できない再処理を断念しろ」と要求しているのです。このトリチウムが、千葉県まで流れてきます。原子力規制委員会委員の田中俊一委員長と田中知(さとる)委員は「トリチウムを海に流してしまえ」という趣旨のことを言っていますが、トンデモナイことです。

 

坪井トリチウムは、水素が中性子を捕えて「トリチウム水」として存在するんですよね。崩壊してヘリウムになるときに放射線(ベータ線)を出します。フクシマ原発を起源とするトリチウムはどのくらいの量になるのでしょうか。

 

広瀬フクシマ原発から出たトリチウムの放出総量はまったく明らかにされていません。しかし、汚染水タンクに大量に入っているのは確かです。特に深刻なのは、福島第一原発4号機の燃料プールです。東京電力は積極的に情報開示すべきですが、こちらについても、まだまったく分らないことだらけで、東電の発表は信用できません。

 

「ホールボディーカウンター」ではベータ線は検出できない

 

坪井フクシマ原発事故直後に、ダイヤモンドオンラインで関連する記事を十数本書きましたが、2011616日付の記事で、IAEA(国際原子力機関)が2006年に発表したレポートを紹介しました。その中にチェルノブイリ原発事故で放出された核種と放出量のリストが掲載されています。この一覧表を見ても、トリチウムは記されていません。つまりIAEAもノーマークでした。水の状態なのでよくわからなかったのでしょうか。

 

広瀬そうでしたか。水として存在するので、実際には化学的に正確な放射能測定は不能です。一般には「トリチウム?初耳だ」という人がほとんどでしょう。トリチウムはヘリウムになるまでに、ベータ線を出します。しかもトリチウム水として、普通の水と同じように体内の細胞や血液に入るので、体内のあらゆる組織にこのベータ線が作用することになります。人体の中に蓄積された放射性物質の量は、現在では「ホールボディーカウンター」と呼ばれる全身測定器で測れます。これは体内の“量の変化”を知るには有効なのですが、セシウム137がバリウム137に安定化するまでに放出する透過性の高いガンマ線しか測定できないので、実量の測定ではありません。ストロンチウム90やトリチウムが出すベータ線はまったく測定できないんです。この点をマスコミはまったく報道していません。

 

坪井この本では、健康被害はこれから出てくる、と書いておられますね。

 

広瀬 「原発事故は収束した、終わった」と思われていますが、トンデモナイ間違いです。原発事故から4年余りが経過した今、東京を含む東日本地域でも、これからガンや心筋梗塞になる人が急増することは間違いありません。過去の史実に照らし合わせると、チェルノブイリ原発事故(1986年)やアメリカのネバダ大気中核実験(195157年で計97回)でも、事故後5年から癌・白血病になる人が急増したからです。その意味で、「タイムリミットはあと1年しかない!」のです。大気中の核実験と原発事故は違うと思われがちですが、まったく同じ200種以上の放射性物質が20113月から6月にかけて首都圏でも大量に降り積もっています。あの事故のとき、私が観察しても、多くの人はほとんど無防備でした。いまがちょうど病気の潜伏期の最後の段階です。これから大変なことが起こります。

 

坪井チェルノブイリ事故のときは、事故発生の翌日、1986427日から軍のヘリコプターでホウ酸40トン、石灰岩800トン、鉛2400トン、ほかに粘土や砂など合計5000トンを原子炉へ投下しました。これは1週間続きます。その結果、10日目に放出量が低下しました。その後、「象の足」と呼ばれる溶岩が固まったような状態になります。フクシマ原発事故では地上と上空から放水しました。フクシマ原発事故でも、チェルノブイリと同じ対応をとるべきだったのではないでしょうか。

 

広瀬事故直後、私もとりあえず大至急、放射能放出をおさえるためにセメントなどを投下するべきではないかと、とっさに考えました。しかし今は、メルトダウンした燃料内部からの汚染水の発生を食い止めるべきだと思います。たとえば鉛を使った汚染水漏洩防止の方法について、立命館大学特任教授の山田廣成氏が、このサイトで提唱しています。今でも、試してみるべきでしょう。ただし、チェルノブイリ原発は黒鉛減速・軽水沸騰冷却・チャンネル型で、フクシマと構造が異なるので、何とも言えません。良心的で、しかも化学・物理・原子力・金属・機械の全分野にわたる優秀な頭脳の専門家を全世界から集めて、フクシマ原発事故現場の対処法を考えるほかありません。東京電力や無知な原子力規制委員会に任せて、これを解決することは不可能です。

 

30km圏内を立入禁止、国際的研究機関の設置を

 

坪井その通りですね。「帰宅困難区域」を含め、福島第一原発から30km圏内の土地を国が買い上げて国有地とする、そこに国際的な廃炉研究、核廃棄物処理の国立研究機関や大学院をつくるべきだと思うのです。東北・関東地方の除染後の放射性廃棄物もここに全部集め、処分するとともに研究対象にすべきです。

大規模な公共投資になりますが、研究成果のノウハウは世界中で購入されるはずですから、長期的にはリターンも期待できる。チェルノブイリでは30km圏内が立入禁止で、除染後の放射性廃棄物もここに集めています。廃炉の作業者や研究者には高額の給料を支払い、あらゆる関連分野の専門家と実務家を結集すべきです。脱原発後に原子力研究者を絶やさないためにも必要だと思います。30キロ圏外には、研究機関や大学院向けのサービス産業が集積するはずです。

 

広瀬放出された放射能の総量から考えて、フクシマ原発事故の後遺症は1000年続くと言っていいでしょう。もう元には戻れません。それなのに、東京電力の事故対応は素人同然ということばかりやっていて、まったく頼りになりません。私も30年以上、この問題を冷静に見続け、海外の文献も多く見てきましたが、科学的・医学的に致命的な間違いを犯した今回の事故は覆せません。「放射能は絶対外に出さない」ということが、原発を動かす者の守るべき原理──世界的な大原則です。だが、それをすべて崩すことしかやっていない。日本の電力会社には、原発を動かす資格はない。

 

坪井福島第一原発3号機ではプルトニウムを混合するMOX燃料を使って運転していました。

 

広瀬あそこから出たプルトニウムはロッキー山脈まで達しました。茨城県つくば市の気象庁気象研究所でプルトニウムよりはるかに沸点の高い4877度のテクネチウムが検出されていたので、沸点が3232度のプルトニウムがガス化していたのは間違いないのです。東京都心の大公園でも、沸点3745度のウランが検出されています。

 

おそるべき「フレコンバッグ」の正体

 

坪井『東京が壊滅する日』のオビ裏に、「おそるべきことが音もなく体内で進行している!次の被害者は、あなただ!」と書かれています。

 

広瀬この意味するところは、この本を読んでいただければ、誰でも分りますが、結論を言うと、東京を含む東日本地域住民の中で、これから癌や心筋梗塞などが必ず激増します。いやもう、その段階に入っています。この事実を大声で言うべきか、本当に迷いました。身も蓋もない話だからです。しかし、本連載第6回でも触れましたが、誰も本当のことを言わずに「体内被曝」が進みながら、安倍晋三が原発再稼働へ猛進しているので、これ以上の被害の拡大を防ぐために筆を執りました。各新聞の世論調査でも明らかですが、安倍晋三は再稼働だけなく、安保法案など国民がまったく望んでいないことをゴリ押ししています。

 

坪井『東京が壊滅する日』に膨大なフレコンバッグの写真が掲載されています。これは福島県内で積み上げられている放射性廃棄物を詰めた袋の山ですね。

 

広瀬私が驚いたのは、2015417日に、福島県富岡町の海岸線にぎっしり並べられたフレコンバッグを外国人がドローンで空撮したネット上の動画でした。

 

坪井上空から見ると、海岸線に黒い塊がびっしりですね。

 

広瀬深刻なのはこのフレコンバッグの耐用年数がわずか3なので、すでにあちこちで破れ始めていることです。本の中では福島県の実例を出しましたが、実はそれだけでなく、関東各地でも放射性廃棄物を入れた汚染物の山が積み上げられています。

 

坪井放射性廃棄物の管理と処分は、「帰宅困難区域」を「除染特別地域」として国が直轄していますが、環境省が指定した岩手県から関東平野にかけての「汚染状況重点調査地域」(8101市町村)では、各自治体が除染と処分を担当しています。除染して袋に詰め、どこかに一時保管しているわけですが、中間処分場はどの自治体もまだ決められていません。

 

広瀬それは、実際には中間貯蔵ではなく、最終処分場になることが明らかだからです。どこでも拒否するのは当たり前です。福島県内のフレコンバッグが積まれた場所は、福島県内だけで20153月までに8万ヵ所を超え、その1ヵ所ずつに何百何千というフレコンバッグが積み上げられています。さらに、削り取った土に入れていた草や木の種が、袋の中で勢いよく芽吹いて、プラスティックの袋を簡単に破って外に顔を出し始めています。それはそれは、身の毛もよだつ光景です。

 

いま、とれる対策はあるか?

 

坪井いま私たちがとれる対応策は何だとお考えでしょうか。

広瀬それをずっと考えているのですが、きわめて難しい問題です。個人的にはいま、「水が一番怖い」と思っています。福島県の阿武隈山地や群馬県・栃木県に大量に降り積もった放射性物質が、分水嶺を越えて日本海側の多くの河川を通じて流れ出ています。

秋山豊寛さん(宇宙飛行士、元TBS記者・ワシントン支局長、現在京都造形芸術大学芸術学部教授)も福島県で自然農法に従事していましたが、原発事故後は京都に避難して大学で教鞭をとられています。まずは放射能が降り積もったところから逃げるしかないのが現状で、それには国が最大の、全面的な資金援助をするべきです。金が与えられないから、多くの人は逃げられないのです。

 

坪井私はこう考えます。少なくとも「汚染状況重点調査地域」(8101市町村)に指定されている地域に住む私たちもDNAが損傷した確率が上がっているわけですから、ガンなどを早期発見する確率を上げることが対応策だと思います。年に一度の健康診断は必ず受ける、再検査の指示があればさぼらない、心配なら年に2回検査する、という方法で早期発見率を上昇させることです。

 

日本最大の活断層の上に立つ川内原発再稼働の恐怖

 

坪井さて、川内原発が811日に再稼働されました。

 

広瀬詳しくは本連載第1回、第2回、第5回で書いてきたので、それを見てください。私も再稼働当日、川内原発に乗り込みましたが、それはそれはひどいものでした。19847月の稼働以来今年で31年。原子炉の耐用年数はとっくにすぎています。

本連載でも指摘したとおり、原子炉の古さだけでなく、この原発の下には日本を縦断する最大の活断層=中央構造線が走っています。活発な地震と火山噴火期に入った日本列島で再稼働は狂気の沙汰といえます。みなさんよく考えてみてください。この2年間、原発に1ワットも頼らずに、この猛暑を乗り切っています。これだけ危険な地域に耐用年数をすぎた原発があること自体危ないのに、それを再稼働第一号とする安倍晋三の頭の中はどうなっているのでしょうか。

 

ドブに捨てた5兆円の内訳

 

坪井『東京が壊滅する日』のカバー右ソデに、「5兆円をドブに捨ててもなお、いつまで日本人は“モルモット”にされるのか?」とあります。

これはどういう意味ですか。

 

広瀬青森県六ケ所村の核燃料サイクル政策に2兆円以上の建設費が投じられ、さらに、まったく使い物にならなかった高速増殖炉もんじゅの開発費にも3兆円近い大金が投じられてきました。しかし、現在まで両方ともまったく稼働できずに、結局5兆円以上をドブに捨てた結果になった。これはおそるべき血税のムダ遣いです。いつまで国民は“モルモット”にされ続けるのか。マスコミがなぜこの問題を真剣に論じないのかまったく理解できません。

 

坪井電気料金は、「総括原価方式」といって、コストを積み上げた上に利益を乗せて決められてきましたからね。いくらでもコストをかけられたわけです。

 

広瀬それが諸悪の根源なんです。でも、来年20164月から実施される電力の完全自由化によって“電力会社が7割の利益を得てきた家庭の消費者”にも選択が可能になります。くわしくは『東京が壊滅する日』に書きました。

坪井電力小売りの完全自由化によって、七十数年ぶりに電力が真の競争市場で取引されるようになります。

 

広瀬そのとおりです。これからの時代、もっともっと競争して、少しでも家計がひっ迫している消費者に安い電気料金を提示すべきなんです。

 

『東京が壊滅する日』誕生秘話

 

坪井今回の本では、原子爆弾(原爆)からクリーンエネルギーとして美化された原子力発電(原発)へと「双子の悪魔」のラインが描かれています。私が20代のころに読んだ広瀬さんの『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(文春文庫、元本は1982年)では、原爆と原子力発電の関係を初めて教えられました。

 

広瀬いままで私の本を読んでくださった方に加え、20代、30代、40代の働きざかりの人たち、とくにいままで私の本を読んだことがない人が読まないと時代が変わらないので、その人たちにどうしても読んでほしいという想いで書きました。原発問題に反対している人でも「ただ反対」と言っているだけでは、状況はまったく変わりません。51の系図・図版と写真のリストを軸とした史実とデータに基づく本書を思考のスタートラインにして、たくさん議論していただきたい。そして、議論に終わらせずに、ぜひ現実を変える行動に出ていただきたい。

 

坪井どういうふうに本書をつくっていったのですか。

 

広瀬 201411月末に『文明開化は長崎から(上)(下)』(集英社)という本を書いたのですが、その日本史が面白かったので、何度も読んでから書棚に戻そうとしたときに目に入ったのが、『赤い楯――ロスチャイルドの謎』(集英社、1991年)でした。

私は書いた本は読み返さない習慣だったので、いままでそんなことをしたことがないのですが、そのとき、『赤い楯』の菊判上下巻を一気に読んでみた。そして内容に驚いて、次から次へその他の自著も最後まで読み返してみたのですね。そうしたら、どれも面白かった。同時に「自分自身がすごく大切なことを忘れていた」と思ったのです。著者である私自身がそうなら、反原発運動に関わる人やマスコミの人だけでなく、一般の読者の方々はこういう史実やデータはまったく知らないだろう。それを今回のフクシマ原発事故を縦軸に描くことによって、思考の原点に戻る必要がある、と思って一気に書き下ろしたのが本書なのです。

 

「史実と科学的データ」こそが未来を教えてくれる

 

坪井歴史の記述と分析が重要ですね。

 

広瀬よく「核兵器」という言い方をします。でもこれは「攻撃側が使う用語」なのです。被害を受けた側は「核兵器」ではなく「原子爆弾」と呼び、「核兵器禁止運動」と言わずに、「原水爆禁止運動」と言います。「公害」(攻撃者側)と抽象化するのではなく、「水俣病、イタイイタイ病」(被害者側)と言うのと同じです。今回の本は、一面でフクシマ原発事故を扱った本ですが、一面で歴史の本でもあります。史実こそがこれからの未来を予測するうえで有益な示唆をくれると確信しているからです。安倍晋三の目に余る暴走のために、国会議事堂近くに「戦争反対」のシュプレヒコールをあげる大学生や高校生が増えてきました。すばらしいことです。

戦後70年の今こそ、本書にある原爆と原発の「双子の悪魔」の歴史、つまり戦争と原子力の関係を、巨悪の本丸IAEA(国際原子力機関)やICRP(国際放射線防護委員会)の正体から、抽象論ではなく、個別具体的な固有名詞と壮大な史実と科学的データで、若い世代に知ってほしいと強く思っています。

 

坪井広瀬さんとは1980年代後半からのおつき合いです。当時、「BOX」という月刊誌がダイヤモンド社にありました。編集部でアメリカのオンライン・データベースを導入したのですが、広瀬さんをお誘いしてインターネットがない時代に海外のデータベースを大量に検索し、チェルノブイリ事故の実像に迫ろうとしました。

 30年前から広瀬さんの主張は1ミリも変わっていません。

チェルノブイリはあれだけの大事故だったのに、4年後の1990年には「原子力はクリーンエネルギー」と言われるようになりましたよね。

 

広瀬フランスの当時の大統領、ミッテランがそういうふうに宣伝したのですね。そもそも原発事故が最初に起きた1979年のスリーマイル島原発事故の前から、原子力発電ビジネスは衰退期に入っていました。原発ルネッサンスは虚言だったのです。

 

坪井本書にも、2014年に巨額の欠損を抱えたフランスの国営原子力会社、アレヴァの実質経営破綻の事例が出ていますが、先進国で原発ビジネスが低迷するなか、日本は国内で再稼働に走り、新興国への輸出にのめり込んでいます。細川元首相や小泉元首相だってハタと覚醒したわけでしょう、政府が判断すれば原発はやめられると。原発がゼロになっても誰も困りません。電力も十分にある。研究者の欠乏を避け、研究水準を維持するためには、廃炉と放射性廃棄物処理の研究開発に投資すればいいと思うんですよね。

 

広瀬 先日、東芝の不正会計問題でウェスティングハウス・エレクトリックの買収が巨大な損失を生み出した問題で、原子力の末期的状況がクローズアップされましたが、三菱重工が「アメリカのサザンカリフォルニアエジソン社のサンオノフレ原子力発電所」に2009~2010年に納入した蒸気発生器が事故を起こし、原子炉2基が廃炉に追い込まれ、9300億円の損害賠償訴訟を起こされました。原発ビジネスに明日はありません。

 

なぜ、『東京が壊滅する日』を

緊急出版したのか――広瀬隆からのメッセージ


 

このたび、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』を緊急出版した。

現在、福島県内の子どもの甲状腺ガン発生率は平常時の70倍超。201136月の放射性セシウムの月間降下物総量は「新宿が盛岡の6倍」、甲状腺癌を起こす放射性ヨウ素の月間降下物総量は「新宿が盛岡の100倍超」(文科省20111125日公表値)という驚くべき数値になっている。東京を含む東日本地域住民の内部被曝は極めて深刻だ。

映画俳優ジョン・ウェインの死を招いたアメリカのネバダ核実験(195157年で計97回)や、チェルノブイリ事故でも「事故後5年」から癌患者が急増。フクシマ原発事故から4年余りが経過した今、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』で描いたおそるべき史実とデータに向き合っておかねばならない。

 195157年に計97回行われたアメリカのネバダ大気中核実験では、核実験場から220キロ離れたセント・ジョージで大規模な癌発生事件が続出した。220キロといえば、福島第一原発~東京駅、福島第一原発~釜石と同じ距離だ。

核実験と原発事故は違うのでは?と思われがちだが、中身は同じ200種以上の放射性物質。福島第一原発の場合、3号機から猛毒物プルトニウムを含む放射性ガスが放出されている。これがセシウムよりはるかに危険度が高い。

3.11で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」多いからだ。

 

不気味な火山活動&地震発生の今、「残された時間」が本当にない。子どもたちを見殺しにしたまま、大人たちはこの事態を静観していいはずがない。

 

最大の汚染となった阿武隈川の河口は宮城県にあり、大量の汚染物が流れこんできた河川の終点の1つが、東京オリンピックで「トライアスロン」を予定する東京湾。世界人口の2割を占める中国も、東京を含む10都県の全食品を輸入停止し、数々の身体異常と白血病を含む癌の大量発生が日本人の体内で進んでいる今、オリンピックは本当に開けるのか?

同時に、日本の原発から出るプルトニウムで核兵器がつくられている現実をイラン、イラク、トルコ、イスラエル、パキスタン、印中台韓、北朝鮮の最新事情にはじめて触れた。

 51の【系図・図表と写真のリスト】をはじめとする壮大な史実とデータをぜひご覧いただきたい。(引用終わり)

 

*参考資料

「フクシマ第一原子力発電所不測事態のシナリオ素描」

 http://grnba.com/iiyama/i/img/saiakusinario.pdf

Russia Stunned After Japanese Plan To Evacuate 40 Million Revealed

http://www.eutimes.net/2012/04/russia-stunned-after-japanese-plan-to-evacuate-40-million-revealed/

 

4千万人以上の日本人が放射能の毒性により「極めて危険な」状況下にあり、世界最大の都市東京を含め、東日本の大半の都市から強制的に避難させられる状況に直面している。

中国政府が日本側に提示したとされる、中国国内にある「無人都市(ゴースト・シティーズ)」への数千万人の移住者受け入れの申し出を、日本が「真剣に検討」していることも、ロシア側に通告してきた。

 

A new report circulating in the Kremlin today prepared by the Foreign Ministry on the planned re-opening of talks with Japan over the disputed Kuril Islands during the next fortnight states that Russian diplomats were “stunned” after being told by their Japanese counterparts that upwards of 40 million of their peoples were in “extreme danger” of life threatening radiation poisoning and could very well likely be faced with forced evacuations away from their countries eastern most located cities… including the world’s largest one, Tokyo.

The Kuril Islands are located in Russia’s Sakhalin Oblast region and stretch approximately 1,300 km (810 miles) northeast from Hokkaidō, Japan, to Kamchatka, Russia, separating the Sea of Okhotsk from the North Pacific Ocean. There are 56 islands and many more minor rocks. It consists of Greater Kuril Ridge and Lesser Kuril Ridge, all of which were captured by Soviet Forces in the closing days of World War II from the Japanese.

The “extreme danger” facing tens of millions of the Japanese peoples is the result of the Fukushima Daiichi Nuclear Disaster that was a series of equipment failures, nuclear meltdowns, and releases of radioactive materials at the Fukushima I Nuclear Power Plant, following the Tōhoku earthquake and tsunami on 11 March 2011.

According to this report, Japanese diplomats have signaled to their Russian counterparts that the returning of the Kuril Islands to Japan is “critical” as they have no other place to resettle so many people that would, in essence, become the largest migration of human beings since the 1930’s when Soviet leader Stalin forced tens of millions to resettle Russia’s far eastern regions.

Important to note, this report continues, are that Japanese diplomats told their Russian counterparts that they were, also, “seriously considering” an offer by China to relocate tens of millions of their citizens to the Chinese mainland to inhabit what are called the “ghost cities,” built for reasons still unknown and described, in part, by London’s Daily Mail News Service in their 18 December 2010 article titled: “The Ghost Towns Of China: Amazing Satellite Images Show Cities Meant To Be Home To Millions Lying Deserted” that says:

These amazing satellite images show sprawling cities built in remote parts of China that have been left completely abandoned, sometimes years after their construction. Elaborate public buildings and open spaces are completely unused, with the exception of a few government vehicles near communist authority offices. Some estimates put the number of empty homes at as many as 64 million, with up to 20 new cities being built every year in the country’s vast swathes of free land.”

 

Foreign Ministry experts in this report note that should Japan accept China’s offer, the combined power of these two Asian peoples would make them the largest super-power in human history with an economy larger than that of the United States and European Union combined and able to field a combined military force of over 200 million.

To how dire the situation is in Japan was recently articulated by Japanese diplomat Akio Matsumura who warned that the disaster at the Fukushima nuclear plant may ultimately turn into an event capable of extinguishing all life on Earth.

According to the Prison Planet News Service:

Matsumura posted [this] startling entry on his blog following a statement made by Japan’s former ambassador to Switzerland, Mitsuhei Murata, on the situation at Fukushima.

Speaking at a public hearing of the Budgetary Committee of the House of Councilors on 22 March 2012, Murata warned that “if the crippled building of reactor unit 4 – with 1,535 fuel rods in the spent fuel pool 100 feet (30 meters) above the ground – collapses, not only will it cause a shutdown of all six reactors but will also affect the common spent fuel pool containing 6,375 fuel rods, located some 50 meters from reactor 4,” writes Matsumura.

In both cases the radioactive rods are not protected by a containment vessel; dangerously, they are open to the air. This would certainly cause a global catastrophe like we have never before experienced. He stressed that the responsibility of Japan to the rest of the world is immeasurable. Such a catastrophe would affect us all for centuries. Ambassador Murata informed us that the total numbers of the spent fuel rods at the Fukushima Daiichi site excluding the rods in the pressure vessel is 11,421.”

 

Disturbingly, the desperate situation facing Japan is, also, facing the United States as Russian military observers overflying the US this week as part of the Open Skies Treaty are reporting “unprecedented” amounts of radiation in the Western regions of that country, a finding that was further confirmed by scientists with the Woods Hole Oceanographic Institute who have confirmed that a wave of highly radioactive waste is headed directly for the US west coast.

Important to note is that this new wave of Fukushima radiation headed towards the US is in addition to earlier radiation events that American scientists are now blaming for radioactive particles from Japan being detected in California kelp.

Though the news of this ongoing global catastrophe is still being heavily censored in the US, the same cannot be said about Japan, and as recently reported by the leading Japanese newspaper The Mainichi Daily News that reports:

One of the biggest issues that we face is the possibility that the spent nuclear fuel pool of the No. 4 reactor at the stricken Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant will collapse. This is something that experts from both within and outside Japan have pointed out since the massive quake struck. TEPCO, meanwhile, says that the situation is under control. However, not only independent experts, but also sources within the government say that it’s a grave concern.

The storage pool in the No. 4 reactor building has a total of 1,535 fuel rods, or 460 tons of nuclear fuel, in it. The 7-story building itself has suffered great damage, with the storage pool barely intact on the building’s third and fourth floors. The roof has been blown away. If the storage pool breaks and runs dry, the nuclear fuel inside will overheat and explode, causing a massive amount of radioactive substances to spread over a wide area. Both the U.S. Nuclear Regulatory Commission (NRC) and French nuclear energy company Areva have warned about this risk.

A report released in February by the Independent Investigation Commission on the Fukushima Daiichi Nuclear Accident stated that the storage pool of the plant’s No. 4 reactor has clearly been shown to be “the weakest link” in the parallel, chain-reaction crises of the nuclear disaster. The worse-case scenario drawn up by the government includes not only the collapse of the No. 4 reactor pool, but the disintegration of spent fuel rods from all the plant’s other reactors. If this were to happen, residents in the Tokyo metropolitan area would be forced to evacuate.”

Even though this crisis in Japan has been described as “a nuclear war without a war” and the US Military is being reported is now stocking up on massive amounts of anti-radiation pills in preparation for nuclear fallout, there remains no evidence at all the ordinary peoples are being warned about this danger in any way whatsoever.

 

86日、89日はそれぞれ広島(ウラン型)、長崎(プルトニウム型)に原爆が投下された人類にとって、特に日本人にとって忘れてはならない日である。

 

<ところであなたは、日本の中枢は事前に「広島、小倉もしくは長崎に原爆が投下される」ことを知っていたという驚くべき史実が存在することをご存じだろうか。>

 

 201186日には、NHKスペシャルで「原発投下~活かされなかった極秘情報~」という番組が放送されたので、この番組は見た方もいるのではないだろうか。今でもインターネットでは見ることができるので、是非、視聴していただきたい。以下。

http://bww.jp/r/%E7%89%B9%E9%9B%86/%E3%80%90%E7%89%B9%E9%9B%86%E3%80%91-%E7%B5%82%E6%88%A6%E8%A8%98%E5%BF%B5%E2%89%AAnhk%E6%B8%BE%E8%BA%AB%E3%81%AE%E5%BF%85%E8%A6%8B%E6%98%A0%E5%83%8F%E2%89%AB-%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6/

 

また、この番組は、「黙殺された極秘情報 原爆投下」松木秀文、夜久泰裕(NHK出版)という本にもなっている。

広島と長崎の原爆について、私たちは、これまで突然米軍の奇襲攻撃を受けたのだと信じ込まされてきたが、テニアン島を拠点に作戦展開をする米軍特殊航空部隊の原爆投下の動きを日本軍の大本営情報部が事前に察知していたという事実を、NHK広島が1年間がかりの取材で明らかにしている。86日の広島、89日の長崎の爆撃のいずれも日本の大本営は米軍のコールサインを傍受しているにもかかわらず、空襲警報すら出さず、おそらく、故意(終戦工作のために)に傍観していたと考えられるのである。これでは、何も知らされずにただ死んでいった一般国民をこの国の指導者は、生かすも殺すも自由な家畜と見なしていたと思われても仕方がないと思われる。兎に角、国民の生命の安全よりも国の担当者の事情やメンツ、国体維持(天皇制維持)を優先させた結果、無防備な市民の頭上を悪魔たちの核爆弾が容赦なく襲ったということはどうも間違いないようである。

 そして、日本政府は<原子爆弾災害調査特別委員会>を原爆投下直後に組織し、一番米国が欲しがるだろう原発投下直後の人体、環境への影響調査を人命救助より優先し、731部隊の免責の取引材料にしようとしたことまでこの本には書かれている。政治というモノは残酷なものだとは承知しているが、まさに恐るべき日本政府の動きである。

                                                                                                                                                                                                                                                                        

 

黙殺された極秘情報 原発投下
さらに驚くべき事実を「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本がベストセラーになった古川愛哲という作家、歴史資料収集家が、「原爆投下は予告されていた~帝国陸海軍の「犯罪」」という本の中で指摘している。

古川氏は長らく歴史資料を収集し、それを書籍にまとめることを生業とする中で、自らの中に一つの疑念が生まれてきたと書いている。

それは、「第二次世界大戦において、なぜ日本国内では、政治家や官僚、高級軍人の多くが生き残ったのか」というものであった。その疑念は、次第に「空襲や原爆投下を、一部の人間は事前に知っていたのではないか」というものに変わっていく。とりわけ原爆において、アメリカによる事前の投下予告がなされたのではないかと著者はいろいろな資料をあたり、突き詰めていく。

原発投下は予告されていた

 

「二度にわたる原爆投下は、予告なしになされたとするのが定説だが、私は疑問を持っていた。なぜならば、政治家や官僚、高級軍人の戦災死者が少なく、しかも、原爆投下予告を中国の広東で傍受した1人の日本人兵士が存在したからだ。この兵士、黒木雄司氏は当時伍長、そして自らの体験を書物として残していたのだが、歴史家は認めてこなかった。ところが一本のドキュメンタリー映画が、この人物の証言を補強し、あたかもパズルの最後の一片をはめ込むかのごとく整理してくれた。それがまた、私の原爆投下と終戦工作に対する疑念を、ますます深めることになったのだ」

 

古川氏に原爆投下と終戦工作に対する疑念を深めさせたドキュメンタリー映画は、アメリカで制作された「原爆死」というタイトルの作品である。1994年度の学生アカデミー賞のドキュメンタリー部門で金メダルを獲得している。

この作品によると、長崎への原爆投下直後、それも当日(89日)、連合軍の捕虜救出のために、米軍救出部隊が長崎に上陸したというのである。しかも上陸の手引きを日本海軍が秘かに行っていたというのだから、驚きである。この救出部隊の一人が中心的な登場人物、実はこの映画の制作者の父親である。

この映画を観て大変な衝撃を受けた著者は、真実を隠蔽してきた「この国の偽らざる姿の本質」が浮かび上がるとして、次のように書いている。

 

「思うに、この国は強者が弱者を盾にして利を貪り謳歌し、失敗すると強者が弱者を置き去りにして逃げ打つ――その歴史を繰り返してきたのではないか。たとえば第二次世界大戦では、内地でも戦地でもこれが繰り返されてきた。」(これには勝者によって美化されすぎた明治維新の下克上構造に原因がある。後日、このことをレポートで解説したい。)

 

いわゆる「ノブレス・オブリージュ」が息づくイギリスなどでは、貴族階級出身者が就く高級軍人の死亡率は非常に高いにもかかわらず、日本では、空襲や原爆投下において政治家や官僚、高級軍人の死亡率が異常に低いという摩訶不思議な現象が生じていることを古川氏は指摘している。そして、フクシマ原発事故についても、それは繰り返されたと著者は書いている。福島原発のメルトダウンが確実視されはじめた頃、霞ヶ関ではあるリストが出回っていた。それは、関東よりも西にあたる都市のホテルの空室状況、ガソリンスタンドの営業状況などを詳細に記入したリストだった。小生もこの話は永田町で仕事をする人間から当時聞いている。彼はその時、地方統一選挙も延期の可能性があるともアドバイスしてくれたのであった。

「つまり、官僚たちが考えたことは、自らが西へ西へと逃げることであり、組織を挙げて、ホテルの空室状況とガソリン不足の実態を、把握しようとしたのである。そして事実、多くの職員が名古屋、大阪などのホテルを予約し、家族を『退避』させたという。この話を聞いたとき、私は怒髪天を突く思いに駆られた。」

 

さらに著者は、政府と東京電力が放射能被害の実態を隠し続けて国民を欺いてきたことに関して、次のように書いている。

 

「震災後、政府は放射線予測システムSPEEDI(スピーディ)の情報公開の遅れを詫びているが、何のことはない、実際は福島原発被災直後から、そのデータを知っていたのである。事実、震災翌日、福島原発に向かう際に、管直人首相は、自分自身の生命や健康に影響が出ないことをSPEEDIにより確認したうえで、現地に赴いたというではないか。つまり、政府・高官はSPEEDIのデータを自らのために使いはするが、国民に対しては隠蔽し続けたのである。その結果、本来は被曝する必要がなかった約1万人が放射能を浴びたという・・・・・・」

 

 このように日本という国の本質は、装いが変わっていることに騙されている人があまりにも多いが、現在も中身は何も変わっていないのである。

また、原爆投下については、古川氏も言及している第五航空情報連隊情報室に所属していた黒木雄司氏の「原発投下は予告されていた!」(光人社)も興味深いものである。以下、引用。

原発投下は予告されていた 黒木雄司

~まえがき~

毎年八月六日、広島原爆忌の来るたびに、午前八時に下番してすぐ寝ついた私を、午前八時三十二分に田中候補生が起こしに来て、「班長殿、いま広島に原子爆弾が投下されたとニューディリー放送が放送しました。八時十五分に投下されたそうです」といったのを、いつも思い出す。(二五三頁)このニューディリー放送では原爆に関連して、まず昭和二十年六月一日、スチムソン委員会が全会一致で日本に原子爆弾投下を米国大統領に勧告したこと(一五八頁)。次に七月十五日、世界で初めての原子爆弾核爆発の実験成功のこと(二一四頁)

さらに八月三日、原子爆弾第一号として八月六日広島に投下することが決定し、投下後どうなるか詳しい予告を三日はもちろん、四日も五日も毎日つづけて朝と昼と晩の三回延べ九回の予告放送をし、長崎原爆投下も二日前から同様に毎日三回ずつ原爆投下とその影響などを予告してきた。

この一連のニューディリー放送にもとづいて第五航空情報連隊情報室長芦田大尉は第五航空情報連隊長に六月一日以降そのつど、詳細に報告され、連隊長もさらに上部に上部にと報告されていた模様だったが、どうも大本営まで報告が上申されていなかったのではないだろうか。どこかのところで握りつぶされたのだろう。だれが握りつぶしたのか腹が立ってならぬ。

(中略)

この記録は私が現在の中華人民共和国南部の広東において、昭和二十年三月十一日付で野戦高射砲第五十五大隊第二中隊より転属し、第五航空情報連隊情報室に勤務、情報室解散の昭和二十年八月二十一日までの約五ヵ月間の日々を記録したものである。したがって人物名、場所名などはすべて実名実在のものである。

(中略)

私もようやく今年は数え年でいうと古稀となり、老の仲間に入ってゆくので、惚けないうちにと書くこととした。書いているうちに先ほども書いたように、原爆に関する報告をだれが握りつぶしたのか。なぜもっと早く終戦に持ってゆけなかったかということをいろいろと考えさせられる。とにかく人の殺し合いという戦争は人類の史上にはもうあってはならない。

 

平成四年七月   黒木雄司

(引用終わり)

<そして現在、2011年のフクシマ原発事故以来、継続する放射能汚染について、本当に正確な情報を東電、政府は国民に提供しているのだろうか。> これがあまりにも疑問なのである。

 以下の素朴な疑問に対してまともに反論出来る人はほとんどいないのではないか。

最近の報道から取り上げてみよう。

 

最近の報道(TBS)によればhttp://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2553929.html

「福島第一原発3号機、プールに落下の大型装置を撤去」

 

廃炉に向けた作業が行われている福島第一原発3号機では、2日、使用済み燃料プールに落ちた大型装置の撤去作業が行われました。

 福島第一原発3号機の使用済み燃料プールには今も566本の核燃料が残されていますが、プールの中には爆発で吹き飛んだ大量のがれきが落下していて、燃料取り出しの障害になっています。

 2日は午前中から長さ14メートル、重さおよそ20トンの「燃料交換機」をプールから取り出す作業が行われ、昼ごろには2台のクレーンを使って巨大な装置が吊り上げられました。東京電力によりますと、作業は午後1時すぎに無事に終了し、空気中の放射性物質の濃度にも有意な変化はなかったということです。 東京電力では今後、残りのがれきを撤去した上で、再来年度から3号機の燃料プールにある核燃料566本の取り出しを始める計画です。(8/217:30

 ところで、3号機は2011314日に水蒸気爆発したとされているが、当時から水蒸気爆発と核爆発が起きたのではないかという指摘があった。以下。

フクシマ3号機 爆発

<2012.01.05ニュース>

福島第一原発の事故を受けて、原発の安全性への不安が広がっている。これまで「原発批判」と言えば、もともと反原発の考えを持った人々が中心だった。ところが福島原発の事故以後、これまで原発推進に尽力してきた人々が原発批判をはじめている。元原発検査員、元電力会社社員などが隠されてきた事実を内部にいた彼らが暴き出す!

◆元原発検査員が証言!福島原発3号機の爆発はピカドン(核爆発)だった!!

 

「福島第一原発3号機で3月14日に起きた爆発はピカドン(核爆発)だ!!」

そう語るのは、2010年の春まで日本原子力安全基盤機構(JNES)で原発検査員を務めていた藤原節男氏。原発の施設と運用について隅々まで知る専門家の一人だ。

「3号機の爆発では、一度ピカっと炎が出たあと、ドーンと黒煙がまっすぐ建屋上方へと立ちのぼっています。水素爆発であんな黒い煙は出ません。キノコ雲の形状といい、核爆発の現象に酷似している」

しかし、政府、東電の発表では、原子炉内部は安定を取り戻してきているはずだが?

 

「重要な放射能飛散原因は、使用済み燃料プールです」

彼は、原発を陸側から写した航空写真を取り出した。

「建屋上部フレームは、使用済み燃料プールの場所が吹っ飛んでいます。プール内で爆発が起こり、そこにあった燃料棒は飛び散ってしまったとおもわれます」

だが、たとえ使用済み燃料が溶融して下に溜まっても、果たしてそれで、核爆発は起きるのだろうか。

 

「3号機の燃料プール内では爆発が生じるまでに冷却水が少なくなり、ジルカロイ・水反応で水素が発生。上方の燃料被覆管が溶けて、中のペレットはブロック崩し状態。プール内が原子炉さながら、小出力で臨界状態となって水が沸騰したとおもわれます。そしてプール水面上方で水素爆発。その圧力で沸騰水中のボイド(水蒸気)が圧縮。ボイド反応度係数はマイナスなので一気に核分裂の反応度が高まり、即発臨界の核爆発が起きた。3号機爆発のスローモーションビデオを観ると爆発音が3回聞こえる。これが水素爆発の後に核爆発が生じた証拠です」

続いて彼が指さしたのは、排気筒と3号機を結ぶ配管部分だ。太いパイプはそこで断裂し、短い管が口をあけて転がっている。

 

「東電は定期点検中の4号機で水素爆発が起きたのは、3号機で発生した水素がこの配管を通って、4号機建屋に入ったためだと説明しました。しかし、写真を見ると、この通り配管はつながっていない。4号機でも使用済み燃料プール内で水素が発生して爆発したと言える。3、4号機爆発とも使用済み燃料プールの水素なら、1号機も使用済み燃料プールの水素による爆発ではないか。これら重要な事故シナリオについて、誰もダメ出しをしていない」


<藤原節男氏>

72年4月、三菱原子力工業(現・三菱重工業)入社。2005年原子力安全基盤機構勤務、検査業務部調査役。2009年3月、北海道電力泊原子力発電所3号機の使用前検査を手がけ、組織的なデータ改ざんなどを内部通報。2010年3月退職。

藤原節男

フクシマ原発爆発跡

フクシマ原発爆発跡2

 

これほど、爆発で破壊された様子を見ると、とても3号機の核燃料プールに使い済み核燃料がまだ残っているはとても信じられない。それなら東電や政府は上記のニュースを、映像を創り上げてまで報道させているのだろうか。おそらく、フクシマ第一原発の1号機、2号機、3号機、4号機、この4つの原子炉の核燃料と燃料貯蔵プールにあった核燃料棒。この全てが、地下に、周囲に、そして海に、拡散してしまった最悪の現実をなんとかできるだけ国民の目から隠し続けたい。そのために行っているプロパガンダ=愚行ではないのか。

トリチウム水蒸気拡散 

上記の映像は、フクシマ第一原発からトリチウム水水蒸気が拡散している状況をよく捉えている。

また、以下の映像を見ていただければ、3号機爆発が水蒸気爆発でないことがよくわかるはずだ。https://www.youtube.com/watch?v=Gh1E1-u4CkU

いわき四倉海岸

2015年のフクシマ第一から40㎞の海岸の様子、ガイアカウンターの数字は法的基準の47倍を示している。

 

 以前のレポートでも紹介したが、2015年の3月中旬以降、どうもフクシマ第一は新たな段階に入ったようなのである。以下。(週プレNEWS 427()60分配信)

 


「周辺地域で線量が1000倍に急上昇!“フクイチ”で何かが起きている!?

 

4月6日から8日に突如として高い線量を検出した南相馬市のモニタリングポスト。特に常磐自動車道の鹿島SAでは55μSvという通常の1000倍もの数値を記録、福島県は計器故障と発表し線量測定を即中止した…

このところ福島第一原発の様子が、どうもおかしい。特に気になるのが2号機で、4月3日に格納容器の温度が約20℃から70℃へ急上昇した。

さらに2日後には88℃に達し、4月第3週現在も70℃前後から下がっていない。もちろん熱源は4年前に圧力容器からメルトダウンした最大重量100tとも推定される核燃料である。

その温度は、事故当初は太陽の表面に近い4000℃前後で、不純物が混じって核燃デブリ(ゴミ)と化した今でも塊の内部は1000℃以上を保っているとみられる。つまり、2号機内ではデブリがなんらかの原因で活発化して放熱量が高まっているようなのだ。

 

この点について琉球大学理学部の古川雅英教授(環境放射線学)は次のように説明する。

 

「1~3号機ともに核燃デブリを冷やすために放水作業を続けていますが、その水量調整が実は大変に難しい。少ないと文字通り焼け石に水です。また、極めて稀(まれ)なケースですが、環境条件が整えば、水によって減速された核分裂中性子が連鎖的な核分裂を誘発する可能性もあります」

 

だから東電の事故処理対策では、今のところ1~3号機ひとつにつき、一般の水道蛇口ふたつを全開にしたほどの注水を続けている。これは巨大な原子炉格納容器と比べれば意外にわずかな水量といえる。

 

にもかかわらず、なぜ2号機の温度は急上昇したのか?

 

似た異変は3号機内部でも起きているようで、今年に入って何度か3号機の屋上から大量の蒸気が噴き出す様子がライブ配信映像で目撃された。

そして、もっと見逃せないのが2号機の温度上昇と連動するように4月6日から福島第一原発周辺の「放射線モニタリングポスト」が軒並み高い数値を示し始めたことだ。

中でも原発から北方向の南相馬市では、復旧したての常磐自動車道・南相馬鹿島SA(サービスエリア)ポストで通常線量の1000倍にあたる毎時55μSv(マイクロシーベルト)を最大に、市街地各所で数十倍の上昇が見られた。

 

それぞれの線量上昇時には福島第一原発方向からの風が吹いていた。福島県内各地の放射能汚染を詳しく調べてきた「南相馬・避難勧奨地域の会」の小澤洋一さんはこう語る。

 

「これら福島県が設置したモニターの高線量折れ線グラフは、異様に長い剣のように突き出た1、2本のピークが特徴的で、しかも短時間に限られた場所で現れたため、あいにく私の個人測定ではキャッチしていません。

しかし福島県は、この後すぐに40ヵ所ものモニターを“機器調整中”とし測定を止めました。この対応はあまりにも不自然だと思います。もし本当に高額な精密モニター機器が何十台も同時故障したというなら、それ自体が行政上の大問題でしょう」

 

この福島第一原発2号機の温度急上昇と関係がありそうな異変は、実は福島県以外にも及んでいた。そのひとつが4月7日の東京都内だ。

 

本誌は原発事故から4年間、都内43ヵ所の「定点」で月数回ペースの線量測定を実施してきた。そして北東・北方向から4、5mの風が吹き続けた7日正午から夕方にかけて、港区・新宿区・渋谷区・世田谷区を中心にいつもの2~4倍に達する線量上昇を確認した。

また「原子力規制委員会」が公開した4月中旬までの全国線量グラフにも東北各県や神奈川県などで急激な上昇が見られた。

原発事故以来、東日本地域では地表面に染み込んだ放射性セシウムが1~3月頃の乾燥期に空中へ舞い上がり、線量を高める「2次汚染現象」が続いてきた。ところが今年の春は、まるで様子が違う。今の福島第一原発から直接飛来した強い放射性物質が一部地域の線量をスポット的に引き上げているとしか思えないのだ。

この新しい傾向は、何を意味するのか? 考えられるのは、原発内の核燃デブリが従来の注水冷却工程に対して異なった反応を示す状態に変化した可能性、例えば、デブリが格納容器下のコンクリートを突き抜けて地盤まで到達(メルトアウト)し、地下水と接触するなどだ。(引用終わり)


 

私たち日本人が頭に入れておくべきことは、1945年の広島・長崎と同様、2011年のフクシマ原発事故によって、日本は核による荒廃という新たな未開の分野を引き受ける、人間の能力の限界をテストする「闇の科学実験の中心」となっているという残酷な現実である。

そして、広島と長崎にもたらされた荒廃も、東京のすぐ北の損傷したフクシマ第一原発で現在進行中の大惨事と比較すれば、小さなものだということになる可能性が現在、次第に大きくなっている。そしてその事実を、日本政府は必死になって隠蔽しようとしている。

あまりにも残念なことだが、1945年の原爆投下の時と日本政府は少しも変わっていないのである。自分の立場やメンツしか考えることができない人間の集まりだということである。

最後にフェイスブックの投稿を読んでいただきたい。たぶん真実であろう。以下。

 


松平英丈  81 21:46 ·

 

滅多に更新しないのですが、是非書いてくれというので、ここに書くことにしました。

私の友人が白血病の診断を受けました。身体が怠く、頻繁に鼻出血があるんだけど相談され、病院に受診するよう勧めました。まさかとは思いましたが、そのまさかが的中してしまい、白血病の診断を受けて来ました。本人も覚悟をしていたので取り乱すことなく、淡々と病状、今後の治療法など、病院の先生から聞かされたことをボクに語ってくれました。非常に残念な気持ちでいっぱいです。

問題なのは何故彼が白血病になってしまったかと言う事です。

彼はお寺の住職をしています。そして福島に別院があり、3.11の地震以来週の半分は福島で生活をしながら、避難をされている檀家さんを含めた住民の皆さんの、精神的な支えとして尽力しておりました。ボクには真似のできないことで、頭が下がる思いです。

活動している場所は、当然避難地域外です。しかし、現在その避難地域外で爆発的に白血病患者が増えています。大げさな話、病院の待合室の患者さんの半分は白血病患者ではないかという勢いです。覚悟をしていたというのは、このことだったんですね。

福島の放射線拡散の状況は、継続しています。蓄積している分、酷くなっています。もう既に、チェルノブイリの数倍らしいです。

当然国もマスコミもこの事実を把握しているはずです。何故オモテに出てこないで隠すのでしょう。オリンピックなんてやっている場合ではないと思います。

日本という国は、自分の都合でマスコミをコントロールします。マスコミもそれに従います。それは何故か、国税庁という伝家の宝刀を持っているからです。お金で縛るのが一番効果的だと言う事をよく知っています。

最近の憲法違反の法案といい、マスコミ操作といい、終戦前の状況に似ていませんか?人間の生命より、目先のお金と権力に固執する人たちがこの国のうえに立っています。良いのかなぁ〜〜(引用終わり)


7月 072015


→自衛隊の完全な米軍の傭兵化をもたらす→現在米軍は911以降、軍隊の民営化が急展開している→もし、日本が唯一の同盟国である米国に対して集団自衛権を行使すれば、責任の曖昧な米国の巨大民間軍事会社の指揮下におかれる可能性すらある→少子高齢化社会の貴重な日本の若者の命をブッラクウオーターのような企業に差し出すことになる→日本の集団自衛権行使は米国以外の国に国連憲章の敵国条項適用を言い出させる危険性も秘めている

 

現在、マスコミの報道を見ればわかるように、国会は意図せずして政局に入り始めている。すべての根源はアメリカのジャパンハンドラーの「集団自衛権を行使できるようにして、米軍を補完しろ」と、いう意向にある。

そのために属国である日本の内閣は右往左往している。

 

 間違いなく言えることが一つある。第二次世界大戦に負けて米国主導で作られた日本の戦後のシステムは、冷戦という枠組みがあってこそ、有効に機能しているように錯覚できたのであって、その前提が崩れてしまった以上、冷戦構造の上に成立していた砂上の楼閣のような日本の行政、政治、経済の仕組みが、ある意味うまくいかないのは、当然のことだと私たちは、考えるべき時期を迎えたと言うことだ。

 

事実、米国は、冷戦終了間際から、「ジャパンアズナンバーワン」と言われる程の経済大国になった日本を「プラザ合意」、その前後には、中国の元の大幅切り下げを認め、「ジャパンバッシング」と称する日本経済封じ込め戦略を着々と実行。その結果、中国経済の高度成長を演出することとなった。目先の利くユニクロの経営者のような人々はおそらく、米国のその戦略を事前に知っていたはずである。

 

兎も角現在、機能しなくなった日本の戦後システムを見直す時代に入ったことは間違いない。しかしながら、米国と昭和天皇に呪縛された「永久占領」状態を脱しない限り、今回のように一見勇ましいが、本当の意味で日本の未来を切り拓くことにつながらないあまりに愚かな選択を黄昏の覇権国である米国に強要されることになる。このことをある程度の人々が共通の認識として持つべき時代を迎えている。

 

戦後、半世紀以上にわたって、米国の実質上、軍事占領下にある日本では、あらゆる処に米国のソフトパワーの網の目が張り巡らされている。何しろ、そのための情報部隊が2000人も日本に常駐しているぐらいだ。その意味でもう、そろそろ心ある日本人は「帝国以後」の時代(米国の覇権が終焉を向かえようとしている時代)を目前に控えた今、戦後、語られなかった本当の事を多くの人々に知らしめる義務があるはずである。知識人を自負する方々に期待したいところである。

 

 もう、十年以上前の話だが、人生の大先輩に「日本永久占領」片岡鉄哉著(講談社α文庫)を読んでいただき、感想を聞かせていただいたことがある。

 そして、その人生の大先輩は、こう言われた。

「確かにこの本に書いてあることは、真実だと思う。しかし、戦後の貧しさを考えれば、現在の日本は本当に豊かになった。米国との関係で、世界一の債権大国の豊かさを日本人一人一人が享受しているわけではないが、仕方がない。」、と。

 

 果たしてそうだろうか。

日本永久占領1

「日本永久占領」という本のテーマは、日本を狂わせたのは、戦後、米国から押しつけられた「日本国憲法」であり、ゆえに、憲法が作られた過程、そして、日米関係において、本来、進むべき道が、吉田茂とマッカーサーによって、著しく歪められたという事実の論証にある。現在の沖縄の基地問題しかり、自衛隊の問題もしかり、日本政府の国際政治の対応もしかり。全ての問題の根源は、この本で書かれている歴史を知らない限り、何も解決はしないと言っても過言ではないかもしれない。もっともこの本は1990年代の本なので、豊下楢彦氏の指摘する「昭和天皇の二重外交」については触れられていない。

 

おそらく、このままの状態を放置すれば、日本は米国による永久占領状態に止まることになるのだろう。炯眼の三島由起夫氏は今から40年以上前に「このままいけば、自衛隊は米軍の完全な傭兵になるだろう。」と、喝破していた。ところで、米国がすでに現在の状態を維持するだけの覇権力が残っていない(=だからかつての敵国である日本の集団自衛権行使を認め、求めてきたのである。)としたら、私たち日本人はどうすべきなのか、もっと真剣に考えなければならないだろう。

 

 ところで、日本の戦後を形作ったのは、象徴天皇制と平和憲法と日米安保条約(それに付属する日米地位協定、日米原子力協定等)の三点セットである。そして、昭和天皇自身が日本の戦後体制の形成に大きく関与していたというのが、日本人が聞きたくない、語りたくない歴史の真実なのである。さすがに片岡氏は、吉田茂首相の政治行動に関与した昭和天皇の戦後直後の二重外交については、全く触れていない。

 昭和天皇自身は、自らが導いた属国日本が、冷戦終了後、米国に巧みに経済的に収奪され、漂流する日本国となった姿を見ることなく、崩御されたのは、まことに幸運なことではあった。その意味で21世紀になってから豊下楢彦氏やハーバート・ビックスの「昭和天皇」等、多くの読むべき本が出版されていることは喜ばしいことである。

 

それでは、今から約60年以上前である1949(昭和24)年に、米国が日本で一体何をしたのかということについて振り返ってみよう。原田武夫氏が適確な分析をしているので、紹介する。以下。

 

1949(昭和24)年、日本は「主権国家」ではなかった。なぜなら、大東亜戦争における敗北により、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による支配を受けることになったからである。そして、そのGHQを事実上仕切っていたのが、かつての敵国である米国であった。不平等条約(吉田茂氏はこの事を熟知していた)である「日米安保」が連呼される今となってはもはや信じがたいことであるが、この時、米国は日本をどうすることもできた全能の勝者であり、日本は、なすがままに身を任せるしかない悲しき敗者なのであった。

 GHQは日本を占領統治するにあたり、「民主化」と「非軍事化」を表看板に掲げ、一斉に日本で構造破壊を始める。しかし、爆撃機B29による連日の空襲で焼け野原となり、工場が崩壊する中、消費財の生産など一切ままならなかったのが、当時の日本の状況である。しかも、戦地からは続々と人々が引き上げてきて、「需要」は急上昇した。その結果、「モノ不足」とそれに伴う「価格の急騰(=ハイパーインフレーション)」が日に日に深刻となり、日本政府の失策も重なって、もはや経済崩壊の危機にまで陥ったのである。

 ところが、GHQは米国本国から「日本の経済復興」を当初、宿題として課されてはいなかったため、インフレを抑えるどころか、逆にそれを加速させるかのように「構造破壊(たとえば財閥解体)」を熱心に進めていった。 しかし、1947(昭和22)年ごろになって状況は一変。それまでも不審な動きを見せていたソ連が北ペルシアでの撤退期限を守らなかったことから、一気に東西冷戦が始まったからである。あわてた米国は世界戦略を練り直す。その中で、日本を一体どうすべきかと、いうことが議題に取り上げられたのである。

 そして、そこで行われた集中的な日本戦略見直しの結果、一人の銀行家が日本に「救世主」として派遣されることとなった。デトロイト銀行の頭取として腕をならしていたジョセフ・M・ドッジである。日本史を学んだことのある方であれば、「ドッジ・ライン」と聞けばピンとくるはずだ。彼が超緊縮型の予算案を日本政府に提示したとき、日本側はこれを「ドッジ・ライン」と呼んだのである。「放漫な財政支出を日本政府がやめることが、極度に進んだインフレを収束させるのにはもっとも有効だ」と考えたドッジによる強硬策であったと、一般の教科書には書いてある。

 そして、朝鮮戦争という僥倖にも恵まれたことも大きいが、このように「苦い良薬」を煎じてくれたからこそ、日本はその後、奇跡と言われる経済復興を遂げたとことになっている。まさにドッジは戦後日本経済にとっての恩人だとも言われる所以だろう。 

しかし、この人のいい日本人的な見方には大きな「落とし穴」がある。なぜなら、米国人から見たとき、とりわけ現代を生きる米国人のエリートたちの目から見ると、ドッジの功績はもっと別のところにあるからである。 

それは何か。 

その頃、米国国内では議会を中心として、多額の対日復興援助が「本当に米国のためになっているのか」という批判が高まっていた。したがって、GHQとしてはこうした批判に応えるべく、何らかの仕掛けをしなければならない立場に置かれていたのである。

 

そこでドッジが考えついたのが、「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組みをつくること」なのであった。

 

 ドッジはまず、米国が日本にあたる援助(小麦など食糧支援が主)を日本政府にマーケットで売りさばかせ、それと同額のカネを日本銀行に開設された口座に積ませた。そして、そこに貯まっていく資金を、今度はGHQ、すなわち米国の指示に基づいてだけ日本政府が使うことを許したのである。いわゆる「見返資金」である。

 それでは米国はこの資金を一体何に使わせたのかというと、意外にも「日本人に米国の良さを宣伝する」といったプロパガンダ目的ではほとんど使われていない(総額の2%前後)。それに代わって、もっとも使われたのが、かつて軍国主義の屋台骨として戦争協力をしたために解体されるはずであった「特殊銀行」(当時の日本興業銀行など)を経由する形での、ありとあらゆる日本の企業が復興するための資金提供であった。そして、ドッジによる熱心な指導により、銀行セクターをはじめとする日本経済全体がそれまでの「復興インフレ」による壊滅的な打撃から立ち直ることに成功したのである。

 その後、1952(昭和27)年にGHQは日本から最終的に「撤退」し、日本は、名目上の「再独立」を達成する。例の「見返資金」はどうなったのかといえば、米国に返金されることはなく、そのまま名称を変えて日本の経済発展のために用いられ続けた。そして、やがて日本は高度経済成長を迎えることになる。(引用終わり)

 

おそらく、小泉政権で、米国の手先として「構造改革」を推し進め、米国のために尽力した竹中平蔵氏が特殊銀行の日本開発銀行出身者なのも偶然ではないと考えるべきであろう。

 竹中氏の改革政策というものは、現実には、ほとんど米国の金融資本のためのものだったことは、現在では、かなりの方が理解されているところだと思われる。

結果として下記の様な政策効果がもたらされたのである。

 

小泉・竹中改革は新たな税金略奪者を日本政府に招き入れた

 

・骨太の改革は税金の収奪者を国内の利権団体から欧米の強大資本に移転させる結果になる

 

・国内の利権団体も欧米の強大資本も日本人の税金を私物化しようとしている点においてまったく同じだ。(ただ国内の場合、お金が日本国内で回ることに大きなメリットがある)

・90年代の米国式改革が短期的ではあるが、成功した国は米国だけであり、他の国々には混乱だけが残された。米国においても想定元本5京円というとんでもないデリバティブ金融商品の借金だけが残され、現在、米国はデフォルトするか、戦争をするしかない状況にまで追い込まれている。

 

・民間企業の最大の利益は民間人同士のフェアなビジネスにではなく、上手に税金を引っぱり出すことで得られる。これは世界における大財閥の形成の歴史を勉強すれば、明らかである。

 

・日本の政治家や官僚は、米国政府+欧米の強大資本がどうやって日本で金儲けをしようとしているか、金儲けの絵図面が理解できていないか、もしくは自分たちさえよければいいと考えている。

・だから絶好の格好のカモとして狙われているのではないか。

 

 意図するとせざるとにかかわりなく、こういう改革を売国奴的改革というしかないのではないか。

 

構造改革というものの図式

構造改革というものの図式

 

それでは、米国政府から日本銀行・日本政府への要求とは何だったのか。

 

一言で言えば、「ここまで育ててやったのだから、金=富をよこせ」ということだったのである。そのための方法が下記のようなものであった。

量的金融緩和:豊富な円資金を米国に還流させろ=現在のアベノミクスそのもの。

・金融システム安定化(不良債権処理を加速化させ、整理統合)させ、金融機関を米国資本に差し出せ。

・内需を支えるために失業対策などを行え。

・米国にとって都合のよいルールに変えろ=現在のTPPもその流れの一貫である。

・成長のための日米経済パートナーシップ(商法改正等)。

・規制改革(金融改革、司法改革、医療改革、通信改革、etc)。

・市場重視(新自由主義)

・米国の民間人を公的・民間部門のリストラに活用しろ。

 

一言でまとめてしまえば、1985年(昭和60年)のプラザ合意以降の日本の歴史の裏面史は、米国による日本の国富収奪、再占領強化の歴史なのである。

一例を上げるなら、1980年代に「セイホ」と名を轟かせ、米国経済を米国債購入によって支え続けた日本の生命保険会社が、莫大な為替差損を被り、外資に乗っ取られていったことは、まだ、記憶に新しいのではないだろうか。

 

 それでは、1955年の保守合同以降、半世紀以上にわたって日本の政治を担ってきた自民党の戦後政治とは、どのようなものだったのだろうか。

 一言で表現すれば、「自民党政治の終わり」という本で、野中尚人氏が主張しているように

自民党システムは一種のインサイダー政治であったが、その網の目が自民党だけでなく野党のネットワークをも通じて、社会の隅々まで広がっていたのである。「一億総中流」とは、まさにその結果であった。自民党はもちろん、それと協働した行政官僚制が大きな役割を担い、国対政治を通じて野党も暗黙の参加者であった

 

 江戸時代から行政官僚制が先行して確立していた日本においては、権能が、新憲法によって保障された国会が、民主主義が確立された戦後から巧みに行政に融合していった。もちろん、戦後、GHQが軍隊以外の官僚機構をそのまま温存して占領政策を推し進めたことが、このことを決定的にしたことは言うまでもない。そして、大きな政策決定は政府(=米国のジャパンハンドラー)が行うが、日々の細かい政府の仕事は、行政官僚が担う役割分担が確立されたのである。このような官僚が政府と一体となったボトムアップとコンセンサス重視式の政治運営は、冷戦という限られた経済圏の中で、経済成長を追求するには、まことに効率的に機能したのである。

 そして、このシステムは、戦後の冷戦期における経済成長と世界秩序の安定を前提にある意味、議員の後援会活動等を通じて一定の特別行政自冶区としての「草の根民主政治」を具現してきたが、その限界、問題点としては、

①利害による民意吸収の裏腹として利権による腐敗を生じやすく、公共財や政治理念から遠くなりがちであること、

②世界秩序の変動や低成長経済や社会の高齢化による分配の困難化といった大きな環 境変動に対処するには、自民党システムにおけるリーダーシップの欠如が致命的であ ることが挙げられる。

 この戦後の冷戦構造の下で、自民党政治が創りあげてきたのが、日本型の安定した資本主義システムであった。その特色は、

(1)終身雇用と年功序列を機軸とする日本型雇用システム

(2)メインバンクとの金融的な結びつきを背景にした長期的な信用関係(間接金融システム)

(3)ケインズ的経済政策を主体とした政府主導の旺盛な公共投資による有効需要の創出

(4)地域と政治家のインフォーマルな関係によって決定される公共投資を通した所得の再分配システム

 このようなシステムは、日本企業の安定成長をもたらし、所得の再分配を保障し、安定した社会をつくりあげるのに極めて有効に機能した。しかし、政治家や官僚のインフォーマルな関係を通して所得の再分配が決定されたため、投資に関与する人間が利益を掠め取るという腐敗した関係の温床にもなるという欠陥も併せ持っていた。これがいわゆる利権である。

しかしながら、このシステムが、会社村、専業主婦の共同体、学校の共同体というような戦後日本社会の安定した生活環境をもたらしたことは疑いのないところだろう。つまり、冷戦時代はすべての国民が何らかの形で利権の分け前に与ることができたのである。

 

先程から何回も指摘しているが、このような環境に日本が置かれたのは、冷戦という国際社会の構造があったからに他ならない。冷戦が終了したときに、「この冷戦の勝者は日本だ」と、米国に言われたことを思い出していただきたい。

 冷戦の勝者である日本から国富を奪うための米国の戦略が、「ワシントンコンセンサス」であり、「グローバリズム」であり、それを進めるための「構造改革」であった。身も蓋もない言い方をしてしまえば、日本で言われていた「構造改革」とは、1980年代半ばに考え出された米国の対日経済戦略そのものだったのだと言っても過言ではない。いろいろ他のまともな改革も一緒にして、その本質が見えないように「構造改革」と言われたので、多くの国民が勘違いをしてしまったのである。

 その真意は、上記に述べた「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組み」(=国家主権を巧みに取り上げてしまった仕組み)それが、あれほど党内、国内に反対の多かった竹中氏が主導した構造改革を推し進めることを可能にしたのである。もちろん、米国の政策に対して意識的に、無意識に協力するような仕掛けが戦後、日本社会のあらゆる処に仕掛けられていたことは言うまでもない。

 その結果、現在、日本の公共圏は、大変な劣化をし、見習うべき?米国のような「格差社会」と言われるようになってしまったのである。現在、安定した社会が失われつつある不安を、いろいろな思惑がある勢力が扇動しようとしているのが、日本の状況である。

 

 評論家の内田樹氏が実に適確な指摘をしていたので、紹介する。以下。

対米従属を通じて「戦争ができる国」へ

 

── 「安倍政権は対米従属を深めている」という批判があります。

 

内田 先日、ある新聞社から安倍政権と日米同盟と村山談話のそれぞれについて、100点満点で点をつけてくれという依頼がありました。私は「日米同盟に関する評点はつけられない」と回答しました。

日米同盟は日本の政治にとって所与の自然環境のようなものです。私たちはその「枠内」で思考することをつねに強いられている。

「井の中の蛙」に向かって「お前の住んでいる井戸の適否について評点をつけろ」と言われても無理です。「大海」がどんなものだか誰も知らないんですから。

そもそも日米が「同盟関係」にあるというのは不正確な言い方です。誰が何を言おうが、日本はアメリカの従属国です。日米関係は双務的な関係ではなく、宗主国と従属国の関係です。現に、日本政府は、外交についても国防についても、エネルギーや食糧や医療についてさえ重要政策を自己決定する権限を持たされていない。年次改革要望書や日米合同委員会やアーミテージ・ナイ・レポートなどを通じてアメリカが要求してくる政策を日本の統治者たちはひたすら忠実に実行してきた。

その速度と効率が日本国内におけるキャリア形成と同期している。

つまり、アメリカの要求をできる限り迅速かつ忠実に現実化できる政治家、官僚、学者、企業人、ジャーナリストたちだけが国内の位階制の上位に就ける、そういう構造が70年かけて出来上がってしまった。アメリカの国益を最優先的に配慮できる人間しか日本の統治システムの管理運営にかかわれない。そこまでわが国の統治構造は硬直化してしまった。

アメリカの許諾を得なければ日本は重要政策を決定できない。しかし、日本の指導層はアメリカから命じられて実施している政策を、あたかも自分の発意で、自己決定しているかのように見せかけようとする。アメリカの国益増大のために命じられた政策をあたかも日本の国益のために自ら採択したものであるかのように取り繕っている。そのせいで、彼らの言うことは支離滅裂になる。国として一種の人格解離を病んでいるのが今の日本です。

 

── いま、日本のナショナリズムは近隣諸国との対立を煽る方向にだけ向かい、対米批判には向かいません。

 

内田 世界のどこの国でも、国内に駐留している外国軍基地に対する反基地闘争の先頭に立っているのはナショナリストです。ナショナリストが反基地闘争をしないで、基地奪還闘争を妨害しているのは日本だけです。ですから、そういう人々を「ナショナリスト」と呼ぶのは言葉の誤用です。彼らは対米従属システムの補完勢力に過ぎません。

 

── どうすれば、対米従属構造から脱却できるのでしょうか。

 

内田 まず私たちは、「日本は主権国家でなく、政策決定のフリーハンドを持っていない従属国だ」という現実をストレートに認識するところから始めなければなりません。

国家主権を回復するためには「今は主権がない」という事実を認めるところから始めるしかない。病気を治すには、しっかりと病識を持つ必要があるのと同じです。「日本は主権国家であり、すべての政策を自己決定している」という妄想からまず覚める必要がある。

戦後70年、日本の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」というものでした。これは敗戦国、被占領国としては必至の選択でした。ことの良否をあげつらっても始まらない。それしか生きる道がなかったのです。

でも、対米従属はあくまで一時的な迂回であって、最終目標は対米自立であるということは統治にかかわる全員が了解していた。「面従腹背」を演じていたのです。

けれども、70年にわたって「一時的迂回としての対米従属」を続けているうちに、「対米従属技術に長けた人間たち」だけがエリート層を形成するようになってしまった。

彼らにとっては「対米自立」という長期的な国家目標はすでにどうでもよいものになっている。それよりも、「対米従属」技術を洗練させることで、国内的なヒエラルヒーの上位を占めて、権力や威信や資産を増大させることの方が優先的に配慮されるようになった。

「対米従属を通じて自己利益を増大させようとする」人たちが現代日本の統治システムを制御している。

 

安倍首相が採択をめざす安保法制が「アメリカの戦争に日本が全面的にコミットすることを通じて対米自立を果すための戦術的迂回である」というのなら、その理路はわからないではありません。アメリカ兵士の代わりに自衛隊員の命を差し出す。その代わりにアメリカは日本に対する支配を緩和しろ、日本の政策決定権を認めろ、基地を返還して国土を返せというのなら、良否は別として話の筋目は通っている。

でも、安倍首相はそんなことを要求する気はまったくありません。

彼の最終ゴールは「戦争ができる国になる」というところです。それが最終目標です。「国家主権の回復」という戦後日本の悲願は彼においては「戦争ができる国になること」にまで矮小化されてしまっている。「戦争ができる国=主権国家」という等式しか彼らの脳内にはない。アメリカの軍事行動に無批判に追随してゆくという誓約さえすればアメリカは日本が「戦争ができる国」になることを認めてくれる。

それが政府の言う「安全保障環境の変化」という言葉の実質的な意味です。そこまでアメリカは国力が低下しているということです。もう「世界の警察官」を続けてゆくだけの体力もモチベーションもない。けれども、産軍複合体という巨大なマシンがアメリカ経済のエンジンの不可欠の一部である以上、戦争は止められない。でも、アメリカの青年たちをグローバル企業の収益を高めるために戦場に送り出すことには国民の厭戦気分が臨界点を超えつつある今はもう無理である。だから、アメリカは「戦争はしたけど、兵士は出したくない」という「食べたいけど、痩せたい」的ジレンマのうちに引き裂かれている。

そこに出て来たのが安倍政権です。アメリカがこれまで受け持っていた軍事関係の「汚れ仕事」をうちが引き受けよう、と自分から手を挙げてきた。アメリカの「下請け仕事」を引き受けるから、それと引き替えに「戦争ができる国」になることを許可して欲しい。

安倍政権はアメリカにそういう取り引きを持ちかけたのです。

 

もちろん、アメリカは日本に軍事的フリーハンドを与える気はありません。アメリカの許諾の下での武力行使しか認めない。それはアメリカにとっては当然のことです。

日本がこれまでの対米従属に加えて、軍事的にも対米追随する「完全な従属国」になった場合に限り、日本が「戦争ができる国」になることを許す。そういう条件です。

しかし、安倍首相の脳内では「戦争ができる国こそが主権国家だ」「戦争ができる国になれば国家主権は回復されたと同じである」という奇怪な命題が成立している。自民党の政治家たちの相当数も同じ妄想を脳内で育んでいる。

そして、彼らは「戦争ができる国」になることをアメリカに許可してもらうために「これまで以上に徹底的な対米従属」を誓約したのです。

かつての日本の国家戦略は「対米従属を通じて、対米自立を達成する」というものでしたが、戦後70年後にいたって、ついに日本人は「対米従属を徹底させることによって、対米従属を達成する」という倒錯的な無限ループの中にはまりこんでしまったのです。

これは「対米自立」を悲願としてきた戦後70年間の日本の国家目標を放棄したに等しいことだと思います。

 

── どうして、これほどまでに対米従属が深まったのでしょうか。

 

内田 吉田茂以来、歴代の自民党政権は「短期的な対米従属」と「長期的な対米自立」という二つの政策目標を同時に追求していました。

そして、短期的対米従属という「一時の方便」はたしかに効果的だった。

敗戦後6年間、徹底的に対米従属をしたこと見返りに、1951年に日本はサンフランシスコ講和条約で国際法上の主権を回復しました。その後さらに20年間アメリカの世界戦略を支持し続けた結果、1972年には沖縄の施政権が返還されました。

少なくともこの時期までは、対米従属には主権の(部分的)回復、国土の(部分的)返還という「見返り」がたしかに与えられた。その限りでは「対米従属を通じての対米自立」という戦略は実効的だったのです。

ところが、それ以降の対米従属はまったく日本に実利をもたらしませんでした。

沖縄返還以後43年間、日本はアメリカの変わることなく衛星国、従属国でした。けれども、それに対する見返りは何もありません。ゼロです。

沖縄の基地はもちろん本土の横田、厚木などの米軍基地も返還される気配もない。そもそも「在留外国軍に撤収してもらって、国土を回復する」というアイディアそのものがもう日本の指導層にはありません。

アメリカと実際に戦った世代が政治家だった時代は、やむなく戦勝国アメリカに従属しはするが、一日も早く主権を回復したいという切実な意志があった。けれども、主権回復が遅れるにつれて「主権のない国」で暮らすことが苦にならなくなってしまった。その世代の人たちが今の日本の指導層を形成しているということです。

 

── 日本が自立志向を持っていたのは、田中角栄首相までということですね。

 

内田 田中角栄は1972年に、ニクソン・キッシンジャーの頭越しに日中共同声明を発表しました。これが、日本政府がアメリカの許諾を得ないで独自に重要な外交政策を決定した最後の事例だと思います。

この田中の独断について、キッシンジャー国務長官は「絶対に許さない」と断言しました。その結果はご存じの通りです。アメリカはそのとき日本の政府が独自判断で外交政策を決定した場合にどういうペナルティを受けることになるかについて、はっきりとしたメッセージを送ったのです。

 

── 田中の失脚を見て、政治家たちはアメリカの虎の尾を踏むことを恐れるようになってしまったということですか。

 

内田 田中事件は、アメリカの逆鱗に触れると今の日本でも事実上の「公職追放」が行われるという教訓を日本の政治家や官僚に叩き込んだと思います。それ以後では、小沢一郎と鳩山由紀夫が相次いで「準・公職追放」的な処遇を受けました。二人とも「対米自立」を改めて国家目標に掲げようとしたことを咎められたのです。このときには政治家や官僚だけでなく、検察もメディアも一体となって、アメリカの意向を「忖度」して、彼らを引きずり下ろす統一行動に加担しました。

 

── 内田さんは、1960年代に高まった日本の反米気運が衰退した背景にアメリカの巧みな文化戦略があったと指摘しています。

 

内田 占領時代にアメリカは、日本国民に対してきわめて効果的な情報宣伝工作を展開し、みごとに日本の言論をコントロールしました。しかし、親米気運が醸成されたのは、単なる検閲や情報工作の成果とは言い切れないと思います。アメリカ文化の中には、そのハードな政治的スタイルとは別にある種の「風通しのよさ」があります。それに日本人は惹きつけられたのだと思います。

戦後まず日本に入ってきたのはハリウッド映画であり、ジャズであり、ロックンロールであり、レイバンやジッポやキャデラックでしたけれど、これはまったく政治イデオロギーとは関係がない生活文化です。その魅力は日本人の身体にも感性にも直接触れました。そういうアメリカの生活文化への「あこがれ」は政治的に操作されたものではなく、自発的なものだったと思います。

同じことは1970年代にも起こりました。大義なきベトナム戦争によって、アメリカの国際社会における評価は最低レベルにまで低下していました。日本でもベトナム反戦闘争によって反米気運は亢進していた。けれども、70年代はじめには反米気運は潮を引くように消滅しました。それをもたらしたのはアメリカ国内における「カウンター・カルチャー」の力だったと思います。

アメリカの若者たちはヒッピー・ムーブメントや「ラブ・アンド・ピース」といった反権力的価値を掲げて、政府の政策にはっきりと異を唱えました。アメリカの若者たちのこの「反権力の戦い」は映画や音楽やファッションを通じて世界中に広まりました。そして、結果的に世界各地の反米の戦いの戦闘性は、アメリカの若者たちの発信するアメリカの「カウンター・カルチャー」の波によっていくぶんかは緩和されてしまったと思います。というのは、そのときに世界の人々は「アメリカほど反権力的な文化が受容され、国民的支持を得ている国はない」という認識を抱くようになったからです。「ソ連に比べたらずっとましだ」という評価を無言のうちに誰しもが抱いた。ですから東西冷戦が最終的にアメリカの勝利で終わったのは、科学力や軍事力や外交力の差ではなく、「アメリカにはカウンター・カルチャーが棲息できるが、ソ連にはできない」という文化的許容度の差ゆえだったと思います。

統治者の不道徳や無能を告発するメッセージを「文化商品」として絶えず生産し、自由に流通させ、娯楽として消費できるような社会は今のところ世界広しと、いえどもアメリカしかありません。

アメリカが世界各地であれほどひどいことをしていたにもかかわらず、反米感情が臨界点に達することを防いでいるのは、ハリウッドが大統領やCIA長官を「悪役」にした映画を大量生産しているからだと私は思っています。アメリカの反権力文化ほど自国の統治者に対して辛辣なものは他国にありません。右手がした悪事を左手が告発するというこのアメリカの「一人芝居的復元力」は世界に類を見ないものです。

アメリカの国力の本質はここにあると私は思っています。

これはアメリカ政府が意図的・政策的に実施している「文化政策」ではありません。国民全体が無意識的にコミットしている壮大な「文化戦略」なのだと思います。

 

── 長期的にアメリカの国力が低下しつつあるにもかかわらず、親米派はアメリカにしがみつこうとしています。

 

内田 アメリカが覇権国のポジションから降りる時期がいずれ来るでしょう。その可能性は直視すべきです。

直近の例としてイギリスがあります。20世紀の半ばまで、イギリスは7つの海を支配する大帝国でしたが、1950年代から60年代にかけて、短期間に一気に縮小してゆきました。植民地や委任統治領を次々と手放し、独立するに任せました。その結果、大英帝国はなくなりましたが、その後もイギリスは国際社会における大国として生き延びることには成功しました。いまだにイギリスは国連安保理の常任理事国であり、核保有国であり、政治的にも経済的にも文化的にも世界的影響力を維持しています。

60年代に「英国病」ということがよく言われましたが、世界帝国が一島国に縮減したことの影響を、経済活動が低迷し、社会に活気がなくなったという程度のことで済ませたイギリス人の手際に私たちはむしろ驚嘆すべきでしょう。

大英帝国の縮小はアングロ・サクソンにはおそらく成功例として記憶されています。ですから、次にアメリカが「パックス・アメリカーナ」体制を放棄するときには、イギリスの前例に倣うだろうと私は思っています。

帝国がその覇権を自ら放棄することなんかありえないと思い込んでいる人がいますが、ローマ帝国以来すべての帝国はピークを迎えた後は、必ず衰退してゆきました。そして、衰退するときの「手際の良さ」がそれから後のその国の運命を決定したのです。

ですから、「どうやって最小の被害、最小のコストで帝国のサイズを縮減するか?」をアメリカのエリートたちは今真剣に考えていると私は思います。

それと同時に、中国の台頭は避けられない趨勢です。この流れは止めようがありません。これから10年は、中国の政治的、経済的な影響力は右肩上がりで拡大し続けるでしょう。

つまり、東アジア諸国は「縮んで行くアメリカ」と「拡大する中国」という二人のプレイヤーを軸に、そのバランスの中でどう舵取りをするか、むずかしい外交を迫られることになります。

フィリピンはかつてクラーク、スービックという巨大な米軍基地を国内に置いていましたが、その後外国軍の国内駐留を認めないという憲法を制定して米軍を撤収させました。けれども、その後中国が南シナ海に進出してくると、再び米軍に戻ってくるように要請しています。韓国も国内の米軍基地の縮小や撤退を求めながら、米軍司令官の戦時統制権については返還を延期しています。つまり、北朝鮮と戦争が始まったときは自動的にアメリカを戦闘に巻き込む仕組みを温存しているということです。

どちらも中国とアメリカの両方を横目で睨みながら、ときに天秤にかけて、利用できるものは利用するというしたたかな外交を展開しています。これからの東アジア諸国に求められるのはそのようなクールでリアルな「合従連衡」型の外交技術でしょう。

 

残念ながら、今の日本の指導層には、そのような能力を備えた政治家も官僚もいないし、そのような実践知がなくてはならないと思っている人さえいない。そもそも現実に何が起きているのか、日本という国のシステムがどのように構造化されていて、どう管理運営されているのかについてさえ主題的には意識していない。それもこれも、「日本は主権国家ではない」という基本的な現実認識を日本人自身が忌避しているからです。自分が何ものであるのかを知らない国民に適切な外交を展開することなどできるはずがありません。

私たちはまず「日本はまだ主権国家ではない。だから、主権を回復し、国土を回復するための気長な、多様な、忍耐強い努力を続けるしかない」という基本的な認識を国民的に共有するところから始めるしかないでしょう。(終わり)

 

<内田樹氏プロフィール>

1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある

 

 ポイントは、日本という世界最大の債権大国をいいようにコントロールするメリットの大きさである。現在米国は、日本という属国が存在しなかったら、覇権を維持することができない経済状態である。そのために戦後70年にわたって米国はあらゆる手を打ってきた。その成果が現在の日本社会である。

 

 

<参考文献>

・「安保条約の成立―吉田外交と天皇外交」(岩波新書)豊下楢彦

・「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波現代文庫) 豊下楢彦

・「昭和天皇とワシントンを結んだ男~「パケナム日記が語る日本占領」(新潮社)青木冨貴子

・「ブラックウォーター――世界最強の傭兵企業」ジェレミー・スケイヒル

 イラクでは現在10万人以上の「民間軍事会社」従業員が活動をしている。そのうちの多くの部分が、「傭兵」である。頼まれればどこにでも傭兵を派遣する民間軍事産業は、911以降の政治情勢を背景にして大きく成長。ブラックウォーターUSAは、そういった民間軍事会社の最大手、まさに「世界最強の傭兵軍」という呼び名がふさわしい存在である。ブラックウォーターが登場してきた背景と、戦争の民営化が巻き起こしている問題をジェレミー・スケイヒルが鋭く提起している。

6月 152015

日本政治を図らずも30年近く見てきて、いつも不思議に感じてきたことがある。それは、「地方分権」と言われながら、いまだにすべての情報は中央、東京に集中し、内政における大枠の情報がほとんど東京に集中していることである。しかも国家主権にわたる外交、安全保障、国の経済政策、教育政策、福祉政策、医療政策、その他の分野でも大きな方針、政策は、すべて霞ヶ関から、国会議員に「勉強会」という形で官僚から卸されてくるのである。

そこで国会議員になった人間は、その中の一つか二つの分野に精通し、期数を重ねることによっていわゆる族議員というものになって、その内政の利権のお裾分けに預かる。この仕組みが、今も続く戦後の日本政治である。

さらに不思議なことは、その霞ヶ関に大きな政策を棚卸ししてくるのが、戦勝国であるアメリカなのである。

今回は、その大きな役割の一つを担っている「日米合同委員会」なるものを改めて紹介したい。不勉強の小生はこの組織のことを知ったのが、十年ちょっと前である。2011年の311以降、ネットや一部の本でもやっと言及されるようになったが、多くの日本人はマスコミがほとんど報道しないので全く知らないのではないだろうか。

そのためにいまだに一般の日本人には、認識されていないが、「日米合同委員会」というものが、戦後日本政治をコントロールしてきた最重要会議であることは間違いないのである。憲法で規定された国権の最高機関である国会を現実には超越していると言っても過言ではない。今回の安保法制を巡ってもテレビのニュース等で、あたかも日本が独立国としてこの法制を審議しているかのような報道がなされているが、残念ながら、このような報道は戦後に創られた共同幻想を維持するためものでしかない。

 

ところで、話題の書である矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、矢部宏治氏は、「日米合同委員会」についてこう書いている。

 日本はなぜ帰途と原発を止められないか


「官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです」


 

日米合同委員会の構成メンバーを見ると、米側がほとんど軍人である。米側代表は在日米軍司令部副司令官である。代表代理として在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。在日米軍の軍人が威嚇するかのごとく居並んでいる。

日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長である。代表代理は、法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官である。選挙で選ばれた政治家は一人も入っていない。

これは極めて象徴的な演出で、米国側は意識的に軍人を出している。現在も日本が米国の軍事占領下にあることの象徴なのだろう。わかりやすく言えば、日本官僚はネイティブの日本支配者であり、在日米軍の意向を受けて官僚の利権を維持拡大しているというわけである。

そして、日米合同委員会から多くの検事総長を出す。そして日本の対米隷属に異を唱え、真の独立を目指す人間を裁判にかけて攻撃する。その対象になったのが、最近では小沢一郎氏であった。

また、日米合同委員会で決まったことが公表されることはない。記録として残されることもない。いわば密約である。それが日本官僚を通じて政権与党である自民党に降ろされている。前回のレポートでも指摘した覇権国である米国経済の実情を考えると、もっと多くの日本人がこのことを知るべき時を迎えている。

日米合同委員会1日米合同委員会2

下記の参考資料を読んでいただければ、総理になった人間ですら、日米合同委員会のことを知らなかったことがわかる。日本の政治は見事なまでに空洞化しているのである。

<参考資料>

(*週プレNews  20141216日より)

「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」で話題の矢部宏治が鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!

矢部宏治

鳩山友紀夫元首相(右)と矢部宏治氏が日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩むための方法を議論

民主党・鳩山政権の崩壊と沖縄の基地問題を出発点に、日本の戦後史を振り返った話題の新刊『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)の著者・矢部宏治(やべ・こうじ)氏。そして、まさにこの本を執筆するきっかけとなった鳩山友紀夫元首相。このふたりが、辺野古移設反対派の圧勝に終わった11月の沖縄県知事選や総選挙を踏まえ、事実上、今も米軍の占領状態が続いているこの国の姿と、日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩んでいくためにはどうすればいいのか、その方法を考えた!>

首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体

―まずは鳩山さんに、矢部さんの本を読まれた率直な感想から伺いたいのですが?

鳩山  正直申し上げて“ぶったまげた”というか、矢部さんがここまで勇気を持って取材され、この本を書かれたことに敬服しました。先にこの本を読んでいれば、私も総理を辞めずに済んだかもしれない、と(笑)。
もちろん、私は自分の非力について言い訳する気はありません。総理として一度は沖縄県民に期待感を与えながら(県外移設を)実現できなかったのは私に大きな責任があります。
ただ、この本を読んで、当時、自分がもっと政治の裏側にある仕組みを深く理解していれば、結果が違っていた部分もあるのかなとは思いました。それだけに、自分が総理という立場にありながら、この本に書かれているような現実を知らなかったことを恥じなきゃいかんと感じるわけです。

矢部  鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?

鳩山  物事が自分の思いどおりに進まないのは、自分自身の力不足という程度にしか思っていませんでした。本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。その裏側、深淵の部分まで自分の考えは届いていなかったのです。
 しかし、矢部さんのこの本はもっと深いところで米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながって一体となった姿を見事に解き明かしてくれて、いろんなことが腑(ふ)に落ちました。この本を読んで、目からうろこが何枚落ちたかわからないくらい落ちましたね。

矢部  在日米軍と日本のエリート官僚で組織された「日米合同委員会」の存在は、当時ご存じなかったということでしょうか?

鳩山  お恥ずかしい話ですが、わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。
 私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。

矢部  日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのですが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。
 なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということなんです。
 しかも、在日米軍基地の違憲性をめぐって争われた1959年の砂川裁判で、当時の駐日米国大使だったダグラス・マッカーサー2世が裁判に不当な形で介入し、「日米安保条約のような高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしない」という判例を残してしまった。ですから日米合同委員会の合意事項が仮に憲法違反であっても、日本国民にはそれを覆(くつがえ)す法的手段がない。

鳩山  それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。

矢部  ですから、鳩山さんの言う「官僚たちが忠誠を誓っていた何か別のもの」、つまり鳩山政権を潰(つぶ)したのは、この60年続く日米合同委員会という米軍と官僚の共同体であり、そこで決められた安保法体系だというのが現時点での私の結論ですね。

 

―そうした仕組みの存在を知った今、鳩山さんはどのような思いなのでしょうか。

鳩山  日米合同委員会に乗り込んでいきたいぐらいだね。「何をやってるんだ、おまえら!」みたいな感じで。
 ただ、そういうものが舞台裏で、しかも、憲法以上の力を持った存在として成り立っていたとしても、決してメディアで報道されることもないし、このメンバー以外にはほとんど知られないような仕組みになっているわけですよね。

矢部  このような「見えない力」の存在は、政権内にいないと、野党の立場ではまったく知り得ないものなのでしょうか?

鳩山  私も自民党時代がありましたので、8年は政権党にいたわけですが、当選1回や2回の新人議員の間は、官邸内部で何が動いているか知りようもありませんでした。でも与党の一員としては扱ってもらっていたと思います。
 それが野党となると、与党、特に与党の中枢の方々とは情報量が圧倒的に違う。官僚も野党に話す場合と与党に説明に行く場合では、丁寧さも説明に来る人の役職も全然違う。そのぐらい野党に対しては、官僚は区別し、冷たい対応をしていました。
 つまり、自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。
 この先、特定秘密保護法によって、ますます国民には何も知らせない国になるわけで、非常に恐ろしいことだと思います。

 

日本全土が「米軍の基地」という現実

矢部  「横田空域」という、1都8県の上に米軍が管理している広大な空域がありまして、日本の飛行機はここを飛べない。これなんか典型的な「米軍が自由に日本の国土を使える」事例ですね。

鳩山  私も横田空域のせいで、日本の航空会社が非常に不自然な飛行ルートで飛ばされていることは知っていましたが、「沖縄と同じように、米軍の優位性というのが東京や関東周辺にもあるんだな」という程度にしか理解していなかった。
 しかし、具体的に図を見ると、関東上空がこれほど広範囲に米軍に「占領」されているという事実に仰天しますよね。沖縄だけではなくて、実は日本全体がアメリカに今でも支配されているも同然ですから。

矢部  飛行ルートの阻害もありますが、それより問題なのは、米軍やCIAの関係者が日本の国境に関係なく、この空域から自由に出入りできる、入国の「裏口(バックドア)」が存在することです。これはどう考えてもおかしな話で、こんなことは普通の主権国家ではあり得ません。
 この問題なんて国際社会にアピールしたら、みんなすごく驚くと思うんです。これは今、日本で起きているほかの問題、特に原発の問題にも絡んでくる話ですが、日本という国が置かれている状況の歪(ゆが)みやおかしさを伝えるいい事例になると思っています。
 結局、日米安保条約とは、米軍が「日本の基地」を使う権利ではなく、「日本全土」を基地として使う権利を定めたものなのです。
 旧安保条約の第1条で米軍にその権利が認められ、60年の安保条約で文言は変わっていますが、その権利は残されている。これを「全土基地方式」というのですが、これはなんとしても国際社会にアピールして変えていかないといけない

 

鳩山  矢部さんの本だと、米軍がそんなことをできる根拠は、敗戦国である日本を今でも「敵国」と見なした、国連憲章の「敵国条項」があるから、という話でしたが。

矢部  そこの説明は少し複雑で、旧安保条約第1条には、そうしたメチャクチャな軍事利用のあり方は、日本側が望み、アメリカ側がそれに応えたものだということが書かれている。そうした戦後処理を日本が望んだ以上、日本の主権や国民の人権がいくら侵害されていても、国連は口を出せないというロジックになっているんです。一種の法的トリックと言ってもいい。
 ですから、日本にちゃんとした政権が誕生して、国際社会で堂々と議論し、「全土基地方式はやめてくれ」と言ったら「それは敵国条項があるから無理だ」とは絶対ならないと思います。

米軍の占領状況を米国民に訴えろ!

鳩山  矢部さんのような方の努力もあって、私もようやく目隠しが外れて真実が見えてきたわけですが、問題はそこから先をどうするかです。やはり一部の人たちだけが目隠しを外すんじゃなくて、日本の国民の多くに触れられるPR戦術というか、日本の戦後の背後には何があるのかをきちんと解き明かす手段が必要だと思いますね。
 それと、日米関係に関わっている米軍関係者を除けば、アメリカの議会や国民は日米合同委員会なるものがどういう役割を果たしてきたのか、それが今も日本の主権をさまざまな形で侵害している事実も知らないと思います。しかし、こうした状況はアメリカの国民から見ても「異常なこと」だと映るはずですから、われわれが海外、特にアメリカの議会や国民に対して「日本は今も事実上、米軍に占領されているけれど、本当にこれでいいのか?」と訴えることが重要です。

矢部  情報発信という意味では、今、ドイツなど多くの国が日本の原発汚染に対して「何を考えてるんだ!」って相当に怒っている。基地の問題だけだと「勝手にやっててくれ」となるかもしれないけれど、原発の問題はそうはいかない。全地球的な問題です。
 あれだけ深刻な原発事故を起こした日本がなぜ、今再び原発推進への道を進もうとしているのか? その背景には「日米原子力協定」という、自国のエネルギー政策すらアメリカの同意なしには決められないという、客観的に見ても非常に歪(いびつ)な構造がある。それをうまく国際社会にアピールできたら、こうした日本の歪んだシステムに世界の光が当たる可能性はあります。

鳩山  そうですね、日本のメディアも完全に取り込まれてしまっているのであれば、基地の問題だけではなく、原発も併せて海外に訴えるほうが、圧倒的に意義があると思います。

ただし、そうした「外圧」に頼るだけでなく、結局はこの国の政治を変えない限り、そして多数派にならない限り、こうした流れは大きく変えられません。

 

2015.03.16 NEWSポストセブンより 

「米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在」

 

東京都港区南麻布。都内屈指の閑静な高級住宅地も、そこだけは異空間が広がる。入り口には屈強なガードマンが立ち、脇には「100%、IDチェック」と書かれた案内書きがある。米軍施設の「ニューサンノーホテル」である。

 在日米軍関係者は、「ここは赤坂の米国大使館以上に、米国にとって重要な施設。表向きは来日した米軍関係者の宿泊施設ですが、米海軍情報部やCIAの拠点が置かれていて、日米のインテリジェンスの集積地です」と説明する。

 日本のメディアどころか、政治家も立ち入れない。そんな場所で、日本の高級官僚と在日米軍関係者は、定期的に会合を重ねていた。それが日米合同委員会後述するが1960年に締結された日米地位協定(※注1)をどう運用するかを協議する実務者会議だ。

 

※注11952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」が前身。1960年に日米安全保障条約を締結した際に改めて交わされた。 そこでは、日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から、米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。 前者は在日米軍基地の移転・縮小、米海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備といった問題、後者は基地内のゴミ処理、航空機の騒音問題などだ。かつては、米兵の犯罪並びにその処遇も、開かれた法廷ではなく、密室の話し合いによって、解決がなされたこともあった。 日米合同委の組織は、米国側は在日米軍司令部副司令官、在日米大使館公使など、日本側は外務省北米局長を代表として法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長といった面子だ。

 日本側の代表者及び代表代理は、将来的に事務次官を狙えるポストにある。そんな高級官僚が、在日米軍や米大使館の有力者と密議を交わすことから、日米合同委は「影の政府」との異名もつく。

 ただし、彼らが一堂に会するわけではない。同委員会は、基地問題、刑事、環境な35の分科会や部会に分かれ、担当ごとに参加者が決まる。実際に出席したことのある官僚が明かしてくれた。

 

「日米の責任者(担当者)が最低一人、書記および通訳などの職員が最低二人は出席する。対話は基本的には日本語で行なわれますが、日本側も英語の話せる通訳を連れているため、微妙なニュアンスで日米の解釈が異なるという事態は生じない」

 

 関係者らの話をまとめると、毎月2回ほど開かれ、開催場所は米国と日本で持ち回りとなる。米国ならニューサンノーホテル、日本の場合は外務省を中心に、分科会や部会ごとに代表者の所属する官庁内で開催されているという。

 だが、会合の中身は一切明かされない。合意の一部は外務省、防衛省のホームページに公表されているが、それも簡潔に記されているだけだ。

 同委員会を所管する外務省北米局に日米合同委の詳細を問い合わせても、「回答できるのは、既に公表しているものだけ」の一点ばりで、防衛省広報課に問い合わせても、「外務省が所管なので、外務省に聞いてください」という堂々巡りだった。

 

 元琉球新報論説委員で、在日米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学大学院教授・前泊博盛氏は語る。

 

「日米合同委に合意内容を公表する義務はない。日米双方の合意がない限り公表しない取り決め(※注2)になっているからです。」

 

※注219962月に、日米両政府は日米地位協定の9項目についての運用改善で合意。「日米合同委員会の公表」もそこに含まれた。しかし、結果的に「合意内容」の公表こそ一部改善はされたものの、会合内容が公表されることはなかった。

 

 「基本的に軍事関係の取り決めなので米軍側は、情報を出したくない。また、米軍に有利に推移した合意内容を表に出して、日本人の神経を逆なでしたくないという思いもある。日本側としても、米国との交渉に負けた、との誹りを避けるために、できるだけ隠密に事を収めたい」

 

 必然的に日米合同委は「密約の温床」になってしまう。(終わり)

日米合同委員会組織図

日本人だけが知らない?世界の日本食品事情

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5月 222015

日本人だけが知らない世界の食品事情

*図はホワイトフードhttp://www.whitefood.co.jp/radioactivitymap/forign-government/3419/より転載



赤色:日本食で輸入禁止措置の項目がある国

オレンジ:輸入される日本食に対して放射能検査を要求、あるいは、自国で放射能検査を実施

 

諸外国・地域の規制措置(平成27年 51日現在)農林水産省のホームページより

http://www.maff.go.jp/j/export/e_info/pdf/kisei_all_150501_2.pdf

 

*現在のフクシマ第一原発の状況を考えると上記の世界地図にすべて色が付くのも時間の問題。多くの日本人にはそのことが全く知らされていない。上記の一覧表を見れば、「フクシマを食べて応援というキャンペーン」が如何に不自然なものかは、一目瞭然。

また、米国は日本食品について台湾以上に厳しい規制をしているが、日本政府は抗議すらしたことがない。



「日本という国家が崩壊するわけですよね。かなり大きな県ですけれども。無人にするということですから。国家の方はそのことが分かっているので、もう駄目だと、もう人々に被曝をさせるしかないというそういう作戦に彼らは打って出たということになります。」(小出裕章)

 

(このことは、船橋洋一氏の「カウントダウンメルトダウン」という本を読めば、よくわかります。避難基準をチェルノブイリ事故のあったロシアと同じ年、5ミリシーベルトにして試算すると、福島県がなくなってしまうために20ミリシーベルトにせざるを得なかったことが淡々と書かれています。)

 

*日刊ゲンダイより

 

「米国の輸入規制に黙る安倍政権…台湾には“脅し外交”のア然」  2015515

 

台湾が福島第1原発事故後に導入した日本食品の輸入規制を、15日から強化することについて、日本政府が大騒ぎしている。14日、産経新聞は1面で「台湾、日本食品全て輸入停止」と大見出しで報じたが、これが大間違い。

 もともと、台湾は原発事故以降、福島など5県産の食品の輸入を停止。今回はそれに加えて、全ての食品に都道府県別の産地証明を、乳幼児用食品など一部製品には放射線検査証明を義務付けたにすぎない。

 

 産経の記事を読むと、まるで台湾が輸入を全面停止するような印象を受けるが、実際には産地証明書などがそろえば、日本から輸出可能だ。ところが、台湾の規制強化に敏感に反応したのが安倍政権である。

 

 菅義偉官房長官は定例会見で「科学的な根拠に基づかない一方的な措置で、極めて遺憾だ」と怒りをぶちまけ、林芳正農相も「WTOへの提訴を含めしかるべき対応を検討したい」と吠えた。

 

しかし、台湾に限らず他国でも、日本食品に関する規制は現在も続いている。とりわけ、顕著なのが米国だ。岩手や宮城、福島など14県産を対象に、特定品目を輸入停止した上で、他の都道府県の食品全てに、米国内でのサンプル検査を義務付けている。そんな米国に、安倍政権は文句ひとつ言ったことはない。

 農林水産省の食料産業局輸出促進グループの担当者は「米国は幅広く規制しているように見えますが、規制を緩和する方向に動いていて、徐々に規制品目も減ってきています。台湾はなぜ今、規制を強化するのか、科学的な根拠が示されていません」と説明する。

 

 台湾では今年3月、輸入を禁止していた福島などの5県産の食品が、密かに輸入されていたことが発覚。これを機に台湾国内で食の安全への関心が高まったことが、規制強化につながっている。

 こうした現状を踏まえ、交渉するのが政府の務めだが、安倍政権は“格下扱い”の台湾には提訴をちらつかせる“脅し外交”で、米国にはひたすら沈黙の隷属路線だ。

 これでは国際的にますます孤立を深めるだけだろう。(引用終わり)

 

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