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成人式を迎えた若人に是非、読んでもらいたい本である。

今回は、如何に現代人が「グローバリズム、新自由主義の思想」に毒されているかを、また、日本では、公共を考える政治、国益(国民全体の利益)を守る政治が機能しなくなりつつあるかを理解できる逆説的な名著として、京都大学の人気講師の話題の本を紹介させていただく。 

 それでは、本の内容を要約して紹介する。

「僕は君たちに武器を配りたい」瀧本哲史著(講談社) 

 

<第1章 勉強できてもコモディテイ(使い捨て商品)> 

医師、弁護士、公認会計士といったような高学歴の・高スキルの人材が、世界中の先進国でニートやワーキングプアになってしまう潮流が押し寄せている。これまで、大学が伝統的に提供してきた、「知識をたくさん頭脳につめこんで専門家になれば、良い会社に入れて良い生活を送ることが可能となり、それで一生が安泰に過ごせる」というストーリーが世界規模で急激に崩れ去ろうとしている。 

しかし、最近の日本では「勉強して努力すれば必ず幸せになれる」という考え方がメディア等で盛んに宣伝されている。自己啓発書が相次いで出版され、朝活などというものが盛んに開かれている。そうした努力神話を信じて、英語やITや会計を勉強した人のうち、実際に年収が増えた人はほとんどいない。

これは、学歴信仰が壊れ、経済のグローバル化が急ピッチで進み、日本人同士のみならず外国人との間でも職の奪い合い始まっている今日の日本が、明治維新以来の不安定な時代となっていることを意味している。

そういう時代だからこそ、ますます安定した道を求める真理も昂じて、「資格を取れば安心できる」とか勉強しなくてはならないといったストーリーに乗ることを欲したのだろう。それに乗じた形で勉強ブームといえる現象を起こし、金儲けをしている目先の利く人たちがいる。

いまの世の中、つまり高度に発達した資本主義(米国主導のグローバリズム)の下では、必死に勉強して「高度なスキル」を身につけてもワーキングプアになってしまう。それは、かつて高収入を得られた付加価値の高い職業が、もはや付加価値のない職業へと変わりつつあることに起因している。弁護士にしても、英会話が堪能にしても、MBA取得でも、需要と供給のバランスが崩れ、スキルや資格を持った者が余っている状態になってしまっている。

こうした急激な社会変化が、あらゆるところで起こっているのが現代の社会である。今まで、うまくいっていたやり方が通用しなくなり、これまでと同じ方向性で頑張っても、豊かな生活を営むのは難しくなってしまった。物心両面ともに幸福で充実した人生を過ごすには、これまでとはまったく違う要素が必要なのではないか。そのことにみな気づき始めているのだが、かといってどうすればいいのか分らない。それが今の時代を覆っている閉塞感の大きな一因だ。(本当は根本的な哲学、歴史観に基づくパラダイムシフトが必要なのだ)

留めることができない変化は、一部の例外を除いて、どんどん賃金の最低金額が下がっていく、ということだ。(日本政府と日本銀行が現在の政策を変更しない限りにおいて)

ここで瀧本先生は「コモディテイ」という概念を持ち出してくる。市場に回っている商品が、個性を失ってしまい、消費者にとってみればどのメーカーのどの商品を買っても大差がない状態。それを「コモディテイ化」と呼ぶ。経済学の定義によれば、コモディテイとはスペックが明確に定義できるもののことを指す。材質、重さ、大きさ、数量など、数値や言葉ではっきりと定義できるものは、すべてコモディテイだ。つまり、個性のないものはすべてコモディテイなのである。

一定のレベルを満たしていれば、製品の品質は関係ない。例えば、日本の自動車部品メーカーが作る製品の質は、非常に高いレベルにある。しかし、グローバル化して少しでも安い部品を調達したい自動車会社から見れば一定のスペックを満たしていれば、それらの部品はすべて同じだと判断される。だとすれば、少しでも価格の安い方から買いたい。だから、今の自動車業界、とくに部品を供給するビジネスは、どれほど品質が高くても買い叩かれる構造となっている。コモディテイ化した市場で商売をすることの最大の弊害は徹底的に買い叩かれることにある。

さて、ここで彼は主張する。コモディテイ化するのは商品だけでなく、労働市場における人材の評価においても、同じことが起きている。これまでの人材マーケットでは、資格とかTOEICの点数といった、客観的に数値で測定できる指標が重視されてきた。だが、そうした数値は、極端に言えば工業製品のスペックと何ら変わりがない。同じ数値であれば、企業側は安く使える方を採用するにきまっている。TOEIC900点以上ならだれでも同じということになっている。だから、コモディテイ化した人材市場でも、応募者の間で、どれだけ安い給料で働けるかという給料の値下げ競争が始まる。

こうしたコモディテイ化の潮流が、世界中のあらゆる産業で同時に進行している。その流れから逃れることは、グローバリズムに浸食される現代社会に生きる限り、誰にもできない。

これからの時代、すべての企業、個人にとって重要なのは、非常に難しいがコモディテイにならないようにすることなのだ。

労働者の給料がどんどん安くなってきているもう一つの大きな理由は、最低賃金の募集でも喜んで働く人がどんどん増えているということだ。このように、これからの日本では、単なる労働力として働く限り、コモディテイ化することは避けられない。

それでは、どうすればコモディテイ化の潮流から、逃れることができるのだろうか。人より勉強するとか、スキルや資格を身につけると言った努力だけでは意味をなさない。

答えは、スペシャリティになることだ。スベャリティとは、要するに「他の人には代えられない唯一の人物(とその仕事)オンリーワンになること」である。あらゆる業界、あらゆる商品、あらゆる働き方においてスペシャリティは存在する。

しかし、その地位は決して永続的なものではない。ある時期にスペシャリティであったとしても、時間の経過に伴い必ずその価値は減じていき、コモディテイへと転落していく。スペシャリティになるために必要なのは、これまでの枠組みの中で努力するのではなく、まず、最初に現在の超エリートが創ろうとしている資本主義の仕組みをよく理解して、どんな要素がコモディティとスペシャリティを分けるのか、それを熟知することだ。(*もちろん、一番効率的な方法は、超エリートのインサイダーになることである)

<第2章 「本物の資本主義?」が日本にやってきた>

戦後の日本は奇跡の復興とも呼ばれた経済成長を遂げた。そのころの日本企業を支えてきたのは、いわゆる「護送船団方式」と言われる政府の手厚い保護政策であった。事業の許認可や輸入品に対する厳しい規制を設けることで新規参入を妨げ、競争はあってもそれに敗れた大手企業からできるだけ落伍者を出さないよう、あらゆる分野で政府がコントロールしていた。

しかし、1985年のプラザ合意、そえから数年間の欧米資本によってつくらされたバブル崩壊と時を同じくして終焉する。為替操作による作られた円高と自国通貨建てで対外投資をすることを許されない状況下での経済グローバル化によって日本の国内産業は、生産拠点を海外に移すことを余儀なくされた。その結果、中国や台湾、シンガポールなどをはじめとした新興国の産業化が次々に進み、安い労働力で日本の産業から仕事を奪っていくように仕向けられた。世界中の人々と市場で競争を迫られる著者の言う「本物の資本主義」の社会へと否応なく足を踏み出さねばならなくなったのが現在の日本である。日本のような実際には主権のない国の企業はきわめて主権のある国と比較して不利な競争を強いられることになる。

国内需要の低迷で何とかしなければならなくなったとき、全社一丸となって踏ん張ればまた上向くということは、もはや絶対に期待できない。(*それができるのは、国だけである。しかし、マネーの帝国循環をさせるために、日本のその機能は米国によって封印されている。)部品メーカーも販売店もしのぎを削って、より効率を高めた企業がそうでない企業を呑み込んでいく、あるいは日本から海外への進出に対応できた事業者だけが生き残っていく、そういう時代なのだ。資本主義を支える根本的な原理が「より良いものが、より多く欲しい」「同じものなら、安いものの方がいい」という、人間の普遍的な欲望に基づいているからである。(*しかし、なぜその製品が安くなったのか、考えてみよう。政治力による為替操作によるかもしれないではないか。)

現代の日本の産業界で労働者の賃金が下がってきているのは、産業界が派遣という働き方を導入したのも原因の一つだが、本来は超過利潤を生む技術革新が国際政治における日本政府の力のなさをカバーするために賃金を下げる方向のみに使われたことにある。 その結果、自車産業に代表される工場のラインが最新鋭にオートメーション化され、コモディテイ化した労働者がそこに入っても、高品質の製品が作れるようになった。シュンペターの理論によれば、会社に超過利潤をもたらす技術革新が円高をカバーするために使われ、労働者の賃金を下げることによって生き延びる方法を企業にとらせたのである。たしかに産業の成熟化が進み、熟練労働者が必要なくなれば、労働者は必然的に買い叩かれる存在となっていくのであるが、国際政治というパワーポリティックスの中で半分しか主権のない国、日本はいつも不利な条件を受け入れさせられるのだ。白色人種でない敗戦国の特色だとも言えよう。

日本経済が疲弊化していった理由はほかにもある。国レベルで見ても、日本のビジネスモデルというのは、すでに陳腐化している。かつて日本が強かったのは「摺り合わせ製造業」という分野だった。しかし、時代が変わり、すさまじい工作機械(日本製であることは言うまでもない!)の進歩により、中国では人海戦術で多品種の製品を作るようになり、差をつけることが難しくなってしまったのである。現在でも日本の企業の作る品質は高い。しかし、中国の企業の製品の品質との差は微妙で、ユーザーにとっては殆ど関係がない。ユーザーにとっては「分らない差異は、差異ではない」のである。それより、色やデザイン、価格といったはっきり自分でわかる差異の方が大事なのである。

(*瀧本先生は中国を初めアジア諸国が日本の工作機械がなければ、生産できないことにはわざと触れていない。)

<第3章 学校では教えてくれない資本主義(グローバリズム)の現在>

起業については、卒業したての学生が起業するときに、一番よくある失敗は、コモディテイ会社を作ってしまうことだ。学生ベンチャーが業界に新規参入し、たまたまある時期成功したとしても、それは学生の労働力が社会人に比べれば圧倒的に安く済み、またヒマであるがゆえに仕事が速いと言った理由で、一時的に競争力があったに過ぎない。だからこそ学生は、卒業後すぐな起業するのではなく、一度就職して、社会の仕組みを理解した上で、コモディテイ化から抜け出すための出口を考えながら仕事をしなければならない。そうして出口を考えながら好機を待っていた人が、30前後で満を持して起業し、成功するパターンがベンチャーには多く見られる。

(専業主婦とは、夫に自分の人生のすべてをかけるということである。死ぬまで健康な男はいない。絶対に潰れない会社も存在しない。他人に自分の人生のリスクを100%委ねることほど、危険なことはない)

就職活動を控えた学生に、混乱をもたらしている原因のひとつとして、企業側が学生に求める資質の変化も挙げられるだろう。ほんの少し前までは、企業側は学生に対して即戦力であることを求めておらず、むしろ「真っ白な状態で入社したものを、一から鍛えたい」と考える企業が多かった。しかし現在では、どこの企業も入社後すぐに戦力として使える人材を求めている。1990年代までの日本は、高い最終学歴を獲得すれば、良い就職先に入ることができ、その後の人生における収入と社会的地位を確固とすることができた。学歴主義には弊害もあったが、少なくとも努力をして学校で成績を上げることが、社会的地位の向上につながるという、分りやすい価値観を社会と個人にもたらした。そのため、「良い暮らしができないのは個人の努力が足りないからだ」と、社会的にも見なされ、「なぜ私は不遇なのか→それは努力が足りなかった」という具合に、不公平感を抑えることができていた。その後、90年代後半、目に見える「テストの結果」や「学歴」に加え、「意欲」や「コミュニケイション力」などの定義があいまいで、個人の人格にまで関わるような能力が、評価の対象になり始めた。その結果、評価される側が、「何をどう努力していいか分らない」と混乱する結果を招いている。このような客観的に数値化できない、性格的特性を重視する傾向が広まることで、若者の無気力や諦め、社会へ出ることへの不安を助長してしまう可能性がある。

現在の日本で、安定した職場というはない。例えば1971年の就職人気企業を見ていると、潰れた会社、今青色吐息の会社が半数以上を占める。この40年間で日本を覆った規制緩和とグローバリゼーションの波に耐えられなかった会社は軒並み倒産するか、ビジネスそのものがコモディテイ化して苦境にあえいでいる。1971年の人気企業で現在生き残っているのは、グローバルブランド化した企業だ。

「世の中でこれが流行っているから」と現時点で話題になっている業界の会社に就職するのも、危険な選択と言える。更に言えば、現在絶好調な会社に就職することは、言葉を変えると、数年後にはほぼ間違いなく輝きを失っている会社に就職することとほとんど同義と言える。どんな素晴らしい企業も、未来永劫その価値を維持し続けることはできない。現代において、働く個人が常に経済的、社会的に高いポジションを維持するためには、次のどのビジネスモデルが成功するか潮流を見極めながら、転職を繰り返すことが必然の行動であることが分かる。投資の世界では「高すぎる株は買ってはいけない」というのが常識である。会社選びも同じだ。就職・転職希望者には、自分が就職を検討している会社が「高すぎる状態」になっていないか、よく考えてみるべきだ。

就職希望者に「これから伸びる産業はどこか」という質問を受けるが、すでに多くの人に注目されてしまっている分野には行かない方がいい、ということだ。就職先を考える上でのポイントは、「業界全体で何万人の雇用が生み出されるか」という大きな視点で考えるのではなくて、「今はニッチな市場だが、現時点では自分が飛び込めば、数年後に10倍か20倍の規模になっているかもしれない」というミクロな視点で考えることだ。  まだ世間の人が気づいていない市場にいち早く気付くことなのだ。

<第4章 日本人で生き残る4つのタイプと、生き残れない2つのタイプ>

資本主義社会の中で安い値段でこき使われず(コモディテイにならず)に、主体的に稼ぐ人間になるためには、次の6つのタイプのいずれかの人種になるのがもっとも近道となる。

1.商品を遠くに運んで売ることができる人(トレーダー)

2.自分の専門性を高めて、高いスキルによって仕事をする人(エキスパート)

3.商品に付加価値を付けて、市場に合わせて売ることができる人(マーケター)

4.まったく新しい仕組みをイノベーションできる人(イノベーター)

5.自分が起業家となり、みんなをマネージ(管理)してリーダーとして行動する人(リーダー)

6.投資家として市場に参加している人(インベスター)

だが、この6タイプの中でも、今後生き残っていくのが難しくなるタイプがいる。それは、最初のトレーダーとエキスパートだ。コモディテイ化が進む現在の社会では、これまでならば、様々な職場で求められ活躍できたタイプの人種が、どんどん必要とされなくなっていく。

トレーダーとは、単にモノを右から左に移動させることで利益を得てきた人のことを指す。会社から与えられた商品を、額に汗かいて販売している多くの営業マンがここに分類される。これまで個々の営業マン人間的能力と労力で培われてきた購買行動が、ネットにより瞬時に検索により、すべてのメーカーの同一ジャンルの製品が一覧で、スペックから価格まで比較検討できるようになった。消費者はその中から最も安いものを選んで買えばいい。企業においてもトレーダー的な業種、商社をはじめ広告代理店や旅行代理店のような商品を右から左に流すことで稼いでいた企業は経営が苦しくなってきている。

生き残りが難しくなってきているもう一つのタイプは、エキスパートだ。エキスパートとは専門家のことを指す。一つのジャンルに特化して、専門知識を積み重ねてきた人は、これまであらゆるジャンルで尊敬の対象だった。しかし、ここ10年間の産業のスピードの変化がこれまでと比較にならないほど早まってきて、産業構造の変化があまりに激しいために、せっかく積み重ねてきたスキルや知識自体が、あっという間に過去のものとなり、必要性がなくなってしまうのである。ある時期に特定の専門知識を身につけても、その先にあるニーズが社会変化に伴い消えると、知識の必要性が一気に消滅してしまうのである。

トレーダーとエキスパート、これまでのビジネスにおいて重要とされてきた「営業力」と「専門性」、その2つが実は風前の灯となっている。何かの分野でエキスパートであることや、モノを動かしてサヤを抜くという仕事は、かつての生産性革命の時代や、国家間での貿易で儲けていた時代にはヒーローでいられた。しかし、今現在の「付加価値を生む差異があっという間に差異でなくなり、コモディテイ化した人材の値段がどんどん安くなっている時代」には、時代遅れの人々にならざるを得ないのである。

<第5章 企業の浮沈のカギを握る「マーケター」という働き方>

これかに生き残るビジネスパーソンのタイプは、マーケター、イノベーター、リーダー、投資家の4種類だ。ただし、便宜上4つのタイプに分類しているが、ここでは一つのタイプを突き詰めるのではなくて、望ましいのは、人釣りのビジネスパーソンが状況に応じて、この4つの顔を使い分け、仕事に応じて、時にはマーケターとして振る舞い、ある機会には投資家として活動していく。そのような働き方が、これからのビジネスパーソンに求められる。

まず、マーケターとは端的、顧客の需要を満たすことができる人のことだ。大切なのは、顧客自体を再定義するということである。つまり、人々の新しいライフスタイルや、新たに生まれてきた文化的な潮流を見つけられる人のことを指す。自分自身で何か画期的なアイディアを持っている必要はない。重要なのは、世の中で新たに始まりつつある、微かな動きを感じ取る感度のよさと、何故そういう動きが生じてきたのかを正確に推理できる、分析力である。さらに売るものは同じでも、「ストーリー」や「ブランド」といった一見捉えどころのない、ふわふわした付加価値や違いを作れることだ。

そもそも資本主義社会では、仕組みとしてあらゆる商品がコモディテイ化していくことが宿命づけられている。ある企業が何か革新的な商品を開発しても、すぐに別の会社がより安いコストで同じような商品を開発しても、すぐ別の会社がより安いコストで同じような商品を作り出し、市場に投入して来る。資本主義社会の中では、常に市場の中で競争が行われ続け、コモディテイ化した商品はどんどん価格が下がっていき、やがて市場から淘汰されていく。陳腐化した商品しか作れない会社もまた勢いが衰え、市場からの退場を余儀なくされる。その繰り返しで、戦後の日本も発展してきたのである。ということは、企業が衰退を避けるには、イノベーションを繰り返して、商品の差異を作り続けなければいけない、ということだ。あらゆる業種、業態の企業が、その前向きな努力をすることで、全体としての社会が進歩していくのが、資本主義社会の基本的なメカニズムなのである。

しかし、インターネットが登場してきた以降の現代では、情報の流通コストがほぼゼロとなった。そのため「差異」は生まれた瞬間から、世界中に拡散し、模倣され、同質化していくこととなった。この十数年、企業の栄枯盛衰のサイクルが、かつてないほど速まっているのは、それが大きな利用である。この流れに巻き込まれているのは、大企業と言えども、例外ではない。企業のコモディテイ化が進む中で、唯一富を生み出す時代のキーワードは、「差異」である。「差異」とは、デザインやブランドや会社や商品が持つ「ストーリー」と言い換えてもいい。

わずかな「差異」がとてつもない違いを生む時代となったのだ。マーケターとは、「差異」=「ストーリー」を生み出し、あるいは発見して、もっとも適切な市場を選んで商品を売る戦略を考えられる人間だと言える。

<第6章 イノベーター=起業家をめざせ>

日本はこれまで人口は増える一方で、経済自体の規模が膨張していく時代が長く続いていた。成長のベクトルは常に上を向いており、あらゆる業種、業界に目指すべき成功のゴールが存在していた。がむしゃらに、愚直に、ひとつのことだけをやっていれば、幸せになれる時代があった。松下幸之助の言葉にあるような「成功するまで続ければ誰でも成功することができる」ということが現実にあった。しかし、現代では新興国をはじめとして世界中のあらゆるところでものづくりが行われており、高コストの日本の企業が愚直に生産を続ければ、それは「死への行進」に他ならない。

もし、日々行っている業務が「死の行進」だと感じたならば、とりあえず死の行進を続ける振りをして、自社の弱点を冷静に分析することをすすめる。自分が働いている業界について、どんな構造でビジネスが働いており、カネとモノの流れがどうなっていて、キーパーソンが誰で、何が効率化を妨げているのか、徹底的に研究するのである。そうして自分が働く業界について表も裏も知り尽くすことが、自分の唯一性を高め、スペシャリティへの道を開いていく。そして常日頃から意識して、業界のあらゆる動向に気を配ることで、「イノベーション」を生み出すきっかけと出会うことができる。

イノベーター的な観点からすれば、「落ち込んでいる業界にこそ、イノベーションのチャンスが眠っている」と考えていい。また、起業家が新しいビジネスを見つける時の視点として、「しょぼい競合がいるマーケットを狙え」という鉄則がある。今現在、凋落しつつある大手企業の周辺には、たくさんのビジネスチャンスが眠っている。イノベーター的な視点から学生に就職先をアドバイスするならば、「今落ち込んでいる業界の周辺企業で、将来的にナンバーワンのポジションを取れそうな会社を狙え」ということになるだろう。そのようにイノベーター的な考え方をすると、潰れそうな会社に入ることにも大きな意味がある。例えば、今はなんとか持っていても、将来の先行きはないだろうと思われる会社に入り、その会社を徹底的に研究する。そして、その会社が潰れる前に退職し、その会社を叩き潰す会社を作るのである。

イノベーションを生み出す発想力、特殊な才能の持ち主のみが持っている限られたものではない。イノベーションは、日本では技術革新と訳されるが、実は新結合という言葉が一番この言葉の本質を捉えた訳語だと考えている。既存のものを、今までとは違う組み合わせ方で提示すること。それがイノベーションの本質だ。社会にインパクトを与える商品やサービスを生み出したい、と考えたとしてもまったく新しい製品を作る必要はない。今既にあるものの組み合わせを変える、見方を変えることによってイノベーションを起こすことができる。

だからイノベーター型の起業家を目指すのであれば、特定分野の専門家になるよりも、色々な専門技術を知ってその組み合わせを考えられる人間になることの方が大切なのである。他の業界、他の国、他の時代に行われていることで、「これはよい」というアイディアは徹底的にパクれば、よいのである。イノベーションをある業界で起こすための発想術は、実はそれほど難しいことではない。その業界で「常識」とされてきたことを書き出し、悉くその反対のことを検討してみればよい。

<第7章 実はクレイジーなリーダーたち>

人間をマネジメントするスキルに必要なこととして、世の中に傑出した人物などほとんどいない。世のほとんどの人は凡人なのだから、その凡人をうまく使うスキルを学ぶことが大切なのである。リーダーには優秀だが我が儘な人をマネージするスキルも大切だが、優秀ではない人をマネージする人をマネージするスキルの方が重要なのである。ダメなところが多々ある人材に、あまり高い給料を払わずとも、モチベーション高く仕事をしてもらうように持っていくのが本当のマネジメント力なのだ。

<第8章 投資家として生きる本当の意味>

資本主義社会では、究極的には全ての人間は、投資家になるか、投資家に雇われるか、どちらかの道を選ばざるを得ないからだ。株を自ら所有するしないにかかわらず、私たちの社会は株主(資本家)なしには存続できない。我々が普段食べる食事も、移動するために乗る自動車も、毎日を過ごす家も、そのほとんどが民間企業、つまり株式会社が提供している。また自分が勤める職場も株式会社であるならば、その時点で自分という労働力を株主に提供することで、その見返りに報酬を得ているということになる。資本主義の国で生きる以上、株主(投資家)に意思のもとに生きざるを得ない、ということなのだ。それならば、自分自身が投資家として積極的にこの資本主義に参加したほうがいい。投資家に振り回されるのではなく、投資家たちの考えを読み、自らが投資家として振る舞うのである。そうすると、この世界が違って見える。

投資家として生きる上で必要なのが、「リスク」と「リターン」をきちんと把握することである。成功している投資家でも、すべての投資が成功しているわけではない。しかし、失敗が少ないのも、投資家のリスクの採り方としては、好ましくない。例えば、シリコンバレーの投資家たちはリスクを回避することよりも、リスクを見込んでも投資機会を増やすことを重視する。それはなぜか、投資という行為には、何よりも「分母」が大切だからだ。一つの案件にだけ投資するのは、カジノのルーレットで1か所だけにチップを置くようなもので、重要なのは、できるだけたくさん張ることなのだ。トータルで成績をあげたいと思えば、リスクを恐れずに積極的に投資機会を持たねばならない。失敗を怖がって、確実に儲かる案件だけに投資することは、結果的に自分が得られたかもしれない利益を遺失することにつながるのである。つまり、投資家として生きるならば、人生のあらゆる局面において、「ハイリスク・ハイリターン」の投資機会をなるべくたくさん持つことが重要となる。

そのような投資家的な生き方をするうえでは、投資の機会はできる限り増やすのが望ましい。ただし注意すべき点がある。それは「自分で管理できる範囲でリスクを取れ」ということだ。投資家がリスクを取るときは、必ず計算管理可能なリスクの範囲内で投資を行う。その観点からは、就職して一生サラリーマンの道を選ぶというのはハイリスクな選択である。サラリーマンは、他人にリスクを預けて管理されている存在なのだ。 つまり、自分でリスクを管理できない状態にある。大学を出て新卒で会社に入り、定年の60歳まで働いたとすると38年間を会社で過ごすことになる。しかし、近年では会社の寿命はどんどん短くなってきている。だからこそ、一つの会社に自分人生の全てを委託するのは非常に高リスクなのである。(紹介終わり)

<解 説>

如何だろうか。こんなにハードルの高い社会で普通の人が幸せに暮らせるのだろうか。

利益社会の極限化は何れ、共同体社会を破壊し、人間の社会生活そのものを成り立たなくさせてしまうだろう。この本の著者はそのことに気がついていない脳天気な人だ。

また、全く触れていないが日本では政治というものが全く機能しない(国家主権がない)ことが彼には当然の前提となっている。

それでは、誰がこんな社会を目指しているのか。世界の資本を独占するエリートたちが、自分たちの利益独占のためにそう言った社会を作ろうとしているのである。

一部の人たちは、この理念を「ニューワールドオーダー:新世界秩序」と呼んでいる。



 

グローバリズムの本国、米国では国際金融資本が経営する「多国籍企業」が犇めいている。

これらがすべてNFTC:全国貿易協議会という組織に集結して、ロビー活動を通して米国政権に圧力をかけ、現在だったら、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)という形で日本経済から富を収奪しようと目論んでいる。現在の米国は生き残るために日本という金の卵を産む鳥を貪り食おうとする位、分別をなくしている状態である。

 確かに、ひとつひとつの企業を見ると、そのことを理解することは難しい。

TPPは日本社会を破壊する!」と言う日本人も、マクドナルドでハンバーガーを食べ、コカコーラやペプシを飲み、家に帰ってマイクロソフトのOSの入ったインテル製PCを使って(自己情報の流失に対して)無防備にインターネットを楽しんでいる。

 しかし、「マクドナルド、コカコーラ、ペプシ、インテル、マイクロソフト」は、すべてNFTC(全国貿易協議会)を通して、TPPを日本に押し付けてようとしている企業群であることに注目すべきであろう。

もうこれらの企業は十分日本に浸透しているのだから、これ以上何を望んでいるのかというと、まだ日本に入りきれていない仲間の多国籍企業を侵出させるためだ。

TPPというと真っ先に問題になるのが「農業」だが、NFTC(全国貿易協議会)のメンバーである世界最大の穀物商社「カーギル」や遺伝子組換えの「モンサント」「ダウ・ケミカル」はまだ入り込めていない。なぜなら、日本が関税を敷いて自国農業を守っているからだ。NFTC(全国貿易協議会)はそれが邪魔だと考えている。そして、その関税を「完全撤廃」させるのがTPPの目的である。

当然そうなれば、日本の農業は壊滅状態になる可能性もあるし、それを防御しようとすれば訴えられてISD条項の元に「損害を弁済させられる」羽目になるのがTPPだ。

ご存じのように経団連の米倉氏(住友化学)はTPP推進に邁進している。

彼の真意はどこにあるのか。

住友化学は、遺伝子組み換え農産物で知られる米国モンサント社と昨年10月に遺伝子組み換え農産物の種子と、強力な除草剤に関する契約を結んでいる。彼がTPPを推進するのは自社の利益追求のためである。ところで、モンサント社はベトナム戦争での枯葉剤を製造した会社である。枯葉剤を散布されたベトナムの地は長い間不毛の大地となり、定住の農民に塗炭の苦しみを味わさせたことを思い出す必要があるかもしれない。

NFTC(全国貿易協議会)のメンバーの中には「アボット・ラボラトリー」「イーライ・リリー」「ファイザー」「メルク」等の巨大製薬会社も混じっている。彼らは特許を盾にしてジェネリック薬を許可しないので、ジェネリック薬を推進している厚生労働省が懸念する医療費の高騰が起こる可能性もある。

もちろん、これも抵抗すればISD条項の元に「損害を弁済させられる」だろう。

訴訟はアメリカの弁護士が行うが、NFTC(全国貿易協議会)には「U.S. Chamber of Commerce(米国商工会議所)」という何の変哲もない名前のロビー団体が含まれている。

知る人ぞ知る米国でも最大のロビー団体のひとつである。

ここに多くの弁護団体が加盟しており、アメリカ式の訴訟を日本で行い、日本人から少しでも多くの金を毟り取りたいと考えているのである。訴訟大国を担う弁護団が入ってくるのであれば、今まで何でも「穏便」に済ませていた日本という国がなくなり、ブレンジスキーが言う見事な「アメリッポン」の完成になることだろう。

つまり、日本に入り込みたいが入れないアメリカの多国籍企業が山ほどあり、そのために、邪魔な日本政府(霞ヶ関))と関税を無力化させるために、NFTC(全国貿易協議会)はアメリカ政府を動かしてTPPという罠を仕掛けてきたのである。 

もっともその先には、日本の公的文書を英語に、公用語を英語にする遠大な計画さえあるのかもしれない。欧米の超エリートは、前から指摘させていただいているように腹の底では「日本人が自発的に日本人でなくなる道をとるなら、それは日本民族の集団自殺であるが、それでも良い。だが、もしも日本人がその歴史的民族的伝統を復活させるようなことが、あれば我々キリスト教、ユダヤ財閥、フリーメーソン連合はただちに日本を包囲して今度こそ、日本民族を一人残らず、皆殺しにする作戦を発動するであろう。」と今でも腹の底で考えているからである。

もちろん、言語や文化が統一すれば、多国籍企業には非常に有利になる。それによって「情報のアクセスが増える」「乗っ取りがしやすくなる」「コストが削減できる」「文化を画一化できる」等の大きなメリットを作り出すことができるからだ。

「コスト削減」については、説明書や製品を現地語にローカライズさせる手間が省けることを考えてもよく分かる。また、NFTC(全国貿易協議会)には「米国出版社協会」やマグロウヒルが含まれているが、これはアメリカのほぼすべての出版物を扱う協会だ。

日本の文化を破壊させて日本語を諦めさせ、日本人全員を英語で読み書きするようにすれば、1億人のマーケットを新たに生み出すことさえ可能である。

  

世界の超エリートはワン・ワールドによる利益を追求しようとしている!

言語が画一化されれば英語のメディアがそのまま世界中に売れる。味覚が画一化されれば、マクドナルドもコカコーラもペプシも世界中に売れる。美的感覚が画一化されればGAPもリーバイスも世界中に売れる。グローバル化とは人間をレンガのように画一化し、アトム化する仕組みだ。

たとえば、マクドナルドは世界中の誰も知らない者はいない企業だ。そして、時価総額8兆円の超巨大多国籍企業でもある。

 現在、世界各国の政府が弱体化(政治が機能不全になるように仕向ける)していく流れが世界のエリートによって意図的に作り出されている。そして、ユーロや、FTAや、TPPや、NAFTA(北米自由貿易協定)のように、第二次世界大戦前のごときブロック経済が再び作られようとしている。彼らは着々と戦争経済への布石も打っているのである。

 

彼らは最終的には、自分たちの利益のために

・世界を画一化し、ワン・ワールドにしたい。

・各国の通貨を消滅させ、世界通貨を一つにしたい。

・言語を統一化することによって支配を単純にしたい。

・文化を画一化し、価値観を一つにしたい。と考えている。

 

人間の本性に逆らうこの動きがいつまで続くかわからないが、現在、実際に多くの国の政治に一番大きな影響力をウラで行使しているのは、実は政治家でも官僚でも何でもない、多国籍企業を所有している国際金融資本家である。

 もし、このような動きが完全に成功し、「アメリッポン」が完成したときには、そこに住む日本人は、この本に書いてあるように行動する他、生きる道はなくなる。

このまま外国資本に実質支配されている既存のマスコミ報道に日本の多くの方が誘導され続ければ、騙され続ければ、ごく一部の人以外、幸せに暮らせない「日本人が日本人であることを失った未来」が待っているのではないか。

確かにこの本に書いてある一つ一つのエピソードは興味深い。ただ、日本最高学府である京都大学のこの先生の日本人としての志の低さに呆れてしまう他ない。日本社会全体、世界全体をよくする思いなど彼にはこれっぽっちもないのである。

考えてみれば、米国のエリートによる日本人への洗脳はここまで及んでいることを心ある人は知るべきであろう。

<参考資料>

ユニクロの「英語公用語化」は第一歩に過ぎぬと大前研一氏

2010.10.03

  今、日本で最もアグレッシブな経営を展開する企業の筆頭は、「ユニクロ」ブランドを擁するファーストリテイリングだろう。グローバル化を目指し、「英語の社内公用語化」でも注目を集めているが、それにはどんな意味があるのか、大前研一氏が分析する。

 会社をグローバル化するにあたってのユニクロの課題は「人材」だ。この点では、同業のスペインのZARA、スウェーデンのH&M、アメリカのGAPが有利である。彼らはみんな、国籍や人種によらないシステムを持っている。

それに対してユニクロは、外国人の採用を2010年度は全世界で300人、2011年度は同700人、2012年度は同1200人と徐々に増やしていく予定だという。店長以上の役職にある社員は今後、国籍に関係なく世界中の店舗に赴任することになり、そのために2012年3月から社内会議や文書で使う言葉を英語に統一する「英語の社内公用語化」の方針を打ち出している。

しかし、外国人の採用を増やしたり、店長経験者を海外に派遣したり、英語を社内公用語化したりするだけでは、まだグローバル企業とは呼べない。会社の組織を日本の本社を頂点としたピラミッド・ストラクチャーではなく、フラット化しなければならないのだ。

逆に言えば、グローバル企業において一番いけないのは「マウント・オリンポス・メンタリティ」である。つまり、オリンポス山の神殿(本社)から神様が下々にお告げを出すというやり方だと、世界中の様々な国籍の人々が混ざっている組織は、絶対にうまく動かないのだ。優秀な人は、オリンポス山の神殿にひれ伏さないからである。それぞれの店舗がすべて世界の中心であり、お客様こそが神様です、という「始めに現場ありき」のメンタリティが必要なのだ。

そしてそのためには、組織構造を完全にフラットなネットワーク型にするとともに、人の採用・評価・報奨・昇進システムを国籍や人種によらないフェアなものにしなければならないのである。これは「言うは易く、行なうは難し」だ。

ユニリーバやネスレなどグローバル企業の歩みを見ると、多国籍化が完成するまでには最低でも20年かかっている。そういう意味では、ユニクロはまだ、グローバル化に向けて第一歩を踏み出したに過ぎないのである。

 (SAPIO2010年10月13・20日号)

 

今秋の豊橋市長選については、地方から政治の閉塞状況を変えるだけのインパクトのある政策を候補者となる人たちが打ち出すことを期待したい!

  

現在、自治体格差が拡がり、地方自治体まで、勝ち組、負け組に色分けされる格差時代を迎え、東三河のリーダー市としての豊橋市の政策ビジョンを、市長を目指す者は掲げる義務があるはずだ。

 具体的な総合的なビジョン(マニフェスト)を提示し、東三河、豊橋の未来図をはっきり有権者に示すべきである。

 「新しいまちづくりビジョン」を実行した場合の港湾、道路等のインフラ整備、国土法の線引き、企業誘致の可能性、広域医療を視野に入れた市民病院のあり方、固定費の削減、企業誘致,etc等による財政力アップそれにともなう財政力指数の予想できる変化を10年のスパーンで、導き出して示す位の思いっきりが必要ではないか。もちろん、大胆な機構改革を行い、行政改革;公務員改革を推進することも時代の要請だ。

 よくシュミレーションされた政策提言なら、東三河をリードしていく豊橋市の福祉、医療、教育サービスの最大限の可能性も見えてくる。

 候補者が、そのようなビジョンづくりをすれば、国政に地方自治体として、どのような要望をしていくかも、また、国の地方行政に対する問題点もはっきり、豊橋市民の目にはっきり見えるものにすることができるはずである。

その前に現職である佐原光一市長のマニフェストをしっかり検証するのも我々市民の義務である。

それでは、佐原市長のマニフェストをもう、一度読んでみよう。

3つのCが豊橋を変える!(理念)

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閉塞感の真っ只中にある豊橋の社会、経済を活性化させるため、Cで始まる3つのキーワードを合言葉に、豊橋市政の改革に取り組みます。

1.Change

豊橋市政全般に漂う「守り」の前例踏襲主義を排し、企画力、創造力を高め、市民と共に新しい豊橋像を創り上げていくアグレッシブな「攻め」の市政にChange。これまでの市役所をぶっ潰す覚悟で取り組みます。

2.Challenge

豊橋を広く覆う閉塞感をなくし、21世紀の急激な社会や経済の変化に適切に対応するため、減点主義の「事なかれ行政」から「Challenge行政」に大きく舵を切る必要があります。社会のパラダイムが大きく変わろうとする今こそ、Challenge精神が重要です。チャレンジングな取り組みを積極的に進めてまいります。

3.Clean

政策決定の過程では、徹底的に現場を知り、徹底的な議論を行い、施策に求められるミッション(任務、使命)に対する最適な解を求める努力を尽くす必要があります。また、徹底した情報公開を行い、行政のClean化に全力を挙げて取り組みます。

そして自分が変わる

Change、Challenge、Cleanの3つのCの取り組みを続け、最終的には豊橋市そのものが変わること、これが究極の目標であると考えます。
具体的な政策提案


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Ⅰ.豊橋の産業の顔(ほの国ブランド)を作り育てる

顔の見えない企業に成長はありません、同様のことが都市にも言えると思います。顔のない都市に未来はないと言えます。

企業が企業間競争の中で切磋琢磨し、企業としての顔=ブランドを育てることが何にもまして重要であるように、厳しい都市間競争の中に生きる都市にも顔=ブランドが必要です。豊橋、そして東三河の顔=ブランドを生み出し、育て上げることが求められています。

ほの国とは:大化以前『穂の国』と呼ばれた地域がありました。愛知県の東部、西は宮路山、北は一宮町宝川、東は豊川の中下流域あたりに広がる国で、豊かな実りのある地域でした。歴史の流れの中で『穂の国』の名は「愛知県東三河圏」として受け継がれています。

1.積極的な投資で経済を活性化

政 策

・ 産業用地のストックを確保し、流通、製造等の産業を誘致

・  港湾周辺および23号線沿線に用地を整備

・  東三河内外の企業進出を積極的に誘致

・ 港湾、道路の整備を積極的に推進し、産業活動を支援

・  23号線バイパスの早期全通を実現(豊橋バイパス「潮見坂~小坂井間」の開通と立体交差化を早期実現)

・  浜松三ケ日豊橋道路の早期着工を目指す(早期に調査路線から整備路線に)

・  豊橋市に東名高速道路のインターチェンジを開設(豊橋本線料金所(チェックバリア)跡を活用)

・  東三河環状道路の整備を促進

・  右折渋滞箇所に右折レーン設置を促進

・  23号線バイパスへのアクセス道路整備を推進

・ 港湾利用者の利便性を高め、利用を促進

・  後背地の産業を支えるコンテナ航路を拡充(トヨタ、スズキ等の部品等の輸送に焦点を絞ったポートセールス)

2.産学官の協働により豊橋独自の産業を創出

・ IT農業、省エネ農業技術の開発

・  農業地域のIT環境を整備

・  地元大学、サイエンスコアとの研究連携を推進

・  資源化センター廃熱利用による省エネ農業の拡大(廃熱輸送システムの実用化試験の実施)

・ 後継者を育てる儲かる農業を推進

・  農業、食品産業のブランド構築のためのマーケティングを強化

・  農家の収益力を強化する販売ルートの開拓

・  東京事務所をアンテナショップとして活用

・ 起業への積極的な支援

・  若い起業家に対し資金だけでなく、経営を総合的にサポート(若手による若手のための企業支援マイクロ・ファイナンスを創設)

・  起業のためのチャレンジオフィスを創設

・ 東三河の地域特性を活かした産業活動を強化

・  大学発の開発技術の商業化支援を強化

・  東三河中山間地の資源を活かした産業を支援

・  環境、福祉などの未来課題対応型の産業育成を支援

・  豊橋技術科学大学卒業生が豊橋により多く残ってもらえる環境を整備

・ 外国人パワーを活用した新たな豊橋ブランドを創生

・  豊橋発のブラジル語放送、出版を支援(ブラジル語のニュース番組作成や公的文書サポート事業)

・  ブラジル語バイリンガル授業サポーター養成コースの事業化

・ 遊休農地を活用した起業を支援

・  他業種の農業進出支援

・  ブラジル人の農業支援

・ 情報拠点としての豊橋市東京事務所を平成21年度に復活

・  東京宿舎を東京事務所に変換

・  情報収集と情報発信

・  アンテナショップを開業

Ⅱ.豊橋のまち・市民の顔を作る

豊橋のまちの元気さの象徴は駅前にあると思います。かつて、「まちに行く」ということは駅前を中心とする中心市街地に遊びに、楽しみに出かけることを意味しました。駅前はそのまちの顔です。そんなまちの元気な顔を取り返さなければなりません。

また、市民の笑顔もまちを代表する顔です。市民が豊橋というまちでの生活をエンジョイし、もっと住みたいまちだと顔が語ってくれる。そんな街づくりを目指したいと思います。

1.街中に賑やかさを呼び戻す

・ 豊橋駅南地区再開発(総合文化学習センター)を見直す

・ 賑わいの空間である駅南には「ほの国市(いち)(穂の国特産品市場)・ほの国座(創作演劇、寄席など)」を整備

・  舞台芸術の殿堂「芸術文化ホール」・音楽の殿堂「音楽ホール」は別途適地を選定

・ 豊橋駅前中心市街地モール化作戦を展開

・  広小路通りのショーウィンドウ化を推進

・  広小路通り、魚町通りなどにコインパーキングを設置

・  ときわ通りのハード・ソフトを子供向けにし「ココニコどおり」に

・  緑の駅前大通りの復活(まず市電敷きの緑化を実施)

・  駅前、「ココニコ」、広小路、花園などに街中コミュータ(ベロタクシー、ウィングレット等)を導入

・  「物産展」、「100円市」等のデパートやモールの営業手法の導入

・ 豊橋市民文化会館の建替え

・  芸術文化ホールの代替建設適地として検討

・  APITA・向山フォレスタと一体化した向山活性化

・ 母子保健センター跡の活用(5年目以降)

・  子供に本物を聞かせ・見せる、親子を対象とした音楽ホールを建設

・ 夜も安心して楽しめるまちなか作り

・  終電、終バスの延長と深夜バスの運転

2.公共交通体系の抜本的な見直し

・ 市電の利用促進と延伸

・  赤岩口電停と運動公園前電停周辺を再整備し、パークアンドライドを促進

・  市電の「ココニコ」延伸と医療センター延伸についての可能性検討調査を実施

・ 市内の鉄道とバス路線網の見直し

・  鉄道拠点駅を活かした鉄道とバスの連携を推進(二川駅、大清水駅を拠点としたバス路線網)

・  公共施設へのバスアクセスの充実(ライフポート、体育館へのアクセスバスの拡充)

・  川北(豊川以北)地区の交通アクセスの改善

・  飯田線船町駅、下地駅への停車電車の拡充

・ バス料金の値下げと新体系のバス事業の始動

・  市内バス料金体系の値下げと簡素化

・  団地内でのデマンドバス方式による運行を試行

・  特区制度を申請し、自動車学校、企業の通勤バス等を活用することにより、バス路線の無い交通過疎地の路線を復活

・  交通過疎地における乗り合いタクシー等の活用

3.環境・福祉・教育都市「豊橋」宣言

3-1.環境日本一を目指す:環境都市「豊橋」宣言

・ 公共施設の環境対策を強力に推進

・  公共施設への太陽光発電の導入

・  公共施設への緑のカーテン、緑の屋根の推進(グリーンカーテン、グリーンルーフ運動)

・  公共施設にESCO事業(省エネルギー支援事業)を導入

・ 脱炭素社会を推進し、CO2排出量の20%削減を目指す

・  三河港に海上風力発電施設を建設

・  公用車への電気自動車導入と(電動)自転車利用の推進

・  住宅、事業所への自然エネルギー、新型エネルギー導入を積極支援

・ 先駆的な環境対策事業の先導的導入を支援

・  市役所内環境税の導入による省エネ対策の推進

・  産廃処理施設に対する取り組みを充実・強化(公設民営化の検討)

・  電気自動車のまち「豊橋」を目指し、電気自動車実用化環境を整備(市内に電源プラグを展開等)

・  HV・電機自動車時代に備えた自動車整備体制作り

・  IT・エコ農業の産学連携による事業化を支援

3-2.イキイキ暮らせるまちづくり

・日本一の市民病院「豊橋市民病院」を充実させ、日本一安心・安全な医療の町を作る

・  東三河広域医療連合の確立とその中核機関である豊橋市民病院の充実、センター化

・  市民病院、国立医療センターへのアクセスバスの無料化

・  市内の病診連携を支援し充実させる

・  医師、看護師の就労環境を改善(若手医師の研究・発表機会の充実、コンビニ受診の適正化)

・  新型インフルエンザに備えた市民病院病床の整備

・  旧国立病院跡地に建設される三師会会館と連携し、大規模災害時などの救急指令センター機能の整備

・ 総合的な医療環境の改善

・  看護師、准看護師の養成支援を充実

・  高齢者医療・介護体制の充実(在宅医療の支援)

・  直す医療から罹らない医療へ、予防医療の充実

・  救急医療体制の充実整備(ドクターヘリの導入)

・  障害者、高齢者の災害時の避難場所を整備

・ 暮らしやすい住環境作り

・  新規市営住宅の100%バリアフリー化と既存住宅の改良を推進

・  公共交通機関のユニバーサルデザイン化を推進

・  障害者支援事業を充実強化(ワンストップ相談窓口の設置、ファミリーサポートの充実)

・  子供から大人まで体を動かすスポーツ環境作り

・  不足気味の体育施設の整備(体育館、グランド、コートの整備)

・  親子で使える体育施設づくり(体育館、コートの見学スペースの整備)

3-3.スクスク育つまちづくり

・ 子供の教育環境を充実

・  小学校校舎の木質化を推進(新築校舎を原則木造化)

・  通学路の危険箇所の改良を推進

・  二川駅周辺(のんほいパーク、地下資源博物館)を教育の拠点化

・ 子供の遊び環境を充実

・  校区に一つは子供が安心して遊べる公園を整備

・ 乳児から児童まで、子育てを支援する保育・医療環境を充実

・  児童保育の支援の拡充(施設、運営の公、民分担のあり方)

・  乳幼児を対象とした保育園と幼稚園の充実

・  第三子以降の子育てを積極的に支援

・  妊婦の定期健診や乳幼児への予防接種に対する支援を拡充

・ 多文化共生を推進

・  外国語、日本語の補習活動の支援を充実・強化

・  市役所および関係機関への日系外国人の採用を推進(学校のバイリンガルアシスタントを正規職員化)

・ 本物の芸術、技術、科学を実体験する教育

・  演劇、音楽鑑賞の学生向け特別料金の創設

・  美術学生の美術館での模写機会の創設

・  技科大と協働で小中学生を対象としたスーパーサイエンス講座を開設

・  豊橋の歴史、文化、人物等の発掘、評価活動を推進(豊橋なんでも探偵団?)

3-4.安全・安心に暮らせるまち

・ 災害に強い安全・安心なまちづくり

・  伊勢湾台風50周年を契機とする河川と堤防の安全点検を実施

・  内水洪水を防ぐため、排水機場のポンプ能力を増強

・  幹線道路沿いのコンビニ、GSなどの事業者と災害等相互情報提供契約を結び、情報ネットを構築

・ 交通事故の少ない安全・安心なまちづくり

・  車道、歩道と分離された自転車道を積極的に整備推進

・  幹線道路の整備を進め、住宅地等への抜け道通行を減らす

・  事業者(コンビニ、GS等)や市民の救命講習を推進し、救命救急への市民協働体制を確立(「市民救命の駅」を設置)

・ 治安の良い安全・安心なまちづくり

・  分かりにくい駅前交番を移転(ペデストリアンデッキに詰め所を設置)

・  住宅地の街路灯・保安灯の増設(保安等設置支援の充実)

・  消防、防災関係者のDNA登録を実施

Ⅲ.豊橋が東三河の顔になる

豊橋は、東三河の人口のおよそ2分の1を有し、地理的にも経済的にもその中核を担う宿命にある町です。また、東三河は、「豊川」という命の川で結ばれた地域であり、そこに暮らす人々は、共に助け合い、励ましあいながら発展をしていく運命にあります。

平成の大合併を契機に、川や道で結ばれた多くの地域が一つのまちになり、地域の連帯を深めると同時に、行政の効率化を強烈に推進してきました。豊橋は、遅れてやってきたランナーですが、「豊川」で結ばれた東三河の顔として、リーダーとして、この地域に根を下ろし、歩んでいくことが必要です。

1.命の川「豊川」で繋がる東三河の持続的な発展を目指した連携

・ 政令都市を目指し、広域合併に向けた具体的な取り組みを開始

・  東三河広域医療ネットワークを確立

・  防災の東三河地域連携をさらに推進

・  広域救急医療の実現のため、ドクターヘリを導入

・ 山から海まで、東三河全域を見通した自然環境保護政策を推進

・  中山間地の農業、林業を支援(棚田サポーター制度、間伐材を活用した特産品)

・  豊川流域の清流保護活動を積極的に支援

2. 行財政改革

・ 市長任期の3期12年を条例化(多選禁止条例の策定)

・ 市長退職金の見直し

・  特別職の退職金を一般職と同様のルールに改正

・ 行政手続の透明化(明確なルール作り)と情報公開

・  徹底的な議論(徹論)による意思決定ルール

・  直営実施と外部委託について業務ごとに再評価を実施

・ 業務の無駄を省き、行政サービスの質的向上を図る

・  市民協働の推進と推進体制の見直し

・  東京事務所を平成21年度に復活

・  国、県、企業等との積極的な人事交流を行い職員のスキルアップ

・  市役所受付穣を廃止しフロア・アテンド方式に改善

如何であろうか。

地元紙「東愛知新聞」に寄稿した原稿です。

~甦れ 首都機能移転~

橋下 徹氏が率いる「大阪維新の会」がダブル選挙(大阪府知事、大阪市長選)を圧勝した。そこで、「大阪都構想」の現在における意味について考えてみた。



現在、収束の道筋が見えない福島原発事故により東京の首都機能が危機に晒されたままになっている。そのため、郷土の大先輩である村田敬次郎先生が熱心だった「首都機能移転」=「二十一世紀のグランドデザイン」を再び真剣に考えるべき時を迎えている。その意味で「大阪都構想」、「中京都構想」に今こそ注目すべきである。 

「3・11」以降、東京を絶対視するような考え方が揺らぎ始めている今こそ、この地域の発信力が問われている。 まさに新しい時代を切り拓くチャンスである。

それでは、大阪、名古屋などへの首都機能移転を考える必要があるのか。

(1)東京というメガロポリスを支える福島や茨城というインフラが311原発事故でかなりの部分破壊されてしまっている。つまり、福島などの東北地方は、東京が経済活動するためにエネルギー(電力・石油精製)および食糧を供給する重要なインフラとしての役割を果たしていたのだが、そのインフラが放射能で汚染され、機能不全に陥っている。(実際に政府は福島原発を使い済み核燃料の「中間処理場」にしたいという提案をしている。)

それでは、福島や茨城といったインフラの代替を、静岡県が果たせるかというとそんな代替は効かないし、浜岡原発がある。

そうであるなら、西日本全域、大阪、一時期、日本の歴史を動かした中京圏全域、名古屋という新たなメガロポリスを、日本を支えるインフラへと改変・改造する方がはるかに現実的である。

 

(2)東京は、事故が終息していない福島原発に近いので、これから徐々に、海外から東京は忌避されることになる。

阪神大震災のとき、神戸港から港湾物流機能がアジア(台湾や上海)に「一時的に」移ると思われたが、一時的ではなく、行ったきりで帰ってくることはなかった。アジアの港湾物流は、神戸港を経由しなくなってしまったのである。

これと同様に、成田空港を経由したら被爆すると外国人は考えるので、国際線は成田空港を中抜きの可能性も出てきている。横浜港も同様。そうなる前に日本のプレゼンスを維持すべく、最初から関西・中部をトランジット先にしてもらえばよい。「京都という日本ブランド」を支える都市も近隣にあるので、外国人は再び大阪・京都・名古屋なら訪問してくれるはずである。

 

(3)東海大地震のことばかり言われているが、地震の周期から考えて、やがて東京直下型地震襲ってくる危険性も高い。

それまでに首都機能を分散移転しておかないと、「大東京」が機能停止することで日本が壊滅的打撃を受ける心配もある。

 

311以後の新しい時代を創るためには「首都機能」を移す必要がある

 日本の歴史は飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、そして江戸時代と、すべて首都機能の所在地で時代名が呼ばれている特色を持つ。

首都機能が移転すれば、時代が新しくなり、首都機能が移転しない限り時代も新しくならなかったのが日本の歴史とも言えよう。

 平安時代は約400年続いたが、その末期には社会の実態と諸制度とがかけ離れたものとなり、治安も経済も悪化したために何度も改革が試みられたが、一向に成果を上げることができなかった。

 来年、大河ドラマに登場する平清盛のような革新的な独裁者の力を以てしても、京に巣喰う公家や寺社の既得権に阻まれて改革は頓挫している。晩年、清盛もこれに気が付き、福原遷都(兵庫県)を考えるが、実行前に清盛は無念の死を遂げている。

 そして、源頼朝が首都機能を鎌倉に移転すると、たちまちにして武家政治と地方分権が定着、時代は一新された。頼朝は、朝廷はじめ文化や経済の機能は京都に残して、国家の政治行政の機能のみを鎌倉に移したという点にも注目すべきである。

 しかし、その鎌倉も120年後には行き詰まり、度重なる地震で大被害を出すようになり、足利幕府に政権が移り、首都機能も京都に移動した。そして室町時代も100年後には行き詰まり、内戦と災害が続くようになる。室町末期の十六世紀中頃には、三好長慶や松永久秀など改革を試みる者もいたが、すべて寺社や地侍の既得権益に阻まれた。  これを変えることに成功したのは、首都機能を安土に移した織田信長、大坂に置いた豊臣秀吉、そして江戸に変えた徳川家康と言ったわが郷土の英雄たちであった。

 ところで、橋下氏は大阪市長への当選後は大阪市を解体して大阪都に移行すると宣言している。いったい何故このような政策を橋下氏は実行しようとしているのだろうか?

大阪都の意義は、政令指定都市の大阪市・堺市と大阪府の二重行政の弊害を取り除くことにあるとされている。全くその通りだが、同様の二重行政の弊害は京都や神戸などの政令指定都市でも発生している。

おそらく、大阪の弊害が特に問題になっているのは、首都機能の一部を大阪に移転させるに当たって、首都機能の管轄者が知事と市長の二人であるという状況は好ましくないという考え方が根底にあるためだと思われる。

同様に名古屋でも中京都構想があり、名古屋にも首都機能の一部が移転されることが望ましいことは言うまでもない。

ところで、わが愛知であるが、これからの愛知県の将来は、名古屋大都市圏と周辺地域の整合性ある発展をどう図っていくかにかかっている。

評論家の増田悦佐氏は、世界の大都市圏の経済規模という大変興味深い指標を独自に作成しているが、それによれば、世界の六大都市圏の中に、日本の大都市圏が三つも入っている。

 ダントツの一位は、東京圏、二位は、ニューヨーク圏、三位は、大阪圏、四位は、ロサンゼルス圏、五位は、ロンドン圏、そして六位が、わが名古屋圏である。また、世界一の日本のエネルギー効率は、大都市圏における人口集中と自動車に過度に依存しない鉄道網を構築してきたことにあるという彼の主張には耳を傾けるべきものがある。

その意味で「中京都」構想も、いわゆる「国土の均衡ある発展」を目指す余裕のあった時代が終わっている現在、少子高齢化社会:人口減少社会を迎えた日本にとって、時代にあった施策である。

たとえば、シンガポールのような人口470万人の都市国家の一人当たりGDPが、日本を遙かに上回っている事実を考えても、日本の真ん中である名古屋大都市圏の今後の政策展開(日本の国富が海外ではなく、国内に向かっていく経済環境づくり)が日本の将来を左右することになる。

いずれにしても郷土の大先輩である村田敬次郎先生が唱えていた「首都機能移転」が思わぬ形で動き出すかもしれない。

 そう言った意味でこの地域の発信力が問われている。

以前、「天皇の金塊」、「天皇のスパイ」という高橋五郎氏の本を紹介させていただいたことがあった。

お読みになった方は、確かに興味深いが、真実なのか?と思われたかもしれない。

『天皇のスパイ』という本の中で昭和天皇は、長崎、広島に原爆が投下されることを既に知っていたという衝撃の告白を第二次世界大戦中、二重三重スパイとして世界を股にかけた男、アンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコがしている。この本はNHKドキュメンタリー100選にも入っている興味深いものである。

 

<スペイン人による日本のスパイ組織。太平洋戦争中、ヨーロッパでの諜報活動が今、一人の男の証言で明らかになる。スパイ組織のリーダーであったアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ(73)のインタビューなどから、当時の日本の諜報活動を明らかにした秘話。>



 また、「天皇の金塊」では日本の戦後の復興にその資金が役立てられたという仮説に立ち、復興のために使われた資金は、ごくわずかでしかなく、天皇、そのグループはまだまだ膨大な金塊を隠し持っている。そして国際金融資本は未だにそれを狙っていると書かれていた。たしかに驚愕の内容であった。

今回ご紹介する「天皇財閥」(吉田祐二著 学研)は、あくまでも公開されている情報に基づいて書かれているので、そういった思いを抱かれることはないはずである。

彼の指摘で興味深いのは、天皇財閥の解体によって戦後日本は、「法人資本主義」になり、責任を取る人間がいなくなってしまったこと、もう一つは、戦前天皇に仕えていた経営者たちが米国の強い影響下に入り、米国を主人として米国の利益のために日本国民を騙すようなシステムになってしまったと分析しているところである。

 それでは、少し引用してみよう。



(吉田祐二『天皇財閥』「はじめに」より引用始)

 秘密のベールに包まれていた、天皇家の財産が明らかになったのは戦後のことである。
 1945年、第二次大戦が日本の敗戦で終わり、勝者となったアメリカは日本を占領した。実質的にはアメリカ一国であった「連合軍」の総司令官マッカーサーと、その部下たちを中心として日本の占領政策が開始された。
 マッカーサーたちが、占領政策のはじめに目指したのは、日本を非軍事化することであった。武装解除である。軍部を解散させたことはもちろんだが、軍部をバックアップして兵器を製造しつづけた製造企業、およびそれらの企業を支配下におく「財閥」(英語でもザイバツ Zaibatsu として通じる)の解体作業がもっとも重要な使命であった。
 占領軍がその方針を明らかにしたのは、昭和21年9月22日付で公表した「降伏後における米国初期の対日方針」である。そのなかで、三井、三菱、住友、安田などの日本の商工業の大部分を支配した大コンビネーションである財閥の解体が指令されたのである。

 天皇家についても例外ではなかった。明治初期から戦後までの皇室財産の変遷をまとめた黒田久太(ルビ:くろだひさた)の『天皇家の財産』によると、占領軍の通達には「皇室の財産は占領の諸目的達成に必要な措置から免除せられることはない」と定められており、またアメリカが皇室自身を「金銭ギャングの最大のもの(the greatest of the “Money Gang”)と認識していた」という(138ページ)。
 実際に、天皇家の財産は他の財閥を上回るものであった。占領軍から命じられて組織した「持株会社整理委員会」の調査によると、当時の財閥はその資産の7~8割を有価証券のかたちで保有しており、終戦時において財閥が所有した有価証券は、三井3億9000万円、岩崎1億7500万円、住友3億1500万円であったという。
そこから推測するに、三菱や三井といった日本を代表した財閥は、当時おおよそ3億~5億円くらいの資産を持っていたことになる。

 それに対して、皇室財産における有価証券の割合は2割を占めるに過ぎない。にもかかわらず、皇室は3億3000万余にのぼる有価証券を有していた。資産総額は15億円を超えていた。また、財産税納付時の調査では37億円という数字もある(『天皇家の財産』)。
このように、天皇家の財産は他の財閥よりも、文字通り、ケタが違うほどの大きさであることが、戦後の資料によって明らかとなったのである。

(吉田祐二『天皇財閥』「はじめに」より引用終)



 ご存知のように戦前の日本経済は財閥が支配していた。三井、三菱、住友、安田の4大財閥を中心に、古河、川崎、浅野、中島、日産、大倉、野村、日本窒素などの中小財閥が存在していた。財閥は本社(持株会社)の下に傘下の企業がぶら下がり、財閥家族が本社の株式を保有して支配す構造である。

現在、旧財閥傘下にあった大企業はほとんどが上場しているが、戦前の財閥本社は株式を公開していなかった。もちろん、財閥家族が支配するためである。戦後、財閥はいわゆるGHQの民主化政策によって解体されることとなった。そして戦後、財閥は傘下の企業がそれぞれ株式を持ち合うグループに姿を変えた。財閥家族は株式を取り上げられ、没落していった。

財閥復活を防ぐために、戦後長く独占禁止法で禁止された持株会社が復活するのは、金融ビッグバンのさなか1997年のことである。現在ではなんとかホールディングス(HLD)を名乗る持株会社が数多く存在する。ただ、これらのホールディングスは戦前の財閥とは性格を異にしている。 
 吉田氏は、4大財閥をはるかに超える規模の財閥が戦前の日本に存在したと指摘する。

それが彼によれば「天皇財閥」である。戦前の天皇家が株式、国債、土地などの資産を持っていたことはある程度の人はよく知っているが、著者によれば、財閥解体時の資料を基に天皇財閥は4大財閥の10倍以上の規模があった。
 戦前の天皇は国家元首で統治者、軍隊の最高司令者であったが、同時に日本最大、世界でも有数の資産家であったと指摘する。著者は現在のサウジアラビアのサウド王家に似ていると考えている。
 

彼が指摘する天皇財閥の構造は次のようなものだ。

天皇家が財閥家族に相当する。持株会社はないが、本社に相当するのが職員6000名を数えた宮内省である。天皇家が保有していた株式は、日本銀行、横浜正金銀行、朝鮮銀行、台湾銀行、南満州鉄道、日本郵船、東京電燈、帝国ホテルなど。天皇家は、戦前、日本最大の金融王であり、地主でもあった。
 江戸時代に公家の取り分を入れても10万石に押し込められていた天皇家が、日本最大の資産家になったのは明治維新以後のことである。国から与えられる収入を株式や国債に投資することで天皇家は資産を増やしていった。日本が強国になるのに比例して、天皇家の資産も増えていった。
 天皇財閥は日本が版図を台湾、朝鮮、満州に広げる中、海外展開も積極的に進めていった。朝鮮銀行は日本統治下の朝鮮の中央銀行である。中国、満州にも進出する。朝鮮で事業を経営する東洋拓殖株式会社の株式も天皇家が保有していた。
 中華民国との戦争で日本は大陸に軍隊を送り込むが、そのとき軍事物質の調達に使用されたのが朝鮮銀行券である。日本銀行券でなかったことが注目される。
 日本には朝鮮銀行を使うことで、戦争の進展に伴うインフレ(通貨の減価)が日本銀行券に波及するリスクを遮断する狙いがあった。
 1930年代以降、日本は大陸進出を拡大する。満州、華北、さらに上海へ軍隊を進める。ところが、この路線が大陸に利権を持つ英米と衝突することになる。英米のトラの尾を踏んだことで、日本と英米が戦争に突入することになったと著者は分析している。そして敗戦。天皇財閥もGHQによって解体されたのである。
 

吉田氏はこの歴史の流れから、天皇財閥の海外進出における「経営判断ミス」を指摘する。
 天皇財閥を筆頭にする戦後の財閥解体によって、日本は法人資本主義の時代に入る。オーナー(家族)のいない資本主義である。
 

ところで、莫大な財産を没収された天皇家だが、昭和天皇の遺産が20億円と報道されたように今でも一定の財産を保有している。最近では東京電力の株価下落によって天皇家も損失を被ったと一部でささやかれている。戦後になっても昭和天皇が株式にご関心を持ち、投資関係の情報にご興味があったという「風説」がしばしば聞かれる。この本でも昭和天皇がソニーにご関心を持っていたことが、他の本からの引用という形で指摘されている。
 「昭和天皇はソニーに興味をお持ちくださって、葉山の御用邸に行かれるとき、うちの工場(注 ソニーのこと)がだんだん大きくなるのを見ていらっしゃって、<田島の会社(ソニー)はまた大きくなったね>って、いつでもお話になったそうです」
 天皇財閥の総帥だった名残だったのか。

 天皇家が大財閥だったこと、敗戦が「経営判断ミス」だったこと、戦前から米国のロックフェラー家と親交があったこと、など興味深い指摘が多い。ただ、天皇財閥がどうのように戦争と関わったかという分析に関してはお茶を濁している。

 吉田氏の結論は、以下の通りである。

「この二十年、日本経済は「失われた十年」から「さらに失われた十年」となり、停滞が続いている。その原因は、社会科学者の小室直樹によれば、腐蝕した官僚制のためである。

 汚職などの「腐敗」ならば古今東西珍しくもない。「腐蝕」というからには、官僚制そのものが制度疲労によって腐蝕してボロボロになってしまっているという。その一番の病根は日本社会の無責任体制であるという。私はその原因を戦前の「天皇財閥」に求め、戦前は天皇を中心とした国家が、戦後は中心のない国家になったこと。そして官僚(日銀の行員もそうだ)および官僚上がりの政治家たちが「支配階級」となって権力を簒奪していること、そしてアメリカに対して卑屈に従属していることが問題であると結論する。」

 

以前にも書いたが、間違いなく言えることが一つあるような気がする。

第二次世界大戦に負けて米国主導で作られた日本の戦後のシステムは、冷戦という枠組みがあってこそ、有効に機能したのであって、その前提が崩れてしまった以上、冷戦構造の上に成立していた日本の行政、政治、経済の仕組みが、ある意味うまくいかないのは、当然のことだと我々は、考えるべき時期を迎えたのではないかと言うことだ。

 

事実、米国は、冷戦終了間際から、「ジャパンアズナンバーワン」と言われる程の経済大国になった日本を「プラザ合意」、その前後には、中国の元の大幅切り下げを認め、「ジャパンパッシング」と称する「日本経済封じ込め戦略」を着々と実行し、結果、現在の中国経済の成長を演出することとなった。目先の利くユニクロの経営者のような人々はおそらく、米国のその戦略を事前に知っていたのであろう。

 

 兎も角、現在、機能しなくなった日本の戦後システムすべてを見直す時代に入ったことは、間違いあるまい。以前にも書いたが、米国に呪縛された「永久占領」状態を脱しない限り、本当の意味で日本の未来を切り拓くことは、できないことをある程度の人々が共通の認識として持てるようにすべき時がきたのではないかと思われる。

 戦後、半世紀以上にわたって、米国の実質上、占領下にある日本では、あらゆる処に米国のソフトパワーの網の目が張り巡らされている。もう、そろそろ心ある日本人は、「帝国以後」の時代(米国の覇権が終焉を向かえようとしている時代)を目前に控えた今、戦後、語られなかった本当の事を多くの人々に知らしめる義務があるのではないか。知識人と言われる方々に期待したいところである。

 

 この本はその期待にある程度応えてくれる本である。お時間があったら、一読を勧めたい。

*今回は本の紹介です。 

 *まず、始めに何回も引用しているエマニュエル・トッド氏の鋭い指摘をもう一度読んでいただきたい。

日経ビジネス2009 112号より「今週の焦点」より

エマニュエル・トッド氏(歴史人口学者・家族人類学者)

 

「ドルは雲散霧消する」

 

問 2002年の著書「帝国以後~アメリカ・システムの崩壊~」で「前代未聞の証券パニックとそれに続いてドル崩壊が起こる」と予言しました。今や現実となっています。

答 確かに私は2つの予言をしました。昨年のリーマンショックによって証券パニックは現実におきましたが、ドルの崩壊はこれからです。

リーマンショック後にドルが世界の資金の避難先になったことは正直驚きでした。

しかし、これはドルの内なる力ではなくて、世界中の指導階級たちが依然として米国、そしてドルの世界の調整者としての役割を信じようとしているからです。まだ、何も実績を残しておらず、戦争状態にある国の大統領にノーベル平和賞が与えるなんて不条理の極みとしか言いようがありません。しかしこれが、世界が米国という存在に幻想を抱いていることの表れです。

問 今後、ドルの崩壊はどうやって起きると予想していますか。

答 金融危機が落ち着き、通常の経済活動に戻れば、ドルの下落が始まるでしょう。しかし私が恐れているのはドルの為替レートが上がるとか下がると言ったレベルではありません。経済力の裏付けのないドルは雲散霧消すると考えているからです。

ドル崩壊のシナリオは2つの観点から考えられます。1つは経済的な観点。これは米国経済の衰退が限界点を超えると、中東の産油国や中国がドルに見切りをつけることです。もう1つは軍事的な観点です。グルジアとロシアの紛争で何もできなかったように、アフガニスタンは、米国の無力を象徴する出来事になる可能性があります。

問 ドルの崩壊後、別の基軸通貨が誕生するのでしょうか。

答 私は経済学者ではないので、答えがあるわけではありません。しかし、20ヶ国地域首脳会議(G20)など世界の指導者が集まる場で、ドル崩壊後の世界について真剣に議論すべきです。ドルに代わる基軸通貨がない現状で、世界各国がドルを買うことは、解決できない矛盾を積み重ねて、近い将来の大暴落の被害を大きくしているだけです。私はアジアの中央銀行の総裁だけにはなりたくありませんね。

問 ドルの崩壊と同時に、自由貿易への警鐘を鳴らしています。

答 今、必要なことは、世界の需要をどう作り出すかです。第2次大戦後は自由貿易の時代でした。輸出によって新たな需要が生み出され、生産が増えて賃金が上昇し、需要を創出する好循環が続いていました。しかしそれは賃金の低い新興国の存在がなかった場合にのみ成立した枠組みです。自由貿易の名の下、世界の労働者の賃金は単なるコストを見なされた。企業はコストが低い新興国に生産拠点を移し、賃金は下がり、世界中の需要は縮小する負の連鎖に陥ったのです。

この世界の需要不足を補うために調整役を担ってきたのが、米国の過剰消費だったのです。米国はその役を担うために、大量の国債を発行して借金を増やし、その借金を日本や中国が支えてきました。世界各国が、この枠組みを支えてきたのです。しかしリーマンショックによってその歪みがあらわになりました。

問 保護主義への回帰には批判が強いと思いますが、

答 私は自由主義の代わりに保護主義を取るべきだと主張しているわけではありません。しかし保護主義がタブーとされ、全く聞く耳を持たないことは問題です。歴史の一場面においては、一時的に特定分野での保護主義は必要ではないでしょうか。そして世界の需要がある程度の水準まで回復したら、また、自由貿易に戻せばいいのです。

(引用終わり)

 

「「通貨」を知れば世界が読める」浜 矩子著 (PHP新書)

 

   為替、通貨に関してはいろいろな本が出ているが、この本は、非常にわかりやすく的確でこれ一冊読めば、とりあえず類書を読む必要がないというお忙しい方にとって本当にいい本である。

著者の浜矩子女史は、度々TVに出演しているのでご存じの方も多いのではないだろうか。

 基軸通貨の米ドルは過去のレポートでも何回も指摘しているように大変危うい状態にある。もちろん、欧州ユーロもこれからどうなるのか予断を許さない状況だ。

   その中で浜女史は大変な名言を書いている。「その国にとって良いことが世界にとっても良いことであると言う関係が成り立っている国の通貨」が、国際的基軸通貨と呼ぶに価する。大英帝国が世界の富を一手に握った「パックス・ブリタニカ」の時代のポンドがそうであり、第2次世界大戦後の「パックス・アメリカーナ」の時代のドルもそうであった。

当たり前のことだが、彼女の現状分析は、的確かつ厳しい。 2000年代も後半になり、通貨を取り巻く状況を大きく変えた二つの金融事件が起きた。2008年のリーマン・ショック、及び2009年のギリシャ金融危機である。前者は、既に実質的には基軸通貨の座を降りたにも拘わらず、それを認めようとしないアメリカへの退場勧告とも言うべきものであり、後者は、ドルに替る基軸通貨として期待されたユーロが、その役割を果たせないこと、更に、その存在すら危ぶまれるものだと言うことを示す警告であった。

    また、円高圧力の強い日本の現状分析には、円を「裏基軸通貨」として展開するのが良いとしている。この点についてはいろいろな意見があるだろう。

 今回の東日本大震災で、地球的なサプライチェーンがどれだけ大きな影響を受けたかを考えても、グローバルな世界での日本の経済的責任は大きい。円が動けば世界が揺れる、日本の物作りが揺らげば世界が倒れてしまうのだ。世界一の債権国は、自らの行動や降りかかる命運の波及効果を常に意識しておかなければいけない。

 

日本という国は、明らかに、米国の庇護の下で子供じみた振る舞いをする幼稚園時代から決別する時が近づいている。にもかかわらず、いまだに幼稚園のPTAをやめたくない人であふれているのが現状の日本である。

自立した大人の国の大人の通貨を大人らしく管理する覚悟が求められているのである。強い通貨と豊富な債権、そして知恵と工夫を用いて、如何に豊かな国を築いて行くかが問われていて、日本がこれから大人の世界を自力で開拓していかなければならない。

 

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)には、理性のある女史ははっきり反対している。当然のことであろう。 TPPは、環太平洋の国々が協定を結んで自由貿易圏を作ろうと言うものであるが、要は特定地域の囲い込み政策:経済ブロック政策で、いわば集団鎖国主義である。通貨と通商の世界における自己防衛的囲い込みが、地球経済を分断して行くのが最悪のシナリオであると彼女は鋭く指摘している。

その意味で日本のマスコミにおいては現在、TPPについても全く大人の議論がされていない寂しい状況にある。

  もちろん現在、困窮した米国は日本を庇護しようなどとは120%考えていない。だったら、日本には自立する選択肢しか残されていないはずだ。

 最後に「地域通貨」の可能性に言及しているのも的確だ。彼女は,今起っている恐慌は,ソブリン恐慌といって国の財政破綻に起因する恐慌であり,今までの恐慌概念とはまったく状況の違う経済現象だと見ている。アメリカの財政破綻も深刻で,もはやドルの基軸通貨にはあり得ない。だとすれば,これから世界の基軸通貨になる通貨を持つ国はあるのか? 彼女は無いという。

世界の基軸通貨が存在しないでは,世界経済は混沌として,世界はまさにグローバルジャングルになってしまう。これから私たちは,そのグローバルジャングルの中をどう歩いていけば良いのか? 彼女の問いかけはそういうことであって,彼女は「地域通貨」に大きな可能性を見ている。

   ところで、アフリカ、リビアのガダフィー政権崩壊とアフリカ共通通貨についても言及してもらいたかったところである。何にしてもアメリカニズムに毒されていない名著である。

<本書の内容> 目次を紹介

はじめに 通貨を知ることは、世界経済を知るということ

・震災後の日本で見えてきたこと

・「最後の金本位国」の栄光

・黄昏を迎えつつあるドル

・通貨の「二十一世紀的回答」はなにか

第一章 われわれはなぜ通貨の動きに一喜一憂するのか?

1. お金に翼が生えた日

2. 「ラインの黄金」をめぐって

3. 為替介入は是か非か

4. 通貨の動きは読めない、しかし

5. 基軸通貨という幻想

第二章 基軸通貨をめぐる国家の興亡

1. 大英帝国とポンド、そしてシティの栄光

2. 「通貨戦争」の勃発

3. バックス・アメリカーナの時代

4. ユーロという新しい可能性

第三章 通貨の「神々の黄昏」

1. 落日のドルに止めをさしたリーマン・ショック

2. ユーロの夢の終わりと現実

3. 実は世界を動かしていた「円」の知られざる実力

第四章 これからのドル、ユーロ、そして円と日本

1. それでも「1ドル50円」になる理由

2. 遅れてきたプレーヤー「人民元」は基軸通貨になれるのか

3. 1ドル50円へ…最善のシナリオ

4. 1ドル50円へ…「最悪」のシナリオ

5. ユーロ崩壊の日は本当に来るのか

6. まったく新しい円の時代へ

終章 来るべき「二十一世紀的通貨」のあり方とは

・明日の通貨を探してめぐる「二つの問い」

・イタリアのある町で生まれた「甘い物通貨」

・スイーツが通貨に変わる日

・花より団子ならぬ「カネよりアメ」

・どんな通貨も、最初は地域通貨だった

・次の基軸通貨探しに汲々とするよりも

・御足は長いか、短いか

・単一通貨ではなく、共通通貨

・世界経済を短足通貨が支えるモデル

・3Dに展開される通貨の世界

・お財布の中にいろいろな通貨が入っている時代へ?

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