m.yamamoto

実は出口のない日銀の異次元金融緩和

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7月 022018

三年ほど前に東京で宮澤喜一前首相に薫陶を受けた方から「十年以内に安倍さんは戦後最悪の総理の烙印を押されるよ」と、言われた言葉が未だに脳裏に刻み込まれ、今でも政治スキャンダルのニュースを聞く度にその声が甦ってくる。

ところで、本年615日に行われた日銀総裁記者会見で黒田総裁は、記者の「総裁は今も2%の物価安定目標が達成できると信じていますか」という質問に「信ぜよ、さらば救われん、と言うつもりはないが、信じなければ、物価も上がらないなと思う」と迷言。すでに米欧の中央銀行が出口戦略に動くなかで日本だけが現政権と共に出口のない異次元金融緩和の道を突き進もうとしている姿勢を明らかにした。

それではマスコミによって鳴り物入りで宣伝されたアベノミクスとは、結局何だったのか。

それは、第二次安倍政権の間の日銀のバランスシート変化を見れば一目瞭然である。直近の2018622日と6年前の201215日のバランスシートを比較してみよう。この6年の間に日銀の総資産は約143兆円から約533兆円、約3.7倍に急膨張している。その主立った内訳は、社債・株式は約5兆円から約27兆円に約5.4倍に、国債は約90兆円から約451兆円、約5倍にそして、当座預金は約36.5兆円から約393兆円、約10.7倍になっている。これだけ見ても興味深い事実がいろいろ浮かび上がってくる。

現在の株高は、日銀が日経平均採用銘柄の大株主になっていることからも明らかだが日銀と年金資金の株買いによって演出されているに過ぎない。これを裏付けるように627日の日経の報道によれば、日銀のETF(上場投資信託)購入は2010年に始まり、13年就任の黒田東彦総裁による異次元緩和で急増。16年夏からは年6兆円も買い続け、過去に購入した保有株の額は推計25兆円と東証1部の時価総額約652兆円の4%弱に達している。日経が実質的な日銀保有比率を試算したところ、3735社中さらに1年前の833社から1.7倍に増加し、1446社で10位以内の大株主になっている。東京ドーム、サッポロホールディングス、ユニチカ、日本板硝子、イオンの5社では実質的な筆頭株主になっているとも分析している。例えばユニクロを展開するファーストリテイリング株は、ETFに多く組み込まれており、日銀が1兆円ETFを買うごとにファストリ株を200億円買うことになる。今のペースで計算すると1年後に市場に流通するファストリ株がほぼ枯渇してしまうというから驚きだ。要するに中央銀行として通貨発行権を持つ日銀が株式市場で好景気を印象づけるために手張りをして株価を吊り上げているということなのである。一言で言えば、将来のことは考えず、安倍政権はアベノミクスと称して財政規律の緩和を推進し、株価を上げて、支持率維持の道具として使ったということである。

やはりここで、一番注目すべきは国債保有額だろう。この数字の意味は、膨れあがる財政赤字に苦しむ日本政府が実質的に財政支出を中央銀行が紙幣の増刷で引き受ける財政ファイナンスによって手当てしていることを意味している。その資金があるから、安倍総理は海外で数十兆円以上のお金を散在することができ、政権のお友達企業に優先的に予算を付けることができるのである。さらに興味深い数字は当座預金393兆円である。これは日銀の総資産の約74%にあたる。つまり、とんでもない金融緩和をしているのだが、都銀をはじめとする銀行に融資機能がなく、政府も有効な成長戦略を打ち出す能力がないので、お金が日銀の当座預金に戻ってきているということを意味している。現在の日銀の総資産から当座預金の金額を引くと約140兆円、6年前の総資産とほぼ同額になる。つまり、実際にはこれほどの金融緩和をしているにもかかわらず、お金は回っていないのである。

おそらく、政権へのマスコミの配慮もあるだろうが、不祥事続きの安倍内閣支持率が30%をなかなか切らないのは、企業経営者を中心に株高、低金利の恩恵を受けていることと、この状況の不自然さを無意識に感じていてボートを揺らしたら何が起こるかわからないという心理が働いているためではないだろうか。

そもそも米国に唆されて始めた異次元金融緩和だが、そのご本尊である元FRB(連邦準備制度理事会)議長で著名な経済学者のベン・バーナンキが昨年5月に日銀で行われた講演で「私は理解が足りなかった」、「初期の論文での指摘は楽観的で、中央銀行が量的緩和を実行すれば、デフレを克服できるはずと確信しすぎた」、「ほかの選択肢を無視しすぎた」などと言い始めたのだから日銀も大変である。

いずれにしても、オーソドックスな方法では、もはや日銀は異次元の量的緩和から脱出できないことを企業経営者は頭に入れておくべき時期に入っている。

その結果、

○日銀に資金が集まり景気が悪化する

○日銀のバランスシートが膨らみすぎて出口戦略が実現不能になる

○金融システム不安が表面化する

○日銀の信用度が低下し日銀券が売られる(超円安を招く)

以上の可能性が時間の経過と共に高まっていくことになるだろう。一言付け加えるなら、財政当局が心密かに一番望んでいるのは、ハイパーインフレによる借金帳消しであることは言うまでもない。

 

*参考資料

<太平洋戦争前後の日本の通貨流通高と物価>

太平洋戦争前後の通貨流通量と物価(熊倉正

鉱工業生産指数は1937年の値が100、通貨流通高と卸売物価指数は1937年の値が1になるように調整。(出所)日本経済研究所編(1958)『日本経済統計集-明治・大正・昭和』等をもとに明治学院大学国際学部教授 熊倉正修氏集計

 

6月 232018

2018612日にシンガポールで行われた歴史的な米朝首脳会談の評価が日本では総じて低いようである。

例えば、613日の朝日新聞の社説は、「その歴史的な進展に世界が注目したのは当然だったが、2人が交わした合意は画期的と言うには程遠い薄弱な内容だった。最大の焦点である非核化問題について、具体的な範囲も、工程も、時期もない。一方の北朝鮮は、体制の保証という念願の一筆を米大統領から得た。公表されていない別の合意があるのかは不明だ。署名された共同声明をみる限りでは、米国が会談を急ぐ必要があったのか大いに疑問が残る。」と書いている。

北朝鮮のミサイル発射でJアラートまで駆使して半島有事を煽っていた、ちょっと前までの日本政府の現状を考えれば、この会談によって朝鮮半島有事が取りあえず遠のいたことをまず、評価すべきなのにこの社説はでは、全くそのことに触れていないのも不思議なところである。しかし、その後の韓国、北朝鮮、中国、ロシアの活発な外交交渉の展開、マティス国防長官による米韓軍事演習の無期限延期などの発表を見ると、明らかに大きく歴史は動き出している。

考えてみれば、日本のマスコミは先の米国大統領選においてもトランプ氏が大統領になることをほとんど予測していなかった。ヒラリー女史が当選し、今までと同様の米国の国際戦略が続くことを当然のこととしていたのである。そのためにトランプが何をしようとしているのか、何の為に大統領に選ばれたのかを、いまだに全く理解しようとしていない。

それでは、彼はどういう役割を担って大統領になったのか、それを考えるためには第二次世界大戦以降の世界経済の変遷を振り返る必要がある。大戦後、すべての技術、お金、金(ゴールド)、インフラがアメリカ合衆国に集中していた。そのため、西側諸国の経済は、米国が共産圏であるソ連に対抗するために豊富な資金、技術を、提供することによって離陸し、成長してきた。そして1965年以降、西ドイツ、日本が経済的に頭角をあらわすとともに、米国はベトナム戦争等の巨額の出費(これによって日本経済は高度成長した)もあり、いわゆるドルの垂れ流し状態に陥る。その結果、起きたのが、1971年のニクソンショックで、ニクソンは金とドルの交換の停止、10%の輸入課徴金の導入等の政策を発表し、第二次世界大戦後の通貨枠組み:ブレトン・ウッズ体制を解体、世界の通貨体制を変動相場制に移行させた。しかし、その後も米国の赤字基調は変わらず、1985年にはプラザ合意による大幅なドルの切り下げという事態に日本は共和党のレーガン政権時代に追い込まれる。貿易黒字を貯めこむ日本は、内需拡大を迫られ、その後、バブル経済が発生することになる。1965年以降、日米貿易摩擦が発生し、製造業間の調整交渉が日米両政府によって重ねられてきたが、80年代後半以降、米国はトヨタの負け(製造業)をソロモン(金融業)で取り返す戦略に転換。日本が貯めこんだドルを米国債、株式に投資させ、米国に還元させることで儲ける仕組みをつくりだした。この方式を新興国に当てはめ、始まったのが、現在のグローバル金融である。そして、グローバル金融を支えてきたのが、IT革命だ。つまり、賃金の安い新興国に米国企業が工場を作る投資をし、その製品を米国に輸出させた儲けは、米国の金融機関が吸い上げるという仕組みである。ポイントは、この仕組みを円滑に機能させるためには、米国のルール:新自由主義と新保守主義の思潮から作り出された価値観(ワシントンコンセンサス)をそれら、すべての国に受け入れさせる必要があり、軍需産業維持のための戦争と価値観の押し付け外交が密接に結びついていった点にある。つまり、そのルールを押し付けるためには、米軍が世界展開していることが好都合だったということである。ところが、2008年のリーマンショックでこのグローバル金融がうまく、機能しないことが露呈し、中央銀行制度ができて以来、初めての異常な金融緩和が始まったが、現在、それもすでに限界に達している。

この状況を打開するために選ばれたのがトランプなのである。

基本的なトランプの考え方は次の三つである。

(1)グローバル金融はうまく機能しない。

(2)アメリカは世界の警察官をやめ、世界に軍事展開することをやめるべきだ。

(3)金融で儲けることができないなら、米国内で製造業を復活させるしかない。

ということは、基本的にトランプは早く、米軍を世界から撤退させたい、そのためには極東の冷戦も早く終わらせるべきだと考えているということである。このような分析は日本のマスコミでは報道されることはないが、北朝鮮の金正恩はこのトランプの考えをしっかりと理解し、核カードという札を手にした時点で勝負に出てきた相当したたかな政治家であるという見方もできるのである。 

もちろん、このような動きが進むことは、1945815日以降の日本のあり方を根本的に変えることにも繋がっていく。このことを、マスコミを含む日本のイスタブリシュメントは、巨大利権化された日米安保体制(今は日米同盟体制という言葉に変わったが、)のなかで見たくない。それが日本のマスメディアの論調を左右する空気と今もなっている。考えてみれば、日本の戦後体制は、天皇実録を読み込んだ豊下楢彦氏が「昭和天皇の戦後日本:〈憲法・安保体制〉にいたる道」で明らかにしたように昭和天皇とマッカーサーの11回の会談で実際には決まってしまったようなものなのである。この冷戦下のなかで半ば独立を放棄し、経済的利益を追求する戦略はベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終わるまでは、きわめて有効に機能した。本来ならば、この時点で世界情勢の変化に合わせて外交戦略も変えるべきものだったはずだが、長年にわたる日米安保を中心とした利権構造があまりにも強固なものになり、変えることができなかったのである。その意味では、安保利権者にとっては、極東における分断された朝鮮半島の存在はあまりに好都合だったと考えることもできるだろう。しかしながら、それもこの612日の米朝首脳会談で大きく変わろうとしている。考えてみれば、日本という国がこれほど太平洋側ばかりに顔を向けていた歴史は、日本の長い歴史のなかでほとんどない。多くの日本人は忘れてしまっているが、廃藩置県後の都道府県の人口は、明治時代までは新潟県が一番だったのである。日本海側は、決して裏日本ではなかったのである。その意味で本来のユーラシア大陸に顔を向ける時代の転換点が訪れているとも言えよう。

 ところで、第二次世界大戦後、米国のアジア情勢分析のトップだったオーウェン・ラティモアは「アジアの情勢」(119P)のなかで、次のように書いている。 

「アメリカの対日政策は、日本の歩む方向にアジアを進ませることができる、という仮説の上に立っている。仮説の連鎖の第一環は、日本をアジアの工場とロシアに対する防壁とに仕立て上げることができる、と言う考えである。この仮説は、アメリカの政策の道具として日本は、イギリスとドイツとネパール王国とが持つすべての価値を、一身に兼ね備えているという驚くべき理論の上に立っているのだ。日本はイギリスと同じように据え付けの航空母艦として使うこともできるし、ドイツと同じように周囲のどれよりも発達した工業を持っているので、ドイツのように付近の主な国々の工業の発達を利用し、またそれを反ロシア的方向に誘導するための中心とすることができる。インドから独立しており、インドとイギリスに凶暴なグルカ人傭兵を供給しているネパール王国と同じように、生まれつき訓練された日本人は、<伝統的に反ロシア的>であるから、時と共に、独自の政治を持たず、自国の<作業場>をまかなってくれるアメリカに対して堅い忠誠を致すところの、新しい植民地軍隊を供給する国になるだろう、と期待されているのである。 

如何だろうか。オーウェン・ラティモアはこんなことは、アメリカの都合のいい幻想に過ぎないと分析しているにもかかわらず、現在の日本が19491月に書かれた文章の通りの日本になっていることに戦慄しないだろうか。 

 何れにしろ、極東における冷戦が終わろうとしている現実、すなわち日本の戦後が終わることを冷静に受け止める歴史的な時を迎えようとしている。

 

オーウェン・ラティモア

Owen Lattimore1900729 – 1989531日)は、アメリカ合衆国の中国学者。第二次世界大戦前には太平洋問題調査会(IPR)の中心的スタッフを長くつとめ、また戦時期には中華民国の蒋介石の私的顧問となるなど合衆国の対中政策の形成に関与していたため、戦後はマッカーシズム(赤狩り)の標的の一人となり迫害を受けた。1942年、中央アジアの探険、研究に対して、イギリスの王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた。

The Situation in Asia1949年)

アジアの情勢

さらば、閉ざされた言語空間

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4月 102018

戦後を代表する評論家である江藤淳氏には、「閉ざされた言語空間~占領軍の検閲と戦後日本」という名著がある。江藤氏は昭和54年、ワシントンに9か月間滞在し、3つの図書館で一次資料を精力的に調べ、米国による日本占領前(周到な計画)、占領後(実行)の検閲の実態を明らかにした。そしてGHQは、その計画通りに終戦後、約8000人近くもの英語の話せる日本人を雇用し、彼らを使い、秘密裏に日本のメディアに対する徹底した「検閲」を行った。江藤氏がこのような調査をおこなったのは、戦後30年以上経過した昭和54年当時においても占領期と同じことが日本社会で起きているという一種不思議な感覚を拭い去ることができなかったからだとも書いている。おそらく、これは鋭い作家の直感だったのだろう。「北朝鮮外交の真実」という本の著者でもある元外交官原田武夫氏は、この件について下記のように書いている。

「米国は日本独立後も引き続き、日本メディアを監視し続けている。しかも、その主たる部隊の一つは神奈川県・座間市にあり、そこで現実に77名もの「日本人」が米国のインテリジェンス・コミュニティーのために働き続けているのである。そして驚くべきことに、彼らの給料を「在日米軍に対する思いやり予算」という形で支払っているのは、私たち日本人なのだ。「監視」しているということは、同時にインテリジェンス・サイクルの出口、すなわち「非公然活動」も展開されていることを意味する。」

つまり、江藤淳氏の直感は正しかったのである。彼も文庫本あとがきに「文庫に収めるにあたって、テクストの改変は一切行わなかった。米占領軍の検閲に端を発する日本のジャーナリズムの隠微な自己検閲システムは、不思議なことに平成改元以来再び勢いを得始め、次第にまた猛威をふるいつつあるように見える」と書いている。一例を上げるなら、昨年11月には、トランプ大統領が米国大統領として初めて治外法権である在日米軍基地経由で日本に入国するという異例のパフォーマンスをしてきた。たしかに米国大統領は米軍の最高司令官なので、日米地位協定に規定される軍人と見なすことは、可能だが随行してくる国務省の職員は民間人なので、本当は米軍基地経由で日本に入国することは、厳密に言えば、地位協定上、問題があるはずなのである。しかしながら、このことを指摘する日本の大手メディアは一つもなかった。逆に評論家の池田信夫氏は、トランプ大統領が横田基地から日本に入国したのは、米軍は在日米軍基地から自由に出撃できると北朝鮮に見せることだと解説しているほどだ。しかしながら歴史はそれとは違う方向に動き、この5月には、歴史的な米朝首脳会談が行われることになっている。韓国の一存だけでこのようなことが進むはずはないのでトランプ周辺が動いていたことは間違いないだろう。その後、このことは、日本テレビの取材でも裏付けられている。ところで平成20年には、江藤氏の上記の著書を引き継ぐような大阪大学名誉教授松田武氏の「戦後日本におけるアメリカのソフトパワー~半永久的依存の起源~」という本も出版され、詳細に日本社会の言論状況を分析。アメリカ合衆国のソフトパワーは、戦後日本のエリート知識人を精神的にアメリカに依存する弱々しい人間にしてしまったように思われると結論している。現在、朝鮮半島情勢、イスラエルをめぐる中東情勢、英国のEU離脱によるヨーロッパ情勢、トランプ登場による米国の内部分裂、日本を取り巻く情勢が大きく変わろうとするなかで日本も「閉ざされた言語空間」の扉を、勇気をもって開く時を迎えている。

アベノミクスの舞台裏

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4月 042018

総務省統計局のホームページを見ると、世帯単位における裕福さ、生活レベルの度合いを示す指標の一つであるエンゲル係数は、昭和40年には38.1%、生活水準の向上に伴い低下が続き、昭和54年には30%を下回り、平成19年には23%となっている。そのエンゲル係数が平成25年より上昇、現在26%に迫っている。主因はアベノミクスによる円安による輸入物価の上昇と景気拡大が続いているのに、実質賃金が低下する過去の景気拡大局面では見られなかった事態が続いていることにある。

 ところで、アベノミクスという経済政策は、大規模な金融緩和、拡張的な財政政策、民間投資を呼び起こす成長戦略という三本の矢から成り立っている。しかしながら、バブル崩壊後、財政赤字を積み重ねてきた日本には財政余力が乏しく、既得権益が強い日本では、有効な成長戦略が打ち出せないなかで今まで有効に機能してきたと言えるのは、金融緩和だけである。大規模な金融政策導入の政策根拠となったのが、第二次安倍内閣が発足する総選挙前に出版された浜田宏一氏の「アメリカは日本経済の復活を知っている」という本である。そもそも中央銀行による異次元金融緩和とうものは、20089月のリーマンショックによって始まったものである。ITバブル崩壊の後、2000年代に2倍の価格に上がった米国の住宅価格が下落。そのため、20089月には、住宅証券(AAA格)が40%下落。この下落のため、住宅証券をもつ金融機関の連鎖的な破産が起こることになった。ところで米国の住宅ローンは、日本(200兆円)の約5倍(1000兆円)の巨大な証券市場を形成している。ところで、住宅ローンの回収率で決まる価値(MBS等の市場価格)が40%下がると、金融機関が受ける損害は、400兆円になる。ちなみに、米国の金融機関の総自己資本は200兆円レベルである。

そのため、20089月には、米国大手のほぼ全部の金融機関が実質で、債務超過になってしまった。金融機関の債務超過は、経済の取引に必要な流通するマネー量を急減させる。当然、株価も下がり、ドルも下落した。20088月は、1929年に始まり1933年まで続いた米国経済の大収縮、つまり信用恐慌になるほどのスケールのものであった。放置しておけば、信用恐慌を招くことが必至、そこで米政府は金融機関の連鎖的な倒産を避けるため、銀行に出資し、FRBは銀行が保有する不良化した債券を買い取ってドルを供給することにした。

その総額は、リーマン・ブラザースの倒産直後に1兆ドル、その後も1兆ドルを追加し、129月からのQE3の量的緩和(MBSの買い)も加わって、FRBのバランスシートは、3.3兆ドルと20089月以前の4倍以上に膨らんでいった。金額で言えば、FRB2.5兆ドル(250兆円)の米ドルを、金融機関に対し、増加供給した。買ったのは、米国債(1.8兆ドル:180兆円)と、値下がりして不良化した住宅証券(MBS1.1ドル兆:110兆円)である。FRBによる米国債の巨額購入は、米国の金利を下げ、国債価格を高騰させた。この目的は、国債をもつ金融機関に利益を与え、住宅証券の下落で失った自己資本を回復させることにあった。同じ目的で、もっと直接に米国FRBは、40%下落していたMBS(住宅ローンの回収を担保にした証券)を1.1兆ドルも、額面で買っている。米ドルを増発し続けてきた米国FRBは、「出口政策」を模索している。出口政策はFRBが買ってきた米国債やMBSを逆に売って、市場のドルを吸収して減らすことである。これを行うには、米国債を買い増ししてくれる強力なパートナーがいないと、米国はドル安になって金利が上がり、経済は不況に陥ることになる。世界最大の債権国である日本が採用したアベノミクスによる円安政策は、実は、米ドルとドル債買いであり、円と円債の売りである。このような仕組みで日本は、同盟国であるアメリカの経済をアベノミクスによって支え続けてきた。これがアベノミクスの舞台裏である。 

森友・加計問題の本質

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3月 152018

3月2日に朝日新聞が「学校法人・森友学園(大阪市)との国有地取引の際に財務省が作成した決裁文書について、契約当時の文書の内容と、昨年2月の問題発覚後に国会議員らに開示した文書の内容に違いがあることがわかった」とスクープ報道。その後、12日、財務省が「決裁文書についての調査の結果」を公表。森友学園問題の国有地取引をめぐる決裁後に文書を改ざん(政府の表現は「書き換え」)していたことを認めるに到り、今や政権を揺るがすような大事件になろうとしている。今回、公表された文書を読むと興味深いキーワードが浮かび上がってくる。「忖度」、「縁故資本主義」、「友だち内閣」、「内閣人事局」、「公文書管理法」、「戦後レジームからの脱却」、「国民国家」、「日本会議」、「成長の家」等である。

戦後史を振り返ってみると、19451951年の間、敗戦国である日本はGHQ(連合国最高司令官総司令部)の支配下にあった。当時、日本は「主権国家」ではなく、対米従属の政策をとるしか、独立を回復する道はなかった。しかしながら、サンフランシスコ講話条約によって形式的な独立を果たした後も、日本は徹底的なアメリカファーストの政策を選択することになる。たしかにその結果、米ソの冷戦構造が日本に幸いし、経済の高度成長がもたらされ、世界第2位の経済大国に躍進し、多くの問題を抱えながらも沖縄返還を実現することもできた。ここで評論家の江藤淳氏が興味深い同級生のエピソードを書いているので、紹介する。1963年のことである。以下。

「うちの連中がみんな必死になって東奔西走しているのはな、戦争をしているからだ。日米戦争が二十何年か前に終わったなんていうのは、お前らみたいな文士や学者の寝言だよ。これは経済競争なんていうものじゃない。戦争だ。おれたちはそれを戦っているのだ。今度は敗けられない。」(「エデンの東にて」)しかしながら、この「ジャーパンアズナンバーワン」とも言われた経済的成功、ある意味経済戦争における勝利だけでは、日本が真の独立国になることはできなかった。

その結果、第二の敗戦とも言われる日本のバブル崩壊と前後して、東西冷戦構造も終焉し、巷間言われた失われた20年というものを経て日本国内では奇妙な言論が持て囃されるようになっていく。それらが「クールジャーパン」、「日本スゴイ」等である。そして、それが政治的に表現された言葉がいわゆる「戦後レジームからの脱却」である。考えてみれば冷戦終了後、世界を席巻した新自由主義、新保守主義の思潮が世界のグローバル化を推し進めるなか、新自由主義の政策を米国の言いなりに進めてきた政治家が、そもそも新自由主義は、近代国民国家の枠組みを崩していく考え方でもあるにも関わらず、対米自立的な、戦前回帰的な言辞を弄ぶことによって、支持される構図はとても奇妙なものである。マスコミで報道され、話題になった森友学園の見る人から見れば、時代錯誤の教育が一時期話題になったのは、先行きの見えない従米路線の閉塞状況のなかで、対米自立の戦略を見失った人々に心地良いカタルシスを与えたからではないだろうか。森友学園が多くの保守派を自認する著名人や政治家を引き付けたのはそのためだろう。今回の森友事件の不可思議な国有地払い下げ事件の底流には、対米自立の戦略を見失った日本社会の閉塞状況があることも見落としてはならないところだ。

*東愛知新聞に投稿したものです。

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