本日、8月15日は終戦記念日です。日本の長い戦後は、「敗戦を終戦と言い換える」ことによって始まりました。8月によく放映されるアニメーション「火垂(ほたる)の墓」の原作を書いた作家の野坂昭如氏は、「敗けるということが、どういうことなのか判らぬまま70年、敗戦後、立ち止まって考えることをしなかった。そのツケがボディブローのように効いてくる」と書いています。
考えてみれば、戦後の復興も奇跡とも言われた高度経済成長も冷戦下において、それしか選択の余地がなかったとは言え、戦争に負けた国に抱きつくこと(対米従属を通じて国土を回復し、国家主権を回復する戦略)によってもたらされたものです。その結果、冷戦という僥倖に恵まれていたこともあり、日本は世界に冠たる経済大国になることができました。しかしながら、この経済的成功によって、「対米従属を通じて独立を回復する」という戦後の国家戦略が現状維持の空気のなかで風化していくことになります。その結果、日本には占領期と同様に米軍が、駐留し続けることになりました。昭和44年時点では、「わが国の外交政策大綱」に「在日米軍基地は逐次(ちくじ)縮小・整理するが、原則として自衛隊がこれを引き継ぐ」と明記されていたことも忘れてはならないところです。ちなみに現在、千人以上の米軍兵士が駐留している国は、世界で9カ国しかなく、米国国防総省の発表によると日本は、世界最大の米軍駐留国で、その基地面積は世界第3位、その駐留経費負担は世界第1位となっています。また、最近のウィーキーリークスの暴露によって世界に展開する米軍の情報管理システムが青森県の三沢基地、東京都の横田基地、沖縄のキャンプ・ハンセンに集中していることも明らかになっています。
まさにかつて中曽根康弘元首相が「日本列島を米国の不沈空母にする」と語った通りの日本が現実化しているわけです。ところで、1951年1月26日に安保条約生みの親とされるジョン・フォスター・ダレスが日本との交渉に先立ち、スタッフ会議で「われわれが望む数の兵力を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保することがわれわれの目標である」と語っていました。そして、その目標が実現し、現在でもその状況が続いています。
この日本の現況を米国の映画監督であるオリバー・ストーン氏は「日本はアメリカの衛星国(Satellite state)であり、従属国(Client state)である」と断言し、日本の政治家は戦後の国際社会において、いかなる大義名分も代表したこともなく、日本は、米国の政策に追随する以外に国際社会に向けて発信する構想を持っていない国だと、2013年の広島における講演で発言しました。その発言に対して日本の大手メディアは、記事にして反論することすらありませんでした。
日本の戦後史の分岐点は、冷戦の目処がつき始めた1985年のプラザ合意で、ここから日本経済の転落が米国によって仕掛けられてきます。このことを経済通の宮沢喜一氏は「日本の不良債権の問題をたぐっていくと、どうしてもきっと、プラザ合意の処へいくのだろうと思います。これに対して日本経済が対応をしたり、しそこなったりして、結局今の姿は、どうもその結果ではないかということを、いろいろな機会に思います」と語っています。(「聞き書 宮沢喜一回顧録」)そして現在、英国のEU離脱、反グローバリストであるトランプ米国大統領の誕生など、国際情勢が大きく動き出しています。その意味で今ほど、立ち止まって戦後の現実を直視し、未来を構想する勇気が求められている時はありません。
*東愛知新聞に投稿したものです。