日本という国の仕組みをそろそろ一般の国民も知るべき時を迎えている。
なぜなら、明治維新以降、薩長藩閥政府が強引に創ってきた日本という国の在り方が完全に限界に来ているからである。戦後、日本の官僚は、戦勝国である米国をバックに据えることによって政治家を完全に押さえ、官僚機構の肥大化とある意味、不労所得の恒久化に邁進することができるような公(おおやけ)優先の構造を創り出すことに成功した。つまり、司法、立法、行政、財政、外交、防衛、おおよそ国家の上部構造、つまり包括的権力がすべて官僚によって掌握され、宗主国である米国の意向は、日米合同委員会等を通じて忠実に反映されるが、日本人の本当の民意がなかなか反映されないのが、現在の日本の国政である。
いまだに3万人近い役人が天下る約4600の特殊・公益法人、そのグループ企業へ投じられる補助金は年間12兆6000億円に達している。つまり、「天下り手当て」として復興財源を上回る予算が毎年注ぎ込まれているわけである。
「補完的社会事業」などと称し、国民の眼を欺いているが、特殊法人が本当の付加価値も創出していないことは言うまでもない。それどころか税金を投じて傘下に系列企業群を設立し、さらに役人が天下り、莫大な役員報酬を得、随意契約で優先的に業務を発注し、民業を圧迫している。これらの官製グループ企業は約3000社にも達している。もっとも、これらの利権のおこぼれに預かっている国民の数もかなりの数になるだろう。一言で表現するなら、戦後の日本システムの特徴は。市場経済において社会主義経済を実践するという二重構造にある。この既得権益層への傾斜的社会資本配分が行き過ぎたために現在、民間が極度の疲弊に陥っているというわけだ。
何度もレポートで指摘しているようにこの国は、原発事故により現在、国家は存亡の危機にあり、過酷な税負担(この国には税の名前がついてない実質、税金と見なされる不思議な負担金?が特別会計に徴収されている。)により庶民が加速的に疲弊している。それにもかかわらず、何の能力も情報もない国会議員は、この日本の特殊利権構造に手を入れる意欲も手段ももっていないのである。
たとえば、役人の天下りへ投下されている12兆6000億円の価値を考えてみるならば、5000億円で子供手当てを満額に継続し、3兆円で原発を全て廃炉にし、4兆円で福島の児童20万世帯を疎開させ生活保護費を支給し、5兆円で大学を完全無料化することができる。要するに似非エリート層によって利権が独占され、涙ぐましく、そのおこぼれに預かろうと陳情活動をするのが日本政治システムになってしまっているのである。
たしか、ソビエト連邦崩壊時ノーメンクラツーラが私物化した社会資本は当時のレートで約34兆円以上と推計され、これは統治者による自国民からの収奪行為においては人類史上最高額に達するとされていたが、日本国における特権官僚の実践がそれを桁違いに上回っている可能性もあることを一般の日本人もそろそろ知るべきなのである。
そういう意味でこの国の社会資本配分はある意味、詐欺もどきのものになっていると、言っても過言ではないだろう。国税と地方税の総計≒70兆円は人事院勧告準拠者700数十万人の給与、福利厚生、償還費、補助金で全額が蕩尽されている。このような無軌道な財政運営を続ければ、おそらく今後数年で公債総額は個人金融資産1500兆円と拮抗し、限界水域に達することになる。言うまでもないことだが、公債とは国民の資産と租税を担保とした借金にすぎない。
いずれにしろ絶対に責任を取らない官僚は、国債の暴落を引き起こし、桁違いの資産課税と年金、医療、公共サービスの切捨てをもってランディングする目論見であることは間違いないだろう。その時に、公務員の人員整理を強く要求するくらいしか、一般国民にはできないのだ。
官製国家である日本では報道されることもないが、1100兆円に達する公的債務のうち推計260兆円は、特殊法人へ貸付けた財投機関債(旧・財政投融資)によるものだ。つまり天下り官僚と準公務員という特権階級への献上金としてこれだけ莫大な金が費やされている。もともと国民の資産である年金、郵貯、簡保の積立金を原資とし、本来、出資者として配当を受け取るべき国民が、不良債権と化した財投債の元本、金利までをも負担し、租税として徴収されているわけであり、事実上の国家による強奪行為に他ならない。要するにわが国のエリートは、頭の悪い一般国民には財政の仕組みは何もわからないだろうと完全に馬鹿にしているのである。
当然のことだが、国債の9割近くは国民が市中銀行に預けた貯蓄で消化されている。国民の預貯金で公債を金に換え、国民が納める税金で元本償還を行い、公債金利を払っているわけだ。その上、宗主国である米国に外為特別会計を通じ米国債の購入を強制され、100何兆円規模で国民資産は米国に収奪されている。また、最近は特別会計の中にまでアメリカが手を突っ込み、活力交付金当たりから州債を買わせるなどしてお金を引き出しているようである。つまり馬鹿な日本人は国内外から二重にも三重にも搾取されているという見事な仕掛けができているのである。苫米地英人氏が「脱洗脳教育論」という本で述べているように日本人は明治維新の時から奴隷育成教育を受けているので、羊のように温和しくしているのであろうか。
先日、福島県宅地建物取引業協会が東京電力を訪れ、約25億円の損害補償を申し入れた。不動産への原発被害がいよいよ顕在化し、今後は周辺地域、都市圏への波及が警戒される事態となっている。これまでレポートで何回も指摘したが、日本政府が放射能汚染を頑なに隠蔽する一番大きな理由は、首都圏の不動産価格を下げたくないからである。都市圏の地価は10%の毀損で100兆円ちかい評価損失となる。これだけで信用創造機能は不全に陥いる。農林水産業や事業損失に加え不動産の賠償が加わるとなれば、脆弱なこの国の財政など一瞬で破綻することは明らかだろう。そのために官民上げて情報統制に狂奔し、被害実態を隠蔽し、富裕層が資産処分の時間を稼ぎ、クライシスを先送りしている。
だから、そんなことに関わりのない人は、自分自身で情報収集し、考え、自分自身、家族、友人を守ることである。
しかしながら、日本では「このままの官僚利権構造が続く」と、それによって糊口を拭って来た地方経済の担い手たちがもはや疲弊しているのは、「地方創生」がかつてのような1億円の金の延べ棒をばらまく「ふるさと創生事業」ではなく、要するに利権無しでも適宜自活するようにという一方的な政策の申し渡しになりつつある国の現状を見ても明らかなはずなのに、いまだに勘違いしている人が地方の経営者を中心に多くいる。アベノミクスに本当の成長戦略がないことを見てもわかることだが、これから既得利権の時代が終焉していくのは明らかである。そして次は都市部に暮らす住民、さらには大企業、そしてついには官公庁と立法府(国会)もその渦に巻き込まれるのは当然である。
利権の原資が無く、利権を創ることが出来ない国会議員の先生に誰が投票するのだろうか。利権によって保ってきた似非民主主義:日本版アメリカン・デモクラシーもいよいよ終焉の時を迎えている。大体、不正選挙の疑惑がこれだけネットで囁かれ、明らかにおかしい事例までマスメディアでも一部報道されていることを考えると、すでに選挙の公正性すら現在の日本では担保されていない可能性も高いのだ。
兎に角、これからは、下記に紹介するような今まで信じていた「お花畑」を木っ端微塵に壊すような吃驚情報が続々出てくるだろう。そのことによって、徐々に戦後創られたすべての利権構造が壊れていく。この大きな時代の流れは、おそらく、悪名高い特定秘密保護法でも止めることはできないのではないか。
それでは、似非愛国者石原慎太郎氏の正体を元外交官原田武夫氏が容赦なく暴いているので、情報操作が大衆を如何に巧みに騙すかをじっくり考えていただきたい。以下。
「<泥棒国家>ニッポンを越えて」 原田武夫 2015年10月04日
例えばこんな話を聴いたらば、読者の皆さんはどう感じるだろうか。―――ある国の首都で首長を務める政治家がいた。どうしても息子には総理大臣になってもらいたいが、なかなかうまくいかない。かといって今さら自分が総理大臣になる道を志すわけにもいかないのだ。若い頃には「政界の暴れん坊」として鳴らしたものの、もはやその年齢でもないからである。そこで一計を案じた。
この国の首都には大きな港湾がある。その丁度入口にあたる部分に巨大な海底トンネルを掘るという計画がある。よくよく考えるならば「誰がそんなトンネルを使うのか」と首をかしげてしまうわけだが、対岸の他の地方行政府からすれば切望してやまない案件ではある。しかもここにきて国家としての経済の停滞は甚だしいものがある。「公共工事による需要創出」という御題目を打ち出すには絶好の機会となっている。
そうした中、国レヴェルでこれを所管する官庁はようやくこれを承認するに至った。無論、「道路族」の国会議員たちと並んで、国会議員ではないが有力政治家であるこの首長が辣腕を振るったのは言うまでもない。何てことはない、要するにこのトンネル建設工事のために組まれる予算の中に、彼ら土木官僚たちの将来的な「食い扶持」が含まれているように話しをつければ良いだけのことなのだ。工事を担当するのはこの港湾に長年特化した子飼いの建設会社だ。そもそもこの港湾の開発計画は、先の世界大戦の結果、この国が大敗北を喫してからというものの、戦勝国でありその後、この国にとって「唯一絶対の同盟国」となった大国の軍部によって事実上牛耳られてきた。無論、この国が名目上の「再独立」を勝ち取ってからはこの同盟国の軍部が港湾工事の細部に対してあからさまに介入してくることはない。ただ、一定の分け前を当然のように求めて来るわけであり、この点でもきっちり手を打つ必要があるのだ。首長はこのことを青年期から感づいていた。そしてこの同盟国からまず注目されるためには、それが敗戦国であるこの国の人々が二度と刃を向けて来ることが無いようエンターテイメント産業の発達による「愚民化」を図っているのに、俳優となった弟と共に、小説家として協力することに決めたのである。そしてテーマは「青年たちの暴走」を一貫して取り上げ、本来ならば国家全体として同盟国に押さえつけられているという現実を全くもって隠蔽し、青年たちの有り余るエネルギーを同盟国への抵抗から、極めて個人的な世界(「3S=スポーツ、セックス、シネマ」)へと向けることとした。
彼ら兄弟のこのやり方は大成功し、マスメディアを席捲する中で政治家へとのし上がる切符を兄である首長は得ることになったのだ。本来ならば「同盟国様様」となるはずだが、そんなことは無論、お首にも出すはずがない。それどころか今度は「NOと言える日本」なる本を打ち出し、この同盟国がいかに我が国を苦しめているのか、真の独立こそ今求められていると切々と訴えることにした。これがまたベストセラーになったわけであり、その勢いの恐懼した同盟国は少壮政治家となった後のこの首長を早速、自らの首都へと呼び寄せ、厚遇したのである。毅然として同盟国との協議へと向かう首長を、マスメディアは拍手喝采した。
さて、件の港湾トンネル建設計画についてである。首長がこれを子飼いの土木会社を用いていよいよ着手しようとしたのには訳がある。所管官庁にも言い含めてある国家予算の中から「(邦貨換算すると)600億円」を捻出するためだ。しかもそのやり方は極めて簡単だ。トンネルとその両端につくる橋梁で使うコンクリートを“薄めれば”良いのである。距離をいじったり、トンネルの大きさをいじったのでは後でばれてしまう。ところがコンクリートの「濃度」となるともはや現場を知るものしか分かり得ない世界の出来事なのである。子飼いの土木会社はこの意味できっちりと仕事をしてくれた。首長は「600億円」を捻出した。
だが、ここではたと気付いたのである。この600億円を塊として名のある銀行に置いておくのはやや気が引けるのである。無論、首長は有名政治家であり、かつその恫喝力で知られているわけだから、別にやろうとして出来ないことはない。有名銀行の最高幹部たちを縛り上げることなど、そのこれまでの行状、特に反社会的組織とのつながりや、夜の街の女性たちとの深い関係などを辿れば、大したことではないからだ。そのための実力装置との付き合いも首長はこれまで、港湾を取り仕切る荒くれ者たちとのやりとりの中で培ってきた。だが、そうとはいえ、やはり600億円はそれなりの金額なのだ。首長が「ここぞ」と思った瞬間に使える体制を維持しなければ意味がない。
そこで首長は考えついたのである。「そうだ、自分自身で完全にコントロールできる銀行を創ることが出来れば良いのだ」と。首長とは地方行政府のいわば”大統領“だ。その一言で巨大な地方行政組織が動いてくれる。「住民の福利厚生増進のため、独自の銀行を創るべし」といえば良い。ただそれだけで、地方行政官僚たちは整然と動き、「銀行」を創ってくれるのである。もっとも銀行業は彼らとて素人だ。世界的な不況の中でたまさかその国からの撤退を画策していた外国銀行の、おあえつらいむきの首都支店が一つあった。これを「公有化」してしまうのが一番手っ取り早い。―――首長は即決し、官僚たちはまたしても整然と動いてくれた。例の600億円は早々にこの新しい銀行の口座へと振り込まれた。
「これでもう大丈夫だ、息子が総理大臣になる道のりが開けた」そう想った首長の前に、突然立ちふさがった男がいた。辣腕ジャーナリストとしてテレビでも有名な小男だ。しかも彼は実に意外なところで首長に対して切りつけてきたのである。世界的な不況はこの国に対しても容赦なく負の波をぶつけてきた。そうした中で大合唱となったのが「行政のムダを徹底して切り落とせ」という主張、すなわち“構造改革”の呼び声である。雄ライオンによく似た髪型をした時の総理大臣が「抵抗勢力を潰せ!」と叫び続ける中、そうした波はいよいよ公共事業にも及び始めたのである。土木官僚たちの抵抗もむなしく、とりわけ「道路建設計画について徹底検証するための有識者会議」なるものを設置せざるを得なくなった。ジャーナリストはその一員、中でも「斬り込み隊長」役として、土木官僚たちが渋々提出した資料を、持前の嗅覚をきかせるべく鼻をひくつかせながら熟読し始めたのである。
そして、ついに見つけたのである。例の「コンクリート・トリック」を、である。もっとも世界で一番の野心家であるジャーナリストはそれを直ちに公表するなどという愚行には走らなかった。その代りに向かった先は、ここでの主人公である首長の下だったのである。
「首長、これ、見つけたのですけれどね」にやつきながら“600億円”が架空計上されている動かぬ証拠を示すジャーナリスト。かつては田舎学生運動の旗頭であったジャーナリストなど、自分とは格が違うのだと首長は怒り心頭だったが、しかしさすがにこの資料を示されて、この首長の内心は大いに動揺した。さて、どうするか―――。
「君、これはともかく、どうだね、首都行政のトップの現場で私を助けてくれはしないかね」
自分の顔がどうしてもひきつってしまうのを何とか隠しながら、首長は起死回生のための切り札をやおら切った。「野心家のこの小男のことだ、絶対に乗って来るはず」老獪な政治家である首長はそう確信していたのである。無論、その読みは当たっていた。「土木行政の切り込み隊長」として名を挙げたジャーナリストは今度は華々しく地方行政、しかも首都行政のトップへと転身。「国家で推し進めた構造改革を、今度は首都行政でも推し進める」と高らかに宣言し、鼻息荒く首都の牙城へと乗り込んだのである。
他方の首長はといえば、子飼いの首都行政組織幹部らに対してはこのジャーナリストへの「面従腹背」を命ずる一方、“その時”をひたすら待ち続けたのであった。その時、彼が胸の中で唱え続けた言葉はただ一つ。
「上げは下げのため、上げは下げのため、上げは下げのため・・・」
何人も急上昇すれば、必ず、そう”必ず“急降下するのである。奴を落とすにはまずもって急激な上昇気流に乗せてやるしかない。我が世の春となったジャーナリストは必ず踏み外すはずだ。そこで一撃必打、打ち取ればそれで良いのだ。
そして“その時”がやって来る。首長の「首都」が程なくして行われる夏季五輪の候補地として選定されるに至ったからである。首長自身は「オリンピック?ばかばかしい」と内心思っていたが、例のコンクリート・トリックが山ほど出来ることを思えば、無論そんな内心をお首にも出さなかった。だが同時に、マスメディアにとっては全くもってサプライズなことに「突然の辞任」を打ち出したのである。「老体にこの任はもはやきつすぎる。夏季五輪開催地の座を必ず射止めてくれるのは、これまで首都行政トップをきっちりとサポートしてくれた、このジャーナリスト氏しかいない」そう淡々と語り、首長は君臨していたその座から降りたのであった。
その深謀遠慮など、全く気付くことなく、意気揚々と首長の座に駆け上がった件のジャーナリスト。その後、紆余曲折が無かったわけではないが、「オリンピック利権」をこれまで何度となく味わって来た多くの魑魅魍魎たちの見えない力を借りて、夏季五輪開催というチケットを手にすることが出来たのであった。選定会場において、混血の我が方プレゼンテーターが口にした一言がもてはやされる中、首長であるジャーナリストはその人生の絶頂を迎えることになる。
だが、そこで「首長」の本当の計画が動き出したのであった。「夏季五輪開催を勝ち取ったのは自分。その自分こそが、夏季五輪開催時に栄えある首長の座に座っているべき」そう野心を今度は燃やし始めたジャーナリストは、今度こそ自分で潤沢なカネを集め、再選を目指そうと躍起になったのである。その裏側のどす黒い闇の中で「首長」が一撃必打の一手をその脳天めがけて振り落すとは知らずに、である。
ジャーナリストは、その手にまんまと乗り、「受け取ってはならないカネ」を受け取ってしまうのである。医療事故を起こし、もはや普通の病院では受け入れられなくなった「辣腕医師」たちを中心に集め、全国で病院チェーンを創り上げつつあった、自らは半身不随の経営者がいた。そのカネを不正献金と知りながら、ジャーナリストは懐にしまい込んだのである。無論、密室の中において、であない。「仲介役」を務めてくれた活動家の面前において、である。活動家は、かねてより「首長」とは昵懇だった。しかも”観念的な政治論“のレヴェルで「首長」とは相通ずるものがあった。そこで元来、真逆の思考を持っていたジャーナリストとは全くもって相容れないのである。だが、そんなことは全くもってお首にも出すことなく、活動家はいまや首長となったジャーナリストに急接近。「不法な政治献金の授受」の現場にまで立ち会うほどの関係を構築したのである。無論、盟友である「首長」の命を受け、動かぬ証拠をつかむために、である。
やがて「事件」は露呈する。得意の絶頂であったジャーナリストは全くもって脇が甘く、ものの見事に打ち取られた。マスメディアはほうほうの体で表舞台を去ろうとするジャーナリストの袖を引っ張り、そのこれまでの「傲慢さ」を暴き立てた。ジャーナリストは辞任はおろか、自宅謹慎、蟄居を余儀なくされた。「首長」はそのザマを見てほくそ笑んだ。「あの小男がこんな悲劇に襲われるのは当然のことなのだ。なぜならば、我が愛する息子が総理大臣へと駆けあがる道を塞ごうとしたのであるから。『政治生命』だけが奪われ、本当の“命”だけは助けてやったことにむしろ感謝してほしいくらいだ」―――。
そして迎えた与党総裁を選ぶ日。「首長」の愛すべき息子は総裁候補として立候補していた。候補は全部で3人。1度は総理になることが成功しながらも、謎の「腹痛」で辞任した男。秘書上がりでそのオタク趣味をテーマにメディア受けはするものの、ここ一番という時には手の震えが止まらなくなる男。そして政治部記者上がりで堂々とした美男子である我が愛すべき息子、である。「勝ったも同然」であった。傷がついていないのは息子だけだったからだ。それに今や、「環境保全」を理由に土木利権を完全掌握するに至った環境政策の所管官庁の大臣すら直前にはつとめていたのである。例の「実弾」を出さずとも、党所属の国会議員たちはついてくるはず、だった。
しかし、である。蓋を開けてみると何と惨敗だったのである。昔から「お坊ちゃま」として育てられ、優柔不断な長男である我が愛すべき息子は、「これがやりたいから総理になるのだ」と明言することが出来なかった。あれほど、そう“あれほど”家で、「首長」の前にて練習させたのに、である。口ごもりがちの息子をマスメディアは冷笑し、選挙戦は一気に前二者の一騎打ちになっていったのである。しかも例の「公衆の面前では震えの止まらない秘書上がりの男」が、インターネット上ではなぜか「総理ならばこの人だ!」と絶賛されている。全国の党員投票ではそうした流れを受けて圧倒的な優位まで獲得すらしていた。
「これはもう、例のブツを出すしかない」
そう思った「首長」は銀行を司っている首都行政組織の幹部へと電話をかけた。ところがそこで思いもよらない返答を耳にしたのである。
「申し訳ありません、『銀行』に公安当局が目を付けているという情報が入っており、即座にそれだけの金額を動かすとなると、かえって藪蛇になるかもしれないのです。今は静かにされておく方が良いかと・・・」
この国の国会議員の数と「600億円」。1人あたり割れば1回の選挙で勝ち抜くだけの資金になる計算だった。まずは与党の中でこれをばらまき、次にうるさ型の野党へとばらまく。これによって満場一致の「内閣総理大臣」として我が息子があの壇上で満面の笑みを浮かべるはず、だったのである。ところがそれが今、叶わないのだという。「なぜだ、一体なぜなんだ」―――。
事態は「首長」の知らないところで進行していた。そもそも買収される前、外国銀行の支店だった時から、経営不振に苦しむ同行は“この国”では禁じ手とされる「民族系マネー」の溜り場としての役割を果たし始めていたのである。そして「首長」の事実上のマイ・バンクとなってからはなおさら経営不振となり、ついにはこうした「民族系マネー」の温床とまで公安筋から言われるようになっていたのである。その様にして目を光らせ始めていた公安筋の背後には「この国のデモクラシーはこの国の内閣総理大臣によってだけリードさせなければならない」という例の“同盟国”の、敗戦直後からの強い意向が控えていた。だからこそ、600億円はすぐそこにあっても、絶対に引き出すことが出来ないマネーとなってしまっていたというわけなのである。
「大変申し訳ございません、もはや打つべき手は一つしかありません。この銀行の“健全化”を宣言し、他行との合併によって体質の根本的な改善を謳うしか道はないと考えます。そのためには我が地方行政府からの補助も打ち切らなければと―――。言いにくいことではございますが、どうぞお赦し下さい」子飼いであったはずの担当局長は「首長」に電話口でそこまで言い切ったのである。
「政界の暴れん坊」とまでかつてもてはやされた「首長」は、ただ一人の“老兵”、いや老人に過ぎなかった。後は、例のコンクリート・トリックでひねり出したマネーで建てた、海辺の豪邸で静かに寄せる波を見ながら余生を過ごすしかないのか。かつて道路を仕切る大臣を務めた時からこのトリックの甘い汁を覚えた自分のこれまでの歩みを懐かしみながら、潰えるしかないのか。
「いや、そんはずはない。まだ打つ手がどこかに、絶対にあるはずだ」―――。そうつぶやく「首長」の声が誰もいない書斎の中で響いていた。(引用終わり)