→自衛隊の完全な米軍の傭兵化をもたらす→現在米軍は911以降、軍隊の民営化が急展開している→もし、日本が唯一の同盟国である米国に対して集団自衛権を行使すれば、責任の曖昧な米国の巨大民間軍事会社の指揮下におかれる可能性すらある→少子高齢化社会の貴重な日本の若者の命をブッラクウオーターのような企業に差し出すことになる→日本の集団自衛権行使は米国以外の国に国連憲章の敵国条項適用を言い出させる危険性も秘めている
現在、マスコミの報道を見ればわかるように、国会は意図せずして政局に入り始めている。すべての根源はアメリカのジャパンハンドラーの「集団自衛権を行使できるようにして、米軍を補完しろ」と、いう意向にある。
そのために属国である日本の内閣は右往左往している。
間違いなく言えることが一つある。第二次世界大戦に負けて米国主導で作られた日本の戦後のシステムは、冷戦という枠組みがあってこそ、有効に機能しているように錯覚できたのであって、その前提が崩れてしまった以上、冷戦構造の上に成立していた砂上の楼閣のような日本の行政、政治、経済の仕組みが、ある意味うまくいかないのは、当然のことだと私たちは、考えるべき時期を迎えたと言うことだ。
事実、米国は、冷戦終了間際から、「ジャパンアズナンバーワン」と言われる程の経済大国になった日本を「プラザ合意」、その前後には、中国の元の大幅切り下げを認め、「ジャパンバッシング」と称する日本経済封じ込め戦略を着々と実行。その結果、中国経済の高度成長を演出することとなった。目先の利くユニクロの経営者のような人々はおそらく、米国のその戦略を事前に知っていたはずである。
兎も角現在、機能しなくなった日本の戦後システムを見直す時代に入ったことは間違いない。しかしながら、米国と昭和天皇に呪縛された「永久占領」状態を脱しない限り、今回のように一見勇ましいが、本当の意味で日本の未来を切り拓くことにつながらないあまりに愚かな選択を黄昏の覇権国である米国に強要されることになる。このことをある程度の人々が共通の認識として持つべき時代を迎えている。
戦後、半世紀以上にわたって、米国の実質上、軍事占領下にある日本では、あらゆる処に米国のソフトパワーの網の目が張り巡らされている。何しろ、そのための情報部隊が2、000人も日本に常駐しているぐらいだ。その意味でもう、そろそろ心ある日本人は「帝国以後」の時代(米国の覇権が終焉を向かえようとしている時代)を目前に控えた今、戦後、語られなかった本当の事を多くの人々に知らしめる義務があるはずである。知識人を自負する方々に期待したいところである。
もう、十年以上前の話だが、人生の大先輩に「日本永久占領」片岡鉄哉著(講談社α文庫)を読んでいただき、感想を聞かせていただいたことがある。
そして、その人生の大先輩は、こう言われた。
「確かにこの本に書いてあることは、真実だと思う。しかし、戦後の貧しさを考えれば、現在の日本は本当に豊かになった。米国との関係で、世界一の債権大国の豊かさを日本人一人一人が享受しているわけではないが、仕方がない。」、と。
果たしてそうだろうか。
「日本永久占領」という本のテーマは、日本を狂わせたのは、戦後、米国から押しつけられた「日本国憲法」であり、ゆえに、憲法が作られた過程、そして、日米関係において、本来、進むべき道が、吉田茂とマッカーサーによって、著しく歪められたという事実の論証にある。現在の沖縄の基地問題しかり、自衛隊の問題もしかり、日本政府の国際政治の対応もしかり。全ての問題の根源は、この本で書かれている歴史を知らない限り、何も解決はしないと言っても過言ではないかもしれない。もっともこの本は1990年代の本なので、豊下楢彦氏の指摘する「昭和天皇の二重外交」については触れられていない。
おそらく、このままの状態を放置すれば、日本は米国による永久占領状態に止まることになるのだろう。炯眼の三島由起夫氏は今から40年以上前に「このままいけば、自衛隊は米軍の完全な傭兵になるだろう。」と、喝破していた。ところで、米国がすでに現在の状態を維持するだけの覇権力が残っていない(=だからかつての敵国である日本の集団自衛権行使を認め、求めてきたのである。)としたら、私たち日本人はどうすべきなのか、もっと真剣に考えなければならないだろう。
ところで、日本の戦後を形作ったのは、象徴天皇制と平和憲法と日米安保条約(それに付属する日米地位協定、日米原子力協定等)の三点セットである。そして、昭和天皇自身が日本の戦後体制の形成に大きく関与していたというのが、日本人が聞きたくない、語りたくない歴史の真実なのである。さすがに片岡氏は、吉田茂首相の政治行動に関与した昭和天皇の戦後直後の二重外交については、全く触れていない。
昭和天皇自身は、自らが導いた属国日本が、冷戦終了後、米国に巧みに経済的に収奪され、漂流する日本国となった姿を見ることなく、崩御されたのは、まことに幸運なことではあった。その意味で21世紀になってから豊下楢彦氏やハーバート・ビックスの「昭和天皇」等、多くの読むべき本が出版されていることは喜ばしいことである。
それでは、今から約60年以上前である1949(昭和24)年に、米国が日本で一体何をしたのかということについて振り返ってみよう。原田武夫氏が適確な分析をしているので、紹介する。以下。
1949(昭和24)年、日本は「主権国家」ではなかった。なぜなら、大東亜戦争における敗北により、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による支配を受けることになったからである。そして、そのGHQを事実上仕切っていたのが、かつての敵国である米国であった。不平等条約(吉田茂氏はこの事を熟知していた)である「日米安保」が連呼される今となってはもはや信じがたいことであるが、この時、米国は日本をどうすることもできた全能の勝者であり、日本は、なすがままに身を任せるしかない悲しき敗者なのであった。
GHQは日本を占領統治するにあたり、「民主化」と「非軍事化」を表看板に掲げ、一斉に日本で構造破壊を始める。しかし、爆撃機B29による連日の空襲で焼け野原となり、工場が崩壊する中、消費財の生産など一切ままならなかったのが、当時の日本の状況である。しかも、戦地からは続々と人々が引き上げてきて、「需要」は急上昇した。その結果、「モノ不足」とそれに伴う「価格の急騰(=ハイパーインフレーション)」が日に日に深刻となり、日本政府の失策も重なって、もはや経済崩壊の危機にまで陥ったのである。
ところが、GHQは米国本国から「日本の経済復興」を当初、宿題として課されてはいなかったため、インフレを抑えるどころか、逆にそれを加速させるかのように「構造破壊(たとえば財閥解体)」を熱心に進めていった。 しかし、1947(昭和22)年ごろになって状況は一変。それまでも不審な動きを見せていたソ連が北ペルシアでの撤退期限を守らなかったことから、一気に東西冷戦が始まったからである。あわてた米国は世界戦略を練り直す。その中で、日本を一体どうすべきかと、いうことが議題に取り上げられたのである。
そして、そこで行われた集中的な日本戦略見直しの結果、一人の銀行家が日本に「救世主」として派遣されることとなった。デトロイト銀行の頭取として腕をならしていたジョセフ・M・ドッジである。日本史を学んだことのある方であれば、「ドッジ・ライン」と聞けばピンとくるはずだ。彼が超緊縮型の予算案を日本政府に提示したとき、日本側はこれを「ドッジ・ライン」と呼んだのである。「放漫な財政支出を日本政府がやめることが、極度に進んだインフレを収束させるのにはもっとも有効だ」と考えたドッジによる強硬策であったと、一般の教科書には書いてある。
そして、朝鮮戦争という僥倖にも恵まれたことも大きいが、このように「苦い良薬」を煎じてくれたからこそ、日本はその後、奇跡と言われる経済復興を遂げたとことになっている。まさにドッジは戦後日本経済にとっての恩人だとも言われる所以だろう。
しかし、この人のいい日本人的な見方には大きな「落とし穴」がある。なぜなら、米国人から見たとき、とりわけ現代を生きる米国人のエリートたちの目から見ると、ドッジの功績はもっと別のところにあるからである。
それは何か。
その頃、米国国内では議会を中心として、多額の対日復興援助が「本当に米国のためになっているのか」という批判が高まっていた。したがって、GHQとしてはこうした批判に応えるべく、何らかの仕掛けをしなければならない立場に置かれていたのである。
そこでドッジが考えついたのが、「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組みをつくること」なのであった。
ドッジはまず、米国が日本にあたる援助(小麦など食糧支援が主)を日本政府にマーケットで売りさばかせ、それと同額のカネを日本銀行に開設された口座に積ませた。そして、そこに貯まっていく資金を、今度はGHQ、すなわち米国の指示に基づいてだけ日本政府が使うことを許したのである。いわゆる「見返資金」である。
それでは米国はこの資金を一体何に使わせたのかというと、意外にも「日本人に米国の良さを宣伝する」といったプロパガンダ目的ではほとんど使われていない(総額の2%前後)。それに代わって、もっとも使われたのが、かつて軍国主義の屋台骨として戦争協力をしたために解体されるはずであった「特殊銀行」(当時の日本興業銀行など)を経由する形での、ありとあらゆる日本の企業が復興するための資金提供であった。そして、ドッジによる熱心な指導により、銀行セクターをはじめとする日本経済全体がそれまでの「復興インフレ」による壊滅的な打撃から立ち直ることに成功したのである。
その後、1952(昭和27)年にGHQは日本から最終的に「撤退」し、日本は、名目上の「再独立」を達成する。例の「見返資金」はどうなったのかといえば、米国に返金されることはなく、そのまま名称を変えて日本の経済発展のために用いられ続けた。そして、やがて日本は高度経済成長を迎えることになる。(引用終わり)
おそらく、小泉政権で、米国の手先として「構造改革」を推し進め、米国のために尽力した竹中平蔵氏が特殊銀行の日本開発銀行出身者なのも偶然ではないと考えるべきであろう。
竹中氏の改革政策というものは、現実には、ほとんど米国の金融資本のためのものだったことは、現在では、かなりの方が理解されているところだと思われる。
結果として下記の様な政策効果がもたらされたのである。
小泉・竹中改革は新たな税金略奪者を日本政府に招き入れた
・骨太の改革は税金の収奪者を国内の利権団体から欧米の強大資本に移転させる結果になる。
・国内の利権団体も欧米の強大資本も日本人の税金を私物化しようとしている点においてまったく同じだ。(ただ国内の場合、お金が日本国内で回ることに大きなメリットがある)
・90年代の米国式改革が短期的ではあるが、成功した国は米国だけであり、他の国々には混乱だけが残された。米国においても想定元本5京円というとんでもないデリバティブ金融商品の借金だけが残され、現在、米国はデフォルトするか、戦争をするしかない状況にまで追い込まれている。
・民間企業の最大の利益は民間人同士のフェアなビジネスにではなく、上手に税金を引っぱり出すことで得られる。これは世界における大財閥の形成の歴史を勉強すれば、明らかである。
・日本の政治家や官僚は、米国政府+欧米の強大資本がどうやって日本で金儲けをしようとしているか、金儲けの絵図面が理解できていないか、もしくは自分たちさえよければいいと考えている。
・だから絶好の格好のカモとして狙われているのではないか。
意図するとせざるとにかかわりなく、こういう改革を売国奴的改革というしかないのではないか。
構造改革というものの図式
それでは、米国政府から日本銀行・日本政府への要求とは何だったのか。
一言で言えば、「ここまで育ててやったのだから、金=富をよこせ」ということだったのである。そのための方法が下記のようなものであった。
・量的金融緩和:豊富な円資金を米国に還流させろ=現在のアベノミクスそのもの。
・金融システム安定化(不良債権処理を加速化させ、整理統合)させ、金融機関を米国資本に差し出せ。
・内需を支えるために失業対策などを行え。
・米国にとって都合のよいルールに変えろ=現在のTPPもその流れの一貫である。
・成長のための日米経済パートナーシップ(商法改正等)。
・規制改革(金融改革、司法改革、医療改革、通信改革、etc)。
・市場重視(新自由主義)
・米国の民間人を公的・民間部門のリストラに活用しろ。
一言でまとめてしまえば、1985年(昭和60年)のプラザ合意以降の日本の歴史の裏面史は、米国による日本の国富収奪、再占領強化の歴史なのである。
一例を上げるなら、1980年代に「セイホ」と名を轟かせ、米国経済を米国債購入によって支え続けた日本の生命保険会社が、莫大な為替差損を被り、外資に乗っ取られていったことは、まだ、記憶に新しいのではないだろうか。
それでは、1955年の保守合同以降、半世紀以上にわたって日本の政治を担ってきた自民党の戦後政治とは、どのようなものだったのだろうか。
一言で表現すれば、「自民党政治の終わり」という本で、野中尚人氏が主張しているように
「自民党システムは一種のインサイダー政治であったが、その網の目が自民党だけでなく野党のネットワークをも通じて、社会の隅々まで広がっていたのである。「一億総中流」とは、まさにその結果であった。自民党はもちろん、それと協働した行政官僚制が大きな役割を担い、国対政治を通じて野党も暗黙の参加者であった」
江戸時代から行政官僚制が先行して確立していた日本においては、権能が、新憲法によって保障された国会が、民主主義が確立された戦後から巧みに行政に融合していった。もちろん、戦後、GHQが軍隊以外の官僚機構をそのまま温存して占領政策を推し進めたことが、このことを決定的にしたことは言うまでもない。そして、大きな政策決定は政府(=米国のジャパンハンドラー)が行うが、日々の細かい政府の仕事は、行政官僚が担う役割分担が確立されたのである。このような官僚が政府と一体となったボトムアップとコンセンサス重視式の政治運営は、冷戦という限られた経済圏の中で、経済成長を追求するには、まことに効率的に機能したのである。
そして、このシステムは、戦後の冷戦期における経済成長と世界秩序の安定を前提にある意味、議員の後援会活動等を通じて一定の特別行政自冶区としての「草の根民主政治」を具現してきたが、その限界、問題点としては、
①利害による民意吸収の裏腹として利権による腐敗を生じやすく、公共財や政治理念から遠くなりがちであること、
②世界秩序の変動や低成長経済や社会の高齢化による分配の困難化といった大きな環 境変動に対処するには、自民党システムにおけるリーダーシップの欠如が致命的であ ることが挙げられる。
この戦後の冷戦構造の下で、自民党政治が創りあげてきたのが、日本型の安定した資本主義システムであった。その特色は、
(1)終身雇用と年功序列を機軸とする日本型雇用システム
(2)メインバンクとの金融的な結びつきを背景にした長期的な信用関係(間接金融システム)
(3)ケインズ的経済政策を主体とした政府主導の旺盛な公共投資による有効需要の創出
(4)地域と政治家のインフォーマルな関係によって決定される公共投資を通した所得の再分配システム
このようなシステムは、日本企業の安定成長をもたらし、所得の再分配を保障し、安定した社会をつくりあげるのに極めて有効に機能した。しかし、政治家や官僚のインフォーマルな関係を通して所得の再分配が決定されたため、投資に関与する人間が利益を掠め取るという腐敗した関係の温床にもなるという欠陥も併せ持っていた。これがいわゆる利権である。
しかしながら、このシステムが、会社村、専業主婦の共同体、学校の共同体というような戦後日本社会の安定した生活環境をもたらしたことは疑いのないところだろう。つまり、冷戦時代はすべての国民が何らかの形で利権の分け前に与ることができたのである。
先程から何回も指摘しているが、このような環境に日本が置かれたのは、冷戦という国際社会の構造があったからに他ならない。冷戦が終了したときに、「この冷戦の勝者は日本だ」と、米国に言われたことを思い出していただきたい。
冷戦の勝者である日本から国富を奪うための米国の戦略が、「ワシントンコンセンサス」であり、「グローバリズム」であり、それを進めるための「構造改革」であった。身も蓋もない言い方をしてしまえば、日本で言われていた「構造改革」とは、1980年代半ばに考え出された米国の対日経済戦略そのものだったのだと言っても過言ではない。いろいろ他のまともな改革も一緒にして、その本質が見えないように「構造改革」と言われたので、多くの国民が勘違いをしてしまったのである。
その真意は、上記に述べた「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組み」(=国家主権を巧みに取り上げてしまった仕組み)それが、あれほど党内、国内に反対の多かった竹中氏が主導した構造改革を推し進めることを可能にしたのである。もちろん、米国の政策に対して意識的に、無意識に協力するような仕掛けが戦後、日本社会のあらゆる処に仕掛けられていたことは言うまでもない。
その結果、現在、日本の公共圏は、大変な劣化をし、見習うべき?米国のような「格差社会」と言われるようになってしまったのである。現在、安定した社会が失われつつある不安を、いろいろな思惑がある勢力が扇動しようとしているのが、日本の状況である。
評論家の内田樹氏が実に適確な指摘をしていたので、紹介する。以下。
対米従属を通じて「戦争ができる国」へ
── 「安倍政権は対米従属を深めている」という批判があります。
内田 先日、ある新聞社から安倍政権と日米同盟と村山談話のそれぞれについて、100点満点で点をつけてくれという依頼がありました。私は「日米同盟に関する評点はつけられない」と回答しました。
日米同盟は日本の政治にとって所与の自然環境のようなものです。私たちはその「枠内」で思考することをつねに強いられている。
「井の中の蛙」に向かって「お前の住んでいる井戸の適否について評点をつけろ」と言われても無理です。「大海」がどんなものだか誰も知らないんですから。
そもそも日米が「同盟関係」にあるというのは不正確な言い方です。誰が何を言おうが、日本はアメリカの従属国です。日米関係は双務的な関係ではなく、宗主国と従属国の関係です。現に、日本政府は、外交についても国防についても、エネルギーや食糧や医療についてさえ重要政策を自己決定する権限を持たされていない。年次改革要望書や日米合同委員会やアーミテージ・ナイ・レポートなどを通じてアメリカが要求してくる政策を日本の統治者たちはひたすら忠実に実行してきた。
その速度と効率が日本国内におけるキャリア形成と同期している。
つまり、アメリカの要求をできる限り迅速かつ忠実に現実化できる政治家、官僚、学者、企業人、ジャーナリストたちだけが国内の位階制の上位に就ける、そういう構造が70年かけて出来上がってしまった。アメリカの国益を最優先的に配慮できる人間しか日本の統治システムの管理運営にかかわれない。そこまでわが国の統治構造は硬直化してしまった。
アメリカの許諾を得なければ日本は重要政策を決定できない。しかし、日本の指導層はアメリカから命じられて実施している政策を、あたかも自分の発意で、自己決定しているかのように見せかけようとする。アメリカの国益増大のために命じられた政策をあたかも日本の国益のために自ら採択したものであるかのように取り繕っている。そのせいで、彼らの言うことは支離滅裂になる。国として一種の人格解離を病んでいるのが今の日本です。
── いま、日本のナショナリズムは近隣諸国との対立を煽る方向にだけ向かい、対米批判には向かいません。
内田 世界のどこの国でも、国内に駐留している外国軍基地に対する反基地闘争の先頭に立っているのはナショナリストです。ナショナリストが反基地闘争をしないで、基地奪還闘争を妨害しているのは日本だけです。ですから、そういう人々を「ナショナリスト」と呼ぶのは言葉の誤用です。彼らは対米従属システムの補完勢力に過ぎません。
── どうすれば、対米従属構造から脱却できるのでしょうか。
内田 まず私たちは、「日本は主権国家でなく、政策決定のフリーハンドを持っていない従属国だ」という現実をストレートに認識するところから始めなければなりません。
国家主権を回復するためには「今は主権がない」という事実を認めるところから始めるしかない。病気を治すには、しっかりと病識を持つ必要があるのと同じです。「日本は主権国家であり、すべての政策を自己決定している」という妄想からまず覚める必要がある。
戦後70年、日本の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」というものでした。これは敗戦国、被占領国としては必至の選択でした。ことの良否をあげつらっても始まらない。それしか生きる道がなかったのです。
でも、対米従属はあくまで一時的な迂回であって、最終目標は対米自立であるということは統治にかかわる全員が了解していた。「面従腹背」を演じていたのです。
けれども、70年にわたって「一時的迂回としての対米従属」を続けているうちに、「対米従属技術に長けた人間たち」だけがエリート層を形成するようになってしまった。
彼らにとっては「対米自立」という長期的な国家目標はすでにどうでもよいものになっている。それよりも、「対米従属」技術を洗練させることで、国内的なヒエラルヒーの上位を占めて、権力や威信や資産を増大させることの方が優先的に配慮されるようになった。
「対米従属を通じて自己利益を増大させようとする」人たちが現代日本の統治システムを制御している。
安倍首相が採択をめざす安保法制が「アメリカの戦争に日本が全面的にコミットすることを通じて対米自立を果すための戦術的迂回である」というのなら、その理路はわからないではありません。アメリカ兵士の代わりに自衛隊員の命を差し出す。その代わりにアメリカは日本に対する支配を緩和しろ、日本の政策決定権を認めろ、基地を返還して国土を返せというのなら、良否は別として話の筋目は通っている。
でも、安倍首相はそんなことを要求する気はまったくありません。
彼の最終ゴールは「戦争ができる国になる」というところです。それが最終目標です。「国家主権の回復」という戦後日本の悲願は彼においては「戦争ができる国になること」にまで矮小化されてしまっている。「戦争ができる国=主権国家」という等式しか彼らの脳内にはない。アメリカの軍事行動に無批判に追随してゆくという誓約さえすればアメリカは日本が「戦争ができる国」になることを認めてくれる。
そこに出て来たのが安倍政権です。アメリカがこれまで受け持っていた軍事関係の「汚れ仕事」をうちが引き受けよう、と自分から手を挙げてきた。アメリカの「下請け仕事」を引き受けるから、それと引き替えに「戦争ができる国」になることを許可して欲しい。
安倍政権はアメリカにそういう取り引きを持ちかけたのです。
もちろん、アメリカは日本に軍事的フリーハンドを与える気はありません。アメリカの許諾の下での武力行使しか認めない。それはアメリカにとっては当然のことです。
日本がこれまでの対米従属に加えて、軍事的にも対米追随する「完全な従属国」になった場合に限り、日本が「戦争ができる国」になることを許す。そういう条件です。
しかし、安倍首相の脳内では「戦争ができる国こそが主権国家だ」「戦争ができる国になれば国家主権は回復されたと同じである」という奇怪な命題が成立している。自民党の政治家たちの相当数も同じ妄想を脳内で育んでいる。
そして、彼らは「戦争ができる国」になることをアメリカに許可してもらうために「これまで以上に徹底的な対米従属」を誓約したのです。
かつての日本の国家戦略は「対米従属を通じて、対米自立を達成する」というものでしたが、戦後70年後にいたって、ついに日本人は「対米従属を徹底させることによって、対米従属を達成する」という倒錯的な無限ループの中にはまりこんでしまったのです。
これは「対米自立」を悲願としてきた戦後70年間の日本の国家目標を放棄したに等しいことだと思います。
── どうして、これほどまでに対米従属が深まったのでしょうか。
内田 吉田茂以来、歴代の自民党政権は「短期的な対米従属」と「長期的な対米自立」という二つの政策目標を同時に追求していました。
そして、短期的対米従属という「一時の方便」はたしかに効果的だった。
敗戦後6年間、徹底的に対米従属をしたこと見返りに、1951年に日本はサンフランシスコ講和条約で国際法上の主権を回復しました。その後さらに20年間アメリカの世界戦略を支持し続けた結果、1972年には沖縄の施政権が返還されました。
少なくともこの時期までは、対米従属には主権の(部分的)回復、国土の(部分的)返還という「見返り」がたしかに与えられた。その限りでは「対米従属を通じての対米自立」という戦略は実効的だったのです。
ところが、それ以降の対米従属はまったく日本に実利をもたらしませんでした。
沖縄返還以後43年間、日本はアメリカの変わることなく衛星国、従属国でした。けれども、それに対する見返りは何もありません。ゼロです。
沖縄の基地はもちろん本土の横田、厚木などの米軍基地も返還される気配もない。そもそも「在留外国軍に撤収してもらって、国土を回復する」というアイディアそのものがもう日本の指導層にはありません。
アメリカと実際に戦った世代が政治家だった時代は、やむなく戦勝国アメリカに従属しはするが、一日も早く主権を回復したいという切実な意志があった。けれども、主権回復が遅れるにつれて「主権のない国」で暮らすことが苦にならなくなってしまった。その世代の人たちが今の日本の指導層を形成しているということです。
── 日本が自立志向を持っていたのは、田中角栄首相までということですね。
内田 田中角栄は1972年に、ニクソン・キッシンジャーの頭越しに日中共同声明を発表しました。これが、日本政府がアメリカの許諾を得ないで独自に重要な外交政策を決定した最後の事例だと思います。
この田中の独断について、キッシンジャー国務長官は「絶対に許さない」と断言しました。その結果はご存じの通りです。アメリカはそのとき日本の政府が独自判断で外交政策を決定した場合にどういうペナルティを受けることになるかについて、はっきりとしたメッセージを送ったのです。
── 田中の失脚を見て、政治家たちはアメリカの虎の尾を踏むことを恐れるようになってしまったということですか。
内田 田中事件は、アメリカの逆鱗に触れると今の日本でも事実上の「公職追放」が行われるという教訓を日本の政治家や官僚に叩き込んだと思います。それ以後では、小沢一郎と鳩山由紀夫が相次いで「準・公職追放」的な処遇を受けました。二人とも「対米自立」を改めて国家目標に掲げようとしたことを咎められたのです。このときには政治家や官僚だけでなく、検察もメディアも一体となって、アメリカの意向を「忖度」して、彼らを引きずり下ろす統一行動に加担しました。
── 内田さんは、1960年代に高まった日本の反米気運が衰退した背景にアメリカの巧みな文化戦略があったと指摘しています。
内田 占領時代にアメリカは、日本国民に対してきわめて効果的な情報宣伝工作を展開し、みごとに日本の言論をコントロールしました。しかし、親米気運が醸成されたのは、単なる検閲や情報工作の成果とは言い切れないと思います。アメリカ文化の中には、そのハードな政治的スタイルとは別にある種の「風通しのよさ」があります。それに日本人は惹きつけられたのだと思います。
戦後まず日本に入ってきたのはハリウッド映画であり、ジャズであり、ロックンロールであり、レイバンやジッポやキャデラックでしたけれど、これはまったく政治イデオロギーとは関係がない生活文化です。その魅力は日本人の身体にも感性にも直接触れました。そういうアメリカの生活文化への「あこがれ」は政治的に操作されたものではなく、自発的なものだったと思います。
同じことは1970年代にも起こりました。大義なきベトナム戦争によって、アメリカの国際社会における評価は最低レベルにまで低下していました。日本でもベトナム反戦闘争によって反米気運は亢進していた。けれども、70年代はじめには反米気運は潮を引くように消滅しました。それをもたらしたのはアメリカ国内における「カウンター・カルチャー」の力だったと思います。
アメリカの若者たちはヒッピー・ムーブメントや「ラブ・アンド・ピース」といった反権力的価値を掲げて、政府の政策にはっきりと異を唱えました。アメリカの若者たちのこの「反権力の戦い」は映画や音楽やファッションを通じて世界中に広まりました。そして、結果的に世界各地の反米の戦いの戦闘性は、アメリカの若者たちの発信するアメリカの「カウンター・カルチャー」の波によっていくぶんかは緩和されてしまったと思います。というのは、そのときに世界の人々は「アメリカほど反権力的な文化が受容され、国民的支持を得ている国はない」という認識を抱くようになったからです。「ソ連に比べたらずっとましだ」という評価を無言のうちに誰しもが抱いた。ですから東西冷戦が最終的にアメリカの勝利で終わったのは、科学力や軍事力や外交力の差ではなく、「アメリカにはカウンター・カルチャーが棲息できるが、ソ連にはできない」という文化的許容度の差ゆえだったと思います。
統治者の不道徳や無能を告発するメッセージを「文化商品」として絶えず生産し、自由に流通させ、娯楽として消費できるような社会は今のところ世界広しと、いえどもアメリカしかありません。
アメリカが世界各地であれほどひどいことをしていたにもかかわらず、反米感情が臨界点に達することを防いでいるのは、ハリウッドが大統領やCIA長官を「悪役」にした映画を大量生産しているからだと私は思っています。アメリカの反権力文化ほど自国の統治者に対して辛辣なものは他国にありません。右手がした悪事を左手が告発するというこのアメリカの「一人芝居的復元力」は世界に類を見ないものです。
アメリカの国力の本質はここにあると私は思っています。
これはアメリカ政府が意図的・政策的に実施している「文化政策」ではありません。国民全体が無意識的にコミットしている壮大な「文化戦略」なのだと思います。
── 長期的にアメリカの国力が低下しつつあるにもかかわらず、親米派はアメリカにしがみつこうとしています。
内田 アメリカが覇権国のポジションから降りる時期がいずれ来るでしょう。その可能性は直視すべきです。
直近の例としてイギリスがあります。20世紀の半ばまで、イギリスは7つの海を支配する大帝国でしたが、1950年代から60年代にかけて、短期間に一気に縮小してゆきました。植民地や委任統治領を次々と手放し、独立するに任せました。その結果、大英帝国はなくなりましたが、その後もイギリスは国際社会における大国として生き延びることには成功しました。いまだにイギリスは国連安保理の常任理事国であり、核保有国であり、政治的にも経済的にも文化的にも世界的影響力を維持しています。
60年代に「英国病」ということがよく言われましたが、世界帝国が一島国に縮減したことの影響を、経済活動が低迷し、社会に活気がなくなったという程度のことで済ませたイギリス人の手際に私たちはむしろ驚嘆すべきでしょう。
大英帝国の縮小はアングロ・サクソンにはおそらく成功例として記憶されています。ですから、次にアメリカが「パックス・アメリカーナ」体制を放棄するときには、イギリスの前例に倣うだろうと私は思っています。
帝国がその覇権を自ら放棄することなんかありえないと思い込んでいる人がいますが、ローマ帝国以来すべての帝国はピークを迎えた後は、必ず衰退してゆきました。そして、衰退するときの「手際の良さ」がそれから後のその国の運命を決定したのです。
ですから、「どうやって最小の被害、最小のコストで帝国のサイズを縮減するか?」をアメリカのエリートたちは今真剣に考えていると私は思います。
それと同時に、中国の台頭は避けられない趨勢です。この流れは止めようがありません。これから10年は、中国の政治的、経済的な影響力は右肩上がりで拡大し続けるでしょう。
つまり、東アジア諸国は「縮んで行くアメリカ」と「拡大する中国」という二人のプレイヤーを軸に、そのバランスの中でどう舵取りをするか、むずかしい外交を迫られることになります。
フィリピンはかつてクラーク、スービックという巨大な米軍基地を国内に置いていましたが、その後外国軍の国内駐留を認めないという憲法を制定して米軍を撤収させました。けれども、その後中国が南シナ海に進出してくると、再び米軍に戻ってくるように要請しています。韓国も国内の米軍基地の縮小や撤退を求めながら、米軍司令官の戦時統制権については返還を延期しています。つまり、北朝鮮と戦争が始まったときは自動的にアメリカを戦闘に巻き込む仕組みを温存しているということです。
どちらも中国とアメリカの両方を横目で睨みながら、ときに天秤にかけて、利用できるものは利用するというしたたかな外交を展開しています。これからの東アジア諸国に求められるのはそのようなクールでリアルな「合従連衡」型の外交技術でしょう。
残念ながら、今の日本の指導層には、そのような能力を備えた政治家も官僚もいないし、そのような実践知がなくてはならないと思っている人さえいない。そもそも現実に何が起きているのか、日本という国のシステムがどのように構造化されていて、どう管理運営されているのかについてさえ主題的には意識していない。それもこれも、「日本は主権国家ではない」という基本的な現実認識を日本人自身が忌避しているからです。自分が何ものであるのかを知らない国民に適切な外交を展開することなどできるはずがありません。
私たちはまず「日本はまだ主権国家ではない。だから、主権を回復し、国土を回復するための気長な、多様な、忍耐強い努力を続けるしかない」という基本的な認識を国民的に共有するところから始めるしかないでしょう。(終わり)
<内田樹氏プロフィール>
1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある
ポイントは、日本という世界最大の債権大国をいいようにコントロールするメリットの大きさである。現在米国は、日本という属国が存在しなかったら、覇権を維持することができない経済状態である。そのために戦後70年にわたって米国はあらゆる手を打ってきた。その成果が現在の日本社会である。
<参考文献>
・「安保条約の成立―吉田外交と天皇外交」(岩波新書)豊下楢彦
・「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波現代文庫) 豊下楢彦
・「昭和天皇とワシントンを結んだ男~「パケナム日記が語る日本占領」(新潮社)青木冨貴子
・「ブラックウォーター――世界最強の傭兵企業」ジェレミー・スケイヒル
イラクでは現在10万人以上の「民間軍事会社」従業員が活動をしている。そのうちの多くの部分が、「傭兵」である。頼まれればどこにでも傭兵を派遣する民間軍事産業は、911以降の政治情勢を背景にして大きく成長。ブラックウォーターUSAは、そういった民間軍事会社の最大手、まさに「世界最強の傭兵軍」という呼び名がふさわしい存在である。ブラックウォーターが登場してきた背景と、戦争の民営化が巻き起こしている問題をジェレミー・スケイヒルが鋭く提起している。