日本銀行について考える(1)

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2月 292012

先日、日銀が「インフレ目標1%」を掲げたが、これは先月発表されたFRBの「インフレ目標2%」に追随したもので、主体性のなさが表れている。ただ、インフレ懸念のある米国と、重症のデフレに陥っている日本では事情が異なるので、同様の目標を設定しても効果があるかどうかは疑問だ。

毎日新聞は、2月14日付けでこう報じている。(http://mainichi.jp/select/biz/news/20120215k0000m020068000c.html)

毎日新聞 2012年2月14日 21時52分(最終更新 2月15日 1時16分)



日銀:インフレ目標1% デフレ脱却へ強い決意

 

 日銀は14日の金融政策決定会合で、金融政策で目指す物価水準となる「中長期的な物価安定のめど(Price Stability Goal)」を新設、当面は消費者物価上昇率1%を目指す方針を全会一致で決めた。従来は消極的だった「インフレ目標」を事実上採用、資産買い入れ基金を10兆円拡大し65兆円程度とする追加緩和も決め、物価下落の継続が経済を圧迫するデフレからの脱却に強い決意を示した。白川方明総裁は会合後の記者会見で「どうすれば、中央銀行の責任を果たせるかを考えた」と説明した。

 日銀は従来、デフレ脱却を展望する物価水準について、各政策委員が考える望ましい物価上昇率を集計した「物価安定の理解」を公表。「2%以下のプラス領域で、中心は1%程度」と説明してきたが、市場では「数値は目標か、単なる目安か。分かりにくい」と批判があり、政府・与党内では「インフレ目標」の採用を求める声も根強かったが、日銀は消極的だった。

 インフレ目標は元来、物価高騰が国民生活を苦しめる状況で、中央銀行が金融引き締めなどで物価を抑えるための手段として使われてきた。実質ゼロ金利状況もあり、日銀は「インフレ目標を採用しても物価上昇効果は期待できない」(幹部)と主張。白川総裁は講演で「物価上昇率を過度に重視した金融政策は逆に経済の安定を損なう」としてきた。

 しかし、米連邦準備制度理事会(FRB)が1月25日、長期的な物価上昇率の目標を2%とする「インフレ目標」導入を決定。実質ゼロ金利を「少なくとも14年終盤」まで続ける方針を示すと、状況は一変した。



 政府・与党内では「日銀がFRBより金融緩和に慎重とのイメージが円高を助長している」との批判が噴出。民主党の前原誠司政調会長は政府と日銀が政策協定を結び、デフレ脱却の目標を共有する可能性に言及した。今月13日には、11年10~12月期に2期ぶりのマイナス成長に転落したことが判明。次の一手を迫られた日銀はインフレ目標の封印を解いた。

 「物価安定のめど」は金融政策が目指す物価上昇率を「2%以下のプラス。当面は1%」と明示。「それ(1%上昇)が見通せるまで実質ゼロ金利政策と資産買い入れなど強力な金融緩和を推進する」と宣言した。政策委員の物価上昇率予想は12年度0.1%、13年度0.5%で、市場ではゼロ金利を含む緩和策の長期化観測が広がる。



 これがより期間の長い金利の低下につながれば、企業や個人は資金が借りやすくなり、投資や消費を活発化させる可能性がある。その結果、モノがもっと売れ、賃金や物価も上昇し、デフレから脱却するのが期待される道筋だ。ただ、雇用不安もくすぶる中、インフレ目標の効果は見通せない。【谷川貴史】



 これまで何回もレポートで指摘させていただいたように日本は1996年から名目GDPが全く増えていない、その結果、同じように名目賃金が下がり続けているただ一つの先進国である。そのことに一番寄与しているのが、一般人には、通貨を発行している以外何をやっているのかわからない銀行の中の銀行、日本銀行である。今回は、そのことをよく理解できる本をいくつか紹介したい。マスコミではこのような論説は封印されているので、戸惑う方がいるかもしれないが、真実は案外単純なものである。まず、一冊目は「日銀~円の王権」である。



『日銀―円の王権』吉田祐一著(学習研究社)

 「円の王権」という言葉にこの本の主張が込められている。円という通貨を発行するのは日銀が持っている権限であることだけがよく知られている。吉田氏は、円すなわち、マネーを発行する権限を持っている存在、つまり、金融を支配している存在こそが資本主義社会における「真の権力者」だと言っている。

 さらに、同時に、日銀は王権の所有者でもあり、日銀総裁は日本国王であるとまで言い切っている。ここで国王というのは、皇帝(王の中の王)に認められた属国の指導者のことをいうとまではっきり言い切っている。

 彼は、この本の中で二つの仮説を立てている。それは、「近代、現代の経済は中央銀行によってコントロールされており、中央銀行の支配者が本当の権力者である」というものであり、もう一つは、「現在の日本は、米国の属国であり、覇権国、米国からの指示で動いている」というものである。

 本書は、この二つの仮説、(モデル)を基本に置きながら、過去の歴史書を検証し、自分の仮説の正しさを検証しようというものである。



本書巻末の参照文献一覧をみると、著者が、本書を書くにあたり、本人が書き残すか、他者に口述筆記させたものをまとめた財界人回想録の類を徹底的に収集している事がわかる。

 また、日本ではこれまで、政治の側面だけに注目し、経済の話題は補足的に論じられることが多かった。だが、現在の国際情勢を理解するのも、経済の問題を前提に考えた方がわかりやすいことは言うまでもない。2007年夏、リーマンショックから始まった世界金融危機は、ウォール街の銀行家の強欲(グリード)が原因であり、それを可能にしたのは、ブッシュ政権の住宅政策や、金融工学の存在である。

 現在同様、過去も多かれ少なかれ、そのように世の中は動いていたと考えるべきである。ところが、現在の日本では、明治時代の最初から現在に至るまでの日本の金融史を、そのような国際情勢の変動という視点を含めて描いた本はいままでなかった。

 日本の明治以降、戦争終結までの歴史といえば、せいぜい司馬遼太郎氏の一連の歴史小説に始まり、半藤一利氏や秦郁彦氏らの歴史家が描く終戦秘話で終わるのが慣例だった。  

どれもこれも、明治維新前後のヒーローにはじまり、なぜか大正時代をすっ飛ばして、昭和時代の戦争指導者とそれに反対した政治家、そして、国の命令で死地に赴く日本軍兵士、そして原爆、終戦という同じパターンで埋め尽くされている。

これらの歴史作家や歴史家たちには、経済権力の姿をまったく見ようとしていない。半分は故意にやっているに違いない。

 『日銀・円の王権』を一読してわかることは、司馬遼太郎氏や半藤一利氏のような歴史作家たちがことさらにもてはやされる背景には、歴史において本当に重要な金融の支配の歴史を日本の一般国民に知られたくないという大きな目的があったということかもしれない。

 

それではなぜ、そのような情報コントロールをしなければならないのか。

これは、本書を一読すればすぐにわかる疑問なのだが、簡単にまとめると、「戦前と戦後の日本の経済人脈はひとつながりの系譜でつながっている」からである。

 現在の日銀で王権を保持している人物と、明治時代に日銀が誕生したときに王権を与えられた人物が一つの系譜でつながっている。こういう事を知られてしまっては、日銀にとって非常に不都合なのである。過去の歴史が「過去のこと」としてすまされなく危険性がある。

 

<日銀を作ったのはフランス・ロスチャイルド家>

 著者は、「円の王権」を与えるのは、日本国内の政治家ではなく、その時々の世界覇権国にいる帝国の権力者たちであると解説している。日銀を作ったのは、松方正義という人物である。この人物に、日本初の中央銀行である「日本銀行」を設立するように指示したのは、フランスのアルフォンス・ド・ロスチャイルドだと分析している。

 この松方とロスチャイルドの交友については、ロスチャイルド家の番頭(支配人)であった、レオン・セーという人物を通して行われている。吉田氏は、レオン・セーとロスチャイルド、セーと松方の人脈を記した文献を引用し、議論の余地がないほどに「日銀を作ったのはロスチャイルドだ」という立証をしている(なお、松方は日銀総裁には就任していない)。また、セーを論じるにあたって、祖父にあたるジャン=バティスト・セーを、フランスの思想家ミシェル・フーコー『言葉と物』から説き明かしている。

 このように、日銀を設立したのは大蔵卿であった松方正義で、彼はロスチャイルドのカウンターパート(現地における受け皿)であるが、重要なのは、覇権国とのこのカウンターパートの関係を歴代の日銀総裁が継続して築いているということである。そして、大蔵大臣と日銀総裁を前後して務める例を多数示している。

 吉田氏はこの帝国-属国の関係をきわめて単純に示している。一例を挙げると次のようになる。



 高橋是清(第7代総裁)-ジェイコブ・シフ(ロスチャイルド-クーン・ローブ)

 井上準之助(第9,11代)-トーマス・ラモント(モルガン)

 池田成彬(第14代)- オーウェン・ヤング(モルガン→ロックフェラー)

 渋沢敬三(第16代)- ロックフェラー3世 

  新木栄吉(第17代)- ロックフェラー3世

  一万田尚登(第18代)-ロックフェラー3世

 前川春雄(第24代)-デイヴィッド・ロックフェラー



 むろん、これらの「人脈」がどのように成り立っていったのか、という経緯についても、当事者の証言である「回顧録」を使って複雑な人間関係の糸を解きほぐしている。



<覇権国の権力移動が属国に波及する>

 帝国側で属国の国王に指令を与えている人物が変遷していくことに注目して欲しい。この権力移行の影響を受けて属国の指導者、すなわち国王も変わるのだ。日本は明治維新以降、英米という覇権国の属国であり、ときの覇権国の衰亡や権力闘争の結果として、「世界皇帝」が移り変わり、国王も変わっていくということである。

 著者は、イギリスやアメリカ本国の、金融覇権の移り変わりに目を向けた上で、その変動が時間差で日本にも津波のように押し寄せてくるという事実をていねいに説明している。



 一例を挙げよう。吉田氏は、池田成彬(いけだしげあき)という日本の財界人を取り上げている。池田は、いわゆる洋行帰りである。慶応大学を出て、ハーヴァード大学に留学した後は、三井銀行に入行している。

 三井といえば、もともとはロスチャイルド系の銀行であった。1920年代にもなると、アメリカがイギリスに変わって、金融の主役に躍り出てきた。イギリスとアメリカを股に掛けて活躍していた、高橋是清とつながっていた、クーン・ローブ商会に変わって、1907年のニューヨークの金融恐慌を契機に、モルガン商会が台頭してきていた。モルガン商会では、ファミリーの信任を受けて経営者になる大番頭として、トーマス・ラモントが実力を付けてきており、これが井上準之助と友好関係を築き上げるのである。

 池田が財界で名をとどろかせたのは、帝国のモルガン財閥が大打撃を受けた、1929年のウォール街株価大暴落の直後に行った、「ドル買い」であった。ドル買いのきっかけになったのは、井上準之助が大蔵大臣の時に進めた「金解禁」政策であった。

 重要なのは池田が、モルガンに変わってアメリカ経済を支配した、国内民族資本であったロックフェラー財閥の存在を察知する情報収集力があったことである。これが彼のドル買いの判断にも影響を与えたというのである。

 池田を指導したのが、オーウェン・ヤングという財界人だ。彼は、ニューヨークに当時建設されたロックフェラーセンターの中心部をなす、RCAビル(現在のGEビル)を保有する、大企業GE(ゼネラル・エレクトリック)の会長であった。

 一般的には、GEはモルガン系の企業だということになっており、日本の欧米企業研究でもこれが主流である。ところが、吉田氏は、ヤングはモルガンとロックフェラーの両方に巧みにつながっていた人物であったと分析している。その証拠としては、GEビルをロックフェラーセンターの中枢に置いた事に加え、ヤング自身がロックフェラー財団の理事を務めていたことがあげられるという。



 要するに、権力の移行期に活躍していたヤングは、モルガン家の没落を見て取るや、すぐさまロックフェラー家に「鞍替え」できるように、事前から「両天秤」を仕掛けておいたわけだ。これは、吉田氏が、ヤング、フランクリン・ルーズヴェルト大統領とロックフェラーの三者の関係を検討して思いついたことらしい。

 例えば、吉田氏は池田の口述による『財界回顧』という本の一部分を引用し、「池田成彬の親分はオーウェン・ヤングである」と立証する。

 ( 『日銀・円の王権』185~86ページから引用開始) 

 ヤング・プランで有名なあのオーエン・ヤングという人、――あの人は私達がアメリカから日本に帰ってきてから、次期大統領の選挙に出るだろうという噂がありましたが、本人は「自分は政治家にならん」と断ったことが新聞に出ておりましたが、私があの人に会ったのはパリーでヤング・プランの会議の時に一、二遍でした。しかしそのとき深くは話さなかった。ところがニューヨークに行ってG・E(ジェネラル・エレクトリック)社長のスゥオープに逢うと、(彼が社長でヤングは会長)スゥオープは私に、「あなたはヤングとゆっくり話をして貰いたい。自分の別荘へ(日曜だったと思うが)きてくれ。ほかの人は呼ばないから、二人だけでゆっくり話してくれ」という触れ込みです。(中略)



  しかし私はよくいうのですよ。私はベルリン、ロンドン、パリー、ニューヨーク、--主なるところを渡り歩いたが、政治家には会わないという建前だから誰にも会わない。しかし銀行家にはことごとく会っておる。なかには二遍も三遍も会っておる者もある。

  また、銀行家以外の企業家や実業家の人たちにも会っておる。この数ある中で、偉いと思ったのはヤングですね。どこが偉いといわれると困るが・・・・・

 この人は、身体も大きく、いうことがはっきりしており、何となく信頼できるような心持ちがしました。不思議なひとです。人を引きつけるようなところがあった。芝浦の関係で日本にも来たことがあります。(『財界回顧』86ページ)

(引用終わり)



 上の『財界回顧』の引用文は、何も背後関係を知らずに読むと、読み飛ばしてしまいそうなところであるが、吉田氏は、池田特有のぼやかした表現の奥に込められた真意を解読している。

 (『日銀・円の王権』(186ページ)から引用開始)

 池田はヤングを通して、モルガン家ではなくロックフェラー家の意向を知ることになったのである。当時の日本の財界は、井上準之助をはじめ、モルガン家からの情報に依存していた。そのなかで、池田のみロックフェラー財閥のコネクションを持ち、先行した情報を持っていたことになる。

 (引用終わり)



 吉田氏は、このように世界帝国における権力の移行と日本における王権の移行をとらえている。重要なのは、権力変動期に鋭くその事実を他に先んじて情報として入手することが出来る人物だけは最終的に生き残るということかもしれない。そうすれば、「先行者利得」の独占が可能になるからだ。

 上記のロスチャイルドからロックフェラーへと言う分析をしているが、この点については、金融においては、ロスチャイルドの力が依然、まだ、大きいのではないかと小生は考えている。また、国際金融資本の一族は密接に結びついているので、そのような枠組みにここまでこだわる必要はないと小生は考える。

 

<戦争指導者の歴史はさほど重要ではない>

 さらに財界・経済から見た日本の近現代史という視点を取っていくと、日本の歴史ものの主流である政治家や軍人を主役にした歴史物語がいかに真実から遠ざかり、隠蔽しているのかがわかる。吉田氏は、『日銀・円の王権』の中で、経済史研究者の松浦正孝の『財界の政治経済史』や、ジョン・ロバーツの『三井』などの著作を参照しながら、それを立証している。

 財界の恐ろしいところは、戦争を継続しつつも、ビジネスをちゃんと行っていくというところである。

 これは、第二次世界大戦中も、各国の中央銀行によって結成される、国際決済銀行(BIS)が、資金決済を継続して行ってきたことからもわかるが、吉田氏は、戦時中の日本国内を見ても、財界が戦争とビジネスの両天秤で動いていたと説明している。単純に軍部=悪者とする歴史家は見習うべきである。以下の説明は秀逸である。



 (『日銀・円の王権』(203ページ)から引用開始) 

 戦後の史観では戦前はとにかく「軍部独裁」であり、それ以外にはなかったように描かれることが多いが、実際は軍部と財閥がしのぎを削っていたのが真実であろう。財閥はみずからの軍需産業が潤うので、その点では軍部と利害をともにしているが、やりすぎると英米諸国により禁輸(embargo)などの制裁を受けることになる。だから財閥は戦争をしながら、一方で英米との講和に動き出すのである。

(引用終わり)

 このように、財界は、戦争をしながら、いずれ対応しなければならない英米との講和の道を模索していた。戦争をすることは絶対悪だと私達は考えがちである。しかし、これらの世界最高支配層の財界人にとっては、手っ取り早い金儲けである。池田成彬は、そのような財界人のネットワークに属する人物の一人である。

 著者は、別の場所で、池田の回顧録を引き、彼が一般大衆を「蟻(あり)」だと表現する部分を紹介している。池田は、この中で、「商売をしていくうちに、大きくなったものが小さくなったものを、歩いているうちに踏みつぶしてしまうことは、自然に生じてくることだ」と語っている。このことを池田は、大きな利益を得た者は慈善事業で社会に還元するのがいいという文脈で語っているのだが、この考えは金儲けと戦争と慈善活動をともに成り立たせたロックフェラーの考え方そのものである。

 池田の例は一例で、戦争期においては、ロックフェラー系の財界人たちが、戦争の相手となるナチス・ドイツを手助けしていたことも事実である。一般大衆の感覚で、財界人がビジネスをやっていないことだけは確かである。貿易も、戦争もビジネスなのである。

 ジョン・ロバーツの『三井』には、終戦期になると、戦争指導者を「監視」する、七人の財界人からなる「内閣顧問」の指名が、東条英機に対して押しつけられたと書かれているという。吉田氏は、この事実をふまえ、日銀総裁の結城豊太郎をはじめとする英米との講和を考えていた財界人たちが、東条英機の首に縄を掛けるべく動いたと述べている。戦時中においては、財界と軍部が国内で権力闘争をしていたというのである。



 こう考えると、従来のように、東条英機をはじめとする政治家や軍人のレベルで、第二次世界大戦を語ることが全く表層しか見ていないことに気がつくことになる。トップレベルの財界人にとって見れば、戦犯であれ、戦死した人々であれば、皆財界人たちの駒に過ぎないのかもしれない。

 戦後に東京裁判に掛けられて死んでいったのは、みな軍関係者である。財界人たちはおおむね生き残っている。戦犯たちを、一部の人たちが英雄だと言って褒め称えるのは自由だが、それでは歴史の本当の姿は絶対に見えてこない。以下に引用するように、吉田氏の言うとおりだ。これが真実であろう。



(『日銀・円の王権』(208ページ)から引用開始)

 戦時中は、財界は軍部と対立しながらも相互依存関係を築いてきた。それなのに軍部のみが厳罰処分になったのはなぜか。それは、天皇を含む、日本の財閥グループの総意であったからである。

(引用終わり)



 このようにして、著者は戦前の日本史の真の姿を金融経済のキーパーソンを追っていくことで、今まで表に出なかった事実を鮮やかに描き出している。

 戦後史についても触れられている。簡単に述べれば、戦後のアメリカの日本支配は、「日銀生え抜きの総裁=プリンス」を通じたものと、松本重治や山本正らの国際交流人脈による文化交流路線の二種類があるという。

 ここで、新たな視点として吉田氏は、経済学者のリチャード・ヴェルナーが暴露した「日銀生え抜きの総裁」、通称「プリンス」からなる系譜をこれに「接ぎ木」している。

 そして、「山本正-ロックフェラーのネットワーク」と、「日銀総裁のネットワーク」は、相互に連関し、交流がある。例えば、プラザ合意の青写真を描いた、前川春雄・日銀総裁が、同時に三極委員会メンバーであったことが挙げられる。



 吉田氏はプラザ合意とは、日銀による急激な信用拡大政策であり、その狙いは日本に意図的なバブルを生み出すことにあったとヴェルナーや、そのほかの人物の著作を引用しながら論証している。実はプラザ合意は、前川が三極委員会で指示された日本に対する「経済構造改革計画」の一環であった。このことは、信頼できる文献に引用された三極委員会の公式文書でも確認できる。

 

<日本とアメリカのバブルを生み出した中央銀行>

 ところで、中央銀行が、信用創造の拡大を通じて、バブルを生み出すというテーマは、オーストリア学派の経済学者の理論である。だから、ハイエクやミーゼス、ロスバード、そして、ウッズなどの経済学者、エコノミストの理論は、ヴェルナー理論と整合性がある。

 誤解されがちであるが、ヴェルナーは、何でもかんでも信用創造すれば景気は回復すると言ったわけではない。ヴェルナーは、日銀が一九九〇年代のバブル崩壊後の経済状態を意図的に放置したことを信用創造の縮小という事実をもって論じたのである。

 吉田氏は、ヴェルナーとオーストリア学派経済学の両方の理論に精通している。そこで、中央銀行が、本来生産的な用途に使用されるべきマネーが、投機性の高い証券にむかったことが問題であるという点で両者の共通点を見いだしている。ヴェルナーは、中央銀行(日銀)が信用量を拡大するべきときに意図的に信用量を縮小したということを批判しているだけである。

 ヴェルナーも、生み出された信用=貸し出しが「生産的な投資」に回らず「投機行為」(=バブル)に回ることは容認していない。吉田氏はオーストリア学派とヴェルナー理論の理解を通じて、その両者の共通点と相違点についても理解できるように筆を進めている。

この両者をつなぐ作業は非常に重要なものである。今後、二〇〇八年の金融恐慌をきっかけに、オーストリア学派経済学の認知が我が国でも高まるだろう。その際に、我が国の識者達が、ヴェルナー理論を再評価する上で、この作業がきわめて重要な意味を持ってくるだろう。



 『日銀・円の王権』には、ヴェルナーの著書『円の支配者』が引用されている。

これが、21世紀に入ってもアメリカの経済状況と似ているのである。ヴェルナーは、一九八五年当時、日銀は「もっと使いなさい」とばかりに、銀行がいらないというのにお金を貸し続けたという事実を書いている。この結果、余ったマネーを民間銀行が野放図に貸しまくり、これが全部不良債権になっていく。この流れは住宅バブルを煽った、住宅ローン専門会社の行為を彷彿とさせる。

 日銀の一般銀行に対する指導を窓口指導という。この当時の有様を見るに付け、グリーンスパン時代のアメリカにおいて、貧乏人にまで住宅ローン資金をろくな審査をしないで貸し付けていたアメリカの銀行の姿が二重写しになってくる。

 吉田氏の理解に従えば、今回の金融危機も、中央銀行の人為的な信用量(マネーの量)の操作によって引き起こされた「人災」ということになる。

 吉田氏はリベラル派の経済学者のポール・クルーグマンが、ノーベル経済学賞を受賞したのも、完全な「出来レース」だと指摘している。

 以上のように、『日銀・円の王権』は、日銀総裁=日本国王という視点をとりながら、日銀総裁を中心に広がる財界人脈をこれ以上なく明快に解き明かした一冊である。

 

以前、紹介した「通貨戦争」いう本と併せて読まれれば、日本を含めた世界の金融史が見えてくるはずだ。時間のある方には一読をすすめたい。次回は、15万部も売れたのに日本の論壇に意図的に無視されている「円の支配者~誰が日本経済を崩壊させたのか~」(リチャード・A・ヴェルナー)を紹介させていただく。

世界で規制が広がるトランス脂肪酸

バターとマーガリン、どちらを選びますか?

 この問いに「マーガリンの方が体に良いからマーガリン」と答える人が意外に多い。これは「バターはコレステロールを上げる飽和脂肪酸が多いので、植物油からできているマーガリンを食べましょう。」という誤った栄養指導とマーガリンのメーカーのイメージ戦略の勝利と言って良いだろう。(実はこの数年来、小生はマーガリンを食べていない。)

マーガリンにはリノール酸が豊富に含まれている。たしかにこのリノール酸はヒトが生命を維持するために必要な栄養素なのだが、最近の研究によると、摂り過ぎると炎症が起きやすくなったり、血液が固まりやすくなることがわかっている。そのため、平均的な食生活をしている日本人はリノール酸の摂取を控えるべきなのだ。

さらに、マーガリンにはトランス脂肪酸と呼ばれる「やっかいもの」が含まれている。そもそも、マーガリンの原料である植物油は常温で液体だが、なぜマーガリンが半固形状かというと、植物油に強制的に水素を添加して固まらせているためで、この際にトランス脂肪酸が生じる。

このトランス脂肪酸は自然界では存在しない物質であり、摂取量が増えると血液中の悪玉コレステロールが増え、動脈硬化症や心疾患などのリスクが増大するのだ。そのため、WHO(世界保健機関)ではトランス脂肪酸について、1日に摂取する総カロリーの1%未満にすることを勧めている。

ここで、再び質問。水に溶ける物質(食品類に含まれるもの)と油に溶ける物質はどちらが危険か?

正解は油に溶ける物質。水に溶ける物質は摂り過ぎても尿中に排泄されるが、油に溶ける物質は体内の脂肪組織などに紛れ込んで蓄積してしまうのだ。したがって、トランス脂肪酸は要注意。

実際、デンマークでは全ての食品について油脂中のトランス脂肪酸の含有量を2%以下に制限しているし、米国とカナダでも加工食品中の含有量の表示を義務づけている。

マリナーズの本拠地のセーフコ・フィールドスタジアム内の売店では、トランス脂肪酸を含む調理用の油やフライオイルを「トランス脂肪酸フリー」の油に切り替えると宣言した。売店で販売するドーナツやクッキー、フライドポテトなどからトランス脂肪酸を追放する目的だ。

 ニューヨーク市では全ての飲食店を対象に、調理油中のトランス脂肪酸の含有量を「1食で0.5グラム未満」にするように義務化した。カリフォルニア州のある町では、全米で初めての「トランス脂肪酸のない町」(First Trance Fat-Free City)を目指し、キャンペーンを行い、トランス脂肪酸を完全に追放しているレストランには緑のハートマークが掲示されている。

こうした動きに対してわが国はと言うと「トランス脂肪酸だけを問題視するのではなく、脂肪全体の摂り過ぎをやめる方が大切だ。」(内閣府食品安全委員会)と言った見解で、規制は当面必要ないという立場をとっている。

メーカー側も、マーガリンに含まれるトランス脂肪酸の含有量をホームページで公表しているメーカーもあれば、全く公表しないというメーカーもあり、対応はまちまちだ。

しかし、ここにきて大手コンビニエンスストアや大手ファーストフードチェーンでは、自主的にトランス脂肪酸の低減に取り組む動きが活発化している。消費者の意識や購買行動が変われば、メーカーや販売業者もその姿勢を改めるだろう。男性に比べて脂肪が多く、ホルモン系への影響が出やすい女性は特に注意すべきである。

マーガリンの他に要注意の食材がもうひとつある。加工食品に使われるショートニングだ。ちなみに、食品100グラム中のトランス脂肪酸の含有量ではマーガリンが平均7グラムなのに対し、ショートニングは平均13.6グラム。(食品安全委員会調べ)あなたもスーパーやコンビニでお菓子やパンを買うときに、商品に記載されている表示をよく見て欲しい。慣れてくると表示を見なくても、マーガリンやショートニングが使われている食品を見分けることができるようになる。

<各国の規制>

米国では、加工食品に総脂肪量、飽和脂肪酸量、コレステロール量、トランス脂肪酸含有を表示しなければならない。さらにニューヨーク市は2006年12月、外食産業における原則使用禁止を決めた。そして2007年7月ついに同条例を施行。これによってフライ、マーガリン、ショートニング、食用油が使用制限を受けている。さらに1年後にはパン生地にも適用される。

デンマークではトランス脂肪酸の含有を2%以下と規制している。

ドイツでは腸の慢性炎症疾患でクローン病という難病があり、マーガリンの摂取との因果関係が証明された。そのためにマーガリンの使用が制限されている。

<外食産業の対応例>

米マクドナルドのトランス脂肪酸の使用を停止

アメリカのマクドナルドは2007年1月、公式サイト上で心臓病や肥満との関連を指摘されているトランス脂肪酸の使用を、アメリカ内における一部店舗で中止したことを明らかにしました。

そして、いよいよニューヨーク市のトランス脂肪酸規制施行2007年6月を迎えましたが、有力消費者団体の公益科学センター(CSPI)が独自調査を行い、いまだ多くのファーストフード店舗が基準を大幅に上回るフライドポテトを販売している中、マクドナルドのポテトは 0.2gで合格だった、と公表しました。

米マクドナルド、過去の訴訟で9億円で和解

米マクドナルド社は2002年9月、心臓病疾患の原因になると指摘されたトランス脂肪酸を減らすため、揚げ物に使う油を2003年2月までに新しいタイプに替えると発表しました。ところが、新タイプの油への切り替えが遅れ、この事実を2003年2月に公表しましたが、、健康問題活動家らが消費者への告知が不十分だったとして損害賠償などを求め、カリフォルニア州の地裁に提訴したのです。この訴訟に対して、米マクドナルド社は約850万ドル(約9億円)を支払って和解しました。

このような訴訟を背景に、マクドナルドのトランス脂肪酸フリー調理油への切り替え検討は急ピッチで進められたと考えられる。

米マクドナルド、過去の訴訟で9億円で和解

マクドナルドはすでに過去7年間に50もの混合比率で18種類もの油をテストし、トランス脂肪酸フリー油についてリサーチしていると報じられました。

こんな中でニューヨーク市のトランス脂肪酸禁止条例が制定されたわけです。マクドナルドはこの規制をクリアしましたが、全米の1万3700店舗すべてにおいて代替油を使用するに至っていないようです。

日本マクドナルドのトランス脂肪酸への対応

このような状況で、新しい調理油への切り替えはアメリカ国内だけにとどまり、日本での調理油切り替えは予定すらされていません。日本政府がトランス脂肪酸に対して表示義務も削減方向も打ち出していないので、マクドナルドの対応はルール違反ではありませんが、不誠実。

日本の再生

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2月 212012

植草氏の「日本の独立」(飛鳥新社)という本を以前、紹介したことがあった。以下。

「日本の政治経済の大きな動きを間違いなく読み取る一つの法則・秘訣が存在することをご存じだろうか。 

 戦後の政治経済の動きは、善悪を超えて、この視点で眺めることによってすべてのマクロの政治・経済の動きが整合性をもって読むことができるのである。

 今までのレポートでも時々紹介してきたが、その秘訣は、すべての幻想、思い込みを捨てて、日本が戦争に負けた国であり、現在も米国の実質上、植民地(属国)であると冷徹に眺めることである。おそらく、今までは、この視点を貫徹することによって、日本の政治経済の大きな動きは間違いなく読み取ることができたのである。

  今回、紹介する本、植草一秀著「日本の独立」(飛鳥新社)は、そのことを逆証明するような本である。植草氏と言えば、「シャルウイ・ダンス」の周防正行監督が「それでもボクはやっていない」という映画に取り上げた痴漢冤罪事件で有名になってしまったエコノミストである。

 彼は、米国の後ろ盾を得て日本の権力の頂点にいた小泉・竹中氏の経済政策を強烈に批判していたので、当然のように不可思議な事件に巻き込まれて一時、完全に表舞台から追放された人間である。 そのために彼は、米(アメリカ)、官(官僚組織)、業(財界)政(議員を中心にした政界)、電(マスメディア)に対して「悪徳ペンタゴン」という過激な言葉を使うので、もしかするとアレルギーを起こす方がいるかもしれない。

 しかし、このことを大阪大学の教授松田 武氏はもっと上品に、学術的に「『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー――半永久的依存の起源』(岩波書店, 2008年)で解説しているので、松田教授の本を読めば、植草氏の言っていることが大旨理解できるはずである。

  一言で言ってしまえば、日本という国では、米国の都合と日本のエリートと言われる人々のある意味、私的利益のために、「戦後」がかくも長く続いているのである。」

 その植草氏が「日本の再生」という本を出されたので少し、遅くなったが紹介させていただく。

  

「日本の再生」 植草一秀

第一章 東日本大震災・東電福島第一原発事故で日本は沈没してしまうのか

「未曽有の大震災」を強調する隠れた意図

原発震災がもたらした半永久的な影響

インフラ資産・サプライチェーンの破壊による日本経済崩壊

「旧政復古」の菅直人政権時に大震災が起きたという悲劇

事態を悪化させた菅政権の三つの「大罪」

「Be on the safe side」を果たせなかった菅政権の不始末

崩壊しゆく日本経済に追い打ちをかける大増税の愚策

インフラ資産整備の財源としては増税よりも建設国債発行に合理性がある

増税によって経済が危機に陥るという「繰り返される歴史」

震災復興のどさくさまぎれに盛り込まれた「市場原理主義」

日本が法治国家であれば東京電力を法的整理すべし

日本はでたらめな国家に成り下がった

第二章 日本の財政は本当に危機にあるのか

財政危機を煽る政府のアピールは真実なのか

霞が関の権力にひれ伏すマスメディア

財政赤字の規模を正確に把握するために必要な「正しい尺度」

子や孫の世代に借金を残すことは財政上特段の問題なし

財政赤字のリスクをはるかに上回る緊縮財政のリスク

「日本の財政は危機に直面している」は明らかな嘘

財政再建目標を達成した中曽根政権

大増税政策強行実施で財政赤字を激増させた橋本政権

小泉政権の超緊縮財政政策がまたしても日本経済を撃墜した

世論操作を企図する財務省の大増税推進大キャンペーン

財務省は財務省の利権・権限維持のために財政健全化の主張を展開する

「利権官庁」と「政策官庁」財務省はなぜ社会保障費削減にこだわるのか

「天下り根絶」という政権公約を捨て去った野田民主党

ポピュリズムに責任転嫁する官僚の傲慢さ

日本経済浮上のチャンスを二度も潰した近視眼的な財政再建原理主義

的確な「経済病状診断」がなされていない恐ろしさ

経済情勢暗転下での超緊縮財政政策発動は究極の誤り

経常収支黒字国日本の財政問題と経常収支赤字国の本質的な相違

財政収支の改善は日本の経常収支が黒字の間に実現せよ

日本財政の何が問題で、何が問題でないのか

第三章 市場原理主義の亡霊

緊縮財政政策強行の末路

財務省の言いなりになる御用経済学者

経済学は現実の経済政策運営に生かされているのか

ケインズ経済学の「功」と「罪」

市場原理信奉主義の復活

冷戦の終焉とともに始まった大競争の嵐

BPRへと突き進んだ世界経済

「根拠なき熱狂」の崩壊

日本に持ち込まれた弱肉強食の市場原理主義

セーフティネット強化が必要なときにセーフティネットを破壊する政策対応の倒錯

「デフレ」という新たな脅威

完全雇用こそ究極の経済政策目標

大規模な経済政策発動で、まずは経済活動水準を引き上げよ

円高にどう立ち向かえばいいのか

成長を促進していく四つの産業分野

「分配問題」が二一世紀の最重要経済政策課題

所得税・住民税の最高税率引き上げを実施すべし

「同一価値労働・同一賃金制度」を早期に導入せよ

国が経済成長に関与するウェイトは大きくない

地方への人口分散が、国民に豊かさをもたらす

官僚利権の根絶なくして増税論議なし

第四章 エネルギーと日本経済の未来

予測されていた福島原発の重大事故

否定されていた原子力安全神話

福島第一原発の津波対策不備は警告されていた

原発という選択肢はなくしてしかるべき

核廃絶こそ日本が追求すべきテーマ

市場メカニズムに則った原発からの撤退方法

原子力マフィアが推進した日本の原子力事業

法治国家の根本原則をゆがめた東電救済

強欲資本主義が支配する日本

第五章 対米隷属の経済政策からの脱却

外国為替資金特別会計の改革を進めよ

外貨準備で衝撃の超巨大損失がもたらされるプロセス

母屋でおかゆを食っているときに、放蕩息子が賭場で巨大損失

「良い為替介入」と「悪い為替介入」

外貨準備は米国に対する「上納金」

TPPは現代版マンハッタン計画における核爆弾級の経済兵器だ

TPPによって農林水産業と金融が狙い撃ちされる

一七・六%のために八二・四%を犠牲にすることが正しい選択であるのか

日本の美しい田園風景と相互信頼の共同体社会が破壊される

米国の隷属国である現状を修正せよ

一〇〇年の計をもって必要不可欠なインフラを集中整備すべし

官僚利権を排除する財政運営透明化が求められている

日本には、再生できる力がある

<参考資料>

ところで、彼はこんな内容の講演をしている。http://www.ustream.tv/recorded/18569180

「財務省と財務官僚の犯罪」

1.財務省は戦前の「関東軍」と同じ非常に危険な「独立王国」

財務省は「省益最優先」の「国家の中の国家」であり、戦前の「関東軍」が中国侵略から太平洋戦争へと日本を滅亡の淵に立たせたのと同じく、対米従属、増税、セーフテイーネット解体、不況、失業、貧困、格差、戦争へと導く非常に危険な存在であること。

2.財務官僚は「説明責任」を果たさない

財務官僚が何かの政策決定する際、責任者による国民への経過報告はない。記者クラブを通して決定事項を流すだけですある

3.財務省は「最強の権力機関」

財務省は10の権力を持つ法務省以上の最強の権力機関。

予算案作成権、予算執行権、徴税権、国有財産管理権、国税庁査察権、金融庁を通しての金融業界支配、金融政策立案件、法律起案権、為替介入権、権力の一点集中を法律で禁止し省庁再編をしなければならない。

4.財務省は「大嘘つき」

財務省は日本の借金は2011年度末には1000兆円となりこのまま放置すればギリシャと同じ財政破綻は避けられないと宣伝している。

実際政府債務は391兆円の赤字国債残高でしかなく、しかも国家資産が647兆円あるので財政危機どころではない。財務 省は国民に危機感を煽って国民に増税を飲ませるために「大嘘」をついている。

5.財務官僚は「失敗の責任」をとらない

*橋本内閣は1996年当時の大蔵省官僚の「消費税増税」と「緊縮財政」に騙されて「増税と緊縮財政」を強行したため、せっかく上向き始めた景気 の腰を折り大不況に落とし込めた。1997年には山一證券や北海道拓殖銀行、三洋証券など大企業の倒産が相次いだ。

*小渕内閣は1998年「積極財政」と」金融緩和」政策を実行して「消費税増税」で落ちこんだ景気を回復させたが、小渕首相の急死の後を継いだ森 内閣と小泉内閣は再び財務省主導の「財政緊縮政策」を強行した結果「失われた10年」と呼ばれデフレ不況に陥った。

*財務官僚は「消費税増税」と「緊縮財政」の失敗による「不況」の責任を政治家にとらせて自分たちは責任を一切取らないできた。

*2007年から2011年までの4年間にドル安・円高によって、日本が所有する米国債1.2兆ドルは50兆円の為替差損をだしたが、為替介入と 米国債購入の権限を持つ財務省は誰一人として責任をとっていない。

6.財務省は「買収工作」を平然と行っている

*財務省は影響力のある政治家、財界、マスコミ、学者、評論家など3000人をリストアップし、「消費税増税」や「緊縮財政」など自分たちの「省益確保」のための政策に賛成させるための「買収工作」を平然と行っている。

*財務官僚は8月30日の民主党代表選挙で野田財務相(当時)を民主党代表に選出するために民主党中間派に対する猛烈な働きかけを行った。野田氏 に投票すれば予算をつけるなど露骨な「買収作戦」を行い対抗馬の海江田経産相(当時)に圧勝した。

7.財務官僚は「売国奴」

財務官僚はTPP参加を積極的に推進し、日本国民の命と財産と独立を米国に差出、日本を米国の「完全な植民地」にしようとしている。彼らにとって「国益」や「国民の利益」よりも「省益」と「自己益」が大事であり宗主国米国の手先となった「売国奴」になりはてている。

<参考資料> *日本人であることを思い出して下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=L6HXwT6fPtk&feature=player_embedded

*青い眼の日本人がいい指摘をしています。

日本人の底力

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2月 172012

東日本大震災から11ヶ月が経ち、もうすぐ一年になろうとしている。

「英デイリーメール紙オンライン」が、震災直後と今の写真を同じ場所に撮影し、その復興ぶりに英国の人々が素直に驚き、絶賛している。英国ならなら今頃、やっと復興のための委員会が立ち上がる時期という皮肉まで交えている。日本政府の対応の悪さをものともしない普通の日本人の生真面目さを物語っている写真をご覧いただきたい。

What a comeback! Eleven months after the tsunami ravaged Japan, a series of pictures reveals the incredible progress being made to clear up the devastation

津波の被害から11ヶ月、様子を表す一連の写真が、津波による被害からの復興の驚くべき速さを物語っている。と同時に原発の事故さえなければ、津波など日本人には恐るるに足らないことを教えてくれているような気もする。その意味で原子力発電所をどうするのか、エネルギー問題を含めてもっと我々は真剣に考える必要があると思われる。





*同じ女性です。





























地方・日本を元気にするヒント 

地方都市の衰退が言われてもう二十年近くの時が過ぎようとしている。そのことを象徴する言葉がシャッター街だ。

たしかに現在、昭和時代は栄えていた地方の中規模都市の駅前商店街は軒並み、バブル経済の崩壊と共にさびれてしまった。そしてそこで購入されていた商品は、日米構造協議による大店法改正による影響も大きく郊外型の大規模ショッピングセンターに移っていった。

そのために、地方の暮らしでは自動車が生活の必需品となり、トヨタを初めとする自動車会社は不況にもかかわらず、売り上げを何とか維持してきた。しかし、自動車や公共交通などの移動手段がない人びとは、食料品・日常品を満足に購入することも困難となる状況がでてきた。歳を取って十分な生鮮食品も購入しがたく、買い物難民とも呼ばれる人々が出てきたのである。(やっと大手スーパーでも買い物の宅配サービスが始まってはきた)

 今回はそんな現状を検証した本をまた、ともすれば、忘れられている日本人の力の源泉をわかりやすく、解説している松岡正剛氏の対談本をあわせて紹介させていただく。



















地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?」(ちくま新書)

久繁哲之介著

まず、目次から

 1章 大型商業施設への依存が地方都市を衰退させる 

 宇都宮市に移住して日本一のバーテンダーに輝いた女性/宇都宮市で大型商業施設の撤退が止まらない/あの109も4年弱で撤退/市民の行動や会話が都市盛衰の行方を示す/宇都宮109で聞いた女性顧客の会話/顧客の本音は机上に届かない/アンケートの8割は、結論が事前に決まっている/宇都宮109撤退3つの理由/模倣品は本物に手が届かない状況でのみ価値がある/109が撤退してなおも大型商業施設を造りたい/地方から百貨店が消える/失敗には目を向けない、責も問わない/神を見下す高層ビルは空きだらけ/ないものをねだり、地域にある資源には無関心/長野市との違いは「地域にある資源を愛する心」/箱物の撤退・建設に、マスコミと専門家は冷静な対応を/ないものねだりは止めて、地域にある資源に光をあてよう

第2章 成功事例の安易な模倣が地方都市を衰退させる  

 商店街再生/なぜ歩行者ゼロでも成功事例なのか/成功事例集は提供者志向のプロパガンダ/モデル地区を褒めそやす提灯もち/顧客も売り手も少なすぎて困っている商店街は、そもそも必要か/自治体は商店街の「選択と集中」を/イベントは交流のきっかけを創り、次に繋げる/箱物だけレトロ化しても商店は利用されない/車優先空間が空き店舗をさらに増やす/金融支援だけの空き店舗対策にチャレンジしたい市民はいるのか/リスク高いチャンレンジショップは「曜日毎テナント、週末起業」から/商店街再生へ4つの提案/松江を「カフェの街」にしよう/ボエーム憧れの聖地は「花の都」に進化する/すでに地域にある資源に「気がつく」

第3章 間違いだらけの「前提」が地方都市を衰退させる 

スローフードを核とした交流・コミュニティ/「食のグルメ化・ブランド化」は競争の厳しいビジネス/ブランド化で豊かになれるのは一部の産業者だけ/関さば、小樽3点セット/消費者は飲食店も「ノーブランド(無印)」を好む/散策者はいても、飲食店利用者は少ない「ぱてぃお大門」/集客が売上に結びつかない/福島でおやじが「今時の若者は、なよなよしてる」と嘆く/福島で若者が「おやじの論理」を呆れる/若者は「自宅でまったり」が大好き/飲食店の顔で質がわかる/おやじ視線のない空間が大人気/フィットネスクラブは少し痩せてから行く場所/インサイト/画一的なおやじ色に染まる地域はさらに衰退

 第4章 間違いだらけの「地方自治と土建工学」が地方都市を衰退させる 

間違いだらけの「地方自治と土建工学」/自治体固有の風土・文化/地方盛衰は自治体次第/自治体改革の方法/首長の意欲が役所を変える/待っていれば降りてくる情報に依存する自治体/市民の足は切り捨て、駅前開発を進める岐阜市/公共交通は「赤字でも残す」高岡市、「赤字だから切る」岐阜市/鉄道廃線後の街は著しく衰退する/人より自動車が優先される都市は必ず衰退する/「連携」は他人には求めるが、でも実行は大の苦手/全館消灯された市役所の内と外/連携すれば一つの取り組みで複数の目的を実現できる/役所の郊外移転と、街中衰退の因果関係/成功事例は土建工学者自らが描いた理想郷/コンパクトシティとは何か/コンパクトシティ先進地の富山市も繁華街は著しく衰退/市民はコンパクトシティには反対か無関心/西欧とライフスタイルが違う日本でコンパクトシティ模倣は無謀/成功事例「ネーミングライツ」にも飛びつく/2400万円のネーミングライツで効果はあるのか/心の欠落こそ最大のリスク

 第5章 「地域再生の罠」を解き明かす 

「地域再生の罠」を解き明かす/上勝町の「葉っぱビジネス」は1980年代後半には注目されていた/人の心を捉えるソフト事業は持続可能な活性化を導く/稀にある本当の成功事例は模倣が困難/心の空洞化が引き起こす「街中の空洞化」/暴走する土建工学者/地域づくりの「仕組み」そのものを変えよう/ウォークマン開発秘話/市民志向な地域づくりへ

第6章 市民と地域が豊かになる「7つのビジョン」 

7つのビジョン/お金を届けるボランティア、心を届けるボランティア/需要創造の鍵は「市民の不満」にあり/ワーク・ライフ・バランスは公益に繋がる/市民の地域愛と交流を育む地域スポーツクラブ/アルビレックスが新潟の若者を変えた/市民に地域を「愛してもらう」には/「市民憩いの場」だった甘党たむら/市民が「余計なお金と気を使わない居場所」を創る/口コミで賑わった甘党たむら、口コミで撤退した宇都宮109/あなたが幸せだと、私も幸せ/私益ばかり考えると街も店も衰退する/地域再生の目的は「市民の幸せ」か「地域の成功」か/市民の心、ライフスタイルが先に尊重される地域づくり

7章 食のB級グルメ化・ブランド化をスローフードに進化させる──提言①

誤用される「食と低未利用地」/街の賑わいは飲食店数に比例/需要を吸収するだけの大資本店/需要創出型飲食店を創る/農産物「加工品」直売所を「憩いの場」に/地域独自の味をコンビニ任せでいいのか/B級グルメをスローフードに進化させる久留米市/市民が主役になれる「食の八十八カ所巡礼の旅」/産業者に「自立、顧客志向」を促す/「子供たち憩いの場」が地域愛を高める/スローフードは大資本チェーン店の進出を阻止できる

8章 街中の低未利用地に交流を促すスポーツクラブを創る──提言②

なぜ皇居周辺の銭湯利用客は増えたのか/低未利用地の活用を問いなおす/箱物需要創出と雇用創出も期待できる/交流空間は既存ストックを活用/市民の街中回遊を仕掛ける/人の普遍的ニーズを叶えると街は賑わう/郊外住宅地に高齢者クレーマー/地域全体の利益へ「戦略的な赤字施設」を創る/「フリー」の仕組みを創る

9章 公的支援は交流を促す公益空間に集中する──提言③

青森駅前にも市民の「電車待ちの居場所」/アウガは戦略的な赤字施設/公益空間は利益が出ない/公的支援の選択と集中/商店街「所有と経営の分離」の光と影/公益基準の税制で「シャッター商店」は減る/専門家が机上で作る地域から「市民が現場で創る地域」へ/商店街を市民の「物語消費の場」に/私益追求者が公益に目覚める





衰退していく地域をどう再生し、活性したらよいのか? 

長引くデフレ経済のなかで、多くの人が知恵を絞り、そしていくつかは成功したと語られている。本当だろうか。

本書は、まず地域再生の成功例と言われているものが、本当に成功例なのか検証している。

 もし、喧伝された成功例が本当に他の都市でも模倣可能な成功例であれば、それは地域再生への一つの指針となるはずだ。だが隠蔽された失敗例であるなら、失敗例を拡散していくことにつながる。あるいは成功例があっても特殊なケースであれば、模倣は多くの失敗への道となるだろう。どうなのだろうか。

 

本書は、地域再生の成功例として語られる六つの都市について、それぞれが内包する問題を主題化して、実際に現地を訪れて検証している。

人口30万人から50万人の県庁所在地でもある、宇都宮市、松江市、長野市、福島市、岐阜市、富山市が俎上に載せられる。他にも、地域再生の視点から日本の各都市が問われ、これらは上記の日本地図にもまとめられている。

そこで書かれている風景は、地域の人間ならわかる独自の正確さと丁寧さを持って描写されている。もちろん、地元の生活者ならあたりまえのことではないかと思えることだが、しかし、その当たり前のことが書かれていることが、独自の衝撃性に繋がっている。

 地域再生に多少なりとも関わった人間であれば、この問題の本質を本書がきちんと分析していることを理解することができるだろう。本書は、失敗例を「土建工学者などが提案する”机上の空論”」と断じる。

地域再生の表舞台に出てくる役者は三者だ。地域再生関係者というプレゼンテーション業者(コンサル)、美しい夢を科学の装いで語る土建工学者、お役所体質が抜けない地方自治体である。



 これらの問題の根幹の一つは、公共事業そのもののあり方にある。つまり、箱物であり、道路であり、農地の転売であり、交通安全整理の日当である。目先の利権のネットワークが地域の権力構造と一体化していて、地域再生という振り付けを変えることがなかなかできない現実がある。それを、化粧直しをするように、地域再生の美しいプレゼンテーションで包み直し、補助金を当てることでお茶を濁しているのが現実ではないのか。失敗するべくして失敗するとしか思えないとも言えるのだが、それなりにおカネが回れば、確かに地域は数年息をつくことができる。

本書の事例は、見方によっては成功と言える中規模都市の事例だから、そこまでひどいことはない。それでも地元生活者から感じられる問題点は、ほぼ書かれている。

若者を呼び込もうとした宇都宮市の活性化では現実の若者の感性は生かされていなかった。松江市の再生はイベント頼みで本当に地域に潜む宝を生かし切れない。

長野市は観光客指向のあまり地元民の生活との接点を失った。

福島市はオヤジ視点のあまり、地元の若者や女性の視点を持つことができなかった。岐阜市・富山市はお役所体質から「コンパクトシティ」を目指し、市民の居住空間の常識を壊した。



 それでは、どうしたらよいのか? 本書は後半三分の一で、筆者の経験則からではあるが、市民と地域が豊かになる「7つのビジョン」をまとめ、そこからさらに具体的な提言を3点導き出し、1章ずつ充てている。

(1)食のB級グルメ・ブランド化をスローフードに進化させる、

(2)街中の低未利用地に交流を促すスポーツクラブを創る、

(3)公的支援は交流を促す公益空間に集中する。

 

本当にこれで地域再生は可能になるだろうか。彼の提言を使うためには、まず、地域コミュニティーそのものが生き返ることが前提になる。元気な若者が街に戻ってくる必要がある。そしてその若者が、以前からいる高齢者と新たな再融合できるかが問われている。地域の若者の現実的なニーズと高齢者のニーズをどう調和させるか。そしてその二者の背景にある巨大な失業の構造はどうするのか。「グローバリズムの暴走」にどう対処するのか、地域再生には欠かせない日本の家族の絆をどう再生するのか、問題の根は限りなく深い。



そして、突き詰めていくと故意にこの二十年間近く日本のデフレ経済を放置している日本銀行を初めとするグローバリズム信奉者の顔の見えないエリート紳士の「郷土を愛する心のなさ」に行き着いてしまうのだ。

『日本力』 松岡正剛/エバレット・ブラウン (PARCO出版)



目次

一章 日本人が今、置かれた場所

二章 日本のファッション、デザイン

三章 日本の遊び

四章 日本の職人

五章 日本のセレンディピティ

六章 日本の異人

七章 日本の宗教

八章 日本を見つける

<興味深い対話、その他> 

ブラウン氏=

「僕が日本に来た時、今の日本人はみんな、昔のことや歴史から切断されていると感じたんです。心が過去のこととつながっていない。それを、どうにかしてつなげたほうがいいと思います。そうすれば日本はもっとおもしろくなるはずです。」

松岡氏=

「ものや言葉、価値観をゆっくり解きほぐしていけばまだ大丈夫でしょう。

ばくはそうしてきました。たとえば『心』という言葉とか、『体』とか『命』という言葉が、どういうふうにできているのかということを解きほぐしてく。      ~ 略 ~ 

そうやって価値観のもとになっているところをほぐしていくことが大事なんです。」

※「日本力」(PARCO出版)P182より抜粋



<西洋のいいところ>

 ・○×教育や偏差値教育ではなく、「考える力」を養う教育が小さいころから徹底されている点と、論理をトコトン追求する立場を重んじる伝統。



 <日本のいいところ(ただし今ではなく過去の)>

  ・“○と×”や“世間と自分”のあいだに「間(ま)」(=一種のグレイゾーン)を

   設けること。

  ・世界に類を見ない「職人」の世界。バーチャルでなく実体験や長年の繰り返しによって初めて見えてくること。そして自分が加工しようとする材料や道具に対するリスペクト。

  ・“ガングロ”とか“ゴスロリ”などを生み出す日本人に残る潜在力 ――かぶき者に代表される異人としての「変な人」の力。

  ・大切なのは“ナショナリズム”ではなく“パトリオティズム”



現在の国際社会で吹き荒れる民族主義やナショナリズム、すなわち“想像の共同体”の嵐に対抗するには、自分が属する社会の文化や地域、先祖の歴史に根ざすという事こそが、最も有効な手段である。



パトリオティズム…愛郷的精神とか郷土愛のこと。「日本国民」などという抽象的な概念ではなく、地元の「土」に根差した“ローカリティ”と言う意味。 



 その点からすると、安倍晋三氏が、かつて言った『美しい国、日本』というフレーズは、「美しい国」というローカリティと「日本」という国家/国体(=“想像の共同体”を守るための施政者による体制)を、無理やり結びつけるものであって言葉づかいが間違っている。

 この対談で二人が話していることをまとめると以下のようになる。

 

現在、日本人の知が衰退し始めている。

ひとつの原因は60年代安保以降、国民の考える力を削減する目的で導入された偏差値教育である。一部のエリートだけを残し、一般の国民からは自ら考えたり議論したりする能力を削いで、与えられた正解を受容して○×で答えるだけの技術者を作るという政策を意図的に行っている。それも20世紀工業社会では有効に機能したが、21世紀には新しいOSが要る。たしかにその通りで、東大を出ていても「考えると言う点」では、10人中8人は、どうしようもない人であるのも残念ながら、事実だ。 



日本人の身体意識も変わった。ハラを中心にした丹田の感覚が消えた。「腹が立つ」が「頭にくる」に登り、「キレる」という身体のどこだか判らない感覚になってしまっている。



日本は火山国・地震国のためか、外国人から見ると熱がこもっていて暖かい。水蒸気も多く、中国のように月や星がくっきりと見えず霞んだりする。曖昧さがある。山や川で区切られ少し移動すると次々と風景が変わる。大陸のようにズーッと砂漠・・というような環境が無い。多種多様なものが詰まっている。三河と尾張で文化が違ってよい。その範囲が「クニ」であり、かつては藩や村が共同体意識の中心だった。明治になって初めて国家という概念を権力者が作り、戦争まで引っ張っていって敗戦以降はその国家観が解体した。

今もう一度共同体意識を呼び戻すために憲法に愛国心などを入れてもダメ。氏神を奉る範囲の、郷土愛を新たな形で復活させる事が有効だろう。 



下地となる文化・ホームポジションをしっかりと持っていて初めて、その上に異文化や新知識を取り入れて吸収できる。いま日本人には自らの文化伝統に根ざした「下地」を喪失したため、インターネットの普及によって情報の海に溺れる人が出てきている。  海外に出なくても国内を旅行したりして、自分達の足元=文化の深層を見直し自らのバックボーンを探すことが必要である。



本来、日本人は、ヨーロッパ人のようなスローライフが本当は得意なはずである。 



日本の神は遠いところから来て、また去る。遠方より訪れる「マレビト」を歓待する風習がある。古代の日本人は遠くにあるものを感ずる能力を大切にした。例えば、ネズミが災害を予知する能力を信じてネズミが移動する方向へ移住したり、船の進路を取ったらしい。



30年使える漆器や磁器は高価であるが、それを作る技術が途絶えれば蓄積してきた膨大な時間という価値を失ってしまう。 



子供に影響を与えるのは親や環境よりも社会で出会う「変な人」。今は異質なものを排除しすぎて異人に会う機会が少ない。



日本は無宗教というが、かつては神仏習合で煩いくらい神様も仏様も身近に居た。

明治になって国家をまとめるため廃仏毀釈し、天皇を現人神とする国家神道を作った挙句、敗戦で天皇が人間宣言したため「神も仏も天皇も、もういいや」となった。そういった人々が経済的繁栄に新たな夢を託し、美しい国土や伝統を破壊して顧みない世代となってしまった。

戦後半世紀以上が過ぎた現在、宮崎駿の映画や古神道の世界観を素直に受け取れる若い世代が復活している。



















ネットの中に「座」(コミュニティ)が発生している。次のステップはネットの中から出て生の現場に行くと良い。



コスプレは現代の祭り。非日常空間である祭りが現代社会から消えてしまっているため若者が自主的に作り出そうとしている。もっと大きな目で見て、禁止してはダメ。



日本には重厚な文化の堆積がある。しかし現代日本人はそれから切り離され外国人になっている。今の日本は根の無い大木のよう。しかし、発掘しようとする人々がたくさんいる。

文化財として遠ざけられた伝統を生活の中に取り戻し、前衛的で創造的で遊び心にあふれた文化を地域から再興すべきだ。 



西洋ではデカルト以来、個人や自我といったものが確かに存在すると思われているが、それは幻想で、世界の実相~小さな我(われ)を消して世界の中に開放されるという感覚~は、日本文明の方が本質を捉えている。



若い世代が国外に出て行こうとせず、内向きに籠もっているというグローバリズム信仰に基づく批判が最近聞かれるが、本書で指摘されているように、世界の変化期にあたっては自らの基盤となるホームポジションの確認がまず必須である。しかし、不幸な教育環境にあるため、我々はストレートにわが国の文化を継承できていない。日本には一朝一夕にはとうてい掘り起こせない分厚い文化遺産があり、若い世代がその発掘に注力し始めているのだとしたら、まさに正しい行動を起こしているのだと思われる。その可能性を信じ、後押しするのが大人の役目である。

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