*今回は本の紹介です。
「原発・正力・CIA」~機密文書で読む昭和裏面史~有馬哲夫著
2011年3月11日の東日本大震災において起きた福島原発事故が、チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」だとされた現在、戦争に負けた国:日本に、戦争に勝った国:アメリカからどのような経緯で、原発が提供されたかを改めて確認するには、大変勉強になる本である。
しかし、私には、そういった面より、日本のような戦争に負けた国で、政治的野心・経済的野心を持った人間が、その実現に向けて邁進するためには、戦争に勝った国:米国の後ろ盾を得ることが極めて有効だという多くの事例の一つだと思われた。
ご存知のように読売新聞の正力松太郎氏は、戦前は警察官僚で、A級戦犯にもなった男だが、大変嗅覚の鋭い男だった。日本の戦後復興は、正力のような目先のきく人間たちの米国との表も裏もある取引で成り立っていたのである。
戦争に負けた国が、戦争に勝った国を利用しながら、彼らの意図を尊重しつつ、取引をしていくことは、現実世界では当り前のことだろう。しかし、この本を読んでも、戦後史を書いた類似書を読んでもそうなのだが、戦後の混乱期に敵国であった米国を利用して、のし上がっていこうとする逞しさ、情熱は、どの本からもひしひしと伝わってくるのだが、もう一つ大きな日本という国のこと、国際社会を考えた大きな戦略というものを考えていた形跡をほとんど見ることができないのもまた、一つの事実である。
まさに、正力松太郎氏の場合もそのケースで、彼は原子力エネルギーに対して深い考えがあって原子力導入に動いているわけではない。彼の政治的、経済的野望のために原子力を道具として利用しているだけなのだ。米国は、日本人の反米感情を押さえるために読売新聞、正力氏を利用し、一方、正力氏は総理大臣になりたいという政治的野心、読売・日本テレビを東アジア全体にネットワークを持つ一大メディア王国にしたいという経済的野心のために米国CIAを利用する。
本当に不思議なことだが、あまり深くも何も考えずに原子炉を54基も作ってしまったのが、日本という国なのだ。おそらく、そのことによって2006年に東芝がウエスティングハウスを買収するまでに日本の原子力産業は育ち、その技術力は世界一と言われるまでになったのである。
しかし、本当に大きな戦略があってここまで原発を増やしてきたわけではない。何となく地震列島の上にこれだけの原発を作ってしまったのだ。
仮に核保有国になるためだけだったら、ここまで原子炉を増やす必要はない。おそらく政治家、官僚、電力会社の利権構造を旅客機の自動操縦装置のように回し続けた結果、これだけの原発ができてしまったのである。
その結果、日本は軍事的に最も低コストで破滅させることのできる国土を持つことになってしまった。
確かに日本を本当の独立国にするためには、核保有するべきだというのも一つの考えである。
そうであったとしてもこんなに原発を日本国内につくる必要は、全くない。外国からの攻撃のことを考えたら、地下に数か所、原発を持てばいい程度のことである。
考えてみれば、戦争に負けた日本は、戦後米国にうまく擦り寄った先達によって見事に復興を果たした。一般の日本人も冷戦構造の中でその成功の配当に与かることができたわけだ。それが1950年代から1980年代にかけての時代であった。そして日本のエスタブリシュメントたちが、自分たちの利益のために米国に協力し、一般の日本人に本当のことを言わないで誤魔化しても、大して問題でなかったのもこの時代の特徴だろう。
しかしながら、冷戦終了後は全く事情が変わってしまった。アメリカが日本に対する態度を変えたからである。そして、このように考えていくとおかしなことに気が付く。
団塊の世代以上の人たちがエスタブリシュメントとともにある意味、幸福な時代を生きた「つけ」を米国は、日本の若い世代から奪っていくことになるからだ。
これは原子力発電所の核燃料の最終処分について誰も責任を持とうとしないのと同じだ。
彼らは無意識に未来の人たち(子供や孫たち)がすべて何とかしてくれると勝手に思い込んで「つけ」を回しているだけだ。
以前、野口悠紀夫氏をはじめ、いろいろな有識者が指摘していたように、戦後の日本の指導者に国家100年の計などいう大きな国家戦力など何もなかった。日本の戦後復興戦略は、満州国を建国した革新官僚が戦前作った日本株式会社と言われる国家管理型の資本主義システムをそのまま持ち帰ったものであった。
そして、戦後は昭和天皇が人間宣言をし、A級戦犯が現職復帰するなどして、すべての戦争責任はいつの間にか曖昧になり、日本社会から中心というものが抜き取られ、失われていった(いや中心が真空になったというべきか)時代でもあった。
今日の東日本大震災においても、政治家、官僚、経済界が三者三様、お互いに責任の擦り付け合いをしている姿が、我々の目の前で展開されているが、明らかに日本社会が中心を失い、無責任体制になっていることをこのことは物語っている。
それを今、日本社会で補っているのが現場の技術者、職人さんたちの献身的な努力である。
だが、いくら技術者が優秀でも、それを包含する大きな戦略がなかったら、国民の利益、国益を守り、維持していくことはできないのである。
そしてこのことを国民一人一人が認識することが、3・11以後の日本社会で求められていることなのである。そうすることによって、今回の大きなピンチは、日本がちゃんとした戦略を持った自立した国になる大きなチャンスに変わっていく。
その意味で今まで目を伏せてきた日本の現代史を本当に理解することが求められる時代に入ったのである。
そう言った意味でも、是非、読んでいただきたい一冊である。
原発・正力・CIA」~機密文書で読む昭和裏面史~より引用
「プロローグ 連鎖反応
一九五四年一月二一日のことだ。アメリカ東部コネティカット州のグロートンで一隻の船の進水式が行われていた。船の名前はノーチラス号。海軍関係者の間ではSSN571と呼ばれた。完成の後、アメリカが誇る世界初の原子力潜水艦になった。
その建造にあたったのは、ジェネラル・ダイナミックス社。以前はエレクトリック・ボートという社名で、潜水艦を主に作っていたが、この頃にはジェット戦闘機や大陸間弾道ミサイルや原子炉まで開発・製造する軍事産業に成長しつつあった。
政府や軍の要人を含む二万もの人々が見守るなか、ジェネラル・ダイナミックス社のジョン・ジェイ・ホプキンス社長は誇らしげにこのような式辞を述べた。「このノーチラス号はジェネラル・ダイナミックス社のものでも、ウェスティングハウス社のものでも原子力委員会のものでも、合衆国海軍のものでもありません。合衆国市民であるノーチラス号はあなたたちのものです。この船はあなたたちの船なのです」
引き続き関係者がそれぞれ挨拶し、ドワイト・アイゼンハワー大統領夫人メイミーがシャンペンのビンを割ると、船は勢いよくテムズ川(イギリスのものとは別の、グロートンにある川)へと滑り出ていった。この模様はアメリカの三大放送網(NBC、CBS、ABC)に加え、ラジオ自由ヨーロッパ、ヴォイス・オヴ・アメリカ(VOA)などのプロパガンダ放送、『タイム』、『ライフ』、『ニューズウィーク』を始めとするニュース雑誌、三五紙を超える新聞や業界紙によって伝えられた。
今日の目から見ると、これが連鎖の始まりだった。日本への原子力導入はこの連鎖のなかで芽生え、方向づけられていったのだ。
このニュースの一ヶ月ほど後、原子力の負の面を示す決定的な事件が起こった。三月一日、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行なったところ、近くでマグロ漁をしていた第五福竜丸の乗組員がこの実験の死の灰を被ってしまった。第五福竜丸事件である。これによって広島・長崎への原爆投下で世界最初の被爆国になった日本は、水爆でも最初の被曝国になってしまった。
やがて日本全国に原水爆反対平和運動が巻き起こり、原水爆禁止の署名をした人々の数は三〇〇〇万人を超えた。これは日本の戦後で最大の反米運動に発展し、駐日アメリカ大使館、極東軍司令部(CINCFE)、合衆国情報局(USIA)、CIAを震撼させた。
これら四者は、なんとかこの反米運動を沈静化させようと必死になった。彼らは終戦後、日本のマスコミをコントロールし対日外交に有利な状況を作り出すための「心理戦」を担当していた当事者だったからだ。
反米世論の高まりも深刻な問題だが、実はそれだけではなかった。この頃国防総省は日本への核配備を急いでいた。ソ連と中国を核で威嚇し、これ以上共産主義勢力が東アジアで拡大するのを阻止するためだ。
そのために彼らが熱い視線を向けたのが讀賣新聞と日本テレビ放送網という巨大複合メディアのトップである正力松太郎だった。
ノーチラス号の進水から始まった連鎖は、第五福竜丸事件を経て、日本への原子力導入、ディズニーの科学映画『わが友原子力(原題Our Friend the Atom)』の放映、そして東京ディズニーランド建設へと続いていく。その連鎖の一方の主役が正力であり、もう一方の主役がCIAを代表とするアメリカの情報機関、そしてアメリカ政府であった。
筆者はこの数年、アメリカ国立第二公文書館などでCIA文書を中心とする多くの公文書を読み解いてきた。なかでも「正力松太郎ファイル」と題されたCIA文書には従来の説を覆す多くの衝撃的事実が記されていた。
本書では、このような機密文書を含む公文書で知りえた事実を中心に据えつつ、日本の原子力発電導入にまつわる連鎖をできる限り詳細にたどってみたい。それによって、戦後史の知られざる一面を新たに照らし出したい。」(引用終)
本書の構成は
第1章「なぜ正力が原子力だったのか」
第2章「政治カードとしての原子力」
第3章「正力とCIAの同床異夢」
第4章「博覧会で世論を変えよ」
第5章「動力炉で総理の椅子を引き寄せろ」
第6章「ついに対決した正力とCIA」
第7章「政界の孤児、テレビに帰る」
総理になるための原発……。引用。
「正力は、初めは原子力なるものをよく理解できなかったために乗り気ではなかったが、総理大臣への野望がいやが上にも燃え上がり、大きな政治課題が必要となるにつれて、原子力の持つ重要性に目覚め始めた。やがて、政治キャリアも資金源も持たない意気だけは軒昂な老人に政治的求心力をもたらすのはこれしかなかった。
当時の時代状況のなかでは、正力にとっての原子力発電は戦前の新聞に似ていた。つまり、それを手に入れれば、てっとりばやく財界と政界に影響力を持つことができる。いや、直接政治資金と派閥が手に入るという点で、新聞以上の切り札だった。」
湯川も利用……。引用。
「この連載の前に讀売新聞は一九五○年に湯川秀樹のノーベル賞物理学賞受賞を記念して「湯川奨学基金」を創設していた。実は、湯川のこのノーベル賞受賞をアメリカが対日心理戦に利用していたことが、国務省文書から判明している。アメリカ情報機関は、湯川がノーベル賞を受賞できたのはアメリカが応援したからだということを、日本のメディアに書き立てさせたのだ。日本人が親米感情を抱くように仕向けたこの心理戦には当然、讀売新聞も動員されていた。」
吉田茂は造船疑獄……。引用。
「正力が原子力平和利用推進派の期待を集めていくこの過程は、吉田が没落していく過程と裏表になっていた。吉田政権は一九五四年一月に明らかになった造船疑獄で深手を負い、四月に法務大臣の犬養健(たける」が指揮権を発動してうやむやにしたことから迷走を始め、吉田が逃げるように九月に外遊に出かけて以後断末魔の様相を呈するようになり、一二月七日にはついに崩壊に至った。」
読売新聞を使ってキャンペーン……。引用。
「渾沌とした政治的情勢のなかで、正力が自分の手中にあるカードが政治的にも大きな利用価値をもっていることに気付くのにそれほど時間はかからなかった。
このカードを使えば、選挙で当選する確率を高くできる。電力業界からだけでなく広く経済界から政治資金と支援が集められるからだ。さらに、讀売新聞と日本テレビで原子力平和利用推進キャンペーンを行ったうえで、「原子力による産業革命」を公約にして選挙戦を戦うという戦術もとれる。」
アメリカの小型・正力松太郎、ウォルト・ディズニー……。引用。
「一九五九年六月一四人、ディズニーランドの「未来の国」で八隻の原潜の処女航海の祝賀が行われた。ニュー・アトラクション「潜水艦の旅」のオープニング・セレモニーだ。このアトラクションは二五○万ドルをかけて建造され、セレモニーの八日前の六月六日に完成していた。
ウォルト・ディズニーは満面に笑みを浮べてこう述べた。
「わが社の原子力潜水艦をご紹介申し上げます。この艦隊は現在世界最大の規模を誇っております」」
ともかく、これから真剣に考えなければならない日本の原子力政策の原点を知ることができる貴重な本である。