*今回は本の紹介です。

「原発・正力・CIA」~機密文書で読む昭和裏面史~有馬哲夫著

 

 2011年3月11日の東日本大震災において起きた福島原発事故が、チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」だとされた現在、戦争に負けた国:日本に、戦争に勝った国:アメリカからどのような経緯で、原発が提供されたかを改めて確認するには、大変勉強になる本である。



 しかし、私には、そういった面より、日本のような戦争に負けた国で、政治的野心・経済的野心を持った人間が、その実現に向けて邁進するためには、戦争に勝った国:米国の後ろ盾を得ることが極めて有効だという多くの事例の一つだと思われた。

 ご存知のように読売新聞の正力松太郎氏は、戦前は警察官僚で、A級戦犯にもなった男だが、大変嗅覚の鋭い男だった。日本の戦後復興は、正力のような目先のきく人間たちの米国との表も裏もある取引で成り立っていたのである。

 戦争に負けた国が、戦争に勝った国を利用しながら、彼らの意図を尊重しつつ、取引をしていくことは、現実世界では当り前のことだろう。しかし、この本を読んでも、戦後史を書いた類似書を読んでもそうなのだが、戦後の混乱期に敵国であった米国を利用して、のし上がっていこうとする逞しさ、情熱は、どの本からもひしひしと伝わってくるのだが、もう一つ大きな日本という国のこと、国際社会を考えた大きな戦略というものを考えていた形跡をほとんど見ることができないのもまた、一つの事実である。

 まさに、正力松太郎氏の場合もそのケースで、彼は原子力エネルギーに対して深い考えがあって原子力導入に動いているわけではない。彼の政治的、経済的野望のために原子力を道具として利用しているだけなのだ。米国は、日本人の反米感情を押さえるために読売新聞、正力氏を利用し、一方、正力氏は総理大臣になりたいという政治的野心、読売・日本テレビを東アジア全体にネットワークを持つ一大メディア王国にしたいという経済的野心のために米国CIAを利用する。

 

本当に不思議なことだが、あまり深くも何も考えずに原子炉を54基も作ってしまったのが、日本という国なのだ。おそらく、そのことによって2006年に東芝がウエスティングハウスを買収するまでに日本の原子力産業は育ち、その技術力は世界一と言われるまでになったのである。

 しかし、本当に大きな戦略があってここまで原発を増やしてきたわけではない。何となく地震列島の上にこれだけの原発を作ってしまったのだ。

仮に核保有国になるためだけだったら、ここまで原子炉を増やす必要はない。おそらく政治家、官僚、電力会社の利権構造を旅客機の自動操縦装置のように回し続けた結果、これだけの原発ができてしまったのである。

その結果、日本は軍事的に最も低コストで破滅させることのできる国土を持つことになってしまった。

 確かに日本を本当の独立国にするためには、核保有するべきだというのも一つの考えである。

そうであったとしてもこんなに原発を日本国内につくる必要は、全くない。外国からの攻撃のことを考えたら、地下に数か所、原発を持てばいい程度のことである。

 考えてみれば、戦争に負けた日本は、戦後米国にうまく擦り寄った先達によって見事に復興を果たした。一般の日本人も冷戦構造の中でその成功の配当に与かることができたわけだ。それが1950年代から1980年代にかけての時代であった。そして日本のエスタブリシュメントたちが、自分たちの利益のために米国に協力し、一般の日本人に本当のことを言わないで誤魔化しても、大して問題でなかったのもこの時代の特徴だろう。

しかしながら、冷戦終了後は全く事情が変わってしまった。アメリカが日本に対する態度を変えたからである。そして、このように考えていくとおかしなことに気が付く。

 団塊の世代以上の人たちがエスタブリシュメントとともにある意味、幸福な時代を生きた「つけ」を米国は、日本の若い世代から奪っていくことになるからだ。

 これは原子力発電所の核燃料の最終処分について誰も責任を持とうとしないのと同じだ。

彼らは無意識に未来の人たち(子供や孫たち)がすべて何とかしてくれると勝手に思い込んで「つけ」を回しているだけだ。

 以前、野口悠紀夫氏をはじめ、いろいろな有識者が指摘していたように、戦後の日本の指導者に国家100年の計などいう大きな国家戦力など何もなかった。日本の戦後復興戦略は、満州国を建国した革新官僚が戦前作った日本株式会社と言われる国家管理型の資本主義システムをそのまま持ち帰ったものであった。

 そして、戦後は昭和天皇が人間宣言をし、A級戦犯が現職復帰するなどして、すべての戦争責任はいつの間にか曖昧になり、日本社会から中心というものが抜き取られ、失われていった(いや中心が真空になったというべきか)時代でもあった。

 今日の東日本大震災においても、政治家、官僚、経済界が三者三様、お互いに責任の擦り付け合いをしている姿が、我々の目の前で展開されているが、明らかに日本社会が中心を失い、無責任体制になっていることをこのことは物語っている。

 それを今、日本社会で補っているのが現場の技術者、職人さんたちの献身的な努力である。

だが、いくら技術者が優秀でも、それを包含する大きな戦略がなかったら、国民の利益、国益を守り、維持していくことはできないのである。

そしてこのことを国民一人一人が認識することが、3・11以後の日本社会で求められていることなのである。そうすることによって、今回の大きなピンチは、日本がちゃんとした戦略を持った自立した国になる大きなチャンスに変わっていく。

その意味で今まで目を伏せてきた日本の現代史を本当に理解することが求められる時代に入ったのである。

そう言った意味でも、是非、読んでいただきたい一冊である。

原発・正力・CIA」~機密文書で読む昭和裏面史~より引用

プロローグ 連鎖反応

 一九五四年一月二一日のことだ。アメリカ東部コネティカット州のグロートンで一隻の船の進水式が行われていた。船の名前はノーチラス号。海軍関係者の間ではSSN571と呼ばれた。完成の後、アメリカが誇る世界初の原子力潜水艦になった。

 その建造にあたったのは、ジェネラル・ダイナミックス社。以前はエレクトリック・ボートという社名で、潜水艦を主に作っていたが、この頃にはジェット戦闘機や大陸間弾道ミサイルや原子炉まで開発・製造する軍事産業に成長しつつあった。

 政府や軍の要人を含む二万もの人々が見守るなか、ジェネラル・ダイナミックス社のジョン・ジェイ・ホプキンス社長は誇らしげにこのような式辞を述べた。「このノーチラス号はジェネラル・ダイナミックス社のものでも、ウェスティングハウス社のものでも原子力委員会のものでも、合衆国海軍のものでもありません。合衆国市民であるノーチラス号はあなたたちのものです。この船はあなたたちの船なのです」

 引き続き関係者がそれぞれ挨拶し、ドワイト・アイゼンハワー大統領夫人メイミーがシャンペンのビンを割ると、船は勢いよくテムズ川(イギリスのものとは別の、グロートンにある川)へと滑り出ていった。この模様はアメリカの三大放送網(NBC、CBS、ABC)に加え、ラジオ自由ヨーロッパ、ヴォイス・オヴ・アメリカ(VOA)などのプロパガンダ放送、『タイム』、『ライフ』、『ニューズウィーク』を始めとするニュース雑誌、三五紙を超える新聞や業界紙によって伝えられた。

 今日の目から見ると、これが連鎖の始まりだった。日本への原子力導入はこの連鎖のなかで芽生え、方向づけられていったのだ。

 このニュースの一ヶ月ほど後、原子力の負の面を示す決定的な事件が起こった。三月一日、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行なったところ、近くでマグロ漁をしていた第五福竜丸の乗組員がこの実験の死の灰を被ってしまった。第五福竜丸事件である。これによって広島・長崎への原爆投下で世界最初の被爆国になった日本は、水爆でも最初の被曝国になってしまった。

 やがて日本全国に原水爆反対平和運動が巻き起こり、原水爆禁止の署名をした人々の数は三〇〇〇万人を超えた。これは日本の戦後で最大の反米運動に発展し、駐日アメリカ大使館、極東軍司令部(CINCFE)、合衆国情報局(USIA)、CIAを震撼させた。

 これら四者は、なんとかこの反米運動を沈静化させようと必死になった。彼らは終戦後、日本のマスコミをコントロールし対日外交に有利な状況を作り出すための「心理戦」を担当していた当事者だったからだ。

 反米世論の高まりも深刻な問題だが、実はそれだけではなかった。この頃国防総省は日本への核配備を急いでいた。ソ連と中国を核で威嚇し、これ以上共産主義勢力が東アジアで拡大するのを阻止するためだ。

 そのために彼らが熱い視線を向けたのが讀賣新聞と日本テレビ放送網という巨大複合メディアのトップである正力松太郎だった。

 ノーチラス号の進水から始まった連鎖は、第五福竜丸事件を経て、日本への原子力導入、ディズニーの科学映画『わが友原子力(原題Our Friend the Atom)』の放映、そして東京ディズニーランド建設へと続いていく。その連鎖の一方の主役が正力であり、もう一方の主役がCIAを代表とするアメリカの情報機関、そしてアメリカ政府であった。

 筆者はこの数年、アメリカ国立第二公文書館などでCIA文書を中心とする多くの公文書を読み解いてきた。なかでも「正力松太郎ファイル」と題されたCIA文書には従来の説を覆す多くの衝撃的事実が記されていた。

 本書では、このような機密文書を含む公文書で知りえた事実を中心に据えつつ、日本の原子力発電導入にまつわる連鎖をできる限り詳細にたどってみたい。それによって、戦後史の知られざる一面を新たに照らし出したい。」(引用終)

本書の構成は

第1章「なぜ正力が原子力だったのか」

第2章「政治カードとしての原子力」

第3章「正力とCIAの同床異夢」

第4章「博覧会で世論を変えよ」

第5章「動力炉で総理の椅子を引き寄せろ」

第6章「ついに対決した正力とCIA」

第7章「政界の孤児、テレビに帰る」

総理になるための原発……。引用。

正力は、初めは原子力なるものをよく理解できなかったために乗り気ではなかったが、総理大臣への野望がいやが上にも燃え上がり、大きな政治課題が必要となるにつれて、原子力の持つ重要性に目覚め始めた。やがて、政治キャリアも資金源も持たない意気だけは軒昂な老人に政治的求心力をもたらすのはこれしかなかった。

 当時の時代状況のなかでは、正力にとっての原子力発電は戦前の新聞に似ていた。つまり、それを手に入れれば、てっとりばやく財界と政界に影響力を持つことができる。いや、直接政治資金と派閥が手に入るという点で、新聞以上の切り札だった。

湯川も利用……。引用。

「この連載の前に讀売新聞は一九五○年に湯川秀樹のノーベル賞物理学賞受賞を記念して「湯川奨学基金」を創設していた。実は、湯川のこのノーベル賞受賞をアメリカが対日心理戦に利用していたことが、国務省文書から判明している。アメリカ情報機関は、湯川がノーベル賞を受賞できたのはアメリカが応援したからだということを、日本のメディアに書き立てさせたのだ。日本人が親米感情を抱くように仕向けたこの心理戦には当然、讀売新聞も動員されていた。」

吉田茂は造船疑獄……。引用。

「正力が原子力平和利用推進派の期待を集めていくこの過程は、吉田が没落していく過程と裏表になっていた。吉田政権は一九五四年一月に明らかになった造船疑獄で深手を負い、四月に法務大臣の犬養健(たける」が指揮権を発動してうやむやにしたことから迷走を始め、吉田が逃げるように九月に外遊に出かけて以後断末魔の様相を呈するようになり、一二月七日にはついに崩壊に至った。」

読売新聞を使ってキャンペーン……。引用。

「渾沌とした政治的情勢のなかで、正力が自分の手中にあるカードが政治的にも大きな利用価値をもっていることに気付くのにそれほど時間はかからなかった。

 このカードを使えば、選挙で当選する確率を高くできる。電力業界からだけでなく広く経済界から政治資金と支援が集められるからだ。さらに、讀売新聞と日本テレビで原子力平和利用推進キャンペーンを行ったうえで、「原子力による産業革命」を公約にして選挙戦を戦うという戦術もとれる。」

アメリカの小型・正力松太郎、ウォルト・ディズニー……。引用。

「一九五九年六月一四人、ディズニーランドの「未来の国」で八隻の原潜の処女航海の祝賀が行われた。ニュー・アトラクション「潜水艦の旅」のオープニング・セレモニーだ。このアトラクションは二五○万ドルをかけて建造され、セレモニーの八日前の六月六日に完成していた。

 ウォルト・ディズニーは満面に笑みを浮べてこう述べた。

「わが社の原子力潜水艦をご紹介申し上げます。この艦隊は現在世界最大の規模を誇っております」」

ともかく、これから真剣に考えなければならない日本の原子力政策の原点を知ることができる貴重な本である。

 

   戦後日本は、米国の指導の下に、ゼロから出発して原発大国となった。

 そして、米国から提供を受けた技術に莫大な研究開発予算を投入して独自技術の開発に努めてきた。原発機材の輸入のためには関税を免除。さらには、必要な予算は電気料金に上乗せして多くの国民が、気がつかないうちに徴収してきた。もちろん、漁業権者や地元住民との調整のために政府が前面に出て交渉にあたった。また、原発反対デモがあると機動隊まで投入して抑え込んできた歴史もある。しかも、多くの事故情報はもちろん、重要な情報は、半世紀以上に亘り、隠ぺいされてきた。「企業秘密」を盾に電源ごとの詳細なコスト情報は公開されず、都合の良い「仮定計算」で原発が一番安いと言う宣伝活動を国民に対して行ってきた。

 そして現在、今回の事故の後始末を政府丸抱え、莫大な国民負担を前提としたスキームで行おうとしている。

 考えてみれば、国策として「原発推進」することが『国家の意思』だった。しかし、このことは、有馬哲夫氏の「原発・正力・CIA」~機密文書で読む昭和裏面史~という本を読めばわかるが、本当に原発のことを深く考えた国策ではなかったことも注目すべきであろう。

また、国が積極的に進めた原発に比較すれば、再生可能エネルギーは明らかに差別されてきた。やはり、これには核保有国になりたいという思いが底流にあると考えるべきであろう。

だからこそ、電力会社の不当に高い送電料金や事実上事業を制約する接続約款、環境問題、地元対策などでも政府は後押しをする意思を全く持ってこなかったのだろう。そして、必要以上に再生可能エネルギーの弱点が政府・電力会社によって強調されてきたのである。

 仮に、原発並みの意気込みで国家を挙げて再生可能エネルギーの推進をしてきたなら、夢物語と言われるグリーンエネルギー革命が日本で現実化していたかもしれない。

 100%安全だと言っていた原発で事故が起きた以上、すべての情報の公開が求められるのである。当たり前のことだが、正しい判断をするためには、正確な情報がなければ不可能だ。安全に関する情報だけではない。東電のみならず、全電力会社の経営情報をこれから全面公開すべきだろう。政府が持っているエネルギーに関するあらゆる情報も公開する必要があることは言うまでもない。

 考えてみれば、電力会社は全く競争をしない不思議な民間会社である。ある意味、国民を人質に取ったビジネスとも言えよう。たとえば、東電一社で年1,000億円以上使うという広告費一つを取っても全く競争のない電力会社に本当にそんな巨額の広告費が必要か疑問だ。全面的なコスト情報の公開で電力料金の大幅引き下げにつながる可能性すらあるのではないか。

 絶対安全だと言ってこれだけの事故を起こした以上、本当の情報を国民に政府・電力会社は公開する義務があるはずだ。 

そして、当たり前のことだが、国民生活の安全・安心を第一に考えるのが政府の責務である思い出してもらいたい。 田中良紹氏が大変いい指摘をしている。以下。

                                                                    ( 53日に発表されたデータ)

 

*田中良紹の国会探検より  「うそつき」 

 大震災以来の政治に感じるどうしようもない「違和感」の原因を考え続けてきた。

 退陣の危機に追い込まれていたため震災を政権延命の手段と考えてしまうパフォーマンス政治。手柄を独り占めしたいのか「お友達」だけを集め、全政治勢力を結集しようとしなかった身内政治。パニックを恐れて情報を隠してしまう隠蔽政治。責任の所在が曖昧なままの無責任政治。「違和感」の原因は様々だが、終始付きまとうのは「国民は嘘をつかされ続けてきたのではないか」という疑念である。 

 例の海水注入問題では、当初東京電力が廃炉になる事を恐れて海水注入を躊躇したのに対し、菅総理の指示で海水注入は行なわれたと言われた。「国民の敵」東京電力と「国民の味方」菅総理という構図である。ところがその後、東京電力の海水注入を菅総理が55分間中断させたという話が出てきた。「国民の敵」が入れ替わった訳だ。

 すると今度は「敵役」として原子力安全委員長が登場した。東京電力の海水注入が開始された後で、菅総理が海水注入による「再臨界」の危険性を斑目原子力安全委員長に問いただしたところ「危険性がある」と答えたため中断したとされた。これに斑目氏が噛み付いた。「そんな事を言うはずがない」と言うのである。結局、菅総理に「可能性はゼロではない」と答えたという事になった。

 その時点で菅総理は「そもそも東京電力が海水注入を開始していた事実を知らなかった」と国会で答弁した。知らなかったのだから中断させるはずがないと言うのである。これを聞いて私の頭は混乱し始めた。海水注入を知らない総理がどうして原子力安全委員長に海水注入の危険性を問う必要があるのか。

 それに「海水注入を渋る東京電力VS海水注入を指示した総理」という構図はどうなるのか。理解不能な話になった。理解不能な話を理解するには誰かが「嘘」をついていると考えるしかない。最も疑わしいのは「海水注入を知らなかった」と言い切った菅総理である。

 菅総理が東京電力の海水注入を知らなかったなら原子力安全委員長とのやり取りも、当初言われた構図も信憑性が薄くなる。自分のパフォーマンスのために東京電力に「敵役」を押し付け、その代わり東京電力を潰さない、政府が賠償の面倒を見ると裏約束をしたのではないかと思えてくる。

 いよいよ菅総理の「嘘」が追及される話になると思っていたら事態は思わぬ方向に展開した。東京電力が「海水注入の中断はなかった」と発表したのである。現地責任者の吉田昌郎所長が独断で注水を継続したという話になった。これで一件落着の雰囲気である。しかし何事も疑ってみる私の第一印象は「うまく逃げたな」である。

 この話が裏を取る事の出来ない話になったからである。前にも書いたが福島原子力発電所の現場は今や日本の国民生活と日本経済の存亡をかけた戦場である。その指揮官の判断で結果的に国民生活が守られる方向になったとなれば誰も糾弾できない。しかも裏を取ることも出来ない。この話も本当かどうか分からないが事態を収束させる効果はある。そこに彼らは逃げ込んだ。しかしこれで「知らなかった」と言った疑惑は消えるのか。

放射性物質の拡散予測SPEEDI(スピーディ)を巡る菅政権の無責任ぶりをフジテレビが放送していた。SPEEDIは気象条件などから放射性物質の広がりを、コンピューターを使って予測するシステムで、原発事故が起きた場合、そのデータは文部科学省、経済産業省原子力保安院、原子力安全委員会、関係都道府県などに提供される。 

 ところがその内容が国民には公表されていなかったという事で、番組は関係先を取材し、どこも自分の所管ではないとたらい回しにされる模様を放送していた。そしてスタジオの識者が「どうなっているのだ」と怒って見せるのだが、役所の担当者に怒ってみても仕方がない。

 番組の中で細野豪志総理補佐官が語っていたように菅政権は「パニックを恐れて公表を控えた」のである。細野氏はその事を反省していたが、公表しなかったために被爆をしなくても良い人が被爆をした。これはその責任を誰が取るのかという問題である。ところが番組はそういう方向にならない。「日本の組織は滅茶苦茶だ」と責任の所在を広げてあいまいにし、「あいつもこいつも悪い」と鬱憤晴らしをして終るのである。

 そして問題なのはこの番組で枝野官房長官がSPEEDIのデータを「報告を受けていない」と発言した部分である。番組はそこを問題にすべきであった。この発言が本当ならば霞が関を掌握しなければならない立場の官房長官は失格と言わざるを得ない。そんな政権に政治を任せておけないと言う話になる。

 しかし原子力災害が起きている時に放射能データを官邸に報告しない役人などいるはずがない。つまり枝野官房長官も嘘をついている可能性が高いのである。むしろ細野氏が言ったように菅政権はパニックを恐れて情報を隠蔽した。それで周辺住民の被害は拡大した。その責任を追及されると困るので「情報を共有出来なかった」と嘘をついて組織上の問題にすりかえているのである。

番組はまさにそのように視聴者を誘導した。かくして国民は「日本は駄目な国ねえ」などと言って終る。おめでたい限りである。菅政権が国民のパニックを恐れて情報を公表しなかったとすれば、自らの危機管理能力に自信がなかったか、或いは国民を愚かだと思っていたかのどちらかである。

 しかし国民がどんなに愚かでも嘘はつき通せるものではない。それに仮に「海水注入を知らなかった」、「SPEEDIの報告を受けていなかった」のが真実ならば、それはそれで政権担当能力はゼロ。とても国難の時に政権を任せるわけにはいかないと言わざるを得ないのである。

<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。

<参考資料>

(東京新聞の特報面『ニュースの追跡』で、3月12日に菅首相が福島原発の視察する時に、SPEEDIの予測図を官邸に取り寄せていたことが書かれている。)

ふざけるな!菅首相 自分だけSPEEDI利用(日刊ゲンダイ2011/5/19)
  原発視察前に

福島第1原発でメトルダウンや水素爆発が起きた3月11日から16日までの間、国民に隠し続けられた「SPEEDI」情報の予測図が一度だけ首相官邸に届けられていたことが分かった。きょう(19日)東京新聞で報じている。
配信時間は12日午前1時12分。菅直人首相はこの日の朝に原発を視察している。周辺住民が放射能を浴び続けている中、菅首相が自分の身の安全を守ろうとしたのではという疑惑も浮かんでいる。問題の予測図の目的は1号機で原子炉格納容器の内部圧力を下げるベントを

3月12日午前3時半から開始した場合の影響確認だという。放射性物質が原発から海側に飛んでいることが分かっていた。
首相は視察のためSPEEDIを利用し、放射性物質が海側に飛ぶことを確認したうえで原発に行ったようだ。

(東京新聞5・19より)

首相視察前 一度だけ官邸に
 SPEEDIの予測図

 



東京電力福島第一原発でメルトダウンや水素爆発が次々と起きた三月十一日から十六日までの間、国民に隠し続けた国の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の予測図が一度だけ首相官邸に届けられた。配信時間は十二日午前一時十二分。菅直人首相は同日朝、原発を視察している。周辺住民が放射能を浴び続ける中、首相は自分の身を守るために重要情報を利用したのではないか―。
そんな疑問も浮かんでくる。(佐藤圭)
 問題の予測図は、外部被ばくによる放射線量や甲状腺に放射性ヨウ素が取り込まれて被ばくする線量の積算値など三種類。目的は1号機で、原子炉格納容器の内部圧力を下げるベント(排気)を三月十二日午前三時半から懐紙した場合の影響確認だった。原子炉の生データが得られなかったため、一定量の放射性物質の放出を仮定して試算した。これらによると、放射性物質は、原発から海側に飛んでいる。
 当時の政府内の動きはどうだったか。海江田万里経済産業相は十二日午前一時半、1号機のベントを急ぐよう東電に指示した。首相は同日午前七時十一分、陸上自衛隊のヘリで原発に到着。ベントが実施されたのは、首相が原発を離れた後だった。政府関係者らの話では、首相が現地で東電にベントを促したことになっているが、野党は、首相の視察がベントを遅らせた可能性に言及している。
   放射性物質の流れ確認か

 予測図を官邸に届けたのは経済産業省原子力安全・保安院。官邸にはSPEEDIの専用端末が設置されていない。保安院が自らの端末からプリントアウトした予測図を官邸にファックス送信した。保安院は、政府の原子力災害対策本部の事務局として官邸に報告した格好となっている。
 保安院は十一日から十六日昼ごろまでの間、文部科学省の委託でSPEEDIを運営する原子力安全技術センター(東京)から計四十二回、予測図の配信を受けている。保安院の前川之則原子力防災課長は、官邸に一度だけ報告した経緯について「官邸の状況は分からないが、情報提供は一度だけだった」と説明。官邸にSPEEDI端末がないことには「SPEEDIの情報は、専門家が使うものだ。情報を集約する役目の官邸に置く必要はない。無用の長物になる」と主張する。

 「住民の避難には活用しなかったのに」

 政府は、SPEEDI情報を「社会に混乱を招く」との理由で原則非公開にしてきたが、四月十九日付「こちら特報部」は「官邸が公表を止めた」と指摘。結局、政府は今月二日、「公表が遅れたことを心よりおわびする」(細野豪志首相補佐官)と陳謝した上で、順次公開を始めている。
 衆院科学技術特別委員長の川内博史衆院議員(民主)は「首相は、放射性物質が海側に飛ぶことを確認してから原発に行ったことになる。自分の視察のためにはSPEEDIを使ったのに、住民の避難には全く活用しなかった。首相は自分のことしか考えていない」と批判する。(引用終)

<SPEEDIとは>

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI:スピーディ※)は、原子力発電所などから大量の放射性物質が放出されたり、そのおそれがあるという緊急事態に、周辺環境における放射性物質の大気中濃度および被ばく線量など環境への影響を、放出源情報、気象条件および地形データを基に迅速に予測するシステム。

 このSPEEDIは、関係府省と関係道府県、オフサイトセンターおよび日本気象協会とが、原子力安全技術センターに設置された中央情報処理計算機を中心にネットワークで結ばれていて、関係道府県からの気象観測点データとモニタリングポストからの放射線データ、および日本気象協会からのGPVデータ、アメダスデータを常時収集し、緊急時に備えている。

 万一、原子力発電所などで事故が発生した場合、収集したデータおよび通報された放出源情報を基に、風速場、放射性物質の大気中濃度および被ばく線量などの予測計算を行う。

これらの結果は、ネットワークを介して文部科学省、経済産業省、原子力安全委員会、関係道府県およびオフサイトセンターに迅速に提供され、防災対策を講じるための重要な情報として活用される。

※SPEEDI:System for Prediction of Environmental Emergency Dose Informationの頭文字。

*<参考資料>

「日本は原子力を捨てさせられた?」

                                                                                                            2011年4月16日  田中 宇

 米国の原子力規制委員会(NRC)のグレゴリー・ヤツコ委員長が、日本の福島原発事故が起きた3月11日以来、NRCの他の4人の委員の意見を容れず、独断でNRCの意志決定ができる独裁的な非常事態の体制を作っていることが、最近、米議会で問題になっている。ヤツコはNRCで独裁的な態勢を作った後、3月16日に「日本の放射能は非常に高い」と発表し、福島原発から80キロ(50マイル)圏にいる米国民に避難を命じ、これによって、首都圏の外国人が恐怖に駆られて一斉に関西や国外に逃げ出す風評被害的な状況が作り出された。その後NRCは、日本政府の20キロ圏をはるかに上回る米国の80キロ圏の避難指示が、炉心の完全破損という現実より過大な事態を前提としたものだったことを認めている。

またヤツコは3月26日、福島原発事故について、日本政府が発表しているよりも事故の状況が悪いとする報告書をNRCとしてまとめている。「1号機は圧力容器に全く水が入っていないようで、冷却の進展が疑問。2、3号機も1号機ほどではないが問題。燃料棒が溶け続けている恐れがある」「圧力容器は地震や爆発で脆弱化しているので、うまく冷却が進んで満水になると、こんどは特に余震時に自重で自壊しかねない」「使用済み燃料プールは、予想よりはるかに損傷している」「炉心への注水と汚染水の漏洩を無期限に続けねばならない」「一部がうまく機能しないだけで、再びひどい状況に戻りかねない」といった内容だ。この報告書は重大な内容だが、それは日本政府が隠して発表しない新事実を根拠に述べているのでなく、日本側が発表した情報をもとに、事態を重大な方向に見積もっている感じだ。今では日本のマスコミなどもこの報告書に影響され、事態を重大な方向に見積もっているが、炉心がどのような状況になっているかは、何年か後に調査できるようになるまでわからない。

ヤツコに頼り切りのオバマ

NRCは、原発に対する許認可など、米国の原子力発電をめぐる安全管理を監督する政府機関で、大統領が指名し、議会が承認した5人の委員で構成される。政府から独立した機関と位置づけられているが、原子力関連で重大な事態が起きたときには、大統領の代理人として機能する。カーター政権時代に起きたスリーマイル島原発事故の時がそうだった。)

 現在のNRCの5人の委員のうち、民主党系はヤツコ一人だ。あとの4人は、共和党系(共和党議員の元科学顧問)、米軍系(海軍の原子力潜水艦の専門家)、米政府エネルギー省系(元同省技術者)、学者系(MIT教授)である。ヤツコはコーネル大学などで物理学を大学院まで学んでいる。

ヤツコは以前、米民主党のハリー・レイド上院議員の科学顧問だった。原発の安全強化を主張し、05年にNRCの委員に就任したが、その際、原子力業界からヤツコの就任に反対する声が出た。09年に就任した民主党のオバマ大統領は、同年5月にヤツコをNRC委員長に就任させたが、大統領が委員の中から委員長を選ぶ行為は、議会の承認を得る必要がないので、ヤツコの委員長就任に際し、原子力産業との結託度が強い議会共和党も反対するすべがなかった。

 そして今回の福島原発事故が起こり、ヤツコは即日、NRCの意志決定について独裁的な非常事態の体制を敷き、福島原発事故を厳しく見積もる作業を開始した。共和党系や米軍系など、国際的な原子力産業を擁護しそうな委員は、事故を厳しく見積もることに反対しそうなので、反対を封じるため、独裁体制を敷いたのだろう。非常事態は他の委員たちに伝えずに敷かれ、2週間以上経って議会が「福島の事故が、米国に汚染など何の悪影響も与えていない事故発生直後から非常体制を敷いたのは職権乱用だ」と問題にするまで、委員たちはヤツコに権限を剥奪されたことを知らなかった。オバマ大統領は、原発推進派である。79年のスリーマイル島事故の後、ほとんど止まっている米国内の原発新設を、「地球温暖化対策」や「中東石油依存脱却」を理由に再開することを目指している。オバマは、福島原発事故後も原発推進の態度を変えていない。

しかしオバマは、福島原発そのものに対し、事故を厳しく評価するヤツコを信頼し、事故直後からヤツコから直接に福島事故について報告を何度も受け、ヤツコの記者会見はワシントンDC郊外のNRC本部ではなくホワイトハウスで行われた。福島原発事故に対するヤツコの発言は、オバマ大統領のお墨付きを得て、権威あるものになった。ホワイトハウスは、福島原発事故への評価について、ヤツコに任せ切り、頼り切りになっていると指摘する記事も米国で出た。

日本を「世界最悪」におとしめる作戦?

ヤツコは、米大統領の権威を得て、原発事故に対する日本政府の認識が甘すぎるという趣旨の主張や情報発信を続けた。その流れから考えて、4月12日、日本政府が福島原発事故に関する国際評価尺度(INES)を唐突に5から7に引き上げたことに関しても、ヤツコがオバマの代理人として日本政府に圧力をかけた結果であると思われる。

 原発事故のひどさを示すINESは、0から4までの5段階について、地震のひどさを示すマグニチュードと同様、事故施設からのヨウ素131の放出量が10倍増えるごとに、評価の1つ格が上がる仕掛けになっている(死傷者数など、他の要素もある)。しかしINESの5から7までの重大な事故に関しては、避難指示の有無など、地元政府による対策が十分だったかどうかや、事故直後の風向きが放射能の拡散をひどくしたかどうかといった自然条件などを加味して決定される。地震と異なり、原発の大事故は、解釈によって5から7までの評価が変わってくる。

福島事故の評価は最悪の7が妥当だという解釈を日本政府が行ったことで、世界で最も安全な原発を作っていたはずの日本が、チェルノブイリと並ぶ「世界最悪」の原発事故を起こしてしまったという認識が、世界的に確定することになり、原子力産業に対する風当たりが、一気に世界的に強まることになった。ロシアやフランスといった原発技術の輸出国からは「福島事故に7に評価を与えるのは厳しすぎる。福島はチェルノブイリの10分の1の放射能しか放出していない。重大性が誇張されている」という反論が出された。これと対照的に、ヤツコのコメントは「7の評価が妥当だ」というものだった。(Fukushima’s “red alert” sparks questions about rating system

日本政府(原子力安全保安院)自身が、福島事故の重大性を最悪の7に位置づけたことは「日本の原発は非常に危険です」と日本政府自身が認めたことになり、日本の原子力産業の自滅を意味している。今や、日本国内で原発立地を擁する自治体のトップの9割が、安全基準の見直しをしない限り、地元の原発の運転継続や再稼働を認められないと考えている。

計画停電を早く終わらせたい東京電力の社長が「(07年の中越地震以来止まっている)柏崎刈羽原発の3号機を年内に再稼働させる手続きに入りたい」と言ったところ、地元の柏崎市長が猛反対を表明した。九州電力では、玄海原発で定期点検中だった炉の再稼働が、地元の反対を受けて延期せざるを得なくなった。再稼働すら困難なのだから、国内に新たな原子炉を建設することは、ほとんど無理な話になった。福島の事故は、まだ継続中の話だ。通常体制の冷却水循環の復活は無理だろうが、炉心に注水して漏洩する汚染水をできるだけ回収して放射性物質の放出を減らし、数カ月後に避難指示区域を縮小することは、まだ不可能と決まった話ではない。それが不可能になった時点で「7」に格上げするのが、より適切なやり方だった。

「余震で炉心がさらに壊れ、惨事が再発するに違いない」という予測に基づき「だから最悪の事故なのだ」とする考え方もあるが、今のところ、余震で炉心がさらに崩壊したとは確認されていない。INESは、すでに起きた事象に対する評価であり、予測や不確実性に対する評価ではない。現時点では、複数の炉の事故であることを勘案しても「6」が妥当だろう。そのような意見が国際的に専門家の間で強い。なぜ7なのかを解説した米国の記事は「潜在的な7だ」「7には上と下があり、チェルノブイリは7の上で福島は7の下だ」といった複雑な説明を強いられている。

事故への対策と、事故の重大性に対する評価は別なものだ。評価が軽い事故に対して万全の対策を行うことは十分できる。対策はできるだけ手厚く行うのがよいが、事故のひどさについて過剰な評価を行うことは、国内や世界の人々の懸念を掻き立て、過剰な反応を誘発して悪影響が大きい。日本は「世界最悪」を早々と自認したことで、国内で原発を増設することも、海外に原発を売ることも非常に難しくなった。こんな自滅的なことを、日本政府が自己判断のみで決めるとは考えにくい。(How Bad Is Fukushima Crisis?

政府は最近まで、福島事故に対する評価を、できるだけ低めに出そうとしていた。その日本政府が、突如として「2階級特進」の5から7への評価替えを発表した。そしてNRCのヤツコは、事故直後から、事実上の大統領の代理になって強大な権威を獲得した上で、日本政府は甘すぎるという批判を繰り返していた。対米従属の日本は、米政府からの圧力をはねのけることができない。そう考えると、日本政府が5から7に評価を変えたのは、ヤツコを筆頭とする米政府からの圧力を受けた結果である可能性が大きい。

ロシアの原子力業界の重鎮は「7の評価は悪すぎる。日本政府は、保険金など財政がらみの理由で7にしたのだろう」と述べている。しかし私が見るところ、日本政府が一時的な保険金の授受で有利になるために、日本の原子力産業の長期的かつ広範な自滅につながる過剰評価に踏み切るとは思えない。(Level 7 for Fukushima overstated

世界最高の原発技術を持っていたはずの日本が、世界最悪の事故を起こしたという話になったことで、ロシアやフランスだけでなく、世界最多の原発を持つ米国でも今後、オバマが推進する原発の新規建設が困難になるかもしれない。福島と同様の「GEマークI型」の原発は、米国にもたくさんあり、同型の原発は35年前の開発時から格納容器が脆弱だと技術者から指摘されていた。オバマが原発を推進するつもりなのに、日本の原子力を自滅に追い込んだヤツコに事実上の大統領代理としての権威を与えてしまったのは矛盾する。

ヤツコは、米政府内で福島原発事故に関する情報を日本政府から取ってきて評価する権限を自分だけに集中した上で「事態は日本政府の発表よりはるかに悪い」とオバマに繰り返し報告して信用させ、福島事故に対するオバマの頭の中のイメージ作りの過程を支配したのかもしれない。歴代の米国大統領の多くは、側近による情報判断歪曲の被害を受けている。ホワイトハウスとは、大統領をたらし込むための場所だと言っても良いぐらいだ。イラクを簡単に支配できるとネオコンに思わされ、米国の軍事力を大きく浪費したブッシュ前大統領が好例だ。事故後、米議会で議員が「福島の2号機の圧力容器の底が抜け、溶融した燃料が格納容器の底まで落ちているようだとNRCが言っていた」と発言し、日本でも大騒ぎとなったが、その後NRC自身が「そんなことは言っていない」と否定した。これもひょっとすると、ヤツコが議員に誇張情報を言い、騒ぎになって尋ねられたら否定するという扇動作戦だったのかもしれない。

反原発の英雄? イスラエル筋? 隠れ多極主義?

ヤツコが日本政府に福島原発事故を過剰に悪く評価させ、日本の原子力産業を自滅させつつあるのなら、なぜヤツコがそんなことをしたのだろうか。まず出てきそうな反論は「ヤツコはそんな謀略をしていない」というものだ。「事故隠しをしていたのは日本政府や東電であり、ヤツコら米国側は、それを見破って是正させただけだ」「ヤツコがNRCに非常事態を敷いたのは、共和党など軍産複合体系の原発推進派からの妨害を防ぐための当然の行為だった」「福島に関するレベル7の評価は妥当だ。6が妥当と考える奴は原発推進派に毒されている」といったものだろう。私自身、そういう考え方はあり得ると思っている。(私は、日本の原発をすべて廃止していくことに賛成であるものの、福島事故の評価は6が妥当だと思っているが)

原発を作るかやめるかという問題は、推進派と反対派との二者択一的な政治対立であり、相互に、自分が「正義」で相手が「悪」である。中立な専門家がいたとして、その人が言っていることが正しいと考える人がいるが、それは幻想である。事故後の炉内の状況は、放射線量の高さゆえ、専門家でもわからない。原発事故に対する評価には、政治的な色彩が不可避に入り込む。推進派と反対派の真ん中を取るという「中庸」もありうるが、それも政治的バランスに基づいており、政治色のない評価ではない。INESの事故評価も、政治的な判断である。

ヤツコの行為をまっとうなものと考える立場は、原発反対派のものだ。ヤツコが原発反対派であるなら、福島事故の評価を重くするよう日本に圧力をかけるのは当然だ。この場合、原発推進派のオバマからうまく信用されたヤツコは、米政府内の「隠れ反原発派」と言える。

とはいえ、米政界で原発を潰そうとする勢力は、原発が危険だと思っている人だけでない。米国がエネルギー源を原発に依存できるようになると、中東など産油地域に軍事力や外交力を行使して支配する必要が減る。米国の世界支配の枠組みの中で自国の力を保持している英国やイスラエルは、米国が原子力に傾注して石油を必要としなくなり、中東などから出ていくことを恐れている。スリーマイル事故後、米国で原発建設が進まなくなるよう、反対運動を扇動した人々(マスコミなど)の中には、親イスラエルの人も多かった。イスラエルにとって、サウジアラビアなどアラブ産油国は御しやすい。原発大増設の方が、イスラエルには脅威だ。つまりヤツコは、イスラエル筋からの要請に応え、米国を含む世界での近年の原発推進の流れを止めるべく、福島事故を機に、原子力で世界に冠たる日本に「世界最悪」のレッテルを貼った可能性もある。

もう一つあり得るのは、私が前から推測してきた「隠れ多極主義」との関係だ。日本が原発をやめていくと、その後の日本は、世界から石油やガスを買う度合いを強めねばならないが、世界の石油ガスの利権は、BRIC(中露)やイラン、ベネズエラなど非米反米の諸国に支配される傾向が強まっている。日本が頼りにする米英系の石油会社が持つ利権は減り続けている。日本は、固執する対米従属の国是と裏腹に、非米反米的な諸国に頭を下げ、たとえ割高になっても、石油ガスを売ってもらわねばならない。フランスや米国など、原発を多用してきた他の先進諸国も同様だ。世界で計画中の原発62基のうち27基を手がけている中国の政府は、福島の事故を受け、新たな原発建設の許可を来年まで出さず、すでに進んでいる原発の建設も遅らせていく方針を発表した。これだけだと、福島事故が中国にとっても打撃であるように見えるが、同時に中国は、中東やアフリカなど世界中で石油ガスの利権をかなり獲得している。原発が世界的に廃止されていく場合、困るのは中国など新興諸国よりも、日米欧の先進国の方である。世界的な原発の廃止は、経済面での覇権の多極化を押し進める。(China suspends approval of nuclear plants

私の「隠れ多極主義」の推測とは、覇権国である英米の中枢で「世界体制をどうデザインするか」をめぐり、英米だけが覇権国であり続ける体制を好む勢力(帝国の論理)と、複数の大国が並び立つ多極型体制を好む勢力(資本の論理)の間で暗闘的対立があり、二度の大戦(ドイツに英国を潰させようとした)、国連の設立(安保理は5大国の多極型体制)、冷戦(米ソを対立させ、国連の多極型体制を壊した)などが、いずれも暗闘の副産物であるという見方だ。資本家は、米英単独覇権体制下で経済成長を封じ込められてきた途上諸国や中露などの成長を引き出すため、多極型への転換を狙っている。

米政界では、米英単独覇権派の方が強いので、多極派は、単独覇権派のふりをして中枢に入り込み、イラク戦争や債券バブルの拡大と崩壊などを通じ、覇権拡大戦略を過剰にやって失敗させ、米国を自滅させることで、多極型への転換を目指している。このような多極化の道筋から見ると、福島事故を奇貨として世界の原発増設を退潮させ、石油ガス利権を持っている非米反米諸国を有利にすることは、隠れ多極化戦略の一つかもしれないと思えてくる。

ヤツコの思惑がどうあれ、ヤツコ個人が一人で考えて挙行したことではないだろう。非常事態を宣言し、後で考えると非常識だとわかる戦略を突き進むことは、911で始まったテロ戦争と同じ構図だ。ヤツコは実行役の代理人にすぎない感じだ。誰が意志決定しているのか、他の覇権的な事件と同様、全く見えないが、だからといって覇権的な戦略や暗闘そのものがないとは言えない。国際情勢の中には、隠れた覇権戦略の存在を推量しないと理解できない出来事が多い。(引用終)

 ビル・トッテン氏のコラムから引用

(福島原発事故のあと、私の好きな京都の和食屋の主人からメールをいただいた。店に食事にきた若い男女の話である。) 

(ビル・トッテン)

ただちに原発閉鎖を



食事の予約時間に遅れてきたため、店主の最初の印象はあまりよくなく、東京から避難してきたお金持ちの夫婦くらいに思って話を聞いていた。すると 明日から福島の原子力発電所のインフラ工事に行くといい、もう会えなくなるかもしれないので、最後に奥さんと京都に1泊しにきたのだと男性は言った。そして予約の時間に遅れてしまったのは、先に福島へ行っている仲間にカップ麺を送ろうと京都中を探し回っていたからだと(京都でも買いだめをしている人がいるらしいのだ)。

帰りがけ、店主が玄関に設置しておいた「被災地への募金箱」に、奥さんはそっと1万円を入れて帰られた。そのあとすぐ、店主は日持ちのするオカズと方除けのお札を、2人の宿泊するホテルのフロントに届けたと言い、「原発の現場で、命がけで戦っておられる方々が無事にお帰りになることを毎日祈るしかできません」とメールは結ばれていた。

読み終わって、とてもせつなかった。被災地から離れていることもあり、東京のような節電をしていない京都ではコンビニエンスストアなど、相変わらず明るすぎる電気がついていて、原発事故があったことも忘れてしまうほどだ。しかし原発からは今でも人の命を脅かす放射能が出続け、多くの人が危険にさらされ続けている。特にこの男性のような「カミカゼ特攻隊」として他の人を救うためにその仕事を請け負うことによってすぐに死ぬか、または、その仕事をしたことによって命が短くなってしまう人が数多く出たし、これからも出るのだ。この男性とその奥さん、また作業にあたっている自衛隊、消防士、下請け会社の人たちとその家族のことを考えると胸が痛む。

絶対に安全だと言いながら、首都圏が使う電気にもかかわらず首都圏では作らずに遠く離れたところに原子力発電所は建てられた。そして、一度事故が起きれば、命をかけてその後始末をしなければならないのは東電の幹部でも原子力安全保安院でもなく、生活のために働いている日本国民なのである。

今回の原発問題で本当に責任をとるべきは、人命を核のルーレットに賭けることを決めた中曽根康弘やその他の無責任な政治家であると私は思っている。しかし、もはやこの国に原子力発電所がやまほどできてしまっているからには、国民がすべきことは、これ以上の大惨事を起こさないためにも、全ての原子力発電所を閉鎖するよう政府に求めることだ。

原発の事故処理のために、今でも多くの技術者や作業員の方々が健康被害を及ぼすで、あろう量の放射線にさらされ、被ばく線量が累積する中で瓦礫の撤去、高濃度汚染水の移送、ロボットの操作などに当たっている。命を犠牲にしなければ作れないような電力は不要だと国民は言わなければいけない。原発がなければ停電だという脅しに屈することなく、不便な生活を選択するという意思表示をするべきである。今大人が声をあげなければ、日本の子供たちの未来はない。(引用終)
 
 

~原爆の被爆国が原発事故で再び被曝している悲劇を我々はどう考えるべきなのか~

 <世界の原子力発電所の状況>

 現在、31カ国が原発を所有している。原発による発電量が最も多い国は米国であり、その発電量は石油換算(TOEで年に2億1800万トンにもなる(2008年)。

 それにフランスの1億1500万トン、日本の6730万トン、ロシアの4280万トン、韓国の3930万トン、ドイツの3870万トン、カナダの2450万トンが続く。日本は世界第3位だが、韓国も第5位につけており、ドイツを上回っている。

 その他を見ると、意外にも旧共産圏に多い。チェルノブイリを抱えるウクライナは今でも原発保有国だ。石油換算で2340万トンもの発電を行っている。その他でも、チェコが694万トン、スロバキアが440万トン、ブルガリアが413万トン、ハンガリーが388万トン、ルーマニアが293万トン、リトアニアが262万トン、スロベニアが164万トン、アルメニアが64万トンとなっている。

 旧共産圏以外では、中国が1780万トン、台湾が1060万トン、インドが383万トン、ブラジルが364万トン、南アフリカが339万トン、メキシコが256万トン、アルゼンチンが191万トン、パキスタンが42万トンである。その他では、環境問題に関心が深いとされるスウェーデンが意外にも1670万トンと原発大国になっている。また、スペインが1540万トン、イギリスが1370万トン、ベルギーが1190万トン、スイスが725万トン、フィンランドが598万トン、オランダが109万トンとなっている。

 原発を保有している国はここに示したものが全てであり、先進国でもオーストリア、オーストラリア、デンマーク、アイルランド、イタリア、ノルウェー、ニュージーランド、ポルトガルは原発を所有していない。ここまで見てくると、一概に原発は先進国の持ち物と言うことができないことがわかる。

 (世界における原子力発電所設備容量(2008年1月現在,日本原子力産業協会他)は,アメリカが 104基で 10,606万キロワット,フランスが 59基で 6,602万キロワット,そして3番目に日本の 55基〔2011年3月では54基〕で 4,946キロワットであった。この発電出力は,日本で2位の電気事業会社である関西電力が 3,576万キロワットである。)



米国に原発導入を指導された日本
 

地震国で津波も多く,平地面積も少ない日本は,原子力の恐ろしさを誰よりも知っているはずなのに,なぜ原発大国への道を選んだのか改めて考えてみれば、本当に不思議である。

ゴジラ,鉄腕アトムから大阪万博を経て,田中角栄の電源三法,そして今日の福島に至る道のりを回顧すれば,どうして現在日本が,54基もの原発を抱える世界有数の原発大国になってしまったのか,その道程がみえてくる。
 被爆国日本は,原子爆弾によって原子力の威力を米国によって痛感させられた。占領後、GHQに聞かされた「原子力の威力」が,当時唯一の核保有国だったアメリカの権勢の象徴として,戦後の日本の針路に大きな影響を与えたことは間違いないだろう。原子力の威力も怖さも知っている日本が,最初に原子力開発への第一歩を踏み出したきっかけは,アメリカの意向にあった。もちろん、当時の日本の為政者たちには、あわよくば将来、核保有国になろうという下心があったことは言うまでもないだろう。1951年にサンフランシスコ講和条約が締結され,米国のアイゼンハワー大統領が国連演説のなかで「原子力の平和利用」を提唱した1953年,早くも日本では原子炉建造予算2億3500万円が国会で可決している。その予算案を当時、改進党の中曽根康弘代議士が提出したのは,米国によるビキニ環礁の水爆実験に日本の第五福竜丸が被爆した2日後であった。そのために大活躍したのが有名な読売新聞の正力松太郎であった。
 アメリカが日本に原子力発電を奨めた理由は,冷戦下における自由主義陣営に原子力の果実の分け前を与えることで,日本などの同盟国の共産化を防ぐ目的があった。もちろん、戦略国家米国のことなので、日本が再び敵国になった時に格好の攻撃目標を作る意味合いまで考えていた可能性も否定できない。また、1900年代初頭、長岡半太郎博士を筆頭に世界の最高峰だった日本の理論物理学を考えれば、原子力の独自開発を許さないためにも必要な措置だったと考えられる。当然、米国の原発技術提供の裏にはいろいろな密約が隠されていても不思議ではない。

ご存知のように日本では1960年代から続々,原発の建造が始まったが,この段階ですでに原発はさまざまな問題:負の遺産を生みだしていた。
 そして,田中角栄首相が登場(1972年7月)すると,原子力政策は決定的な変質をする。「日本列島改造論」の一翼を担う形で実施された電源三法〔電源開発促進法,電源開発促進対策特別会計法,発電用施設周辺地域整備法〕は過疎地への原発の誘致が完全に利権として定着するきっかけを作ったのである。
 自民党衆議院議員河野太郎は,現在、脱原発を明言する数少ない政治家の1人であるが,「自民党の原発関係の勉強会や部会には,原発を誘致した地元の議員しか来ていないため,エネルギー政策の議論をついぞしたことがない」と語っている。要するに,日本の原子力政策は,エネルギー政策という表の顔のほか,地元への利益誘導や過疎地への再分配政策という裏の顔を併せもつかたちで,今日まで推進されてきたのである。

米国に従属している日本の実態
 

2011年5月16日の『朝日新聞』朝刊(1面と3面の連続記事「米首脳『無策なら強制退去』」)には,東電福島第1原発事故が発生した際,アメリカのオバマ大統領がこの事故に対する日本政府の対応の遅れにいらだち,「日本政府がこのまま原発事故の対応策をとらずにいるならば,アメリカ人=8万人の米軍を強制退去させる可能性がある」と通告していた。また、横田基地、横須賀基地維持のために浜岡原発を止めるように管直人総理に圧力をかけたという話もあるが、兎に角興味深い記事である。
ところで、福島第一原発の周囲20キロ圏を、住民でさえ立ち入れない完全封鎖区域(「警戒区域」)にするという国民の財産権の侵害(憲法29条違反)を政府は公然と強行したのか。大前研一氏がブログで書いているように大事故を起こした福島第一原発の敷地をこのあとこのまま、全国の原発から出る放射性廃棄物の中間処理場という名の最終処分場にするという密かな決断をしている可能性も十分考えられるところである。 
 青森県の六カ所村のプルサーマル運転によるプルトニウムと使用済み核燃料を5000トン貯蔵できるはずの「中間貯蔵施設」の計画も、その真実は高レベル放射性廃棄物の最終処分場であったが、この計画もプルトニウムの再処理工場の稼働が、相次ぐ事故で、遂にこの2月に頓挫が決定している。

もし、密かにそういう意図を持っているとしたら、これから何も知らされていない福島県民にどういう説明を現政権の方々はするつもりなのだろうか。



もう一度、ここで確認しておこう。もともと米国が日本の原発設置を推進したのは、原発を売り込み、冷戦構造の中に日本を組み込むためだった。

ところがスリーマイル島事故以来、アメリカは新しい原発を作っていない。気がつくと「原発後進国」になってしまっている。しかし、事故処理と廃炉技術では国際競争力がある。

福島原発の事故処理ではフランスの「アレバ」にいいところをさらわれてしまい、米国は地団駄踏んだ。だから、米国は、おそらく日本に向かってこんな通告をしてきたのではないか。「あなたがた日本は原発を適切にコントロールできないという組織的無能を全世界に露呈した。周辺国に多大の迷惑をかけた以上、日本が原子力発電を続けることは国際世論が許さぬ」と。表だって、この指摘に日本政府は反論できない。それに浜岡原発で事故が起きると、アメリカの西太平洋戦略の要衝である横須賀の第七艦隊司令部の機能に障害が出る。それは米国にとって絶対に許されないことである。

驚いたことに、菅首相の浜岡原発操業中止要請を中部電力が承諾した時点から、ほとんどすべての新聞の社説は(週刊誌を含めて)、ほぼ一斉に「脱原発」の論調に変わっていった。
福島原発において日本の原子力行政の不備と、危機管理の瑕疵が露呈してからあとも、政府も霞ヶ関も財界も、「福島は例外的事例であり、福島以外の原発は十分に安全基準を満たしており、これからも原発は堅持する」という立場を貫いており、メディアの多くもそれに追随していたはずだ。

よほど強い圧力が働いたとしか考えられない。考えてみれば、日本が脱原発に舵を切り替えることで、米国はきわめて大きな利益を得る。


(1) 第七艦隊の司令部である、横須賀基地の軍事的安全性が保証される。

(2) スリーマイル島事件以来30年間原発の新規開設をしていないせいで、原発技術において日本とフランスに大きな後れをとったアメリカの「原発企業」は最大の競争相手日本を市場から退場させることができる。

(3)もし、54基の原発を日本が順次廃炉にしてゆく政策をとれば、巨大な「廃炉ビジネス」需要が発生する。廃炉技術において国際競争力をもつアメリカの「原発企業」にとってビッグなビジネスチャンスである。



                                                                                                                             

 

 

 

 

 

おそらく、2011年3月11日は、1945年8月15日に匹敵する位、いやそれ以上の歴史的転換点であったことが、後日はっきりするのではないでしょうか。
  
 確かに3月11日まで、国、地方の財政赤字のの問題、そのための行政改革=公務員改革そう言った(減税もそのベクトルで言われていました)この十年来、日本の政治を賑わしたテーマは、この大災害を受けて完全に過去のものになってしまったと言っても過言ではありません。
 
 震災復興のための巨額の有効需要が数万人余もの寡黙な東北の人々の犠牲の上に創出された今、平時における「財政調整」はもはや全く意味のない状況になっていると言えましょう。
 
 この機に及んでまだ、復興のための消費税等の増税を唱えている官僚や政治家は、日本で何が起きているのか全くわかっていないのではないでしょうか。
 今こそ、国家非常事態にあたり、日本が世界一の債権大国であることを最大限活用する時であります。
 
 特に小泉純一郎氏によって顕著になった「テレビ型劇場政治」の展開が続く中で “本当の価値”、簡単な言葉でいうと生死にかかわる選択の問題は、戦後日本政治の中で明らかに後退していきました。そしてこれまた平たい言葉でいえば「趣味の問題」(=直感的、直情的、非論理的、扇動的)として政治が、選挙が推し進められてきました。
 
 「劇場政治」のマスコミによる大衆心理操作のようなものが川上から徐々に地方政治という川下へと流用されていく中でこの傾向はますます強くなり、そもそもそうした選択を迫る人物そのものに対する表面的な「好き」「嫌い」が、擬似ではあっても“価値”の選択そのものと勘違いされるようになってしまいました。
 
 考えるに、冷戦によってもたらされたあまりにも「幸福な時代」=「本質的に物事を考えることが必要とされない時代」の大団円がこの震災であったことを我々は、これから知ることになるのではないでしょうか。
 
 ところで、現実に平時であれば、曲がりなりにも機能していたかに見えた日本の政治家、官僚、財界の経営者がここまでの無能さをさらけ出しているのは何を意味しているのでしょうか。
  戦後の右肩上がりの「慣性の法則で生きられるような時代」が終わってしまったことを意味しているのではないかと私は考えます。


 その意味で私たち、日本人は、前例のない時代を切り拓いていく転換点に今、立たされているのではないでしょうか。

 ともかく、東日本大震災、福島原発の事故、この二つの災いが、これからの日本を変えていく大きな節目になっていくと私は確信しております。またもそうならなければ、21世紀の日本の未来を切り拓くことはできないと考えます。

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