戦後を代表する評論家である江藤淳氏には、「閉ざされた言語空間~占領軍の検閲と戦後日本」という名著がある。江藤氏は昭和54年、ワシントンに9か月間滞在し、3つの図書館で一次資料を精力的に調べ、米国による日本占領前(周到な計画)、占領後(実行)の検閲の実態を明らかにした。そしてGHQは、その計画通りに終戦後、約8000人近くもの英語の話せる日本人を雇用し、彼らを使い、秘密裏に日本のメディアに対する徹底した「検閲」を行った。江藤氏がこのような調査をおこなったのは、戦後30年以上経過した昭和54年当時においても占領期と同じことが日本社会で起きているという一種不思議な感覚を拭い去ることができなかったからだとも書いている。おそらく、これは鋭い作家の直感だったのだろう。「北朝鮮外交の真実」という本の著者でもある元外交官原田武夫氏は、この件について下記のように書いている。
「米国は日本独立後も引き続き、日本メディアを監視し続けている。しかも、その主たる部隊の一つは神奈川県・座間市にあり、そこで現実に77名もの「日本人」が米国のインテリジェンス・コミュニティーのために働き続けているのである。そして驚くべきことに、彼らの給料を「在日米軍に対する思いやり予算」という形で支払っているのは、私たち日本人なのだ。「監視」しているということは、同時にインテリジェンス・サイクルの出口、すなわち「非公然活動」も展開されていることを意味する。」
つまり、江藤淳氏の直感は正しかったのである。彼も文庫本あとがきに「文庫に収めるにあたって、テクストの改変は一切行わなかった。米占領軍の検閲に端を発する日本のジャーナリズムの隠微な自己検閲システムは、不思議なことに平成改元以来再び勢いを得始め、次第にまた猛威をふるいつつあるように見える」と書いている。一例を上げるなら、昨年11月には、トランプ大統領が米国大統領として初めて治外法権である在日米軍基地経由で日本に入国するという異例のパフォーマンスをしてきた。たしかに米国大統領は米軍の最高司令官なので、日米地位協定に規定される軍人と見なすことは、可能だが随行してくる国務省の職員は民間人なので、本当は米軍基地経由で日本に入国することは、厳密に言えば、地位協定上、問題があるはずなのである。しかしながら、このことを指摘する日本の大手メディアは一つもなかった。逆に評論家の池田信夫氏は、トランプ大統領が横田基地から日本に入国したのは、米軍は在日米軍基地から自由に出撃できると北朝鮮に見せることだと解説しているほどだ。しかしながら歴史はそれとは違う方向に動き、この5月には、歴史的な米朝首脳会談が行われることになっている。韓国の一存だけでこのようなことが進むはずはないのでトランプ周辺が動いていたことは間違いないだろう。その後、このことは、日本テレビの取材でも裏付けられている。ところで平成20年には、江藤氏の上記の著書を引き継ぐような大阪大学名誉教授松田武氏の「戦後日本におけるアメリカのソフトパワー~半永久的依存の起源~」という本も出版され、詳細に日本社会の言論状況を分析。アメリカ合衆国のソフトパワーは、戦後日本のエリート知識人を精神的にアメリカに依存する弱々しい人間にしてしまったように思われると結論している。現在、朝鮮半島情勢、イスラエルをめぐる中東情勢、英国のEU離脱によるヨーロッパ情勢、トランプ登場による米国の内部分裂、日本を取り巻く情勢が大きく変わろうとするなかで日本も「閉ざされた言語空間」の扉を、勇気をもって開く時を迎えている。