「10年後にまた来て見てくれ惨禍に見舞われた日本人の不屈の精神」
                                                                                                                      2011.03.29(Tue)  The Economist
                                                                                                                (英エコノミスト誌 2011年3月26日号)

英雄的な国民の精神、しかし脆弱な政府――。

 気仙沼港が水浸しになって燃えさかる遺体安置所と化してから9日経った日曜の早朝、人々は仕事に戻ろうとしていた。
 精神科の看護師は、病院に向かう幹線道路を見つけようとして、ぬかるみの中を自転車を押していた。ところが、道は見つからない。道路は、黒焦げの住宅の骨組みや中身が飛び散った商店、1キロ近く内陸に打ち上げられた全焼した船などの瓦礫の山の下に埋もれているのだ。
 変形した建物の中から、商店主のモギ・カンイチさんが笑みを浮かべ、パソコンを抱えて出てきた。「俺の仕事用のパソコンだ! 見つけたぞ!」と彼は叫んだ。
 病院に向かう途中では、作業着姿の男性5人が造船所の瓦礫をウインチで巻き上げている。ここでは、ホタテ漁用のアルミ製小型モーターボートを年間50艘製造していた。現場の主任は静かな口調で、ボートは流線形のデザインで、燃費が良く、再利用が可能だと自慢する。
 しかし、ボートはすべて流されてしまった。その代わり、造船所の前には錆びたトロール漁船が横転しており、作業員たちはそれを雑種犬を見るような目で眺めている。漁船は津波が来る前には、湾のはるか向こうに浮かんでいたものだ。

地震、津波、火災に襲われた町
 
 気仙沼は、3月11日に津波に襲われた東北地方沿岸部に位置している。この災害では、少なくとも2万5600人が死亡または行方不明となっている。気仙沼で確認された死者は約1000人で、近隣の大船渡と陸前高田よりはましだ。だが、気仙沼は3重の災難に見舞われた。地震と津波の後、漁船の燃料に火がつき、港は4日間にわたって燃え続けたのだ。
 数知れない遺体が灰に埋もれている。その中には日本で名高いフカヒレ加工工場で働いていた中国人も含まれていた。津波は町の位置を変え、黒こげの船体の下の泥には、真珠の首飾りが埋もれている。
 しかし、人々がどれほどの混乱状態にあろうとも、意気消沈している人は少ない。町には、復活に向けた気力がみなぎっている。
 津波が精神科の病院へ押し寄せた時、3階まで届いた洪水から逃げるため、職員は250人の患者を屋根まで駆け上がらせた。患者さえパニックにはならなかったと、冒頭の看護師は話す。日曜日、彼女が職場にたどり着くと、間もなく男性の理髪師が病院を訪れ、患者の散髪を申し出てきた。
 住民たちの公共心を映すスナップ写真は、これだけではない。6時間かけて気仙沼の残骸の中を歩くと、行く先々で、人々が挑むように破壊された生活を立て直そうとしている光景が見られた。
 彼らは世界が日本に示した連帯感に対する謝意を口にした。また、自分たちの不屈の精神が認められたことを誇りに思っている。「10年経ったら、また来て見てくれ」というのが、繰り返し聞かれた言葉だ。

惨状から抜け出す道のりは困難
 
 それでも、この惨状から抜け出す道のりは、恐ろしく困難なものになるだろう。数百キロにわたって広がる鉄とコンクリートの残骸を掘り起こすのに何カ月もかかることだけがその理由ではない。また、これほど危険な沿岸部に町を建て直すべきかどうか、いかにして建て直すのかを決める困難も、この際おいておこう。
 行く手が困難なのは、独自のやり方に凝り固まって、聖書に出てくるような規模の緊急事態は言うまでもなく、徐々に進行する変化にも適応できない日本の政治システムのせいでもある。あまりに多くの場合、日本人の恭順の裏には、抗議活動や社会的対立を恐れずに失態を重ねていける体制がある。
 気仙沼で、これを見落とすことはまずない。ある家の屋根の上では、男性2人が、津波で屋根に乗っかったままになっている自分たちの小さな船をいじっていた。船外機の燃料を抜き取って車に入れ、食料を探しに出かけようとしていたのだ。
 というのも、今度は概して人災と言える新たな災害が沿岸部の社会を襲ったからだ。深刻な燃料不足(このため食料と暖房も不足している)が、すべてを失った26万人の避難民だけでなく、家は無事だった人々の窮状をも悪化させているのだ。
 このため、気仙沼の避難所で暮らす被災者たちは、ご飯と温かいスープしか食べていない。赤十字の職員によれば、スープを求めて並ぶ列は「食料難民」で膨れ上がっているという。店が品切れのため、家は残っていても食べ物がない人々だ。
 この問題には、困惑せざるを得ない。東京から気仙沼まで17時間かけて走った道中、ほぼすべてのガソリンスタンドで、車が長蛇の列を作っていた。被災地から何百キロも離れた地域のレストランや店舗も閉まっていた。
 ガソリンスタンドのスタッフは、燃料は津波に襲われた沿岸部に回されていると話していた。だが、気仙沼では、丸1日待った末に20リットルだけ支給された人もいた。

滞った救援物資
 
 この点については、官僚組織の柔軟性のなさに責任の一端がある。津波が起きて間もなく、全国的なコーヒーチェーンの元経営者で、野党の参議院議員である松田公太氏は、4トンの大型トラックに乗って、自身の選挙区である宮城県(気仙沼も同県内にある)に向かった。途中、緊急車両以外に閉鎖されていた幹線道路を通る許可証を得るために、当局と戦わねばならなかったという。
 目的地には食料がたくさんあったが、それを最も大きな被害を受けた被災地に運ぶ手段が見つからなかったと松田氏は言う。
 その後、松田氏は友人のヘリコプターを使って食料や医薬品、携帯電話の充電器を宮城県に空輸したが、着陸許可が下りなかった。そこで、地上1メートルのところでホバリングして物資を投下できないか聞いた。ここでもまた、規則違反になると言われたという。
 燃料の流通を所管する経済産業省は、燃料危機の原因をいくつも挙げる。災害対策のために民間部門から呼び戻されたカドノ・ナリオ氏は、被災地の主な製油所に加え、東京近郊の5つの製油所が損傷を受けたと指摘する。そのうち3つが依然、休止したままだ。
 北に向かう貨物列車は1週間にわたってサービスが停止された。供給に関する不安が高まるに従い、ガソリンの買い占めも起きた。カドノ氏によれば、経産省の職員は24時間体制で働き、節電のために照明が消された暗いオフィスで仮眠を取っているという。
 しかし、同氏は、日本各地で精製を増やしたために、全体的な燃料供給量は決して不足していないと言う。となると、燃料を求めてできた長蛇の列はなおのこと奇妙に思える。
 問題の一端は、石油会社に70日分の石油備蓄を義務づける法律にある。この備蓄量を45日分に引き下げるのに、10日かかった。経産省としては、企業に備蓄放出を促す「行政指導」しか行えない。放出を指示できないのだ。また、経産省は、北に向かうがらがらの高速道路を使ってタンクローリーを派遣するのも遅かった。

早期に非常事態宣言を出すべきだった
 
 前出の松田氏は、政府は危機の初期段階で、災害支援を混乱させるつまらない規制を無効にする非常事態宣言を行うべきだったと言う。だが、今でも、沿岸部の物資不足の度合いを認識している政治家は少ないと指摘する。
 これは、東京にとって最も重大な問題に固執する全国メディアで沿岸部の物資不足が十分報道されていないことが理由の1つかもしれない。先日、経産省が議員たちに対して、燃料不足の問題に対応していると説明した時、全員が黙って肯いたと、松田氏は言う
松田氏はさらに、日本の統治が「垂直構造」であるために、強力なリーダーシップがことさら重要になると指摘する。菅直人首相はこれを発揮していない。もっとも、それは完全に首相の落ち度というわけではない。何しろ菅政権は2週間で、大方の政権が任期中に直面する以上の大惨事に見舞われていた。
 当初から、関心の大部分は、東京から240キロ離れた福島第一原発から漏れ出す放射能の制御に向けられていた。原発を所有する東京電力が、被災した原子炉6基すべてに電源を復旧した後も、放射能漏れは続いた。
 菅首相は、ヒステリックな反応を抑える努力もしている。3月23日には、東京の水道局で乳児に悪影響を及ぼすと考えられる量の放射性ヨウ素が検出されたことを受けて、ヒステリーが再び起きる恐れが生じた(もっとも日本の基準は非常に厳しい)。
 現在、東京の店ではペットボトル入り飲料水が不足している。また、これは原発近辺で取れた牛乳、野菜、海産物の安全性に関する不安を増大させた。
 日本人は食の安全性にうるさいが、政府が安全を確約した後は平静さを保っている。東京で働く人たちは昼食時に、野菜と海老の天ぷらを食べている。
 しかし3月23日、米国は他国に先駆けて、原発周辺で生産された食品の輸入を停止した。これが初めてのケースではないが、米国は日本人よりも安全性の保証を信用していないように見える。他国も米国に追随した。
 原発危機が進展する中で、昔ながらの勇敢な行為が国民のムードを盛り上げた。消防士と東電の職員は、過熱した核燃料棒を冷やすための放水を続け、電力供給を復旧するために、高い放射線量に何度もさらされる危険に立ち向かうことを志願した。
 福島原発の近くの避難所に取り残されていた多くの市民は、何日も助けを求め続けた末に、バスに乗って東京に避難した。今のところ低水準とはいえ、継続的な放射能漏れを考えると、もう二度と自宅に戻れないのではないかと心配している人もいる。

危機に追いつけ
 
 政府にとっては、危機の先を行くことが課題だ。これまでのところ、政府は常に、事態の展開に1日か2日後れを取っているように見えた。さらに言えば、企業などの専門家が参画し、災害のすべての分野でリーダーシップを感じさせる危機対策チームを結成できていない。
問題の一端は、野党のあくどい強硬姿勢にある。挙国一致内閣を野党に呼びかけた菅首相の申し入れは、拒絶されている。一方、野党は今も新年度の予算案を巡って点数稼ぎをしている。災害支援のためにもっと多額の資金が必要になるにもかかわらず、予算の財源を確保する法律の制定が障害に見舞われている。
 仮に当局がもっと確かに危機を掌握したにせよ、短期的な問題は途方もなく大きい。燃料不足と輪番停電は既に、工業生産を損なっている。大手銀行のモルガン・スタンレーは、国内総生産(GDP)は4月から6月にかけて、少なくとも年率換算で6%減少すると見ている。
 日本の工業生産の1割を占める自動車産業は、重要なマイクロコントローラーを作る工場が災害で破壊されたこともあって、生産が滞った。ジャスト・イン・タイム方式の在庫システムを開発したトヨタ自動車は、部品や樹脂の不足のために、国内工場を一時休止した。
 輪番停電も、お粗末な計画だったことが露呈した。ある大手化学会社のトップは、ほんの数時間電力が止まっただけで、1日中工場を停止せざるを得ないことがあると言う。1度停止すると、機械を再調整するのに何時間もかかるのだという。

復興に向けた静かな自信
 
 それでも、ビジネスマンの間では、日本の復興に向けた静かな自信が強まっている。大手銀行のUBSは、失われる恐れのある原子力発電を補うために省エネ技術を見つけることが、日本に新たな創造的使命を与えると予想している。
 そして、気仙沼でも、ダイヤモンドのように強固な商魂が再び芽生えている。家と店を失った若い雑貨店主は、ピックアップトラックを使って露天を始めた。1週間以上も生鮮食品なしで暮らしていた人々に果物を売る商売は賑わっていた。
 彼の顔に浮かぶ笑みには、見覚えがあった。ほんの数時間前に、ぺちゃんこになった家から顧客情報がすべて入った大事なパソコンを救い出したモギさんだったのだ。「ガンバリマス」と彼は言った。最善を尽くすという意味である。
 

政治のシステムを変えて元気な愛知、東三河、豊橋を創り上げて被災地を助けるのが、我々の責務である。

 大変な事態が進行しているようである。愛知県豊橋市の中高年の女性からも政府の原子力発電所の事故発表はどうも信用できないという声が上がり始めている。

親戚や知人からいろいろな生の情報がもたらされているせいだろう。

 被災者、退避者たちが、避難所から避難所へ、そして、親戚の家に引き取られている。特に、福島県民は、原発事故の退避(避難)で、何も発言できないまま、福島第一原発から、10キロ圏の双葉町は、埼玉県の加須市に移され、大熊町は、会津若松市に移されている。楢葉町と、浪江町、広野町も、行政機能ともども、仮設住宅の建設とともに、どんどん、散り散りバラバラになりつつある。

 そんななか、菅政権の今回の福島原発の対応に対して重大な疑惑が浮かび上がっている。今回は。その一つを紹介する。

  政府は国民の生命と健康を守るために、万が一にも被害が発生しないように行動する責任を負っていることを肝に銘じて行動してもらいたい。

 愛知県を元気にして被災者、被災地を助けるんだという気概が今、求められている。

*FACT 2011年 4月号より

「菅の大罪「福島原発」判断ミス」

 東電は早くから「スリーマイル以上、チェルノブイリ未満」と報告していたが、100キロ圏内を見殺しにしたのか。

 千年に一度と言われるマグニチュード9.0の「東北関東大震災」は、深く大きな傷を日本列島に残した。しかしこれを「天災」と諦めることはできない。地震、津波の被害は天災と言えるかもしれないが、東京電力福島第一原発1~4号機の爆発または損傷と放射能の拡散は「人災」以外の何物でもない。菅直人首相と官邸スタッフ、そして民主党内閣は、東電から再三の報告があったにもかかわらず、実態を隠蔽し、住民の避難を遅らせて、最小限に防ぎえた被害を拡大させた疑いが浮上している。

100キロ圏内は避難必要

 地震発生から3日目、計画停電初日の3月14日午後、電力ウォッチャーが声を潜めてささやいた。

 「チェルノブイリまでは行かないだろうが、スリーマイル島以上に深刻な状態になっているんだ」

 言うまでもなく、前者は1986年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発で起きた事故で、黒鉛炉が炉心溶融(メルトダウン)の後、爆発した。この結果、広島に投下された原爆約500発分の放射性物質が、旧ソ連領ばかりか全北半球に拡散した。被曝などこの事故に原因するとされる死者は、数百人から数十万人までと諸説あるが、史上最悪の原発事故と言われる。

 一方、後者はこれに先立つこと7年前の79年3月28日、米国ペンシルベニア州スリーマイル島原発で発生した事故である。イオン交換樹脂の再生作業中、安全弁が開きっぱなしになり、500トンの冷却水が流出した。このため周辺住民は大規模な避難を余儀なくされた。

 国際原子力機関(IAEA)の8段階の深刻度レベルで、チェルノブイリが7、スリーマイルが5だから、日本が当初、福島を4と発表したのは、明らかに過小だった。

 このウォッチャーが、原発のプロとも言える電力会社OBに聞いたのは12日である。同日午後3時36分、福島第一原発1号機で水素爆発が発生し、建屋が吹っ飛び、東電社員2人と協力企業従業員2人が負傷。炉心溶融の可能性が高いと報じられたからだ。大震災発生以来、日本が、そして世界が危惧していた被災地の原発事故が遂に発生して、その事態が何を意味するかを聞いたのだが、予想以上に深刻な事態(Severe Accident原子力関係者の用語では「過酷事故」と呼ぶ)になっているとの回答が返ってきたのだという。

 IAEAの尺度で7と5の間、つまり6とは、要するに、大規模な住民避難以上の事態は不可避だが、数百人から数十万人という規模の死者には至らない、という意味になる。

 背中が凍りついた。やっぱり、そういうことか。一瞬、13日に計画停電を発表した枝野幸男官房長官の無表情と、対照的になにかに追い立てられるような東電の会見が頭の中で交叉した ― 官邸と東電は連携できているのだろうか。

 ちょうどその時、携帯が鳴った。15日に会食の約束をしていた東電に近い関係者からである。耳にしたばかりの「スリーマイル島以上、チェルノブイリ未満」のココロを聞いた。驚いたことに、この関係者はあっさり事態を認めた。

「その通りです。福島第一原発は極めて危険です。すでに制御不能状態にあります。周辺の住民はすぐに100キロ圏内立ち入り禁止にしなければならないような状態です」

 耳を疑った。菅首相や枝野官房長官はそんな危険な状態であることを一言でも漏らしたろうか。100キロ圏内の住民に避難勧告をしていただろうか。

「その情報は官邸にあがっているんですか?」

「過去に原発事故を起こし、糾弾を受けた東電は、データを隠すことなどできないガラス張りになっています。情報はすべて官邸にあげています」

 帰宅の道すがら、旧知の民主党閣僚、議員にメールを打ちまくった。

「真偽はとにかく、福島原発はスリーマイル島以上との情報あり。外れなら幸い、大規模な避難を実施しなければ民主党は償いきれぬ罪を負います」

「福島原発事故の真相を一刻も早く明らかにし、直ちに避難を進めないと民主党は国賊、未来永劫償っても償いきれぬ罪を負う。信頼できる消息筋からの情報」民主党閣僚、議員からは何の返信もなかった。自宅でテレビをつけても、どの番組でも福島第一原発がすでにコントロール不能の深刻な状態にある、という報道はなかった。

 深夜に何かあったらいけないと思い、節電の呼びかけもものかは、テレビをつけっぱなしで寝ていたところ、15日午前8時過ぎ、NHKのアナウンサーが深刻な表情で「福島第一原発2号機から午前6時14分に爆発音がした」と伝えた。周辺に最大400ミリシーベルトという高濃度の放射性物質が漏れ出したと指摘され、4号機の火災や2号機で格納容器が破損した可能性など、一気に事態が拡大した。政府は避難を指示していた範囲を周辺20キロから10キロ拡大して、30キロ圏内の住民に屋内退避を呼び掛けた。

 まさにスリーマイルを超えたのだ。運転停止中だった4~6号機の使用済み核燃料も貯蔵プールの温度が上昇、原発から遠く離れている東京、横浜でも通常以上の放射線値が記録される。在日中国人は一時帰国のために航空券を買い漁り、15日以降の中国路線は連日満席となった。

東電本社で怒鳴り散らす

 

 菅首相は号外が発行される前後の15日午前、東電本社(東京・内幸町)を訪ね、福島第一原発の爆発事故の連絡が遅れたと怒鳴りちらした。「一体どうなっているんだ。テレビで爆発が放映されているのに、首相官邸には1時間くらい連絡がなかった」

 そして新聞やテレビの記者を前に「東電の撤退などあり得ない。覚悟を決めてほしい。撤退したときには東電は100%つぶれる」と、大見得を切ったという。東電に近い関係者の情報が事実なら、菅首相は福島第一原発が制御不能な状態との報告を受けていながら、何の措置を取ろうともせず、事故が起きてから東電本社に乗り込んでカメラの前でパフォーマンスを演じたことになる。

 これが「政治主導」なのか。

「官邸には発表するタイミングもあることでしょうから、隠蔽という表現が適切かどうかわかりません。しかし、東電は計画停電にせよ、避難にせよ、すべて官邸におうかがいを立てるだけです。原発事故という国を揺るがす大事故すら、官邸はショー化して自らの人気取りにしようとしているとしか思えません」

 東電に近い関係者は、力なくこう悟った。福島第一原発の爆発が近いという重大情報を入手していながら、これを故意、もしくは無作為に放置して、避難命令を遅らせた菅内閣、官邸は国民を見殺しにしたに等しい。不幸にして被曝による犠牲者が出た場合、千古の罪人として菅首相は償っても償いきれまい。東電も対処を誤った責任は免れないが、政府はすべてを東電に押しつけて済まそうとしている。世界を実撼させた原発事故に彼らがどんな報道管制を敷いたのか、復興支援の一方で激しく追求しなければならない。

  3月11日に発生しました東北地方太平洋沖地震により、多くの命が失われことに対し、深くお悔やみを申し上げますとともに、心よりお見舞い申し上げます。

一人でも多くの方の命が救われるよう、併せて被災に遭われた方々が元の生活を取り戻せるよう、一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。
                                                     山本 正樹
     
  <東日本大震災の安否確認・緊急募金・ライフラインなどの情報>

◆【総合】毎日jp【安否・ライフライン・交通リンク集】
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110311lifeline/

◆【総合】Yahoo!地震・津波災害に関する情報
http://weather.yahoo.co.jp/weather/2011sanrikuoki_eq.html

◆最新の災害情報 – Yahoo!災害情報
http://rd.yahoo.co.jp/media/rescure/2011sanrikuoki_eq1/?http://rescue.yahoo.co.jp/

◆鉄道運行情報 – ナビタイム
http://www.navitime.co.jp/train/

◆道路情報
http://www.jartic.or.jp/index.html

◆飛行機運行情報
JAL http://www.jal.co.jp/
ANA http://www.ana.co.jp/

◆消息情報(Person Finder)
http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja

◆風向きの情報- 気象庁 | アメダス実況(風向・風速)
http://tenki.jp/amedas/?amedas_type=wind

◆避難所情報 – Google
http://www.google.com/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_shelter.html

~いっそう厳しさを増す日本の政治と経済への視線~

*ダイモンドオンライン3月14日号より

 地震大国・日本――。大津波を引き起こし東北沿岸に甚大な被害をもたらした東日本巨大地震は、そのリスクを世界にあらためて認識させた。
 日本時間3月11日金曜日午後の地震発生以降、世界の主要メディアは先を争って緊急特番を放送。東日本大震災は、それまでヘッドラインを独占していた中東・北アフリカの政情不安関連のニュースに代わって、連日トップで大きく報じられ、さらにそのニュース映像がユーチューブなどの動画投稿サイトを通じて世界中にばら撒かれた。

 東京電力福島第1原子力発電所1号機のメルトダウン(炉心溶融)の可能性が日本国内で伝えられた12日、特に同1号機建屋で爆発があった夕方以降は、海外メディアの報道の中心はこの問題に大きくシフト。CNNなど複数のメディアでは、専門家を招いて、旧ソ連時代の1986年に起きた史上最悪の原発事故であるチェルノブイリ原発事故との比較検証を繰り返し行っている。
 ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなど米有力紙の電子版のトップページも、福島原発事故関連の記事で埋め尽くされた。日本企業の原発の海外輸出戦略にネガティブな影響を与えるのは必定だ。
 今回の巨大地震に際しては、一部の速報メディアが当初、大きな地震が東京を襲ったことを急ぎ報じ、それがソーシャルメディアで拡散されたこともあってか、東京が甚大な被害を受けたとの誤解も国外の一部では飛び交ったようだ。ダイヤモンド・オンライン編集部にも地震発生からしばらくすると、海外の複数の寄稿者から、安否確認とともに、東京の被害状況ばかりを尋ねるメールが多数飛び込んだ。しかし、すぐさま震源地などに関する詳細な情報が海外に伝わったことで、市場の大きな混乱にはつながらなかったようだ。
 海外メディアはその後も地震・津波による被害状況や原発事故関連のニュースを繰り返し報じているが、それとともに、日本経済やマーケットへの影響などについて、震災報道に追われる日本のメディア以上に、さまざまな分析報道を浴びせかけている。
 投資家向けの有力メディアとして知られるブルームバーグは、リーマンショックを予測したことで知られるニューヨーク大学のヌリエル・ルービニ教授とのインタビューを掲載。「日本にとって、財政赤字削減に苦しんでいる最悪の時期に巨大地震が発生した」との同教授の見方を伝えている。

 ルービニ教授は、資産が破壊されたことを考えれば、株式市場にも確実にネガティブであり、消費者心理にも大きな(マイナスの)影響を与えると語ったほか、景気回復のために大規模な景気刺激策が必要との見方を示唆した。

 一方、ロイター通信では、企業や投資家が外国資産を売却し資金を日本国内に還流させるリパトリエーションが起こるとの観測から円高の進展を予測する識者の声を複数掲載している。
 確かに、円は1995年に発生した阪神・淡路大震災後の3カ月間で対ドルで約20%上昇している。米著名投資家デニス・ガートマン氏は、円が数日から数週間以内に1ドル=75円に上昇する可能性もあるとロイター通信に語っている。実際、11日の円相場は地震発生直後こそ円安に振れたが、そのあとは主要通貨すべてに対して上昇している。


 もっとも、円高がガートマン氏の予想レベルまでさらに一段と進むかは、海外識者の見方も分かれている。そもそも日米貿易戦争の真っ最中だった1990年代半ば当時とは、政治的な背景事情が違う。むしろ、企業の生産拠点へのダメージが明らかになり、操業停止が長期化したりすれば、日本経済の減速懸念が高まり、逆に円安に振れやすくなるとの論調も多い。とはいえ、たとえ円安に振れたとしても、原発事故などに伴い電力供給不安まで現実化している経済活動の混乱状態を考えれば、株高の要因は見出しにくい。すでに海外ファンドの投機的な動きなどを背景に、先週末には先物も下落している。

 また、日本経済そのものの行く末についても、前述のルービニ教授だけでなく、今回の大震災を受けて、いっそう厳しい論調が増えている。

 英エコノミスト誌やフィナンシャル・タイムズ(FT)などの英国の有力メディアは、東北地方の生産額が日本のGDPに占める割合は8%程度であり、東日本大震災に伴う経済的損失は関西の巨大経済圏を直撃した阪神・淡路大震災に比べて小さいとの見方を示しているが、日本経済の中長期の見通しについてはまったく楽観していない。

 FTは3月11日の記事で、地震が経済に与える影響は当初想定よりも小さくなるものだとしながらも、日本経済が戦後最悪のリセッションから抜け出せるかどうかについて消費者や投資家の間に存在する疑いは、今回の大震災によって、さらに増すだろうと指摘している。
 FTも予想するように、短期的には首都圏を中心に買いだめ現象が広がることによる消費押し上げ効果や、復興に向けた建設需要の高まりが見込まれるが、いずれも一過性のものにすぎない。むしろ、復興費用の支出によって、日本の財政健全化の道のりがいっそう険しくなったことは間違いない。

 この未曽有の危機に際して、菅政権はリーダーシップを発揮できるのか?
海外のメディアはこの点にも大きく注目している。


 英ガーディアン紙の電子版は、「日本はリーダーシップが必要だ。しかしナオト・カンに実行できるのか」と題したコラムを掲載。今回の大震災前から日本を覆う問題――政治的脆弱性やリーダーシップの不在――に対して警鐘を鳴らしている。

「戦後65年間で最も厳しい危機」と菅首相が形容した未曾有の国難に際して、海外から支援の申し入れは相次ぐ。しかしそれとは別に、日本の政治と経済を見つめる海外の視線は、いっそう厳しく険しいものになりつつある。
(ダイヤモンド・オンライン編集部)

政治を根本から変えなければならない緊急の時を迎えている。今こそ、政治を庶民(市民、県民、国民)の手に取り戻さなければいけない。

                                                                                                                       2011年 2月11日
                                     
                     「地方から日本の政治の閉塞状況を打ち破る時代が来た!」

 2009年のある意味、歴史的「政権交代」によって民主党政権が誕生したが、ダッチロールを繰り返す民主党の政権運営によって、多くの国民は、深い失望感に包まれている。また、野党になった自民党も党再生の道筋を示せず、国民の期待を裏切っている残念な状況である。
 そんななか、注目すべきトリプル選挙が、この2月に愛知県で繰り拡げられた。
結果は、既存政党の惨敗であり、地域政党の大勝利であった。
 おそらく、これから、しばらく、地域政党ブームが続くのであろう。この動きが、単なる一過性のブームとして中央の政界再編等に巻き込まれる形で終わるのか、本当の意味で草の根の地域政党のネットワークとしてこれから、本当に日本の政治を変えていくのか、注目すべきであろう。
 既存政党が機能不全に陥っている現在、日本の政治の閉塞状況を打開するめにも、真に地方の時代を切り拓くためにも実りのある運動に育てていく気持ちが大切だと思われる。
 しかしながら、地域政党では、現在の制度では、国を動かすことは、できない。国会議員を出していくためには、先ずは5名以上の現職国会議員を集めて政党要件を満たすことが必須条件であると言っても過言ではない。しかし現在の地域政党には、まだ自力で国会議員を出す力がない。また挑戦しようにも地方では自民党や民主党などの既成政党の力が強く、まだ、簡単には動ける状況ではない。さらに新党大地の如く、ブロック政党も考えられるが、衆議院選挙のブロック比例区などで戦うにも政党要件が無いため、ブロック定員数の2割以上の候補者を立てなければならない。

  大きく地域政党をネットワーク化し、まとめ上げることのできる有意な人材が出てくるかどうかが、今後の大きなポイントだろう。

 *東愛知新聞(2月7日版)より
                    愛知県知事選に大村氏、圧勝で初当選


 任期満了に伴う県知事選が6日投開票され、減税日本推薦で無所属の前衆院議員・大村秀章氏(50)が初当選を果たした。圧勝だった。大村氏は、任期途中で名古屋市長を辞任して同市長選に再選出馬した河村たかし氏とタッグを組んで選挙戦に挑み、大票田・名古屋での河村人気に支えられて4人の対立候補を圧倒した。大村氏は「中京都」の創設や河村氏とともに減税を訴えて、戦いを終始リード。有利な選挙を展開した。終盤には、自民党県連推薦の元内閣府参事官補佐・重徳和彦(40)、また民主党など与党が推薦した元総務省官房審議官・御園慎一郎(57)両氏の追撃を受けたが、政権与党への逆風や自民勢力の分裂などに助けられ、勝利を手にした。投票率は52.52%だった。
(本多亮)


 現職の神田真秋知事が4選出馬を辞退したことから、今回の知事選には大村、重徳、御園の3氏とみんなの党の医師・薬師寺道代(46)、共産党推薦の医師・土井敏彦(64)の新人5人が出馬した。
 名古屋市長選と同市議会の解散の是非を問う住民投票との「トリプル投票」で行われることが最大の特長となった知事選だった。
 大村氏は河村氏との「ムラ・ムラ連合」を、また御園氏は衆院議員を辞任して同市長選に出馬した石田芳弘氏、さらに土井氏は元参院議員の八田ひろ子氏とそれぞれタッグを組んで、市長選と住民投票との「トリプル投票選」に臨んだ。
 大村氏は、減税や議員報酬半減を訴える名古屋市長選の河村氏と二人三脚で街頭演説や自転車での街宣活動を展開。河村人気に支えられて名古屋での支持をまとめると同時に地元の西三河地域の支持も固めて圧勝した。
 重徳、御園の両氏は陣営の分裂・股裂きに苦しんだ。
 重徳氏は自民党県連の推薦を得たものの、大村氏が元々は自民党代議士で県連会長を務めた経緯もあり、自民勢力の股裂き状態の中で戦いに挑むことを余儀なくされた。自民党所属の国会議員らが重徳氏ではなく大村氏支援に愛知入りする場面も多く見られた。
 御園氏は民主の支援を受けたものの、名古屋市長選の河村氏が元々は民主出身だったことから民主支持層の分裂にあえいだ。選挙中、岡田克也・民主党幹事長や片山善博・総務相、蓮舫・行政刷新相らの閣僚の支援を得たものの、連合愛知の足並みもそろわず敗退した。
 薬師寺氏は昨年夏の参院選に続いてみんなの党の公認候補として出馬したが、昨夏に見られた同党の勢いはなかった。
 土井氏は無党派層への支持の広がりがなかった。
 知事選 最終得票数
 大村 秀章 無・新   1,502,571
 重徳 和彦 無・新     546,610
 御園慎一郎 無・新    487,896
 薬師寺道代 みんな・新  324,222
 土井 敏彦 無・新     141,320
          有効投票数   3,002,619  
                                                               (引用終わり)

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