2013年8月、小泉純一郎元総理は、原発の使用済み核燃料を10万年、地中深く保管して毒性を抜くという施設であるフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」を視察した。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ、想像を超えているのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。その思いから小泉元総理は、脱原発の決意を固めたとも言われている。小泉氏も指摘しているが、原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場で、2020年から一部で利用が始まる。その特殊なトイレを小泉氏は見学してきたわけだ。
今回は、原子力爆弾、核兵器の開発から始まる20世紀の原子力産業の歴史を簡単に振り返り、小泉氏が唱える脱原発について考えてみたい。
すべてはマンハッタン計画から始まった
英国の哲学者バートランド・ラッセルは、人類の歴史を近代へと進化させるのに貢献した偉業として、ダーウィンによる進化論、アインシュタインによる相対性理論と並んで、フロイトによる潜在意識の証明を挙げている。このアインシュタインの相対性理論が人類に原子力という魔法の力をもたらした。1938年12月、ドイツの小さな実験室で化学者オットー ハーンは、ウランの原子核に中性子を衝突させ、割れるはずのない原子核を分裂させることに成功した。これが「核分裂」だと最初に気づいたのは女流物理学者リーゼ・マイトナーだった。著名な物理学者フェルミはこの核分裂を連続的におこせば、莫大なエネルギーが取り出せるかもしれないと考えた。核分裂のさいに、2、3個の中性子が放出され、それが隣のウラン原子核に衝突し、次々と核分裂を起こす。核分裂の回数が多いほど放出するエネルギーも大きいので、「核分裂の連鎖 → 莫大なエネルギーが放出」と考えたのである。1942年12月2日、フェルミらは、シカゴ大学の粗末な原子炉で、核分裂を連鎖的におこすことに成功。歴史上初めて、人間の手によって原子の灯がともったのである。このささやかな実験が、広島と長崎に投下された原子爆弾の起源となった。一方、ハンガリー人の学者レオ シラードも、オットー ハーンの実験から、核分裂が原子爆弾につながることを予見。もし、ドイツが原子爆弾の製造に成功すれば、世界は破滅するかもしれない。そこで、有名なアインシュタイン博士の名を借りて、米国大統領ルーズベルトに、原子爆弾の開発を進言。ここから現在の貨幣価値で2兆円、当時の日本の一般会計の約35倍の約20億ドルを費やしたマンハッタン計画が1942年6月に始まり、この計画で製造された原子爆弾が広島と長崎に投下された。なんと1発1兆円の爆弾だったのである。さらに広島と長崎が受けた損害、失われた35万名の人命を考えれば、人類が被った被害は計り知れない。実際、このプロジェクトを統括したオッペンハイマーは「われは死神なり、世界の破壊者なり」というバガヴァッド・ギーターの言葉を残している。ここから、第二次世界大戦後の原子力の平和利用キャンペーンとともに原子力発電所の歴史が始まっていくことになる。
*東愛知新聞に投稿したものです。