先週の11月11日の日曜日、天皇皇后両陛下は滋賀県・大津市に行幸された。(この様子を小生はNHK総合テレビで見ていた。)琵琶湖で行われた「第27回全国豊かな海づくり大会」の式典にご臨席されるためである。



注目すべきは、天皇陛下はご挨拶の中で、自からが皇太子時代に米国から持ち帰った外来魚のブルーギルが琵琶湖の生態系を脅かしていることに触れ、「心を痛めています」と述べられた。「当初、食用魚としての期待が大きく、養殖が開始されましたが、今、このような結果になったことに心を痛めています」

そう語られた。このことの意味は大きい。

「何をそんな大袈裟な。自然科学者でもある天皇陛下が、その意味で純粋に心を痛められて発したにすぎないのでは?」と思われるかもしれない。しかし、決してそうは思えない。

確かに、象徴天皇制の下、天皇陛下は一切の「政治的発言」を行う権能を持たない。天皇陛下のみならず、皇族が全体として憲法学上、いわゆる「人権」の範疇外(市民ではない)とされ、日本の政治プロセスから隔離されるべきものとされてきた。天皇陛下が行うことができる国事行為は制限列挙であり、例外を許さない。

しかし、だからといって皇族の方々の行為が、事実上の政治的インパクトを与えないというのはむしろ逆であろう。事実上のインパクトをあまねく日本社会全体に与えるからこそ、天皇陛下と皇族の方々による行為はまさに「伝家の宝刀」であり、容易に抜かれるべきものではないとも言えるのである。

憲法は「社会統合のためのプログラム」であると読むルドルフ・スメント流の解釈をとった時、その一翼を現実に担うのが君主制なのだ。そのことを無視して憲法論を語ることはできず、また日本国の象徴としての地位(日本国憲法第1条)はまさにこの統合機能が具現化したものとしてみなされるべきものなのである。

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