福島原発事故から半年以上が経過した。



    振り返ってみれば、この事故が起こるまでは、電力会社からもマスコミからも、日本の技術は優秀だから原子力発電所は絶対に安全だというメッセージしか、私のような一般人には伝わらないようにされてきたような気がする。それはもちろん、「原子力村」とも言われる利益共同体の大きな意志、意図が働いてそうなったのだろう。

  私自身もエネルギー技術関連の知人がいて今までにいろいろなことを教えてくれたにもかかわらず、たとえば、「現在の原子炉の耐用年数は20年位しかない。」「日本の原子炉の設計の大半はGEで、本当に大切な技術は日本に公開されていない、つまり、ブラックボックスになっているので、大きな事故があったら、日本だけでは対応できないだろう。」

「人間がつくったもので、壊れないものがあるはずないだろう。」

とにかく、いろいろなことを言われたが、原発について真剣に考えることもなく日々を過ごしてきたというのが本当のところだ。

そう言えば、小学生の頃、東海村の原子力のPRフイルムを見せられた記憶がある。人類の輝かしい未来を切り開く新エネルギー:原子力の研究が私たちの日本でも行われているという原子力という技術によるバラ色の未来を宣伝するものだった。私の記憶に今でも生々しいのは、放射線を照射して突然変異の研究をしているというものだった。

  しかしながら、311以後、多くの方が、気がつき始めているが、現在の原子力技術は我々にバラ色の未来を約束するものではどうもなさそうだ。

また、今回の事故に対する政府、東電、マスコミの対応は、あまりにも不誠実であった。

 子供のことを心配するお母さん方や、わたしのような素人が原子力や放射線の本を読まなければならない時代を誰が想像しただろうか。 



今回は、この半年間読んだ本から気になったものをお忙しい方のために少しご紹介したい。



   まずは、「原爆ぶらぶら病」のことを教えてくれた「内部被曝の脅威」という本から紹介させていただく。福島県産の食品を積極的に食して被災者を支援していた芥川賞作家の柳 美里女史がぶらぶら病の症状を発症しているかもしれないというニュースから読んでいただきたい。 

 

芥川賞作家・柳美里さんに「原爆ぶらぶら病」の声も 

ライブドアニュース2011年09月09日12時00分

 

 芥川賞作家・柳美里さんがこのところ自身のツイッター上で体調の異変を訴えているが、福島県産の食べ物などを摂っていたことから、インターネット上では一部に食べ物が原因ではないかとの声も上がっている。 

 柳さんは「ふしぎだよね。福島に取材に行ったり、福島産の食べものを美味しいと言ったりすると、フォロワーが減る」と過去にツイートしており、「わたしは、食べますよ」と反論している。 

ただ自身の子供については、東日本産の疑いのある食材や水などは食べさせていないという。 

 体中に激痛が走るそうで、その原因を「たぶん同居男性の三叉神経痛が染ったんだと思う。拷問のような頭痛と吐き気。顔も痛い。目が押し出されそう」などと書いている。 

 こうした一連のツイートは7月下旬から始まって、現在も続いており、これらを見た一部ユーザーからは「原爆ぶらぶら病」ではないかという指摘もある。 

 ぶらぶら病とは、一度何らかの病気になると、人並みに働くことさえ困難となり、また重病化してしまうとされている。

それでは、本の一部を紹介させていただく。以下、引用抜粋。



「内部被爆の脅威」肥田舜太郎/鎌仲ひとみ著 

(ちくま新書 2005年6月10日発行)

 

被ばく者はアメリカのモルモット

 *48Pから

一九四九年、広島の比治山にアメリカのABCC(Atomic Bomb Casually Commission),

原爆傷害調査委員会)が開所した。被ばく者を集めて被ばくの診察、検査を行い、治療は一切行わず、死亡者は全身を解剖して全ての臓器をアメリカへ送って、放射線障害研究の資料とした。はじめは藁をつめた遺体が遺族に渡されたが、最後のころは親指だけになったと、労務者が憤慨して語っていた。

 敗戦直後に広島に入って調査、研究を行った京大医学部の「原爆傷害に関する報告第一~第四」は人体の脳と背中の燐が放射化し、骨髄の造血機能を傷害して、一定の潜伏期を経た後、死亡させるメカニズムを指摘したが、研究記録はすべて占領米軍に提供させられ、以後、日本の学会の調査、研究は禁止され、或いは制約を受けて、臨床の現場の医師には原爆放射線の傷害に関する情報は全く届かなかった。

 「ぶらぶら病」

*51pから

「ぶらぶら病」寝込むほどではないが、具合が悪い状態が続く病気。

 55pから~

二〇〇五年の今年、生き残っている約二十七万の披ばく者の多くは二つ、三つの病気を待ちながら、様々な不安や悩みを抱えて生き続けている。

 彼らの多くは披ばくの前は病気を知らず、健康優良児として表彰までされたのが、披ばく後はからだがすっかり変わり、病気がちで思うように働けず、少し働くとからだがだるくて根気が続かずに仕事を休みがちになった。医師に相談していろいろ検査を受けても、どこも異常がないと診断され、当時、よく使われたぶらぶら病の状態が続き、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶を持つものが少なくない。事実、「からだがこんなになったのは原爆のせい」とひそかに思いながら披ばくの事実を隠し続け、誰からも理解されずに社会の底辺で不本意な人生を歩いた被ばく者を私は何人も診ている。

 110pから~

『広島・長崎の原爆被害とその後遺―――国運事務総長への報告』

2-2 被害の医学的実態

(2)後障害

(g)原爆ぶらぶら病(当時はまだ症候群とは呼んでいなかった)

 原爆症の後障害のうちで、とくに重要と思われるものに「原爆ぶらぶら病」がある。被爆後三十年をこえた今日まで、長期にわたって被爆者を苦しめてきた「原爆ぶらぶら病」の実態は、次のようなものである。

 1被爆前は全く健康で病気ひとつしたことがなかったのに、被爆後はいろいろな病   気が重なり、今でもいくつかの内臓系慢性疾患を合併した状態で、わずかなストレスによっても症状の増悪を現わす人びとがある(中・高年齢層に多い)。〔中略〕

 2簡単な一般検診では異常が発見されないが、体力・抵抗力が弱くて「疲れやすい」「身体がだるい」「根気がない」などの訴えがつづき、人なみに働けないためにまともな職業につけず、家事も十分にやってゆけない人びとがある(若年者・中年者 が多い)。

3平素、意識してストレスを避けている間は症状が固定しているが、何らかの原因で一度症状が増悪に転ずると、回復しない人びとがある。

 4病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高い人びとがある。

 以上に示すように「原爆ぶらぶら病」はその本態が明らかでなく、「被爆者の訴える自覚症状」は、がん固で、ルーチンの検査で異常を発見できないばあいが多い。〔後略〕

 性的不全

 同書51pから~

彼女の相談したかったことというのは、夫婦生活のことで、ある時期から夫の要求に100パーセント応えきれなくなった自分の体調の不甲斐なさの原因を調べて、それまでのように円満に夫婦生活を送れる「女」に変えるにはどうしたらよいかを相談したかったというのである。

 ・・・略・・・

 ある時から夫の気持ちの高ぶりに応えて自分も燃え、頂上へあと一息というときに急に気持ちが萎えて、下半身から力が抜けてしまうのだという。熱くなっている背中にいきなり水をかけられたよう、と書いている。

 実は、彼女は原爆後、半年ぐらい経った頃から、時々、急にからだがだるくなり、手足の力が弱くなって立っているのが辛く、どうしても座らなくてはいられなくなることがあった。半日ぐらいでよくなることもあるし、何日聞か続くこともあった。医師に話したこともあったが、気のせいだと取り上げてもらえなかった。

 ペトカウの実験

 同書90Pから~

    放射線の人体に対する影響の医学的な解明を阻んでいた壁の一つは、放射線に対する細胞膜の強大な障壁だった。アブラム・ペトカワは1972年、マニトバにあるカナダ原子力委員会のホワイトシェル研究所で全くの偶然からノーベル賞に匹敵する次のような大発見をした。

即ち、「 液体の中に置かれた細胞は、高線量放射線による頻回の反復放射よりも、低線量放射線を長時間、放射することによって容易に細胞膜を破壊することができる。」

ことを実験で確かめたのである。

ペトカワは牛の脳から抽出したリン脂質で作った細胞膜モデルに放射線を照射して、

どのくらいの線量で幕を破壊できるかの実験をしていた。エックス線の大装置から15.6シーベルト/分の放射線(許容量は一ミリシーベルト/年)を58時間、全量35シーベルトを照射してようやく細胞膜を破壊することができた。

ところが実験を繰り返すうち、誤って試験材料を少量の放射性ナトリウム22が混じった水の中に落としてしまった。リン脂質の膜は0.00001シーベルト/分の放射線を受け、全量0・007シーベルトを12分間被曝して破壊されてしまった。

彼は何度も同じ実験を繰り返しその都度、同じ結果を得た。

そして、放射時間を長く延ばせば延ばすほど、細胞膜破壊に必用な放射線が少なくて済むことを確かめた。

こうして、「 長時間、低線量放射線を放射する方が、高線量放射線を瞬間放射するよりたやすく細胞膜を破壊する 」ことが、確かな根拠を持って証明されたのである。

これが、今までの考え方を180度転換させた「 ペトカワ効果 」と呼ばれる学説である。

(引用おわり)

 興味深い事実が書かれていることに吃驚された方もいるのではないか。

この本のなかで、米国のピッツバーグ大学医学部教授だったスターダラス氏の「死にすぎた赤ん坊~低レベル放射線の恐怖~(Low Level radiation)(時事通信社)に対する言及がある。

 当時、ABCC(原爆傷害調査委員会)が広島、長崎の胎児・乳幼児には先天性奇形などの異常がなかったとした発表は誤りだったと指摘し、理由はABCCが死の灰の影響を全く考慮せず、当然影響のあった住民を比較の対象に選んだことにあると断定している。

 米国は意図的に原爆の被害を最小に見積もりたかったのである。 

   そしてこの調査研究がその後の、ICRP (International Commission on Radiological Protection国際放射線防護委員会)による安全基準に大きく影響を与えていくことになるのである。そう言った意味で大変重要な意味を持つ米国による行為であった。

 そしてこのことは、内橋克人氏の「日本の原発、どこで間違えたのか」(朝日新聞出版)第三章 人工放射能の恐怖「放射線はスロー・デスを招く」に詳細に述べられている。

(以下、引用)

  バベルの塔を築くT65D

   一九六八年、アメリカの「オークリッジ国立研究所」が、ある推計に基づく「暫定値」を発表した。それまで諸説激しく分かれるところとなっていた広島・長崎両原爆投下時の、「放射線量」について、こういうふうに推定されるという暫定的な計算値であった。

彼らが根拠としたのは、ネバダ核実験はじめ過去に行われた核実験の際の測定値である。

オークリッジ国立研究所の推計委によってまとめられた、この「広島・長崎両原爆投下時における放射線量」の暫定値は「T65D」と呼ばれた。

もともと広島・長崎両原爆については、投下時の放射線量がいまもって定かではなく、推定値によるほかない。(中略)

実は、オークリッジ国立研究所がまとめたその暫定値、肝心の「計算根拠」がいっさい示されていなかったのである。

 原爆中性子の分布を示すデータがすべて「軍事機密」の厚い壁の中に塗り込められたままになっていたからだ。

 根拠が示されぬまま、T65Dのひとり歩きが始まり、それはやがてICRPなどの絶大な権威の後ろ盾を得て、世界に大手を振って通用していった。(引用おわり)



   お気づきになったと思うが、今、子供たちを放射線から守ろうと大きな声を上げている武田邦彦教授の根拠は、(もしかしたら、随分甘いかもしれない)ICRPの基準値なのである。

 それでも彼は日本のテレビで極端なこと言うドンキホーテのように扱われている。

それでは、子供のことを心配するお母様方を中心に多いときには30万件以上のアクセスがあるというブログで武田教授がどんなことを書いているか見てみよう。

まず、用語解説 *T65Dとは

“Tentative 65 Dose”の略で、1965年に作られた暫定値、という意味。世界中の全ての原発が、まさにこの『仮定』のうえに建設され運転している。ICRP勧告も、このT65Dという『仮定』の上に成り立っている。

アメリカのオークリッジ国立研究所が1966年に「広島・長崎原爆投下時における放射線量」の「推定値」を発表した。これがT65Dと呼ばれており、ネバダでの核実験はじめ過去の核実験をもとにした推定値である。

広島・長崎の原爆投下による放射線量はいまだもって定かではなく、推定でもってしか測ることができない。そこで推定値となるT65Dと、原爆被災者の白血病やガンの発病率をつきあわせることによって、人間はどれくらいの放射線を浴びるとどうなるかという基礎データをまとめた。

現在よく知られている、○○シーベルト以上は全員死亡とか、△△シーベルトではリンパ球が減少、といった説もオークリッジ研究所の発表した基礎データがもとになっている。ICRP勧告も同様に、この基礎データがもとになっている。

 (以下引用)武田邦彦教授のブログより

 最近の情勢から(1)

(平成23年10月7日)

 福島原発事故から半年。多くのことが「手遅れ」になりましたが、それでも今日もまた最善を尽くして行かなければなりません。いつの世もそうですが、本質的ではないことに話が及ぶこともあり、それが解決を遅らせるのも人間社会ですから仕方が無いことです。でも間違った情報に惑わされることなく、子供を守っていきたいと思います。メールなどで寄せられていることを書きました。

 1) 全国への放射線への拡散(九州はどうか?)

   外部被曝と土埃を心配しなければならないのは、福島、茨城、栃木、埼玉、東京、千葉の北部、山形の福島側、宮城の南部と北部、ホットスポット(早川先生データ)です。(本当は一関などもそうなのですが、一関の放射線量が高いと書くと、一関や岩手の方から抗議が来ます。放射線量が高いのだから事実をそのまま見ないと子供たちを被曝させることになるのですが、農家の方の力が強く、汚染された農作物をどうしても出荷したいようで、こまったものです。)

  食材は、静岡以北の太平洋側(北海道、青森、岩手、宮城、福島、千葉、神奈川、静岡)は、魚はもっとも注意を要します。中部圏から関西、四国、九州、沖縄、日本海側、北海道日本海側、オホーツク側の魚、貝、海草は大丈夫です。北海道は海流の関係で太平洋側の魚が50ベクレルぐらいになりまして、残念ですが、しばらく控えた方がよいでしょう。

野菜などは外部線量が問題の地域(最初に書いた地域)のものはできるだけ避けるようにしてください。新米も同じですが、もう少し様子を見ることと、玄米および玄米の製品はより注意が必要です(玄米の方が、圧倒的にセシウムが多くなる。米は怪しかったらよく水でとぐ。野菜も怪しかったら煮て煮汁を捨てることで5分の1になる。)

牛乳などの乳製品は注意しなければならず、同じ物を続けて食べないことや量を減らすことが大切です。外国製品などで補ってください。卵は上記地域の物以外は大丈夫です。水耕栽培のキノコ、もやしもOK。

マスクは放射性物質がかなりコンクリートや土にへばりつくようになってきたので、飛散量は減っています.その代わり除染が難しくなっています。雨は心配ありませんが、雨の日に外出した場合は、靴は外で拭いた方が良いでしょう。

やや落ち着いて来ましたから、身の回りを見て3月に汚染されたと思われる家具、絨毯、その他の洗浄などを計画すると良いと思います。

 2) 子供の体に放射性物質

 子供の甲状腺の検査結果がでましたが、医学的に異常かどうかはこれからの様子を見ることになります。しかし、今頃になって民間が子供の診察をするようでは話にならず、継続的に福島の子供たちの健康診断を重ねて貰いたいものです。

また、子供の尿などからセシウムがでる例が増えてきました。これは汚染された地域、もしくは食材などからどうしても入ってきます。汚染のレベルが問題ですが、尿中に1キロ1ベクレルを超えるようなら少し気をつけてください。今、尿中に出る濃度との関係を検討しています。ボディーカウンターより尿中のセシウムを測定した方が被曝の状態はわかりやすいと思いますが、それでもヨウ素はすでに半減期をかなり大きく過ぎているのであまり正確にはわかりませんので、できる限り注意することが大切です。

体内にセシウムが取り込まれると、そのまま排泄されるものと体内の筋肉などに残る物があります。体内のものを計算するのが「内部被曝計算」で、摂取してから50年間の被曝量を計算するのですが、原発事故がなく一回限りの場合と、今回のように毎日のように被曝する場合とでは計算はかなり違います。ネットを見ていると一回限りの被曝計算をして「たいしたことはない」と言っている人もいるので注意を要します。

また50年間といっても最初の3ヶ月がほとんどですから、それも間違わないでください。

体内の被曝もセシウムの場合、あまり特定の箇所に蓄積することもないので、被曝計算で大丈夫です。その点では、1キロ20ベクレル以下の食材(このブログでの注意は20ベクレルぐらいを念頭に置いています。外部被曝、呼吸なども加味しています。)が相変わらず子供を守るポイントでしょう。

(少し長くなって、時間が無くなってきたので、とりあえず、これでアップし、また書きます)

 広域の汚染について・・・引っ越し?除染??

(平成23年10月9日) 

 群馬大学の早川教授のマップのあと、2ヶ月ほど遅れて文科省から広域の土壌汚染についての調査結果が発表されました。まずは、それを見て、「逃げなければいけないところ」、「東電が直ちに除染しなければならないところ」をハッキリさせたいと思います。



 

この地図で「青、緑、赤系統」の色のついたところ、つまり茶色系の色のついたところはおよそ「1平方メートルあたり4万ベクレル」が観測されています。放射性ヨウ素が合った時代のデータも示して欲しいが、今の政府では期待できませんから、せめてセシウムのデータで考えてみたいと思います。

 1) 最初に流れた伊達市、福島市、二本松市、郡山市、日光市、沼田市、東京の奥多摩までの流れ、

2) 二回目のいわき市、水戸市、土浦市、松戸市、葛飾区までの流れ、

3) 地図にはありませんが、岩手県南部への流れ(最近、岩手県の危険性を指摘すると、あまりにもしつこく文句を言われるので、岩手県の危険性については暫く、記述を止めます)、の3つがあります。繰り返していますが、原発の事故による汚染は原発からの距離より死の灰がどこに流れたかで決定されます。風と気流や雨で地表に落ちたところをそのまま描いているのがこの地図です。

  新聞にはこの測定値と日本の法律との関係はなにも説明されていませんでしたが、日本は法治国家ですから、法律ではどうなっているのか、まず見てみましょう。法律で決められた数値は福島原発が起こる前に日本の放射線防護の専門家が頭を絞って「被曝から国民を守る」ことを考えての基準です。

「電離放射線障害防止規則」(他の法律も日本の法律であるかぎり、相互に矛盾はありませんので、法律論争ではなく「健康」を問題にするときにはどの法律を使ってもほぼ同じです)を参考にします。この法律(規則)を使うのは、法律にしては見やすいのと、2011年1月に改訂され、もっとも新しい考えが入っているからです。

 

                                                                                                                         



 第28条には放射性物質を扱う人が間違って普通の場所を放射性物質で汚した場合、「標識をたて」、「速やかに除染すること」を求めていて、その値は別表第三に示した値の10分の1であることを明確に示しています。

  別表第三には次のようにアルファ線を出すものと、アルファ線を出さないものに分かれていて、セシウムはアルファ線を出さないので、1平方センチメートルあたり40ベクレルですから、この10分の1の4ベクレル。従って1平方メートルあたり4万ベクレルが「基準値」になります。東電は、土壌の表面が1平方メートルあたり4万ベクレル以上になる地域は、1)土壌飛散防止剤を散布し、2)すぐ標識をたてて、3)除染しなければなりません。















 

 

 地図で言うと茶色以外のところはすべて東電がすぐ社員を派遣して除染するところです。まず、私たちはこのことをハッキリ認識しないと先に進めませんし、新聞やテレビがなぜこれを言わなかったのかについても十分に考えてみる必要があります。マスコミがいかに東電に甘いかがよくわかります。

 (なお、面倒な法律論争や重箱の隅をつつくような議論ではなく、愛情をもってそこに住む人の健康だけに関心がある議論をしてください。)

 つまり、地図の青、黄緑、橙などの色の地域は「3月11日以前なら住むことができない場所」であることが判ります。一刻も早く移住か除染が必要ですし、そこの物品や人は自由な移動ができません。(引用終わり)



ICRPのもしかしたら甘いかもしれない基準を元にして武田教授はこのように指摘しているのである。

如何に本当のことが報道されていないかを我々は今一度、認識すべきであろう。



  もう一冊紹介させていただく。「原発事故はなぜくりかえすのか」高木仁三郎著(岩波新書)である。松岡正剛氏の書評を以下、編集して紹介させていただく。(以下引用)

本書には、原発事故はなくならないということが「原子力文化というものなんてありえない」という視点から、繰り返し説かれている。

「原子力は文明であるかもしれないが、とうてい文化にはなりえない」というのが高木仁三郎の確信なのである。

 たしかに原子力技術にもとづいた原子力文明はありうるだろう。また、原子力発電がすでにそうなっているのだけれど、利潤を追求する原子力産業もありうるし、医療や宇宙開発に応用することも可能であろう。けれども生活の安心や安全を満喫する原子力文化がどこかにあるとは思えない。このことを高木氏は原子力技術の研究開発にかかわった現場で実感したようである。

 高木仁三郎が日本原子力事業という会社に入ったのは、東大理学部化学科卒業直後の1961年である。1955年に原子力基本法ができて、その翌年から日本の原子力研究が少しずつ本格化すると、三井(東芝)・三菱・日立・富士・住友などによる原子力産業グループが形成されるのだが、高木が入ったのはその三井系の会社だった。

 そこは東芝や石川島播磨や三井東圧から派遣された人材によって構成されていたらしく、高木は核化学研究室に配属になった。核化学はもともと彼の専門で、ウェット・ケミストリーとして放射性物質を水溶液状態で扱う研究開発に携わった。むろん心高鳴る職場であったはずなのだが(当時、原子力産業は学生に非常に人気が高く、工学部のエリートのほとんどが憧れていた)、しかし実情は、原子力委員会が組み上げた「日本の国産炉」をどうするかという計画の前で、①まず研究所をつくる、②そこに実験原子炉をつくる、③それに関連した仕事をみんなでやるというようなことしか、決まっていなかった。

 はっきり言って「無思想」だったのである。

1999年9月30日の東海村JCOでおきた臨界事故は、病身の高木仁三郎氏を激怒させ、悲しみの深淵に突き落としたようである。核燃料加工のプロセスで本来の手順を逸脱してウラン235の高濃度溶液が一つの容器に集中し、そのため核分裂反応が持続したまま中性子がこの世に放出された事故だった。

 80日後、現場作業員の大内久氏が放射線急性障害で死亡し、ついで二人目の篠原理人氏が大量被爆で死亡した。日本の原子力開発がもたらした初めての死亡事故である。これで日本人は三度、青い光の告発を受けることになってしまった。

 青い光というのは、原子炉で核分裂反応の高いエネルギーをもった粒子が水の中を通過するときに発する特殊な光のことである。核爆発や核分裂の現象に特有の光で、科学用語では「チェレンコフの光」という。日本人はこの青い光を、第1には1945年8月6日に広島で、第2には8月9日の長崎で、そしてそれから54年たった東海村で見ることになった。そのほか1954年3月1日に、ビキニ環礁で被爆して死亡した第五福竜丸の久保山愛吉氏も、チェレンコフの光から派生した光を見たかもしれない。

 JCO臨界事故は、濃縮ウラン溶液を手作業でバケツ7杯も運んだせいだと言われているが、そのようなことをさせた原子力関係者の意識が大問題になった。



 原発事故については、高木氏は基本的には二つに大別できると言っていた。Aは暴走事故型で、核分裂反応の制御に失敗する事故である。Bは冷却に失敗して炉心が溶けるという事故、すなわちメルトダウンにいたる事故である。しかし当時から、これらの複合型の事故もおこりうる、その危険性のほうがかえって高いとも警告し、その複合性を技術はカバーしきれないのではないかと見ていた。

 たとえば暴走には、エネルギー出力の反応度の事故と原子炉の事故があり、後者の場合は燃料棒が壊れるだけでなく、それによって熱くなった燃料と蒸気が接触すると蒸気爆発になることも、その途中で水が分解して水素になり、それが水素爆発になることもあり、一方、冷却材が破損あるいは喪失した場合は、メルトダウンがおこって炉心が溶けるだけでなく、そのまま原子炉の底を貫通して放射能が外部に漏れたり、それが他のエネルギーに転換して蒸気爆発や水素爆発を併発させることがありうるとも予告していたのである。

 高木氏は原発事故のほとんどすべてを予見していたわけである。

そもそも高木氏は「プルトニウム社会」というものを問題にしてきたのだった。

  一言でいえば、プルトニウムは原爆開発のために人工的につくられた元素である。核分裂性と毒性がやたらに高い物質で、核兵器の大半に使われる。たった1グラムでも人の命を脅かす。そのプルトニウムは、なぜ原発と関係があるのか。

 もともと原子炉による原子力発電にはウラン235とウラン238が使われてきた。この数字は原子核をつくる粒子、すなわち陽子+中性子の数をいう。ウラン235に中性子が衝突すると原子核が分裂して熱を出す。ウラン238に中性子が衝突しても核分裂はあまりおこらず、そのかわりに中性子を吸収してごく短時間でプルトニウム239に変化することが多い。そのプルトニウムに中性子が衝突すると原子核が分裂して熱を出す。これらの熱を利用して蒸気をつくり、タービンを回すのが原子力発電の基本原理になっている。

 この原理で発電するとき、地中から採掘される天然ウランには「核分裂するウラン235」がわずか0・7パーセントしか含有していない。たいへんな希少価値になる。一方、「核分裂しないウラン238」を使えばプルトニウムに変えられるから、かなりの有効活用ができる。

 これらのことから、原子力発電をするとプルトニウムが抽出できて、それを再処理できるということになってきた。100万キロワット級の軽水炉を1年間フルに動かせば、約250キログラムのプルトニウムが生成できる。ただしこれは、日本の全人口を何度かにわたってガンで致死できる量である。プルトニウムが1キロほどあれば一個の原爆が作れるし、日本中の43基の原発が稼働すれば、毎日原爆2~3個が作れるという計算になる。

 アメリカは原発王国ではあるが、核兵器用のプルトニウムをしこたま保有しているものの、民間原発からはプルトニウムを取り出していない。ドイツと日本がプルトニウム再処理をして核燃料サイクルを確立しようとしてきた。いまやドイツはこれをやめようとしているが、日本はまだそこまで踏み切っていない。なぜなら核燃料サイクルがあれば、燃料の有効利用ができて、ウランに依存するよりずっと効率的になるからである。

 こうして日本はプルトニウムをふやすしくみに開発費をかけることにした。それが高速増殖炉の開発で、「もんじゅ」に結実した?のである。



 高速増殖炉は中心部にプルトニウムを20パーセント前後に濃縮したMOX燃料(ウラン・プルトラウム混合酸化物燃料)を入れておいて、その周囲にウラン238を配置して、高温度の金属ナトリウムをドロドロの液体にして使う。

 中心部のプルトニウムが核分裂しながら、その熱をナトリウムに伝えて発電エネルギーとしていくと、核から飛び出した高速の中性子がナトリウムの中を走るので、これを首尾よくウラン238に保革させようというしくみなのである。これでウランがプルトニウム239に変化していく。

 その結果、消費されたプルトニウムより、新しく生まれたプルトニウムの量が多ければ、資源が増していくということになる。発電ができて資源も増加するから、一石二鳥なのである。

  しかし、1995年に「もんじゅ」はナトリウム火災をおこして、停止した。核燃料再処理サイクルは止まったままである。

 高木氏は、このようなプルトニウムを活用しようとする社会そのものが病んでいるのではないかと告発しつづけたのだった。(引用終わり)



 現在、日本が目指した核燃料リサイクルもすでに失敗したと言ってもよい状態である。六ヶ所村もすでにいっぱいで、もうすでに使い済み核燃料を日本では処理する場所がなくなりつつある。だから、原子炉のすぐそばに多くの使い済み核燃料をプールしておくような危険なことをしているのである。

  ところで、5月には、静岡茶からセシウムが検出された。また最近、静岡県伊豆の干し椎茸からも基準値を大幅に上回るセシウムが検出されたようである。

政府が浜岡原発の停止を要請したのは、米国の意向が働いていたという説がある。大前研一氏も、浜岡原発を止めろと米国政府の圧力があって、それを無批判に受け入れた結果だと述べている。

米国が浜岡原発を懸念するのは、横須賀基地が放射能で汚染される事態を想定しているからだ。その場合、単に停止させても無意味なことぐらい米軍も承知しているはずである。米国の要請は別の理由からなされたと言われている。311の大地震で浜岡原発が壊れ、放射能が漏れ出していたためだというものだ。

浜岡の事故が事実なら、米国の要請は当然のことである。

もし放射能漏れを起こしていたのなら、名古屋方面にも流れていったはずだが、静岡のお茶に比較的高い濃度の放射性物質が検出されたのは、このためかも知れない。

放射線は目に見えないので、政府も電力会社もマスコミも本当のことを言わなくてもすぐにはわからない、そのために随分おかしなことがまかり通っているようだ。

 そのことを心して自己防衛する時代に入ったようである。



*わかりやすい図表を載せておきます。

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