地元紙「東愛知新聞」に寄稿した原稿です。

~甦れ 首都機能移転~

橋下 徹氏が率いる「大阪維新の会」がダブル選挙(大阪府知事、大阪市長選)を圧勝した。そこで、「大阪都構想」の現在における意味について考えてみた。



現在、収束の道筋が見えない福島原発事故により東京の首都機能が危機に晒されたままになっている。そのため、郷土の大先輩である村田敬次郎先生が熱心だった「首都機能移転」=「二十一世紀のグランドデザイン」を再び真剣に考えるべき時を迎えている。その意味で「大阪都構想」、「中京都構想」に今こそ注目すべきである。 

「3・11」以降、東京を絶対視するような考え方が揺らぎ始めている今こそ、この地域の発信力が問われている。 まさに新しい時代を切り拓くチャンスである。

それでは、大阪、名古屋などへの首都機能移転を考える必要があるのか。

(1)東京というメガロポリスを支える福島や茨城というインフラが311原発事故でかなりの部分破壊されてしまっている。つまり、福島などの東北地方は、東京が経済活動するためにエネルギー(電力・石油精製)および食糧を供給する重要なインフラとしての役割を果たしていたのだが、そのインフラが放射能で汚染され、機能不全に陥っている。(実際に政府は福島原発を使い済み核燃料の「中間処理場」にしたいという提案をしている。)

それでは、福島や茨城といったインフラの代替を、静岡県が果たせるかというとそんな代替は効かないし、浜岡原発がある。

そうであるなら、西日本全域、大阪、一時期、日本の歴史を動かした中京圏全域、名古屋という新たなメガロポリスを、日本を支えるインフラへと改変・改造する方がはるかに現実的である。

 

(2)東京は、事故が終息していない福島原発に近いので、これから徐々に、海外から東京は忌避されることになる。

阪神大震災のとき、神戸港から港湾物流機能がアジア(台湾や上海)に「一時的に」移ると思われたが、一時的ではなく、行ったきりで帰ってくることはなかった。アジアの港湾物流は、神戸港を経由しなくなってしまったのである。

これと同様に、成田空港を経由したら被爆すると外国人は考えるので、国際線は成田空港を中抜きの可能性も出てきている。横浜港も同様。そうなる前に日本のプレゼンスを維持すべく、最初から関西・中部をトランジット先にしてもらえばよい。「京都という日本ブランド」を支える都市も近隣にあるので、外国人は再び大阪・京都・名古屋なら訪問してくれるはずである。

 

(3)東海大地震のことばかり言われているが、地震の周期から考えて、やがて東京直下型地震襲ってくる危険性も高い。

それまでに首都機能を分散移転しておかないと、「大東京」が機能停止することで日本が壊滅的打撃を受ける心配もある。

 

311以後の新しい時代を創るためには「首都機能」を移す必要がある

 日本の歴史は飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、そして江戸時代と、すべて首都機能の所在地で時代名が呼ばれている特色を持つ。

首都機能が移転すれば、時代が新しくなり、首都機能が移転しない限り時代も新しくならなかったのが日本の歴史とも言えよう。

 平安時代は約400年続いたが、その末期には社会の実態と諸制度とがかけ離れたものとなり、治安も経済も悪化したために何度も改革が試みられたが、一向に成果を上げることができなかった。

 来年、大河ドラマに登場する平清盛のような革新的な独裁者の力を以てしても、京に巣喰う公家や寺社の既得権に阻まれて改革は頓挫している。晩年、清盛もこれに気が付き、福原遷都(兵庫県)を考えるが、実行前に清盛は無念の死を遂げている。

 そして、源頼朝が首都機能を鎌倉に移転すると、たちまちにして武家政治と地方分権が定着、時代は一新された。頼朝は、朝廷はじめ文化や経済の機能は京都に残して、国家の政治行政の機能のみを鎌倉に移したという点にも注目すべきである。

 しかし、その鎌倉も120年後には行き詰まり、度重なる地震で大被害を出すようになり、足利幕府に政権が移り、首都機能も京都に移動した。そして室町時代も100年後には行き詰まり、内戦と災害が続くようになる。室町末期の十六世紀中頃には、三好長慶や松永久秀など改革を試みる者もいたが、すべて寺社や地侍の既得権益に阻まれた。  これを変えることに成功したのは、首都機能を安土に移した織田信長、大坂に置いた豊臣秀吉、そして江戸に変えた徳川家康と言ったわが郷土の英雄たちであった。

 ところで、橋下氏は大阪市長への当選後は大阪市を解体して大阪都に移行すると宣言している。いったい何故このような政策を橋下氏は実行しようとしているのだろうか?

大阪都の意義は、政令指定都市の大阪市・堺市と大阪府の二重行政の弊害を取り除くことにあるとされている。全くその通りだが、同様の二重行政の弊害は京都や神戸などの政令指定都市でも発生している。

おそらく、大阪の弊害が特に問題になっているのは、首都機能の一部を大阪に移転させるに当たって、首都機能の管轄者が知事と市長の二人であるという状況は好ましくないという考え方が根底にあるためだと思われる。

同様に名古屋でも中京都構想があり、名古屋にも首都機能の一部が移転されることが望ましいことは言うまでもない。

ところで、わが愛知であるが、これからの愛知県の将来は、名古屋大都市圏と周辺地域の整合性ある発展をどう図っていくかにかかっている。

評論家の増田悦佐氏は、世界の大都市圏の経済規模という大変興味深い指標を独自に作成しているが、それによれば、世界の六大都市圏の中に、日本の大都市圏が三つも入っている。

 ダントツの一位は、東京圏、二位は、ニューヨーク圏、三位は、大阪圏、四位は、ロサンゼルス圏、五位は、ロンドン圏、そして六位が、わが名古屋圏である。また、世界一の日本のエネルギー効率は、大都市圏における人口集中と自動車に過度に依存しない鉄道網を構築してきたことにあるという彼の主張には耳を傾けるべきものがある。

その意味で「中京都」構想も、いわゆる「国土の均衡ある発展」を目指す余裕のあった時代が終わっている現在、少子高齢化社会:人口減少社会を迎えた日本にとって、時代にあった施策である。

たとえば、シンガポールのような人口470万人の都市国家の一人当たりGDPが、日本を遙かに上回っている事実を考えても、日本の真ん中である名古屋大都市圏の今後の政策展開(日本の国富が海外ではなく、国内に向かっていく経済環境づくり)が日本の将来を左右することになる。

いずれにしても郷土の大先輩である村田敬次郎先生が唱えていた「首都機能移転」が思わぬ形で動き出すかもしれない。

 そう言った意味でこの地域の発信力が問われている。

以前、「天皇の金塊」、「天皇のスパイ」という高橋五郎氏の本を紹介させていただいたことがあった。

お読みになった方は、確かに興味深いが、真実なのか?と思われたかもしれない。

『天皇のスパイ』という本の中で昭和天皇は、長崎、広島に原爆が投下されることを既に知っていたという衝撃の告白を第二次世界大戦中、二重三重スパイとして世界を股にかけた男、アンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコがしている。この本はNHKドキュメンタリー100選にも入っている興味深いものである。

 

<スペイン人による日本のスパイ組織。太平洋戦争中、ヨーロッパでの諜報活動が今、一人の男の証言で明らかになる。スパイ組織のリーダーであったアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ(73)のインタビューなどから、当時の日本の諜報活動を明らかにした秘話。>



 また、「天皇の金塊」では日本の戦後の復興にその資金が役立てられたという仮説に立ち、復興のために使われた資金は、ごくわずかでしかなく、天皇、そのグループはまだまだ膨大な金塊を隠し持っている。そして国際金融資本は未だにそれを狙っていると書かれていた。たしかに驚愕の内容であった。

今回ご紹介する「天皇財閥」(吉田祐二著 学研)は、あくまでも公開されている情報に基づいて書かれているので、そういった思いを抱かれることはないはずである。

彼の指摘で興味深いのは、天皇財閥の解体によって戦後日本は、「法人資本主義」になり、責任を取る人間がいなくなってしまったこと、もう一つは、戦前天皇に仕えていた経営者たちが米国の強い影響下に入り、米国を主人として米国の利益のために日本国民を騙すようなシステムになってしまったと分析しているところである。

 それでは、少し引用してみよう。



(吉田祐二『天皇財閥』「はじめに」より引用始)

 秘密のベールに包まれていた、天皇家の財産が明らかになったのは戦後のことである。
 1945年、第二次大戦が日本の敗戦で終わり、勝者となったアメリカは日本を占領した。実質的にはアメリカ一国であった「連合軍」の総司令官マッカーサーと、その部下たちを中心として日本の占領政策が開始された。
 マッカーサーたちが、占領政策のはじめに目指したのは、日本を非軍事化することであった。武装解除である。軍部を解散させたことはもちろんだが、軍部をバックアップして兵器を製造しつづけた製造企業、およびそれらの企業を支配下におく「財閥」(英語でもザイバツ Zaibatsu として通じる)の解体作業がもっとも重要な使命であった。
 占領軍がその方針を明らかにしたのは、昭和21年9月22日付で公表した「降伏後における米国初期の対日方針」である。そのなかで、三井、三菱、住友、安田などの日本の商工業の大部分を支配した大コンビネーションである財閥の解体が指令されたのである。

 天皇家についても例外ではなかった。明治初期から戦後までの皇室財産の変遷をまとめた黒田久太(ルビ:くろだひさた)の『天皇家の財産』によると、占領軍の通達には「皇室の財産は占領の諸目的達成に必要な措置から免除せられることはない」と定められており、またアメリカが皇室自身を「金銭ギャングの最大のもの(the greatest of the “Money Gang”)と認識していた」という(138ページ)。
 実際に、天皇家の財産は他の財閥を上回るものであった。占領軍から命じられて組織した「持株会社整理委員会」の調査によると、当時の財閥はその資産の7~8割を有価証券のかたちで保有しており、終戦時において財閥が所有した有価証券は、三井3億9000万円、岩崎1億7500万円、住友3億1500万円であったという。
そこから推測するに、三菱や三井といった日本を代表した財閥は、当時おおよそ3億~5億円くらいの資産を持っていたことになる。

 それに対して、皇室財産における有価証券の割合は2割を占めるに過ぎない。にもかかわらず、皇室は3億3000万余にのぼる有価証券を有していた。資産総額は15億円を超えていた。また、財産税納付時の調査では37億円という数字もある(『天皇家の財産』)。
このように、天皇家の財産は他の財閥よりも、文字通り、ケタが違うほどの大きさであることが、戦後の資料によって明らかとなったのである。

(吉田祐二『天皇財閥』「はじめに」より引用終)



 ご存知のように戦前の日本経済は財閥が支配していた。三井、三菱、住友、安田の4大財閥を中心に、古河、川崎、浅野、中島、日産、大倉、野村、日本窒素などの中小財閥が存在していた。財閥は本社(持株会社)の下に傘下の企業がぶら下がり、財閥家族が本社の株式を保有して支配す構造である。

現在、旧財閥傘下にあった大企業はほとんどが上場しているが、戦前の財閥本社は株式を公開していなかった。もちろん、財閥家族が支配するためである。戦後、財閥はいわゆるGHQの民主化政策によって解体されることとなった。そして戦後、財閥は傘下の企業がそれぞれ株式を持ち合うグループに姿を変えた。財閥家族は株式を取り上げられ、没落していった。

財閥復活を防ぐために、戦後長く独占禁止法で禁止された持株会社が復活するのは、金融ビッグバンのさなか1997年のことである。現在ではなんとかホールディングス(HLD)を名乗る持株会社が数多く存在する。ただ、これらのホールディングスは戦前の財閥とは性格を異にしている。 
 吉田氏は、4大財閥をはるかに超える規模の財閥が戦前の日本に存在したと指摘する。

それが彼によれば「天皇財閥」である。戦前の天皇家が株式、国債、土地などの資産を持っていたことはある程度の人はよく知っているが、著者によれば、財閥解体時の資料を基に天皇財閥は4大財閥の10倍以上の規模があった。
 戦前の天皇は国家元首で統治者、軍隊の最高司令者であったが、同時に日本最大、世界でも有数の資産家であったと指摘する。著者は現在のサウジアラビアのサウド王家に似ていると考えている。
 

彼が指摘する天皇財閥の構造は次のようなものだ。

天皇家が財閥家族に相当する。持株会社はないが、本社に相当するのが職員6000名を数えた宮内省である。天皇家が保有していた株式は、日本銀行、横浜正金銀行、朝鮮銀行、台湾銀行、南満州鉄道、日本郵船、東京電燈、帝国ホテルなど。天皇家は、戦前、日本最大の金融王であり、地主でもあった。
 江戸時代に公家の取り分を入れても10万石に押し込められていた天皇家が、日本最大の資産家になったのは明治維新以後のことである。国から与えられる収入を株式や国債に投資することで天皇家は資産を増やしていった。日本が強国になるのに比例して、天皇家の資産も増えていった。
 天皇財閥は日本が版図を台湾、朝鮮、満州に広げる中、海外展開も積極的に進めていった。朝鮮銀行は日本統治下の朝鮮の中央銀行である。中国、満州にも進出する。朝鮮で事業を経営する東洋拓殖株式会社の株式も天皇家が保有していた。
 中華民国との戦争で日本は大陸に軍隊を送り込むが、そのとき軍事物質の調達に使用されたのが朝鮮銀行券である。日本銀行券でなかったことが注目される。
 日本には朝鮮銀行を使うことで、戦争の進展に伴うインフレ(通貨の減価)が日本銀行券に波及するリスクを遮断する狙いがあった。
 1930年代以降、日本は大陸進出を拡大する。満州、華北、さらに上海へ軍隊を進める。ところが、この路線が大陸に利権を持つ英米と衝突することになる。英米のトラの尾を踏んだことで、日本と英米が戦争に突入することになったと著者は分析している。そして敗戦。天皇財閥もGHQによって解体されたのである。
 

吉田氏はこの歴史の流れから、天皇財閥の海外進出における「経営判断ミス」を指摘する。
 天皇財閥を筆頭にする戦後の財閥解体によって、日本は法人資本主義の時代に入る。オーナー(家族)のいない資本主義である。
 

ところで、莫大な財産を没収された天皇家だが、昭和天皇の遺産が20億円と報道されたように今でも一定の財産を保有している。最近では東京電力の株価下落によって天皇家も損失を被ったと一部でささやかれている。戦後になっても昭和天皇が株式にご関心を持ち、投資関係の情報にご興味があったという「風説」がしばしば聞かれる。この本でも昭和天皇がソニーにご関心を持っていたことが、他の本からの引用という形で指摘されている。
 「昭和天皇はソニーに興味をお持ちくださって、葉山の御用邸に行かれるとき、うちの工場(注 ソニーのこと)がだんだん大きくなるのを見ていらっしゃって、<田島の会社(ソニー)はまた大きくなったね>って、いつでもお話になったそうです」
 天皇財閥の総帥だった名残だったのか。

 天皇家が大財閥だったこと、敗戦が「経営判断ミス」だったこと、戦前から米国のロックフェラー家と親交があったこと、など興味深い指摘が多い。ただ、天皇財閥がどうのように戦争と関わったかという分析に関してはお茶を濁している。

 吉田氏の結論は、以下の通りである。

「この二十年、日本経済は「失われた十年」から「さらに失われた十年」となり、停滞が続いている。その原因は、社会科学者の小室直樹によれば、腐蝕した官僚制のためである。

 汚職などの「腐敗」ならば古今東西珍しくもない。「腐蝕」というからには、官僚制そのものが制度疲労によって腐蝕してボロボロになってしまっているという。その一番の病根は日本社会の無責任体制であるという。私はその原因を戦前の「天皇財閥」に求め、戦前は天皇を中心とした国家が、戦後は中心のない国家になったこと。そして官僚(日銀の行員もそうだ)および官僚上がりの政治家たちが「支配階級」となって権力を簒奪していること、そしてアメリカに対して卑屈に従属していることが問題であると結論する。」

 

以前にも書いたが、間違いなく言えることが一つあるような気がする。

第二次世界大戦に負けて米国主導で作られた日本の戦後のシステムは、冷戦という枠組みがあってこそ、有効に機能したのであって、その前提が崩れてしまった以上、冷戦構造の上に成立していた日本の行政、政治、経済の仕組みが、ある意味うまくいかないのは、当然のことだと我々は、考えるべき時期を迎えたのではないかと言うことだ。

 

事実、米国は、冷戦終了間際から、「ジャパンアズナンバーワン」と言われる程の経済大国になった日本を「プラザ合意」、その前後には、中国の元の大幅切り下げを認め、「ジャパンパッシング」と称する「日本経済封じ込め戦略」を着々と実行し、結果、現在の中国経済の成長を演出することとなった。目先の利くユニクロの経営者のような人々はおそらく、米国のその戦略を事前に知っていたのであろう。

 

 兎も角、現在、機能しなくなった日本の戦後システムすべてを見直す時代に入ったことは、間違いあるまい。以前にも書いたが、米国に呪縛された「永久占領」状態を脱しない限り、本当の意味で日本の未来を切り拓くことは、できないことをある程度の人々が共通の認識として持てるようにすべき時がきたのではないかと思われる。

 戦後、半世紀以上にわたって、米国の実質上、占領下にある日本では、あらゆる処に米国のソフトパワーの網の目が張り巡らされている。もう、そろそろ心ある日本人は、「帝国以後」の時代(米国の覇権が終焉を向かえようとしている時代)を目前に控えた今、戦後、語られなかった本当の事を多くの人々に知らしめる義務があるのではないか。知識人と言われる方々に期待したいところである。

 

 この本はその期待にある程度応えてくれる本である。お時間があったら、一読を勧めたい。

*今回は本の紹介です。 

 *まず、始めに何回も引用しているエマニュエル・トッド氏の鋭い指摘をもう一度読んでいただきたい。

日経ビジネス2009 112号より「今週の焦点」より

エマニュエル・トッド氏(歴史人口学者・家族人類学者)

 

「ドルは雲散霧消する」

 

問 2002年の著書「帝国以後~アメリカ・システムの崩壊~」で「前代未聞の証券パニックとそれに続いてドル崩壊が起こる」と予言しました。今や現実となっています。

答 確かに私は2つの予言をしました。昨年のリーマンショックによって証券パニックは現実におきましたが、ドルの崩壊はこれからです。

リーマンショック後にドルが世界の資金の避難先になったことは正直驚きでした。

しかし、これはドルの内なる力ではなくて、世界中の指導階級たちが依然として米国、そしてドルの世界の調整者としての役割を信じようとしているからです。まだ、何も実績を残しておらず、戦争状態にある国の大統領にノーベル平和賞が与えるなんて不条理の極みとしか言いようがありません。しかしこれが、世界が米国という存在に幻想を抱いていることの表れです。

問 今後、ドルの崩壊はどうやって起きると予想していますか。

答 金融危機が落ち着き、通常の経済活動に戻れば、ドルの下落が始まるでしょう。しかし私が恐れているのはドルの為替レートが上がるとか下がると言ったレベルではありません。経済力の裏付けのないドルは雲散霧消すると考えているからです。

ドル崩壊のシナリオは2つの観点から考えられます。1つは経済的な観点。これは米国経済の衰退が限界点を超えると、中東の産油国や中国がドルに見切りをつけることです。もう1つは軍事的な観点です。グルジアとロシアの紛争で何もできなかったように、アフガニスタンは、米国の無力を象徴する出来事になる可能性があります。

問 ドルの崩壊後、別の基軸通貨が誕生するのでしょうか。

答 私は経済学者ではないので、答えがあるわけではありません。しかし、20ヶ国地域首脳会議(G20)など世界の指導者が集まる場で、ドル崩壊後の世界について真剣に議論すべきです。ドルに代わる基軸通貨がない現状で、世界各国がドルを買うことは、解決できない矛盾を積み重ねて、近い将来の大暴落の被害を大きくしているだけです。私はアジアの中央銀行の総裁だけにはなりたくありませんね。

問 ドルの崩壊と同時に、自由貿易への警鐘を鳴らしています。

答 今、必要なことは、世界の需要をどう作り出すかです。第2次大戦後は自由貿易の時代でした。輸出によって新たな需要が生み出され、生産が増えて賃金が上昇し、需要を創出する好循環が続いていました。しかしそれは賃金の低い新興国の存在がなかった場合にのみ成立した枠組みです。自由貿易の名の下、世界の労働者の賃金は単なるコストを見なされた。企業はコストが低い新興国に生産拠点を移し、賃金は下がり、世界中の需要は縮小する負の連鎖に陥ったのです。

この世界の需要不足を補うために調整役を担ってきたのが、米国の過剰消費だったのです。米国はその役を担うために、大量の国債を発行して借金を増やし、その借金を日本や中国が支えてきました。世界各国が、この枠組みを支えてきたのです。しかしリーマンショックによってその歪みがあらわになりました。

問 保護主義への回帰には批判が強いと思いますが、

答 私は自由主義の代わりに保護主義を取るべきだと主張しているわけではありません。しかし保護主義がタブーとされ、全く聞く耳を持たないことは問題です。歴史の一場面においては、一時的に特定分野での保護主義は必要ではないでしょうか。そして世界の需要がある程度の水準まで回復したら、また、自由貿易に戻せばいいのです。

(引用終わり)

 

「「通貨」を知れば世界が読める」浜 矩子著 (PHP新書)

 

   為替、通貨に関してはいろいろな本が出ているが、この本は、非常にわかりやすく的確でこれ一冊読めば、とりあえず類書を読む必要がないというお忙しい方にとって本当にいい本である。

著者の浜矩子女史は、度々TVに出演しているのでご存じの方も多いのではないだろうか。

 基軸通貨の米ドルは過去のレポートでも何回も指摘しているように大変危うい状態にある。もちろん、欧州ユーロもこれからどうなるのか予断を許さない状況だ。

   その中で浜女史は大変な名言を書いている。「その国にとって良いことが世界にとっても良いことであると言う関係が成り立っている国の通貨」が、国際的基軸通貨と呼ぶに価する。大英帝国が世界の富を一手に握った「パックス・ブリタニカ」の時代のポンドがそうであり、第2次世界大戦後の「パックス・アメリカーナ」の時代のドルもそうであった。

当たり前のことだが、彼女の現状分析は、的確かつ厳しい。 2000年代も後半になり、通貨を取り巻く状況を大きく変えた二つの金融事件が起きた。2008年のリーマン・ショック、及び2009年のギリシャ金融危機である。前者は、既に実質的には基軸通貨の座を降りたにも拘わらず、それを認めようとしないアメリカへの退場勧告とも言うべきものであり、後者は、ドルに替る基軸通貨として期待されたユーロが、その役割を果たせないこと、更に、その存在すら危ぶまれるものだと言うことを示す警告であった。

    また、円高圧力の強い日本の現状分析には、円を「裏基軸通貨」として展開するのが良いとしている。この点についてはいろいろな意見があるだろう。

 今回の東日本大震災で、地球的なサプライチェーンがどれだけ大きな影響を受けたかを考えても、グローバルな世界での日本の経済的責任は大きい。円が動けば世界が揺れる、日本の物作りが揺らげば世界が倒れてしまうのだ。世界一の債権国は、自らの行動や降りかかる命運の波及効果を常に意識しておかなければいけない。

 

日本という国は、明らかに、米国の庇護の下で子供じみた振る舞いをする幼稚園時代から決別する時が近づいている。にもかかわらず、いまだに幼稚園のPTAをやめたくない人であふれているのが現状の日本である。

自立した大人の国の大人の通貨を大人らしく管理する覚悟が求められているのである。強い通貨と豊富な債権、そして知恵と工夫を用いて、如何に豊かな国を築いて行くかが問われていて、日本がこれから大人の世界を自力で開拓していかなければならない。

 

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)には、理性のある女史ははっきり反対している。当然のことであろう。 TPPは、環太平洋の国々が協定を結んで自由貿易圏を作ろうと言うものであるが、要は特定地域の囲い込み政策:経済ブロック政策で、いわば集団鎖国主義である。通貨と通商の世界における自己防衛的囲い込みが、地球経済を分断して行くのが最悪のシナリオであると彼女は鋭く指摘している。

その意味で日本のマスコミにおいては現在、TPPについても全く大人の議論がされていない寂しい状況にある。

  もちろん現在、困窮した米国は日本を庇護しようなどとは120%考えていない。だったら、日本には自立する選択肢しか残されていないはずだ。

 最後に「地域通貨」の可能性に言及しているのも的確だ。彼女は,今起っている恐慌は,ソブリン恐慌といって国の財政破綻に起因する恐慌であり,今までの恐慌概念とはまったく状況の違う経済現象だと見ている。アメリカの財政破綻も深刻で,もはやドルの基軸通貨にはあり得ない。だとすれば,これから世界の基軸通貨になる通貨を持つ国はあるのか? 彼女は無いという。

世界の基軸通貨が存在しないでは,世界経済は混沌として,世界はまさにグローバルジャングルになってしまう。これから私たちは,そのグローバルジャングルの中をどう歩いていけば良いのか? 彼女の問いかけはそういうことであって,彼女は「地域通貨」に大きな可能性を見ている。

   ところで、アフリカ、リビアのガダフィー政権崩壊とアフリカ共通通貨についても言及してもらいたかったところである。何にしてもアメリカニズムに毒されていない名著である。

<本書の内容> 目次を紹介

はじめに 通貨を知ることは、世界経済を知るということ

・震災後の日本で見えてきたこと

・「最後の金本位国」の栄光

・黄昏を迎えつつあるドル

・通貨の「二十一世紀的回答」はなにか

第一章 われわれはなぜ通貨の動きに一喜一憂するのか?

1. お金に翼が生えた日

2. 「ラインの黄金」をめぐって

3. 為替介入は是か非か

4. 通貨の動きは読めない、しかし

5. 基軸通貨という幻想

第二章 基軸通貨をめぐる国家の興亡

1. 大英帝国とポンド、そしてシティの栄光

2. 「通貨戦争」の勃発

3. バックス・アメリカーナの時代

4. ユーロという新しい可能性

第三章 通貨の「神々の黄昏」

1. 落日のドルに止めをさしたリーマン・ショック

2. ユーロの夢の終わりと現実

3. 実は世界を動かしていた「円」の知られざる実力

第四章 これからのドル、ユーロ、そして円と日本

1. それでも「1ドル50円」になる理由

2. 遅れてきたプレーヤー「人民元」は基軸通貨になれるのか

3. 1ドル50円へ…最善のシナリオ

4. 1ドル50円へ…「最悪」のシナリオ

5. ユーロ崩壊の日は本当に来るのか

6. まったく新しい円の時代へ

終章 来るべき「二十一世紀的通貨」のあり方とは

・明日の通貨を探してめぐる「二つの問い」

・イタリアのある町で生まれた「甘い物通貨」

・スイーツが通貨に変わる日

・花より団子ならぬ「カネよりアメ」

・どんな通貨も、最初は地域通貨だった

・次の基軸通貨探しに汲々とするよりも

・御足は長いか、短いか

・単一通貨ではなく、共通通貨

・世界経済を短足通貨が支えるモデル

・3Dに展開される通貨の世界

・お財布の中にいろいろな通貨が入っている時代へ?

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