以前、「天皇の金塊」、「天皇のスパイ」という高橋五郎氏の本を紹介させていただいたことがあった。
お読みになった方は、確かに興味深いが、真実なのか?と思われたかもしれない。
『天皇のスパイ』という本の中で昭和天皇は、長崎、広島に原爆が投下されることを既に知っていたという衝撃の告白を第二次世界大戦中、二重三重スパイとして世界を股にかけた男、アンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコがしている。この本はNHKドキュメンタリー100選にも入っている興味深いものである。
<スペイン人による日本のスパイ組織。太平洋戦争中、ヨーロッパでの諜報活動が今、一人の男の証言で明らかになる。スパイ組織のリーダーであったアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ(73)のインタビューなどから、当時の日本の諜報活動を明らかにした秘話。>
また、「天皇の金塊」では日本の戦後の復興にその資金が役立てられたという仮説に立ち、復興のために使われた資金は、ごくわずかでしかなく、天皇、そのグループはまだまだ膨大な金塊を隠し持っている。そして国際金融資本は未だにそれを狙っていると書かれていた。たしかに驚愕の内容であった。
今回ご紹介する「天皇財閥」(吉田祐二著 学研)は、あくまでも公開されている情報に基づいて書かれているので、そういった思いを抱かれることはないはずである。
彼の指摘で興味深いのは、天皇財閥の解体によって戦後日本は、「法人資本主義」になり、責任を取る人間がいなくなってしまったこと、もう一つは、戦前天皇に仕えていた経営者たちが米国の強い影響下に入り、米国を主人として米国の利益のために日本国民を騙すようなシステムになってしまったと分析しているところである。
それでは、少し引用してみよう。
(吉田祐二『天皇財閥』「はじめに」より引用始)
秘密のベールに包まれていた、天皇家の財産が明らかになったのは戦後のことである。
1945年、第二次大戦が日本の敗戦で終わり、勝者となったアメリカは日本を占領した。実質的にはアメリカ一国であった「連合軍」の総司令官マッカーサーと、その部下たちを中心として日本の占領政策が開始された。
マッカーサーたちが、占領政策のはじめに目指したのは、日本を非軍事化することであった。武装解除である。軍部を解散させたことはもちろんだが、軍部をバックアップして兵器を製造しつづけた製造企業、およびそれらの企業を支配下におく「財閥」(英語でもザイバツ Zaibatsu として通じる)の解体作業がもっとも重要な使命であった。
占領軍がその方針を明らかにしたのは、昭和21年9月22日付で公表した「降伏後における米国初期の対日方針」である。そのなかで、三井、三菱、住友、安田などの日本の商工業の大部分を支配した大コンビネーションである財閥の解体が指令されたのである。
天皇家についても例外ではなかった。明治初期から戦後までの皇室財産の変遷をまとめた黒田久太(ルビ:くろだひさた)の『天皇家の財産』によると、占領軍の通達には「皇室の財産は占領の諸目的達成に必要な措置から免除せられることはない」と定められており、またアメリカが皇室自身を「金銭ギャングの最大のもの(the greatest of the “Money Gang”)と認識していた」という(138ページ)。
実際に、天皇家の財産は他の財閥を上回るものであった。占領軍から命じられて組織した「持株会社整理委員会」の調査によると、当時の財閥はその資産の7~8割を有価証券のかたちで保有しており、終戦時において財閥が所有した有価証券は、三井3億9000万円、岩崎1億7500万円、住友3億1500万円であったという。
そこから推測するに、三菱や三井といった日本を代表した財閥は、当時おおよそ3億~5億円くらいの資産を持っていたことになる。
それに対して、皇室財産における有価証券の割合は2割を占めるに過ぎない。にもかかわらず、皇室は3億3000万余にのぼる有価証券を有していた。資産総額は15億円を超えていた。また、財産税納付時の調査では37億円という数字もある(『天皇家の財産』)。
このように、天皇家の財産は他の財閥よりも、文字通り、ケタが違うほどの大きさであることが、戦後の資料によって明らかとなったのである。
(吉田祐二『天皇財閥』「はじめに」より引用終)
ご存知のように戦前の日本経済は財閥が支配していた。三井、三菱、住友、安田の4大財閥を中心に、古河、川崎、浅野、中島、日産、大倉、野村、日本窒素などの中小財閥が存在していた。財閥は本社(持株会社)の下に傘下の企業がぶら下がり、財閥家族が本社の株式を保有して支配す構造である。
現在、旧財閥傘下にあった大企業はほとんどが上場しているが、戦前の財閥本社は株式を公開していなかった。もちろん、財閥家族が支配するためである。戦後、財閥はいわゆるGHQの民主化政策によって解体されることとなった。そして戦後、財閥は傘下の企業がそれぞれ株式を持ち合うグループに姿を変えた。財閥家族は株式を取り上げられ、没落していった。
財閥復活を防ぐために、戦後長く独占禁止法で禁止された持株会社が復活するのは、金融ビッグバンのさなか1997年のことである。現在ではなんとかホールディングス(HLD)を名乗る持株会社が数多く存在する。ただ、これらのホールディングスは戦前の財閥とは性格を異にしている。
吉田氏は、4大財閥をはるかに超える規模の財閥が戦前の日本に存在したと指摘する。
それが彼によれば「天皇財閥」である。戦前の天皇家が株式、国債、土地などの資産を持っていたことはある程度の人はよく知っているが、著者によれば、財閥解体時の資料を基に天皇財閥は4大財閥の10倍以上の規模があった。
戦前の天皇は国家元首で統治者、軍隊の最高司令者であったが、同時に日本最大、世界でも有数の資産家であったと指摘する。著者は現在のサウジアラビアのサウド王家に似ていると考えている。
彼が指摘する天皇財閥の構造は次のようなものだ。
天皇家が財閥家族に相当する。持株会社はないが、本社に相当するのが職員6000名を数えた宮内省である。天皇家が保有していた株式は、日本銀行、横浜正金銀行、朝鮮銀行、台湾銀行、南満州鉄道、日本郵船、東京電燈、帝国ホテルなど。天皇家は、戦前、日本最大の金融王であり、地主でもあった。
江戸時代に公家の取り分を入れても10万石に押し込められていた天皇家が、日本最大の資産家になったのは明治維新以後のことである。国から与えられる収入を株式や国債に投資することで天皇家は資産を増やしていった。日本が強国になるのに比例して、天皇家の資産も増えていった。
天皇財閥は日本が版図を台湾、朝鮮、満州に広げる中、海外展開も積極的に進めていった。朝鮮銀行は日本統治下の朝鮮の中央銀行である。中国、満州にも進出する。朝鮮で事業を経営する東洋拓殖株式会社の株式も天皇家が保有していた。
中華民国との戦争で日本は大陸に軍隊を送り込むが、そのとき軍事物質の調達に使用されたのが朝鮮銀行券である。日本銀行券でなかったことが注目される。
日本には朝鮮銀行を使うことで、戦争の進展に伴うインフレ(通貨の減価)が日本銀行券に波及するリスクを遮断する狙いがあった。
1930年代以降、日本は大陸進出を拡大する。満州、華北、さらに上海へ軍隊を進める。ところが、この路線が大陸に利権を持つ英米と衝突することになる。英米のトラの尾を踏んだことで、日本と英米が戦争に突入することになったと著者は分析している。そして敗戦。天皇財閥もGHQによって解体されたのである。
吉田氏はこの歴史の流れから、天皇財閥の海外進出における「経営判断ミス」を指摘する。
天皇財閥を筆頭にする戦後の財閥解体によって、日本は法人資本主義の時代に入る。オーナー(家族)のいない資本主義である。
ところで、莫大な財産を没収された天皇家だが、昭和天皇の遺産が20億円と報道されたように今でも一定の財産を保有している。最近では東京電力の株価下落によって天皇家も損失を被ったと一部でささやかれている。戦後になっても昭和天皇が株式にご関心を持ち、投資関係の情報にご興味があったという「風説」がしばしば聞かれる。この本でも昭和天皇がソニーにご関心を持っていたことが、他の本からの引用という形で指摘されている。
「昭和天皇はソニーに興味をお持ちくださって、葉山の御用邸に行かれるとき、うちの工場(注 ソニーのこと)がだんだん大きくなるのを見ていらっしゃって、<田島の会社(ソニー)はまた大きくなったね>って、いつでもお話になったそうです」
天皇財閥の総帥だった名残だったのか。
天皇家が大財閥だったこと、敗戦が「経営判断ミス」だったこと、戦前から米国のロックフェラー家と親交があったこと、など興味深い指摘が多い。ただ、天皇財閥がどうのように戦争と関わったかという分析に関してはお茶を濁している。
吉田氏の結論は、以下の通りである。
「この二十年、日本経済は「失われた十年」から「さらに失われた十年」となり、停滞が続いている。その原因は、社会科学者の小室直樹によれば、腐蝕した官僚制のためである。
汚職などの「腐敗」ならば古今東西珍しくもない。「腐蝕」というからには、官僚制そのものが制度疲労によって腐蝕してボロボロになってしまっているという。その一番の病根は日本社会の無責任体制であるという。私はその原因を戦前の「天皇財閥」に求め、戦前は天皇を中心とした国家が、戦後は中心のない国家になったこと。そして官僚(日銀の行員もそうだ)および官僚上がりの政治家たちが「支配階級」となって権力を簒奪していること、そしてアメリカに対して卑屈に従属していることが問題であると結論する。」
以前にも書いたが、間違いなく言えることが一つあるような気がする。
第二次世界大戦に負けて米国主導で作られた日本の戦後のシステムは、冷戦という枠組みがあってこそ、有効に機能したのであって、その前提が崩れてしまった以上、冷戦構造の上に成立していた日本の行政、政治、経済の仕組みが、ある意味うまくいかないのは、当然のことだと我々は、考えるべき時期を迎えたのではないかと言うことだ。
事実、米国は、冷戦終了間際から、「ジャパンアズナンバーワン」と言われる程の経済大国になった日本を「プラザ合意」、その前後には、中国の元の大幅切り下げを認め、「ジャパンパッシング」と称する「日本経済封じ込め戦略」を着々と実行し、結果、現在の中国経済の成長を演出することとなった。目先の利くユニクロの経営者のような人々はおそらく、米国のその戦略を事前に知っていたのであろう。
兎も角、現在、機能しなくなった日本の戦後システムすべてを見直す時代に入ったことは、間違いあるまい。以前にも書いたが、米国に呪縛された「永久占領」状態を脱しない限り、本当の意味で日本の未来を切り拓くことは、できないことをある程度の人々が共通の認識として持てるようにすべき時がきたのではないかと思われる。
戦後、半世紀以上にわたって、米国の実質上、占領下にある日本では、あらゆる処に米国のソフトパワーの網の目が張り巡らされている。もう、そろそろ心ある日本人は、「帝国以後」の時代(米国の覇権が終焉を向かえようとしている時代)を目前に控えた今、戦後、語られなかった本当の事を多くの人々に知らしめる義務があるのではないか。知識人と言われる方々に期待したいところである。
この本はその期待にある程度応えてくれる本である。お時間があったら、一読を勧めたい。