~困るのは「魔法の財布」失う米国~
山田厚史 [ジャーナリスト 元朝日新聞編集委員]
<山田厚史(やまだ あつし)プロフィール>
1971年朝日新聞入社。青森・千葉支局員を経て経済記者。大蔵省、外務省、自動車業界、金融証券業界など担当。ロンドン特派員として東欧の市場経済化、EC市場統合などを取材、93年から編集委員。ハーバード大学ニーマンフェロー。朝日新聞特別編集委員(経済担当)として大蔵行政や金融業界の体質を問う記事を執筆。2000年からバンコク特派員。2012年からフリージャーナリスト。CS放送「朝日ニュースター」で、「パックインジャーナル」のコメンテーターなど務める。
*山田氏は、朝日新聞の主流畑を歩いてきた人ではないので、御用学者・評論家になり損ねた人です。そのため、こんな真実を伝える記事を時々書いてしまいます。興味深い指摘ですので、是非、お目通し下さい。
2011年の貿易収支が2兆円近い赤字になった。貿易で黒字を稼ぎ日本の富を増やす、という国家的ビジネスモデルの崩壊に「日本沈没」のイメージを重ねる人は少なくない。
貿易や経常収支を「赤字」「黒字」で表現することが世の中の誤解を生む
生産の海外移転、資源価格高騰がもたらす所得の流出。輸出鈍化の背景にある経済構造の変化に日本経済への不安が広がっている。だが貿易赤字は、本当に「怖いことか」なのか。黒字の恩恵とは何か。数字に示される表層の裏でどのような事態が進んでいるのか、考え直してみたい。
赤字は悪いこと、黒字は幸せなこと。
語感からそう受け取るのが普通だが、実はここにトリックがある。
赤字=損失=経済不安=衰退だとしたら米国の好景気はなんだったのか。2000年代の初頭、米国の経常収支は猛烈な赤字を記録した。だがこの頃が米国の絶頂で「史上最高の繁栄」といわれた。
逆に、この時期に黒字を貯め込み「世界最大の債権国」になった日本は「失われた20年」のまっただ中にあった。バブル経済に酔った1980年末期、日本の黒字は大幅に細った。貿易や経常収支の黒字とは、経済の好不況と関係ないのである。なぜ、と多くの人は思うだろう。貿易や国際収支を「赤字」「黒字」で表現することが、世の中の誤解を生んでいる。
日本の黒字が減ることで困るのは米国
結論から述べよう。日本の黒字が減ることで、困るのは米国だ。以下、その理由を説明する。
貿易収支や経常収支は、経済の世界を半分しか表していない。この二つの指標は製品や素材の売買、運送や特許料、投資収益など、平たくいえば国境を越える「所得」の帳尻を記したものだ。国境を越えるカネの流れは、ほかにもある。融資や投資、援助などカネのやり取りだ。こうした金融取引をすべて含めると国の内外の「収支尻」はゼロになる。企業のバランスシートが資産と負債が均衡するのと同じことだ。ちょっと分かりにくいので概略を説明しよう。
貿易や投資で稼いだ黒字は、国境の外に流出する。投資・融資・援助など形は様々だが、黒字は外国に流れ、そこで使われる。
「せっかくの黒字だ。国内で使えばいいじゃないか」と考える人は多いと思う。その通りだが、貿易で稼いだカネを設備投資や消費など国内で使えば、輸入が増え黒字は相殺される。つまり黒字は、国内で使いきれない余ったおカネを表している。
わたし貯める人あなた使う人という構図
家計で考えてみよう。家計の黒字は貯蓄となる(場合によっては義援金になるかもしれない)。貯蓄は銀行を通じて他人が使う。同じことが国家間でも起きている。
国家の黒字は、投資や融資・援助などの形になって海外に送られる。現地生産、外国企業への融資などさまざまだが、典型が米国債の購入だ。政府の外貨準備の大部分は米財務省証券、つまり米国債だ。生命保険や投資信託など機関投資家も米国債をしこたま買っている。日本の黒字の多くが、軍事費を含め米国予算をファイナンスしている。
米国債の保有で1位は中国で日本は2位だ。中国は米国債を買いまくっているが、外国から中国に流入する資金も豊富で、流出と流入を差し引きすると日本は世界最大の債権国である。
日本人がせっせと働いた汗の結晶が「対外債権」だが、見方を変えれば、日本の購買力が海外に流出している。わたし貯める人、あなた使う人、の構造だ。
「アメリカ人は幸せだ。私はトヨタのレクサスに乗っているが、この資金も日本がファイナンスしてくれた」
米国の経済学者であるプレストウイッツ氏は、筆者にそう語ったことがある。日本は輸出で稼ぎ、稼いだ黒字を海外に流出させる。米国は国家も家計も赤字で、その穴を埋めるのは日本の黒字。そんな図式が定着していた。
日米の貿易・金融関係は、輸出した製品と、それを買うための金融とがセットになって米国に流れ込むという特徴がある。
もちろん日本の貿易や金融は米国だけが相手ではない。だが世界をならして見ると、一番の債権国が日本で、最大の債務国は米国。つまり日本は米国の消費と資金繰りを支えてきた。
経済アナリストの三國陽夫さんは、著書『黒字亡国」(文春新書)で、この構造を「アメリカの魔法の財布」と指摘した。
日本からの輸入品を買っても、その代金は再び日本から米国に戻ってくる。米国民はその資金でまた日本製品を買う。プレッストウッツ氏が「レクサスも資金も日本からやってくる」といったのは、まさに「魔法の財布」の構造を述べたものだ。
大英帝国時代の英国とインドの関係に似ている
日本と米国の関係を、三國さんは「大英帝国時代の英国とインドの関係」に重ねて説明する。インドは英国にお茶や香料をせっせと輸出し貿易は大幅な黒字となったが、そのカネは東インド会社などを通じて英国に送られ、英国人の消費を支えたという。経済の背後にある「支配・被支配」の関係が、黒字の使い方を決定する。
並みの社会では、債権者と債務者が対峙すれば、力関係で債権者が優位に立つ。いつでもカネを取り立てられるという強みが債権者にあるからだ。債務者はその顔色をうかがわざるをえない。
日米はそうなっていない。日本は米国の了解なしに米国債を売れない関係にある。
これを「日米関係」とか「同盟関係」という。
リーマンショックの時、米国の住宅金融会社であるフレディマックとファニーメイの経営が揺らいだ。市場では2社の債券が売られたが、金融関係者によると「米国から日本の財務省に『売られては困る』と指示が来て、日本の機関投資家は売却を自粛させられた」という。
自由に買って、好きなときに売れる。これが投資である。売りたいときに売れないなら「寄付」に等しい。
日本国民は一生懸命働き、貯金通帳の数字は年々大きくなった。しかし、この貯蓄を引き出して使えない。通帳の数字を眺めて自分は豊かになったと思っているが、このカネを使っているのはアメリカ人だ。身の丈を越えた消費に費やされているのである。
「失われた貯蓄」の奪回作戦を考える
「日本は米国政府の資金繰りを支える」という密約が、日米間にあるのではないかと私は疑っている。
アメリカの財務省証券に投ぜられた日本の黒字は、もはや「取り戻す」ことは出来ない。これが日米安保条約の経済的側面なのではないか。思いやり予算や対米輸出の自主規制など、経済原則では考えられない出来事が多すぎる。
中国は、自分の意志で米国債を売ることが可能だ。だから米国は中国を脅威に感じている。日本にその心配がない。日本は米国財政を支える「従属国」なのだろうか。
プレストウイッツ氏は「アメリカの財政通の間では日本は保護領と見られている」と言った。
さて日本の貿易赤字である。赤字が拡大すれば経常収支の黒字が縮小する。困るのは誰か。
日本にとって、毎年の黒字が小さくなるが、日本で使われるカネではない。マクロ経済で見れば日本経済への影響はないだろう。困るのは「魔法の財布」がなくなる米国である。
貿易赤字が更に拡大し、経常収支まで赤字になったらどうなるか。日本人の貯蓄で賄われている日本国債の暴落を、心配をする人もいる。
家計で考えてみよう。所得が減って家計が赤字になったら、まずは貯蓄を取り崩す。
これを国際関係に当てはめれば、米国に預けてあった債権を取り崩すことだ。これは難儀だろう。しかし、見方を変えればチャンスである。赤字になったから支払いは貸金から引いてくれという交渉は成り立つ。
国外に置いていた貯蓄が戻ってくれば、日本の経済にカネが回りだす。米国に預けていた「購買力」が返ってくるのだ。米国はいやがるだろうが、日本はいつまでもいい顔ばかりできない。いまから、新たな時代をイメージし「失われた貯蓄」の奪回作戦を考えておくことが大事ではないか。