以前、「アメリカニズムの終焉」というレポートで米国の国力低下の惨状を指摘させていただいたことがある。そのために現在、日本人は、否応なしに長すぎた戦後を終わらせることを求められる時代に入っている。そして、その戦後を終わらせるためのキーワードの一つが「コラボレーショニスト」(collaborationist)という言葉である。
「ノーブレス.オブリージュ」という言葉の意味する「気高さ、勇気、自尊心」とは正反対の意味を持つ言葉が、「コラボレーショニスト」という言葉である。戦いに敗れて敵軍に占領された途端に手の平を返すように占領軍に協力し始める人間のことをコラボレーショニストと呼ぶ。コラボレーショニストというのは「占領協力者」というよりはるかに悪い意味で、「祖国を裏切った者:売国奴」を意味すると考えても良いのかもしれない。
敗戦後、日本に進駐してきたアメリカ軍と米国務省は、つぎの三つの政策を日本に押しつけてきた。
①日本から永遠に自主防衛能力と独立外交能力を剥奪しておくための憲法九条。
②戦前の日本は「邪悪な帝国主義国家」であり、その日本を懲らしめたアメリカは「国際正義を実現した道徳的に立派な民主主義国」であるというフイクションとしての東京裁判史観。
(cf ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”)とは、文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(文芸春秋・1989年)において第二次世界大戦終結後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領政策として行われた宣伝として提示したもの。“WGIP”の略称も江藤淳による。この呼称を最初に使用した江藤淳はこれを「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」とし、「日本の軍国主義者と国民とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。」と主張している。また「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。」)
③日本を属国:保護領として米国の世界支配システムに組み入れ、米占領軍が日本列島に設置した軍事基地を半永久的に使用するための仕組み、すなわち日米安保条約。
これら三つの政策が、敗戦国日本を半永久的に支配しておくために米政府が考えついた「対日支配政策・三点セット」である。
(*このことは、何回も引用している片岡鉄哉氏が「日本永久占領」という本で詳細に解説している。)
満州事変から一九四五年の夏まで、朝日新聞やNHKや日本の学校教師は、軍部の戦争遂行に献身的に協力してきた。彼らは、軍部による戦争プロパガンダを広めて、ナイーヴな国民を洗脳するための道具として八面六臂の活躍をした。ところが1945年9月に占領軍が乗り込んできたら、彼らは手の平を返すように、あっという間に占領軍の反日プロパガンダ、日本を永遠に無力国家としておくためのプロパガンダの手先となってしまったのである。それが、日本の真実の戦後史である。完全に思考能力を放棄させられた朝日・NHK・日教組等は、戦後60年が過ぎても、まだこの「日本無力化プロパガンダ」を慣性の法則のように現在も半ば、無意識のうちに続けている。
そう言った意味では、いわゆる日本の護憲左翼勢力も無意識のうちにコラポレーショニスト集団にされてしまっていると言っても過言ではない。
吉田茂首相の補佐官として米占領軍との交渉役を務めた白洲次郎氏は、親米保守派の日本人について、「私は占領中、最下等のパンパンすら風上に置くまいと思われるような相当の数の紳士を知っている。軍国主義全盛時代は軍人の長靴をハンカチで拭き、占領中は米国人に媚びた奴らとパンパンと、どこが違うか」と述べている。
かつて、ニクソン、フォード両政権で国務長官を務めたキッシンジャー博士が「戦争に負けて敵軍に占領された国には、二つの対応策しかない」という鋭い指摘している。
①占領軍に対して、長期間の徹底的なゲリラ戦を実行する。
②目先の利益と安全を確保するため、占領軍に協力し服従するコラボレーショニストになる。
①についていえば、第二次大戦後のアルジェリア、ベトナム、アフガニスタン、レバノン、パレスチナ等のように、たとえ正規軍同士の戦争で完敗してもゲリラ戦士になって何十年も抵抗を続ける、占領国がギブ・アップするまでゲリラ戦を止めないということだから、人的にも経済的にも大変なコストを払うやり方である。
それにたいして②のコラボレーショニスト政策は、はるかに楽である。少なくとも国民を大量に殺されなくてすむし、せっせと服従し恭順の意を示していれば、そのうち峻烈な占領政策を緩和してくれるかもしれないという希望を持つことができる。しかし「長期間、コラボレーショニスト体制を続ける敗戦国には、かならず二つの問題が生じる」とキッシンジャー氏は指摘しているのだ。
一つは、国家の「ディ・レジティマタイゼーション」です。国家がレジティマシーlegitimacy (正統性)を失うということである。
敵国の占領軍が押し付けてきた憲法や法律、行政制度、教育制度、歴史解釈(敗北した国は「道徳的に劣等な国」であり、戦勝国は「道徳的に優越した正義の国」であるという歴史解釈をそのまま使うわけですから、敗戦国の国民は、「何だ、自分の国は、占領軍の言いなりになっているだけのエセ国家か」と思うようになってしまう。外見的には「立派な独立国(経済大国)に見えたとしても、国民は本音レベルでは、(この国は・戦勝国に服従している属国にすぎない)ということをなってしまう。国際社会もその国を本当の独立国としては扱わない。そうなると国家としての正当性とクレディビリティcredibility(信頼性)を失ってしまう。だれも尊厳を払わない国となる。
コラボレーシヨニズムの二つ目の弊害は、国の「ディ・モラライゼーションde-moralization)である。
「モラル」「道徳」ではなく、「モラールmorale」(士気、気概、撃心)を失うということにつながる。国民が士気を失い、「自分の国は、所詮、戦勝国にペコペコするだけの属国か。戦勝国の顔色を窺っている卑怯者国家か」と感じるようになってしまう。そして、「こんな国のことなど、本気で考える必要はない。自分だけが出世して金持ちになれば、それで十分だ「国のために」なんてダサいこと言うよりも、自分の趣味と私生活を大切にする生き方に専念しよう」という「ミーイズム」に陥ってしまう。また、それが戦勝国の狙いでもある。
キッシンジャー氏が「コラボレーショニズムは、国家のディ・レジティマタイゼーションとディ・モラライゼーションを起こす」と書いているのは、敗戦後の日本のことを言っているのである。
フランスのド・ゴール大統領は、「自国の運命を自分で決めようとせず『友好国』の政策判断に任せてしまう国は、自国の国防政策に対して興味を失ってしまう。自国の防衛を他国任せにするような国は、独立国としての存在理由をすでに失っている」という鋭い指摘をしている。
今回は、戦後の日米関係を再考するのにふさわしい、興味深い論説を二本紹介させていただく。是非、戦後66年続いてきた不可思議な日米関係を今、一度考えていただきたい。
「日本の権力構造と在日米軍」
2012年2月22日 田中 宇
沖縄に駐留する米軍海兵隊が、海兵隊普天間基地の名護市辺野古への移転を待たず、グアム島に移転していくことについて、日米政府が話し合いを始めている。(US, Japan mull sending 4,700 Marines to Guam)
米海兵隊が沖縄に駐留していることは、日米同盟の象徴だ。海兵隊は総兵力24万人(定員数)で、そのうち日本に駐留するのは定員数1万8千人(実数は1万2千人前後)にすぎず、海兵隊全体の中に占める割合は低い。だが、米国外で海兵隊が常駐しているのは日本だけだ(海兵隊は3つの遠征旅団から構成され、第1が太平洋岸のカリフォルニア州、第2が大西洋岸のノースカロライナ州、第3が沖縄を拠点としている)。沖縄駐留の海兵隊が減ることは、それ自体が在日米軍の縮小、希薄化である。
米海兵隊が日本から撤退していく方向性は、1999年ごろに米政府が冷戦後の米軍の世界戦略の再編(米軍再編)を検討し始めた時からの、一貫した流れだ。1971年の沖縄の日本への返還当時から、米海兵隊の任務の中に、日本を防衛することは入っていない。
沖縄に大量の米軍がいるが、沖縄上空の日本領空に外国の戦闘機が侵入してきた場合、最初に戦闘機を出して防空任務を担当するのは、米空軍でなく、那覇空港に駐留する日本の自衛隊だ。沖縄返還と同時に那覇空港から米軍が出ていき、代わりに自衛隊が入ってきたが、この時に沖縄上空の防空任務は米軍から自衛隊に引き継がれた。これに象徴されるように、日本の防衛は、40年前から、米軍でなく自衛隊の任務だ(日本が外国軍から本格的に侵攻され、日本に駐留する米軍も外国軍から攻撃されれば、米軍は反撃するだろうが)。
沖縄の米軍の任務は日本の防衛でなく、米国の世界戦略に沿った動きをすることだ。朝鮮戦争、冷戦時のソ連との対峙、ベトナム戦争、アフガン・イラク戦争、イランへの威嚇、ソマリア沖の海賊退治などが、歴史的に沖縄米軍の任務だった。米軍は日本の防衛を任務としていないが、沖縄に米軍が駐留すること自体が、外国軍に日本を攻撃することを躊躇させ、間接的に日本の防衛に貢献しているからいいんだというのが米国側の理屈だ。
在日米軍は日本の防衛を任務としないので、日本の都合に関係なく、米国の都合だけで増員したり撤退したりできる。冷戦が終わり、輸送機の性能も上がったので、米軍は部隊を米本土から遠い前方に置く必要がなくなった。不必要な前方展開をやめて米軍を効率化し、財政負担を軽減する「米軍再編」が99年ごろから検討された。
だがその後、01年の911事件で「テロ戦争」が始まり、逆に米軍は急拡大した(911の発生を米当局が知りながら黙認した可能性があるが、その理由の一つは、米軍再編による防衛費の削減を、米軍関係者が嫌ったことにある)
911後、米軍は急拡大したものの、戦争はイラクもアフガンも失敗し、撤退を余儀なくされている。おまけにリーマンショックで米金融界も破綻に瀕し、米国の政府予算や経済的余力を、金融界と軍関係者(軍産複合体)が奪い合っている。再選のため経済再建を優先するオバマ政権は、防衛費の削減と米軍の縮小を押し進め、10年ぶりに米軍再編の政策が戻ってきた。
米陸軍は、欧州(独伊)に駐留する部隊を半減させる予定だ。欧州は、EU統合の一環で欧州統合軍を創設する方向で、米軍の助けを借りなくても防衛できる方向だ。米軍部隊を海外から米本土の基地に戻せば、基地周辺の経済が活性化し、不況が続く米国の景気回復にも貢献できる。(Defense Cuts Sap Obama’s Asia Pivot)
同様に海兵隊も、長期的に、米本土にある2つの遠征旅団だけで十分やっていける。米軍は、米政府の財政再建策に協力し、現在24万人いる海兵隊員(現役+予備役)を、5年間で2万人弱を減らして22万人台にする計画だ。2万人弱の減員が、3つの海兵隊旅団のうちどこで行われるか発表されていないが、沖縄の第3旅団を中心に減らすのでないかという見方が出ている。(Rethinking Okinawa military relocation)
▼日本の政治自立を骨抜きにして権力保持した官僚機構
常識的に考えれば、在日米軍は日本を守らないのだし、米軍再編で海兵隊が日本から撤退するなら、どうぞご自由にというのが日本の姿勢になる。しかし、現実は全く違う。日本政府は、海兵隊に1日でも長く日本にいてほしいと考えている。
それについて説明するには、終戦以来の日本の権力構造を分析する必要がある。
1945年の終戦後の日本は、占領者である米当局(GHQ)が政策を決め、それに沿って日本の官僚機構が行政を行う体制になった。終戦まで力を持っていた軍部や政界は終戦とともに権力を失い、米当局の下に日本官僚機構がつく指揮系統だけが、日本の権力となった。米当局は、しだいに日本を国家として再自立させていこうとしたが、これは、民主主義の原則に沿って、日本の国会や政界(政党)が官僚から権力を奪うことを意味していた。官僚は、米当局が模索する日本の政治的自立を換骨奪胎する戦略を採った。
GHQは終戦直後、自治体や自治警察を各県に作るなど、日本を強い地方分権体制にしようとした。軍部や政界だけでなく、東京の官僚機構をも解体し、日本の権力機構を地方に分散させ中央集権化を防ぐことで、日本の国際再台頭を防止したかったのだろう。だが、官僚機構がGHQの地方分権策の実質化をのらくらと遅らせている間に、朝鮮戦争が1950年に起こって冷戦体制が東アジアに波及した。米国が日本に求めるものは、国際再台頭の抑止でなく、冷戦体制下で米国の忠実な部下となることになった。日本の中央集権は温存され、地方自治体は東京の官僚(旧自治省など)に支配された。
朝鮮戦争とともに米国は、冷戦勝利を最重視するアジア戦略に転換し、米当局の意志を日本官僚機構が実行する占領型の体制を再び重視するようになった。朝鮮戦争が続いている間に、日本の再自立を形だけ実行して冷戦体制の中に日本を組み込むサンフランシスコ講和条約が締結された。53年に朝鮮戦争が暫定終結した後、55年の保守合同で自民党が作られ、実質的な権力を握る官僚機構が担ぐ御神輿の上に、官僚の言いなりの自民党が永久与党として乗る、戦後日本の権力構造ができあがった。日本政府の各省の権力は、大臣(政治家)でなく事務次官(官僚のトップ)にあり、日本政府の実質的な意志決定機関は、閣議でなく事務次官会議だった。
事務次官会議は、09年に官僚から政界への権力奪還を狙って就任した鳩山政権によって廃止されたが、野田政権になって、震災復興支援の名目で「各府省連絡会議」として復活した。大震災が政治的に利用されていることが透けて見える。官僚機構の傘下にあるマスコミが「次は首都圏直下型地震が起きる」と騒ぎ、テレビの出演者が「大震災の教訓を末永く語り継がねばなりません」と深刻そうに言う理由も見えてくる。大震災前のマスコミでは、大地震を予測する報道がタブーだったが、今は逆に、大震災が確実に起きると喧伝されている。朝鮮戦争で焼け太った日本の官僚機構は、今また大震災で焼け太りだ。
▼ベトナム戦争後の米軍撤退を引き留めた日本
話を歴史に戻す。朝鮮戦争で確立した東アジアの冷戦体制は、1960年代末のベトナム戦争の失敗によって崩れ出した。ベトナム戦争で財政力と国際信用を消耗した米政府は、アジアからの軍事撤退を検討した。
米国は第二次大戦後の世界体制として当初、国連の安保理常任理事国に象徴される多極均衡体制を構築したが、それに反対する勢力(軍事産業や英国)が結託してソ連との敵対を扇動し、多極均衡をぶち壊して冷戦体制を作った。約20年後、ベトナム戦争の失敗と、反戦運動や反米感情の世界的な盛り上がりを機に、米国の中枢で多極派が盛り返し、米国の中枢で多極派と冷戦派の暗闘がひどくなった。
69年に就任したニクソン政権が、多極型世界の復活をめざす政策を行った。中国との関係正常化、ドル崩壊の是認(金ドル交換停止)などのほか、沖縄の日本への返還が行われ、在日米軍の撤収と、日本の軍事的自立が模索された。しかし、日本の権力を握る官僚機構にとって、米軍の撤収や日本の自立は、政界に権力を奪われることにつながるので、何としても避けねばならなかった。
そこで日本政府は米政府に、米軍が日本から全撤退するのでなく、返還後も沖縄にだけ米軍が残ることにしてくれるなら、本土から沖縄に米軍が移転する費用を大幅に水増しして日本が米国に支払うとともに、その後の米軍の沖縄駐留費のかなりの部分を実質的に日本が負担してあげますと提案した。米側は、日本が金を出してくれるなら沖縄に米軍を駐留したいということになった。
沖縄返還が決まる直前の69年秋の日米交渉で、本土から沖縄への米軍の移転費と、5年分の駐留費の支援として、日本政府が合計2億ドルを米政府に支払うことが決まった。このうち移転に使われたのは4割ほどで、残りは日本が米軍駐留費を肩代わりする費用だった。5年の期間がすぎた後の1978年からは「思いやり予算」として米軍駐留費を日本が肩代わりする体制が恒久化した。(在日米軍基地の再編:1970年前後)
米国中枢で冷戦派(軍産複合体)と多極派の暗闘が激しくなる中で、日本の官僚機構は冷戦派と結託し、米軍駐留費のかなりの部分を負担して米国側を買収し、日本から米軍を全撤退させようとする多極派の方針をくじき、日米同盟(対米従属)の根幹に位置する米軍の日本駐留を維持することに成功した。日本側でも政界の田中角栄首相らは、ニクソン政権の多極派に頼まれて中国との関係を政治主導で強化しかけたが、米国の冷戦派はロッキード事件に田中を巻き込んで失脚させた。日本の官僚支配は維持された。(田中金脈を攻撃する文章を書いて立花隆が英雄になった件の本質も見えてくる)
ベトナム反戦運動で高まった日本国内の反米感情を緩和するため、反基地運動が大きな騒ぎになりやすい首都圏から米軍基地を一掃する計画が挙行され、米空軍は厚木基地から出ていき、横田基地から沖縄の嘉手納に移った。本土復帰と抱き合わせにするどさくさ紛れで、沖縄に基地の増加を認めさせた。横須賀の米海軍も佐世保に移り、米軍は首都圏の基地のほとんどから撤収することになっていたが、自衛隊が横須賀軍港を使い切れないなどという理由をつけて、日本側が米海軍第7艦隊を横須賀に戻してもらった。日本政府は、反基地運動を沈静化したい一方で、米軍が日本から撤退する方向が顕在化せぬよう、米軍が出ていった後の基地を「自衛隊と米軍の共同利用」という形にした。これは、米軍が使いたければいつでも日本本土の基地を使えるという意味でもあった。
▼支配の実態がなく被支配体制だけの日本
日本では、米国が沖縄への米軍駐留継続や、日本に対する支配続行を強く望んだ結果、沖縄だけ米軍基地が残ることになったと考える歴史観が席巻している。しかし、第一次大戦からの米国の世界戦略の歴史を俯瞰すると、米国が日本を支配し続けたいと考えるのは無理がある。
米国の世界戦略は「1大陸1大国」「5大国制度のもとでの国家間民主主義」的な多極型均衡体制への希求と、ユーラシア包囲網的な米英中心体制を求める力とが相克しており、1970年前後や現在(2005年ごろ以降)に起きていることは、多極型への希求(裏から世界を多極化しておいて、あとからそれを容認する)が強くなっている。米中関係改善と沖縄返還が行われた70年前後、米国は日本から米軍を全撤退するつもりだったと考えるのが自然だ。
また、日本の官僚機構が対米従属に固執し続けている戦後史をふまえると、米国は沖縄返還とともに日本から米軍を全撤退しようとしたが、日本が米国を買収して思いとどまらせ、米軍は沖縄だけに恒久駐留を続けることになったと考えるのが妥当だ。日本人は「米国は日本を支配し続けたいのだ」と考えがちだが、これは、官僚機構が自分たちの策略を人々に悟らせないために歪曲された考え方だ。官僚機構の傘下にある学界やマスコミの人々の多くが、歪曲された考えを無自覚のうちに信奉している。
米政府は、日本を支配したいと考えていない(日本市場で米企業を大儲けさせたいとは考えているだろうが)。日本の権力機構が、支配された体制下でしか権力を維持できない(さもないと政界に権力を奪われる「民主化」が起きてしまう)。そのため日本では、支配者の実態を欠いた「被支配体制」だけが、戦後60年間ずっと演出されている。
米国防総省は2004年まで、米国の同盟諸国が、自国での米国の駐留費のうち何割を負担したかを発表していた。04年に、日本政府は在日米軍駐留費のうち74・5%を負担していた。これはダントツで世界最高の負担率だ。第2位のサウジアラビアの負担率は64・8%だった(その他アラブ産油諸国の負担率も同水準)。(Allied Contributions to the Common Defense 2004)
サウジなどアラブ産油国は、自前の軍隊を持つと、軍部が反王政の民意を受けて王政転覆のクーデターを起こしかねないので、王室が軍隊を持ちたがらず、石油ガス収入の一部を払って米軍に駐留してもらい、防衛力としている。石油成金の独裁で臆病なサウジの王室より、立派な自衛隊と世界第5位の防衛費を持った日本の方が、米軍駐留費の負担率が10%も大きいのは異常なことだ。日本の官僚機構が米軍を買収して駐留させていることが見て取れる。
05年以降、国防総省がこの統計を発表しなくなったのは、日本政府が米政府に発表しないでくれと頼んだからかもしれない。グアム移転費という新たな名目を含む思いやり予算の総額は、04年から昨年まで、ずっと6500億-7000億円で推移しており、買収体質は今も全く変わっていない。(Allied Contributions to the Common Defense)
すでに述べたことだが、24万人の米海兵隊のうち22万人以上が米国の東西海岸部を拠点としている。定員1・8万人、実数1・2万人以下の、比較的小さい第3海兵遠征旅団だけが、唯一の海外常駐海兵隊として日本(沖縄)に駐留している。
なぜ世界の中で日本だけに米海兵隊が海外駐留しているのかという疑問も「思いやり予算の見返りに駐留している」と考えれば合点がいく。沖縄の海兵隊は、日本の官僚機構が「被支配」を演出するための道具立てとして、思いやり予算で雇われて駐留している。
その海兵隊が、辺野古建設とグアム移転の費用支払いという、現行の日本からの買収体制を無視して、グアムや米本土への撤退を始めることになった。日本の官僚機構にとっては、ベトナム戦争後以来40年ぶりの、米軍撤収・対米従属体制瓦解の大危機である。ここまで書いてかなり長くなったので、現行の危機についての説明は次回に回すことにする。
*内田 樹氏のブログより
2012.02.27
「沖縄の基地問題はどうして解決しないのか?」
沖縄タイムスの取材で、沖縄の基地問題について少し話をした。この問題について私が言っていることはこれまでとあまり変わらない。
沖縄の在日米軍基地は「アメリカの西太平洋戦略と日本の安全保障にとって死活的に重要である」という命題と、「沖縄に在日米軍基地の70%が集中しており、県民の91%が基地の縮小・撤収を要望している」という命題が真正面から対立して、スタックしている。デッドロックに追い詰められた問題を解くためには、「もう一度初期条件を点検する」のが解法の基本である。
まず私たちは「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」という問いから始めるべきである。ところがまことに不思議なことに、沖縄の基地問題を論じるためにマスメディアは膨大な字数を割いてきたが、「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」といういちばん大本の問いにはほとんど関心を示さないのである。どこを仮想敵国に想定し、どこを仮想同盟国に想定し、どういう軍事的緊張に、どういう対応をすることを基本とする軍略であるのか、といういちばん重要な問いをメディアはほとんど論じない。
例えば、米露関係や米中関係、米台関係、米韓関係は、多様な国際関係論的入力によって短期的に激変する。東西冷戦期には、米露がその後これほど親密になり、ほとんど「パートナー」といえるほどに利害が近接することを予想した人はいないだろう。
中国についても同じである。iPadの商標問題でアップルが焦っているのは、中国市場がiPad、iPhoneの巨大市場であり、中国との友好関係なくしてアメリカ経済の維持はありえないことを知っているからである。米中関係ではイデオロギーよりもビジネスが優先しており、両国の間に軍事的緊張関係を生じることは仮にホワイトハウスや中南海が腹をくくっても、米中の財界人たちが絶対に許さない。
米韓関係もデリケートだ。南北関係が緊張すれば「北から韓国を守る」米軍への依存度は高まるが、統一機運が高まると「アメリカは南北統一の妨害者だ」という国民感情が噴き出してくる。その繰り返しである。
その韓国ではすでに米軍基地の縮小・撤収が進んでいることはこれまでブログで何度も取り上げた。基地全体は3分の1に縮小され、ソウル駅近くの米軍司令部のあった龍山基地は2004年にソウル市民たちからの激しい移転要請に屈して移転を余儀なくされた。
フィリピンのクラーク空軍基地、スービック海軍基地はベトナム戦争のときの主力基地であり、アメリカ国外最大の規模を誇っていたが、フィリピン政府の要請によって1991年に全面返還された。
これらの事実から言えるのは、「アメリカの西太平洋戦略とそれに基づく基地配備プラン」は歴史的条件の変化に対応して、大きく変動しているということである。
当然、これらの全体的な戦略的布置の変化に即応して、沖縄米軍基地の軍略上の位置づけも、そのつど経時変化をしているはずである。だが、その変化について、それが「沖縄における米軍基地のさらなる拡充を求めるものか」「沖縄における米軍基地の縮小撤収を可能にするものか」という議論は政府もメディアも扱わない。
というのは、沖縄の米軍基地はこれらの劇的な地政学的変化にもかかわらず、その軍略上の重要性を変化させていないからなのである。
少なくとも、日本政府とメディアはそう説明している。
だが、もし地政学的条件の変化にかかわらずその地政学的重要性を変化させない軍事基地というものがあるとすれば、論理的に考えれば、それは「その地域の地政学的変化と無関係な基地」、つまり「あってもなくても、どちらでもいい基地」だということになる。そのような基地の維持のために膨大な「思いやり予算」を計上し、沖縄県民に日常的な苦痛を強いるのは、誰が考えても政策的には合理的ではない。
つまり、沖縄基地問題がスタックしている第一の理由は、「沖縄に基地はほんとうに必要なのか?必要だとすれば、どのような機能のどのようなサイズのものがオプティマルなのか?」というもっともリアルでかつ核心的な問いについて、日本政府が「それについては考えないようにしている」からなのである。
もっともリアルで核心的な問いを不問に付している以上、話が先に進むはずがない。だが、そろそろこの問いに直面しなければならない時期が来ているのではないか。
アメリカの共和党の大統領候補であるロン・ポールは沖縄を含む在外米軍基地すべての縮小・撤収を大統領選の公約に掲げている。
これが公約になりうるということは「在外米軍基地はアメリカの国益増大に寄与していない」という考え方がアメリカ国内でかなり広く支持されてきているということを意味している。
アメリカの世論調査会社ラスムセンによると、米軍が安全保障条約によって防衛義務を負っている56カ国のうち、アメリカ国民が「本気で防衛義務を感じている」国は12カ国だそうである(その中に日本が入っていることを願うが)。アメリカが「本気で防衛義務を感じない」国々を守るために他国の数倍の国防予算を計上していることに4分の3の米国民はもう同意していない。
大統領選の行方はいまだ未知数だが、オバマが再選されても、共和党の大統領が選ばれても、国防費の削減はまず不可避である。
そのときにアメリカが日本の基地に対してどういう提案をしてくるか。
考えられるのは二つである。
(1)在日米軍基地の管理運営コスト、兵器のアップデートに要する費用、兵士の給与の大半または全額を日本政府が負担すること
(2)在日米軍基地の大胆な縮小・一部の撤収(この場合は、アメリカの国防上必須な軍事的機能の一部を、日本の自衛隊が安全保障条約の同盟国の義務として担うことも条件として付される)。
どちらもやたらに金がかかる話だから、財政規律の立て直しに必死な日本政府が「そんなことは考えたくない」と思うのはよくわかる。
気持ちはよくわかるが、いずれこの提案はアメリカから出てくる。
「もっと金を出す」か「自前で国防をするか」どちらかを選べと必ず言ってくる。
そして、今の日本政府には金もないが、国防構想はもっとないのである。戦後67年間ずっとアメリカに日本は国防構想の起案から実施まで全部丸投げにしてきた。自分で考えたことないのである。国防はもちろん軍事だけでなく、外交も含む。
日本のような小国が米中という大国に挟まれているわけだから、本来なら、秦代の縦横家のよくするところの「合従連衡」の奇策を練るしかない。
だが、「日米基軸」という呪文によって、日本人はスケールの大きな合従連衡のビッグピクチャーを描く知的訓練をまったくしてこなかった。
ここでアメリカに去られて、自前で国防をしなければならなくなったときに、対中、対露、対韓、対ASEANで骨太の雄渾な東アジア構想を描けるような力をもった日本人は政治家にも外交官にも学者にもいない。どこにも、一人も、いない。
だって、「そういう構想ができる人間が必要だ」と誰も考えてこなかったからである。
日本のエスタブリッシュメントが育ててきたのは、「アメリカの意向」をいち早く伝えて、それをてきぱきと実現して、アメリカのご機嫌を伺うことのできる「たいこもち」的な人士だけである。
アメリカが日本の国防を日本の主権に戻した場合に、日本にはその主権を行使できるだけの力がない。
できるのは、とりあえずは自衛隊の将官たちを抜擢して、閣僚に加え、彼らに国防政策の起案と実施を丸投げするだけである。
国民のかなりの部分はこれに賛同するだろう。既成政党の政治家より制服を着た軍人さんたちの方がずっと頼りになりそうだし、知的に見えるからだ。
だが、政治家たちも霞ヶ関の官僚たちもメディアも「軍人に頥使される」ということを想像しただけでアレルギーが出る。
さきのいくさの経験から、軍人たちを重用すると、政治家と官僚が独占してきた権力と財貨と情報が軍部にごっそり奪われることを知っているからである。
だから、「日本に国防上の主権を戻す」という、独立国としては歓呼で迎えるべきオッファーを日本政府は必死で断ることになる。
国防上の主権は要りません。主権を行使する「やり方」を知らないから。
これまで通り、ホワイトハウスから在日米軍司令官を通じて自衛隊に指示を出してください。それが日本政府の本音である。
だから、日本政府に残された選択肢は一つしかないのである。
アメリカが帰りたがっても、袖にすがりついて、「沖縄にいてもらう」のである。
金はいくらでも出します。消費税を上げて税収を増やすので、それを上納しますから。どうかいかないで。Don’t leave me alone. それが日本政府の本音である。
だから、「アメリカの軍略の変化」については言及しないのである。基地問題がスタックしているのは、「スタックすることから利益を得ている当事者」がいるからである。
ひとりは「もめればもめるほど、日本政府から引き出せる金が増える」ということを知っている国防総省であり、ひとりは「いつまでもアメリカを日本防衛のステイクホルダーにしておきたい」日本政府である。
交渉の当事者双方が、「話がつかないこと」の方が「うっかり話がついてしまうこと」よりも望ましいと思っているのだから、沖縄の基地問題の交渉は解決するはずがないのである。悲しいけれど、これが問題の実相なのである。
別に沖縄問題の裏事情に通じているわけではないが、新聞を読みながら推理すると、こう考えるしか合理的な説明が存在しないのである。
<田中 宇(たなかさかい)プロフィール>
1961年(昭和36年)、東京生まれ。東北大学経済学部卒業。1986年(昭和61年)、東レ勤務。1987年(昭和62年)、共同通信社に入社。そこで外信部に配属され、英語のニュース記事を多読する内にそれらに魅了される。1996年(平成8年)頃、「田中宇の国際ニュース解説」を始める。1997年(平成9年)、その頃コンテンツの充実を模索していたマイクロソフト社に誘われて同社に入り、ニュースの配信業務に従事する。1999年(平成11年)末、独立。2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件や2003年(平成15年)のイラク戦争以降、多くの書籍を出版している。
2008年(平成20年)、田中宇の国際ニュース解説が「まぐまぐ大賞2008」の総合大賞で、3位を受賞した。
<内田 樹(うちだたつる)プロフィール>
1950年9月30日生まれ。東京都出身。日比谷高校中退、東京大学文学部仏文科卒、
東京都立大学大学院人文科学研究科中退。
2003年6月現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。
研究領域 フランス文学・フランス思想(レヴィナス、カミュ、ブランショ) 近現代フランス思想史(ユダヤ教思想、反ユダヤ主義)
身体技法論(武道論) 映画記号論
合気道(合気会)六段(1998年1月)
全日本剣道連盟 居合道 三段(1998年5月)
全日本剣道連盟 杖道 三段(2001年6月)