「東大話法」という詭弁術

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5月 282012

   安富 歩という東大の先生が書いた「原発危機と東大話法~傍観者の論理・欺瞞の言語~」という本が「東大話法」という言葉を一部で流行させている。

確かに、311福島原発事故以降、専門家と言われる人たちが、多くの嘘を平気で放言していたことは、安富氏が指摘するように、私たちの記憶にも新しいところである。この本は、その背後にある根深い日本社会に根付いた精神構造を分析したものである。はっきり言っておもしろい。特に香山リカ氏の小出裕章助教批判や、池田信夫氏の原発に関するブログ記事が、いかに「東大話法」的かをこと細かに論証している部分は、「なるほど」と納得のいく内容となっている。

 是非、これから、テレビを中心とする大手マスコミで流される、この手の話法に騙されないためにも読んでおきたい本である。



それでは、著者の言う「東大話法」とは、どう言うものなのか。それは以下の規則である。

(1)『自分の信念』ではなく、『自分の立場』に合わせた思考を採用する。

(2)自の立場の都合のよいように、(自分勝手に)相手の話を解釈する。

(3)(自説にとって)都合の悪いことは無視し、(自分にとって)都合の良いことだけを返事する。

(4)都合の良いことがない場合には、関係ない話をしてお茶を濁す。

(5)どんなにいいかげんでつじつまが合わないことでも(タレント政治家橋下徹のように)自信満々で話す。

(6)自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。

(7)その場で自分が立派な人だと思われることを言う。

(8)自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。

(9)『誤解を恐れずに言えば』と言って、うそをつく。

(10)スケープゴートを侮辱することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。

(11)相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。

(12)自分の議論を『公平』だと無根拠に断言する。

(13)自分の立場に沿って、都合の良い話を集める。

(14)羊頭狗肉。

(15)わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。

(16)わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。

(17)ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。

(18)ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。

(19)全体のバランスを常に考えて発言せよ。

(20)『もし○○○であるとしたら、おわびします』と言って、謝罪したフリで切り抜ける。 

この中で、重要なポイントは、(1)、(2)、(8)、(13)、(20)の規則である。特に「東大話法」というものを理解するのに重要な概念が「立場」という考え方である。

著者はそのことを解説するために「「役」と「立場」の日本社会」という章を書いている。

 それでは、「東大話法」の実例を紹介しよう。

『思考奪う 偽りの言葉 高慢 無責任な傍観者』

安冨歩(東京新聞 2月25日より)

 

着想は福島原発事故後、NHKに出ずっぱりだった関村直人(原子力工学)の話しぶり。

関村教授は不安でテレビにかじりつく視聴者に向かって、ずっと楽観的な『安全』を強調し続けた専門家。1号機爆発の一報にも『爆破弁を作動させた可能性がある。』と言い切り酷い学者不信を招いた。

『過酷事故が目の前で起こっていても、官僚や学者は原発を安全と印象づける「欺瞞言語」を手放さなかった。東大で見聞きする独特の話しぶりにそっくりだと思った。』

『東大話法』は東大OBが最も巧みに操るが、出身大学とは関係ない。

爆発事故を『爆発的事象』と繰り返した東北大出身の枝野幸男官房長官も、典型的な東大話法。

『正しくない言葉で、まず騙しているのは自分自身。目の前で爆発が起こっている現実を直視できなくなり、正気を疑うようなことも平気でできるようになる。』

経済学博士の安冨歩教授はバブルに突き進んだ銀行の暴走と、戦争に向かってひた走った昭和初期の日本社会の相似に気づき、既存の学問分野を超えて『なぜ人間社会は、暴走するのか』を探求してきた。

安冨歩教授は、『最も恐ろしいことは、危機的な事態が起こった際、正しくない言葉を使うこと。それは一人一人から判断力を奪う』と強調する。

『危険なものを危険といわず』戦前、戦時中に『日本は神の国だ』などと言い続けたことが、客観的な現状認識を妨げ、いたずらに犠牲者を重ねた。

そんな『言葉の空転』が原子力ムラでも蔓延。『危険』なものを『危険』と言わない東大話法が偽りの安全神話を支え、事故を招いた。



『上から目線の話しぶりに潜む東大話法のウソ』

規則1:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する

『原子力関係者がよく使う言い回しに、「わが国は・・・しなければなりません」がある。

「私」ではなく、往々にして国や役所などを主語にするのが「立場」の人です。』

日本人のほとんどは、立場に合わせて考え、『立場上そういうしかなかった』といった言い訳もまかり通りがちだ。

『責任から逃げている「立場」がいくつも寄り添い、生態系のように蠢いているのが日本社会。しかし、「立場の生態系」がどこにいくのかは、誰一人知らない。』



高慢 無責任な傍観者

周囲もあぜん 『記憶飛んだ』

規則8:自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル張りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。

原子力ムラでは自分を『傍観者』とみなしたがる。

『客観的であることと傍観することをはき違え、なんら恥じるところがない』傍観者ぶりが際立っているのが、原子力安全委員会の斑目春樹委員長。

国会の原発事故調で『一週間寝ていないので記憶が飛んでいる。(官邸に)どんな助言をしたか覚えていない』と、当事者とは思えない言い訳をして、周囲を唖然とさせた。

『原発に反対し続けた京大原子炉実験所の小出裕章さんが、講演のたび「原子力に、かかわってきた者として謝罪したい」と繰り返しているのと比べると驚くばかりの傍観者ぶりだ。』

規則3:都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけを返事する。

規則5:どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも、自信満々で話す。

九州電力の『ヤラセ討論会』の大橋弘忠東大教授(システム量子工学)も典型的な東大話法。

小出助教授の『人は間違うし、想定外の事態も起こり得るので、安全余裕をなるべく多くとるのが、原子力のようなものを扱うときの鉄則だ』に対して、大橋教授は『安全余裕を完全に間違えて理解している方の考え方』と冷笑。

水蒸気爆発の心配をする市民団体にも、『私は水蒸気爆発の専門家』と胸を張り、見下す。

 

『プルトニウム拡散の遠因』

『原子炉を四十年間、研究をしてきたのは小出さんの方。ところが、大橋教授が討論会を仕切ってしまった。その結果、九州電力の玄海原発には危険なプルトニウム混合燃料が投入された』。

福島第一原発でもプルサーマルが始まり爆発事故でプルトニウムが飛び散った遠因に、大橋教授の『プルトニウムを飲んでもすぐに排出される』東大話法が貢献した。

『東大話法』にだまされないために安冨教授は、『自らの内にある東大話法に向き合い、考えることから逃げない姿勢が大切。東大話法を見つけたら、笑ってやること』と提案する。

笑われて、恥ずかしいことだと気づくことで東大話法から抜け出せる。どこに向かうかわからない『立場の生態系』については、パイプに詰まったごみのような存在が迷走を止める役割を担うこともある。

『官僚にも学者にも、あるいはメディアにも、自分の言葉を持つ人たちがわずかにいる。そんな一人一人の存在でかろうじて社会がもっている。もし、人間社会が卑怯者の集団になったら、社会秩序は維持できない。』



『東電の〝派遣教員〟東大教授〝逆ギレ〟反論の東大話法』サンデー毎日」4/1

 

『プルトニウムは飲んでも大丈夫』のセリフで有名な東大大学院の大橋弘忠教授(59)。九州電力玄海原発へのプルサーマル導入の安全性を問う(第三者委員会が九電の『やらせ』と断定した)公開討論会。大橋氏は、余裕の笑みとも受け取れる表情を浮かべ、持論を展開。

『事故の時にどうなるかは、想定したシナリオにすべて依存する。(原子炉の)格納容器が壊れる確率を計算するのは、大隕石が落ちてきた時にどうするかという起こりもしない確率を調べるのと一緒。専門家になればなるほど、格納容器が壊れるなんて思えない』

『プルトニウムは実際には何にも怖いことはない。水に溶けないので飲んでも体内で吸収されず、体外に排出されるだけだ』

ところが福島第1原発事故では『想定したシナリオに依存どころか、制御不能に陥る。

プルトニウム混合のプルサーマルに否定的な京大原子炉実験所の小出裕章助教(62)らに対して、〝上から目線〟で安全性を強調する大橋教授。

『都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする』

『どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す』

『誤解を恐れずに言えば、と言って嘘をつく』

安富歩教授は『国内初となる玄海原発へのプルサーマル導入に、大橋氏の〝原発推進トーク〟がひと役買ったと言われても仕方がない。その延長線上で10年9月には福島第1原発の3号機にMOX燃料が投入され、半年後にその3号機が水素爆発で大量の放射性物質をばらまいた』

大橋教授は、東大原子力工学科から東電。現在は同大学院工学系研究科システム創成学の教授で『東電の派遣教員』(東大関係者)。

大橋教授は、原発推進の立場から国策の一翼を担って、保安院原子炉安全小委員会委員長や総合資源エネルギー調査会委員など政府の委員を歴任。昨年10月には北陸電力の志賀原発運営に助言する『原子力安全信頼会議』委員。

 

プルトニウム発言や、『大隕石が落ちる確率と同じ』はずの格納容器の損傷が確実となった今、大橋教授が自らの発言に対する説明責任は完全無視。

事故の反省も、避難住民や国民への謝罪は無いが、『説明責任』『プルトニウムは飲めるか』『話し方について』『やらせ事件』などの6項目を、自身のホームページで『身内』にはこっそりと反論、『プルトニウムは飲んでも安全』に関しては>『プルトニウムは水に溶けにくいので、仮に人体に入っても外へ出ていく、と述べたのが、それならプルトニウムは飲めるのか、飲んでみろ、となっているらしい。文脈を考えればわかるのに、いまどき小学生でもこんな議論はしないだろう』と開き直る。

安冨教授は呆れながら、『これは「スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる」という東大話法の典型例です。しかも、水に溶けないから安全というのは、それこそ文脈を考えてみれば、むちゃくちゃな議論であることは

明らかです。プルトニウムを吸い込めば肺の中にとどまり、放射線を出し続けるおそれがあるからです』



『この人は学者ゴロにすぎない』

九電の『やらせ問題について』では、第三者委員会委員長を務めた郷原信郎弁護士(57)に対する〝暴言〟も。>『私は佐賀県から依頼されてた・・・この種の討論会は、推進派も反対派も動員をしてそれぞれの立場から質疑を行うのは当然・・・国会答弁でも何でも同じ。

目立ちたがり屋の弁護士さんが「やらせやらせ」と言い出し、それに社会全体が翻弄された』傲岸不遜を地でいくような発言に、郷原氏も『大橋氏は小出氏らの発言に噛み付き、ケチをつけているだけ。学者ではなく「学者ゴロ」「原発ゴロ」にすぎない』。

『論外です。発言がデタラメすぎる。我々は徹底した調査で巧妙なやらせのカラクリを解明したわけで、大橋氏がまともに反論できることがあれば、堂々と私に反論したらどうか。自分の身分、立場を隠して世論を誘導する質問を仕込んだ推進派と他の聴衆は一緒にできない』

公開討論で大橋教授と対峙した小出助教は、『(反論を読んで)ただただ、あきれました。こんな人が東大教授なのですね。もともと東電の人だから、こんなことをやってきたのでしょう。「技術的」「客観的」など何の根拠も示さないまま、自分勝手な論理を主張するだけで、「いまどき小学生でもこんな議論はしないだろう」と彼に言葉を返したい。

福島原発の事故が起きてしまっている現実をまず見るべきだし、自分がどういう役割を果たしてきたのか、胸に手を当てて考えるべきでしょう。』

大橋教授は『多忙につき取材(面談、書面とも)はお受けできない』と拒否、向き合うべきは、学内の身内ではなく国民ではないのか。



『東大から起きた「原子力ムラ」内部批判』

東大原子力工学の学者の欺瞞が凝縮。事故を矮小化し、反省もせず、国民を欺く姿悪質。

福島第一原発爆発後、核燃料サイクル、放射性廃棄物が専門で、産官学『原子力ムラ』の中心の日本原子力学会会長の田中知東大教授は、『今一度、我々は学会設立の原点である行動指針、倫理規定に立ち返り、己を省みることが必要であります。すなわち、学会員ひとりひとりが、事実を尊重しつつ、公平・公正な態度で自らの判断を下すという高い倫理観を持ち、(中略)社会に対して信頼できる情報を発信する等の活動を真摯に行うことができるよう会長として最大限の努力を致す所存であります』と原発事故後、高邁かつ誠実な精神を謳い上げた。

しかし田中東大放射線管理部長の『環境放射線対策プロジェクト』が、多数の東大教員から、『まったく信用できない』批判される。

田中教授は原発事故後東大キャンパスの放射線量を調査し同時期の本郷キャンパスと比べ格段に高かったが、柏キャンパスの線量が高い理由は>『測定値近傍にある天然石や地質などの影響で、平時でも放射線量率が若干高めになっているところがあります><結論としては少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康になんら問題はないと考えています。』

ところが柏市の高線量『ホットスポット』は文部科学省調査などから明らか。低線量被曝の仮説は、放射線による発がんリスクには放射線量の閾値はなく、放射線量に比例してリスクが増える。

不正確な『東大話法』に対して、東大人文社会の島薗進教授など東大教員有志(理系より文系が多い)45人で改善要請文を大学側に大学側に提出。

『東大は「放射能の健康被害はない」との立場を明確に示したことになりますが、「健康に影響はない」と断定するのはおかしい。多様な意見を考慮せず、狭い立場で一方的な情報を出しているとしか思えない。より慎重なリスク評価を排除するのは適切ではありません』

『低線量でもそれに比例したリスクは存在するとした標準的な国際放射線防護委員会(ICRP)モデルに基づいた記述とし、「健康に影響はない」という断定は避ける』など、『東大の原子力ムラ』に対して東大内部から批判が公然化し『健康に影響はない』を削除。

濱田純一総長から『さまざまな角度からの幅広い議論が必要な問題と思いますので、引き続き忌憚のないご意見をいただきたい』『担当者に速やかな検討の指示』の返信。

しかし総長の思いとは裏腹に、田中教授を責任者とするプロジェクト側には、『非を認めて謝るのではなく、単に表現が悪かったので修正した』との姿勢が窺える。東京電力寄付講座は一部が消滅。トップを動かしたとはいえ『巧妙に非を認めようとしない言い逃れだ。こうした思考法は「東大話法」という独特のものです』と安冨教授。

放射線の人体への影響について放射線防護の専門家の多くが安全論に傾いたのは、全国の大学で電力会社や原子力産業の資金で研究が進められたことが背景にある。



『傍観者を決め込む御用学者』

東電との『産学連携』の東大の原子力ムラに関して安冨教授は、『たとえ東電からカネをもらって研究するにしても、東電ではなく公共に尽くす。そうした研究の独立性をいかに維持するかが重要なのだ。東電のカネで行っていた過去の東大の研究が、学問としての独立性を保っていたかどうかをきちんと検証する必要があります。独立性がなかったと認められたならば、被災者に還元する。検証をせずズルズル状態のままでは東大の権威と信頼は守れません』

安全神話の神髄こそが『東大話法』だ。

 

『原発事故をめぐっては数多くの東大卒業生や関係者が登場し、その大半が同じパターンの欺瞞的な言葉遣いをしていることに気付いたのです。東大関係者は独特の話法を用いて人々を自分の都合のよいように巧みに操作しています。言うならば、原発という恐るべきシステムは、この話法によって出現し、この話法によって暴走し、この話法によって爆発したのです』。



東大話法の根幹は『自らを傍観者と見なしたがること』。

学者は常に客観的でなければならないとの信条を盾にして、『だから自分はいつも傍観者でいることが正しい』と、自分に好都合な結論を引き出す。

『原発事故では、明らかに大きな権限を持つポストにいる御用学者が、完全に傍観者を決め込んでいます。その代表格が東大工学部出身で原子力安全委員会の斑目春樹委員長(元東大教授)です』。

『原子炉格納容器が壊れる確率は1億年に1回』と発言し、事故後もこれを撤回していない大橋弘忠東大教授も『東大話法』の使い手で規則9、15,20以外はすべて該当する。

 

大橋教授は玄海原発ヤラセ討論会での無責任暴言が有名。

『北陸電力は昨年10月、志賀原発運営に助言する原子力安全信頼会議を設置し、委員に大橋教授を選任したのには心底驚きました。「格納容器が壊れる確率は1億年に1回」とした発言の誤りが明らかになった現状で委員を引き受けたのもあまりにも無責任です』(押川教授)

『徹底した不誠実さと高速計算』

安冨教授は、『東大話法使い』の資質をこう定義する。

『徹底した不誠実さを背景として、高速回転する頭脳によって見事にバランスを取りつつ、事務処理を高速度でやってのける。多少なりとも良心がうずけばボロが出ます。そういうものを一切さらけ出さないほどに悪辣かつ巧妙であるためには、徹底した不誠実さと高速計算とがなければできません。東大にはそういう能力のある人材がそろっているのです』



「原子力ムラ」への改善要求について、東大医科学研究所の上昌広特任教授は、『柏キャンパスの放射線量をめぐる議論は結論が出ない神学論争』?であるとして事実上、科学論争を拒否。

(なるほど、徹底した不誠実さと素晴らしい高速計算ぶりである)

*(以上、サンデー毎日2012/03/04号より)

 

 ところで、第四章の「「役」と「立場」の日本社会」の章が、著者の本当に言いたいことだと思われるので簡単にその考えを紹介しておく。

 この章において、悪辣な「東大話法」というものが日本社会全体に行き渡ってしまった理由を分析している。

 「「東大話法」「東大文化」の中では、「立場」という概念が大きな役割を果たしている。」と、指摘している。そして、この日本社会における「立場」という概念を理解することが、今回の事故のあり方、日本の原子力発電のあり方を理解する上で、決定的に重要だとも指摘している。

 そして、夏目漱石の作品群を分析し、次のように説明している。

「漱石は、純日本的な「立場」、つまり、「世間的な夫の立場」からして、というようなの「立場」にpositionstanceを統合し、それが自分の人格をそのものである、という「立場主義」の思想を的確に表現しているのです。これは近代日本社会に形成されつつあった人間を統御し、抑圧するシステムを、明確に言語化するものであったと思います。」

そして、先の大戦で、死んでいった英霊の手紙を分析して次の結論に到るのである。

「日本社会では、「義務」と「立場」がセットになり、立場に付随する義務を果たすことで、立場は守られ、義務を果たさないと、立場を失うことになります。立場を失うと言うことは、生きる場を失う、ということです。

それゆえ、日本人の多くは、義務を果たすことに邁進し、うまくできれば、「安らかさ」を感じるのです。」

著者は、先の大戦を経て、日本社会は、人間ではなく、「立場」で構成されるようになったと、指摘する。その結果、「無私の献身」と「利己主義」が不気味に共存する。ある面、道徳的でありながら、果てしなく、不道徳である戦後日本社会が完成されたのだと分析している。

 そう言えば、作家の瀬戸内寂聴氏が、90年の人生の中で、戦争中に比較しても「こんなに悪い時代はなかった」と原発反対のハンガーストライキのインタビューで答えていたが、このことを直截に表現した言葉と受け止めてもいいのではないか。

 そして、「役」という概念が日本社会を根底から支える哲学だと安富氏は指摘する。

「役を果たせば、立場が守られる、立場には役が付随する。役を果たさなければ、立場を失う。」

この原理は、戦後、日本社会で、国・企業をはじめ、あらゆる組織で明確に作動している。

そして、昨年から詭弁の象徴となった原子力御用学者の「役」と「立場」の分析をしている。原子力業界では、ほとんどすべての論文が「我が国」で始まる。

なぜか。原子力の「平和利用の推進」は、原子力基本法で定められた「国策」で、原子力の研究や推進は、すべてこの「国策」に発する事業の一部である。だから、彼らは、「御公儀」の配分する「役」を担うことで、自らの「立場」を守っているのである。

そして、著者は、この「役と立場」の概念から次のように分析するのである。



「海外の人々は津波の衝撃を受けながらも、自分のやるべきことをやり、絶望したり、自暴自棄になったりしない日本人を、驚嘆の目で眺め、賞賛しました。日本人のこの尊敬すべき行動は、「役と立場」のゆえだと考えます。

 そしてまた、原発事故に際しては、どう考えても危険極まりのない状況で、政府が「安全」だと言っているからといって悠然と日常生活を続けている日本人を見て、海外の人々は吃驚しました。しかし今度は、賞賛していたのではなく、あきれていたのです。これもまた、「役と立場」のゆえなのです。」

 「東大話法」ということばが適切かどうかは、わからないが、勉強になる本である。

 

<安冨 歩(やすとみ・あゆむ)プロフィール>

東京大学東洋文化研究所教授

1963年大阪府生まれ。86年京都大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。博士(経済学)。住友銀行勤務を経て、京都大学人文科学研究所助手、ロンドン大学滞在研究員、名古屋大学情報文化学部助教授、東京大学東洋文化研究所教授。09年より現職。著書に『生きるための経済学』、『原発危機と東大話法』など。

原発は潜在的核保有国となるための隠れ蓑

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5月 172012

*今までレポートで指摘してきたことをはっきり言及している興味深い内容です。いろいろご意見はあるとは、思いますが、客観的な事実だけは押さえておくべきだと考えます。  

平成231013         JB PRESSより 

 

原発は潜在的核保有国となるための隠れ蓑 

~「国体維持」のために福島は見捨てられた:西村吉雄×烏賀陽弘道対談~ 

 

<新聞・テレビが経営的にも、言論的にも弱体化する中、米国では寄付をベースとする「非営利ジャーナリズム」が新たな潮流となりつつある。個人からの寄付で福島第一原子力発電所事故の検証リポートの出版を目指すFUKUSHIMAプロジェクト編集部会長の西村吉雄氏と、読者からの投げ銭で取材活動を行っているフリージャーナリストの烏賀陽弘道氏に、日本のジャーナリズムの未来について語ってもらった。> 

 

  

西村 吉雄(にしむら・よしお)氏
1942年生まれ。71年東京工業大学博士課程修了、日経マグロウヒル(現日経BP)入社。「日経エレクトロニクス」編集長、日経BP社発行人、編集委員など歴任。東京大学大学院教授などを経て、現在は早稲田大学大学院ジャーナリズムコース客員教授、東工大学長特別補佐。FUKUSHIMAプロジェクトでは編集部会長を務める(撮影:前田せいめい、以下同)昨日の前篇「報道人は食っていけるか、生き残れるか?」に引き続き、2人が福島第一原発事故を取材・分析する中で行き着いた、「軍事としての原発」に関する議論を紹介する。

西村 

FUKUSHIMAプロジェクトの執筆作業の過程でいろいろ資料を集めているのですが、調べれば調べるほど「原発」と「核兵器」との関係が浮き彫りになってくる。

 1969年に外務省が「我が国の外交政策大綱」という内部文書を作成しています。2010年にその文書が公開(PDFhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku_hokoku/pdfs/kaku_hokoku02.pdfされたのですが、そこには「核兵器は当面保有しないが、核兵器を作るだけの技術力と経済力は保持する」との方針が明記されていた。それは、  不動の方針としてずっと続いてきたのでしょう。

 だから、「市場経済の観点で、原発は儲からないから撤退する」という選択は電力会社には許されなかった。

  原子力発電所の立地する自治体にはさまざまな名目で補助金や交付金が出ていて、あれを勘定に入れれば、原子力発電のコストはちっとも安くない。でも「あれは国防費です」「経済的なためのお金ではありません」ということになれば、それはしょうがないよねということがウラであったかもしれない。

日本は潜在的核保有国の筆頭格? 

烏賀陽 

米国の大学院の最初の授業で「君たちは、世界に何カ国核保有国があるか知っているか?」と聞かれました。

 「アメリカ、ソ連、イギリス、南アフリカ、イスラエル・・・」と名前を挙げていくと、教授は「実際に核兵器を持っている国とは別に、核兵器を開発可能で、それを飛ばして相手国に打ち込むロケット技術もあるけれど、政治的な判断で核兵器を持たない国がある。それはどこか?」と言うのです。「もしかして日本ですか?」と聞いたら「そうだ」と。 

 

日本は衛星を軌道に乗せるロケット技術があり、それは大陸間弾道ミサイルの技術とまったく変わらない。プルトニウムも持っている。核兵器に使うものとは種類が違うけれども、精製技術は応用可能です。

 世界からみれば、日本は、いつでも、あと一歩で核兵器を持って武装することができる潜在的核保有国の筆頭格なのです。僕は教授に「日本には非核三原則がありまして・・・」と必死に説明したのですが「いやいや、政治的意思なんていうものは一晩で変わってしまうのだから、意味がない」とあっさり蹴飛ばされました。日本は核保有国と非核国の中間にある「核保有国1.5」みたいな存在なんですね。

「核抑止力としての原発」を社説でさらけ出した読売新聞 

西村 

読売新聞は97日付社説で「日本はプルトニウムを利用することが許されていて、日本の原子力発電は潜在的な核抑止力となっている。だから、脱原発してはいけない」と書いた。

 これには驚きました。それは、みんな薄々は感じながらも「それを言っちゃあ、おしまいよ」みたいな暗黙の了解が成立していたことかと思っていたのですが、社説で言い切ってしまった。



烏賀陽 弘道(うがや・ひろみち)氏
1963年生まれ。86年京都大学経済学部卒、朝日新聞社入社。津支局、名古屋本社社会部、「AERA」編集部などを経て、2003年フリーランスに。主な著書に『「朝日」ともあろうものが。』、『報道災害【原発編】』(上杉隆氏との共著)など

烏賀陽 

日本非核国の神話の終わりですね。

西村 

文筆家の内田樹さんは、講演で「ドイツ、イタリアの脱原発の流れの中で、アメリカは日本にも脱原発してほしいと思っているはずだ」と言っていました。第2次世界大戦の敗戦国の枢軸国3カ国は核クラブから出ていってくれということなんです。

 本当の核クラブは米・ロ・英・仏の旧連合国と中国の5カ国で、これらは国連安全保障理事会の常任理事国です。日本は、これだけの不手際を起こし、世界にご迷惑をかけて、その上、プルトニウムを持っていてテロに狙われたら危なくてしょうがない状態。

烏賀陽 

日本の権力の本当の意思が3月11日の大震災を境にむき出しになってきたような気がします。

 読売新聞の9月7日の社説も、「正体見たり!」という感じです。もともと読売は正力松太郎の政治的な野望のために大きくなった新聞。日本が原発を導入する際の、プロパガンダに大きな役割を果たしました。ニュース媒体としてだけでなく、ビートルズを呼んだり、プロ野球をやるのと同じレベルで原子力博覧会とかいうのをやって興行主として原発を振興した。日本を親・原発国にしたことについて、読売新聞の功績は非常に大きい。その文脈で考えると、9月7日の社説は、ある意味、本当に正直になったな、という気がするんです。

 アメリカ側は、読売新聞がいかに日本の権力の中枢の代弁者として機能しているかを知っています。その前提で、アメリカ側にシグナルを送って、出方を見ているのかもしれませんね。

 核クラブからの退場を求められる日本

西村 

ある時点まではアメリカにとっても日本が潜在的核保有国であることに意味があった。ただ、日本がプルトニウムを作ることに対して、アメリカは何度も何度もブレーキをかけている。青森県六ヶ所村の日本原燃の核燃料再処理工場がいまだに稼働していないのも、アメリカからの圧力が背景にあるのです。

 日本が、国内と再処理を委託しているイギリス、フランスとに大量のプルトニウムを保有している状態を、アメリカが好ましくないと思い始めている。だから、大震災をきっかけに「核クラブから出ていって」というのが、アメリカの本音になってきていると思います。

烏賀陽 

日本の原子力防災は全然役に立たなかったということが、今回、明らかになりました。では、アメリカの原子力防災はどうなっているのか。ニューヨークの約50km北にあるインディアンポイント原発の避難計画はネットで簡単に調べられます。それを見ると、実にきめ細かいのです。

 なぜだろうと思って、アメリカに住む知人にメールしたところ、「当たり前だ。アメリカは核戦争を想定して、住民の避難計画を考えているのだから、原発事故はその応用に過ぎないだろう」というわけなんです。

 アメリカは「ソ連からいつミサイルが飛んでくるか」という時代を50年過ごしてきて、核防災を意識せざるを得なかった。そういう国と日本とでは違って当然なんです。日本は「お上が民を平気で見捨てる」とかいう以前に、そもそも、本土での戦争は想定していないんじゃないかという気がします。核防災が全くなっていないというのも、その辺りに起因するのではないか。

西村 

これはほとんど誰も言っていなくて、私一人言い続けているのですが、日本のエネルギー問題は、大したことないと思うんです。人口は減る一方なので、必要なエネルギーも減っていくに決まっています。必死になって再生可能エネルギーに研究投資なんてしなくても、じきに余ります。実は、このことを一番よく知っているのは電力会社で、だから、彼らは設備投資したくないんです。

 この夏、全国の原子力発電所の3分の2が止まり、原発による発電は1割あるかないかでした。それでも、この程度の影響で済んでしまった。原発を全部止めたところで、電力供給面では大して困らない。でも、潜在的核兵器であるというならば、意味合いが全然違ってくる。

烏賀陽 

なるほど、国策というのは、そういうことなんですね。

儲からなくても、日本には原発撤退の自由はなかった

西村 

本当のことを言うのはまずいから、これまでは「電気が足りない」とか「エネルギーバランス」とかを強調してきたのでしょう。読売新聞の社説はむき出しに言わざるを得ないところに追い詰められてきたのかという気がします。

烏賀陽 

確かに、そういうふうに説明すると、きれいに説明がつきます。官僚機構は暴走機関車のようなところがあって、「これは、いかん」と思っていても、動き出してしまうと誰にも止められない。複数の変数がどんどん増えて、3次方程式、4次方程式になってどんどんマイナスの関数を描いているのが現況じゃないかと思うんです。

西村 

高速増殖炉路線は、まさに、それです。今、一番安くて安全な核燃料の処分方法は「使い捨て」です。再処理しない方が安上がり。だから、フランスもイギリスも「高速増殖炉は、もう成り立たない」と断念した。なのに、日本だけが止められない。頭のいい官僚なら、止めるべきだと分かっているはずなのに、誰も「止める」と言い出せない。言い出しかけた人が次々と左遷されているのを目の当たりにして、もう言えないんです。

烏賀陽 

原発事故を契機に「原子力ムラ」の存在が問題視されるようになりました。電力会社と、政府と、微々たるアカデミズムの学会で人材を分け合い、情報も閉鎖系の中で巡っていることが非難された。

 しかし、アメリカにも「原子力ムラ」はあります。原子力の研究者、技術者は出身大学が限られているので、みんな同窓生で顔見知り。まさに「ムラ」です。ただ、アメリカの「原子力ムラ」の中には、軍という巨大な組織が入っていて、核技術者の巨大な就職先でもあります。軍は、経済原理でもなく、官僚の原理とも別のメカニズムで動いている全く別の世界。「ムラ」を巨大なものが分断しているという感じです。

西村 

米国では軍の存在が明示的で、原子力の軍事的側面を誰もが知っている。その分、電力会社は「普通の株式会社」としての自由度が与えられているんです。儲からないと思えば、原発は造らない。この20年、新しい原発はひとつも建てられていません。

烏賀陽 

スリーマイル事故以来、止まっていますね。

西村 

彼らは、儲からないから止めたんです。現在では、廃炉のビジネスの方が中心になっている。ところが、日本には軍がなく、潜在的な軍事のところは隠しておいて、平和利用だけを全面的に出す。それを原子力ムラでやってきたために、電力会社側に撤退の自由が無い。これが、ある意味で閉鎖的なんです。

「自給の脅迫観念」で核燃料サイクル路線に邁進

烏賀陽 

不謹慎な冗談なのですが・・・最も効率の良い核燃料の処分方法は核兵器にすることです。

西村 

日本が現在、公式に保有していることになっているプルトニウムは国内と、英仏に預けてある分を合計すると、多分、1万発ぐらい作れます。

六ヶ所村の燃料再処理工場が2012年10月から稼働します。アメリカからの強い圧力で、すぐに核爆弾には転用できないように、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料として取り出しますが、実際には毎年8トンのプルトニウムができるそうで、それは核爆弾1000発分に相当します。

烏賀陽 

アメリカがカリカリするのも仕方ないですね。これは、日本が最後まで抱えている冷戦構造なのかもしれません。「いつかはなりたい核保有国」と思いながら原発を稼働させ、プルトニウムを取り出していたのに、気がついたら冷戦は終わって、アメリカもイギリスもフランスも「もう核兵器の時代じゃないよ」とか言っている。

西村 

もう1つ日本が逃れられなかったのが、「自給の脅迫観念」です。構造的には食料自給とよく似ている。でも、石油を輸入せずに食料が自給できるわけないし、理屈で考えると、全く合理性が無いのですがね。高速増殖炉にこだわるのも、「核燃料をリサイクルし続ければ純国産エネルギーを持つのと同じだ」という発想から抜けきれなかったからなのでしょう。

烏賀陽 

第2次世界大戦の引き金になったのが経済封鎖だったことがトラウマになっているのかもしれません。

 私はアメリカの大学院で「国際安全保障論」を専攻しました。そのプログラムの3つの柱は、軍事学、エネルギー政策、食料問題です。それこそが、一国が自立して存在するための基本です。 恐らく、アメリカからは「日本はエネルギー自給に非常にナーバスで、あわよくばエネルギーのついでにプルトニウムで核武装と思っているのだろう」ということが、見え見えなんだと思います。

西村 

ただ、「国」って何なんでしょうか。地球全体で考えれば自給が成り立っています。でも、シンガポールでは自給という概念はナンセンスです。マレーシアから水が来なければ3日で機能停止する。でも、シンガポールは恐らく水を自給しようなんて考えません。国土が狭いので、食料自給も成り立たない。

 日本も全てを自給するのはナンセンスですが、自給の観念に取り憑かれるぐらいのサイズはある。そこで「国とは何か」という問題が多分、関係してくるんです。

国体維持の犠牲になった福島県民

烏賀陽 

福島に取材に行って、村人全員が退避することになった飯舘村を3日ほど回ってきました。その村の39歳の小学校職員の方が「飯舘村は県庁所在地の福島市を守るために犠牲にされた。パニックを起こさないために、飯舘村が被曝するのをそのままにされた。福島県は東京を守るために見捨てられた」と言うんです。この言葉はものすごく胸に響いた。

恐らく、「自給の意味のあるサイズ」ということで霞が関の人が考えているのは、東京を守ることであり、「国体を維持する」ことでしかないのではないか。そのためには福島県民を平気で見捨てるんだなって、思ったのです。

「国体維持」なんて言葉は使いたくないけれど、本土決戦と言いながら沖縄を虐殺の荒野にしてしまった発想と、福島県民を見捨てたのと、基本的には同じことでしょう。 天皇制を中心とした国体を維持しようとした連中と、エネルギー自給だかプルトニウムだかを維持しようとした連中と何が違うのか――と思うんですよ。

西村 

日本の人口は、2050年には9000万人ぐらいになると言われています。「エネルギーが足りない、足りない」と言っていますが、この2~3年の夏のピークを乗り切れば、あとはなんとかなると思うんです。2100年には、上位予測でも現在の半分強の6000万人余り、減少が早い場合4000万人という可能性もあります。その過程で東京、名古屋、関西など都市部への人口集中が加速するのは確実です。

2010年末に国土審議会が出した推計では、東北地方は2050年までに今よりも40%人口が減ってしまう。震災前から、東北には年寄り世帯が数軒だけしか住んでいないような限界集落がありましたが、地震の影響でさらにひどくなるでしょう。

烏賀陽 

福島では震災半年で既に人口が何万人も流出していて、30年ぶりかに200万人を切ったそうです。

先日、4月に取材した南相馬市の方々の避難先を訪ねてきました。皆さん、「放射能が怖くて、南相馬には帰れない」と言っていました。

南相馬市の大半の地域は屋内退避も解除されているのですが、小学校の校庭でポンと線量計を置いたら1マイクロシーベルトぐらいありました。校庭は、校舎というデカい屋根で受けた雨が流れ込んでくるし、コンクリートと違ってどんどん吸収してしまうのでものすごく線量が高い。

山形県寒河江市に避難している南相馬の小学校の少年野球の監督さんは、「よそ様の子どもにそんなところで野球しろとは、とても言えない」と言っていました。監督の息子さん2人は野球進学が決まっていたのですが、「放射能のかたまりみたいなグラウンドでヘッドスライディングなんてできない」と、山形に残って野球を続けるようです。

飯舘村の村立小学校のPTA会報誌を見せてもらったら、その小学校の子どもたちの転校先の小学校がリストアップされているのですが、全部で20都道府県ありました。これって、ディアスポラ、難民ですよね。国土の一部が、放射能であれ、軍隊であれ、何ものかによって占領され、職場や家、学校から追われる人が大量に発生する。避難というよりも難民です。

震災の影響を加味すれば、東北地方の人口は2050年時点で現在の5割前後まで減ってしまうかもしれません。東北、少なくとも福島からは立ち去りたいと浮き足だっている人も多いですから。

西村 

被災された方々の気持ちに沿って、住宅や生活の再建を考えていくことも大切ですが、マクロの問題としては、これだけの人口減を復興策に反映させていくことも考えなければいけない課題だと思います。

「ナンバーワン」(=一番になりたい)では、なく「オンリーワン」(=自分らしさにこだわる)を目指した演技で見事、6年前にトリノオリンピックで金メダルを獲得した荒川静香さんの素晴らしい演技、自分らしさにこだわった姿に感動した。今でも彼女のそのときの演技を見ると胸が熱くなる。



「普段、周りの視線や評価基準を気にして自分らしさを忘れてしまいがちだが、他人と自分を比較して違いを意識しすぎるよりも、自分らしさをしっかり考えて、自分のできることというのをしっかり見つめる。」

 そんなことが大事だということを、改めて考えさせられた感動の演技。点数にはならないイナバウアーをやってから拍手がずっと続いていて、スタンディングオベーションとなっていくところに注目していただきたい!

荒川静香 トリノオリンピック フリー演技

戦前の論理、戦後の論理

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5月 112012

 現在、日本が戦争に負けてから70年近い歳月が経過している。

そして、時の経過と共にほとんどの日本人は、米国という戦争に勝った国がつくった「戦後の論理」しか知らなくなってしまった。そして、それすら、風化し始めている様相を示している昨今である。



 たとえば、日本国憲法第九条を守る、平和憲法を守るという善意の人々が半世紀にわたって熱心に、ここ日本で活動を続けている。彼らは戦後、米国がつくった論理によって誘導され、動かされてきたことさえ、おそらく、一度も意識したことさえない人々が現在では、ほとんどではないだろうか。

「どうして、独立国、日本にいまだにこれだけの米軍基地があるのか。特に沖縄に米軍基地が集中しているのか。」平和憲法を守る人々は、都合良くそのことを忘れて自身の理想主義に酔っているように見えないでもない。もっと意地の悪い見方をするなら、愛すべき、人の良い日本人らしい特性を備える彼らは、戦後、米国が作り出した言語空間の中ですっかり洗脳されてしまったある意味、犠牲者と言う見方さえできるかもしれない。



 そうは言っても冷戦が終了し、米国が日本に押しつけた「戦後の論理」の幻想が、米国の国力の低下と共に、いたるところで綻び始めている。そんな時代だからこそ、我々は「戦前の論理:先の大戦に敗北した日本の論理」をもう一度、振り返って冷静に考えてみる必要があるのではないだろうか。

日本には「喧嘩両成敗」という言葉がある。戦争に負けた国にも言い分、大義は当然ある、それがなければ、目的のない戦争を日本は遂行したことになってしまう。戦後、私たちは、注意深く意図的にそれらから遠ざけられ、考えないで済むようにされてきたし、自分たちもそのことになるべく触れないように努めてきた。

「戦前の日本の論理(きちんとそれが構築されていたかは別にして)」、「米国が日本に押しつけた戦後の論理」、この二つを、もう一度、客観的に見直し、考え直すことによってしか、二十一世紀の新しい時代の日本をつくっていくことはできないのではないか。

戦争に負けて残された人々もその中でどんなに苦しくても同じように生き続けていかなければならなかったこともたしかである。当然、いろいろな妥協、自己保身も歴史の現実のなかにはあるだろう。

しかしながらやはり、勝者が東京裁判のような勝者の論理で無理矢理、歴史の連続性を日本人の意識から奪ってしまった事実を、我々日本人は、「二十世紀の欧米人」は少々傲慢過ぎたと考えるべき時期を迎えているのではないのか。

 

 今回は、そういったことを考えるための本を紹介したい。

「日米開戦の真実 大川周明著 米英東亜侵略史を読み解く」(佐藤優・著・小学館・2006年)と参考資料としての「日本の失敗~「第二の開国」と「大東亜戦争」~」松本健一著である。



 まず、一冊目の目次と一部要約から読んでいただきたい。

<目 次>

第1部米国東亜侵略史(大川周明)

第2部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)

第3部英国東亜侵略史(大川周明)

第4部 21世紀日本への遺産(佐藤優)

第二部「国民は騙されていた」という虚構について 

 

 日本国民は何について誰に騙されていたというのであろうか。「客観的に見れば国力の違いからアメリカと戦っても日本は絶対に勝つはずがないのに、アジア支配という誇大妄想を抱いた政府、軍部に国民は騙されて戦争に突入した」という見方が現在では、ほぼ常識になっているが、これは戦後作られた物語であると佐藤氏はこの本で述べている。

さて、第二部ではまず、第一章 大川周明が東京裁判をどのように見ており、占領軍がいかに大川を危険視していたか、第二章 アメリカによる日本人洗脳工作がどのように進められたか、第三章 アメリカの対日戦略を分析するに大川周明の「米英東亜侵略史」を見直す必要があるとなっている。



 東京裁判について 

 佐藤氏はまず大川周明が戦争突入時の首相であった東条英機らと「平和に対する罪」ということでA級戦犯として日本占領軍から起訴された法廷での奇異な行動について解説している。それによると、たしかに大川について本当に精神錯乱状態に陥ったのか、それともそれを装ったのかいろいろと議論の余地はあるが、極東軍事裁判で起訴され、収監された人たちの証言から佐藤氏は、大川は一時的にも精神や体に変調をきたしたのではないかと結論づけている 大川は裁判の対象からはずされ、病院を転々として治療を受けた。物事の善悪が判断できる状態になれば公判にもどすのが通例であるが、半年にわたる精神鑑定の結果、大川の精神状態は正常ということになったが、軍事法廷は大川周明を裁判から除外した、そして彼は松沢病院から1948末に自宅に戻った。大川が法廷で裁かれなかった理由として次のように解説している。

 大川は腹の底から法廷をバカにしており、戦勝国の裁判官による「公平な裁判」などというのは作り話で、暴力を背景にした軍事裁判を批判するためには、法廷を悲喜劇の劇場にする方が、効果があると考えていたのが大川だった。だから彼を、裁判からを除外した方が東京裁判の権威が保てると占領軍が考えたというものだ。

 論理の言葉でアメリカ、イギリス、ソ連などの嘘が崩されることを占領軍が恐れたのかもしれない。

 

アメリカによる日本人洗脳工作について 

 日本国民が開戦当時の政府・軍閥に騙されて勝つ見込みのない戦争に追いやられたというのは戦後のアメリカによる洗脳工作によって、戦後になってから、作られた神話であるという。そしてこの神話が作られる過程で、中国を含むアジア諸国を欧米の植民地支配から開放するという日本人がもっていた大義は、日本の支配欲を隠す嘘だという“物語”が押しつけられ、その呪縛から未だに私たちは逃れられずにいる。

また、日本は当時抑圧されていたアジア諸民族の解放、そしてアジアを植民地にしなくては生きていけないという道徳的に悲惨な状況に置かれた欧米人を解放することを考えていたのであると佐藤氏はいう。さらにアジア、ヨーロッパがそれぞれの文化を基礎に、かなりの程度完結した世界を作り、棲み分けていこうというのが大東亜共栄圏の基本的な考え方だったと大川の多元主義の立場を説明している。

戦後アメリカが対日占領政策で巧みに取り入れたのがイギリスの手法である。イギリスは占領地域を徹底的に打ちのめすことをせずに、余力と名誉を保持し、イギリスの世界支配システムに組み込んだという手法である。アメリカが効果を挙げたのは、GHQの指導で行われた「真相箱」という工作である。「真相箱」では、悪いのは軍閥、その中でも陸軍、その親玉が東条英機首相という構成になっており、東条が日本国民を騙した大悪党であると断罪すると連合国側が主張する。

 

大川のアメリカ対日戦略分析について 

 戦後アメリカによって「教育」された内容を棚にあげて、「米英東亜侵略史」をテキストとして大川が主張する日米開戦の論理を明らかにしている。

彼は日米戦争開戦の16年前に出版した著作『亜細亜・欧羅巴・日本』の中で戦争の不可避性を述べている。世界には複数の世界がお互いに切磋琢磨するのが世界史であり、具体的には東洋という世界と西洋という世界が競争し、その過程で戦争は不可欠であるとの認識を示している。



それではアメリカの対日戦略はどうだったのか。アメリカが提唱した中国の門戸開放とは、植民地の分配に自国を参加させよということである。仮に中国が列強によって分割されることになれば、アメリカの取り分が少なくなるから、領土保全の方が都合のよい利権構造を維持できるという計算からの意思表示に過ぎない。日本はアメリカのこの意図に永い間気づかなかったという。

アメリカの満鉄買収政策はきわめて大規模な計画の一部であったという。その計画とは、満鉄を手に入れ、ロシアの疲弊に乗じて東支鉄道を買収し、こうしてシベリア鉄道を経てヨーロッパに至る交通路を支配し、鉄道の終点大連、浦塩から太平洋を汽船でアメリカの西海岸と結び、大陸横断鉄道で東海岸に至り、東海岸から船で大西洋をヨーロッパと結ぶ交通系統、すなわち世界一周船・車連絡路をアメリカの手に握る第一歩として満鉄を日本から買収しようと計画したと大川は『米英東亜侵略史』で述べている。

当然、アメリカの満鉄買収計画を粉砕した日本に対し、日本がアメリカの太平洋制覇と中国進出を妨げる主な障害と考えるようになってくる。この後アメリカで反日感情が高まり、日系人のカリフォルニア州内の土地所有禁止、移民法の改正と発展する。

 一方、アメリカの国益のためには海軍力の増強が必要で、フィリッピンやガム島に海軍基地を建設し、欧米列強と軍事的に対峙する力のあるアジア唯一の国、日本と軋轢をもたらすことは必然的だったと大川は考えていた。しかし、欧米列強の植民地にならなかった日本は、中国を含むアジアの諸民族を植民地支配のくびきから解放しようと真剣に考えて行動したが、後発帝国主義国である日本は基礎体力をつけるため、期間を限定して、アジア諸国を日本の植民地にすることはやむを得ないと考えた。ここに大川の限界が見られ、日本人の民族的自己欺瞞が忍び込む隙ができてしまったと佐藤氏はいう。



 ところで、大川周明氏といえば、東京裁判のA級戦犯の一人であり、法廷で東条英機の禿頭を後ろからパシッと叩いたことで有名である。ドキュメンタリー番組で見た人も大勢おられるのではないか。結局、彼は精神病扱いされ、法廷を離れて入院。その後コーランを全巻和訳するなどの仕事をした。この本の副題に『大川周明著米英東亜侵略史を読み解く』にあるように、太平洋戦争開戦直後、大川周明氏はNHKラジオで、連続講演を行った。米英となぜ開戦にいたったかを冷静に分析して、国民に納得させるためのものである。それが本としてまとめられたのが、「米英東亜侵略史」である。佐藤優氏は、これをアメリカ編、イギリス編と分けて全文を紹介し、本書で解説している。

 よく歴史や政治を解析するためには、現代日本では死語になっている「地政学」をよく理解しないといけないということが言われる。

 現在に通じるアメリカの本質について、大川周明は「アメリカの二重外交:ダブルスタンダード」と鋭く見抜いていた。

 米国の変質がはっきりと表に見えたのは第1次世界大戦であった。「戦争はアメリカの自尊心が許さない」と孤立主義を対外的には標榜していたが、連合国側の勝利が確定するや、「自らの利権拡大」のために大きく国家方針を変えていった。「自由」「独立」を標榜するアメリカが、帝国主義国家の顔を剥きだしにしてきたのである。



 一方日本においても、明治維新時以降、1920年代の普通選挙制度、腐敗政党と、財閥の利権の拡大と政治経済の腐敗も目に付き始めた。大川周明は、そんな日本国の「国家改造」を企てた男でもあった。(「猶存社」の三尊と呼ばれた北 一輝、満川亀太郎は大川と違い日米非戦論であったことも興味深い。彼らには大川にはない政治的戦略思考能力があった。その意味で大川周明は政治的人間ではない。)



*猶存社(ゆうぞんしゃ)

 老壮会の急進的右派思想家の満川亀太郎を中心に、191981日に結成された国家主義運動の結社。社名は『唐詩選』の巻頭にある魏徴の詩「述懐」にある「縦横計不就 慷慨志猶存」にちなむ。

19207月には、機関誌『雄叫び』を発行。皇太子裕仁親王の渡欧阻止や宮中某重大事件で活動し、安田善次郎・原敬らの暗殺事件にも思想的な影響を与えたといわれている。中心スローガンは「日本帝国の改造」と「アジア民族の解放」であった。

また同人による学生運動の指導により、日の会(東京帝国大学)・猶興学会(京都帝国大学)・東光会(第五高等学校)・光の会(慶應義塾大学)・烽の会(札幌農学校)・潮の会(早稲田大学)・魂の会(拓殖大学)などの団体が生まれた。

天皇観の相違やヨッフェ来日問題をめぐって、北と大川・満川との対立が激しくなり、19233月に猶存社自体は解散・分裂した。

その後、1925年に大川は、満川、安岡正篤らと行地社を結成した。一方、北の影響を受けた清水行之助は大行社、岩田富美夫は大化会を結成している。



 もともと、米国には、国内発展を優先させる有名な「モンロー主義」があり、自国の裏庭である南北アメリカ大陸諸国への干渉や働きかけを排除するかわりに、他国のことにも不干渉を原則としていた。

ところが、国内利益を確立した第1次大戦が終結した時期から、覇者の英国に成り代わろうという戦略行動を露骨にとってきた。

「アメリカは本音(帝国主義)と建前(道義)を使い分ける二重構造(ダブルスタンダード)は、道義国家である日本には受け入れられないと大川は考えた。」P135)

 民族自決を標榜したウィルソン大統領の提唱で国際連盟は発足したが、当のアメリカ自身は加盟しなかった。

 国際連盟は、日本が提唱したアジアやアフリカでの人種差別の禁止要項はにべなく拒絶したことも日本人は忘れてはならない。

結局、アメリカは国際連盟には加盟せず、しかし、その権能は利用し、満州国の調査を行い、日本による満州国独立を国際連盟には承認させなかった。日本はその結果を不服として1933年に国際連盟を脱退することになる。

 大川周明は「アメリカという病理現象を治癒することが日本の使命である」とまで言明している。



 佐藤優氏はこう解説している。

「筆者は見るところ、大川周明は軍事行動で日本がアメリカやイギリスに勝利することは不可能と考えていた。

 むしろ戦争を契機に日本国家、日本人が復古的改革の精神で団結し。アジアの同胞から信頼され、新たな世界をつくる世界システムを作る端緒を掴めば、そのときに軍事力以外の力でアメリカ、イギリスとの折り合いをつつけることができる可能性があるという認識をもっていたのではないかと思われる。」(P139)

 「国際問題を論ずる識者は、理念先行の非現実的平和主義者と、国家の軍事力や経済力だけに目を奪われ、道義性を冷笑する力の論理の信仰者の陣営に分かれがちであるが、大川はそのどちらにも属さない。 道義性とリアリズムを大川なりの方法で統合しようとしているのである。」(P140)

 

「大川の限界は米英東亜侵略史の後半部分で明らかになる。近代化において欧米列強の植民地にならなかった日本は、中国を含むアジアの諸民族国を植民地のくびから解放しようと真摯に考え、行動した。

 しかし、後発帝国主義国である日本は基礎体力をつけなくてはいけない。そのために、期間を限定して、アジア諸国を日本の植民地にすることは止むを得ないと考えた。

ここに日本人の民族的自己欺瞞は忍び込む隙ができてしまった。

 あなたを痛みから解放するために、あなたに一時的に痛みを加えますというのは外科手術が前提としている論理であるが、これを国際政治に適用した場合、痛みを追加的に加えられた民族にその理由は理解されないのである。」



「イギリスのような老獪な帝国主義国は、植民地住民の人権などははじめから考えておらず、また植民地は帝国を維持するために不可欠と考えていた。

 そのために植民地住民に対する圧迫をほどほどにしていた。相手にどの程度の痛みがあれば、どの程度の反発があるかということを冷徹に計算していたのである。

 植民地支配の打破を真剣に考えていたからこそ、日本はアジア諸国に痛みを与えていることに気がつかなかった。ここに大川のみならず。高山岩男や田邉元といった京都学派の優れた思想家が落ちていった罠があったのだ。」(P141)

 また歴史において「もっとも競争に強い国は自由貿易を相手国に強要する」「19世紀のイギリスが提唱した自由主義。21世紀のアメリカが提唱している新自由主義(小さな政府)なども同じ考え方であろう。

 

大川周明は多元主義者

「社会主義革命はヨーロッパの精神的伝統から生まれた改革であるため、精神的伝統を異にする日本を含むアジアでは改革は自国の伝統を回復し、自国の善によって、自国の悪を克服することによってのみ可能だという信念をもつ大川は、社会主義をアジアの適用することに関しては批判的なのである。」(P237)

 また佐藤優氏は、左翼イデオロギー(大ブント構想など)哲学者の広松渉氏の主張にも注目している。

「東亜共栄圏の思想は、かつては右翼の専売特許であった。日本の帝国主義はそのままにして、欧米との対立のみが強調され、今では歴史の舞台が大きく回転している。

 日中を軸とした東亜の新秩序を!それを前提とした世界の新秩序を!これが今では日本資本主義そのものの抜本的統御が必要である。が、しかし官僚主義的な圧制と腐敗をと硬直化を防げねばならない。

 だがポスト資本主義の21世紀の世界は、国民主権のもとに、この呪縛の輪から脱出しなければならない。」(P250)

 

「EUは中世から培われたユダヤ・キリスト教の一神教。ギリシャ古典哲学。ローマ法の三原理が一体となった「コルプス・クリスチアヌム」(キリスト教世界)という共通の土台があってはじめて出来たものだ。

 ローマ法を欠くロシアはEUの共通意識をもてないのである。

「コルプス・クリスチアヌム」に争闘する共通意識は東アジアには見当たらない。しいて言えば、新旧漢字文化圏というのであろうが、それは中華帝国に日本が吸収されることを意味するので、日本の国益に合致しないと考える。

 かつて日本は、大東亜共栄圏という形で人為的に、共通意識の理念型を東アジアで構築することを試みたが、失敗した。この教訓からも学ばなくてはならない。

 佐藤氏の理解では、地域共同体には「共通意識の理念型」の要因と。「力の均衡の論理」の双方の要因が内在しているが、「共同意識の理念型」に軸足を置かない共同体構想は不安定だ。」(P256)



 大川周明は「大和心によって、支那精神とインド精神を統合したのが東洋魂である」と言ってはいるが・・・・。

  佐藤優氏は、現在の日本もおかれている厳しい現実を国民各位が凝視することから始まらないといけないとも述べている。

「太平洋を挟んでアメリカという帝国を隣国にしてしまった運命を日本人は受け入れなければならない。その現実、あるいは制約の中で外交を展開することが日本の国益に適う」と佐藤氏は考える。

「対中牽制を睨んで日本の外交戦略を「力の均衡の論理」に基づいて組み立てなおすことが急務だ。

 具体的には、日米同盟の基礎の上で日本がインド、ロシア、モンゴル、台湾、ASEANと提携し、中国を国際社会の「ゲームのルール」に従わせ、日本の国益の増進を図るための連立方程式を組むことだ。

 そこで切磋琢磨しているうちに、自ずから、共通認識の理念型が生成してくるかもしれない。しかし、それにはまだまだ時間がかかる。われわれには必要なのは、アメリカという超巨大大帝国と中国という急速に国力を強化しつつある国家の間にある地政学的運命を冷静に受け止め、日本国家と日本人が生き残っていく方策を真剣に模索することだ。」(P258)



大川周明はユニークな思想家

「大川の人間観が性善説、性悪説のいずれにも立脚せずに、無記の立場から突き放して人間を観察していることに基づく。」

「大川は、民主主義であれ、共産主義であれ、思想の背景にはそれを生み出した伝統と文化があるので、それを無視して日本や中国に輸入することは不可能と考えていた。

  北一輝を含む多くの日本の国家主義者が孫文の国民革命に感情を揺さぶられたのに対し、大川周明は距離を置いた姿勢を示す。大川は孫文の三民主義の基礎となる民主主義(デモクラッシー)自体が欧米的原理であって、アジア解放の手段にならないと考えていた。

 ちなみに共産主義も大川にとってはロシア的原理なので共産主義がアジアを解放することはできないと考えている。」(P274)



本書における佐藤優氏の「大川周明」を参考書とした結論は

現在、流行の新自由主義やグローバリゼーションには歩止まりがある。

どうやって日本の国家体制を強化するかがわれわれに残された現実的シナリオだ。

 国家体制の強化は、大川周明が言うように、日本の伝統に立ち帰り、「自国の善をもって自国の悪を討つこと」によって可能になる。そして自信をもって自国の国益を毅然と主張できる国に今なることだ。

 自らの主張に自信を持っている国家や民族は、他国や他民族の価値を認め、寛容になれる。日本はアメリカの普遍主義(新自由主義や一極主義外交)に同化するのでもなければ、「東アジア」の共通意識を人為的に作るという不毛なゲームに熱中する必要もない。 

佐藤氏の解説にはいろいろご意見があるだろうが、大川周明氏を東条英樹の禿頭を東京裁判で殴った男という記憶で終わらせるのはあまりにも歴史について不遜であろう。

大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年12月6日 – 1957年12月24日)

日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。晩年、コーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる

*参考資料として 「日本の失敗~「第二の開国」と「大東亜戦争」~」松本健一著の松岡正剛氏の解説以下。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1092.html

放射能ハンター

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5月 082012

 以前のレポートでしっかり勉強もしないで、いわゆる日本社会の「空気」を鵜呑みにしていた自分を反省して下記のような文章を書いたことがある。 以下。

「振り返ってみれば、この事故が起こるまでは、電力会社からもマスコミからも、日本の技術は優秀だから原子力発電所は絶対に安全だというメッセージしか、私のような一般人には伝わらないようにされてきたような気がする。それはもちろん、「原子力村」とも言われる利益共同体の大きな意志、意図が働いてそうなったのだろう。

 私自身もエネルギー技術関連の知人がいて今までにいろいろなことを教えてくれたにもかかわらず、たとえば、「現在の原子炉の耐用年数は20年位しかない。」「日本の原子炉の設計の大半はGEで、本当に大切な技術は日本に公開されていない、つまり、ブラックボックスになっているので、大きな事故があったら、日本だけでは対応できないだろう。」

「人間がつくったもので、壊れないものがあるはずないだろう。」

とにかく、いろいろなことを言われたが、原発について真剣に考えることもなく日々を過ごしてきたというのが本当のところだ。

 

そう言えば、小学生の頃、東海村の原子力のPRフイルムを見せられた記憶がある。人類の輝かしい未来を切り開く新エネルギー:原子力の研究が私たちの日本でも行われているという原子力という技術によるバラ色の未来を宣伝するものだった。私の記憶に今でも生々しいのは、放射線を照射して突然変異の研究をしているというものだった。

 しかしながら、311以後、多くの方が、気がつき始めているが、現在の原子力技術は我々にバラ色の未来を約束するものではどうもなさそうだ。

また、今回の事故に対する政府、東電、マスコミの対応は、あまりにも不誠実であった。

 子供のことを心配するお母さん方や、わたしのような素人が原子力や放射線の本を読まなければならない時代を誰が想像しただろうか。」 (引用終わり)

*今回は大変興味深いドイツの番組を見つけたのでご紹介させていただく。 是非、ご覧いただいてご自分の頭で考えていただきたい。

ドイツ ZDF 「放射能ハンター」

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