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6月 262012

「原発にふるさとを奪われて~福島県飯舘村・酪農農家の叫び~」 

長谷川健一著(宝島社)

  この本は、311・フクシマ原発事故の歴史の証言として、一世紀先にも残る本である。また、そうすべき本でもある。原発事故が一生懸命、ごく普通に生きてきた酪農家にこれだけの迫力のある文章を書かせた。そのおかげで、我々は原発事故、原子力ムラの現実をすべてではないが、何分の一かを知ることができたのである。著者の努力に心から感謝したい。アマゾンコムに短い書評が載っていたので、まず、ご紹介させていただく。

「自分も飯舘村村民だが飯舘村村民として経験したことが全て同意出来る。自分も体験した事実が率直に書いてある。

よくこのような本を書いてくれたと思う。飯舘村村長の本も読んだがデタラメばかりで頭に気来て、ぶん投げた。

長谷川さんは酪農家として生きていくために必要なもの全てを原発事故による汚染で奪われ、前田地区の行政区長として地域のため対策に追われ本当に大変だったと思う。

作者は全国各地で要請があれば講演している。被害者の苦しみは言葉では伝えきれるものではない。実際体験した人間でなければ分からない苦しみがある。

是非、この本を読んでテレビや新聞、雑誌で知っていた情報と比べながら読んでほしい。自分も村民の一人としてこの本に書かれている事が真実である事は間違いないと言いきれます。

この本に書かれている情報隠蔽や加害者側の一方的な押し付けが現在まで続いている事を大勢の人に知ってほしいと思います。」

もう一つ 日刊ゲンダイ2012年2月21日から

飯舘村のアキれた実情 酪農家はミタ 放射線量改ざん

 

「飯舘村は原子力ムラのコントロール下に置かれている」――。福島原発事故で高濃度の放射能汚染に見舞われた飯舘村の酪農家、長谷川健一氏(58)が「原発に『ふるさと』を奪われて」(宝島社)を出版。20日、都内で会見を開いた。著書は原発事故直後から現在に至るまでの村の日々をつづったルポだが、驚くのは村民の被曝の影響を無視し、今も汚染の実態をヒタ隠しにし続ける村や国の対応である。



「強制的に下げられた放射線量の数値が全国に公表されている」――。20日の会見で、長谷川氏は、仰天の「放射線量改ざん」疑惑を暴露した。

「昨年11月末ごろ、国の除染モデル事業を請け負った大成建設の作業員とみられる10人ほどが、村のモニタリングポストを高圧洗浄機で洗い、土台の土をソックリ入れ替える作業を行っていた。その様子を複数の村民が目撃していたのです」

 文科省が20日夜に公表した飯舘村の放射線量は、毎時0.755マイクロシーベルト。長谷川氏によると、村内に設置された別のモニタリングポストだと、最近も平均毎時3マイクロシーベルトだ。

 国は「改ざん」数値を根拠に「飯舘村の線量は下がった」と喧伝したいのだろう。フザけた話だ。

 長谷川氏は、国の主導で進む除染事業の効果にも疑問を投げ掛ける。飯舘村の75%は山林だ。しかし、除染の実施範囲は農地や住宅地ばかり。

「どんなに除染しても、山から(放射性物質が)浮遊してくれば意味がない。彼ら(請負業者)にとって、除染はビジネス。線量が下がろうが、下がらなかろうが関係ないのです」

 そもそも、飯舘村の放射能汚染への対応は最初からデタラメだった。

 長谷川氏の著書によると、3号機が爆発した昨年3月14日当時、役場にあった線量計は「毎時40マイクロシーベルト超」を、計測した。平常時の年間許容量(1ミリシーベルト)を1日余りで超える危険水域だ。驚く長谷川氏に、村職員は「この数字、公表しねえでくれよ。(菅野典雄)村長から『絶対人に言うな』と止められている」と“口止め”した。

 京大原子炉実験所の今中哲二助教が3月下旬に村内各地で計測した放射線量を菅野村長に伝えた際も「とにかくこのデータは公表しないでほしい」といった問答が、しばらく続いたという。

 村にはその後、山下俊一長崎大教授(当時)ら放射線専門家が入れ代わり立ち代わり訪れ、「安全だ」「大丈夫だ」と吹聴し、やがて〈放射能をことさら危険視するほうがおかしいという雰囲気さえ漂い始めた〉。

 長谷川氏は、村の復興計画会議の委員に原発推進派の識者が含まれたことを挙げて〈すでに飯舘村は原子力ムラの御用学者たちに牛耳られている〉と強調。20日の会見では、菅野村長を操る黒幕の存在についてこう言及した。

「実は今、菅野村長の行くところすべてに付いて回っている経産省の官僚がいるのです。村役場でも、常に村長のそばにいる。そして、マスコミの取材の際もその彼が出張ってきて、あれこれと指示を出しているんですね。今では彼がマスコミ取材対応の窓口となって取材をさばくようになった」

 これでは、村長が村民無視で経産省の操り人形になっていても不思議はない。やっぱり国の放射能対策を信じてはダメだ。(引用終わり)

*森住 卓」の写真ブログより 0110525

<飯舘村から 長谷川さんの牛が連れて行かれた>

きょう午前中、飯舘村の酪農家をまとめていた長谷川さんの牛が連れて行かれた。
成牛12頭。
「一頭一頭全部思い出があるからな」といって、原発事故が起こってから「村の事を記録しておかなければ」と買ったビデオカメラで我が子同然に育ててきた牛の積み出しを撮影していた。目尻に光る物が一筋すーっとほほを伝っていった。
朝の光がそのしずくの通った道を光らせていた。悔しさと無念さがにじみ出ていた。

<俺は何でこんな写真ばかり撮るんだ・・・・・・??。>





本当に勉強になる内容。一部紹介させていただく。

序章」「何も知らないまま「被爆者」にされて」

地割れ……

「でかい地震だ、ということすぐ分かりました。そのうえ、揺れている時間もすごく長い。まるで海が波打つように、畑が波打つ感じなのです。揺れ続けるうち、今度は畑に地割れがババババーッと起き始めました。一瞬のうちに五○メートルくらいの亀裂がビビーッと走るんです。それが一本じゃなく、何本も走る。地割れが走る瞬間を見ることなんて、もちろん初めてのことでした。-略-」

マスコミは森住のみ。

「私がマスコミを通じて一番訴えたかったのは、まさにこの点でした。インタビューでも、この話を一番強調したんです。でも、テレビはこの話の部分をすべてカットして放送するんですね。結局、私の「なぜ、飯舘村を“たんこぶ”のように囲まないのか」という声を取り上げてくれたマスコミは、なぜかひとつもありませんでした。

 ただ、フリージャーナリストで写真家の森住卓さんだけは違いました。

 森住さんが初めてウチを訪ねてきたのは、三月二七日のことです。森住さんは三月一五日にも飯舘村を訪れていて、前田地区の集会所のあたりでその日の午後五時半頃、持っていた一○○マイクロシーベルトまで測れる線量計の針が振り切れていたことを教えてくれたのでした。そして私は、まさにその直後に集会所に人を集め、部落の緊急集会を開いてしまったことを知ったのです。愕然としました。-略-」



今中哲二(京大助教)の放射線測定

【隠ぺい】乞う村長

「今中先生はまるで異次元に飛び込んできたような感じがして、本当にびっくりしたのだそうです。

 そして、今中先生が菅野村長に、放射線量の計測結果を伝えたところ、村長は「この結果を公表しないでほしい」と、今中先生に頼んだというんですね。

 今中先生は、「こんな線量の高いところに人が住んでいるなんておかしい」と言い、村長は「こういう放射線量を浴びながら生活できる術はないのか」と、涙を流しながら訊ねる。今中先生が「いや、そんなことは無理だ」と答えると、村長が「とにかくこのデータは公表しないでほしい」といった問答が、しばらく続いたといいます。こうしたやり取りがあったということは、同席していた日本大学生物資源科学部の糸長浩司教授から後に聞きました。

 この対応といい、三月一四日に村役場で測定された「毎時四○マイクロシーベルト」を隠そうとしたことといい、まるで菅野村長は、本当のことを村民に伝えないようにしているとしか思えません。実際、村長は広報などを通じてこの計測結果を知らせることはありませんでした。

 しかし、汚染の事実を隠し通すことなど、できるものではありません。おまけら、今中先生たちが村内を測定して回ったことは、すでに日本テレビのニュースでも報じられていました。測った数値を公表しなければ、今度は今中先生たちが責められるわけです。

 今中先生たちは村長に「一日だけ、公表するのを待つ」と言ったのだそうです。そして、その翌日、菅野村長から糸長教授のところに電話がかかってきた。やはり「公表するのだけはやめてくれ」と言ったそうです。

 計測結果は四月四日、インターネットを通じて公表されたといいます。ただ、飯舘村民でインターネットをこまめにチェックしている人など、そうそうおりません。だから、せっかくの計測結果が肝心の飯舘村村民にすぐさま伝わることはありませんでした。

 現に私自身、今中先生たちの計測結果のことを知ったのは、公表されてから数日後のことです。ウチの隣に住んでいて、今、被曝した子どもちの健康問題で走り回っている村の若手の中心人物、佐藤健太君から教えてもらいました。」



毎時1ミリシーベルトあったという

「これはとんでもないことになっていると思ってあたりを見渡すと、子どもたちが外で遊んでいるんです。家々にはたくさんの洗濯物が干してある。大人たちもまた、外で普通に野良仕事をしていました。私は矢も盾もたまらず、村役場にある対策本部にクルマを飛ばしてすっ飛んで行ったんです。」



「大丈夫」保安院がいうから、大丈夫

「議長たちはこう答えました。

「長谷川さん、原子力安全・保安院まで飯舘にやってきて『大丈夫だ』と言われてんだど。俺らこれ以上、何できるって。米を作って、米から放射能出てダメな時は、賠償求めっぺ」

 偉い役人や先生が次々と飯舘村にやってきて「安心」を振りまいたものだから、私の話になど聞く耳を持たないんです。すっかり洗脳されてしまっている。そんな彼らとこれ以上、いくら話をしたところでダメだろうと思って、諦めました。」



「大丈夫」と次々に送られてくる御用学者

「そんな最中でも、放射線の専門家だけは、飯舘村に続々と送り込まれてくるんですね。四月六日には、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの高村昇氏がまたやってきて、今度は高い放射線量が測定されていた長沼地区や蕨平地区などの住民を相手に講演会をしています。地区が違うので私は行きませんでしたが、参加した酪農仲間からは、以前とまったく同じ「大丈夫」を連発していたと聞きました。」



甘い! 

「「村の認識は甘いんでねえが? 一体何やってんだ」と。この日の時点で、村に滞在し続けていた人たちの積算被曝線量は、大人であっても子どもであっても六ミリシーベルトを超えていました。国の基準では、原発事故で住民の被曝放射線量の積算が一○ミリシーベルトを超える地域は「屋内退避」になります。-略-」



山下俊一=「専門家」には見えない

「ところで、長崎大の山下氏をはじめとした「放射線の専門家」たちは、一体、何のために飯舘村までやってきたのでしょうか? それほど飯舘村が安全だというのなら、なぜ自らの学者生命を賭けてでも政府の「計画的避難区域」指定に反対しなかったのでしょうか?

 難しいことはよく分かりませんが、彼らはまるでピエロのようです。あまりにもいい加減すぎて、とても「専門家」には見えません。

 ともあれ、彼らは私たち福島県民のためにここまでやってきたわけではない--ということだけは確かだと思います。実際、彼らが来たことも、私たちに話した内容も、私たち原発事故の被災者にとっては何の役にも立っていないのですから。きっと私たちのことなど、実験動物のモルモットくらいにしか思っていないのでしょう。私は、決して山下俊一たちのモルモットにはなるまいと決意しました。」



自殺と民主党代議士

「翌日の一三日、改めて彼の家に行き、集まってきていた酪農仲間たちと通夜の準備の話をしていると、そこに国会議員が来ました。福島県選出の民主党代議士です。その代議士に対し、自殺した彼のお姉さんは泣きながら、それこそ半狂乱になって政府の無策を責めたのです。

「お前たちが弟を殺したようなものだ」と。でも、代議士は一言もしゃべらないのです。お詫びの言葉もありませんでした。

 さすがに私も頭にきて、一言、彼に言ったんです。

「こういう事態の時にこんなことしてっと、これからの民主党はどんどん落ちっど(落選するぞ)」

 それでも代議士は、ただ黙って立っているだけでした。その場にいたみんなからは「何しに来たんだ?」と言われていました。」

建設し、推進している自民党ですね。脱原発なんて、ほとんどききませんね……。



「除染実験」も、いきなり上から……【原発ムラ】の儲け……

「今、さまざまな形で試みられている飯舘村内での「除染」作業や実験に、東京電力は一切関わっていないのです。

 その一例に、飯舘村の草野地区で計画されている「除染実験」があります。山や川、田んぼや畑、そして人家もある地域を選んでそこを四○○メートル四方で囲むようにして区切り、その中を重点的に除染しようというものなのですが、その四○○メートル四方の中に入っている地権者の三、四人が、実験を行なうことにいまだ承諾していないのです(二○一一年一一月現在)。

 それはなぜかというと、地権者の彼らに対して事前の相談や説明が一切なかったからなのですね。実験の枠組みを決め、国から予算を獲得し、最後に住民への説明をしていました。村民には何の相談もなしに、いきなり上から「こういうことになったから」と、すでに結論が出ているかのような形で話が降ってくるわけです。

 こうしたやり方は、除染作業で出た汚染土の「仮置き場」を村内に作る時でもあったんです。誰にも相談のないまま、村が勝手に決めるのです。原発事故が起こるまでは、そんな一方的な話の進めか方など一切ありませんでした。「非常事態」の名の下、行政の傍若無人な振る舞いがまかり通っているのです。当の村民が何も知らないところで、村全体が見ず知らずの誰かの“実験場”にされていくような気さえしてくるのです。-略-恐らく、飯舘村での「除染実験」にも、こうした原子力産業が関わることになるのでしょう。彼らには、なんでもビジネスチャンスに見えるようです。」



「除染実験」6億円

「策士、策に溺れ、村、原子力ムラに牛耳られる」

--菅野村長は『報道ステーション』でヒーロー気取り。500人の雇用を守ったという。苦情電話がなりっぱなしだったという。



その後、閉鎖された工場など……

「村長が誇らしげに「自分が守った」と語っていた「村内企業の操業継続」は、社長たちにこうした苦難や犠牲を強いる結果になっていたのでした。この会社にしても、いつまで操業を続けられるのか、甚だ疑問です。そして、こうした現実を、菅野村長が知らないはずはありません。」



発狂『美しい村に放射能が降った』村長の本

「放射線リスクだけで、村民の仕事や家庭を壊すわけにはいかない。(一五三ページ)」

甘いといわれても仕方がないですね。健康管理は「自己責任」……。国や行政の責任は回避していくくせに……。

詐欺師でもいえる「放射能を怖がれ」。こんなタイトルの本も御用学者でさえ出していますね。村長も言い出したそうです。意味わかってなくても、いえるらしい。除染ビジネスのために怖がれ……。

御用学者を信ずるアホ村長。アホでももちろん罪だ。司馬遼太郎がいうように……。

「村で九月二八日にまとめた「飯舘村除染計画書」の中に、「いいたて復興計画村民会議」の委員名簿が載っています(次ページの表)。見ると「アドバイザー」の肩書で、東京大学附属病院放射線科准教授の中川恵一氏の名前と、放射線安全フォーラム代表で元・日本原子力学会会長の田中俊一氏の名前が載っているではありませんか。これを見つけた時、村長がなぜ村民の意向を無視して暴走を続けるのか、その理由がわかったような気がしました。」



「御用学者」に支配される飯舘村。

「-略-村長は、なぜ私たち村民の声を聞こうともせずに、こうした御用学者の話にばかり耳を傾け続けるのでしょうか。

 驚くべきことに、すでに飯舘村は原子力ムラの御用学者たちに牛耳られているのです。原子力施設など、村には一つもないにもかかわらず。



 如何だろうか。現在の日本社会がどこか、歯車が狂ってしまっている様子が、原発事故という厳しい状況の中であぶり出されてくるのが、よくおわかりになるのではないだろうか。

*以前に書いたレポートから一部引用。



日本人が、自分たちがモルモットとして人体実験されているというのに気がついたのは、広島・長崎に投下された二つの原子爆弾だった。人類史上初めて使われた大量破壊兵器であり、その威力があまりにも強力でそれ以降は一度も実際の戦争では使われていない。

投下した米国としては、その影響がどのようなものかを調査するのは当然のことだろう。米国は、2発の原子爆弾をヒロシマ・ナガサキに投下して、そのあとに多くの医師を派遣して原爆の影響を調査させたが、そのときに入ってきたのは医者だけではなかったことはよく知られている。軍事専門家は当然として、政治学者も心理学者も人類学者も哲学者も環境学者も物理学者も、ありとあらゆる専門家が両地域に派遣されて膨大なデータがアメリカに蓄積されていった。それが、先般のレポートで説明した試算被爆基準値T65Dをつくる元になったのである。



そして、今回の福島原発事故である。人口の多い地域である日本で起きた今回の事故はチェルノブイリを超える可能性のある核災害・放射能汚染の現場になった。

地震によって原子力発電所が破壊され、水素爆発(あるいは核爆発)を引き起こして4機の原発が次々と壊滅的な損傷をしていき、いまだに放射性物質を大気に飛び散らせている。これによって海洋と大地は汚染されて、しかも原発から250キロの地点にある首都圏にまで被害が及んでいる。

本来ならばすぐにでも避難しなければならなかった福島県の人たちを避難させずに、「放射線研究」をしている山下俊一氏を「放射線アドバイザー」に任命させて、今後の経過を見ようとしているかのようである。

 

100ミリシーベルトまでは問題ない」、「笑っていれば放射能は逃げていく」と言って福島の人たちを「研究」しようとする山下俊一氏の姿勢は、まさに実験室でモルモット実験をしている科学者の態度である。

実際、この人は、この8月、ドイツのシュピーゲル誌のインタビューに答えて被験者は200万人の福島県民全員と答え、科学界に記録を打ち立てる大規模な研究なると正直に答えている。



本当のことを少しでも知ると背筋が寒くなるような日本社会の現実がある。「知らぬが仏」という言葉は、今の日本社会にぴったりだ。

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