*JB PRESS より
<前回>
「オンラインでERSSへの現地情報が途絶した後でも『全交流電源喪失事故』のような過酷事故の進展を、原子炉ごとにシミュレーションしたバックアップシステムPBSが使えたはずだ。安全保安院はそれをしなかった」
つまり「法律とシステム、マニュアルが正しく使われていたら、南相馬市、飯舘村、川内村などの住民のかなりの割合の人たちが被曝せずに済んだ」と言えるのだ。すなわち15条通報以後の「住民避難の失敗」は天災でも何でもなく「あらかじめ決めてあったことを政府ができなかった・あるいはやらなかったための人災」だと言える。
報道はもちろん、国会事故調査委員会の論点整理もこの「地震・津波」という天災と「避難の失敗」という人災の「2つの別種の災害」を「1つの災害」と誤解したまま論じている。
「住民を避難させることに失敗した」のは人災
これを3.11の全体像の中に置いてみよう。「中間まとめ」と思って読んでほしい。
A原発事故の原因になった3.11のような巨大地震と津波は想定外だったかもしれない。
Bしかし「原発が全交流電源を喪失する」という甚大事故は予測され研究し尽くされていた。(NRC報告書を後述)
Cそして「そうなったとき」のための法律やシステム、マニュアルは完備していた。
D政府=特に専門家であるはずの官僚=原子力安全保安院(経産省)と学者=原子力安全委員会は、こうした法律やシステム、マニュアルをまったく使えなかった。あるいは使わなかった。
(注)「政府」という言葉には、政治家、官僚、学者などがプレイヤーとして含まれる。それぞれは負うべき責任の種類が違う。仔細な責任の在処は追って詳しく検証していく。
Eつまり「地震と津波で原発が全電源を失う事態に陥る」までは「天災」だったが「原発がそうなったあと、住民が被曝しないように避難させることに失敗した」という部分に関しては「人災」(あえて善意に解釈してあげれば『失策』)である。
この「人災」部分には多数のプレイヤーが介在し、それぞれが不作為のミスを重ねている。国、県。政治家、官僚、学者。それは複雑な地層のような多数のミスの重なり合いで、一見しただけでは誰がどこでどんなミスをしたのかが、判然としない。こうした「多重失態」の実態は追って少しずつ解明していくつもりだ。
格納容器は壊れないことになっている
さて、松野元さんとの対話に戻る。
<松野 元プロフィール>
原子炉主任技術者、第1種電気主任技術者。1945年1月1日愛媛県松山市生まれ。1967年3月、東京大学工学部電気工学科卒。同年4月、四国電力(株)に入社、入社後、火力発電所、原子力部、企画部、伊方原子力発電所、東京支社等で勤務。2000年4月、JCO臨界事故後の新しい原子力災害対策特別措置法による原子力防災の強化を進めていた経済産業省の関連団体である(財)原子力発電技術機構(現在の独立行政法人原子力安全基盤機構)に出向。同機構の緊急時対策技術開発室長として、リアルタイムで事故進展を予測し、その情報を中央から各原子力立地点のオフサイトセンター等に提供して、国の行う災害対策を支援する緊急時対策支援システム(ERSS)を改良実用化するとともに原子力防災研修の講師も担当し、経済産業省原子力防災専門官の指導にも当たった。2003年3月出向解除。2004年12月四国電力(株)を退職。
──「地震・津波」という天災と「全電源喪失後、住民の避難を失敗した」という人災は2つの別種の災害ではないかと私は考えています。どう思われますか。
「その通りです。アメリカの原子力委員会(NRC)が1990年12月に『5つの原発についてシビアアクシデントが起きる確率』を計算して公表しています。その結果を見ると『福島第一原発のような沸騰水型では炉心溶融に至るようなシビアアクシデントの9割以上は全電源喪失で起きる」と計算している。が、アメリカの原発は地震や津波とはほとんど無縁です。その原因はテロということもありえる。つまり、全電源喪失や炉心溶融は、地震や津波と関係なく起きる事象なのです。1対1の関係ではない。『全電源喪失』と『地震や津波』とは話が別なのです。その対策や発生確率もまったく独立した別個の話だ。3.11では、たまたま津波が来て、日本の原子力安全思想の弱点を洗い出したに過ぎないのです」
私が3.11の直後に福島県の現場で取材したときからずっと解消できないままの疑問があった。煙のようにもくもくと原発から噴き出して流れていった放射性雲(プルーム)から避難する境界線が、なぜ「原発から半径20キロ」というような地図に引いた人工的な線で決められたのか、という点だ。
実際にプルームは官僚が地図にコンパスで引いた線などまったくおかまいなしに広がり、境界線の内側外側関係なく放射性物質で汚染した。ライン外の人は、避難のための交通手段や避難所の手配はおろか、避難が必要だという警告すらなかった。プルームが20キロラインでぴったり止まることなどありえない。子どもでも分かる馬鹿馬鹿しい失策である。実際に「30キロライン」の外側だった福島県飯舘村は避難はおろか警告すらなく、村人や避難者7000人以上がみすみす被曝した。
──そもそも、なぜ「原発を中心にした同心円で危険度を測る」という発想が出てきたのですか。
「同心円での避難規制は『放射線源が1点』を前提にしています。放射線源が1点なら、距離が遠くなるほど、放射線は弱くなる。光と同じ影響特性ですから。そして線源は移動しない」(実際の放射能雲は、無数の放射線源を含み、かつ煙のように移動する)
──それは原発災害に備えた「原子力災害対策特別措置法」が1999年の東海村JCO臨界事故の反省で生まれた法律だからでしょうか。
「確かに、臨界事故では放射線源は点でした。でもそれだけじゃない」
──どういう意味でしょうか。
「現在の立地審査指針は格納容器が壊れないことを前提にしています。格納容器は壊れないことにして安全評価を行っている。格納容器は英語では“container”=『放射性物質の封じ込め容器』です。壊れると中から放射性物質が漏れ出す。それは『ないこと』にしてしまった。だから『原発から煙のように放射性物質が噴き出す』なんていう事態は考えていない。考えなくていいことになっている」
なぜ日本で「非居住地域」はたった半径1キロ圏なのか
──そんな馬鹿な。
「例えば、政府は原子力発電所の『立地審査指針』を定めています。『電力会社が原発を造ろうとしたとき、この基準を満たさなければ政府は許可しない』という基準です。ここに『非居住地域』『低人口地帯』を考慮して立地するようにと書いてある。しかし格納容器が壊れないことを前提とすれば、重大事故や仮想事故を仮定しても放射能影響は『1キロメートル以内=原発の敷地内』に収まることができるので『非居住地域』と『低人口地帯』を具体的に考えなくて済む」
──1979年にスリーマイル島事故が起きています。燃料棒が融けて放射性物質が一部外部に漏れ出した事故です。そのときの避難範囲はほぼ5マイル=10キロ程度でした。つまり、もし格納容器が破損したとき=放射性物質が漏れ出したとき、住民への被害を避けるなら『非居住地域』『低人口地帯』は半径10キロでなければならないことが分かった。そのときに日本でも半径10キロに基準を変更すればよかったのでは?
「10キロに広げると、日本では原発そのものの立地がほとんど不可能になるでしょう。アメリカやソ連と違って、この狭い国土に、半径10キロが非居住地域なんて、そんな場所はほとんどない。あったとしても、用地買収が大変だ。しかし半径1キロなら、原発の敷地内だけで済んでしまいます。半径10キロは砂漠や荒野を持つ国の基準です」
──それは「日本に原発を造るために、格納容器の破損はないことにしよう」という逆立ちしたロジックではありませんか。
「そうです。『立地基準を満たすために、格納容器は壊れないことにする』という前提です。この前提は福島第一原発事故で完全に崩れてしまった。それを無視したままで何も対策を取らないでいるのですから、今のままでは、日本政府には原発を運転する資格がないとさえ言えるでしょう」
全国の原発で同じ失敗が繰り返されるはず
「原発を立地できるように、格納容器は壊れないことにする」というロジックを聞いて、私が昨年春に福島第一原発事故の現場で見て以来、合点がいかずに悩み続けた数々の謎が氷解した。
(1)原子力防災の司令室になるはずだった「オフサイトセンター」が原発から5キロという至近距離に建設されていたために、交通や通信の途絶、空中線量の上昇で放棄せざるをえなくなった。司令塔を失った。なぜそんな至近距離に司令本部をつくったのか。
(2)福島県南相馬市・飯舘村など太平洋岸から脱出するための避難道路が整備されていない。阿武隈山地を越える片側1車線の道路が2~3本あるだけだった。車が数珠つなぎになり、麻痺した。なぜ脱出道路が整備されていなかったのか。
(3)なぜ原発周辺から脱出するためのバスなど移動手段の用意がなかったのか。
(4)なぜ原発周辺から外へ脱出する訓練が行われなかったか。
私は、福島第一原子力発電所で起きた「格納容器が破損し、放射性物質が外に漏れ出して住民を襲った」という事実を見て、どうしてこんなひどい事故から住民を守る対策が取られなかったのか、合点がいかなかった。「対策はあったが、誰かが忘れていたのか」「それは誰か」「故意なのか事故なのか」「対策そのものがなかったのか」。それを一つひとつ調べている。
しかし「『格納容器が壊れることはない=放射性物質が外に漏れ出すことはない』という前提で立地審査が行われていた」かつ「『立地審査が通れば、事故も起きない』という誤謬がまかり通った」と考えれば、すべて説明がつく。
こうした「誤謬のうえに誤謬を重ねた前提」で決められた安全対策の構造は、全国の原発でそのまま残されている。オフサイトセンターの位置。貧弱な脱出避難の道路。脱出手段が用意されていないこと。貧弱な避難訓練。
例えば、再稼働が決定された福井県大飯町の大飯原発のオフサイトセンターは、同原発から5~6キロのところにある。だから仮に福島第一原発事故と同じ内容の事故が起きれば「フクシマ」に起きたのと同じ失敗が繰り返される。容易に想像できることだ。
「健全な原子力の推進には適切な保険が必要」
──では「地震や津波さえなければシビアアクシデントは起きない → だから再稼働は許されるのだ」という論法は間違いだということになりますか?
「どこかの国のジョークに、こんな話があるそうです。夫が、珍しく仕事が早く終わったので、何年かぶりに早く帰宅した。すると奥さんが浮気していた。夫婦は離婚した。後で奥さんは言った。『あなたが珍しく早く帰宅したりしなければ離婚になんかならなかったのに』。
これと同じです。確かに、津波が来なければ、3.11のような事故は起きなかったでしょう。しかし、全国の原発は、今なおその弱点を抱えたまま運転を継続しているということを想像してみてください。『テロ』『ミサイル攻撃』『航空機墜落』『勘違い誤操作』などに対して、依然弱点をさらしたままだ。
そもそも原子力防災の精神は『事故がすぐに起きるとは思っていないが、事故対策は必要』です。『事故は必ず起きるから対策を取れ』というのは、占い師や反対派の言うセリフだと思います。健全な原子力の推進には適切な保険が必要なのです。適切な保険とは『世界水準の保険』にほかなりません」
──いつ、どうした経緯でこんなグロテスクなことになったのですか。
「立地指針は1964年の策定です。その後、四国電力の伊方原発の設置許可をめぐって、裁判が争われました(1973年提訴。1992年に原告住民側敗訴の最高裁判決が確定して終結)。原発推進派と懐疑派双方が論客を動員して、論戦を繰り広げた。法廷を舞台にした、原発の安全性をめぐる総力論戦になった。ここで原子力安全委員会委員長の内田秀雄・東大教授(2006年死去)が『格納容器は壊れない』説を強弁した。それがずっと生きている」
──反論はなかったんですか。
「もちろん法廷でも『格納容器は本当に壊れないんですか』と教授自身が相手側弁護士に尋問された。そこで内田教授は『ディーゼル発電機そのほかのバックアップ電源がある。100万年に1回の確率だ』と主張した。裁判官も原子力発電所の安全基準なんて門外漢だから分からない。そこでこの『設置許可基準を満たせば安全』というロジックに乗ったんです。そのロジックをそのまま使った判決内容だった」
──伊方原発訴訟(2号機)の審理中に、スリーマイル島事故が起きています。その事実は裁判に影響しなかったのでしょうか。
「スリーマイル島事故では燃料が溶解していることが裁判の後で分かり、原告側が『1号機訴訟』(筆者注:訴訟は複数ある)で主張していた通りになっていた。しかし首の皮一枚で格納容器は破損しなかったのです。これが『格納容器は壊れない説』を補強するような格好になってしまった」
想定されていなかったシビアアクシデント
私は暗い気持ちになった。この話をしている松野さんは現役時代、他ならぬ四国電力の技術者であり、伊方原発の勤務経験もあるからだ。国の下部機関への出向で原発事故防災の専門家になった松野さんは、裁判の詳しい内容も熟知している。言葉通り「原発反対派」でも何でもない。そのど真ん中の当事者である彼が、国が勝訴して四国電力の原発設置を裁判所が認めた判決を批判しているのだ。
──伊方訴訟の判決がその後の全国の原発行政にずっと影響を与えているのですか。
「『設置基準を満たしさえすれば、その原発は安全だ』という誤解が広まってしまった。これは本来まったくおかしい。設置基準と、実際に事故が起きるかどうかはまったく別の話だ。まして事故が起きたらどう避難するかは別次元の話です」
──もう少し分かりやすくお願いします。
「ビルを建てるときは防火基準を満たさなければならない。火事が起きても燃え広がらないような耐火建材を使う。中の人が脱出できるように非常口を設ける。でも、安全基準を満たしたからといって、火事が絶対に起きないとは言えない。だからこそ避難経路は決めておく。避難訓練をする。そうでしょう? 許可基準と事故の可能性とはまったく別の話だ」
あえて補足すれば、こうだ。2011年3月11日よりずっと前に、すでに日本の原発の安全対策(住民を被曝から救う対策も含む)は矛盾し、論理的に破綻していたのだ。それを政府は見て見ぬ振りをした。政治家や報道、裁判所は目を向けず無視した。気づかなかった。「壮大なグロテスク」だ。
──シビアアクシデントを想定していなかったことが、福島第一原発事故ではどのような形で具体的に現れていますか。
「電源を喪失してから電源車を必死で探したり、注水のためのポンプ車を探したりしていたのはおかしいと思いませんでしたか。『どうしてそういう訓練がなかったのだろう』と思いませんでしたか。あれは受験勉強をせずに難関大学を受験するようなものです。シビアアクシデントを想定できていれば、そしてそれへの対策不足を認識していればすぐに海水注入してベントもして、と手順はすぐに決まっていたはずです」
日本だけが30年遅れている
──どうして甚大事故への対策がこれほどお留守なのでしょうか。こんな状態なのは日本だけなのでしょうか。
「チェルノブイリ事故のあと、世界はシビアアクシデントに備えた対策を取るようになりました。日本だけが30年遅れています」
──日本の原発の安全設計は、国際水準から見ると、どれほど遅れていると考えればいいのでしょうか。
「IAEAは『5層の深層防護』を主張しています。が、日本のそれは3層しかない。それが日本の原子力発電所の致命的な弱点です。
足りない2層は『シビアアクシデント対策』と『原子力防災』です。原子力防災がなかったために住民を逃すことが忘れられてしまったのです。ほぼ30年前のチェルノブイリ発電所事故の後に世界で行われたシビアアクシデント対策がしっかりしていれば、フィルター付きベントがほぼ機械的に行われて、住民避難が容易になったでしょうし、最後の最後には原子炉を廃炉にする余裕もあったと思います」
──なぜそんなお粗末な状態になったのですか。
「ちょうどそのころから、日本の原子力エネルギー政策はプルサーマル(筆者注:ウランだけでなくプルトニウムを添加して燃料とする発電。ウランとプルトニウムの混合燃料であるため『MOX燃料』と言われる。福島第一原発では3号機がMOX燃料)に傾斜していくのです。
ちょうど核燃料サイクルがうまくいかなくなっていたころだった(注:原発で燃やしたあとのウラン燃料を青森県六ヶ所村で再処理してプルトニウム燃料に変えて福井県の高速増殖炉『もんじゅ』の燃料にする。もんじゅは度重なるトラブルで1994年以来休止)。
各地でMOX燃料を使う計画が持ち上がり、その地元説明会やその論理構築といった対策に一生懸命になった。真剣な原子力推進から空虚な原子力へと人事がシフトしました。それでシビアアクシデント対策が無防備なままになった」
──具体的にどんな対策が取りえたのでしょうか。
「例えば、シビアアクシデントを想定するなら、ベントで格納容器内の圧力を逃がすとき、放射性物質が外部に出ないよう、除去するフィルターを付けなくてはいけません。大飯原発(福井県)で言えば、フィルター付きベント弁もないまま再稼働してはいけません。シビアアクシデントを想定するならフィルターが付いていないのは無防備すぎる」
──松野さんは経産省の「原子力災害防災専門官」を養成する研修の講師だったはずです。研修で「格納容器が壊れることはないという前提はおかしい。壊れたときの対策も考えておこう」と教えなかったのですか。
「『防災対策について国が決めている内容を説明せよ』という委託を受けていました。私は、格納容器が壊れたときの防災対策を説明していたつもりです。もちろん質問されれば答えたでしょう。端的に言えば、日本の原発の『設置許可』と『防災対策』はリンクしていないのです。『防災対策』は『設置許可』の条件になっていない。したがって、原子力防災専門官の防災教育の中で設置許可の話は、質問がなければできない」
拒絶された「100キロ圏内の避難訓練」の提案
──もし3.11のときに松野さんが防災の責任者で、避難範囲を設定するなら、半径何キロが適当だったと思いますか。
「1999年に東海村臨界事故が起きたあと『原子力災害対策特別措置法』が作られ、私は2000年に四国電力から原子力発電技術機構(現・原子力安全基盤機構)に出向しました。そこで、ERSSを改良・運用する責任者になりました。システムが完成して、訓練の高度化に取り組んだのが2002年です。
そのときに私は、EPZがそれまでの10キロ圏では大幅に不足すると考えていました。そこでチェルノブイリ級の事故を想定してERSSで『100キロ圏に影響が及ぶ過酷事故の予測訓練内の避難訓練』を実際に実施していたのです。しかし『100キロの想定』は拒絶されました」
──なぜですか。
「防災指針で避難範囲(EPZ)を『8~10キロ』と決めたのは私だという学者が『私の顔を潰す気か』と立腹されたからです」」
──それは誰ですか。
「いやいや、具体的には言えません」
──住民の被曝は誰の責任が重いと思いますか。
「(福島第一原発事故の住民被曝は)サッカーで言う自殺点、オウンゴールのようなものです。政治家、官僚、学者、報道、関係者みんなが何らかの形で罪を犯しています。家に火がついているのに、全員が見て見ぬふりをしたようなものだ。あるいは『自分が無能なことを知っていながら該当ポストに就いて給料を受け取っていた』と言うべきかもしれない。この責任を報告書にまとめるのは並大抵ではないでしょう。部内者ではだめです。真面目な専門家を入れた第三者でないとできないでしょうね」
──近く報告書を出す予定の国会事故調査委員会の調査をどう見ておられますか。
「国会事故調査委員会は専門家なしで調査を進めています。本来は『全交流電源喪失事故とはなんなのか』『15条通報が原発からあったとき、何をすればよかったのか』を助言する立場の原子力安全委員会(筆者注:学者)は、自分が被告席にいるので、聞かれたことしか答えません。
『ERSS/SPEEDIを使った初動とはどういうものか』を説明するはずだった原子力安全・保安院(同:官僚)も同じ被告の立場です。聞かれたことしか答えません。ですから『停電で使い物にならなかった』と強弁して『ERSS/SPEEDIに手動計算やPBSというバックアップがあったこと』など自分からは説明しません。
こんな調子で、委員会には『深掘り』の力がない。海に浮かぶ小舟のように、自分の『近所」しか分からないまま報告書を出そうとしている。『(首相官邸の)過剰介入』とか『(東電社員の原発事故現場からの)撤退』などは本質的な問題ではないのです。
『事故原因は津波だ』と言い、一方では『システムの欠陥(ERSS/SPEEDI)だ』と言う。あたかも、この2つに責任があるかのように言っている。技術的な要因について真剣な追究がない。
『あの時それぞれの関係者がどうすれば住民の避難を最も素早く容易にすることができたのか』とか『発電所側は住民に被曝させないために何をしなければならなかったのか』とか核心に迫った内容になっていない。
『津波があっても住民を被曝から守る方法はあったのではないか』という核心に触れた報告書でなければ、スリーマイル島発電所事故の後に出された米国の『ケメニー報告』などと比べて見劣りするものになるのではないかと心配です。何しろ最後の最後になってやっと(本連載のリポートが出て)真実の一端が明るみに出たのです。それを反映しない第2論点整理の状態のまま調査報告が出たら、世界の物笑いになるでしょう」
*参考資料