改めて「米国教育使節団報告書」を読む

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7月 242012

 日本の近現代教育は、「被仰出書(おおせいだされしょ)」太政官布告214号、<明治5年:1872年>、「教育勅語」<明治23年:1890年>、今回改めて紹介する「米国教育使節団報告書」<昭和21年:1946年>、この三つの文書によって形づけられてきた。そして、現在まで続く日本の戦後教育を決定づけたのが、「米国教育使節団報告書」である。この文書は報告書という体裁をとっているが、実際には、当時日本を支配していたGHQの勧告書とも言うべきものであり、米国の意図のもとに、日本を改良?しようというものだった。



それでは、美辞麗句を取り除いて浮かび上がってくる米国エリートの真意は何か。

結論から先に書いてしまえば、それは、「日本人を日本人でなくすこと、アメリッッポン人に変えることである。」

 どうしても、人のいい日本人は、欧米のエリートの「悪の論理」についていけないので、美辞麗句に惑わされてしまう。「そうは言ってもいいことも言ってくれている」と。たとえば、1820年、世界の所得の約60%は、中国、インド、東南アジア、朝鮮、日本で占めていた。西洋が豊かになったのは、歴史から見れば、ごく最近のことなのである。そして、それは、帝国主義、植民地支配という手段でもたらされたものだ。そして、2025年には、1820年の比率に戻る=アジアに富が戻ってくると推定されている。このことを現在、我々は「アジアの時代」と呼んでいるのである。大航海時代以降の植民地からの富の収奪によってのみ、西洋は、産業革命を可能にする資本の蓄積をすることができた。そのために失われた民族、言語がどれだけあったかを、考えると背筋が寒くなるほどである。

以前のレポートから二つ文書を引用させていただく。以下。

ブレンジスキー元大統領補佐官は「アウト・オブ・コントロール」という自著の中で次のようなことを書いている。

「日本は軍事大国化が世界からの孤立に繋がることを認識している。日本のリーダーたちは、それよりも同盟国で最強の米国と密接に関係を保ち、米国の主導のもとにパートーナー・シップを築くことが望ましい姿だと考えている。その先には太平洋をはさんだ日米コミュニティ=アメリッポンが見える。」

 

「自由民権 村松愛蔵とその予告」(柴田良保著)より

「日本人が自発的に日本人でなくなる道をとるなら、それは日本民族の集団自殺であるが、それでも良い。だが、もしも日本人がその歴史的民族的伝統を復活させるようなことが、あれば我々キリスト教、ユダヤ財閥、フリーメーソン連合はただちに日本を包囲して今度こそ、日本民族を一人残らず、皆殺しにする作戦を発動するであろう。」

 だからこそ、この報告書には、「国語改革」と称して日本語のローマ字化を進めるべきだなどというとんでもないことが書いてあるのである。以下、同報告書より引用。

「国語の改革」

 

 われわれはいまや、もし日本の児童への責任感が見逃してさえくれるならば、慎しみのためにも気楽さのためにも、むしろ避けるべきだと思われる一つの問題に直面する。国語は、一つの有機体として、国民生活と非常に緊密な関わりをもっているので、外部からこれに迫ろうとするのは危険である。しかし、この緊密性こそ、純粋に内部からの改良を遅らせる働きもしているのである。

中間の道というものがある。ここでもそれが中庸の道となるであろう。国語改革の仕上げが内部からのみ行なわれうるだろうということは、われわれもよく承知している。だがその手はじめは、どこからでも刺激を受けてよいであろう。われわれが使命と感じているのは、こうした友情のこもった刺激であり、またそれとともに、来るべき世代のすべての人々がかならずや感謝するであろうことがらにただちに着手するよう、現在の世代を極力激励することである。

 われわれは、深い義務感から、そしてただそれのみから、日本の書き言葉の根本的改革を勧める。

国語改革の問題は、明らかに、根本的かつ緊急である。それは小学校から大学に至るまでの教育計画のほとんどあらゆる部門に影響を与える。この問題に対する満足すべき解答が見出せないとすれば、意見の一致をみた多くの教育目標を達成することは非常に困難になるであろう。たとえば、諸外国についての知識を深めることも、日本の民主主義を促進することも、阻害されることになるであろう。

教育の過程において、さらにすべての知的成長において、国語の役割が非常に大きいことは一般に認められている。在学期間中も、その後の生活においても、国語は学習上の主要な要素である。日本人は他の国民と同じく、音と文字とで表わされた言語記号を用いて考える。教育の全過程の質と能率は、これらの記号の特徴のいかんによって深く影響を受ける。

書かれた形の日本語は、学習上の恐るべき障害である。日本語はおおむね漢字で書かれるが、その漢字を覚えることが生徒にとって過重な負担となっていることは、ほとんどすべての識者が認めるところである。初等教育の期間を通じて、生徒たちは、文字を覚えたり書いたりすることだけに、勉強時間の大部分を割くことを要求される。教育のこの最初の期間に、広範にわたる有益な語学や数学の技術、自然界や人間社会についての基本的な知識などの習得に捧げられるべき時間が、こうした文字を覚えるための苦闘に空費されるのである。

漢字を覚えたり書いたりするために法外な時間数が割り当てられるが、その成果には失望させられる。生徒たちは、民主的な市民となるに必要最低限の言語能力に、小学校を卒業した時点ではまだ欠けているであろう。彼らは新聞や大衆雑誌のような一般的読み物を読むにも困難を感じる。一般に、現代の問題や思想を扱った書物を理解することはできない。とりわけ、彼らは、読書を学校卒業後の自己啓発のための手軽な道具とできる程度に国語を習得することには、一般に成功してはいないのである。しかも、日本の学校を参観した者で、生徒たちが精神的には明敏であり、著しく勤勉であることを否定しうる者は一人もいないのである。

市民としての基本的な義務を効果的に果たすためにも、個々人は、社会問題に関わる事実についての簡単な記述の内容を理解できねばならない。また、学校を卒業したのち、自分自身の運命に直接影響を与える諸々の状況を一歩一歩乗り超えることができるような、一般教育の諸要素を身につけるべきである。もし児童が、初等学校を卒業する以前に、こうした事柄について第一歩を踏み出していないなら、それ以後は、ほとんど自力で踏み出す暇はなく、またその気にもならないであろう。日本の児童の約八十五パーセントが、この時期に学校教育を終えてしまうのである。

中等学校に行く残りの十五パーセントについても、国語の問題は残されている。これら年長の少年少女たちは、国字記号を覚えるという果てもない仕事に苦労し続けるのである。いったい、いかなる近代国家が、このようにむずかしく、しかも時間ばかり浪費する表現手段や意志疎通手段を持つという贅沢への余裕をもつだろうか。

国語改革の必要性は、日本ではかなり前から認められている。すぐれた学者たちがこの問題に多大な注意を払っており、著述家や編集者を含めた多くの有力な市民が、いろいろな可能性を探究してきた。現在では、約三十ほどの団体がこの問題に取り組んでいると報告されている。

 おおざっぱに言うと、書き言葉の改革に対して三つの提案が討議されている。第一のものは漢字の数を減らすことを要求する、第二のものは漢字の全廃およびある形態の仮名の採用を要求する、第三は漢字・仮名を両方とも全廃し、ある形態のローマ字の採用を要求する。

これら三つの提案のうちどれを選ぶかは容易な問題ではない。しかし、歴史的事実、教育、言語分析の観点からみて、本使節団としては、いずれ漢字は一般的書き言葉としては全廃され、音標文字システムが採用されるべきであると信ずる。

音標文字のシステムは比較的習得しやすく、そのため学習過程全体を非常に容易なものにするであろう。まず、辞書、カタログ、タイプライター、ライノタイプ機やその他の言語補助手段の使用が簡単になる。さらに重要なのは、日本人の大多数が、芸術、哲学、科学技術、に関する自国の書物の中で発見できる知識や知恵に、さらに近づきやすくなることである。また、これによって、外国文学の研究も容易になるであろう。

漢字に含まれているある種の美的価値やその他の価値は音標文字では決して完全に伝えられえない、ということは容易に認めることができる。しかし、一般の人々が、国内および国外の事情について充分な知識をもち、且つ充分に表現できなければならないとすれば、彼らは、読み書きについてのもっと単純な手段を与えられなければならないのである。

統一的且つ実際的計画の完成は遅くてもよいであろう。だが、いまこそそれを始める好機である。

本使節団の判断では、仮名よりもローマ字のほうに利が多いと思われる。さらに、ローマ字は民主主義的市民精神と国際的理解の成長に大いに役立つであろう。

ここに多くの困難が含まれていることもわかっている。多くの日本人が躊躇する自然の気持もよくわかる。また提案された改革の重大さも充分自覚している。しかしそれでも、あえてわれわれは、次のことを提案するのである。

ある形のローマ字が、すべての可能な手段によって一般に使用されること。

選択された特定のローマ字の形態は、日本人の学者、教育界の指導者、および政治家から成る委員会によって決定されること。

この委員会は過渡期における国語改革計画をまとめる責任を引き受けること。

この委員会は新聞、定期刊行物、書籍その他の文書を通じて、学校および社会生活、国民生活にローマ字を導入するための計画と実行案とをたてること。

この委員会はまた、さらに民主的な形の話し言葉を作り出す手段を研究すること。

子供たちの勉強時間を不断に枯渇させている現状に鑑み、この委員会は早急に結成されるべきこと。適当な期間内に、完全な報告と包括的な計画案が公表されることが望まれる。

この大事業に乗り出すために任命された国語委員会は、新しい形式の使用から生ずる学習過程についてのさまざまな資料を収集する国家的言語研究機関にまで発展するかもしれない。そうした機関は他の国々の学者たちを惹きつけることになるであろう。なぜなら、日本のこうした経験の中から、多くの人々が、どこにでもただちに役立つ諸々の着想を発見するであろうからである。

 いまこそ、国語改革のこの記念すべき第一歩を踏み出す絶好の時機である。おそらく、このような好機は、これからの何世代もにわたって二度と来ないかも知れない。日本人の眼は未来に向けられている。日本人は、国内生活においても、また国際的指向においても、簡単で能率的な文字による伝達方法を必要とするような新しい方向に向かって進み出している。同時に、戦争は、日本の言語と文化を研究するよう、多くの外国人を刺激してきた。こうした興味が今後とも保持され、育成されうるためには、新しい記述方式が開発されなければならないであろう。言語というものは広大なる公道であって、決して障害物であってはならないのである。

この世に永久の平和をもたらしたいと願う思慮深い人々は、場所を問わず男女を問わず、国家の独立性と排他性の精神を支える言語的支柱をできる限り崩し去る必要があるものと自覚している。ローマ字の採用は、国境を超えた知識や思想の伝達のために大きな貢献をすることになるであろう。(引用終わり)

 

 ところで、子供の頃にこの物語を読んだ記憶をお持ちではないだろうか。以下、引用。

 

アルフォンス・ドーデ「最後の授業」

 

 フランツ少年はその日も國語の宿題をしてをらず、おまけに朝寢坊、いつそ授業を怠けて何處かへ遊びに行かうかとも考へた。フランス語のややこしい分詞法の諳記などより、風光明媚なアルザスの野原を驅け廻るはうが遙かに樂しい。が、やはりそれは良くない、さう思ひ直して、大急ぎで學校へと向つた。

 ところが、教室は何時になく靜かだし、普段は恐い擔任のアメル先生も遲刻を咎めず、優しく著席を促した。しかも先生は正裝してゐる。更に奧の席には、元村長を始め地元の大人たちが沈痛な面持で腰を下ろし、或る者は古い初等讀本を膝の上に開いてゐる。「教室全體に、何か異樣な嚴かさがあつた」。やがて先生が、優しく且つ重々しく語り始める。

 「皆さん、私が授業をするのはこれが最後です。アルザスとロレーヌの學校では、ドイツ語しか教へてはいけないといふ命令が、ベルリンから來ました…… 新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後の授業です。」

 普佛戰爭でフランスが負けたためアルザスはプロシャ領となり、アメル先生は退職を餘儀なくされるのである。そんな「最後の授業」だといふのに、宿題を忘れたフランツ少年は案の定、指名されても碌に答へられず、これまでの度重なる不勉強を心底恥ぢた。だが、今日ばかりは先生も叱らずに言つた、惡いのは君たち子供だけではない、教育を輕んじた點では吾々大人も同罪だ、「いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸」であり、これではドイツ人たちにかう言はれても仕方がない、「どうしたんだ、君たちはフランス人だと言ひ張つてゐた。それなのに自分の言葉を話す事も書く事も出來ないのか!」

 これで最後かと思ふと、教師も生徒も自づと發奮した。アメル先生が「これほど辛抱強く説明し」てくれた事は今迄に無かつたし、フランツ少年も「これほどよく聞いた事は一度だつて無かつた」。先生は熱辯を振るひ、「世界中で一番美しい、一番はつきりとした、一番力強い言葉」であるフランス語を決して忘れてはいけない、何故なら「或る民族が奴隸となつても、その國語を保つてゐる限りは、その牢獄の鍵を握つてゐるやうなものだから」と説いた。そして遂には感極まつて絶句し、黒板に大きな字で力強く「フランス萬歳!」と書いて、「最後の授業」は終つたのである。(引用終わり)

アルフォンス・ドーデ(1840~97)は独仏戦争(1870~71年)を題材にいくつかの短編小説を書いた。それをまとめて73年に刊行された「月曜物語」の中の一編が「最後の授業」。フランス語の美しさを説く「アメル先生」の迫力がすごい。「先生がこんなに大きく見えたことはありません」と作中で「フランツ」少年が語っている。母国語を奪われる状況の重大さを、アメル先生の「大きさ」が物語っている。

いい悪いは、別にして、日本の戦後教育を決定づけた報告書である。現在の日本の教育問題を考える上では、必読書であることは、間違いない。

 

 大津市のいじめ自殺事件、豊橋市の野外教育活動において起きた三ヶ日ボート転覆事故における市、教育委員会の一般常識から理解しがたい対応等を考えると、戦後GHQによって植え付けられた教育制度が、現在の日本社会において機能不全に陥っている姿が、はっきりと見えてくる。ここでも、戦後日本人が主体的に教育を考える機会が巧みに米国によって奪われていた事実に突き当たる。

こんな現実があるために、ある学校法人の理事長が

「戦後日本の教育をダメにしたのは、GHQが派遣したアメリカ教育使節団と、それに迎合した日本の教育者たちだ。そのおかげで、わが国にある古き良きものはすべて叩き潰され、残骸をさらすことになった。」というような本音を語ることになるのだろう。

 もちろん、いろいろなご意見があることは、承知しているが、この報告書が日本の戦後教育を方向付けたことを否定する方はおられないだろう。だからこそ、すべての思い込みを捨てて読み直す必要があるのではないか。

 日本人が主体的に自分の国の教育を見直さなければならない時代に入ったことだけは、間違いないはずだ。

<参考資料>

(1)中日新聞【社会】 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012071890010012.html

調査委の人選焦点に 大津の中2自殺

2012年7月18日 01時00分

 

 大津市立皇子山(おうじやま)中2年男子生徒=当時(13)=が昨年10月に飛び降り自殺した事件で、大津市の越直美市長は17日、近く設ける外部調査委員会で「いじめと自殺の因果関係はあった」という前提で調査に乗り出す考えを明らかにした。

 「学校や市教委の調査が不十分だった。もう一度調査すれば、新事実が確認できると思う」。生徒の両親側が同級生らのいじめが原因として市をはじめ、同級生3人とその保護者に7700万円の損害賠償を求めた訴訟の第2回口頭弁論が大津地裁で開かれた後、越市長は語った。

 弁論で大津市側は「いじめと自殺の因果関係を今後認める可能性が高く、和解の協議をさせていただきたい」と両親側に伝えた。だが、これまで市は「いじめを苦にしていたと断定できず過失責任はない」との姿勢を示していただけに、両親側の不信は根強い。

 両親側は、市の外部調査にも多くの注文をつける。委員会の公開はもちろん、両親側が委員を人選し、聞き取り調査には大津市職員が関与しないことなど5点を求める。代理人の石川賢治弁護士は、専門家の大学教授らに委員就任の打診を既に始めたことを明かした。

 一方、市教育委員会の沢村憲次教育長は「いじめが自殺の一因である可能性は高い」とするものの「2番目や3番目の要因も明らかにされるべきだ。家庭環境がどうなのか、学校から聞いている」と、自殺は複合的な要因があったとする主張を変えていない。

 文部科学省によると、自殺があった場合、学校は全教員や生徒から聞き取りをし、遺族が望む場合は学校や市教委が主体ではない第三者の調査委を設置できる指針を昨年6月に全国に通知している。児童生徒課の担当者は「調査委の人選は、可能な限り遺族の意見を聴いてほしい。たとえ係争中でも、調査委は中立性を重んじられるもので、問題を突き詰められる」と話している。

(2)東愛知新聞より(2012年 5月2日)

「西野さん両親が豊橋市など提訴」

~安全配慮義務の責任追及、名地裁豊橋支部へ提出、浜名湖の章南中ボート転覆事故~

 

浜名湖で一昨年6月に起きた豊橋市章南中学校のカッターボート転覆事故で、死亡した西野花菜さん(当時12歳)の父親の友章さん、母親の光美さんが1日、名古屋地裁豊橋支部に総額6829万円の損害賠償請求の訴えを起こした。被告は、「三ヶ日青年の家」指定管理者の小学館集英社プロダクションと同施設設置者の静岡県、そして学校設置者の豊橋市。第1回口頭弁論は早ければ6月に開かれる。

(加藤広宣)

 友章さんは午後2時すぎ、訴訟代理人の小林修、菊地令比等弁護士とともに名古屋地裁豊橋支部へ訴状を提出した。

 訴状は10日後には被告3者のもとに郵送され、各被告は不服があれば答弁書で反論する。口頭弁論は公開で行われ、原告および被告3者が一堂にそろう。

 指定管理者と静岡県はすでに事故責任を認めていることから、訴状では豊橋市の責任を中心に列挙。具体的には①引率教諭は生徒の体重比を考慮せずに座席配置を決めた②校長は出航前、天候に関する調査を怠った③出航後、早い段階で救助要請ができたのに、要請は35分後だった④三ヶ日青年の家に対して、乗船者名簿の提出を怠った―など9項目にわたって安全配慮義務を怠ったと指摘した。

 今回の提訴について、西野さんは「豊橋市の責任を明確にすることで、今後の学校教育に生かしてほしかったからだ」と説明。代理人の小林弁護士は「裁判所が市の責任を認めれば、教師たちの意識も変わる。子どもたちの教育に責任を取ろうという機運も生まれるはずだ」と説明し、訴訟の意義を訴えた。

 請求額6829万円の内訳は、逸失利益(花菜さんが18歳~67歳に得られる収入から生活費など差し引いた額)が4429万円、慰謝料が2400万円。

 提訴された豊橋市の佐原光一市長は「これまでの取り組みやご両親に対する誠意が伝わらず、提訴にまで至ったことは大変残念に受けとめている。訴状が届いたら、内容を吟味して対応したい」とコメントを発表した。

(3)「岐路に立つ教育委員会制度」

http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_1003913_po_20070112053.pdf?contentNo=1

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