9月 112013

あの小泉純一郎氏が、「脱原発」を明言し始めたようである。千両役者である小泉氏がシナリオ、脚本もなくそのような行動をとることは、有り得ないだろう。ということは、日本の脱原発が国際社会のなかで、可能になる、許される状況が出てきたということを意味する可能性もあるだろう。

<小泉純一郎氏>

(引用開始)

風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男

(毎日新聞 2013年08月26日 東京朝刊)



脱原発、行って納得、見て確信−−。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。



三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」



小泉が答えた。



「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」



「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」



3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。



呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。



その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。



原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。



原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。



帰国した小泉に感想を聞く機会があった。



−−どう見ました?



「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」



−−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。



「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」



「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」



「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」



「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」



もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)

(引用終わり)



ところで以前、落合莞爾氏の「金融ワンワールド」という本を紹介したことがあった。彼が指摘しているのは、



「世界の経済は「金融ワンワールド=国際銀行家のネットワーク」が裏で糸を引いており、彼らが儲かるような仕組みが考えられて各国の経済を牛耳っている。その基本的な方法は、戦争の勝ち負けなど国家レベルの情報を操作して株価を底値まで落として買いまくり、その後に株価が上がるような情報を流して大儲けするというものである。」

ポイントは、明治維新以後、日本の皇室は、金融ワンワールドのメンバーとなっているということである。もちろん、現在の日本の円安、株高も彼らの意向である。



おそらく、現在、フクシマ原発の状況が相当厳しい状況にあり、原発をこのまま再稼働させた場合、「日本という金の卵」を失うリスクがあまりに大きいと言うことに、彼らの多くが、気が付き始めたのではないか日本は世界最大の債権国であり、世界経済は、ジャパンマネーによるファイナンスによって、回っている。

このことを私たちは、ひとときも忘れてはならない。



郵政民営化や規制緩和をある意味、ジャパンハンドラーの意向を受けて竹中平蔵氏とともに、忠実に実行した小泉純一郎氏のような政治家が、大きなバックがないような危険な発言をすることは、有り得ないから、そのように考えるのが自然だと思われる。



*参考:http://www.yamamotomasaki.com/archives/1256「金融ワンワールド」



ということは、これから、米国のジャパンハンドラー:ネオコン派:彼らも金融ワンワールドの傘下には入っているが、日本という国を巡る目先の利益では、対立が始まっていくということだろう。そして、ご存じのように自民党という政党は、権力を維持するためだったら、社会党とも組むような、何でもやる政党である。



とにかく、これから、「原発マフィアのカネ=米国のジャパンハンドラー:ネオコン派」対「人気取り政治家=金融ワンワールドの意向」の仁義なき戦いが始まりそうである。おそらく、司法・マスコミ・アングラ世界まで巻き込んで、一般の人々が想像もしていなかった事実が、次々と明るみに出てくること可能性もある。注意深く見守る必要がある。

「いかさま」の国にしないために

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9月 022013

地元の東愛知新聞の社説が素晴らしい!

今回は、その社説を紹介します。

「いかさまの国にしないために」~空気が支配する日本社会の病理を適確に指摘している~地方のマスコミのなかで、ひっそりとジャナーリズムの良心が息づいていることに心から感謝したい。

戦後のプログマティズム教育の結果、「自分に分からないこと=存在しないこと」という認識法が蔓延している。「自分の知らないこと=存在しないこと」にする認識法が、きわめて楽な生き方だったからだろう。

現在はそれが「自分の嫌いなこと=存在しないこと」になりつつある。危険な兆候である。あまりにも巧みにつくられた空気によって、真実が片隅に追いやられてしまうことのないようにするのが、ジャナーリズムの務めである。地方のマスコミ人の役割は、大きい。地方から独自の発信を粘り強く続けていただきたい。

*東愛知新聞社説(平成2591日)

「いかさま」の国にしないために

1923(大正12)年9月1日の関東大震災からちょうど90年、「3・11」の東日本大震災から2年半です。改めて震災について考えようと長谷川如是閑(はせがわ・にょぜかん)を読みました。

明治、大正、昭和の3代にわたって健筆を振るったジャーナリスト・如是閑の「いかさま都市の滅亡と新帝都」という1文です。関東大震災発生の1カ月後に当時の「中央公論」に発表されたものです。

如是閑は主張します。東京は「いかがはしい商店がショウウインドウだけに立派な商品を並べて、内では粗末な品物を売ってゐるのと同じ…一種の<いかさま>都市」であったことが震災で「暴露させられた」と。

その復興には「大胆なしかしながら細心な…大計画の実行を期するがいい」と訴えます。

そして復興の指揮を執る後藤新平内相について「多少の常識外れの人間を偶然中心とすることになったのは、かえって幸(い)」としながら、「目前の利害」に捕らわれるような「人種は文明の都会を築き上げる資格はない」と復興への姿勢を説いています。

社会を変える「3・11

関東大震災では190万人が被災し、死者・行方不明は11万人近くに及びました。

一方、観測史上最大のマグニチュード9・0という大地震による東日本大震災の死者・行方不明は1万8600人、全壊・半壊の建物は40万棟に上りました。

巨大津波の恐怖の映像は目に焼き付き、炉心溶融を起こした福島第1原発の事故は周辺住民に長期避難を強い、放射能汚染水の海への流出など深刻な被害は今なお進行中です。

3・11は国民の安心・安全、原発政策の今後など多くの課題を投げ掛けています。関東大震災が政治・経済、文化や世相を変容させたように、3・11も変革を促しています。特に原発事故は日本だけでなく欧州を中心に世界に政策転換をもたらしています。

如是閑が説いたように「目先の利害にとらわれない人種」による復興、オール・ジャパンによる粘り強い復旧・復興、国と地域の立て直しに立ち向かわねばなりません。

「空気」を読まないで

あれから2年半。震災を風化させてはなりません。語り継ぎ、若い世代の関心を呼び覚まし続けることが大切です。

大切なことは、もう一つあります。復興や再建、政策転換に取り組む時に「空気を読まない」ということです。

「最悪の事態を想定しての必要な準備ができず、危機管理能力を致命的に欠いているのは、日米戦争から福島原発事故にいたるまで、空気が支配する日本社会の宿命的な病理」だ、と作家の笠井潔さんが指摘しています。

終戦間際、帰還の当てのない戦艦大和の沖縄出撃もその場の空気が決めたものでした。そして大和の悲劇を招きました。

笠井さんは「考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなるだろう。これが空気の国の習い性だ」と指弾します。場の空気に流される習性からの脱却が大切です。これは国づくり、地域づくりにも言えることなのです。

求められているのは、しっかりと自分を持ち、「考えたくないこと」でも考えるという「空気の国の習い性」からの脱出です。そうでないとわれわれの国や地域は如是閑の言う「いかさま」になってしまいます。

<東愛知新聞社>http://www.higashiaichi.co.jp/

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