前回、小泉純一郎氏が脱原発を言い始めた背景を分析した。もう一度、振り返っていただきたい。
ところで以前、落合莞爾氏の「金融ワンワールド」という本を紹介したことがあった。彼が指摘しているのは、
「世界の経済は「金融ワンワールド=国際銀行家のネットワーク」が裏で糸を引いており、彼らが儲かるような仕組みが考えられて各国の経済を牛耳っている。その基本的な方法は、戦争の勝ち負けなど国家レベルの情報を操作して株価を底値まで落として買いまくり、その後に株価が上がるような情報を流して大儲けするというものである。」
ポイントは、明治維新以後、日本の皇室は、金融ワンワールドのメンバーとなっているということである。もちろん、現在の日本の円安、株高も彼らの意向である。
おそらく、現在、フクシマ原発の状況が相当厳しい状況にあり、原発をこのままにして置いた場合、「日本という金の卵」を失うリスクがあまりに大きいと言うことに、彼らの多くが、気が付き始めたということだろう。日本は世界最大の債権国であり、世界経済は、ジャパンマネーによるファイナンスによって、回っている。
このことを私たちは、ひとときも忘れてはならない。
郵政民営化や規制緩和をある意味、ジャパンハンドラーの意向を受けて竹中平蔵氏とともに、忠実に実行した小泉純一郎氏のような政治家が、大きなバックがないような危険な発言をすることは、有り得ないから、そのように考えるのが自然だと思われる。
ということは、これから、米国のジャパンハンドラー:ネオコン派:彼らも金融ワンワールドの傘下には入っているが、日本という国を巡る目先の利益では、対立が始まっていくということになる。そして、ご存じのように自民党という政党は、権力を維持するためだったら、社会党とも組むように、何でもやる政党である。
とにかく、これから、「原発マフィアのカネ=米国のジャパンハンドラー:ネオコン派」対「人気取り政治家=金融ワンワールドの意向」の仁義なき戦いが始まりそうである。
そう言った意味で、今回、原田武夫氏が、国際金融資本の関係者が秘かに日本を訪れていることから、小泉純一郎氏の脱原発の背景を分析していることは、大変興味深い。現実問題として考えれば、現在の日本には、「脱原発」しか、選択肢はないのだから。
一般に言われているように、日本という地震列島の上での、冷却装置が脆弱な軽水炉の原発の運転は、危険極まりないことは言うまでもない。米国が1979年のスリーマイル島の原発事故以来、原発を建設していないのは、原発の冷却装置の欠陥に気が付いたからなのである。そのための改良を積み重ね、取りあえず、動かせる原子炉だけ、だまし、だまし稼働させてきたのが米国の現実である。また、使い済み核燃料の処理も行き詰まっている。日本だけが研究している高速増殖炉も1兆円以上のお金を費やしながら、成功のメドさえ立っていない厳しい現実もある。冷めた目で見れば、原発ビジネスが統括原価方式という不可思議な電気料金システムによってあまりに、目先のお金が儲かる構造だったために、そこに関わったすべての人間の頭が「マネーという麻薬」によって、狂ってしまっただけのことなのである。麻薬中毒患者が、うわごとを言っているのが、日本の現状だと考えれば、一番、わかりやすい。
<*この図式の利権が「マネーという麻薬」である、そしてその金を負担したのが一般の電気利用者、国民である。>
もう一つ、原田氏は気になることを書いている。日本国債のデフォルトである。財務省の人間が、デフォルトに近い形で、実際には、政府の借金をチャラに近い状態に持っていきたい誘惑に駆られていることは、間違いない。このことについては、改めて分析させていただきたい。はっきりしているのは、現実的に考えれば、日本においては「脱原発」しか、選択肢はなく、もはや問題は、それをどうやってやり遂げるのかという方法論だけということである。
(*東洋経済オンラインよりhttp://toyokeizai.net/articles/-/23109)
「小泉脱原発宣言」と日本デフォルト
~謎の仏貴婦人が与えてくれた、重大なヒント~
元外交官 原田武夫
「いきなりフランスから連絡があったときには、まったく気づきませんでした。まさかあれほどのランクの人物が、たった独りでこんな山奥までやって来るなどと、まったく想像していませんでしたので」今年(2013年)秋、私はわが国の内外においてさまざまな場所に足を延ばしては、大勢の人たちと情報を交換してきた。その中で最も印象深かったことがひとつある。「合掌造り」で知られる白川郷の近くにある観光地・飛騨高山でのことだ。飛騨高山で「社長」がもらった、謎のメール
このとき、私は彼の地で活躍するなじみの若き経済人と、老舗の料亭「精進料理 角正」で会食していた。この方は「飛騨高山から世界へ」を合言葉に、単なる町おこしを超えたグローバルビジネスをそこから構築すべく奮闘されている。その仲間の輪は着実に広がっており、このときも「男2人で食事するのも何ですから」と、彼の地で新しい観光ビジネスに取り組んでいる、ある会社の社長をご紹介くださった。
「その人物」はかつて、世界的な監査法人系コンサルティングファームの最前線で働いていた。だが、連日連夜にわたる激務の中、ふとそうした人生に疑問を抱き、自らの意思で退職。その後、世界一周の「放浪の旅」を経て、深い山間にあるこの飛騨高山に、たどり着いたのだという。
わが国では多くの観光地が、「利便性」の下に画一化されてきた。飛騨高山もその波に飲み込まれそうになってきたわけであるが、この方の発想は真逆である点に特徴がある。あえて使い勝手の悪い「古民家」を修復し、そこに都会からお客様をお迎えして、同時に昼間は地場の地形を最大限に利用したトレッキングやサイクリングなどのツアーを提供している。最初に話を聞いたときには「ビジネスとして成り立っているのか」と疑問に思ったが、実際に来て見ると千客万来。大勢の客人を迎え、てんてこ舞いの日々を送っている様子。
そんな中、いきなりフランスから1通のメールが飛び込んできたのだという。「ヒダ・タカヤマで一人旅をしたいのだが。アナタの会社で全部アレンジしてくれるか」。入力された情報を見ると、パリに住む初老の女性。「さしずめ日本かぶれのフランス人女性だろう」と軽く請け負ったのだという。
そして当日。1週間ほどの滞在であったが、最初にアレンジしておいた旅館で、女性からは大声でクレームがあったのだという。旅館の社長は「これくらい我慢できないのか……」と思いつつ、現場でグレードアップに応じると、途端に満面の笑み。その後は特段の問題もなく、女性は飛騨高山の街並みとその周辺にあるものをくまなく熱心に見て、富山へと抜けて行ったのだという。
数カ月後、同じ女性から突然連絡が
そして数カ月後――この女性からまたメールが突然あった。「アナタにお礼がしたいので、ぜひ一度、パリにある私の家にいらっしゃい」とメッセージには書かれていたのだという。
折しもこのとき、社長は別の用向きで欧州訪問をする予定であった。「まぁついでだからいいか」とこれまた軽く請け負い、指定されたパリの住所へと向かった。
ところが、である。指定された住所へと向かうと、それはパリの中でもセーヌ川を挟んでエッフェル塔が真正面に見える超高級アパルトマンの一室だったのだという。厳重なセキュリティを解いて部屋へと通してもらうと、巨大な部屋に明らかに高価そうな家具が並べられていた。
「いったい、どんな話が飛び出してくるのか」
ソファに座りながら緊張して待っていると、あのときとは打って変わって「貴婦人」の装いをした女性が出てきたのだという。「あのときはどうもありがとう。本当に楽しかったわ」と言い、これまたいかにも高級そうなピスタチオを出してくれた彼女とは、その後、小1時間ほど雑談をしただけであった。社長はますます「???」と首をひねってしまったというわけなのである。
帰国した社長は、フランスの事情に詳しい友人にこの不思議な体験を話し、「あれはいったい何だったのか」とメールで尋ねてみた。するとこの友人からはものすごい勢いで返事が返ってきたのだ。
「お前知らないで会ったのか? その女性は、フランス金融界屈指の銀行で頭取を務める人物の夫人だぞ」
これを聞いた社長が、腰を抜かすほど驚いたのは言うまでもない。だが、どうしても納得がいかなかったのが「なぜよりによって飛騨高山へ」ということだったのだという。この女性は確かにわが国へはやって来たが、ピン・ポイントで「飛騨高山」だけを見て帰ったのである。「なぜ、欧州財界の大物の夫人がお付きも連れずにこんな山奥に……」。社長の脳裏では謎が謎を呼ぶだけであった。
それから約半年。私と出会うまでに社長は実に大勢の「外国からの不思議な訪問客」を飛騨高山で迎えてきたのだという。たいていの場合、素性がまったくわからないものの、カネ払いのよい人物ばかりだ。同時に、決まって「何か」を飛騨高山で探している様子であった。
だが決してそれをアテンドする社長に語ることはなく、くまなく歩き回り、最後は得心しかたのように満足した様子で帰っていく――。「彼ら、いったい何しに来ているのでしょうか。どう思われますか、原田さん」。これが、社長があの夜の宴で発した疑問だった。
私は直感的にこう答えた。
「ひょっとして彼ら外国人の富裕層たちは、“東洋のスイス”を探しに来ているということはありませんか。社会的に見てランクの高い人物がわざわざやって来る以上、大切な資産管理と関連があるとみるのが適当だと思います」
私がこう答えたのには理由がある。飛騨高山は乗鞍岳を筆頭とした高い山々に囲まれており、アクセスが限られている。その一方で「スーパーカミオカンデ」で知られる旧神岡鉱山がすぐ傍らにある。そして南は名古屋から太平洋へ、北は富山から日本海、さらにはユーラシア大陸へと連なる道のりの真ん中にある。
実はこの状況は金融立国として知られる「スイス」と似通っている。欧州を東西南北に分けたとき、その真ん中に位置しているのがスイスだ。そして何よりも山がちであり、そこに財宝を隠すことのできる天然の要塞を見つけ、金庫を造ることはそう難しくはない場所、それがスイスなのである。
そうした私の直感的な分析を聞いた社長と宴のホストである経済人は、共に膝をたたいて口々にこう言った。
「なるほど、それで合点が行きました。続々と来る外国人たちは、話を聞くと、どうもその多くがユダヤ系であるようなのです。教えてくれはしませんが、何かの話を聞きつけてこの飛騨高山まで来ているとしか思えない。私たち日本人にはうかがい知れないストーリーです。そう考えてみると、“東洋のスイス”の候補地として、わざわざこの山奥まで来たとしても不思議ではありませんね」。
これを聞いて私は「そうであるならば、まずはパリの貴婦人にあらためて連絡をとり、『そういうことなのですか』と尋ねてみるのがいい。もし『そうだ』との答えを得たらば、彼らがつくる前に地場の方々が今はやりの『国家戦略特区』を利用して、金融特区をつくってしまえばいいのではないか」と答えた。何も、地の利の果実を、彼らにだけ取られる必要はまったくないのだ。飛騨高山はわが国であり、わが国を仕切るのは私たち日本人なのであるから。
「なるほど。では早速、動いてみることにしましょう」と、根っからの熱血である社長はそう答え、翌日から動き始めたという。
小泉元首相は、なぜ“左翼”の十八番に触れ出したのか
だが、世界史が動くのはたいていの場合、一般大衆からすれば「荒唐無稽な話」からだ。すなわち最初は誰も信じないが、あるときから「さざ波」は明らかに「波」へと発展しいく。そしてついには「津波」となって、社会全体、歴史そのものを変えてしまうのである。
今、わが国で最も「荒唐無稽な話」といえば、小泉純一郎元総理大臣の動きである。何を思ったのか「脱原発」を叫び始め、一部のマスメディアが面白がってこれに反応した。
だが「脱原発」といえば、これまで伝統的な“左翼”の十八番であったテーマである。それを在任中は「構造改革」を掲げ、わが国の社会と経済システムを斬りまくり、「結局、外資のために改革を唱えているのではないか」と、時には売国奴呼ばわりされた小泉純一郎元総理大臣が、突然、取り上げ始めたのである。当初は「錯乱か」と思っていた野党勢力も、その「本気度」を確認し始めることで、むしろ逆に糾合し始めた。そして遂には「われも、われも」とコイズミ詣でをし始めたというわけなのだ。
「マスメディアの操作が実に巧みな、小泉マジックのひとつ」
そう片づけてしまうのは簡単だ。レッテル貼りなら誰でもできる。だが私には決してそうは思えない。その理由は3つある。
第1に、「脱原発」そのものを叫んだところで、小泉純一郎元総理大臣の個人的な利得になるのかは甚だ疑問だということである。小泉純一郎元総理大臣の現在の肩書は、「国際公共政策センター顧問」だ。わが国を代表する企業のお歴々たちが幹部リストに居並ぶこのセンターは、日本経済が抱える目下の課題である「環境・エネルギー」「構造改革」「日本の震災復興」などを研究していることで知られている。そして日本経済が抱える問題といえば、何といっても「原発再稼働」そして「安価な電力供給への復帰」なのである。
「小泉脱原発宣言」と経産省の政策は、矛盾しない
その限りにおいて、「脱原発」と叫ぶこと自体は細かな点をいっさい捨象して考えるならば、明らかにこうした「親元の意向」に相反している。確かに小泉純一郎元総理大臣の地位にまでなれば、「何を言っても大丈夫」かもしれないが、それでも政界の一歩先は闇、なのである。表向きは「政界は引退した」となっているとはいえ、メディア受けする発言を調子よく発してよいというものではまったくないことは、かつて「劇場政治」で知られた小泉純一郎元総理大臣が、最もよく知っているはずなのである。
ちなみにこの関連で、今回の「小泉脱原発発言」が(特に米系の)石油利権の影響を受けてのものではないかと疑う向きがいる。だがこの点についてもそう考えるのには難がある。
なぜならば「親元」であるこのセンターの掲げる大きな目標のひとつが、「低炭素社会の実現」だからである。低炭素社会となれば「石油利権」は最も肩身が狭い。ところがそうしたセンターの意向に相矛盾する形で、真正面から低炭素化に反対するため小泉純一郎元総理大臣が吠え始めたと考えるのは、あまりにも単純すぎ、説得力に欠けるのだ。
第2に、今回の「小泉脱原発宣言」によって、安倍晋三政権は「迷惑千万」といったコメントを表向き繰り返している。しかしその実、経済産業省が主導する形で現在追求しているエネルギー政策の基本方針とこの「宣言」は、その延長線上で互いに重なり合うのである。
端的に言うと、この基本方針は次の3つの要素から成り立っている。
●短期的には「比較的稼働年数の短い、“若い”原子力発電所の再稼働」
●中期的には「原発の廃炉技術を世界トップレヴェルにし、世界に輸出する」
●長期的には「再生可能エネルギーのための蓄電池開発を加速させ、世界トップになる」
ここで大切なのは、「小泉脱原発宣言」が「脱」原発であって、「反」原発ではないという点である。つまり民主党政権のように「すべての原発を即時に止める」のではなく、徐々に脱して最後は止めようというのである。
そして脱原発となれば、無用の長物となる廃炉をどうするのかが、大きな課題となってくる。しかもわが国は世界で最も困難な被災状況にある福島第一原子力発電所を抱えているのだ。廃炉技術をその処理を通じて磨き抜き、今後、続々と世界中で廃炉になる原子力発電所にこれを供与すれば、わが国にとっては一大産業となる。
そのためには「廃炉にしたならば、また新しい原発を造る」のではなく、「脱原発」と宣言したほうが世界中で廃炉技術をマーケティングする大義名分が立ちやすいというわけなのである――つまり「小泉脱原発宣言」は、この点でも練りに練られたものというべきなのである。
さらに、第3に「脱原発」と言うことによって、多くの一般国民の心をわしづかみにすることができるということも忘れられない。むろん、一部の論者からは、「アベノミクスでようやく立ち直りかけた日本経済を、また倒す気なのか」と(私の目からすれば明らかに見当違いの)批判を受けているが、これは小泉純一郎元総理大臣にとっては織り込み済みであるはずなのだ。そしてこう切って返すに違いない。
「誰が『反原発』、すなわち即時原発停止と言ったか。私は『脱原発』と言っただけだ」
私が注目しているのは、支持率の低下に悩む野党勢力は言うまでもなく、どういうわけか総理大臣経験者たちがこうなる前も含め、直接・間接的に動き始めてきた点である。一見するとこうした動きは、偶然の一致のように見えなくもない。また、党利党略によるもののように感じられなくもない。
この国の「本当の権力の中心」が求めている
だが、ここで私は、2006年9月に第3次改造内閣まで続いた政権の座を、小泉純一郎総理大臣(当時)がいよいよ返上した直後に、霞が関・永田町を超える「わが国の本当の権力の中心」に連なる人的ネットワークから流れてきた、こんなメッセージを思い出さざるをえないのだ。
「どこからともなく、『そろそろよろしいのではないですか』と、風の声が聞こえてきた。それを察した小泉純一郎は直ちに意を決した」
“唐突さ”という意味では、今回もまったく同じなのである。そして何よりもほかの総理大臣経験者たちも、不思議に動き始めている点が奇妙でならない。あのときに吹いた風と同じ“風”に、彼ら全員のほおがなでられ、それに黙って従っているように思えてならないのだ。
「わが国の本当の権力の中心」が、なぜ“そのこと”を求めているのか――考えられる理由はただひとつ。未曾有の国難を控え、「挙国一致」を達成するためである。それではいったいなぜ今、未曾有の国難なのか。どんな耐えがたい事態が、わが国を待ち受けているというのか。
「脱原発」は、デフォルトのために選ばれたテーマ
先般、上梓した拙著最新刊『それでも「日本バブル」は終わらない』(徳間書店)で分析を示したとおり、ここで言う“未曾有の国難”とは「わが国のデフォルト(国家債務不履行)」という、多くの国民にとって想定すらできない事態しかありえないと私は考えている。そのとき、わが国の政治に必要なのは、タレント議員やら、数合わせのための議員たちではない。
「デフォルトにしなければならないこと」
いかなる困難があろうとも、このことについて、きっちりと私たち国民に対して説明し、決然と行動するプロの政治家集団こそ必要なのである。そのとき、破産処理を施されるわが国の国家財政の引当金として用いられるのは、何を隠そう私たち一般国民の「預金」なのだ。ことカネ勘定となると首を縦に振らないのが、私たちの性である。そのため、「デフォルトせねばならぬものはならぬ」を貫くためには、まずもって別の国民的な問題で圧倒的な支持を得ておくのが得策なのである。そのために選ばれたテーマ、それが「脱原発」だというわけなのだ。
つまり「脱原発」宣言とは、わが国がこれから迎える「デフォルト処理」に向けた挙国一致体制のための重要な一手なのだ。それ以上でも、それ以下でもない。そしてこのレベルの高度に政治的な判断は、「わが国の本当の権力の中心」の気持ちを忖度した経験を持ち、かつそれに沿った形で行動する術を肌感覚で知っている、わが国総理経験者しかできないというわけなのである。
世界を取り仕切る者たちは、そうした流れを、かたずをのんで見守っているはずだ。なぜならば仮にこうした動きを見せるわが国が、万が一にもうまくブレークスルーした場合、国家財政の重圧に苦しみ、極度のデフレへの転落をおそれる各国が、われ先に「ジャパン・モデル」に押し寄せることは目に見えているからだ。そのことはわが国で用いられている通貨=日本円の極端な“買い”という形になって現れ、それによる「円高」が「ほかに投資先がない状況」でわが国における歴史的なバブルを持続的なものにしていく――。
仮にそうであるとき、世界中の富裕層がわが国内に「安全な資金の置き場所(safe haven)」を求めても、まったく不思議ではない。そしてそれは彼らの財産を安全に保管するべく、物理的に外界から遮蔽されている必要があるのと同時に、「海の向こう側」とも陸路・空路で単純な形でつながっている必要もあるのである。しかもできればそこに年中寄り集うセレブリティたちが保養できる場所であることが望ましい。そうしたある意味で相矛盾した立地条件をクリアする場所は、いったいどこにあるのか……。
「そういえば、飛騨には『農道離着陸場』として造られた飛騨エアパークがありますよ。あそこならばセスナでやって来ることも可能なはず」
“荒唐無稽さ”に“荒唐無稽さ”を上塗りしたうえでの夢想と、切り捨てることなかれ。真のリーダーたちは「誰も気づかないところ」からすべてを始め、やがて世界史を動かしていくのである。はたして「小泉脱原発宣言」と「飛騨の夢」がつながるのか否か。未知への扉がひとつまた、そこにある。(終わり)