マスコミが意図的に無視しているので、もう忘れている方も多いと思うので、改めて、東日本大震災の地震がかなり不思議な地震であったことを指摘しておきたい。
おそらく、真相は長い歴史の中でいずれ明らかになっていくのだろうが、ネットも見てもわかるように大きな嘘が秘められていることを多くの人が何となく感じ取っているようである。当時、行われた計画停電が暗い世相を演出していたが、本当に必要だったのかどうか、甚だ疑問のところである。その後、数年にわたって全原発が止まっていたにも関わらず電気不足は生じなかったのだから、停電させたのは、<原発がなければこうなるんだ>と、いう原子力村の脅しだったと判断すべきであろう。その後、行われた放射能汚染除染には大変な費用がかかったが、これらが大きな利権になっていったことも忘れてはならない。いろいろ勉強してみると、すでに放射能を著しく下げる技術は色々なものが存在し、何も除染というあまりにお金と時間がかかる原始的な方法に固執する必要もないようである。
また、あの地震自体も本当に不思議な地震であった。まず、震度9ということに途中で過大、訂正されたのだが、本当に震度9もあったのか、疑問だと多くの人が指摘している。理由は、当時の生き残られた方が多くの動画を残していて、その動画のどれを見ても、数千年に一度の地震には見えない点にある。たしかに被害は甚大だったが、それは津波の被害であって、地震の揺れそのものではない。どの動画に映っている光景を見ても、建物の被害が本当に少ない。ほとんど破壊されていない町に津波が襲ったように見える。さらに地震学者が声をそろえて言った大変珍しい3連発、もしくは5連発の震源、その後、こうした内容がマスコミ記事から見事に消されているのもあまりに不可思議である。以前レポートでも指摘したが、アメリカのやらせが、ロシアのプーチン大統領によって明らかになりつつある2001年の911事件に似た雰囲気があることも私たちは頭の片隅入れておくべきなのかもしれない。
<京都大学の川辺秀憲先生の分析>
川辺氏によれば、この震源域にてM7およびM8クラスの地震が5回連続して起きた、しかも1回目から2回目の間隔が35秒、その後、3回目、4回目、5回目と震源が20秒おきに南方に移動している。
「連続して3回の巨大地震だった。極めて稀。少なくとも初めて。気象庁は13日午後に記者会見を開き、11日午後2時46分に発生した三陸沖を震源とする東日本巨大地震の規模を示すマグニチュード(M)を8.8 から9.0に再修正したと発表した。「震源域で地盤の巨大な破壊が3つ連続して発生しており、3つを合わせて規模を再計算した」という。日本の観測史上最大規模。巨大地震の規模マグニチュードを8.8から9.0に再修正したと発表する気象庁の担当者。 同庁は地震の波形を詳細に解析。その結果、最初の巨大な破壊の後に、第2、第3の巨大な破壊が連続して起こり、特殊な地震波になっていた。こうした複雑な破壊は「極めてまれ」としている。」(下記の気象庁の会見内容)
以下で当時の気象庁の記者会見を見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=r8j1QGs_2X0
それでは、海外メディアが311から五年経過したフクシマ原発の事故をどう、報道しているかを紹介したい。
その前に日本のマスコミはほとんど報道しないが、日本は現在も「原子力緊急事態宣言発令中」であり、フクシマ第一の原子炉は炉心溶融、メルトアウトしていて現在も放射性物質を大気に放出している厳然たる事実を頭にいれておいていただきたい。福島県のホームページにもはっきりと1号機・2号機・3号機「炉心溶融」と書いてある。以下。https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16025c/genan10.html
それではまず、ロイターの記事から
<福島原発の「グラウンド・ゼロ」、廃炉への長い道> 2016年03月11日
福島第1原発の原子炉で、溶融した高放射能核燃料を発見するべく送り込まれたロボットは「息絶えて」しまった。地下水の汚染防止をめざして、破壊された原発の周囲を囲む地下の「凍土壁」はいまだ完成していない。
そして、原発の敷地の周囲に増え続ける一方のタンクに貯蔵された高濃度汚染水をどう処理すればいいのか、関係当局は依然として途方に暮れている。
5年前、史上最大級の地震による10メートルの津波が福島第1原子力発電所を襲い、複数の原子炉が炉心溶融(メルトダウン)を起こした。東日本大震災による死者・行方不明者は約1万8500人、関連死を含めると犠牲者は2万1000人を超える。16万人が住居と生計の手段を失った。
現在も福島第1原発の放射線は依然として非常に強く、炉内に人間が入って、非常に危険性の高い溶融した燃料棒の塊を発見・除去することは不可能な状態だ。
福島原発を運営する東京電力(9501.T)は、損傷した建屋から数百本の使用済み核燃料を撤去するなど、ある程度の前進を見せている。だが、同発電所内の他の3基の原子炉で溶融した燃料棒の場所を確定するために必要な技術はまだ開発されていない。原発の内部にアクセスすることは非常に難しいと、東電で廃炉事業を指揮する増田尚宏氏は、ロイターとのインタビューで語った。最大の障害は放射線だという。
溶融した燃料棒は原子炉内の格納容器を突き抜け、現在の正確な場所は誰にも分からない。原子炉のこの部分は人間にとって非常に危険である。そこで東電では、溶融した燃料棒を探すために、水中での移動が可能で、損傷したダクトや配管のなかで障害物を乗り越えることのできるロボットの開発に取り組んできた。
だが、ロボットが原子炉に近づくやいなや放射線によって回路が破壊されて役立たずになってしまい、進捗が大幅に遅れていると増田氏は述べている。
ロボットは各々の建屋に合わせてカスタマイズしなければならない。単機能のロボットを開発するだけでも2年はかかると同氏は語る。
<増え続ける汚染水>
事故対応を厳しく批判された東電は、30年前のチェルノブイリ原発(ウクライナ)以来最悪な原発災害現場となった福島第1原発の状況は劇的に改善されていると指摘。敷地内の多くの場所の放射線レベルは、現在では東京都内と変わらないという。
最近の視察に参加した政府当局者によれば、福島第1原発では現在、8000名以上の作業員が働いている。瓦礫の撤去、貯蔵タンクの建設、配管の設置、発電所の部分的撤去の準備など、各所に別れて作業しているため、敷地内では作業員が頻繁に行き交っている。
作業の多くは、損傷し、高レベルの放射線に汚染された原子炉を冷却するための注水に関連している。その後、放射性物質を含む水は原子炉から汲み出され、敷地周辺で増殖しつつあるタンクに貯蔵される。
福島第1原発の小野明所長によれば、100万トン近い汚染水をどう処理するかが、最大の課題の1つだという。
小野所長は、貯蔵タンクから海洋への汚染水漏れに、深い懸念を抱いているという。汚染水の漏えいはこれまでにも数回発生し、政府に対する強い批判を引き起こしている。「ある意味、前回と同じような津波が来るとか、竜巻が起こるとかいうことよりも、確率的には(汚染水漏れは)非常に起こりうること」と小野所長は警戒する。
東電はこれまでのところ、処理済み汚染水の海洋放出について地元漁業関係者の同意を得られずにいる。小野所長は、東電による事故処理作業は約10%完了したと推定している。廃炉プロセスには30─40年かかる可能性がある。だが専門家によれば、東電が燃料の位置を特定できないあいだは、進捗状況や最終的な廃炉費用を評価することはできないという。
廃炉事業を指揮する増田氏は、少量の放射性物質が海洋に到達した可能性を否定しないものの、原子炉近くの海岸側に海底よりも低い深度に至る遮水壁を築いた後は、汚染水の漏えいは止まっていると話す。
「絶対にゼロだと言うつもりはないが、この遮水壁によって、漏えいする汚染水の量は劇的に低下した」と彼は言う。(Aaron Sheldrick記者、舩越みなみ記者)(翻訳:エァクレーレン)(引用終わり)
要するに廃炉の見通しすら立っていないのである。
次は「ロシアの国営広報スプトーニク」から、以下。
<福島のドキュメンタリー映画監督、「福島の死亡者の数には言葉を失う」>
http://jp.sputniknews.com/japan/20160311/1762818.html#ixzz42mbpSSef
2016年03月11日
5年前の今日、3月11日、日本で過去20年で、最大の原子力災害が起きた。これにより避難を余儀なくされた人の数は16万人を超える。福島原発事故後の状況を撮影したドキュメンタリー映画監督のジェフリー・ジョナサン氏はRTテレビからの取材に答えた中で、日本政府は地元の女性たちに対し、「何も起こらなかった」と信じ込ませようとしていると語っている。
(日本、地震・津波被災者の追悼式典)
ジェフリー・ジョナサン氏は1990年から日本在住。ドキュメンタリー映画監督で主な作品には「福島の女たち」がある。
ジョナサン氏は「福島の悲劇で亡くなった人の数には言葉を失う。それに福島の状況も未だに危機的で市民は自宅に戻ることもできず、農民は作業を続けることができない。なぜなら誰も福島の生産物を買おうとしないからだ」と語る。
放射能による犠牲者の数は依然として確定されておらず、福島周辺の住民の10%が未だに仮設住宅暮らしを迫られている。
「今、市民はだんだんと元の暮らしを離れ始め、地元共同体もだんだんと縮小しつつある。福島周辺では場所によっては全く人気がなく、生産も学校も全く機能していない。」
(終わり)
短い作品なので、フクシマの女性の悲痛な叫びを是非、聞いていただきたい。*「フクシマの女たち」Paul Johannessen
次に元スイス大使村田光平氏がスペインの代表的な日刊紙エルムンドの記事をブログに載せているので紹介する。以下。
<Las secuelas de Fukushima, cinco años después de la catástrofe>07/03/2016
(仮訳)
「フクシマの傷跡、あの災厄から5年」
瀬川牧子 郡山(日本) 2016年3月7日
「あの災害が起こったとき、私はこの町を捨てることができませんでした。いま私は娘の鼻血を心配しています。咽頭にできたのう胞の一種だと診断されています。泣くときに呼吸がうまくできないほど痛がるのです」。マキコは6歳の娘を持つ母親で、福島原発から50キロメートル北にある郡山市に住むが、娘を苦しめ続ける健康上の問題を語るときには絶望的になるのだ。
マキコの証言は、郡山であの核の災厄の後遺症に苦しむ子供を持つ母親たちへの経済的・精神的な援助を行うNGOを立ち上げた日本キリスト教協議会の牧師カワカミ・ナオヤが毎日のように聞いている、多くの証言の一つにすぎない。福島原子力発電所を襲った津波から5年経ち、カワカミは、甲状腺癌、鼻血、頭痛、腫れ物、眼球陥没、血便など、放射能の恐ろしい影響を被り苦しみ続けているおよそ600人の子供たちについてのレポートを公表した。
去る2月のある朝、記者はカワカミとともに、福島の母親たちと呼ばれるグループの集まりに参加した。10畳敷きほどの小さな部屋は、木のおもちゃにあふれ小さなピアノが置かれてあり、そこにこの40を過ぎたばかりの牧師の柔和な落ち着いた声が響いた。彼の前には、30過ぎや40台やより年上の5、6人の女性たちが座っていたが、カワカミの語る話を聞きながらその表情を緩めていった。彼女たちはみな、5年間の困窮と苦痛の当然の結果として、硬直し緊張しているように見えていたのだ。
「あの事故が起こったとき、私の息子は放課後のブラスバンドのクラブ活動に参加していました。彼は激しい鼻血に苦しんで、ティッシュペーパーの一箱を使いきるほどでした。いまは学校に歩いていくときに鼻血を出します。その鼻血があまりにひどいので、私はブラスバンド部の退部を願い出ました。」と、郡山で13歳の息子を持つ母親のマキコは嘆く。また一方で、6歳の娘を持つ母親のユキエは「2012年以来、私の娘は奇妙な皮膚の病気に悩み始めました。皮膚が赤くそして黒く変わっていきます。同時にひりひりと痛むのです。それが現われたり消えたりします。」と語る。
これらの女性たちは子供たちのことを説明するたびに涙がほおを伝う。長い間ずっと我慢したまり続けてきた涙が、この牧師の前に座ることで与えられた安心感のおかげで、静かに、音も無く流れ落ちる。「あの災害の間、夫は私が娘と一緒にこの街から逃げることを許してくれませんでした。いま、娘にはのう胞ができ、私にはのう胞と甲状腺癌を持っています」。8歳の娘を持つ母親のユウコはこのように語る。
子供の癌の急増
2014年と15年に実施された甲状腺機能に関する第1回と第2回の公式追跡調査の結果によれば、福島県内のすべての都市の中で郡山は、甲状腺癌を持つ、あるいはその疑いのある子どもの人口が最も多い所である。福島県立医科大学は年ごとにそれぞれの地域で甲状腺癌の発生を研究しており、先の12月末に郡山で新たに16件の発生を確認し、それによって癌を患う子供の数が115人にまで増えた。これらの患者たちは、あの災厄が発生したときに6歳から18歳の間の年齢だったのだ。
大学と福島県庁は2月15日に「県民健康調査」検討委員会が最新の分析結果を発表する目的で開催したある会議で、そのように公表した。にもかかわらず、当局者たちは原発事故と癌発生との関係性を否定するのだ。実際に、検討委員会の座長である星北斗は、その情報のデータを示した後で、「今の段階では、放射能と甲状腺癌罹患との間に関係性は認められない」と断言したのである。
2月15日の会議には約60家族の被災者も出席していたが、しかしここでもまた、当局者たちによって全く無視されたように感じた。「会議の間、福島の母親たちは、ただの1回たりとも医者たちに質問することを許されなかったのです。ただ政府寄りの主要な日本の報道メディアにだけ、その権利が与えられました。日本の政府とメディアは私達を無視し私達を侮辱するのです!」福島に住む5人の子供の母親である64歳のサトウ・サチコは、会議の後で激しい怒りをぶちまけた。
原発事故の後、サチコは25歳の長男を除く子供たちを、福島から160キロメートル離れた山形県に避難させようと決意した。3月11日まで彼女は川俣町で自給自足の自然農園で生活していた。40キロメートル離れた山間地である。しかし、放射能への恐怖のためにその地を捨てて、同じ町の精神障害を持つ人たちのためのNGOを運営している。
母親たちの孤立無援
「福島の母親たち」の孤立無援さはすべての面にわたる。権威者たちが彼女らの声を聞いたことはなく、公的にはそれは存在しない、あるいはとるに足らないものと見なされている。「その状況は極端なまでに耐えがたいものです。誰一人助ける者はいないと感じてしまいます。」このように、カワカミ牧師は嘆く。彼はあの災厄の後6か月たってからこれらの女性たちへの援助を始めた。2011年の9月である。
「私は、県庁のある責任者がこれらの女性の一人に対して激怒し、次のように非難するのを聞いたことがあります。『母親であるお前が放射能をあんまり怖がっているから、お前の息子が放射能に負けたんだ!』と。」
郡山市はこの地域の重要な商業の中心地であり、現在34万人の人口を持つ。この5年間に化学工業の分野で成長を遂げており、政府が後押しする「福島再建キャンペーン」の公式な呼びかけは、2015年の2月から、約6600人の住民を市に呼びもどすとしている。同時にまた、そこは企業によって東京から派遣される社員を非常に多く抱える都市でもある。そこに日本の代表的な企業の工場と支社が数多くあるからだ。東京の中心にある駅から新幹線でわずか1時間で到着できる。一見したところ、近代的なビル、先進的な商店、大きな街路と、首都圏の地域にある他の都市と異なるところは何もない。市の外見を前にすると、誰でも放射能のことなど忘れてしまう。実際のところは、ここは日本で最も甲状腺癌が多く発生している都市なのだ。
我々が郡山を訪れた日、地元紙である福島民報の金曜日トップの見出しは次であった。「福島の繁栄に微笑み」。2ページにわたる記事は、何よりもまず、県にある全ての都市の食品とグルメの世界に関連するあらゆるタイプの活動が載せられていた。郡山については「郡山市の美味に満ちた華やかな祭り」と書かれていた。
「この記事は許すことができない!堪忍できません!」ノグチ・トキコは怒りの告発をする。彼女は51歳の母親だが、その長男は現在11歳であり、あの核災害の直後に全ての髪の毛が抜け落ちてしまった。しかし実際のところは、日本の大部分の報道メディアは政府の公式な見解を擁護しているのだ。それによれば、癌の発生の増加とあの核の災厄との間に何の関係も認められない、というのである。
あるジャーナリストの不可解な自殺
福島での災害で被害を受ける子供たちについて本気で真実を調査しようと試みた数少ない日本のジャーナリストに、朝日テレビ放送局の岩路真樹がいた。しかしながら彼の仕事は断ち切られてしまった。自宅での練炭の排気の吸引による自殺とされる、彼自身の死によってである。真樹は、甲状腺癌を患う子供たちの母親へのインタビュー・ビデオの放映を決行した日本で初めてのTVジャーナリストだったのだ。トキコのような郡山市の母親たちは、温かく真摯な性格の真樹に対する熱い思いを込めて振り返る。「彼はすばらしい温厚で正直なジャーナリスト、心を開いてくれる人でした。当時6歳だった甲状腺癌を患う男の子の所在を突きとめようとしていたのです。その小学校の管理職と話をつけてその学校を訪問しようとしていました。でも彼は私に、その学校の管理職たちが『生徒の誰一人として扁桃腺の手術すら受けたことなどない』と言い逃れしてその生徒の存在を否定した、と言いました。」
カワカミ牧師のNGOに集まる母親のほとんどは臨時雇いの仕事をしているか家庭の主婦である。毎日、放射能を恐れて福島県産以外の野菜と水と米を買っており、そして、近所の人々や自分自身の親族からの彼女たちに対して投げかけられる非難に立ち向かうのに、多くのエネルギーを費やしている。福島の学校が「地元の食品を食べよう」というスローガンのもとに地域の野菜や米を給食で使い始めたことに注意を向けなければならない。
しかし、母親たちが自分の子供たちを守るためにどれほど一生懸命になろうとも、巨大な圧力と反発に耐え忍ばねばならない。とりわけ最も身近にいる夫や両親たちからのものだ。実際にこれらの女性たちの大多数は、夫との夫婦関係が悪化したと告白する。その恐れと心配を話せば話すほど、配偶者との摩擦はどんどん激しくなるのだ。
夫婦間の軋轢
「夫は全く私を助けてくれません。日本の政府やマスコミが言うことを盲目的に信じて実行するタイプの男なんです。他人が事実を示してどれほど説得に努めても、全く目もくれません。自分自身が目で見て五感で分かったことですら信用しようとしないのです。ものすごく石頭でものすごく頑固です。ご主人と一緒にここを離れることのできた友人がうらやましいです。そのご主人は自分の妻の心配を理解して移住を受け入れました。この市で新しいマンションを買ったばかりだったのですが。」41歳のムロイ・ユウコはこのようにこぼす。
ユウコばかりではなく、他の母親たちのほぼ全員もまた牧師に、夫たちとの関係の悪化を涙ながらに説明する。その原因は、放射能の影響を受ける郡山のような地域でどのように子供たちを育てるのかについての食い違いなのだ。
「あの災害以来、大変な量の夫婦間の問題を抱えたご夫婦のことを、ものすごい数で耳にしてきました。妻と夫の間に大きな考え方の違いがあるように思います。その中の何組かはついに離婚しました。」こう語るカワカミは悲しみの表情を浮かべた。
「その最近の例ですが」と牧師は述べる。「ちょっと前にその女性たちの一人が私に言いました。『牧師さん。私、とうとう離婚を決意しました。夫の一言が原因です。』彼女が言うには、その夫は、息子が自分の目の前でひどい鼻血のために気を失って床に倒れたのを見て、こう言ったのです。『何でもない、何でもない。放射能が原因じゃないんだ』と。」
しかし母親たちの多くは、子供たちの健康を案じながらも、離婚にまで思いきることができないため夫と共に過ごすことを選択している。ユウコには発達障害を抱える8歳の娘がいるが、福島原発の爆発の後で夫に他の町に行って生きたいという希望を語ったときに、夫が彼女に言った言葉を決して忘れないだろう。「行きたいなら行ってしまえ。お前一人で出て行け。娘はここに残る」。目に涙を浮かべながらユウコは、5年経ったいま、住む町を変えるという考えを棄てたことを認めて次のように述べた。「もし離婚することができたのならそうしたでしょう。でも、それはできません。もし私が、小さい体の娘と一緒に私だけで見知らぬ場所に引っ越しするなら、生きていけるとは思えません。」
政府も、福島原発に責任を負う東京電力も、この地域を出ていきたいと望むこれらの女性たちに対して、何一つ補償を与えようとはしない。事故を起こした発電所から半径20キロメートル以内に位置する集落にあるような、放射能による明らかで目に見える被害が無いからなのだ。カワカミのようなボランティアグループが提供するわずかな援助を除いて、「福島の母親たち」は助けになるものを何も持っていない。「いまとなっては」と牧師は嘆く。「これらの哀れな女性たちがどれほど大声を出しても無駄なのです。『私の息子の鼻血が』といくら叫んでも、人々は無視して言うのです。『それがどうした?』と。」
<編集後記>
私の住むスペインも恐ろしい国なのだが、その凶悪さとデタラメさがあからさまになる。マスコミはそれを書きたて、人々はてんでに公然と大声を上げる。怒りや願望が爆発して、何十万、百万を超えるデモ隊で街があふれる。もちろんこの国にも、311マドリッド列車爆破事件の原因のような、タブーはある。しかし多くの場合、国家を動かす者たちの愚かさや凶暴さや誤魔化しがむき出しにされ、民衆のむき出しの怒りがそれに向けられる。日本のような「みんなの絆」で周囲から包み込まれるような閉塞感は無い。
訳文中に、目の前で起こる明白な事実を見てすら、国や学者たちの言うことを盲目的に信じ込み、その事実と放射能との関係に対する疑いを持とうとしない夫たちの姿が描かれている。かつてドイツの悪党ヒトラーは、その著作「わが闘争」で次のようなことを述べたそうだ。『…素朴なために、人々は、小さな嘘よりも、デマ宣伝の犠牲になりやすいのだ。彼等自身些細なことで、小さな嘘をつくことは多いが、大規模な嘘をつくのは気が引けるのだ。彼等は壮大な嘘をでっちあげることなど決して思いもよらず、他の人々がそれほど厚かましいとは信じられないのだ。たとえそうであることを証明する事実が、自分にとって明らかになっても、彼等は依然、疑い、何か他の説明があるだろうと考え続けるのだ。』
確かに、世界中のどこでも、人々は素朴であるがゆえに愚かで盲目的なのだろう。しかし、この福島、そして日本の場合にはそこにもう一つの要素があるように思えてくる。その夫たちも、心の奥底のどこかに「これは放射能の影響ではないのか」という疑念を持っているのではないか。しかし、それを口や態度に表わすことによって、仕事を失い社会的立場を失い、場合によっては(あのTVリポーターのように)命を失うかもしれない恐怖感がそれを包み込み覆い隠している、というような…。
そしてその疑念を強める事実を目の前にするとき、一方の恐怖感もますます膨らみ、より強くその疑いを否定する。ビンの中身が溢れそうになればより強く巨大な蓋で抑えつけなければならない。こうして、その否定の態度はますますかたくなになっていく。いま、福島と日本を覆っているウルトラ楽観的な外見は、そのような膨れ上がる恐怖感の、単純な裏返しなのかもしれない。
こういったタブーと恐怖による心理的な拘束は、昔から日本の全体主義の特徴になっているのだろう。この国では、全体主義は単に上から押し付けられるものではなく、同時に下から、民衆の心の内から現われてくる。自分を規制する精神の乏しいラテンの国に住みなれると、そのような、自分が去った国と国民の特性が改めて感じられてくる。この記事を掲載したエルムンド紙の編集者は、いったいどんな思いでこの国を眺めているのだろうか。
いま欧州のマスコミでは、政府に批判的なジャーナリズムを弾圧するトルコに対してのキャンペーンが開始されつつある。テロ支援と石油の略奪を続けながら「難民問題」を利用して欧州を脅迫し巻き上げようとするトルコ政府に、ちょっとでも対抗したいと思っているのだろう。日本では、トルコに対してはどうか知らないが、シリアやイランやロシアでのジャーナリズム抑圧に抗議する人々や集団があるようだ。しかしその前に、自分の国のジャーナリズムの実態に対して声を上げることはないのだろうか。
しかし、結局はその人たちも、この訳文の中に登場する夫たちと一緒なのかもしれない。カナリアは死んで、そして人々は何事も無かったかのようににこやかな外見で坑道に降りていく。しかし、その足下にいる妻子たちの苦痛と嘆きを照らす光はあまりに乏しい。内からでは難しいのなら、外からでも良い。もっと光を当ててほしい。その意味で、わずかな分量かもしれないが、このエル・ムンド紙に載せられた記事が、いずれ大きな光源になっていくことを願わざるを得ない。(引用終わり)
311から五年、日本人、一人一人が現実を直視する勇気を持つことを求められている。
*参考資料
地上波のテレビで深夜とは言え、初めて放送された専門医師の「これは静かなる殺人ですよ」の発言の放映。<放射能_科学は放射線の影響にどこまで迫れるのか?>(20160314)しかも放送局はあの原発の父、正力松太郎がつくった日本テレビ、福井地裁の高浜原発再稼働差し止め 仮処分の決定を見てもわかるように確実に少しずつだが、世の中は変わり始めている。
*お時間のある方は、以下で視聴可能。
http://www.dailymotion.com/video/x3xkpox