森友・加計問題の本質

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3月 152018

3月2日に朝日新聞が「学校法人・森友学園(大阪市)との国有地取引の際に財務省が作成した決裁文書について、契約当時の文書の内容と、昨年2月の問題発覚後に国会議員らに開示した文書の内容に違いがあることがわかった」とスクープ報道。その後、12日、財務省が「決裁文書についての調査の結果」を公表。森友学園問題の国有地取引をめぐる決裁後に文書を改ざん(政府の表現は「書き換え」)していたことを認めるに到り、今や政権を揺るがすような大事件になろうとしている。今回、公表された文書を読むと興味深いキーワードが浮かび上がってくる。「忖度」、「縁故資本主義」、「友だち内閣」、「内閣人事局」、「公文書管理法」、「戦後レジームからの脱却」、「国民国家」、「日本会議」、「成長の家」等である。

戦後史を振り返ってみると、19451951年の間、敗戦国である日本はGHQ(連合国最高司令官総司令部)の支配下にあった。当時、日本は「主権国家」ではなく、対米従属の政策をとるしか、独立を回復する道はなかった。しかしながら、サンフランシスコ講話条約によって形式的な独立を果たした後も、日本は徹底的なアメリカファーストの政策を選択することになる。たしかにその結果、米ソの冷戦構造が日本に幸いし、経済の高度成長がもたらされ、世界第2位の経済大国に躍進し、多くの問題を抱えながらも沖縄返還を実現することもできた。ここで評論家の江藤淳氏が興味深い同級生のエピソードを書いているので、紹介する。1963年のことである。以下。

「うちの連中がみんな必死になって東奔西走しているのはな、戦争をしているからだ。日米戦争が二十何年か前に終わったなんていうのは、お前らみたいな文士や学者の寝言だよ。これは経済競争なんていうものじゃない。戦争だ。おれたちはそれを戦っているのだ。今度は敗けられない。」(「エデンの東にて」)しかしながら、この「ジャーパンアズナンバーワン」とも言われた経済的成功、ある意味経済戦争における勝利だけでは、日本が真の独立国になることはできなかった。

その結果、第二の敗戦とも言われる日本のバブル崩壊と前後して、東西冷戦構造も終焉し、巷間言われた失われた20年というものを経て日本国内では奇妙な言論が持て囃されるようになっていく。それらが「クールジャーパン」、「日本スゴイ」等である。そして、それが政治的に表現された言葉がいわゆる「戦後レジームからの脱却」である。考えてみれば冷戦終了後、世界を席巻した新自由主義、新保守主義の思潮が世界のグローバル化を推し進めるなか、新自由主義の政策を米国の言いなりに進めてきた政治家が、そもそも新自由主義は、近代国民国家の枠組みを崩していく考え方でもあるにも関わらず、対米自立的な、戦前回帰的な言辞を弄ぶことによって、支持される構図はとても奇妙なものである。マスコミで報道され、話題になった森友学園の見る人から見れば、時代錯誤の教育が一時期話題になったのは、先行きの見えない従米路線の閉塞状況のなかで、対米自立の戦略を見失った人々に心地良いカタルシスを与えたからではないだろうか。森友学園が多くの保守派を自認する著名人や政治家を引き付けたのはそのためだろう。今回の森友事件の不可思議な国有地払い下げ事件の底流には、対米自立の戦略を見失った日本社会の閉塞状況があることも見落としてはならないところだ。

*東愛知新聞に投稿したものです。

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